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わが国経済の現状と金融政策運営

2000年4月20日・大分県金融経済懇談会における三木審議委員基調説明要旨

2000年 4月20日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.デフレ懸念払拭の展望とは
  3. 3.わが国経済の現状と先行き
  4. 4.当面の金融政策運営
  5. 5.今後の課題─アカウンタビリティーの更なる充実のために

1.はじめに

  • ただ今ご紹介を頂きました日本銀行の三木です。本日は、大分県の各界を代表する皆様方と親しく懇談させて頂く機会を賜わり、誠に有り難く思っております。また、日頃、私どもの大分支店が種々のご高配を賜っておりますことを、この場を借りてお礼申し上げます。
  • 私ども日本銀行では、「金融経済懇談会」と称して、9名のボードメンバー(総裁、副総裁、審議委員)が定期的に全国各地を訪問し、地元金融経済界の皆様と意見交換の場を持たせて頂いております。こうして、各地方の金融経済界の方と顔を突き合わせて懇談させて頂く中で、私どもの金融政策へのご理解を頂くとともに、各地経済の最新の動きをお伺いし、それを今後の金融政策判断の一助にさせて頂きたいと思っております。
  • 本日はこうした趣旨で大分に参りましたが、個人的には今回の大分訪問を大変楽しみにしておりました。冒頭の紹介にありましたように、私が現職に就く前40年余にわたり勤務していた新日本製鐵がここ大分に製鐵所を持っていた関係で、この地には以前から何度も足を運んでおりました。そういう意味で、この地には特別の愛着と親近感を持っております。しかも、今週は、日本とオランダが交流を開始して400周年という記念すべき時期に当たっており、しかもそのスタートはここ大分の臼杵ということで、街は記念事業で活気と明るさが満ち溢れているようです。こうした又とないタイミングに馴染みの地を訪問できたことを嬉しく思っております。
  • さて「オランダとの交流」と申しますと、改めて言うまでもなく、わが国の西洋化・近代化のまさに出発点を意味します。医学、科学といった学問のほか、洋食、洋酒、洋服、絵画、小説、写真といったもろもろの西洋文化もオランダとの交流で初めてわが国にもたらされたとのことです。今でこそ、グローバリゼーションという言葉が日常用語となり、世界がシームレスのグローバル・マーケットになりつつありますが、歴史を遡れば、わが国のグローバリゼーションの流れは、わずか400年前の4月19日に大分県臼杵にオランダ商船(リーフデ号)が漂着したことをもってスタートを切ったことを考えると、この間のわが国経済や文化における進歩のスピードに改めて感慨深く思う次第です。
  • さて、本日は皆様から大分経済の現状を是非お聞かせ頂きたく思っておりますが、まずは私の方から、金融政策の現場からみた日本経済の現状と金融政策運営の考え方について、簡単な基調説明をさせて頂きたいと思います。特に、「独立性と透明性」を両輪とする新日銀法が施行されて、ちょうど2年が経過した節目の時でもありますので、より良い説明責任──最近はアカウンタビリティーという言葉もかなり定着してきたようですが──この点に重点を置きつつお話させて頂きたいと思います。

