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日本経済の再生に向けて

2000年5月29日・日本経済研究センターにおける日本銀行総裁講演

2000年 5月29日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.最近の経済情勢と構造調整との関係
  3. 3.「構造改革」に向けての動き
  4. 4.「失われた10年」からの脱却のために

1.はじめに

 本日は、こうして皆様にお話する機会を頂きましたことを、大変光栄に存じます。

 私は、これまでも日本経済が抱える「構造問題」や中長期的な課題についてお話して参りました。そして、その都度、経済の本格的な立ち直りには、政策的な景気下支えだけでなく、新たな時代を形成する民間部門のエネルギー、すなわち「創造的破壊」の動きが重要であることを訴えて参りました。幸いにも、最近の日本経済をみますと、景気が全体に明るさを取り戻しつつあるなかで、「構造改革」に向けての取り組みが各処で動き始めているように感じられます。本日は、そうした新しい動きをも踏まえて、日本経済にとって今、何が重要かといった問題について、現時点で私なりに考えていることを、お話させて頂きたいと存じます。

2.最近の経済情勢と構造調整との関係

景気の現状認識

 構造問題についてのお話を始める前に、まず、日本銀行としての景気の現状認識を申し上げておきましょう。それは、一口で申し上げると、「景気は持ち直しの動きが明確化しており、民間需要面でも、設備投資の緩やかな増加が続くなど、一部に回復の動きがみられる」というものです。振り返ってみると、昨年の今頃には、すでに一部の経済指標に改善がみられ始めていました。しかし、それは公共投資の増加や海外景気の好転に支えられたもので、国内民間需要の自律的な回復とは程遠いものでした。これに対し、最近では、設備投資が緩やかな増加に向かうなど、民間需要にも漸く回復の動きがみられ始めており、そうしたなかでデフレ懸念も、一頃に比べれば薄らいできているように思われます。とは言え、民間需要のもう一つの大きな柱である個人消費は、なお回復感に乏しい状態に止まっています。もちろん、日本経済の長期的な成長力が鈍化していることを踏まえると、個人消費がにわかに80年代のような高い伸びとなることは、なかなか期待しにくいでしょう。ただ、消費者マインドは少しずつ良くなっているようですので、これまでの企業部門における生産活動の活発化や収益増加が家計部門の所得にどう繋がっていくかが、今後の個人消費の動向を展望する上で鍵になると考えられます。当面は、こうした点を念頭において、経済情勢を注意深く点検していきたいと考えています。

景気循環と構造調整との関係

 ところで、今申し上げたように景気が回復に向かう一方、「構造問題は解決していない」というのも事実でしょう。景気と構造調整の関係については、このように、様々な議論があるようにも見受けられますので、以下、両者の関係について、考え方を整理しておきたいと思います。

 私がここでまず申し上げたいのは、「構造問題が解決しない限り、景気回復はあり得ない」という考えは、正しいとは言えない点です。何時の時代でも何処の国でも、ある種の構造問題を抱えているのが普通であって——もちろん、現在の日本はとりわけ大きな問題に直面していますが——、そうしたなかで景気循環が起こるものなのです。しかし、だからと言って、「景気と構造問題は全くの別物」という訳でもありません。構造調整がうまく進まないと、景気回復が力強さを欠いたり、あるいは、——わが国のバブル景気のように——いったんは景気がかなり良くなったとしても、その後に大きな問題を残すことになってしまいます。このように、景気回復は、構造問題への対応が進んでいくなかでもたらされるといった関係にあります。

 経済を取り巻く「構造問題」には、国によって時代によって様々な側面があって、それを定義することは容易ではありません。ただ、現在の日本について、敢えて一言で言えば、「日本の経済システムが、新たな環境変化に適応していく上で生じてきた諸問題」──言い換えれば「日本経済のダイナミズムを封じ込めていた要因」──という色彩が強いように思われます。実際、90年代に生じた情報通信技術の進歩や市場経済のグローバル化といった経済環境の変化は、日本企業の経営全般に変革を迫る、極めて大きなものでした。また、バブル崩壊の後遺症についても、「企業や金融機関の体力低下を通じて、新たな環境変化への対応に当って大きな足枷になった」という意味での構造問題と言うことができましょう。

