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「わが国の金融政策の課題」

2000年 5月31日、日本証券経済倶楽部における田谷審議委員講演要旨

2000年 5月31日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.ゼロ金利政策と最近の経済金融情勢
  3. 3.ゼロ金利政策解除の条件
  4. 4.今後のリスク・ファクターと対応策
  5. 5.インフレーション・ターゲティング
  6. 6.市場との対話

1.はじめに

 田谷です。よろしくお願い申し上げます。本日は定例午餐会にお招きいただき、ありがとうございます。私は、昨年12月に日本銀行の審議委員に就任しまして、半年経ったところです。任期は5年です。この半年は、私にとりまして、大変忙しいものでした。初めの頃は、よく「月に何回くらい日銀の方に行くのか」と聞かれることがありました。「いえ、フルタイムです」と言うと驚かれました。

 確かに、政策委員会のうち、金融政策について議決を行う金融政策決定会合は通常月2回ですが、毎週火曜、金曜には金融政策以外について議論をする通常の会合が大体午前中一杯あります。そこでは、日本銀行の政策・業務運営に関する幅広い事柄が議題に上りますし、ほとんどの案件について、政策委員会で十分な議論を行うために、事前の背景説明がなされます。外部の人々との懇談もかなり多いと思います。ということで、忙しい日々を過ごしております。

 本日は多くの先輩方の前でお話をするということで少々緊張しております。だからという訳でもないのですが、用意してまいりました原稿に沿ってお話をさせていただきます。この講演が終わりました時点で、これから読ませていただきます原稿は日本銀行のホームページに掲載されることになっております。

 本日のテーマは「わが国の金融政策の課題」です。まず第1に、ゼロ金利政策と最近の経済金融情勢、第2に、ゼロ金利解除の条件についてお話しします。第3に、今後のリスク・ファクターと対応策について、つまり、経済金融情勢が中心シナリオとして想定しているようなものから離れるのはどのような場合か、また、そうした場合、どういう対応策が考えられるのか、ということについて触れたいと思います。第4に、インフレーション・ターゲティングについて、最後に、最近何かと話題になっております、市場との対話についてお話ししてみたいと思っております。

2.ゼロ金利政策と最近の経済金融情勢

(ゼロ金利政策の採用)

 近々、景気の谷はいつだったか、についての経済企画庁の公式見解が明らかになるようですが、昨年の春先との見方が有力であると報道されております。日本銀行がオーバーナイト金利をできるだけ低く誘導し、ほぼゼロの水準にまで低下させることを決めましたのが、昨年の2月、そして、4月以降、「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」そのゼロ金利政策を続けることにコミットしてまいりました。振り返ってみますと、まさに景気最悪期で思い切った政策を採った、ということになろうかと思います。ゼロ金利政策とは、オーバーナイト金利をゼロにする、ということと、そうした政策をある状況が来るまで続けることにコミットする、といった2つの要素から成り立っております。

 その後も、特に、昨年後半には、さらに金融緩和を行うために日本銀行は短期の金利を低めるだけでなく、もっとマネーサプライの伸び率を高めるために量的緩和を実施すべきだとの主張もみられました。量的緩和につきましては、後ほど、今後のリスク・ファクターへの対応策やインフレーション・ターゲティングとの関連で少々詳しく触れたいと思います。

 ところで、経済実体の動きはその後どうだったかと言いますと、そのペースは大変緩やかなものの回復の道を辿ってきていると言えるでしょう。これは、政府による各種経済政策の効果やアジア経済の回復による輸出の増加もありますが、金融緩和効果もそれなりの貢献を果たしてきました。ゼロ金利政策は、金利、株価、為替相場への影響を通して企業収益の下支えとなり、それが雇用・所得の下支えとなりましたし、また、ビジネス・センチメント、消費者センチメントの改善にも貢献してきたものと思います。

 しかし、実質国内総生産は昨年の後半2四半期連続でマイナス成長に陥りました。四半期の国民所得統計は需要サイドの各種統計によって推計されますが、この間、生産サイドの統計はほぼ一貫して回復傾向を示しています。鉱工業生産指数、第三次産業活動指数、全産業活動指数などの動きをみても、あるいは、景気動向指数の一致指数の動きなどをみても、景気は昨年の前半のどこかを底に緩やかな回復過程を辿ってきているようですし、それが一般の景気実感にも合っているように思います。景気が昨年後半再び悪化し、また、今年に入って回復してきている、ということではないのではないでしょうか。