2.デフレ懸念払拭の展望とは

デフレ懸念払拭の展望が開けるまでゼロ金利政策を継続

  • 現在、日本銀行では、短期の市場金利(無担保オーバーナイト・コールレート)を実質的にゼロ近傍に誘導するという、過去、例をみない思い切った金融緩和政策を採っています。「3つの過剰問題を抱えた構造調整の促進」「不良債権処理・金融システム不安の解消」「景気回復」という課題を抱えながら、日本経済再生に向けて、限界まできた国債発行に支えられての財政出動、それを支えるゼロ金利政策、民間の自助努力による合わせ技で取組んでいるところです。
  • この間の経済状況をみますと、ゼロ金利政策に踏み切った一年前は、経済のデフレスパイラル懸念が強く、先行き不透明感が濃厚、かつ長期金利上昇、円高、株安という悪いシチュエーションでした。しかし、ゼロ金利政策の効果浸透に加え、積極的な財政出動、米国経済好調に支えられた東アジアの経済回復に伴う輸出好調、さらにはIT関連の生産・設備関連需要の高まりなどに支えられて、最近は、まだら模様の二極分化という姿ではありますが、ようやく景気が回復軌道に乗りつつあり、先行きを見通しても「透明な部分」が増えていると言えるようになってきました。
  • 他方、この間、ゼロ金利政策が、経済のあちこちに副作用ともいえる歪みをもたらしてきたのも事実です。本来、市場淘汰されるべき設備や企業を徒に温存させ、構造調整の流れに竿を指すという弊害を招いています。預貯金の利息収入が事実上ゼロになり所得再分配の面で歪みが生じ、"家計いじめ"とのご批判も聞かれます。金融機関、企業財務のモラルハザードを招いているとの声もあります。
  • 言うまでもなく、ゼロ金利は、正常な経済活動を促し、持続的な経済成長を図っていくという観点からは、極めて異常な金利体系です。"景気回復への効果"と"副作用の弊害"のバランスを考えますと、ゼロ金利からの脱却が一つの課題と言えます。ようやく動き出してきた景気回復の動向を入念に点検しながら、「ゼロ金利を解除する条件が整うか」を注意深く判断していくことと、その判断のタイミングが重要かと思います。特に、今の景気回復の局面は、業種間、同じ業種の中でも企業間、また地域間等、あらゆる場面で二極分化の様相を呈しながらの景気回復場面だけに、政策判断に当たってはマクロ統計のみならず、ミクロの現場の動きを注視し、また金融政策のタイムラグを考えますとフォワードルッキングな判断が必要とされると思います。

「デフレ懸念払拭」という条件について

  • 私どもでは、現在、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまでゼロ金利政策を継続する」ことを表明していますが、この「デフレ懸念の払拭が展望できる情勢」というフレーズが、アカウンタビリティーの観点から、わかりにくいという企業、家計からのご批判があります。この点は、日銀のボードでも何度か話合いましたが、結論は「このフレーズは、ゼロ金利解除のための定性的な動きを的確に盛り込んでおり、これを上回る適当な表現は見出し難いこと、後はその時点時点に応じて必要な経済の動きを勘案した総合判断にならざるを得ない」というものです。

判断基準の焦点

  • 総合判断の中身でありますが、ゼロ金利政策解除に当たって最も力点を置くべき重要な判断基準は「物価」であると思います。具体的には、「足元の物価が下げ止まり、かつ先行きについても物価の潜在的な下落リスクが十分に小さくなったかどうか」、この確証が得られるかどうかに尽きます。新日銀法で「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ことを目指すべしと謳われている以上、我々は当然に物価の安定を政策判断の根幹に据えなければならないということです。
  • 次は、物価を取り巻く実体経済に視点を当てて、それを構成する主たる需要項目の動きについて判断を明らかにすることです。生産→企業収益→設備投資→家計所得→個人消費という一連の経済の循環メカニズムを念頭におきながら、各項目の動きを睨みつつ、循環サークル全体がどの程度前向きの力を持ち始めているかの総合判断となります。

ゼロ金利政策下での民需回復シナリオ

  • ここで、私どもが、想定している民需回復のシナリオを簡単に整理しておきます。先ず、生産・企業収益の回復、設備投資、そして次に家計への所得分配ということです。このプロセスを通じて、公需から民需への円滑なバトンタッチを行うというものです。具体的には、(1)外生需要(公共投資、輸出)による生産増加効果、リストラ効果、ゼロ金利政策に支えられて、まず企業収益の改善が起こり、(2)企業収益回復を起点にした設備投資の回復が始まります。これは、いわば公需から民需へのスイッチとして、更なる生産回復の増加を促します。(3)そして、この生産回復の動きが雇用・所得環境の改善につながり、(4)個人消費回復に波及していくという一連の回復プロセスを想定しています。こうした一連のプロセスが循環的に繰り返されていく中で、経済全体に徐々にプラスのモメンタムが強まっていく状況を細かに点検していく考えです。
  • それでは、このシナリオがどの程度のところまで進行しているか、現在の日本経済を概観して評価してみたいと思います。