 このように構造問題を捉えると、構造調整と景気の関係が、より明らかになってくると思います。大きな環境変化は、従来の経済システムを陳腐化させ、企業の収益力を低下させる側面を持っています。この際、とりわけ環境変化の規模が大きく、対応の方向がはっきりしない場合には、多くの企業が、取り敢えず設備や雇用の削減といった、いわば「後向きの対応」に乗り出すことが多いと思いますが、そのことは、一層景気に下押し圧力として働く可能性があります。しかし、そうしたコスト削減を進める過程で、収益力が回復するとともに、環境変化への具体的な対応方法を発見する企業が、徐々に増えてきます。そうなると、企業の構造問題へのチャレンジそのものが、新たな成長の源泉となってきます。つまり、それは、新しい環境に適応できるような経営システムの抜本的改革や、戦略分野あるいは新たな分野への設備投資といった、いわば「前向きの対応」が出始める段階と言えるでしょう。もちろん、こうした段階においては、前向きの対応に移行できない企業もなお多く存在すると考えられますが、全体としてみれば、構造問題への対応が徐々に進みつつあるなかで、景気が回復に向かう段階と捉えることができるでしょう。また、その後は、「前向きの対応」が一段と拡がると同時に、景気が本格的な回復軌道に乗る段階に移行していくと考えることができます。

構造調整下の景気持ち直しの特徴

 以上のような考え方に基づくと、わが国の現状は、構造調整は「前向きの対応が出始める段階」に入ってきている、言い換えれば、「構造調整が進みつつある下で、景気が持ち直してきた段階にある」というのが、私の理解です。そこで、現在の経済の動きが、そうした特徴を色濃く表わしている点を、指摘しておきたいと思います。

 その一つは、先ほど申し上げたように、企業部門が先行する形で景気回復の流れが形成されているという点です。その背後には、そもそも90年代には、景気の低迷が長引く一方で、従来の経営システムの下で雇用や賃金の調整がなかなか進まなかった結果、労働分配率がかなり高くなってしまったという事実があります。それが日本企業の収益力劣化の一因となっていた訳ですが、今回の景気持ち直しには、——積極的な金融財政政策や海外景気の追い風を別にすると——企業が収益力回復を目指して本格的なリストラに取り組み始めたことが、大きなきっかけとなっています。このため、民間需要の回復にしても、リストラによって収益を上げた企業部門の投資がまず先行し、それが次第に所得の増加を通じて家計部門に波及していくとみるのが自然でありますし、また現に、そうした展開になりつつあります。

 二つ目に指摘できることは、現在のキーワードとも言われる「二極化」の動きが、経済のあちこちでみられるという点です。例えば、先ほど設備投資は緩やかな回復に向かっていると申し上げましたが、これは、多くの分野で投資が一様に増加しているということではありません。むしろ、過剰設備を抱える素材業種などでは引き続き設備投資の抑制が続く一方で、電気機械などいわゆる「IT関連」で大幅に投資が積み増されるといった、二極化がはっきりとする形での設備投資回復と言うことができます。また、労働市場をみても、最近は新規求人が前年比2桁で増加するなかで、失業率が高止まる、ないしむしろ上昇気味に推移するといったことが生じています。これは、いわゆる「雇用のミスマッチ」の拡大を示すものですが、その背景には、市場経済のグローバル化や情報通信技術の目覚ましい進歩の下で、企業が求める新たな人材が不足する一方、終身雇用の枠組みのなかで「特定企業でのみ役立つ技能」を蓄積してきた労働者が、あまり必要とされなくなってきていることがあると考えられます。

 このように、景気回復と構造調整が同時に進む下では、様々な面で相反する動きが生じがちです。このため、今後の経済動向を正確に解釈するに当っては、単にマクロ経済指標の表面的な数字をみるだけでなく、その背後にあるミクロ面の動きを十分に理解することが、極めて重要だということを申し上げておきたいと思います。

3.「構造改革」に向けての動き

バブル崩壊の後遺症──金融仲介機能の低下──への対応

 以上では、構造問題への対応が進みつつある下で、現在の景気回復がもたらされている可能性を指摘しました。そこで、本日は、私が注目している構造問題への「新たな対応の芽」というものを幾つか取り上げて、より具体的にお話したいと思います。