 仮に景気後退局面になった場合でも、現在のゼロ金利政策は将来にわたっての約束を含むものですので、ゼロ金利の解除が遅れるとの思惑が強まる結果、金利水準が全体として低下し、緩和効果を自動的に強めることになります。これを称してゼロ金利政策の時間軸効果と言うことがありますが、当然、景気回復がより確かなものになるに従って、金利水準が全体として上昇すれば、その分は緩和効果を弱める方向に働きます。金融政策において将来にわたる約束をするということは異例の措置ですが、短期金利をこれ以上下げられないといった状況に直面して、そうした措置を採用した訳です。

(最近の経済情勢)

 さて、経済の現状はどうなっているでしょうか。まず、国内総支出の主要項目について見てみます。公共投資は1~3月には昨年末の補正予算の執行が進んだことによって昨年10~12月に比べてかなり増えたようです。ここ暫くの公共投資はこれまでの発注の執行で急減することはないものの、4月の公共工事請負金額が低下していることにも現れているように、その後は不透明です。もっとも、今年度の予算執行が順調に行く限り、大きな制約要因にはならないでしょう。ただ、今後の財政政策については、選挙後になってみなければ確定的なことは言えないように思います。

 輸出は好調です。昨年末は、コンピューター2000年問題に関連して、輸入が増え、逆に、輸出があまり出なかった、ということがありましたが、今年に入ってからは、その反対に、輸出が順調に伸び、輸入があまり増えないという展開となっております。輸出は欧州や米国向けもそこそこ伸びていますが、何といっても増えているのはアジア向けで、情報関連財や資本財・部品が特に伸びています。先進国は金融の引き締めに入っていますが、今のところ世界経済の拡大基調に変化は見られません。輸入サイドでも、アジアからの情報関連財や消費財の伸びが高くなっています。特に、足許、中国からの輸入の伸びが顕著です。実質ベース、つまり、数量ベースでの純輸出(輸出−輸入)は拡大基調ですので、実質経済成長に貢献することが期待できます。

 住宅投資は1~3月予想以上に好調だったようです。しかしながら、この分野では、これまで繰り返し刺激策が採られてきましたので、刺激効果がなかなか長続きしなくなってきているようです。因みに、住宅金融公庫への融資申込み件数は、昨年冬場の99年度第3回申込み以降、急減してきています。民間金融機関の融資が増えることも考えられますが、今後、住宅投資は緩やかに低下すると思われます。

 次に、民間設備投資と個人消費について、少々詳しくお話ししてみたいと思います。設備投資は、皆様もご存知のとおり、緩やかに回復してきています。設備投資の先行指標として機械受注、その中でも、船舶・電力を除く民需の部分を見ることが多いのですが、2月に発表された12月の数字を見た時、設備投資について、回復を確認できたと思いました。しかし、その後、1月から3月まで前月比マイナスが続きました。ただ、昨年末の伸びが非常に高く、年初のいわゆるゲタが高かったため、1~3月の前期比はプラスとなりました。現時点での4~6月見通しは若干マイナスの伸びとなっていますが、1~3月期の受注達成率(受注実績/受注見通し)が103.1%となっており、こうした受注達成率が続くようですと、4~6月期もプラスになることは可能ではないかと思っております。確かに、設備投資の回復といっても手放しで強気になれないところがあります。しかし、各種の今年度の設備投資に関するアンケート調査によりますと、年度が始まったばかりの時点にしては、強めの数字が出ていると思います。

 また、一部には、設備投資もIT(情報技術)関連だけで、その他は全く期待できないとの見方もあります。機械受注や資本財出荷の内訳をみると、確かにIT関連機械(特にコンピューター、通信機、半導体製造装置)の伸びが大きいのは事実ですが、このところ、非IT機械(原動機、産業機械、工作機械)も底打ちの気配がみられるようです。また、民間非居住用の建築着工床面積も昨年末あたりから伸びてきています。設備投資については、緩やかな伸びが続いているとの判断を変える材料は今のところ見当たらないと思います。過去の景気回復過程を振り返っても、一本調子に回復したことは少なく、振れを伴いながら、上昇していくケースがほとんどでしたし、今回もそうしたケースだろうと思います。

