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最近の金融政策運営について

平成12年 9月 7日・愛媛経済同友会における篠塚審議委員講演

2000年 9月 7日
日本銀行

[目次]

 日本銀行審議委員の篠塚英子です。本日は、愛媛経済同友会関係者の皆様のお陰で、松山市で金融政策運営についてお話申し上げる機会を頂き、誠にありがたく存じます。また、日頃、日本銀行松山支店がいろいろとお世話になっておりますことに改めてお礼申し上げます。

1.はじめに:新法下の日本銀行と審議委員

 本題に入ります前に、自己紹介を兼ねまして、日本銀行審議委員の仕事とは何か、について簡単にお話します。現在の日本銀行は、97年に全面改正され、98年4月に施行された新しい日本銀行法に基づいて運営されている独立した法人です。この法律改正に伴い、日本銀行のコーポレート・ガバナンスについて、決定と執行の責任を明確に分けるという考え方が新たに取り入れられました。

 まず、決定については、唯一かつ最高の意思決定機関として政策委員会が設けられています。政策委員会は、総裁、2人の副総裁、および、6人の審議委員から構成される合議制の機関です。すなわち、日本銀行審議委員と申しますのは、各人が政策委員会で9分の1の議決権を持つ者ということになります。この9人のメンバーは、国会の同意を得て、内閣によって任命されます。日本銀行は、重要な方針について、この政策委員会の多数決で決定します。政策委員会の議決が必要な事項は、政策・業務運営から、人事、経理などの内部管理まで、かなり多岐にわたります。政策委員会は、原則として、週2回の頻度で開催されます。特に、金融政策決定会合は、政策委員会の会合の中で、金融政策の運営に関する事柄を決定する会合です。これは、原則として月2回、他の会合とは別に開催されています。一方、総裁、副総裁、理事以下の役職員は、政策委員会が決定した方針に基づき、実際に業務を執行しています。

 このように、新しい日本銀行の組織では、決定と執行の責任が明確に分かれており、政策委員会の9人のメンバーによる多数決で意思決定をしていることが最大の特色です。そこで、多数決で物事を決定する場合には、大勢意見に対して少数意見があり、また、一口に大勢意見と言いましてもその中には微妙な見解の相違が含まれています。私は、従来から、「みんなちがって、みんないい」をモットーに1、自分がどちらの立場にいようとも、このような気持ちで様々な意思決定の場に臨んできました。そこで、予めお断りしておきますが、本日も、日本銀行の考え方と、私の個人的な意見を注意して区別しながらお話します。日本銀行の考え方と申しますのは、政策委員会における大勢の意見を意味します。私の意見は、この大勢意見と同じ場合もありますし、異なる場合もあります。この点をご理解のうえ、お聞き頂ければ幸いです。

 さて、日本銀行は、8月11日の金融政策決定会合において、昨年2月12日から約1年半にわたって続けてきたゼロ金利政策を解除し、金融調節の直接的な対象である無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導目標を0.25%に戻しました。金融の緩和や引き締めの度合いは経済全体の状況と照らして判断すべきものですが、現在の0.25%という政策金利は、金融が大幅に緩和されているという状況を何ら変えるものではありません。しかし、90年8月以来、10年振りの利上げであるということもあり、様々なご批判も受けました。そこで、本日は、金融政策運営に関して、3つのテーマを取り上げます。

 第1に、ゼロ金利政策の解除に至る考え方をご説明します。

 第2に、金融政策運営の「独立性」と「透明性」についてお話します。今般のゼロ金利政策の解除に至る過程では、新しい日本銀行法の理念である独立性と透明性の真価が問われ、特に、「市場との対話」が大きな焦点の一つになっていたように思います。

 最後に、ゼロ金利政策を解除した現在、今後の金融政策運営について、私自身がどのように考えているか、ということをご説明します。

  1. 金子みすゞ(大正時代末期に活躍した童謡詩人)の「私と小鳥と鈴と」という詩の一節。

2.ゼロ金利政策の解除に至る金融政策運営

(ゼロ金利政策)