3.わが国経済の現状と先行き

実体経済の現状

  • 最初に実体経済の全体感を現状と先行きに分けて見ておきたいと思います。まず現状評価しますと、公共投資、輸出(東アジア向け)といった外生需要に加え、IT関連投資の増加に支えられながら、生産回復が鮮明になる中で、企業収益が回復し、ようやく設備投資の芽が出始めたと言える段階にきました。企業部門を中心とした「緩やかな景気回復パターン」という軌道にようやく乗り始めたと言える段階かと思います。先程述べた、景気回復シナリオで言えば、(1)企業収益に上向きモメンタム、(2)設備投資に上向きモメンタムの気配が見え始めたところです。これまで不透明であった「民需の自律回復メカニズム」に、少しずつ「透明な部分」が増えてきたとも表現できるかと思います。
  • 日本経済は、マクロ的には、なお雇用、設備、債務という「3つの過剰」を抱えながらの回復局面にありますが、一方では、過剰問題を乗り切った優良企業、IT関連に支えられたE−ビジネス、ベンチャー企業が積極的に生産、投資を拡大しています。このため、どうしても二極分化型の景気回復パターンにならざるを得ませんが、少なくとも足元は「景気が下落に転じるリスクはほぼなくなった」と言える段階になってきたと思います。

実体経済の先行き

  • 実体経済の先行きについては、外生需要(輸出、公共投資)から民需へのスイッチングができるかどうかが重要な鍵と言えます。論点の第一は財政再建を背景に公共投資の落ち込みが、今秋以降、どの程度になるのか、第二は成長過程にある東アジア経済が、在庫調整、米国経済の動きから、秋以降、踊り場になり、日本からの輸出が頭打ちにならないか、第三はこうした外生需要の頭打ちが起こっても、民需の持ち直し感がさらに前進して、円滑なスイッチが出来るか、という点かと思います。

企業収益

  • それでは、先程述べた景気回復想定シナリオの各段階の動きがどうなっているのか、やや詳しくみてみたいと思います。まず、企業収益をみますと、昨年度に続き、今年度も回復基調が持続する見込みです。先般実施した日銀短観をみますと、企業規模(大・中堅・中小)、製造業・非製造業を問わず、今年度は二期連続の増益計画になっています。
  • ただ、企業収益の基盤という切り口をみますと、IT関連企業はしっかりした民需に支えられているだけに堅調と言えますが、その他の業種では収益基盤はなお脆弱です。これは、(1)未だ増益効果が民需でなく外需に依存するウェイトが高いこと、(2)リストラ効果、ゼロ金利政策という本業以外の要因で収益改善がサポートされていること、(3)会計制度の国際標準化(時価会計、連結会計等)の流れの中で、連結経営対応のためのB/S調整、会計制度変更に伴なう負の遺産(株式、退職給付等)の処理のため、経常増益でも当期損益は厳しい姿にならざるを得ないこと等のためです。この結果、企業経営者として「もう大丈夫だ」というまでの自信をまだ持てないのが実情です。また、円高による減益リスクも内包しています。企業収益は外観好調、中身脆弱という点にやや注意が必要です。

設備投資

  • 設備投資は、企業収益の改善を起点に持ち直してきました。例えば、設備投資の先行指標となる機械受注統計(民需)をみますと、昨年12月以降、3ヶ月連続で前年比二桁プラスとなり、底打ち感が出始めています。民間非住宅着工床面積、産業機械生産指数、産業機械受注、電気機械生産指数等の統計をみても、昨年末から本年入り後のデータがいずれも前年比プラス基調を維持しています。日銀の3月短観による2000年度設備投資計画をみると、製造業の大企業では「明らかに底を打ち、緩やかな増加に転じたこと」が確認されました。問題は最も回復の遅い中小企業ですが、毎年腰だめ的な計画になりやすい3月短観でさえ、今年は前年比一桁マイナスとかなりいい数字がよせられました。「3月短観の計画が時期を経るにつれ上方修正される」という経験則を勘案すれば、「中小企業も一応は下げ止まった」と言える場面に来ているかと思います。
  • 今後の注目点は、特にT−ビジネス(Traditional Business:重厚長大型産業)を中心に過剰設備問題が残存し、有利子負債返済によるバランスシート調整を優先するスタンスが強い中での、設備投資の持続性と広がりです。現在、設備投資は、まだ「ITそのものの生産・設備関連」産業などに偏在していますが、ネット経済への対応、IT活用による生産性向上を目的に、産業全体に「ITを利用するための設備投資を行う」動きが広まることが期待されます。これをトリガーにして、設備投資に持続性と力強さが徐々に加わると思いますが、経済が二極分化している中でどの程度のスピードでこうした動きが顕在化してくるかが今後の注目点です。