 生産の伸びが続き、リストラの効果もあって、企業の収益が改善してまいりました。日銀短観を初めとする各種調査において、昨年度は減収増益でしたが、今年度は増収増益が見込まれています。経常利益の段階では2桁の伸びが続きそうです。もっとも、会計ビッグバンとも称される会計制度の変更に伴って特別損失を計上するケースが広がっており、税引き利益あるいは連結最終利益の伸びはそれほどでもないようです。特に、退職金・年金の積み立て不足や販売用不動産等の時価会計導入に向けた処理を前倒しで行う企業が増えています。こうした動きは、企業にそうした対応をとれる余裕がでてきた、体力がついてきたと言うこともできるでしょう。こうした企業部門の収益力回復が雇用・賃金を通して家計消費にどう影響してくるのかを注視しているところです。

 その消費ですが、3月、4月と、全体としては、比較的弱めの数字が続いています。昨年末から見ますと、一進一退の動き、ということになります。家計調査報告によりますと、全世帯の消費水準指数(世帯数、日数を調整した後、消費者物価指数で実質化した消費)は、1~3月の前期比は−0.2%でした。ここでの全世帯には単身者世帯が含まれず、これを含めれば、もう少し強めの数字になりそうです。全体としてはあまりぱっとしない消費ですが、パソコンに引っ張られて家電販売は好調です。既存の大型小売店の販売額は、百貨店でもスーパーでも前年比の落ち込みが続いていますが、他方、コンビニエンス・ストアの売上げの伸びは続いていますし、カテゴリー・キラーと呼ばれる新興量販店は好調を保っています。流通革命や、社会構造の変化を映して、統計によって強めの数字も弱めの数字もあります。しかも、そうした変化を既存の統計が捉え切れない面もあります。

 所得のうちから消費に回す比率である消費性向は、90年代に入ってから、短期的な景気循環にかかわらず、緩やかに低下してきました。景気が後退しても、所得の落ち込みが一時的であると人々が考えれば、消費性向は上昇し、景気の下支えになる筈ですが、最近は短期的な後退局面でも消費性向は上昇しませんでした。社会保障制度に対する不安、将来の雇用・所得に対する不安などに対する人々の防衛本能によるものだったのでしょう。もっとも、一昨年末あたりから、消費者コンフィデンスは改善傾向にあり、消費性向は安定化してきているようです。このため、消費の回復は雇用・所得次第の側面が強まってきています。

 これらのこともあって、景気の先行きを考える上で、雇用、所得環境を見ることが1つの焦点となってまいりました。雇用情勢につきましては、労働省の「毎月勤労統計」によりますと、労働者数の低下は止まってきたようです。一方、総務庁の「労働力調査」は労働省調査に比べて調査対象が広く、公務員、契約社員、自営業者などを含みますが、この調査での就業者、あるいは雇用者は、まだ緩やかながら減少しています。しかし、完全失業率は、3月に4.92%と既往ピークをつけましたが、4月には少々下がって4.84%になりましたし、職安統計による有効求人倍率は低水準ながら改善傾向を続けています。また、民間の求人広告も増加傾向にあります。失業率が再度悪化したとしても、それが直ちに、全体としての雇用情勢の悪化を意味するものではないでしょう。

 賃金については、毎月勤労統計によりますと、4月の1人当たり名目賃金は前年同月比1.0%でしたし、所定内、所定外給与の緩やかな伸びは続いています。生産の伸びは基調として続いていますので、決まって支給する給与(所定内給与+所定外給与)は当面緩やかに伸びるのではないかと思われます。ただ、今後の特別給与につきましては、今年の春闘の妥結の仕方、一部民間企業の夏季ボーナスの妥結状況、ボーナス支給対象者の減少、企業の人件費抑制姿勢などを考えると、楽観はできないようです。公務員のボーナスは一種の遅行変数でしょうから、民間部門のボーナスの行方が焦点です。労働省統計の雇用者は下げ止まってきたと言いましたが、中身を見ますと、パート労働者が増え、一般労働者は前年に比べて1%近く減っています。ボーナス支給対象者が減っていると言ったのは、この意味です。ただし、パートタイムや新規学卒者を除く新規求人がこのところ増えてきていますので、ミスマッチ失業が増える可能性はありますが、一般労働者の減少にも歯止めがかかり、雇用者数に賃金を掛けた雇用者所得の安定的な伸びにつながって行くことが期待されます。以上、現在、焦点となっている点でしたので、雇用、所得について少々細かいことを申しました。