 その第一は、バブル崩壊の後遺症、それに伴う金融仲介機能の低下の問題が、解決の方向に向かい始めたという点です。日本にとっての90年代が「失われた10年」になってしまった大きな要因が、バブル崩壊の後遺症の問題にあったことは改めて申し上げるまでもありません。バブル崩壊がもたらしたバランスシート問題、とりわけ金融機関の不良債権問題は、金融機関のリスク・テイク能力を減退させ、経済の血液とも言うべきお金の流れを滞らせました。とくに97年末から98年にかけての極めて厳しい景気後退には、金融システムの動揺に伴う企業・家計のコンフィデンスの低下や、「貸し渋り」といった言葉に象徴される金融仲介機能の不全が大きく影響しました。

 しかし、私どもがゼロ金利政策を発動し、大手銀行への公的資本投入が行われた昨年春以降、人々の金融システムに対する信頼感は徐々に回復しており、経済にも好影響が及んできています。また、それと同時に、大手金融機関を中心として、戦後半世紀にわたって例をみなかったような大規模な再編の流れが生まれてきたことも、重要な動きだと思います。

 昨年中の景気の展開を振り返ってみると、家計所得が減少するなかで、個人消費がそれなりの健闘を示したことも──これは貯蓄率の低下を意味する訳ですが──、景気の下支えに寄与しました。このことは恐らく、97年末から98年初にかけて金融システムへの不安に駆られて貯蓄率を高めた家計が、一応の安心感から「財布の紐を少し緩めた」ということではないかと思われます。この点、日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」をみても、昨春以降、金融機関の経営破綻に関する不安感が薄らぐとともに、「自分の仕事や収入への悪い影響を懸念する」とか「消費を手控える」といった回答が徐々に減少してきています。また、企業部門でも、日本銀行の短観にみられるように、銀行の貸出姿勢や資金繰りの改善を示す回答が増えているほか、銀行借入への依存度が高い中小企業の設備投資意欲が少しずつ回復しているように窺われます。現在のところ、中小企業の設備投資は、全体としてみるとキャッシュ・フローの範囲内に止まっており、借入の増加に繋がるには至っていませんが、そうした投資意欲の回復には、金融環境の安定といったものが少なからず影響しているのではないかと考えられます。

 もちろん、金融機関の不良債権問題はなお完全には克服されていませんし、企業部門が抱える過剰債務といったものをも考えますと、「バブルの後遺症の問題が解決した」と言える状況には至っていません。また、不動産の価格が依然下げ止まっていないことも心配な要因です。さらに、金融機関の統合についても、ただ規模が大きくなれば良いという話ではなく、まさに「選択と集中」によって、組織を如何に効率化していくことができるかが鍵だと考えられます。その意味で、成果が眼にみえて現れてくるのは、まだこれからということでしょう。しかし、それでも、金融のグローバル化、IT化という不可逆の流れのなかで、新たなチャレンジの芽が、公的部門主導ではなく、民間部門のなかから生まれてきたという事実は、大変重要であり、また歓迎すべきものだと私は思っています。

 さらに、そうした大手金融機関の動きと並行して、直接金融面でも、昨年11月に開設された東京証券取引所のマザーズに続き、この5月上旬には民間主導の形でナスダック・ジャパンが開設され、6月に取引が開始されることとなりました。現在のような構造調整が必要とされる時代において、日本の豊富な貯蓄を「リスク・キャピタル」として投資に結び付けていくことが重要である点は、これまでも申し上げてきたところです。そうしたリスク・キャピタルの仲介機能を果たすための市場が徐々に整備されつつあることも、歓迎すべき動きだと感じています。

新たなフェーズに入りつつある企業リストラ

 第二の新たな芽は、企業部門におけるリストラが新たなフェーズに入りつつあり、それが徐々に成果を挙げつつあるという点です。もちろん、産業界の方々は、従来からずっと真剣なリストラを進めてきたとお考えでしょうし、私もここでそれを否定するつもりは毛頭ありません。にもかかわらず、私は、昨年からのリストラは、従来のリストラとは異なる性格を持ったものであり、最近はその傾向がより明確になってきたと考えています。すなわち、私の理解では、従来のリストラは、コスト削減=減量経営を意味する、まさに日本語・カタカナの「リストラ」でした。これに対し、現在進められているリストラは、当初こそ減量経営的色彩の強いものでしたが、徐々に「事業内容そのものの再構築」という文字通りの「リストラクチャリング(restructuring)」、あるいは「非効率となった生産・経営プロセスの再設計」を意味する「リエンジニアリング(reengineering)」の方向へと変化してきたと感じています。言い換えれば、日本企業のリストラは、新たなフェーズに移行しつつあるということです。

