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日本経済と日本銀行

2000年5月27日・日本金融学会春季大会(於.中央大学)における篠塚審議委員講演要旨

2000年 5月30日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.日本経済とバブルの生成・崩壊
    1. 2-1.90年代の日本経済の変調
      1. 2-1-1.バブル崩壊の影響
      2. 2-1-2.構造問題
    2. 2-2.金融政策運営に関するバブルの教訓
      1. 2-2-1.リスクシナリオを念頭に置いた金融政策運営
      2. 2-2-2.資産価格変動に対する目配り
      3. 2-2-3.政策の適切な割り当て
      4. 2-2-4.情報開示の重要性
  3. 3.ゼロ金利政策を巡る議論
    1. 3-1.ゼロ金利政策に関する政策委員会の見解
    2. 3-2.ゼロ金利政策とその解除を巡る議論
      1. 3-2-1.デフレ懸念の払拭
      2. 3-2-2.ゼロ金利政策解除の説得性
      3. 3-2-3.リスク感覚の弱まり
  4. 4.金融政策と所得分配問題
  5. 5.結語:21世紀の日本銀行——国民と悩みを共有できる中央銀行を目指して

1.はじめに

 本日は、日本金融学会の2000年度春季大会にお招き頂き、誠に光栄に存じます。日本金融学会が、今日まで半世紀余にわたり、金融理論の発展に多大な業績を築いてこられたことに深く敬意を表するとともに、日本銀行の政策および業務の運営について、常日頃、学会員の先生方から、貴重なご助言を頂いていることに対し、この席をお借りして厚くお礼申し上げます。

 新しい日本銀行法は、日本銀行に対し、「独立性」を与えるとともに、政策・業務運営に関する意思決定の内容およびプロセスの「透明性」を向上させることを求めています。このため、日本銀行では、原則として毎月2回開催している金融政策決定会合の議論について、詳細な議事要旨を作成し公表しているほか、記者会見、講演、インターネットのホームページなどの情報発信を拡充しています。審議委員も一人一人が行動半径を広げ、日本銀行や自分の考え方について理解を深めて頂くように努めています。こうした中で、本日、日本金融学会の諸先生方に私の意見を申し述べる機会を頂き、誠に有り難く存じます。

 本日は、まず始めに、今日のゼロ金利政策に至る前史とも言うべき1980年代後半以降のバブルの生成と崩壊を振り返り、金融政策運営の教訓を考えます。次に、これらの教訓も踏まえ、今日のゼロ金利政策を巡る議論について、私なりに論点を整理します。最後に、私自身の専門分野である労働経済学という観点から、金融政策運営が所得分配面に与える影響について、私の問題意識を申し述べたいと思います。

2.日本経済とバブルの生成・崩壊

2−1.90年代の日本経済の変調

 90年代は日本経済にとって「失われた10年」と言われています。実際に、90年代を振り返りますと、96年頃の一時期を除き、全体として不況感の強い経済状況が続きました。その背景について、現時点で明確な結論を導くことは難しいところですが、私は次の2点を指摘できると思います。

2−1−1.バブル崩壊の影響

 第1の要因は、言うまでもなくバブル崩壊の影響です。バブルが発生・拡大する原因については、これまでにも様々な要因が取り上げられ議論されてきましたが、私は、「期待の連鎖」に注目しています。つまり、80年代後半、企業、家計、金融機関、政府等、いずれの経済主体でも、「日本経済の潜在成長率が上昇するような経済構造の変化が進んでいる」といった強気の期待が支配するようになりました。少なくともバブルの最終段階では、社会全体にある種のユーフォリアが生じ、自制のメカニズムを失っていたように思います。

 しかし、後から振り返ってみれば、「潜在成長率が上昇するような経済構造の変化」が進んでいた訳ではありませんでした。とすると、どこかの時点で、こうした期待には裏付けがないという現実に直面します。強気の期待は修正されざるを得ません。これに伴って経済活動が急ピッチで低下し始めます。その影響として、需要面では、資本ストックにおける古典的な調整が起きました。

 また供給面では、経済的な意味における資本ストックの価値が下がりました。先行きの資産価格の上昇やその下での需要拡大を前提に蓄積された資本ストックのなかには、離島でのリゾートホテルのように、将来にわたって利用される可能性が乏しく、他の用途に転用するコストも高いために、その経済的価値がほぼゼロになっているものも含まれます。

 さらに、こうした巨額な「マイナスのストック」は、金融仲介機能の大幅な低下を通じて、経済活動に深刻な影響を及ぼしました。すなわち、資産価格の下落は、借り手・貸し手双方の資産内容を悪化させ、自己資本を減少させました。自己資本は、将来のありうべき損失を吸収するバッファーです。自己資本が減少した経済主体では、自らのリスク負担に対して慎重になるとともに、より高いリスク・プレミアムを求められ、従来の取引関係を維持することが困難になる可能性があります。特に、金融機関の信用供与能力が土地、有価証券などの担保価値の変動に伴って大きく低下したことは、銀行以外の民間部門の支出行動に対し、少なくともある時期からは、かなり抑制的に機能したと考えられます。

2−1−2.構造問題1

 日本経済が変調に陥った第2の要因は、バブルの生成と崩壊によって一時的に覆い隠された構造的な問題の存在です。90年代における日本経済の長期低迷の背景について現時点でも明確な結論を導くことが難しい理由は、構造問題と、バブルの崩壊の影響が重なり合っているために、なかなか真の原因がつかめないことです。

 構造問題については既に多岐にわたる論点が指摘されていますが、私なりに整理しますと、経済の成熟化に伴って潜在成長力が低下する中で、高度成長を前提とした経済システムを維持することが困難になってきたこと、であると思います。

 例えば、構造問題として、わが国の企業の生産性や収益性が低いことがしばしば指摘されます2。この一つの背景は、労働力人口の伸びが低下する中で資本蓄積を続けてきた結果、資本の平均的な生産性、すなわち資本効率が低下してきたことです。もう一つは、労働生産性と賃金のバランスが崩れたことです。日本型雇用システムは右肩上がりの成長とピラミッド型の人員構成を前提に成り立ってきましたが、低成長の下で企業の構成員の高齢化が進んだことから、全体として労働分配率が上昇気味となり、企業収益は圧迫されてきました。

 特に、非製造業では、新規参入を通じた価格競争が抑制されてきたため、生産性は相対的に低く、結果として、国内のサービス価格が国際的にみて割高となっています。割高なサービス価格は、これを負担せざるを得ない製造業の国際競争力をも弱めています。

 こうした問題は、必ずしもバブルとは直接的な関係がありません。しかし、企業がバブル崩壊に伴って経営環境の変化に対する適応力を大きく低下させたことは、これらの構造問題に由来する悪影響を一段と増幅させた可能性があります。