 ここで、物価情勢について触れたいと思います。国内卸売物価は下落が止まり、原油価格の上昇もあって、3月には、約2年ぶりに前年比が若干プラスとなりました後、4月も前年比プラスとなっております。一方、消費者物価は、前年比の低下が続いています。ただ、それが、どの程度需要の弱さによるものかが問題になりますが、少なくとも、一部は、新興小売業による情報技術を駆使した流通合理化などを反映していることも考えられます。つまり、生産性の上昇を反映した物価の下落であれば、企業収益が下がることもない訳で、これが時として、良い物価下落とも称される所以です。消費者物価の先行指標でもある国内卸売物価がどうなるか、また、消費者物価の変化の中身の検討も必要です。

 以上のように、いわゆる物価は概ね横ばいあるいは若干弱含みですが、地価は全体としては低下が続いています。金融政策により、直接、地価の安定化を図るべきとも、図れるとも思いませんが、地価が重要な価格であることは確かです。過去5半期(2年半)の株価変化率と地価に相関関係があるとの研究が数年前にありましたが、まだそうした関係があるかどうかは結論が出ません。最近は、さまざまな地価調査が行われるようになっているようですが、なかには、首都圏の一部の商業地、住宅地で地価の底入れの兆しを示唆するものもあります。注視しようと思います。

(最近の金融情勢)

 ここで、最近の金融情勢に触れてみたいと思います。まず、マネーサプライ(M2+CD)ですが、前年比伸び率が傾向的に下がっております。もっとも、4月の伸び率はいくつかの特殊要因によって3月に比べて上昇しましたし、より狭義の通貨であるマネタリーベースやM1の前年比変化率はこのところ10%前後で伸び続けています。M2+CDの伸び率低下は、民間の資金需要の低迷を反映したものです。企業部門のキャッシュ・フローは潤沢で、多くの企業では設備投資もその範囲内に収まるとみられ、外部資金に対する依存度が低いためです。また、金融不安、コンピューター2000年問題など、様々な予備的動機に基づく通貨需要が剥落してきたことも影響しているようです。一方、銀行も、資金繰りや自己資本面での制約が緩和してきたこともあって、大手行を中心に、融資先の信用力を見極めつつ、貸出を増加させる姿勢を強めているようです。これらのことから、当面のマネーサプライの低下は景気の緩やかな回復と矛盾しないように思います。

 次に、長期金利のこれほどまでに低い水準での安定をどう考えるか、ということがあります。ゼロ金利政策が何らかの影響を持っていることは考えられます。今年初めのG7直後に、ゼロ金利解除が遅れるのではないかといった思惑が強まった時、10年物国債利回りがかなり下がったこともありました。しかし、基本的には、将来の名目経済成長率の予想、民間部門における資金需要の弱さ、それに米国長期金利の動きと円高予想によるところが大きく、ゼロ金利政策によるところはそう大きくはないと思います。たとえば、市場がゼロ金利解除時期をどう考えているかを、3か月物のユーロ円金利でみると、現物と先物中心限月である12月限のレートが20ベーシス・ポイント以上開いており、年内の解除を織り込んでいるように見えます。こうしたシナリオの下で現在の長期金利は形成されており、ゼロ金利が長期にわたって続くことを前提にはしていないものと思われます。

 株価の動きについては、現在および将来に関する重要な情報を含んでいるがゆえに、十分な注意を払って見ております。経済の先行き、経済構造の変化、リストラの動き、など様々なことを考える上で代え難い情報源です。その際、日経平均株価については、最近実施された銘柄入れ替え以前の水準と比較するには、足許の株価に2,000円ほど加えてみることが必要ではないかと考えております。正確にいくら加えるのが適当かは比較の目的にもよるので、1つの答えがある訳ではありません。ここ暫くは、日経平均株価に加えて、東証株価指数やその他の株価指数を併せ見て行こうと思っております。店頭株価指数も当然見ていきます。ところで、最近の株価調整は、米国のNASDAQ市場株価の下落の影響と外人投資家の動きによるところが大きく、必ずしも、日本の実体経済の回復シナリオが崩れたことまでは示唆していないように個人的には思います。