 この変化の背後には、金融機関の場合と同様に、産業界の方々が、長期にわたる不況を経験し、加えて97~98年には極めて厳しい金融経済環境に直面されたことがあったのではないかと思っています。この間、多くの中小企業が資金繰りにご苦労された訳ですが、ロシア危機などを背景に金融資本市場が国際的にも緊迫した98年夏から秋にかけては、日本を代表するような企業においても、生命線とも言うべき資金調達面での困難に直面する企業が少なくありませんでした。この出来事が、折からの連結会計、時価会計の導入といった会計制度の変化とも結び付いて、「これまでのメインバンク制や株式の相互持ち合いといった、日本的なコーポレート・ガバナンスにいつまでも安住することはできない」、「企業の生き残りのためにも、資本効率の向上などによって、資本市場からの評価を高めることが不可欠である」といった企業の認識、あるいは危機感に繋がりました。それがひいては、本格的なリストラ=事業再構築の取り組みへの引き金になっていった、ということではないでしょうか。

 このように考えてみると、現在産業界で進みつつある変化が、従来の減量経営とは自ずと異なる性質のものであることがみえてきます。経営資源を効率的に配分し収益率を高めていくことが、従来以上に強く求められるからです。この点、総合電機メーカーや総合化学メーカーなどでは、従来のように「総合化」のメリットが発揮しにくくなっているなかで、各社が最も得意とする分野——最近の言葉で言えば、コア・コンピタンスを有する分野——に特化する一方で、不採算分野の撤退・縮小を図っています。また、過剰設備を抱える素材業種では、企業合併を含む業界再編の動きが拡がっており、そうしたなかで、設備廃棄も進み始めています。しかも、最近の特徴は、こうした事業再構築や業界再編が——これは金融界でも同様ですが——従来の系列や企業グループの枠を超えて、場合によっては外資の導入など国境の枠さえ超えたグローバルな展開で進んでおり、またM&Aや持株会社制度の活用といった新たな手法を用いて行われているところにあります。昨年は、M&Aが大幅に増加したようですし、外資の導入を示す対内直接投資額(国際収支統計ベース)も1.5兆円と前年比3倍にも膨れ上がり、過去最高を記録しました。もちろん、現在までの企業収益回復には、人件費削減などの従来型「リストラ」に負う部分が大きいことは否定できません。ただ、こうした新たな取り組みは、収益性の低い分野のスクラップとともに、高い収益性に繋がる戦略分野──例えば、次に述べるようなIT関連分野──における投資といった、ビルドの動きに繋がることも期待できます。こうした現在の動きが今後、企業の収益力・競争力回復、ひいては企業活力の回復にどのように結び付いていくのか、注目していきたいと思います。

IT革命本格化の可能性

 第三の芽は、今申し上げた企業リストラの動きと関連するものでもありますが、いわゆる「IT革命」の動きが日本にも及びつつあるように窺われる点です。90年代に入り、米国経済が長期にわたる景気拡大と物価の安定といった繁栄を謳歌している背景に——その一方で、株高に伴う過剰消費や対外赤字拡大など、歪みの面があることは否定できないにしても——、IT投資の拡大に伴う生産性の向上があることを疑うことはできません。最近、日本でも半導体メーカーなどにおいてIT投資が急拡大していますが、こうしたこともあってか、グリーンスパン議長の表現を借りれば「100年に1度か2度」の変化が日本にも及び始めたのではないかという期待が、産業界に生まれつつあるように感じます。ただ他方で、このIT分野に関しては、「日本は米国から10年以上の後れを取っていて、キャッチ・アップすら容易でない」との悲観的な見方も根強く残っています。恐らく、この期待と不安の両者を理解するには、IT革命が日本経済にどのような影響を及ぼすかという点について、若干の議論の整理が必要だと思いますので、以下、私なりに考え方を整理させて頂きましょう。