  1. 1白塚・田口・森[2000]は、バブル崩壊を切り口として90年代のわが国景気の低迷とその間の政策対応を考察している。また、村山[1999]、早川[1999]は、わが国経済の供給面が抱える構造問題を包括的に整理している。これらが指摘する個別の論点については、中川[1999]、前田・吉田[1999]、服部・前田[2000]、日本銀行調査統計局[1999]を参照されたい。
  2. 2ポーター・竹内[2000]は、日本の産業構造の分析を踏まえ、「バブル経済が崩壊するよりもずっと以前から、日本の生産性は従来考えられてきたような水準にはなく、競争力の高度化あるいは生産性の向上のペースが鈍化していることを示す兆候はすでにはっきりと現われていた」(p.8)と指摘している。

2−2.金融政策運営に関するバブルの教訓

 このように、バブルの崩壊は、90年代の深刻な景気停滞の原因の全てではないかもしれませんが、非常に重要な要因であることも間違いありません。したがって、私どもは、バブルの教訓をしっかりと認識して、今後の金融政策運営にあたらなければなりません。そこで、次に、金融政策運営に関するバブルの教訓について、日本銀行の同僚による最近の研究成果なども踏まえ、私自身が金融政策決定にあたって意識している教訓を4点に絞って申し上げます3

  1. 3白川・翁・白塚[2000]は、バブルについて包括的に分析し、バブル生成期の各時点における政策運営の責任と有用な教訓を指摘している。

2−2−1.リスクシナリオを念頭に置いた金融政策運営

 最も重要な教訓としてよく指摘されるのは、金融政策を予防的に運営することの重要性です。私は、これを、「リスク・シナリオを念頭に置いた金融政策運営」と言い換えることができる、と思います。

 バブルは、将来も資産価格が上昇し続けるという強い期待とともに拡大したのであり、金融緩和だけで発生した訳ではありません。しかし、強気化した期待が実際の投機的行動に繋がっていく過程では、それがファイナンスされる必要があります。金融緩和政策は投機的行動を金融面から支えました。実際に、当時のイールド・カーブなどをみますと、景気拡大が次第に明確になっていたにもかかわらず、金融資本市場では、「低金利が当分続き、その下で資金をいくらでも調達できる」という期待が広がっていたとみられます。長期にわたる金融緩和は、バブル発生の十分条件とは言えないものの、必要条件であったことは間違いありません4。こうした経験を踏まえ、予防的(preemptive)あるいは先見的(forward-looking)な金融政策運営の重要性が教訓として幅広く認識されています。

 しかし、将来のインフレやバブルのリスクを意識しながら早め早めに対応することは決して容易なことではありません。なぜならば、バブル自体は、その膨張過程で、経済に好循環をもたらしこそすれ、痛みは殆どもたらさないためです。バブルの問題は何よりもそれが崩壊することにあります。ところが、バブルであれ、技術革新を源泉としたイノベーションであれ、期待成長率の上振れ自体が当面は好循環を起こしますので、それがバブルなのか、あるいは、イノベーションや経済構造の変化を反映しているのかは、なかなか、分かりません。

 これは、日本のバブル期だけの問題ではありません。近年、米国の金融政策当局も同様の悩みに直面しています。米国の現在の好循環は、基本的にはいわゆる「ニュー・エコノミー論」が想定しているような、画期的な技術革新によるものかも知れません。仮にこの見方が正しいにもかかわらずバブルと判断して金融を引き締めますと、潜在成長力を抑制しかねません。しかし、一方で、情報技術革新による将来の生産性上昇が市場の資産価格形成に過大に織り込まれ、バブル的な要素が強くなっている可能性もあります。その場合に全てを「ニュー・エコノミー」への移行に伴う果実であると理解してニュートラルな金融政策を維持しますと、マーケットが織り込んでいた生産性上昇の幻想がいずれかの時点で剥げ落ち、その時点でバブルの崩壊と大きな調整に直面するリスクがあります。このような場合にはどのように金融政策を運営するべきなのでしょうか。

 この問い掛けに対しては、「経済情勢を精査すれば、答えが出るのではないか」という意見もあるでしょう。確かに、日本銀行も、米国のFRBも、当然のことながら、実体経済や金融資本市場で何が起こっているかをできるだけシステマティックに理解しようと努めています。しかし、一般論として、中央銀行の方がマーケットを大きく上回る英知を持っている、とは言えません。また、技術革新のような問題について市場が織り込む材料の全てを否定することもできません。私自身、金融政策決定会合で政策運営を判断する一人ですが、経済構造に関して不完全な情報・知識しか持ち得ないことを痛感しながら最善の判断を下すように努めている次第です。同僚である他の政策委員会のメンバーも、そして、他国の中央銀行の政策責任者も基本的には同じ悩みを抱えているのではないか、と推察しています。結局、日本経済にとっての将来のリスクをより小さくするためにはどうすれば良いのか、ということを念頭において政策を運営して行かざるを得ないと痛感しています。

 このように考えて参りますと、バブルの生成の必要条件が金融緩和であったとしても、そのこと自体よりも、なぜ日本銀行が敢えてそのようなアクションをとったのか、という点が重要です。そういう意味で、バブル期における金融政策運営について反省すべき点は、なにより、バブルの崩壊が、バランスシート調整や金融システムの不安定化などを通じて、日本経済に大きなダメージを与える、という認識が十分でなかった、ということだと思います。敢えて後知恵で厳しく言えば、そうした意味で先見性が弱かったとも、あるいはリスク・シナリオに対する意識がやや乏しかったとも、言えるかも知れません。

  1. 4日本銀行は、86年から87年にかけて、5回にわたり公定歩合を5.0%から2.5%まで引き下げ、これを89年5月まで続けた。しかし、振り返ると、公定歩合を3.0%から2.5%に引き下げた87年2月には、景気は下げ止まりから底固めの段階に入りつつあったと思われる。また、利下げ直後の87年3月の総裁記者会見では、土地、株式、ゴルフ会員権などの資産に対するキャピタル・ゲイン狙いの動きが活発化していると指摘している。それにもかかわらず、公定歩合は、その後景気がしっかりとした回復軌道を辿る中で、89年5月まで、27ヶ月にわたり2.5%のまま据え置かれた。

2−2−2.資産価格変動に対する目配り

 バブルの経験から得られる第2の教訓は、資産価格の変動とその影響も十分に視野に入れて金融政策を運営するということです。これは、金融政策が資産価格の水準そのものを目標にすべきだ、という意味ではありません。資産価格を無理にコントロールしようとすれば、経済の変動を大きくする可能性があります。

 しかし、資産価格の動きは金融政策にも様々なかたちで影響します。まず、資産価格は、それがバブルである場合も含め、経済の先行きに対するマーケットの期待について、貴重な情報を含んでいます。この場合の「期待」とは、日本銀行のアクションに対する見方も含んだ、将来の経済動向を規定する様々な要素に対するマーケットの期待です。金融政策の運営においては、こうした資産価格の変動が持つ情報とその影響を十分に咀嚼したうえで行動する必要があります。

 次に、株価、地価などの資産価格の上昇は、借入れ企業の純資産や担保価値を増加させ、調達可能な信用量の変動を通じて、あるいは資産効果を通じて、総需要を増加させます。

 さらに、資産価格が大きく変動した場合、経済活動の基盤であり、金融政策の効果を伝達する場でもある金融システムの健全性にも大きな影響を与えることがあります。97年秋の大きな金融システム不安が実体経済を揺さぶったことはまだ記憶に新しいところです。