 最後に、為替相場について、一言、二言申し上げたいと思います。なぜ強いドルと弱いユーロが続いたのでしょうか。米国の強いドル政策が続いたのは、米国経済が完全雇用状態で推移したからではないでしょうか。ドル価値が下がっていれば、輸出が伸び、輸入が減ることで、貿易収支の赤字は減ったでしょうが、国内経済が過熱し、インフレ圧力が高まってしまっていたでしょう。また、米国経済の相対的パフォーマンスが優れていたため、外資の流入が続き、そうした政策スタンスが保たれたのでしょう。ユーロ相場の下落については、労働市場の硬直性による経済構造転換の遅れ、米国との間の成長率・金利格差、米国との間の中長期証券投資収支や直接投資収支のアンバランス、といったことが指摘されていますが、これらは当然相互に関係しています。それに、市場は、これまでユーロ為替レートに関する構成国間のスタンスの不統一を問題視していたようです。為替レートを予想することは難しいとは思いますが、こうしたこれまでの基本的要因がどう動いて行くかを注視したいと思います。

3.ゼロ金利政策解除の条件

(基本的考え方)

 以上申し上げましたとおり、わが国の景気は持ち直しの動きが明確化しており、民間需要は設備投資を起点とした自律的回復過程に入りつつあるところかと思います。こうした状況の下、ゼロ金利解除のタイミングが注目されております。そこで、ゼロ金利解除の条件を私なりにお話ししてみたいと思います。最初にも申しましたとおり、日本銀行は、昨年4月以来、「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」ゼロ金利政策を続けることを明らかにしてまいりました。この表現が分かりにくいとのご意見もあり、いくつか表現を変えて説明してまいりました。デフレとは、需要の不足による物価の下落が企業収益を減少させ、それが設備投資の低下や雇用・賃金の削減を通じて個人消費の低下などをもたらし、そうした需要の落ち込みがさらなる物価の下落をもたらすといった、悪循環を指しますし、経済成長率の低下や失業率の上昇を伴うことになります。そこで、こうしたゼロ金利解除の条件を、表現を変えて、「先行きの需要の弱さによる物価低下圧力が十分小さくなること」としたり、それとほぼ同様のことを意味する「民需の自律的回復が展望できるようになるまで」としたりしてまいりました。そして、民需の柱の一つである民間設備投資が回復に転じてきている現在、その広がりや持続性を検討するとともに、もう一方の主たる柱である個人消費とその背後の雇用、所得の動向を注視してきております。

 一部には、ゼロ金利解除のハードルをどんどん引き上げて、解除時期を先延ばししてきたのではないか、との見方があるようですが、そのようなことはありません。今申し上げましたとおり、分かり易く説明するために様々な表現を使ってはいますが、ゼロ金利解除の条件自体は一貫しています。また、一部には、昨年2月にゼロ金利政策を導入した時のような深刻なデフレ・スパイラルが懸念される状況ではなくなっているからには、ゼロ金利といった異常な政策は一刻も早く解除すべきである、との見方もあります。ゼロ金利が異常なことはそのとおりですが、デフレ懸念の払拭が展望できるまでこの政策を続けるとしてきた訳ですから、あくまでもその基準に従って情勢を検討して今日に至っております。なぜ、「展望」と言うかということですが、金融政策が効果を発揮するには時間がかかります。設備投資なり個人消費なりの回復を実際の数字で事後的に確認してからでなければ政策変更はできない、ということではありません。かなりの確度で回復が展望できた時点で政策は変更されることになります。その意味で、まだ景気がこんなに悪いのにゼロ金利政策の解除を云々するのは時期尚早である、あるいは、日銀は自分の庭先をきれいにすることばかり考えている、といったご意見もありますが、かなり先のことを考えている、ということをご理解いただきたいと思います。しかし、同じ数字を見ても、全ての人が同じ見方になるという保証はありません。ただ、政策を変更する時は、われわれの判断の拠り所がどこにあり、何をどう判断して政策を変えたのかを、できるだけ分かっていただけるように努めるつもりです。単に、「総合判断」によって決めたというやり方ではなく、その総合判断の中身をできるだけ明らかにしていかなければならないと考えております。

 まとめて申し上げますと、「民需の自律的回復が展望できる」ということを無理なく説明できるエビデンスが出てきた時にゼロ金利解除を行うことになります。その際には、当然、後ほどお話する今後のリスク・ファクターやゼロ金利を解除した時のインパクトも考慮に入れることになります。ゼロ金利を解除した途端に、再利下げとなるような事態は避けたいと考えております。

(ゼロ金利政策批判)