 第1のテーマは、ゼロ金利政策の解除に至る考え方です。

 最近、「終わったことなどは関心がないので、先のことに話を進めてほしい」というご意見を耳にすることがあります。しかし、私は、先行きの金融政策運営などについて考える場合には、過去についての冷静な分析とそれを踏まえた反省こそが重要な出発点であると考えています。そこで、まず、ゼロ金利政策とは何だったのか、ということから始めたいと思います。

 日本銀行では、日々、金融機関などとの間で国債、手形の売買や貸出といった金融調節を行っています。例えば、日本銀行が金融機関から国債や手形を買えば、その代金を金融機関に支払いますので、資金を供給することになります。また、逆の金融調節を行えば、資金を吸収することになります。このように、日本銀行では、金融機関の間で資金のやり取りをする短期金融市場で、どのような量の資金を、どのようなタイミングで供給するか、あるいは吸収するかによって、その金利をコントロールしています。わが国の短期金融市場には様々な取引があります。なかでもコール市場は、翌営業日までといったごく短い期間の取引が行われることから、金融機関が当日の資金過不足を最終的に調節し、必要とされている日本銀行当座預金の残高を保有するための場として中心的な役割を果しています。日本銀行の金融調節は、このコール市場における無担保取引の翌日物、すなわちオーバーナイトの金利を直接の誘導対象としています。因みに、コール市場の「コール」という名称は、コール・アット・マネー(呼べば直ちに戻ってくる資金)に由来するといわれています。

 日本銀行では、昨年2月の金融政策決定会合において、「より潤沢な資金供給を行い、無担保コールレート(オーバーナイト物)を、できるだけ低めに推移するよう促す」という金融市場調節方針を決定し、いわゆる「ゼロ金利政策」に踏み出しました。さらに、その2か月後の昨年4月、ゼロ金利政策の効果を十分に浸透させるために、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまでゼロ金利政策を継続する」という考え方を明らかにしました。短期金融市場には、3か月物や6か月物といった、少し期間が長めの、ターム物といわれる資金取引もありますが、これらの金利は、基本的には、現在から3か月後や6か月後までオーバーナイト金利がどのように推移するか、ということに関する市場の予想に基づいて決まると考えられます。したがって、日本銀行の金融調節はオーバーナイト金利を直接の対象としていますが、ゼロ金利政策を次回の決定会合以降もある程度の期間(「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで」の期間)にわたり継続するという方針を明確に示したことは、先行きのオーバーナイト金利に対する市場の期待を通じて、ターム物金利をも低位安定させるという効果を発揮しました。

 デフレ懸念とは、「物価下落が企業収益や賃金の下落を通じて経済活動の収縮を招き、それがさらなる物価下落をもたらす状態」、すなわち、デフレ・スパイラルの状態に陥る懸念ということです。昨年春以降、この「デフレ懸念」という言葉そのものはかなり人口に膾炙しているように思いますが、振り返りますと、日本銀行は、既に5年前、95年9月に公定歩合を史上最低の0.5%に引き下げた際に、「物価が過度に下落した場合の経済に及ぼす影響をも念頭に置きつつ、経済が回復基調に復することを金融面から十分サポートする」という声明を発表しています 。すなわち、日本銀行は、95年当時から、デフレ・スパイラルに対する懸念を強く意識していたと思います。

 その後、日本経済は、97年第4四半期以降、実質GDPが5四半期連続して減少するという厳しい経済状況に直面しました。この間の大きな特徴点は、金融システム不安が著しく高まったことです。バブル崩壊後、資産価格の下落は、借り手・貸し手双方の資産内容を悪化させ、自己資本を減少させました。自己資本は、将来のありうべき損失を吸収するバッファーです。したがって、各経済主体は、自己資本が減少しますと、自分のリスク負担に対して慎重になるとともに、取引相手からはより高いリスク・プレミアムを求められ、従来の取引関係をそのまま維持することが困難になる可能性があります。97年秋頃以降には、一部の大手金融機関などの経営が破綻したことを契機に金融システム不安が高まりました。こうした中で、金融仲介機能は一段と低下し、これが企業の設備投資などを抑制する方向に働いたと考えられます。また、家計では、こうした厳しい経済情勢を眺めて、消費行動を慎重化させました。このようにして、最終需要が減少し、これを背景に生産活動は大きく落ち込みました。

