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変革期の国際金融社会と日本の役割

2000年 6月 7日・日本貿易会常任理事会における速水総裁スピーチの概要

2000年 6月 7日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.グローバル化がもたらす緊張関係
  3. 3.IMF改革の意味するもの
  4. 4.国際金融の変革期における日本の役割
    1. (1)日本に対する期待
    2. (2)日本経済と円の役割

1.はじめに

 本日、日本貿易会の第263回常任理事会にお招き頂き、皆様にお話しする機会を得られたことは、大変光栄である。私も、かつてこの会で、常任理事や、三村会長の下での副会長を数年間務めさせて頂いた経験があり、懐かしい思い出がある。経済同友会の代表幹事になった時に辞めさせて頂いたが、今日、お招きを受けて約10年ぶりに本会に出席できたことを、嬉しく感じている。

 本日は、変革期の商社の経営者として、グローバルなビジネスを展開しておられる方々の集まりでもあるので、「変革期にある国際金融社会における日本のあり方」といった視点に立って、最近感じていることを、少し述べさせて頂きたいと思う。

2.グローバル化がもたらす緊張関係

 私は、かつて34年にわたり、日本銀行に在籍した。その間、当時の外国局や、ロンドン、ニューヨーク等での勤務を通じ、国際金融の分野に長年携わってきた。その間、BIS(国際決済銀行)やG5(現在のG7)といった様々な場における国際的な議論に参画できたことは、貴重な体験であった。

 一昨年、総裁として日本銀行に復帰してから、日本銀行を代表する立場で、一連の国際会議に再び参加することとなった。そうした最近の経験を通じ感ずることは、第1に、国際会議の数が著しく増えたという点である。その中でも、新興市場国と呼ばれる国々、とくに、アジアのプレゼンスの増大は目覚しいものがある。やや逆説的ではあるが、1997年に発生したアジア通貨危機により、エマージング地域の金融・経済の安定が、世界の金融・経済の安定確保にとって、crucialであるとの認識が強まった面もあると思う。このような国際会議の数や参加者の増加は、経済のグローバル化を象徴する、1つの側面である。

 第2に感ずることは、グローバルな規模で展開する市場経済がもたらす様々な緊張関係の高まりである。昨年12月にシアトルで開催されたWTO(世界貿易機関)閣僚会議におけるNGOの抗議活動は記憶に新しいが、私自身が4月下旬、ワシントンでのG7の翌日に出席したIMF国際通貨金融委員会(IMFC、旧暫定委員会)も、抗議の対象となった。

 第2次世界大戦後、自由主義市場経済の発展を支えてきたIMFと、GATTの後継者であるWTOが、このように抗議活動の対象になっていることは、市場経済の急速な進展の下で、その流れに乗る者と、それによって引き起こされる可能性のある、地球環境問題や地域間格差の拡大に強い問題意識を有する者との間に、様々な緊張関係が生じていることの一例として、捉えることもできるのではないか。

 今日、世界の金融・経済は、19世紀の産業革命以来の大きな変革期に直面している。市場経済のグローバル化、情報化と言われるような流れは、将来を貫く「メガ・トレンド」であろう。こうした中で、グローバルな規模での競争が一段と激しくなることが予想される。

 国際的なレベルでの競争は、経済全体のダイナミズムを引き出す、大きな原動力であり、こうした流れを止めることはできないし、むしろ積極的に受け止めるべきだと思う。ただ、そうした流れの中で、新たな緊張関係や不確実性が生じている面も否定できないと思う。このため、新たな時代に適合したルール作りへの取組み等を通じ、我々は、世界経済の安定的発展のための道を模索し続けなければならない。この作業は決して容易ではないが、国際社会として議論を重ねながら、解決策を見出していかなければならないと思う。

3.IMF改革の意味するもの

 只今述べたような流れの中で、国際通貨・金融システムも、更なる課題を背負うことになった。とくに、97年のアジア通貨危機を契機として、国際金融社会では、通貨・金融危機の予防や、再発時の対応に関する一連の議論——新金融秩序(new financial architecture)の構築と呼ばれる——を重ねてきた。G7の要請に基づき昨年4月に発足した「金融安定化フォーラム」では、この4月にヘッジ・ファンド等の高レバレッジ機関や、国際資本移動の問題等に関連し提言を公表したが、これらはそうした努力の1つの成果である。

 IMF改革も、重要なテーマに位置付けられる。そもそも、ここへきてIMF改革の必要性が強く指摘されるようになった直接のきっかけもまた、アジア通貨危機にある。短期資本の急激な流出を引き金とするアジア通貨危機は、21世紀型の通貨危機とも呼ばれている。IMFは危機の予防、危機発生後の対応の両面において、その機能を十分に果さなかったとして、サーベイランスの能力や政策決定過程の透明性を向上させるべきではないか、といった批判の対象になった。私は、こうした問題は、IMFの生い立ちとも関係する、根深いものであるように思う。