 一方、ゼロ金利の副作用が強調されることがあります。第1に、家計、財団等の利子収入の減少があります。これは確かにあります。少々古い数字ですが、98年度の国民所得統計によりますと、雇用者所得が282兆円、個人企業などの営業余剰が54兆円であったのに対して、利子、配当等の財産所得は16兆円でした。この財産所得の内、利子の受け取りが18.9兆円、支払が11.3兆円で、その差である純利子所得は7.6兆円でした。この純利子所得が、90年代に入り、大きく減ってまいりました。ただ、低金利の効果は雇用者所得や個人企業の営業余剰へのサポートや株価への影響などと比較考量していただかなければなりません。第2に、ゼロ金利が退出すべき企業を助け、産業構造調整を遅らせてきているのではないか、との見方があります。これも、限界的なところで、こうしたことが起こっていることは否定できないかもしれませんが、最近の企業リストラの動きは金利の小さな動きとそう大きく関係しているようにも思えません。これは、第1の点とともに、超低金利批判であり、ゼロ金利批判そのものではないように思います。第3に、ゼロ金利の解除時期をあまり先延ばしすると、ゼロ金利解除がその後に続く継続的な金融引き締めの第一歩と解釈され、長期金利の大幅上昇をもたらしかねない、というものです。この点については、そうならない時点で政策変更を目指す、ということしか言えません。第4に、短期金利がゼロであることが、短期金融市場の機能低下をもたらしている、あるいは、もたらす惧れがあるというものです。確かに、コール市場の規模は縮小してきましたが、今のところ目立った機能障害が起こっているようにも見えません。もっとも、後で振り返って、日本銀行がゼロのコストで短期流動性をいくらでも供給するといったことが長く続いたことによるある種のモラル・ハザードが発生していた、ということが表面化しないとも限りません。第5に、「デフレ懸念の払拭の展望」という時間軸を導入することによって、本来市場で自由に決まるべき中長期金利の決定過程に介入した、との見方があります。しかし、時間軸の導入は、金利をゼロ以下にできないという制約下で、ゼロ金利政策の継続にコミットすることにより、先行きのオーバーナイト金利に対する市場の期待を通じてターム物金利の低位安定を実現することを意図して行った面があります。

 以上のように、ゼロ金利、あるいは、超低金利の副作用はありますが、冒頭にも申し上げましたとおり、企業収益を下支えし、それによって、雇用、所得を下支えすることが必要であるとの判断からゼロ金利政策を続けてまいりました。最近まで低下気味だった物価情勢も、時間的余裕を与えてきたと思います。今後とも、金融経済情勢の動きに合わせて、ゼロ金利政策のプラスとマイナスを比較考量していきたいと思っております。

 ただ、ゼロ金利を解除するということは、時間軸をゼロにすることにもなりますし、ゼロに近い金利を若干でも引き上げる際には、それなりに慎重にタイミングを計らなければならないと思います。その意味からも、最後に申し上げようと思っております市場の見方との擦りあわせが重要になります。

4.今後のリスク・ファクターと対応策

(今後のリスク・ファクター)

 このように、今後の景気展開が想定するシナリオどおりであれば、金融政策の当面の主要な課題は、ゼロ金利の解除ということになると思いますが、こうしたシナリオが崩れるリスクについても念頭に置いておくことが必要と思います。そういう訳で、ここで、リスク・ファクターといっては語弊があるかもしれませんが、現在考えている中心シナリオから現実が離れる可能性がどのくらいあるのか、また、それは主としてどんな場合なのか、ということについて若干触れてみたいと思います。第1に考えられるのは、財政政策、特に公共投資に関する点です。現在のところ、1~3月の公共投資はかなり増加したと思われますが、今後は傾向として前期比で緩やかに低下して行くと見られています。しかし、現在想定されている程度の低下であれば、民需の立ち上がりによって十分相殺されるものと考えられます。ただ、公共投資が実際どうなるかは、予備費がいつどのように使われるのか、年度後半の補正予算編成がどうなるか、ということによるところがありますし、想定されるとおり地方の単独事業が実施されるかどうか、ということにもよります。これらの点は、リスクと言うより、特に注意をして見て行くべきところかと思っております。