 まず、議論の一つのポイントは、企業部門におけるIT投資の拡がりという問題にあり、この点に関しては、ITのプロデューサーが行う投資とIT技術のユーザーが行う投資とを区別することが必要だと思います。米国のIT投資について言えば、確かにコンピュータ産業や通信業が中心であり、同分野での生産性向上が最も著しいのは事実ですが、その他の製造業や金融業、流通業など幅広い分野における情報技術のユーザーが、IT投資を行って生産性を高めていったという点が、長期にわたる投資拡大の基礎にあります。これに対し、現在の日本でのIT投資の盛り上がりについては、世界的なIT需要拡大の恩恵を受けて、半導体関連などのITのプロデューサーが投資を積極化している段階にあると思われます。もちろん、これも重要な投資ではありますが、こうした投資ブームは95~96年の経験が示すように、どうしても循環——時には大規模なストック調整——を伴う可能性を指摘せざるを得ません。その意味で、やはりIT技術を使う側の投資が本格化するかどうかが重要なポイントとなります。この点、現在、多くの企業が、取引企業間での情報共有化を企図したサプライ・チェーン・マネージメントの導入や資材のネット調達など、IT技術を利用した生産・販売体制の強化を検討していると聞きます。また、4月に公表された経済企画庁の「企業行動に関するアンケート調査」をみても、調査対象である上場企業の多くは、生産設備が過剰であるとする一方、情報関連設備については不足を指摘しています。このようなITユーザーの投資がどのように展開していくかは、後に述べる日本型の経営システムとの関係で考えていく必要がありますが、ここでは、中小企業まで含めて、幅広い分野にそうした投資が拡がることが、持続的な投資拡大、ひいては生産性向上の鍵になると申し上げておきたいと思います。

 もう一つのポイントは、IT技術が企業部門のなかで用いられる段階と、それが家計部門(消費者)に入っていく段階——業界では、これを「B(Business) to B」と「B to C(Consumer)」と呼ぶようですが——を区別した上で、家計部門に入っていく段階において、日本企業がどのように対応できるかという点です。90年代に米国でみられたIT革命とは、まさにパソコン・ネットワークが企業部門に取り込まれて、それが業務プロセスの再設計等を通じて、生産性を著しく高めていったということでした。日本は、この段階で決定的な後れをとってしまい、「失われた10年」の一因ともなったと考えられているのですが、その理由としては、日本的な企業システムの特質との関連が指摘されています。すなわち、80年代までは皆様もご記憶の通り、系列取引やメインバンク制、さらには終身雇用に代表される日本型の経営システムは、長期的な継続取引によって情報を関係者間でうまく共有することができるという点で、優れていると言われてきました。一方、米国型のビッグ・ビジネス・モデルは、垂直統合型でセクショナリズムを助長しやすいため、情報処理の面で日本型システムよりも劣っていると考えられていました。ただ、こうした日本型システムは、その時代の技術的な環境との関係で評価されるべきものであって、情報通信技術の飛躍的な進歩により、情報の伝達・処理コストが急激に低下する下では、必ずしも全てが優れているとは言えません。むしろ、日本型システムの長所は、IT技術を積極的に導入してコスト削減を図る上で、インセンティブの乏しさに繋がることになりました。また、IT技術の成果をフルに活かすには、企業によっては取引形態の見直しや人員の削減が不可避となりますが、日本型システムには、そうした変革を困難にするという面があったと思います。このほか、90年代が日本にとって——とくにITユーザー産業である金融業や流通業において——バブルの後始末に追われた時期であったことや、ベンチャー・ビジネスが育ちにくい風土といった問題も考えられます。以上のように、日本企業がIT技術を導入するに当って様々な制約や問題がある状況下では、IT革命は日米の競争力関係を大きく変化させる性質のものだったのではないでしょうか。

 先に述べた企業リストラの本格化や、その一環としてのITユーザー投資の始まりは、日本企業がこうした問題に気付き始めたことの表われだと考えられます。また日本でも、「ビット・バレー」に象徴されるようにベンチャー企業が育つ芽は漸く生まれ始めており、そうした影響もあって、日本の企業設立数も全体として昨年夏場以降緩やかながら増加に転じています。ただ、企業部門におけるIT技術の活用という点では、日本は漸くその入口に立ったという段階にあるのでしょう。しかし、仮に企業部門におけるIT技術活用の面で米国に後れを取っているとしても、日本にとって朗報がない訳ではありません。それは、2000年からの10年が、情報技術が消費者段階に入っていく時代になると考えられており、その際のIT端末はパソコンとは限らず、情報家電や携帯電話がその役割を果たすのではないかと言われていることです。この分野は、もともと日本企業が得意としてきた分野ですし、現に携帯電話の情報端末としての利用など、幾つかの面で日本企業が最先端に躍り出つつある点は、多くの方々が論じられている通りです。もちろん、消費者を対象としたB to C の領域は、米国でも未だビジネス・モデルが確立した分野とは言えず、その先行きにはまだまだ不確実な部分が大きいことも事実です。それでも、日米再逆転とまでは言わずとも、ITの分野で、日本企業が米国と互角に競争し得る可能性が拓けてきたことは、極めて重要な変化と言えましょう。こうしたことも、産業界が少しずつ元気を取り戻していることに、何がしか影響しているのではないかと思われます。