雇用・所得環境

  • 雇用・所得環境については、生産回復が明確化していることから、雇用・所得環境の下げ止まり感は定着してきましたが回復感はなお出てこない状態です。先行きについても直ぐには多くを期待できない状況です。日本企業の多くの先は、当面は過剰雇用問題の解決策としては「雇用は維持、その代わり賃金は抑制」──いわゆるワークシェアリング──という処方箋で対応しようとしています。こうした状況では、先行きは、ベア抑制、賞与抑制が続かざるを得ませんし、雇用者数の増加は期待しづらいと思われます。企業の中には、リストラという形で更なる人員削減に踏み込まざるを得なくなる先もなお出てくることが予想され、当分、失業率は高止まりが予想されます。雇用なき景気回復、賃金回復なき景気回復です。こうした点を踏まえると、家計の所得環境の改善にはなおかなりの時間がかかると思われます。

個人消費

  • 最後に個人消費の動向をみますと、回復感に乏しい、一進一退の状態が続いています。ただ、昨年秋頃を境にして萎縮し過ぎていた消費態度が元に戻り始め、消費性向がまずまずのレベルまで回復しはじめました。可処分所得減少の中で「身の丈」に合わせた消費支出になってきているということです。これは、(1)景気持ち直し感が徐々に浸透していること、(2)株価上昇により資産効果が出始めていること、(3)情報通信関連財に対する消費ニーズが高まっていること等を背景に、消費態度が少しずつ前向きになっているのかと思われます。
  • 先行きの消費動向ですが、引続き一進一退の横這い基調で、消費レベルの回復という姿はすぐには期待できず、中々回復感が出ないということかと思います。第一に、家計は生活防衛型消費になっています。雇用・所得面での先行き不安、年金等社会保障不安という構造問題がある以上、家計には生活防衛的な一面が残らざるを得ず、安価で必要な財・サービスは売れるという状態になっています。第二に消費の構造変化です。家計は選別型消費になっているともいえます。消費飽和感が高まる中で、消費者の選別の目が厳しくなり、ユーザーニーズを的確に捉えた、新機能・新技術を備えた商品は売れる。しかし、ユーザーニーズを捉えた商品を投入しても、消費者の嗜好の移り変わりが激しく、製品のライフサイクルが著しく短期化しているのが最近の特徴です。別の見方をすると、消費が物からサービスに移っている面もあります。
  • GDP1%前後の成長の中では、個人消費も1%前後を考えざるを得ず、以上のような消費環境の動向を踏まえると、今の消費を「落ち込み状態」「不況状態」と評価するのは適切ではなく、少なくとも「平時」と言える範囲に既に入っているという判断をした方がよい局面にきたのではないかとも思います。所得増からの消費回復のシナリオは直ぐには中々期待できない中で、消費も二極分化(新技術・新機能製品と廉価製品に人気が集中化)しているシチュエーションを考えると、かつてのようなレベルにまで個人消費が回復していくには時間がかかるということです。

物価動向

  • こうした中で、最終政策目標である物価動向をみますと、物価下落リスクはほぼなくなったと言える環境になってきました。まず卸売物価動向をみますと、上昇、下落両面の材料が併存していますが、足元はほぼ下げ止まりました。物価の中身をみますと、潜在的下落要因としての新商品・新技術、生産性向上による価格下落の動き──良い価格下落──はみられますが、少なくとも需給悪化に端を発する「悪い物価下落」リスクはほぼ止まったといえます。むしろ、需給がしっかりする中で、値上げ環境が徐々に整ってきている局面だと思います。先行きについては、原油価格上昇分の価格転嫁(価格上昇リスク)とリストラを題目にした原材料仕入先への値下げ要請の波及(価格下落リスク)のミックスです。因みに、後者は川下産業(加工組立産業等)がリストラの一環として川上産業(素材産業等)に対して価格引下げ要請──「合理化に積極的に取組み、その成果としての生産性向上分を値下げしろ」という要請──です。これについては少なくとも需要の弱さに起因する「悪い価格下落」とは言えませんので、懸念すべき物価下落ではないと言えます。
  • この間、消費者物価動向をみると、足元は前年比ややマイナスのレベルが定着しつつあります。中身をみますと、卸売物価同様、需給悪化から来る「悪い物価下落」は殆どみられず、価格下落はあくまで合理化による生産性向上、技術向上による「良い価格下落」に集約されてきたと思います。特に、最近は、海外からの安値輸入品流入、ITを取り入れた物流合理化を背景に衣料品、日曜雑貨品で価格破壊的な動きがかなり進んでおり、今後も一段と広がっていくものと思われます。今や、製造業のみならず、非製造業でもメガコンペティションの波に晒されながら、国際競争力コストの達成を迫られる時代です。日本の物価はなお高いと言われている中で、この価格下落は内外価格均衡化のプロセスが生むプラス効果として評価すべきであると思います。先行きについても、消費者物価について需給悪化を端緒とする悪い価格下落は起こりにくいと思われ、下落リスクはほぼなくなったと評価してよい局面だと思います。