 むしろ、主要なリスク・ファクターは、米国の株価の急落、ドル安、米国経済の失速かと思います。ただ、当面、そうした可能性はそう大きなものではないように思います。最近、NASDAQ指数は、昨日の急反発を含めても3月初めの高値から大きく下げましたが、ニューヨーク・ダウはそう下がっている訳ではありません。米国の金融は昨年後半から引き締め局面に入ってきており、時間を置いて、昨年来のNASDAQ指数急騰の調整が起こっているようです。過去にも、利上げが行われた後も株価が上げ続けたことがありましたが、1972年、80年、87年といずれも、その後調整局面を迎えました。ニューヨーク取引所の株価は様々な伝統的尺度から見れば高過ぎるようですが、自社株買いによって株式の供給が制限されたり、個人年金資金が直接、間接に継続して株式市場に流れ込んだりと、株式需給に大きな変化が生じました。また、米国企業がIT革命にうまく乗ることで、収益力を高めてきたこともあります。株価が高過ぎる、高過ぎない、は答えのない永遠のテーマであり、「資産価格バブルは、はじけて初めてバブルだったと分かる」のかもしれませんし、それでしか分かりようがないのかもしれません。

 ただ、物価安定下の成長が続くから株価が上がるし、株価が上がるから成長が続いている側面があります。情報化投資が起爆剤となって、生産性が上昇し、物価安定下の成長が続き、雇用が増え、失業率は4%以下になってきました。賃金には上昇圧力もかかってきているようです。企業収益の上昇は株価の上昇をもたらし、それが消費の好調さを持続させている面があるようです。また、それが、家計貯蓄率を引き下げ、経常収支の赤字を拡大させ、外資に対する依存を強めています。市場では、さらに金融引き締めが行われるとの見方が根強いようです。仮にさらに金融引き締めが行われ、また、仮にニューヨーク取引所を含めて、株価がかなり下落したとしても、米国金融当局の迅速な対応によって、米国経済の失速は回避できるとの見方が一般的です。まさに、その点が90年代における日本の経験に基づく点だからです。また、資産価格が下がったとしても、米国の場合、金融システムに問題が発生する度合いは小さいと考えられています。つまり、現在のところ、米国経済は大きな混乱なしに、ソフトランディングする可能性が高いと思います。

 ここで、見方を変えて、我が国におけるゼロ金利の解除が、最終的に、世界的な金融政策の局面転換を示唆し、欧米市場に、ひいては世界経済に強いインパクトを与えないでしょうか。一部には、ゼロ金利の解除が米国株価の大幅調整の引き金を引くとの見方があります。しかし、既に、米国、ユーロエリアは引き締め局面に入っており、日本の若干の金利上昇がそれほどのインパクトを与えるようにも思えません。また、そうした見方は、日本からの資本流出の変化を過大評価しているように思います。米国への資本流入は欧州経由が圧倒的に大きく、何か起こるとすれば、米欧間における資本の流れに変調をきたした時ではないかと思います。

(さらなる金融緩和)

 ただ、いかなる状況にも対処できるだけのことは考えておかなければならないでしょう。仮に、何らかのショックがあって、金融面からの対応を求められた場合、どういうことが考えられるでしょうか。ゼロ金利を維持する、あるいは、ゼロ金利に戻す、ということが直ぐ思い浮かびますが、それ以上の手段はないのでしょうか。

 この点からは、いわゆる量的緩和が考えられます。現在でも、一部の学者の方々、特に海外の学者の方々を中心として、日本銀行による国債の引受けや長期国債の買い切りオペ増額などが主張されています。国債の引受けは法的にも禁止されていますし、財政規律を損なう惧れが強いため論外として、国債買い切りオペの増額はどう考えたら良いでしょうか。国債の買い切りオペの増額は、その効果に関する限り、国債の引受けとほぼ同様です。これまでも、中長期的観点から必要とされる現金需要の伸びに見合った分だけ長期国債を買うことにより、日本銀行信用を供給してきています。ただ、その際、この種のオペレーションが金利に与える影響を極力避けるように行われてきていると理解しております。それと反対に、量的金融緩和の手段として長期国債、あるいは、時として、中期国債の買い切りオペの増額を提案する人々は、金利に影響を与えることを主張します。一時的にはともかく、継続的に中長期金利を直接的にコントロールすることは、非常に難しいように思います。それでも、他に方法がなく、やらなければならないという場合はあるかもしれません。要は、その時の状況とその時の市場によると思います。

5.インフレーション・ターゲティング

(諸外国の事例)

 ここで、やや視点を変え、インフレーション・ターゲテ/ィングについてお話しさせていただきます。インフレーション・ターゲティングについては、3月1日の国際金融情報センター(JCIF)における講演でもお話ししましたので、ここでは、ポイントのみ簡潔に申し述べたいと思います。