2−2−3.政策の適切な割り当て

 バブル期の金融政策運営に関する第3の教訓は、政策の割り当てを適切に行うことが重要である、ということです。

 80年代後半を改めて振り返りますと、やや不可解な事象に気付きます。すなわち、日本銀行は、87年春に、公定歩合を3.0%から2.5%へと引き下げた一方、窓口指導においては、資産価格の上昇、いわゆる財テク活動の活発化を眺めて、金融機関に対して「節度ある融資態度の堅持」を要請していました。つまり、日本銀行の内部では、当時の経済情勢について、アップサイド・リスクがあるという認識が明らかに存在していた訳です。それにもかかわらず、日本銀行がこのような相反する政策を採らざるを得なかったことは、国際的な政策協調という重しに喘いでいた当時の日本銀行の姿を端的に示していると思います。

 バブル期には、「国際的な政策協調」という言葉が、往々にして、まず自国のマクロ経済政策で対応するべき調整を他国に押し付けるレトリックとして使われていたように思います。さらに、わが国では、いわゆる「円高恐怖症」が根強いという事情もありました。当時の金融政策運営に対する新聞の社説等を改めて読み返しますと、「低金利は債権国日本の宿命」とか、「公定歩合引上げは世界経済の後退に繋がりかねず、株価が不安定な状況下では困難である」といった趣旨の論調が目立ちます。日本銀行は、少なくとも87年春頃にはバブル経済の危険性を認識し始めていたようですが、世の中では、長期にわたる金融緩和を正当化する論調が強まっていました。こうした中で、同年10月にはいわゆるブラックマンデーが発生したこともあって、結果としては、国際的な政策協調、円高阻止、内需拡大による経常黒字の縮小などの政策課題を優先せざるを得なかったのではないか、と思います5

 私は、このように適切な政策の割り当てが困難であった背景として、当時の日本銀行の独立性の弱さ、および、社会の思い込みの強さという2点を指摘できると思います。日本銀行の独立性については、当時、日本銀行は、「法的な基盤こそ弱いものの、関係者の理解のもとで独立性は尊重されている」と主張していました。しかし、例えば、政府短期証券の日本銀行の引受けから公募への切り替えが、旧法のもとでは実現できず、新法施行後に漸く実現された例も示すように、現在の新しい日本銀行法の枠組みから振り返れば、大蔵大臣の広範な監督下にあった旧法のもとで、どの程度まで独立した金融政策運営が行い得たのか、という疑問は否めません。

 新しい日本銀行法は日本銀行に「独立性」を与えましたが、社会の思い込みという問題は現在でも様々な形でみられます。例えば、今年4月のG7の共同声明では、その直前の金融政策決定会合で決定した「ゼロ金利政策を継続する」といった事実が確認されただけであるにもかかわらず、「ゼロ金利政策の早期解除にクギをさされた」などといった報道が広くみられました。G7は、先進7カ国蔵相・中央銀行総裁の意見交換の場であり、各国および世界の経済情勢に関する理解を共有することが主たる目的です。しかし、あたかも、G7で今後の金融政策の運営方針が約束されているかのような論調が流布しますと、市場はそれを織り込んで相場を形成します。全くの誤解に基づいた相場形成ですが、その期待が裏切られますと、今度は市場が大きく反応し、非難はしばしば日本銀行に集まります。昨年9月の金融政策決定会合を巡る一連の混乱も基本的には同様の現象です。このような誤解に基づいて形成された相場、あるいは「期待の罠」に対して、中央銀行はどのように対応するべきなのか、現実には極めて悩ましい問題です6

 私は、国民の皆様に金融政策の目標や運営の考え方などを正しく理解して頂くためには、たとえ一時的には大きな非難を浴びようとも、社会の思い込みを解くように努めていかなければならない、と考えています。

  1. 5日本銀行の三重野元総裁は、当時を振り返り、バブルの教訓の一つとして、「金融政策の運営は、あくまで国内均衡、それも、『インフレなき持続的成長』という中長期的な目的に割り当てるべきであり、為替相場の安定や対外不均衡の是正に割り当てることは適切ではない」と述べている(三重野[1995]、p.41)。
  2. 6Federal Reserve Bank of Cleveland[1999]は、今日の米国の金融政策運営について、同様の困難に直面している可能性があることを指摘している。

2−2−4.情報開示の重要性

 第4の教訓は、金融政策運営に関する透明性の向上、あるいは、情報開示の重要性です。

 只今、「社会の思い込みを解くために一時的な非難を浴びてもやるべきことをやらざるを得ないのではないか」と述べました。しかし、できることならば、市場に強いショックを与えずに、日本銀行の考え方を広く伝えたいと強く思います。新しい日本銀行法の下で、日本銀行は独立性が高まりましたが、そのことは日本銀行が世論と無関係になんでもできる、ということを意味しません。国権の最高機関は立法府である国会です。日本も含め多くの先進国で立法府があえて中央銀行に独立性を与えているのは、その時々の利害が金融政策の意思決定に影響を与えた場合、長い目でみてかえって大きな弊害をもたらすといった歴史的教訓に学んだ結果、自らに課した規律に他なりません7

 それだけに、日本銀行の独立性の理念と金融政策決定過程について国民に正しく理解して頂くように辛抱強く説明を続けること、同時に日本銀行の政策委員会を構成する一人一人のメンバーが、金融経済情勢をどのように判断しそのうえで金融政策の運営をどのように考えているか、という点を国民に対して明らかにしていくことが不可欠です。

 現在、日本銀行では、議事要旨の公表などを通じて、金融政策決定会合における議論を国民に説明しています。米国FOMCや英国BOEの議事要旨が大勢意見を中心に記述されているのに対して、日本銀行の議事要旨は、私のような少数意見も含め、多様な意見の骨子を丁寧に紹介しています。これは日本銀行法改正の大きな成果であると思います。仮に、87年当時の日本銀行が、現在のような「独立性」をもち、「透明性」を基本理念として少数意見をも紹介していれば、国民がバブルに対するリスクを認識し、バブルの拡大にもより早くブレーキを掛けることができたかも知れない、とすら感じています8

 以上、金融政策運営に対するバブルの教訓を4点申し上げました。第1にリスク・シナリオを意識した金融政策運営の重要性、第2に資産価格の変動とその影響に対する目配りの重要性、第3に政策を適切に割り当てることの重要性、第4に情報開示の重要性です。これらの教訓を踏まえて、現在のゼロ金利政策を巡る議論へと話を進めます。

  1. 7日本銀行金融研究所[2000]、pp.27-54。
  2. 8バブル崩壊後の金融システム問題の拡大についても、情報開示の不足が大きく影響した可能性がある。すなわち、不良債権の規模とその影響に関する情報開示が不足していたために、国民の危機意識がなかなか高まらず、結果として抜本的な解決までにかなりの時間を要し、そのことが経済に与えた悪影響は莫大なものであった。むろん、当時の金融監督当局が情報開示に踏み切れなかった理由は数多くある。例えば、当時は、セーフティネットの枠組みは必ずしも十分に整備されていなかったため、思い切った情報開示が金融システム不安を招き、結果的にシステミック・リスクが顕現化する可能性があったという指摘もある。確かに、もっともな指摘ではあるが、当時の金融監督当局に、バブル崩壊が金融システムと日本経済に与える影響とそのメカニズムなどについて必ずしも十分な危機感を有していなかった可能性も否定できないように思う。そうであれば、日本銀行としてもう少しできることはなかったのか、という点はさらに反省を重ね、検討を深めるべき課題であると考えている。