4.「失われた10年」からの脱却のために

残された課題

 さて、ここまで、景気が持ち直していく裏側で進みつつある「構造改革の芽」のようなものについて、幾つかお話してきました。このことは、昨年の7月の講演で、「日本経済のダイナミズムが封じ込められている」と申し上げた時と比べると、そのダイナミズムが漸く少し解き放たれ始めたことを示すものと考えられます。しかし、だからと言って、日本経済が抱える構造問題が全て解決したという訳では到底ありません。

 例えば、金融機関のバランスシート問題を考えてみても、確かに金融システムの動揺といった事態からは脱したにしても、なお万全とは言えない状態にあることは、先にお話した通りです。また、企業の過剰債務の問題も、なお完全には解決されていません。さらに、企業が資本効率を重視するようになった結果、収益性の低い資産を圧縮する姿勢も暫く続くものと考えられます。この点に関して、日本銀行の3月短観をみると、大企業製造業の今年度売上高経常利益率の見通しは、ほぼ過去の平均値である4%程度(3.95%)であり、フローの売上げ対比でみる限り、企業の収益性は平均的なレベルまで回復してきたことになります。しかし、ROEやROAといったストック対比の収益指標は、未だに80年代を大幅に下回ったレベルに止まっているとみられ、これは、私が昨年夏の講演で指摘した「資本の生産性低下」を別の観点からみたものに他なりません。こうした下では、IT関連など新たな収益性の高い分野で投資が行われる一方、既存分野ではむしろ資産圧縮といった分母の絞り込みによってROE、ROAを引き上げるという調整が暫く続くことが予想されます。ちなみに、経済企画庁の「企業行動に関するアンケート調査」によれば、上場企業の半分程度が、土地建物や生産設備が適正な水準になるまで2年以上を要するとしています。

 企業のリストラクチャリングやIT革命の動きについても、これがどのような形で企業の収益力向上や投資活発化に繋がっていくかは、なお予断を許しません。仮に、それらが本格化した場合でも、実体経済面では、一時的にせよ「二極化」が一段と際立つ可能性も考えられます。例えば、リストラの成果やIT需要に支えられて収益力を回復する産業がある一方で、伝統的な内需型産業などでは、そこから取り残される企業も少なくないということです。この点、設備投資においても、規制緩和の波に曝された公益事業などで投資抑制が続いていることや、短観でも、流通革命の影響を受けやすい中小卸小売業などの業況回復テンポが鈍いといったことは、その一つの表われでしょう。雇用についても、新たな時代に対応した技能を有する労働者に対する需要が高まる一方で、そうした技能を持たない労働者に対する需要は大きく低下し、失業問題がクローズ・アップされる可能性があります。これらは、いわば「構造改革の陰」とも言うべきものです。

 また、IT革命のような技術革新が、企業の収益性や成長力にどのような影響を与えるのかといった点は、予測が難しいだけに、例えば、こうした「予測」をとりわけ強く反映する株式市場では、大きな「振れ」がつきまとう点にも留意が必要でしょう。事実、株式市場の動きをみると、昨年はIT産業の成長性についての強い期待から、IT関連の株価は大きく上昇しました。一方、ごく最近では、実体経済の足取りは、一段と確かになっているなかで、世界的なIT関連株価の調整の動きを受けて、日本のIT関連株価も軟調な動きを示しています。ただ、こうした「振れ」は、これからの成長産業やそれを担う企業を市場が見極めていくプロセスでは、ある程度避けられない動きであるとも言えます。逆に言えば、市場の相場変動のなかでこそ、モノになりそうな新技術やそれをしっかり取り入れた企業が発見され、育てられていく、ということでしょう。もちろん、日本銀行としては、株価の動向には、引き続き注意を払って行きたいと考えていますが、その際、株価変動の意味や背景を冷静に見極めていくことが大事だと考えています。