 ご承知のようにIMFの設立は、第2次世界大戦に先立つ時期において、競争的平価切下げ、経常的国際取引に関する規制、保護貿易指向が国際経済・金融の混乱を招き、それが各国間の利害対立を強め、ひいては戦争の1つの背景ともなったという事実に対する反省に立脚している。当時の関係者が強く意識したのは、そうした事態の再燃を防止するための安定的な国際通貨制度の構築であった。1オンス35ドルで金との交換性を保証されたドルを中心とする固定為替相場制、アジャスタブル・ペッグ制、経常取引に関する制限の禁止といった思想は、このような文脈から形成されたものである。一方、資本取引については、個別加盟国による管理が容認されていた。つまり、少なくとも当時は、資本取引よりも経常取引の安定的拡大に、より多くの関心が寄せられていたということである。

 しかし、その後状況は大きく変化する。為替制度については1971年のニクソン・ショックにより、ドルと金との固定相場による兌換性が放棄され、73年から世界は、本格的な変動相場制時代に移行する。また、資本取引については、IMF設立当初の関係者の予想を大きく上回る格好で、自由化が進み、今や経常取引をはるかに上回る国際資金フローが実現するに至っている。そうした膨大な国際資金フローは、見方によっては経常取引以上に各国の金融・経済に多大なインパクトを与えているほか、時に通貨危機の引き金となることは既に述べたとおりである。

 つまり、今日の国際経済・金融を取り巻く環境は、IMF設立当時と比べ、根本的に異なっているということである。グローバル経済の急速な発達とそれがもたらす緊張関係の中で、IMFは国際通貨・金融システムの安定化にどこまで貢献することができるのか、また、貢献するためにはどのような機能に注力すべきか。IMF改革を巡る一連の議論は、このような問題意識に裏打ちされたものである。

 今回私が出席したIMFCは、従来のIMF暫定委員会を恒久的な組織に衣替えしたもので、IMFにおける検討体制の強化という意味では、今日、国際経済社会が置かれた厳しい状況を象徴する1つの事例と捉えることができる。今回がIMFCとしての初回会合であったが、IMF改革を巡っても極めて活発な議論が行われた。勿論、具体的な結論を得るには、さらなる議論の積み重ねが必要であるが、次のような方向感については、概ね認識の一致が見られたように思う。

 第1は、市場機能の活用という考え方を基本哲学に据えたうえで、ルール作りを行うということである。この点に関し、G7、IMFCの声明は、通貨・金融危機の防止や事後対応に、民間セクターを関与させることの重要性を強調している。同時に、IMFについては、新たなグローバル市場の展開に適応した様々なルールの策定や、加盟国によるルールの遵守状況を監視する役割が強化されることとなった。こうした役割は、市場機能が公正に発揮されるための環境整備、あるいは「市場の失敗」の是正と位置付けることができる。

 第2は、市場機能重視という基本哲学の下で、IMFの業務の抜本的見直し、あるいは再定義を行うということである。これとの関連では、例えばIMFの資金支援機能を、資本収支危機に陥った国に対する短期の流動性支援に限定し、開発支援などを目的とした、中長期的な支援を縮小するという考え方が提示されている。

 そして第3は、IMFの政策決定過程がとかく不透明であるとの強い批判があることを踏まえ、IMF自身のガバナンスを改善する視点から、アカウンタビリティの向上を課題として明確化したことである。

 IMF改革は、まだ緒についたばかりである。しかし、いずれにしても、IMF改革は、この先の国際通貨・金融システムのあり方を規定する重要な試みである。日本は、米国に次いで第2の出資国である。それと同時に、世界最大の資本輸出国あるいは世界最大の対外純債権国という立場に象徴されるように、国際金融市場に対する関わりが最も深い国のひとつである。先程申し上げた3つの「方向感」に対する共通の認識を得ていく過程で、日本としても様々な発言を行ってきたが、今後も、そうした立場から、IMF改革の問題に、適切に取組んでいくことが求められている。

4.国際金融の変革期における日本の役割

(1)日本に対する期待

 こう申し上げた上で、国際金融の変革期における日本の役割を改めて整理してみたいと思う。第1は、国際的なルール作りへの積極的な参画である。国際的な基準・スタンダードの導入は、グローバル経済の発展の方向を規定する重要な側面をもつと同時に、国内の金融や経済へ大きなインパクトを及ぼす可能性がある。このことは、国際的な会計ルールの適用が、日本の企業経営に影響を及ぼしつつあることにも表れている。しかし、一口に国際的なルール作りへの参画と言っても、現実には、決して容易なことではない。世界を説得するだけの知恵や行動力を持たなければならないからである。