3.ゼロ金利政策を巡る議論

3−1.ゼロ金利政策に関する政策委員会の見解

 日本銀行は、昨年2月からいわゆるゼロ金利政策を採っています。ゼロ金利政策の構成要素は2つです。第1に、金融調節の直接的な対象である無担保オーバーナイト金利を事実上ゼロ%とすることです。これは、日本銀行が、短期市場金利をゼロ%まで下げるため、必要があれば際限なく資金を供給し、短期の資金需要を全て満たす用意があることを意味します。

 第2に、日本銀行では、ゼロ金利政策の効果を十分に浸透させるため、次回会合以降の期間をも念頭において、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまでゼロ金利政策を継続する」という方針を明らかにしていることです。

 この「デフレ懸念の払拭」を軸にした考え方に対して、一部のエコノミストの方からは、「表現が不明確であり、ゼロ金利政策を継続する期間が分からない」とご批判を受けています。しかし、将来の金融経済情勢について不確実性がある中で、現行の金融政策運営スタンスを継続する期間を予め明確にコミットすることはそもそも困難です。インフレーション・ターゲティングを採用している国の中央銀行や、これを採用していない米国FRBや欧州中央銀行でも、次回の会合以降の政策金利水準に関してまでは具体的にコミットしていません。

 また、「もう少しデフレ懸念払拭の条件を具体化できないか」というご意見もあります。この点は、最近の議事要旨からお分かり頂けるように、決定会合の議論でも一つの焦点となっており、民間需要の自律的回復をキーワードに少しづつ条件が絞り込まれています。しかし、昨年2月のゼロ金利政策導入時点、すなわち経済に影響を与え得る様々なダウンサイド・リスクを懸念していた段階で、その後の景気展開を予め踏まえ、「デフレ懸念の払拭」の条件として具体的に列挙することは到底困難であったと思います。

 振り返りますと、ゼロ金利政策に踏み切った当時は、実体経済と金融資本市場との間でマイナスの相互作用が極端に強まっているようにみえました。特に、金融資本市場において、日本経済が危機的な状況に陥るのではないかという非常に悲観的な見方が広がる可能性があり、仮にそうなれば、企業の投資や家計の消費等の実体経済活動が過度に抑制されるという、悪循環に陥る惧れがありました。こうした非常事態に対応して、日本銀行はゼロ金利政策の実施に伴い金融緩和に対する強いコミットメントを明らかにしました。他方、政府は、98年10月に成立した金融再生法および早期健全化法に基づき99年3月末に大手15行に対して公的資本を投入しました。これらの政策が相乗的に効果を発揮し、その後、金融不安は大幅に後退しました。その意味で、 私は、日本銀行は、昨年2月時点では、中央銀行がなし得る最大限かつ必要にして十分なコミットメントを行った、と判断しています。

3−2.ゼロ金利政策とその解除を巡る議論

 金融政策の運営を検討する場合には、金融経済情勢の判断を踏まえ、政策のプラス面とマイナス面を比較考量することが重要です。ゼロ金利政策を巡る検討もその例外ではありません。すなわち、ゼロ金利政策の継続を支持している政策委員会の多数意見も、そのマイナス面を全く無視している訳ではありません。政策委員会では、ゼロ金利政策の副作用が存在することを認めたうえで、「先行きのデフレ懸念がなお残っている現時点では低金利によって経済活動を下支えるのがまずは優先課題である」と判断してきました9。一方、私は、政策委員会において、「ゼロ金利政策を解除し、昨年2月12日以前の金融政策運営に戻すことが適当である」という少数意見を主張していますが、ゼロ金利政策のマイナス面だけに注目している訳ではありません。私も、ゼロ金利政策が金融資本市場の安定化と景気の持ち直しに対して大いに貢献してきたことは十分評価しています。言い換えますと、金融政策の運営を検討する座標軸そのものは、政策委員会の多数意見と私の間で大きな違いはないと理解しています。同一の判断基準に立ちながら政策判断が異なるのは、先行きの景気情勢の展開にはこれまで以上に大きな不確実性があるためです。その意味で、現在、政策委員会の各メンバーの情勢判断にある程度の幅があることはむしろ自然なことである、と思います。

 今日のゼロ金利政策を巡っては、ゼロ金利政策を継続している日本銀行の見解と相反する2つの考え方、すなわちゼロ金利政策解除と量的緩和論があります。現在、日本銀行では、「わが国の景気は、持ち直しの動きが明確化している。民間需要面でも、設備投資の緩やかな増加が続くなど、一部に回復の動きがみられる」10と判断していますので、以下では、今日的な議論という意味から、ゼロ金利政策の解除を巡る議論に焦点を絞って、私なりに4つの論点を取り上げたいと思います。

  1. 9日本銀行[1999]、p63。
  2. 10日本銀行[2000]、p1。

3−2−1.デフレ懸念の払拭

 第1の、そして最も重要な論点は、金融経済情勢が「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至っているかどうか、ということです。

(物価の安定)

 現在の情勢判断に入る前に、まず、「デフレ懸念」とは何か、そもそも「物価の安定」とは何か、という議論があります。金融政策が目標とすべき「物価の安定」については実に多岐にわたる論点がありますが、私自身が特に重要と考えている3つのポイントを申し上げます。まず、「物価の安定」は、持続的成長を達成するための前提条件であるため、足許の安定ではなく、持続的な安定を意味するという点です11

 次に、インフレは、相対価格の変動を通じた経済の資源配分機能の低下、所得分配面の歪み、さらに経済主体の合理的な経済活動を阻害する不確実性の増大などの弊害を伴いますので、理念上は「ゼロ・インフレ」を目指すべきであるという点です12。但し、消費者物価、GDPデフレータなどの特定の物価指標にはバイアスがあります。したがって、経済の持続的成長をもたらす「安定した物価」は、実際の物価指数の変化率がゼロ%であることと一致するとは限りません。

 「物価の安定」に関する最後のポイントは、供給面からのショックをどのように位置付けるか、という点です。一つの意見は、金融政策の目標が「一般物価の安定」である以上、供給ショックによって価格が変化した場合、その特定の品目を取り除いてから「安定している」と言っても説得的ではないというものです。しかし、私は、そもそも金融政策によって供給ショックをコントロールすることは困難であり、仮に無理にこれを抑え込もうとすれば、生産の振幅を大きくし、投資の不確実性を高め、かえって持続的な物価の安定を阻害する可能性があると思います。したがって、供給ショックによるものと思われる価格の変化については、ある程度容認せざるを得ないと考えています。但し、供給ショックによってコストと価格の関係に急激な変化が生じ、企業収益が増減し、延いては景気の振れを大きくするといった惧れがないか、という点を注意深く検証することは非常に重要です。