 最近、インフレーション・ターゲティングを採用する国が増えてきました。いくつかの共通点があります。まず、為替レートをその他の国の通貨、典型的には米ドル、に対して、あるいは、通貨バスケットに対して安定的に結びつけて管理することが難しくなり、その後の金融政策運営の拠り所としてインフレ率目標を採用するようになった国が多いようです。英国、スウェーデン、ニュージーランドといった先進国がそうですし、アジア通貨危機あるいはロシア危機後に採用するようになったインドネシア、韓国、ブラジルといった国がそうです。また、マネーサプライを金融政策の中間目標として掲げていたものの、マネーと実体経済の関係が不安定化したために採用に踏み切った国もあります。カナダ、オーストラリアです。

 また、インフレーション・ターゲティングを採用することになったほとんどの国では、それに先立って、高いインフレ率を経験しています。目標とするインフレ率は、消費者物価指数ないし消費者物価指数から一部のアイテムを除いたコアCPIで見て、先進国の場合、2%前後に置くところが多いようです。一般的には、インフレーション・ターゲティング政策は成功している国が多いと言われています。ただ、このところ、世界的にディスインフレ傾向が強く、物価の安定化がどの程度インフレーション・ターゲティング政策によるものかははっきりしていません。

(わが国におけるインフレーション・ターゲティングの主張)

 翻って我が国におけるインフレーション・ターゲティングの議論を窺うと、量的緩和論と結びついて、インフレ目標値を設け、その目標値を達成するまで、必要とあらば、さらに金融緩和を行うべきである、との主張がなされています。また、産業構造の調整を進めるために、ある程度のマイルドなインフレが必要であるとの意見もあります。こうした主張は、財政面からの景気支援が限界に達しており、金融緩和による支援が望ましい、とのコンテクストで主張されることが多いように見受けられます。このほか、物価安定を目指す日本銀行の政策についてのアカウンタビリティー(説明責任)を果たすためにも、将来のインフレ率についての目標値を掲げることが望ましい、との意見もあります。

 こうしたインフレーション・ターゲティングの主張に対して、まず確認すべきことは、オーバーナイト金利が既にゼロの状態の下で、物価変化率を上方に若干だけ引き上げるための政策の自由度が限定されているということです。手段を選ばずにインフレを目指した場合、インフレを起こすことは可能かもしれませんが、マイルドなインフレにとどめることができるかどうかは保証の限りではありませんし、構造調整がマイルドなインフレ状況の下でより早く進むとも言えないと思います。さらに、財政面での景気支援が限界に近づいていることが事実としても、効果が確実な手段による金融緩和もほぼ限界に近いということも事実です。ただ、政策のアカウンタビリティーを高めるための手段としては、インフレーション・ターゲティングが持つ何らかの要素を政策に取り入れる余地はあるのではないかと考えております。

6.市場との対話

 最後に、市場との対話ということについて若干お話ししてみたいと思います。新しい日本銀行法の下での金融政策運営に関する独立性は、アカウンタビリティーによって裏打ちされていなければなりません。政策の運営について、その内容や考え方が国会、国民にしっかり説明されなければなりません。ただ、こうしたことは、わが国ばかりでなく、90年代に入る前後あたりからの世界的傾向で、中央銀行が政策の独立性を獲得し、そうした動きと軌を一にして、アカウンタビリティー、透明性が強調されるようになってきたように思います。グリーンスパン米国連邦準備制度理事会議長の卓越した政策運営と市場との対話が一つのモデルと見なされるようになったことも、市場との対話ということが世界的に重視されるようになった一因かもしれません。しかし、もっと根本的には、情報化時代を迎え、それまで政策当局の力あるいは権威の源泉であった情報の独占が取り得ない時代に入ったことが重要であるように思います。情報共有の時代に入ったのだと思います。私どもが使う資料、情報も特別なものではあり得ません。市場との双方向の対話によってのみ政策は所期の目的を達成することができます。ここで、双方向の対話と申し上げているのは、市場と日本銀行の見方にギャップが生じた場合、市場の見方を日本銀行の見方に鞘寄せさせるということに加え、日本銀行が市場の側に立って、なぜギャップが生じているのかを考えてみることも必要であるということ、を意味しています。特に、最近のように、政策手段であるオーバーナイト金利を動かすことができない状況が続いてきた下では、市場との対話がより一層重要と認識しております。今後とも、皆様方のような専門家の方々との対話を図って行こうと思っております。本日は、ご清聴ありがとうございました。

以上