 こうした事態に対して、政府は、拡張的な財政政策に踏み切ったほか、金融システム面では、金融機関の破綻処理の枠組みを整備し、自己資本を思い切って充実させるため、98年10月に金融再生法および早期健全化法を制定させました。実際に、早期健全化法に基づき、99年3月には大手15行に対して総額約7.5兆円の公的資金による資本増強が実施されたほか、その後も、地域金融機関に対して、今年8月末現在まで合わせて3,350億円の公的資金が注入されています。

 一方、日本銀行では、金融機関の間の資金取引に関する流動性リスクへの懸念を鎮めるため、短期金融市場に潤沢な資金供給を行いました。まず、98年9月には、金融調節の直接的な対象である無担保コールレート(オーバーナイト物)を、公定歩合(0.5%)を下回る0.25%前後に引き下げました。その際に、「経済がデフレ・スパイラルに陥ることを未然に防止し、景気悪化に歯止めをかけることをより確実にするため、(略)金融緩和措置を採ることが適当と判断した」という声明を発表し、短期金融市場に対して潤沢な資金供給を行う用意があることを強くアピールしました 。さらに、その5か月後の99年2月には、政策金利を事実上ゼロ%にまで引き下げ、必要があれば際限なく資金を供給し、短期の資金需要を全て満たす用意があることを打ち出しました。これは、日本銀行として実行できるオーソドックスな金融政策上の対応をギリギリまで追及した措置であると思います。以上がゼロ金利政策に至った流れです。

  1. 2「公定歩合の引下げおよび市場金利の引下げ措置について」(平成7年9月8日、日本銀行)、『日本銀行政策委員会月報』(第554号、平成7年9月、日本銀行政策委員会、pp.7-9)に所収。
  2. 3「金融市場調節方針の変更について」(平成10年9月9日、日本銀行)、『日本銀行政策委員会月報』(第590号、平成10年9月、日本銀行政策委員会、pp.1-3)、および、『金融政策決定会合議事要旨(1998年9月9日開催分)』(98年10月16日公表)に所収。

(ゼロ金利政策の解除に至る考え方)

 次に、日本銀行が、このゼロ金利政策を、1年半後の8月11日に解除するに至った考え方をご説明します。

 私個人は、当初から、ゼロ金利政策に反対し続けてきました。まず、その考え方をご説明します。ゼロ金利政策は、先ほど申し上げましたとおり、短期金融市場において無担保・翌日物のコール取引の金利を0.25%引き下げ、事実上ゼロ%にするという措置です。0.25%という幅の利下げが設備投資や個人消費などの実体経済活動に及ぼす影響については、一概には言えませんが、私は、当時の経済状況などから判断して、かなり限定的ではないか、と考えました。しかし、究極的な金融緩和の実体経済に及ぼす効果は限定的でも、当時、金融システム不安の背景の一つであった流動性懸念を払拭し、市場参加者のリスクテイク姿勢の萎縮を是正する効果があると考えることはできます。その場合には、まさに緊急措置であり、金融環境が正常化した後まで長期にわたって継続するべき措置ではない、と考えていました。

 一方、政策委員会の大勢意見は、デフレ懸念の払拭を展望できるような情勢に至るまでゼロ金利政策を継続し、経済活動を下支えすることが当面の最優先課題であるというものでした。そこで、私も、同じテーブルで議論を続けるために、「デフレ懸念の払拭」という判断基準に即して、金融経済情勢を評価し、ゼロ金利政策のプラス面とマイナス面を比較考量するという姿勢で金融政策運営に当たってきました。

 その後、日本銀行では、「デフレ懸念の払拭」の意味について、「分かりにくい」というご批判も踏まえ、次のような認識を説明してきました。すなわち、(1)現時点で物価指数が前年比でプラスかどうかということだけに着目するのではなく、先行きを展望して、需要の弱さに起因する物価下落圧力がどの程度残っているのかについての判断が重要であること、(2)こうした観点から、設備投資、個人消費といった民間需要が自律的に回復していく力についての評価が重要になること、(3)また、その際には、アップサイド、ダウンサイド両面のリスクを比較考量する必要があること、というものです。