 なお、ここで悩ましいことは、供給ショックと需要ショックを明確に区別することが決して容易ではないという点です。日本銀行におけるマクロ分析や全国の本支店におけるミクロ情報の収集は、こうした困難な課題に対する取り組みの一端であり、今後とも、学界の諸先生方のご意見などを伺いながら最善を尽くしていきたいと考えています。

  1. 11物価の安定を評価する期間については、80年代後半のバブル生成期の金融政策をどのように評価するかも重要な論点である。一つの見方は、消費者物価の前年比上昇率が、バブル期の平均で1%台半ばであり、バブル期以前の水準から判断すれば当時の一般物価は落ち着いていたというものである。しかし、私は、物価上昇率が、消費税導入の影響が一巡した90年には3%台後半まで上昇し、バブル崩壊後には逆に大きく低下したことから、物価安定を評価する期間を長く捉えれば、資産価格だけではなく、一般物価についてもその安定性は損なわれていたと考えている。
  2. 12経済企画庁[1999]も、「日本経済が落ち着きを取り戻した中長期的将来において、(中略)ゼロに近いインフレ率を目指すことは合理的」(p.5-11)と指摘している。
(景気情勢に関する判断)

 さて、以上の認識を踏まえ、ゼロ金利政策を巡る議論に話を戻させて頂きます。日本銀行は、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまでゼロ金利政策を継続する」という方針を明らかにしてきました。この「デフレ懸念」とは、「物価下落が企業収益、賃金の下落を通じて経済活動の収縮を招き、それがさらなる物価下落をもたらす状態」、すなわちデフレ・スパイラルの状態に陥る懸念を意味すると考えられます。したがって、物価下落が技術革新や、経営の効率化等を反映したものであり、利益を過度に圧迫せずに生産量の増加をもたらしている場合には、経済活動にプラスのモメンタムが働いている訳ですから、「デフレ懸念が強い状態」となりません。

 デフレ懸念の払拭を展望できるかどうかを判断するためには、物価情勢の背後にある実体経済活動のモメンタム、あるいは自律的な回復力を見極める必要があります。具体的に申し上げますと、民間需要が自律的に回復する道筋として、(1)まず、企業活動に前向きなモメンタムが出てくるか、(2)次に、企業活動の持ち直しが家計の所得・雇用環境の改善にどの程度波及するか、そして、(3)最後に、家計の所得・雇用環境の改善に伴って個人消費がスムーズに引き出されるか、という3つのステップを考え、経済指標などの客観的なデータを丹念に見極めながら、「デフレ懸念の払拭」に関する判断の基準を絞り込んできました。現在は、「デフレ懸念の払拭」に関する判断の基準を個人消費まで絞り込んでいます。正確には、個人消費の前提となる家計所得と消費性向がこれ以上悪化することなく、改善の方向性がみえるかどうか、を見極めようとしています。企業の総人件費抑制スタンスが中期的に続くとみられる中では、家計所得が目立って増加することまではとても期待し得ません。しかし、企業活動に前向きな動きが広がり、企業収益が増加し、期待成長率が上向いてくれば、個人消費を取り巻く環境は改善していくものと期待できます。このような認識は、私を含む政策委員会の多数意見であるように思います。

(マネーサプライに関する留意点)

 ところで、私のように景気の持ち直しが次第に明確化してきたという立場に身を置きますと、今後は、これまでのように潤沢な流動性の供給を続けることが適当か、という視点からマネーの動きにもより注意を払っていく必要があるように思います。次の論点に移ります前に、こうした問題意識について申し述べさせて頂きます。

 まず、私は、マネーサプライの変動が実体経済活動に先行する可能性が高いと認識しており、こうした意味で、マネーサプライを金融政策運営における「情報変数」として捉えています。マネーサプライの重要な特徴点は「包括性」です。すなわち、マネーサプライは、特定の経済変数と厳密に1対1の対応関係にはないものの、大づかみにみて、経済活動全体と対応します。実際に、日本銀行のスタッフの実証研究によれば、マネーサプライと一般物価や名目GDPの間には、長期的には安定した均衡関係が存在するといった結果が得られています13。また、もう一つの特徴点は、概してマネーサプライの変動が実体経済活動に先行するということです。このため、私は、マネーサプライの大きな変動が経済活動における何らかの変調を示唆していることが多いのではないか、と思っています。

 こうした経済活動の変調が具体的にどのような姿で現われるのか、それが景気の変動なのか、物価の変動なのか、あるいは、バブル期のように資産価格の変動なのか、それを事前に予想することは困難です。さらに、時として、既に変調の兆しが生じていてもそれを早期に認知することが困難であるようにも思います。また、マネーの変動がどのような姿で経済活動に影響するかを予め見極め難いことから、例えば、「マネーの伸びが長期均衡値から乖離した1年後には物価が変化する」といった厳密な因果関係として捉えることはかえって危険でしょう。むしろ、金融政策を運営するうえでは、マネー指標が大きく変動する場合に、「経済活動に何か変調が起こりつつあるかも知れない」という警戒心を持つ必要があるように思います。

 さて、こうした認識で、量的金融指標と名目経済活動との関係をみますと、昨年の名目GDPの前年比が-0.6%であるのに対して、マネーサプライは同じく+3.6%、また、マネタリーベースは+7.3%となっていることからも、マネーの供給が過小とは言えないように思います。一方、ストック面で、一つの尺度として、M2+CDでみたマーシャルのKをみますと、97年以降、70年代以降の長期トレンドから大幅に上方に乖離しています。広義流動性でも同様の動きがみられます。また、各金融資産の「通貨らしさの程度」を加重集計したマネーサプライ、すなわちディビジア・マネーサプライに関するマーシャルのKも、トレンドから一段と上方に乖離しています14

 マーシャルのKが97年以降に急上昇している背景については、金融システムの不安定化を背景に、資金繰りに関する先行きの不確実性が拡大し、企業や家計がマネーの予備的需要を増大させたことが大きく影響していると思います。予備的動機に基づくマネーは、実体経済活動には結び付かないため、それに支えられたマーシャルのKの上昇については、その分を割り引いてみる必要があります15

 しかし、景気の持ち直しが次第に明確になっていきますと、予備的動機に基づいてマネーを保有しようとするインセンティブは低下するでしょうし、金利の上昇によってマネー保有の機会コストも高まると考えられます。この結果、マーシャルのKは低下していくことになります。これは、やや逆説的に聞こえるかもしれませんが、ゼロ金利政策の解除が展望できるような経済情勢になれば、実質マネー残高がある程度減少していく必要があることを意味しています。また、今後、金融仲介機能が回復し活性化していく過程で、信用乗数が高まっていくことも予想されます。言い換えますと、景気情勢が回復基調を強める過程では、マネーについてもいずれは転換点が訪れることになります。こうした中で、例えば、いつまでも、「マーシャルのKの上昇は予備的需要を反映している」と思い続けていますと、マネーの転換点を見誤り、延いては実体経済活動に過度な振幅をもたらす可能性もあるように思います。