 日本は世界経済の一員であるとともに、アジア経済の重要な構成員である。できれば、アジアの事情を踏まえながら、日本が国際的なルール作りに積極的に関与・貢献していくことが、理想である。そのような観点も踏まえ、日本銀行では、東アジア・オセアニア地域の中央銀行の集まりであるEMEAP(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)の場を通じ、金融・経済の諸問題に関する意見交換や、協力関係の強化に取り組んでいる。さらに言えば、日本が、ルールの実践の過程で、アジアにおける金融システム改革や、諸統計の整備といった金融・経済の基盤整備に、技術支援(Technical Assistance)等を通じて貢献していくことも、求められている。

 第2は、言うまでもなく、日本経済自身が持続的成長の確保等を通じて、世界経済の安定的発展に直接的に貢献することである。そのためには、単に循環的な問題として景気を回復させること——これ自体極めて重要な課題であるが——に止まらず、構造改革を着実に推し進めることで、日本経済のダイナミズムを取り戻すことが極めて重要である。さらに、後で申し上げるように、日本経済の全体としての信認を高めていくことが、大きな課題となると思う。

(2)日本経済と円の役割

 本日、このような大きな問題を全面的に採り上げる時間はない。しかし、最後に触れた、「日本経済全体としての信認を高める」という点に関連して、また、日本貿易会という機会でもあり、「国際通貨としての円の役割」という、世界の金融・経済における日本の位置付けと密接に絡む重要な問題を考えてみたい。

 国際通貨は、「価値尺度、価値保蔵手段、交換手段という通貨の機能の各面において、非居住者に活発に用いられる通貨」と定義することができる。円は非居住者にも用いられる通貨である。しかし、「活発に」という点まで考えてみると、世界経済に占める日本経済の重要性に比べ、国際通貨としての円の使用比率が相対的に低いという指摘があることも事実である。このことは何を意味するのであろうか。

 通貨が国際的に広く使用されるためには、いくつかの条件がある。第1に、その通貨に対する国際的信認が高まることが不可欠である。信認を得るためには、通貨価値の安定に支えられた強固な経済が必要となる。

 この点に関連し、日本経済の現状に若干触れると、景気は、思い切ったマクロ経済政策の発動の効果もあり、ここにきて、持ち直しの動きが明確化してきた。とりわけ民間需要の面で、企業収益の改善を背景に、設備投資の緩やかな増加が続いていることは、歓迎すべき兆候である。今後は、企業部門の回復傾向がどのように家計部門に波及していくのかといった視点から、民間需要の回復力を点検していく積もりである。

 国際通貨の点に話を戻すと、通貨が国際的に使用されるためには、第2に、通貨の使い勝手が良くならなければならない。このためには、自由で開放的な経済環境、中でも懐の深い金融資本市場の存在が重要である。第3に、通貨の国際的ネットワークの形成を媒介・加速するメカニズムの存在も重要である。かつての大英帝国における海運・金融・保険業、あるいは現在の米国における多国籍企業や金融・IT産業の世界的展開のようなメカニズムを通じ、その国の通貨が国際的に分配され、利用が促されていく側面は無視できない。あるいは、先程触れた海外技術支援を通じた貢献により、円のネットワークが広がっていく可能性も考えられる。

 このように、通貨の国際化は、結局のところ、只今申し上げた3つの側面を通じ、経済全体としての信認が高まる結果として、進む側面が強い。「経済全体としての信認を高める」ためには、多方面からの努力が必要となる。

 例えば、この点を、日本国債を例に考えてみると、日本国債の非居住者保有比率は、現状数%程度に止まっており、米国はじめ他の主要先進国に比べ、著しく低い。無論、累積経常収支黒字国・恒常的貯蓄超過国として、国債が国内で消化されること自体は不自然とは言えない。しかし、世界中の債券投資家が債券投資の際に参考にする、「世界債券インデックス」をみると、日本国債のシェアは、米国国債に次ぐ地位を占めており、財政事情を考えると、遠からず、日本国債のシェアが米国国債に匹敵するようになる可能性もある。こうした状況の下では、日本の国債市場が、世界の投資家にとって投資しやすいマーケットであることが、非常に重要である。

 それでは、世界に通用する国債市場を育成するために必要なことは何か。ひとつは、言うまでもなく、国債の信認を傷つけるような政策運営を行ってはならないということである。この点では、長期的にみた財政運営の健全性を確保することが重要である。今ひとつは、先物市場・レポ市場の利便性、税制上の取扱い、取引・決済慣行の安全性確保と標準化の推進といった面で、取引の安定性・利便性の向上を図っていくことが、大きな課題となる。

 先ほど国際通貨の要件について申し上げたが、国際的な信認の確保、利便性の向上、世界的なネットワークの形成、といった要件のいずれをとってみても、21世紀において、日本が進むべき方向性に合致していると考えられる。私自身、「円の国際化」という言葉を使う機会が少なくない。この言葉に、グローバル・ベースで進展している世界経済の新たな姿に、日本経済を適合させ、ひいては先程申し上げた、国際的なルール作りや、アジアの金融・経済面での基盤整備に貢献していきたいとの気持ちを込めている積もりである。

 ご清聴に感謝する。

以上