4.当面の金融政策運営

ゼロ金利政策を解除できる環境が整ったか

  • 冒頭申し上げたように、今はゼロ金利政策を解除できる環境が整ったか否かという点が最大の課題ですが、これを判断するための論点は2つあると思います。

論点1:デフレ懸念払拭と言える情勢になったか

  • 第一の論点は、最も重要なポイントである、デフレ懸念の払拭が展望できる情勢になったか否かという点です。
  • まず、物価については、良い価格下落、悪い価格下落を踏まえての物価のダウンサイドリスクの見極めです。具体的には、既に述べたように(1)足元の下落が止まり、(2)先行きの下落リスクがなくなったかがポイントです。この点、少なくとも需給悪化に起因する下落リスクが現在も先行きもほぼなくなったと言える局面に来ていると思います。その点では、デフレ懸念払拭の条件はほぼ整いつつあると評価できる状況になってきました。
  • 次に、物価の背後にある実体経済については、二極分化の景気回復プロセスの中でマクロ的・総合的にみてプラスのモメンタムがどれだけ確認できるかの見極めです。結論から言えば、今後は、設備投資と個人消費にもう少し前向きのモメンタムが出始めることを確認したい局面です。設備投資については、回復の方向を向いており、その持続性についてもかなりの蓋然性をもって期待できる段階に来たといえますので、後は、中小企業の動きを見守りながら、産業全体への波及を見守る局面です。個人消費については、仮りに「平時」に戻ったと評価しても、もう少しだけ持続性をもった力強さが確認できるような動きが出てきてほしい局面と言えましょう。以上の需要動向を踏まえれば、「デフレ懸念の払拭が展望できる情勢」と言えるにはいまひとつで、「外需から民需への円滑なスイッチングによる景気回復」には、民需の持続性と広がり、力強さになおフォワード・ルッキングな判断を要する局面であり、またインフレ懸念がない状態であるが故にまだその判断にはなお時間的余裕がある局面と思います。

論点2:ゼロ金利解除がもたらすマイナス・インパクト

  • 第二の論点は、ゼロ金利解除がもたらすマイナス・インパクトのリスクをどう考えるかです。金融市場へのマイナス・インパクトとしては、ゼロ金利解除がサプライズとなって、「悪い長期金利上昇」と「更なる急激な円高」の起こることが懸念されます。
  • 今後、景気回復につれ、いわゆるファンダメンタルズを反映した長期金利上昇と円高が起こるのは当然の動きです。この場合、日本経済の回復を徐々に織り込む、ファンダメンタルズを反映した「良い長期金利上昇」と「少しずつの緩やかな円高」は問題ありませんが、ゼロ金利解除を引き金に、ボラタイルな価格変動を招いたり、ファンダメンタルズから大きく乖離したレベルに価格が飛んでしまうことが非常に懸念されます。
  • 特に、経済に前向きの自律回復メカニズムが回り始めつつある局面でのこうした値動きは景気の腰折れを招きかねません。長期金利については、企業収益の圧迫に加え、設備投資の回復に水を差します。また、資金運用難から多量の国債を抱えている金融機関に多額の含み損を被らせかねません。また、円高については輸出企業を中心に企業収益回復の足を引っ張ることは間違いありません。大蔵省が円高懸念を示していますが、これについては共有します。また、急激で更なる円高には徹底的な市場介入で対処するべきというのが私の持論です。
  • なお、こうした撹乱的な市場の動きを予防する最良の対策の一つが、金融政策でのサプライズを防ぐためのアカウンタビリティーの充実と思います。我々が市場と対話を繰り返すことにより、経済のファンダメンタルズに対する認識を市場と我々が共有していくことが必要不可欠です。こうした不断の意思疎通を通じて、市場が金融政策の一挙一動を、良い意味で正確に"先読み"することにより、結果的に金融資本市場においては、ファンダメンタルズから乖離するような行き過ぎた価格形成を防ぎ得るのではないかと思います。
  • 当面は、以上のような論点に留意しつつ、経済の回復動向を丹念に点検しながら、今は市場との"環境地ならし"に目を向ける時期であり、なおゼロ金利政策を継続することだと思います。