 なお、私は、現在、差し迫ったインフレ・リスクがあると声高に主張する積もりはありません。ゼロ金利政策は、理念上、流動性の供給に対する制約がないという意味で非常に強力な緩和政策です。金融システム不安が後退し、また、景気の持ち直しが次第に明確になる中では、ゼロ金利政策という思い切った緩和政策の効果は一層強まっていきます。したがって、これまでのようなかたちで流動性を供給し続けますと、実体経済活動を活発化させる効果が行き過ぎ、かえって中長期的な経済システムの安定成長を損なうリスクもあるように思います。現在のように政策運営を取り巻く環境が不透明な中では、わが国や後程申し上げる海外の中央銀行の経験なども踏まえ、漸進的なアプローチを予防的に採らざるを得ないのではないか、と考えています。

 ところで、このような話を申し上げますと、「むしろ心配するべきことは、量的金融緩和が足りないことである」といった厳しいご批判を受けるかも知れません。今日の量的緩和論は、日本経済が1930年代における米国の大恐慌当時のような極端なデフレにある、ないしはデフレに陥るリスクが高いという情勢判断に基づいていると思います16。しかし、私は、先程も申し上げましたように、今日では、むしろ、景気の持ち直しが次第に明確になってきていると判断していますので、現時点で日本銀行が一段と量的緩和を行わなければならないような経済情勢であるとは考えてはおりません。

  1. 13日本銀行[1997]。
  2. 14金融資産に関する「通貨らしさの程度」とは、一般には「支払手段としてのサービスを提供する程度」であると考えられる。短期金融市場で観察される金利は、付利されていないベースマネーを保有することに伴って失う運用収益、すなわち機会費用を表している。個々の市場参加者が効用を最大化している均衡点では、金利が市場参加者にとってのベースマネーの限界効用に等しくなる。したがって、ゼロ金利政策の下では、TB・FBなどの短期金融資産とベースマネーは同じ程度のマネーであると考えることができる。
  3. 15木村・藤田[1999]。
  4. 16一段の量的緩和を主張する論者は、現在の日本経済が30年代における米国の大恐慌当時のような極端なデフレ状態に陥るリスクが高いことを前提としている。例えば、深尾[2000]は、「この政策(国債買い切りオペ増額、筆者注)は、人々の期待に直接働きかけるタイプの政策であり、その効果はかなり不確実である。しかし、現在の日本のようなデフレ状態は、1930年代の大恐慌の時代にさかのぼらないと類例がない異例の状況であり、ある程度実験的な政策手段をとらざるをえない」(p.139)と述べている。

3−2−2.ゼロ金利政策解除の説得性

 第2の論点は、どのようにゼロ金利政策を解除すれば、金融資本市場の混乱を回避できるか、あるいは、せめてショックを小さくできるか、ということです。エコノミストの間では、そもそもゼロ金利政策を解除する条件に立ち返り、「インフレ・リスクの兆しがない以上はゼロ金利政策を継続しても構わないのではないか」というご意見もみられます。しかし、私は、インフレ・リスクの兆しがみえ始めてからゼロ金利政策を解除すれば、金融資本市場では、「政策金利が0.25%に据え置かれる筈はない」という観測が一気に広がり、将来の金利見通しに関する不透明感が高まるのではないか、と懸念します。

 これに対して、日本銀行が、「インフレ懸念が目に見える訳ではないが、経済情勢はデフレ・スパイラルの瀬戸際にあった昨年2月に比べれば確かに持ち直している」という情勢判断を丁寧に説明し、景気の持ち直しと歩調を合わせてゼロ金利政策を解除すれば、金融資本市場に与えるショックは相対的に小さいのではないか、と考えています。

 このような意味で、90年代前半における米国の金融政策運営が一つの参考になると思います。すなわち、米国のFOMCは、94年2月に5年振りに利上げを行い、「実質ゼロ金利政策」を解除しました(FFレート、3.00%→3.25%)。当時、インフレの兆候が明確になっていた訳ではなく、雇用不安も引き続き残っていたことなどから、FOMCは、景気拡大テンポの高まりに歩調を合わせて、「(予防的に)緩和スタンスを修正する(The decision was taken to move toward a less accommodative stance in monetary policy)」というステートメントを公表しました。

 この94年2月の利上げ後、それまで大幅に低下していた長期金利は反転上昇しました。しかし、これをもって、「ゼロ金利政策を解除すると、長期金利の急騰など市場に与えるショックが大きくなる」とは単純には言えません。一般に、政策変更が市場に与える影響は、中央銀行の政策運営の考え方や景況感が事前に市場でどの程度理解され共有されているかによって、大きく異なります。当時の米国の金融資本市場では、雇用の問題になお敏感であった政治・社会情勢などを背景に、「FRBは早期に利上げしないのではないか」という方向での期待感が根強く、「実際にインフレが生じる前に予防的に緩和スタンスを修正する」というFRBの政策スタンスは十分に浸透していなかった可能性があるように思います。したがって、私は、ゼロ金利政策の解除についても、先行きの景気・物価に関する判断や、それと政策運営との関係などを、できるだけ分かり易く国民に伝えて行かなければならない、と考えています。

3−2−3.リスク感覚の弱まり

 ゼロ金利政策解除を巡る第3の論点は、市場参加者や経済主体の間で、ゼロ金利政策の長期継続という期待が定着し、リスク感覚が弱まっていくのではないか、ということです。

 実際に、市場参加者の一部には、「デフレ懸念」を「構造調整」と結び付け、構造調整圧力が続く間はゼロ金利政策が継続されるという見方もあります。私も、構造調整圧力の存在が景気の自律的回復のテンポを緩める要因として作用する可能性があることは理解しています。しかし、本日の講演の前半で、金融政策運営におけるバブルの教訓として申し上げましたように、政策は目標に対して適切に割り当てることが非常に重要です。金融緩和政策は構造調整に対する「痛みを和らげる」という面もありますが、他方で構造問題の抜本的な解決を先送りさせるという副作用を伴います。景気が持ち直しているにもかかわらずゼロ金利政策が長期化しますと、企業の間に、「金融政策で景気浮揚が図れるのであれば痛みを伴う構造調整を先送りさせたい」という安易な期待が根付く可能性もあります。私は、80年代後半、景気が持ち直す中にあっても長期にわたる金融緩和政策が採り続けられたことが、バブルを拡大させる大きな要因となったことを今こそ肝に銘じる必要があると考えています。

 以上、ゼロ金利政策の解除を巡る議論について、第1に金融経済情勢が「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至っているか、第2にゼロ金利政策の解除を国民に理解して頂くためにどうすれば良いか、第3にリスク感覚の弱まりをどのように考えるか、といった論点を取り上げ、私の意見を申し上げました。最後に、第4番目の論点でもありますが、ゼロ金利政策に至る超低金利政策と所得分配の関係についてお話申し上げたいと思います。