 私も、こうした基本認識を共有しつつ、民間需要が自律的に回復する道筋として、(1)企業活動に前向きなモメンタムが出てくるか、(2)次に、企業活動の持ち直しが家計の雇用・所得環境の改善にどの程度波及するか、そして、(3)最後に、家計の雇用・所得環境の改善に伴って個人消費がスムーズに引き出されていくか、という3つのポイントを自問自答し続けながら、経済指標などの客観的なデータを丹念に見極めてきました。その結果、企業部門では、財務体質の強化を意識して総人件費を抑制するスタンスを続けている一方、設備投資は、(1)世界的な情報関連財に対する需要の増加、(2)金融システム不安の後退に伴って資金繰り不安が薄れていること、などを背景に、増加が続くという判断を強めて参りました。また、こうした中で、企業収益が増加し、業況感が改善していることなどから、企業活動回復の好影響が家計所得にも徐々に波及することが期待できると考えていました。私は、こうした情勢判断を踏まえ、ゼロ金利政策の解除を主張してきた次第です。

 政策委員会では、今年7月17日の決定会合において、「わが国の景気は、企業収益が改善する中で、設備投資の増加が続くなど、緩やかに回復している」と現状評価を行い、また、先行きについても、「海外経済などの外部環境に大きな変化がなければ、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い」と判断するに至りました。これは、決定会合の直後に公表したステートメント、および、その2営業日後に公表した『金融経済月報(2000年7月)』に、しっかりと書かれています。

 しかし、結局、ご承知のように、7月の決定会合の時点では、ゼロ金利政策の解除を見合わせました。その理由は、「日本経済は、ゼロ金利政策を解除する条件としてきた、『デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢』に至りつつある」と判断したものの、「最終的にゼロ金利政策を解除するためには、雇用・所得環境を含め、情勢判断の最終的なつめに誤りなきを期したい」、また、7月の決定会合の直前に起きた「いわゆる『そごう問題』については、市場心理などに与える影響をもう少しみきわめる必要性がある」ということに留意したものです。

 その後、市場参加者などの間では、株式相場が軟調な展開を続けていたこともあって、「株式市場が落ち着きを取り戻さない限り、ゼロ金利政策は解除されない」という思い込みが少なからずみられたように思います。しかし、7月の決定会合後に公表したステートメントをご覧頂ければ、そのメッセージの主役は、ゼロ金利政策を解除する条件として掲げてきた、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢に至りつつある」という情勢判断であることがお分かり頂けるのではないか、と思います。

 8月11日の決定会合については、その詳細は後日公表する『議事要旨』に譲りますが、先ほど申し上げたステートメントで明らかにしたように、夏季賞与などを含む雇用・所得環境の展望や、いわゆる「そごう問題」の金融資本市場のセンチメントに与える影響などを中心に、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至る最後の一歩について点検しました。例えば、いわゆる「そごう問題」が市場心理に与える影響については、ジャパン・プレミアム4や、社債流通利回りの対国債スプレッドなどが落ち着いた推移となっていること、あるいは、株式市場でも銀行株はそごうグループの法的整理申請直前まで戻していることなどを確認し、全体としては、「そごう問題」を契機に金融システムに対する懸念が広まったり、市場心理が大きく悪化するといった事態はみられないと判断しました。これらの点も含め、金融経済情勢を総合的に判断し、8月にゼロ金利政策を解除した次第です。

 なお、ゼロ金利政策は、プラスの効果があると同時に、様々な副作用も伴います。例えば、ゼロ金利政策が長期にわたって継続するという期待が定着しますと、経済の本格的な回復に必要不可欠な構造改革をむしろ阻害することもあります。また、長期にわたる超低金利政策は所得分配に歪みをもたらします。私は、政策委員会の中で、こうした面を比較的強く意識してきました。現在でも、私は、ゼロ金利政策を評価する場合に、その副作用は重要な視点の一つであると考えています。もっとも、今般の政策変更の理由は、「副作用があるから、また、緊急避難措置であるから、ゼロ金利政策を解除する」ということではありません。只今申し上げたとおり、あくまでも金融経済情勢の改善に歩調を合わせて、金融緩和の程度を微調整したものであると考えています。