 さらに、本日は取り上げませんでしたが、日本経済の長期的課題としては、少子・高齢化の問題もあります。例えば、民間部門の貯蓄率の高止まりにしても、将来の年金や医療費の負担をどのように賄うかといった点に関し、国民的な合意が十分に形成されていないということが、個々の人々の先行き不安を通じて、安心して消費を拡大できないといったことに繋がっている点は、これまでも度々お話してきました。この点、今年から介護保険制度が実施されたことは一つの前進であり、今後この制度がうまく定着していくことを願っていますが、このほかにも様々な工夫を凝らしていかなくてはならない問題が多々あることは、私が改めて指摘するまでもありません。

再度「創造的破壊」を訴える

 現在のように、景気が回復に向かうと、一種の安心感から構造改革への取り組みが疎かになることも十分にあり得ることです。また、雇用面をはじめ構造改革の陰の部分が目立つと、どうしても改革に逆行するような動きが出たり、総需要拡大といった従来型のマクロ政策対応を求める力が作用し易いものです。しかし、これまでもお話したとおり、現在の景気回復に構造改革に向けての努力が寄与していることは疑いがなく、今後の持続的な景気拡大の実現には、なお残存する多くの構造的な課題を克服していくことが不可欠であることを忘れてはなりません。そうした問題は、金融財政政策といったマクロ面からの対応だけで解決できるものではありませんし、まして金融資本市場のグローバル化が進んだ今、過去の問題をインフレによって帳消しにしてしまおうという試みが成功する筈はありません。結局、この問題を解決し得るのは、現状を変えていこうとする民間部門のエネルギー——言い換えれば「創造的破壊」の動き——であるということを、ここで再度訴えたいと思います。また、そうした民間部門のエネルギーが発揮されていけば、結果的に構造改革の陰の部分も次第に吸収されていくことは、米国の例からも明らかです。

 現在のIT革命の進行に象徴されるような「変革の時代」というのは、先行きの不確実性が高い時代ですが、逆に言えば、人々の創意工夫がビジネス・チャンスに繋がり得る時代でもあります。そうした状況において、公的部門に求められる役割は、人々の創意工夫がスムーズに成果に繋がっていくように市場環境を整えることに尽きるのではないでしょうか。その一つは、もちろん、マクロ経済環境の安定です。私ども日本銀行にとっては、物価の安定を通じて、そうした状態を維持していくことが責務であります。また、企業や個人がリスクを取り易く、フレキシブルに対応できるように、規制緩和を徹底することや、税制・法制を整備することが、重要な政府の役割だと考えられます。

 以上のように、「変革の時代」における公的部門の役割は、あくまで市場環境の整備を中心に考えるべきだというのが私の考えです。この点、例えば米国においても、クリントン政権の初期には、「情報スーパーハイウェイ構想」といった政府主導のプランも考えられましたが、結局は、民間主導のIT革命を促すような環境整備へと方向転換していったことに学ぶ必要があると思います。日本でも、97~98年の厳しい経済状況の経験を一つのきっかけとして、産業再生法の制定をはじめ経済再生に向けての環境整備に対する取り組みが進みつつあります。今後も、本格的な経済再生に向けて、公的部門・経済政策の役割を「変革の時代」に即したものとするよう、常に柔軟な取り組みが必要だと思います。その点では、先進国のなかで際立って水準が高いとされる公共投資の役割についても、財政赤字の観点とともに、その内容が「変革の時代」に即したものかどうかという観点から、検討していく必要があると考えられます。

 思えば昨年7月、本日も取り上げた日本経済の構造問題についてお話した折——その頃は、日本経済に対して現在よりも悲観的な見方が優勢でしたが——、私は、「戦後の廃虚のなかから経済大国を築き上げていった日本の質の高い労働力、技術力、経営者の才覚を誇りに思っており、今もそのポテンシャルは失われていない」と申し上げて、「創造的破壊」の必要を訴えました。そして、約1年を経た今日、少しずつではあれ、日本経済に新たな芽が生まれつつあるとご報告できることを大変心強く思います。こうした動きがさらに拡がり、日本経済が民間部門に主導された本格的な景気回復軌道に乗っていく日が一刻も早く訪れることを、そして、1990年代が、「次世代の繁栄の基礎を築いた10年」として再評価されるようになることを強く願って、本日の私の話を終わることとします。

 ご清聴ありがとうございました。

以上