4.金融政策と所得分配問題

 私は、かねてより、ゼロ金利政策に関する副作用の一つとして、所得分配面の歪みを指摘してきました。一般的な経済理論では、「金融政策の目標は『物価の安定』であり、その結果、所得分配面に何がしかの影響を与えている可能性までは否定しないが、その是正は金融政策ではなく財政など所得再分配政策の役割である」とされているように思います。私も、こうした考え方は理解していますが、それでもなお、従来から金融政策が所得分配面にも影響を与えているという視点があまりにも軽んぜられてきたのではないか、という思いを拭えません。

 日本銀行では、超低金利政策が家計に与える影響について、(1)超低金利政策は、家計の金利収入を減少させる一方、企業収益の改善を起点として、雇用・所得環境にプラスの効果を及ぼしている、そして、(2)家計の可処分所得のうち、金利等からえられる所得は5%程度であるのに対して、雇用者所得は約8割を占めている、したがって、(3)差し引きすれば、超低金利政策のプラスの効果は家計にも及んでいる、と説明しています17

 このような日本銀行の説明は、多様で異なる利害を持つ家計を雇用者という平均的な経済主体に代表させているという意味で、マクロ的なアプローチです。金融政策がマクロ経済政策である以上、こうした説明に合理性があることは事実です。しかし、日本銀行の説明の対象となる家計の境遇は、現在でも実に多様であり、今後はさらに多様化が進むでしょう。こうした中で、私は、超低金利政策が過去5年間にもわたって続けられ、現在ではゼロ金利政策が採られていることを考えますと、金融政策が所得分配に与えてきた影響を軽視するかのようにもみられる説明では、国民一人一人の十分なご理解を得ることは難しいのではないか、と危惧しています。

 確かに、金融政策は、給与所得の有無、資産や負債の有無や年間収入に対する比率など、個々の家計が置かれている様々な境遇を与件とせざるを得ません。家計の境遇が多様である以上、金融政策が家計に与える影響も均一にはなり得ませんし、その非対称性そのものを変化させることを企図して政策を運営することもできません。また、主たる所得決定要因である、教育機会、就業機会、親の資産の状況、あるいは、リスク・テイクに対する姿勢などに対して、金融政策を割り当てる訳にも行きません。さらに、私は、所得分配が先験的に常に平等であれば良い、あるいは「結果の平等」を保証すべきだ、とは全く考えていません。

 しかし一方では、このところ、わが国気鋭の労働経済学者の間で「所得格差論争」が盛んに行われているように、わが国の家計を概ね平均的に観察していれば事足りるという従来のアプローチに対する反省も起こり、分配問題に対する関心が一段と高まっているように思います18。また、最近では、労働経済学のミクロ的な視点から、「ゼロ金利政策は、結果として、利益を得る者と損失を被る者との間における所得分配の問題に深く関わる」という見方も示されています19。私の本来の専門分野は労働経済学ですので、こうした見方には共鳴を覚えます。と同時に、実際に金融政策の運営という非常に重い責任を負っている者の一人として、例えば、「得をする者」と「損をする者」のどちらの意見が多いからという理由で政策を運営してはいない、と明確に申し上げることができます。このようなある種のジレンマは、マクロ経済政策である金融政策の運営と、労働経済学のミクロ的な視点の間の大きな溝というかたちで捉え直すことができるように思います。

 ところで、海外の中央銀行では、金融政策が所得分配に与える影響について、どのように考え、国民に説明しているのでしょうか。全ての文献を調べた訳ではありませんが、米国では、カンサスシティ連銀が98年に「所得分配の不平等」をメイン・テーマとしてシンポジウムを開催しています20。また、グリーンスパン議長が、本年3月に行った「新世紀の経済チャレンジ」と題する講演の中で、「米国の驚異的な経済成長は、80年代に生じた所得不平等を解消するまでには至らなかったものの、資産を増加させ、持家比率も高めるなど、マイノリティ・グループにも何らかのプラス効果を及ぼした」という趣旨の発言を行っています21。私は、米国の中央銀行が、金融政策の分配問題に対する影響や、国民の所得分配の変化といった点にも丁寧に目配りしていることに注目するべきであると思います。この背景には、米国が多様な民族によって成り立っており、社会の安定化を図るためには貧富の格差などにも十分に目を配らざるを得ないといった米国独自の事情もあるでしょうが、このような米国の独自性を超えて、私どもが学ぶべき点も多いように思います。

 再び今日の日本に話を戻しますと、国民の間では、一部に、家計とマクロ経済政策が無縁である、といった錯覚がみられるように思います。例えば、先般、東京都は大手銀行に対して外形標準課税を導入しました。これに対して、多くの都民は賛意を示しました。ところで、この課税が、東京で事業活動を行う銀行、特に公的資金の注入を受けている大手銀行の収益力、また東京金融市場の国際競争力、さらに金融システムの安定性などに与える影響などといった重要な論点は、果たして十分に議論されたのでしょうか。万が一、東京金融市場の競争力の低下、あるいは、金融システムの不安定化などに繋がるリスクが顕現化すれば、その負担はいずれは納税者である都民に戻る可能性もあります。

 私は、一つの国において、最終的にリスクを負担することができるのは家計部門であると考えています22。したがって、一人一人の国民は、金融システムに関する問題に限らず、財政運営などの経済政策全般に関しても、自らがリスクを負担し、あるいは将来負担する可能性がある事柄について、適切な情報を得て、正しく評価することが極めて必要です。このためには、中央銀行としても、国民に対し、金融政策運営に関する考え方などを十分に説明する責任があります。金融政策が所得分配面に与える影響にも一段と細やかに目配りすることが求められています。私自身、まだ確たる理論的枠組みを持っている訳ではありませんが、労働経済学のミクロ的な観点をマクロの経済政策である金融政策にどのように活かすことができるのかについて、日本金融学会の諸先生方のお知恵もお借りしながら、考えを深めて参りたいと思います。