5.今後の課題
─アカウンタビリティーの更なる充実のために

透明性向上の必要性

  • 最後に、日本銀行に課された今後の課題を申し上げて、話を締め括りたいと思います。我々にとって、今、最も重要な課題の一つが「金融政策運営の透明性向上」です。新日銀法により独立性が付与された以上、国民に対して自らの政策目標、政策手段、そのための具体的行動を詳らかにして、その理解を得ていくプロセスを繰り返していくことが必要不可欠です。
  • また、透明性向上は安定的な政策運営にも資するという意味でも重要です。金融政策運営をガラス張りにすることは、中央銀行の政策に対する市場の信頼感を高め、市場が抱く将来の不確実性、不安感を低減させることに役立ちます。結果的に、金融政策運営を安定的に行いやすい基盤作りにも寄与することになります。以上のような観点から、我々はいわゆるアカウンタビリティーの更なる充実に向けて不断の努力に取組む必要があると思います。

重点を置くべき「物価」

  • 透明性向上に向けて取組むべきテーマはいくつかありますが、今、最も重点を置くべきは、「物価」です。物価の安定とは何かについての原点論議を行い、「物価安定の考え方に関する総括的な取り纏めを行い、夏場を目途に検討結果を公表する」ことになっています。

政策目標の基本理念の具体化

  • 新日銀法で「物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資する」と立法されている以上、まず大事なことは「物価の安定とは何か」ということを日本銀行自身が明確な基本理念を持つことが重要であると思います。我々の一番大事な政策目標であるにもかかわらず、新日銀法や関係政省令には「物価の安定が何を指すのか」が何ら明記されていません。そうである以上、自らが「物価の安定とは何ぞや」という原点論議を行って、これを明確にすることがアカウンタビリティーの観点から必要だと思います。
  • そして、目指すべき「物価安定」の基本理念は、新日銀法の趣旨が物価安定である以上、「インフレでもデフレでもない状態」、つまり「物価の安定とはゼロ」であると私は思います。日銀ではこういった点を今後議論していきます。

政策目標の数値化

  • 次に、透明性向上のために金融政策の政策目標の数値化が何らかの形で出来るかどうかです。
  • 問題は、「物価」と一口に言っても、色々難しい問題がある点です。第一は内容です。卸売物価もあれば、消費者物価もあり、何が基準としてふさわしいかを詰める必要があります。第二は物価変動の中身の吟味です。物価の変動には需給の強弱を反映した価格変化と、生産性・技術水準の向上等を反映した価格変化が混ざり合い、これを事前に分離するのは難しいのが現実です。第三はサンプリングの問題です。本来、物価統計には、新商品(高性能製品、安価製品等)を随時採用していく必要がありますが、統計実務上の問題からこれが難しく、結果的に物価に上方バイアスが出るという問題もあります。従って、政策目標を数値化して公表するにしても、許容差とバイアスを持たざるを得ないと思います。
  • 次に、政策目標を数値化したものをどういう位置付けにするかという点です。具体的には、(1)目標値、(2)参照値、(3)参考値、(4)見通し等が考えられます。金融政策でのコントローラビリティーの度合いをどう考えるか等により、いずれにするかが決まってくると思いますが、私は、基本的には「物価」について「見通し」を公表することが、まず透明性に向けての第一歩であると思います。
  • なお、世上、「インフレ率」や「インフレ・ターゲッティング」が議論されていますが、国民経済の健全な発展という意味では、国民の立場からはインフレが最も問題です。その点で「インフレ率」や「インフレ・ターゲッティング」という言葉は極めて耳障りで、むしろ「物価見通し」という言葉が馴染むと思います。

政策ストラテジーの数値化

  • 政策目標達成のための政策ストラテジーも数値化して説明することも透明性確保に資すると思います。操作目標、操作手段、中間目標としてマネーサプライ、ベースマネー等について、目標値は困難としても参照値、参考値として設定できないかも検討に値すると思います。
  • 最後になりましたが、日本銀行は、今後とも前向きにアカウンタビリティーの向上に取組んで参りたいということを強調して、私の基調説明を終わりたいと思います。長時間のご清聴ありがとうございました。

以上