  1. 17「低金利政策を行っている時には、確かに預金金利も低下して、預金者の金利収入が減ることになるので、金利収入を家計の主なよりどころにして生活している人たちにとっては厳しい状況であるといえるでしょう。しかし、日本経済全体をみると、家計の所得のうち、金利等から得られる所得(財産所得<配当等のような金利が上昇しても増えない所得も含みます>)は全体の 5%程度であるのに対し、約80%は企業に勤めることによって受け取る給料等(雇用者所得)が占めています。低金利政策によって、企業の資金借入れコストが低下し収益が増加すれば(あるいは、下支えされれば)、その結果として企業から給料等を得て生活している多くの家計にとっても、雇用安定や収入増加といったプラス効果が広く及ぶことになります。さらに、その結果、家計消費が増加すれば、そうした需要の増加が企業の売上げ、収益を増やす、といったプラス効果の循環も期待されます。
     このように、わが国全体としてみれば、金融緩和は、景気回復にプラスになる効果が大きいと考えられます。こうした理由から、日本銀行は超低金利政策を継続しているのです。」(日本銀行ホームページ、「わかりやすい金融経済:わかりやすい金融政策(1999年12月)」)。
  2. 18橘木[1999]は、所得分配の状況を国際比較し、「日本は、従来から平等社会といわれたが、1980年代以降、所得格差が拡大し、最近では英国、フランス、ドイツ並みの不平等度合いになっている」という趣旨の主張を行った。これに対して、多くの反論が投げ掛けられた。これらの反論の要点は、(1)わが国の所得分配の不平等は人口の高齢化を反映したものに過ぎないため懸念する必要はない、(2)橘木[1999]が分析に用いた厚生省の『所得分配調査』は国際比較には適さない、(3)所得の定義は国によって異なる、(4)景気の本格的な立て直しのためには、所得格差の拡大は歓迎すべきことであり、現時点では軽視しても良い、などである。これに対して、橘木[2000]は再び反論を行い、所得格差を巡る議論を展開している。
  3. 19猪木[2000]。
  4. 20Federal Reserve Bank of Kansas City[1998]。この中で、Christina D. Romer and David H. Romer[1998]は、金融政策運営と所得分配の問題を取り上げ、金融政策による低所得者への影響は、金利の変動によるよりも、金融政策の結果である物価の変動による方が大きく重要であるといった見方を示している。
  5. 21「アメリカ経済の驚異的な持続的発展は、低所得者も含めて国民全般に実質所得の上昇をもたらした。96年から98年にかけて、実質所得は5分位階級の全てで増加した。(中略)しかし、年収が2,500ドル以下の世帯では、平均純資産は減少し、非白人やメキシコ系では資産に変化はみられなかった。つまり、低・中所得層世帯には90年代の輝かしい経済繁栄の影響は十分ではなかった。しかし、より詳細にみるといくつかの事象に気が付く。すなわち、年収が2,500ドル以下の世帯では、資産所有額が増加し、取引口座を開設した世帯も増加した。実物資産、特に家屋を所有する世帯は相変わらず低いが、マイノリティ・グループの持ち家比率は、95~98年に44%から47%に上昇したことは望ましい情報である。これは、マイノリティ・グループの人々の信用が高まったシグナルとみて良いだろう。」(Greenspan[2000])。
  6. 22池尾[1999]は、「一国において最終的にリスクを負担できるのは、家計部門だけである。というのは、家計こそが一国の正味資産の最終的な所有者にほかならないからである」としたうえで、「企業や政府の負担が自らに降りかかるものだと家計が実際に認識しているかどうかは、別の問題である。負担が家計に帰着するまでの経路が長く、時間もかかるようだと、家計があたかも自分とは別の誰かが負担するものだと錯覚してしまう可能性は否定できない」と指摘している。

5.結語:21世紀の日本銀行——国民と悩みを共有できる中央銀行を目指して

 以上、日本銀行政策委員会の一員として、日頃考えていることを率直にお話し申し上げました。今日、金融政策運営については「市場との対話」が強く求められています。私は、ここで言う「市場」は「国民」であると理解しています。金融資本市場が深みと広がりを増す中で、いわゆるプロと素人の間の境界線はかなり薄れています。こうした中で、私は、金融政策運営に対する国民の信認を高めていくために、国民と悩みを共有できる中央銀行を目指すべきであると考えます。

 最近、金融政策運営の枠組みに関する一つの選択肢として、インフレ・ターゲティングが注目されていますが、そのメリットとして、「政策担当者と国民の間の意思疎通を改善することと、金融政策に対する規律とアカウンタビリティーを向上させること」が指摘されています23。新しい日本銀行法も独立性と不即不離の関係にある透明性の向上をその理念に掲げ、また実際の運営でも、議事要旨や金融経済月報の公表などを通じて、米国やインフレーション・ターゲティングを採用している諸外国と比べて全く遜色がないアカウンタビリティーを確保しています24

 もっとも、私は、現在の日本銀行の金融政策運営スタイルが完全無欠であると考えている訳では全くありません。例えば、政策運営面で、インフレーション・ターゲティングを採用している国から学ぶべき知恵はないか、という視点が不可欠です。こうした中では、インフレ率の見通しや、あるいはその背後にある経済見通しなどを公表することは一つの選択肢になるでしょう25。私自身、最終的な結論に到達している訳ではありませんが、このような問題意識を踏まえて、現在進めている「物価の安定」に関する総括的な検討に臨んでいます。

 中央銀行の信認は、日々の政策運営の実績を積み重ねることによって築いて行かざるを得ません。昭和18年6月、日本銀行の渋澤敬三第16代総裁は、日本金融学会の創立総会の記念講演(当時は副総裁)で、「新しい事象に対応して、これに適切な措置を講じる場合においても、新たな情勢の展開の拠って来る所以を適確に把握することが極めて肝要であり、正しい理論的基礎の上にこそ、誤りない政策の樹立とその実行が期待せられ得る」と述べています26。半世紀余を経た今日も、こうした考え方は脈々と生きています。学会の諸先生方には、私どもの考え方について、引き続き、あらゆる機会を通じて、忌憚のないご意見とご叱正を賜わりたいと念じております。

 本日は、皆様方に拙い意見を聞いて頂く機会を得ましたことに改めて感謝しつつ、「国民と悩みを共有できる中央銀行を目指して」というメッセージをもちまして、結びとさせて頂きます27

 ご清聴に感謝申し上げます。

  1. 23Bernanke and Mishkin[1997]。
  2. 24例えば、日本銀行の金融政策決定会合に関する対外説明について、海外の主要な中央銀行と比較すると、以下の特徴点を指摘できる。第1に、日本銀行は議事要旨を次々回会合の3営業日後(通常は1ヶ月~1ヶ月半後)に公表している。内容をみると、米国FOMCや英国BOEは大勢意見が中心であるのに対して、日本銀行は多様な意見を紹介している。なお、欧州中央銀行(ECB)は議事要旨を公表していない。第2に、日本銀行では、金融経済情勢の基本的な判断について、毎月、「金融経済月報」を公表している。海外では、FOMCが議事要旨の中で、また、BOEが議事要旨の付属資料として金融経済情勢について説明している。ECBも、月初会合後の総裁記者会見では背景説明を含むステートメントを公表し、その背景説明を踏まえて、月中旬に月報を公表している。第3に、日本銀行では、議事録を公表するまでの期間を10年としている。同じく、FOMCは5年、ECBは30年である。なお、BOEは議事録を公表していない。
  3. 25海外の中央銀行の間では、インフレ率や、その背後にある景気の見通しを公表することが、先行きの政策運営に対する不確実性を抑えるのか、あるいは、むしろ不確実性を高めて物価安定の維持を難しくするのか、という点について、相反する見解がみられる。例えば、ノワイエECB副総裁は、(1)不確実性が強い状況の下では、経済予測はその内包するリスクを適切に認識した上で評価される必要がある、(2)インフレ率に関してピンポイントの予測値を公表することは誤解を招く、(3)金融政策運営を取り巻く環境の不透明さや意思決定における経済予測の役割などを注意深く説明せずに経済予測値を公表すると、むしろ不確実性を高め、物価安定の維持を難しくさえする、と指摘している( Noyer[2000])。
  4. 26日本金融学会[1984]、pp.223-227。
  5. 27なお、講演終了後、日本金融学会の一部の先生方から、「中央銀行が国民と共有するのは、『悩み』ではなく、『望み』であって頂きたい」といったご趣旨の苦言を頂戴したことを付言しておきたい。

以上

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