  1. 4わが国金融機関がドル資金を調達する際に、欧米金融機関のドル資金調達金利に上乗せしなければならない金利の幅。

3.金融政策運営の独立性と透明性

 次に、第2のテーマに移ります。今般の政策変更を巡るマスコミなどの論調をみますと、日本銀行の「独立性」や、「市場との対話」が重要な焦点となっていたように思います。これらは、日本銀行法改正の基本的な理念である、金融政策運営の「独立性」と「透明性」に言い換えることができます。日本銀行では、これまでにも機会を捉えて、この理念と、具体的な取り組みなどを繰り返しご説明してきました。しかし、今回の政策変更は、新しい日本銀行法のもとで初の利上げであるということもあって、その意味が改めて吟味されたという面があるように思います。

(金融政策運営の独立性)

 そこで、最初に、金融政策運営の独立性を取り上げます。中央銀行の独立性については、まず第1に、金融政策の目的自体は国民の代表である立法府が決定しているということをきちんと認識することが重要です。現在の日本銀行法では、日本銀行の目的を「物価の安定」と「金融システムの安定」と位置付け、また、金融政策の理念は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ことであるとしています(日本銀行法第1条、同第2条)5。これは、国民が日本銀行に与えた使命です。

 第2に、この目的と理念のもとで実際にどのように金融政策を運営するか、という点については、中央銀行に意思決定の独立性を認めるということです。なぜ、中央銀行が政府から独立した存在であることが必要なのでしょうか。金融政策は、その効果が現れるまでにかなりのタイム・ラグを伴います。一方、一般論として、民主主義の下における政府は、選挙を意識して、より短い期間の中で経済活動を活性化することを目指す傾向があります。実際に、過去の中央銀行の歴史をみますと、通貨の増発によって軍事費などの財政支出を賄い、深刻なインフレを招いた例は少なくありません。すなわち、日本を含む多くの先進国には、その時々の利害が金融政策運営に影響を与えたことが、結局、長い目でみると国民経済の健全な発展を損なったという歴史的教訓があります。先進国の立法府があえて中央銀行に金融政策運営の独立性を与えていることは、こうした歴史的教訓に学んだ結果、自らに課した規律に他ならないと思います。

 さて、現在の日本銀行に話を戻します。新しい日本銀行法では、金融政策運営の独立性を具体化する仕組みとして、(1)政策委員会を構成する9人のメンバーは、国会の同意を得て、内閣に任命されますが、政府と意見を異にすることを理由として解任されることはなく、(2)政府が日本銀行に対してある特定の政策を採るように命令することはできないことになっています。

 ところが、日本銀行が法律的に政府から独立しているかどうか、ということと、実際に政府から独立して政策決定が行われているかどうか、ということは別の問題であるというご指摘もあるでしょう。エコノミストの間にも、「日本銀行が金融政策の面で独立性をどこまで確保できるかは、実際の運用にかかっている面が大きい」というご指摘がみられます。今般、日本銀行の独立性が改めて注目された背景には、ゼロ金利政策の解除が、この点を実証する初めてのケースとして受け止められたという面があると思います。

 私は、常々、このようなご指摘を、「金融政策運営の独立性は議決権を持つ政策委員会の9人のメンバーがそれぞれ独立した意思決定をできるのか」という問い掛けとして真摯に受け止めてきました。毎回の金融政策決定会合では、メンバーの一人一人が会合直前までそれぞれ精一杯準備して臨み、また、会合の中で他のメンバーと議論を重ね、その時点における最も適切な政策運営方針を決定しています。この点は、今般の8月11日の会合でも、また、これまでも、これからも、何ら変わるものではないと信じています。

 因みに、私自身のことを少しだけご紹介しますと、毎回の決定会合に臨むにあたっては、執行部による様々な分析・調査を勉強すると同時に、できるだけ機会を見つけて、外部の経済学者、マーケット・エコノミスト、企業経営者、あるいは、ジャーナリストの方々と意見交換させて頂いています。特に、独善に陥ることは避けなければなりませんので、私と異なる意見を持つ方々とも努めて議論させて頂いています。また、私は、日本銀行に参ります前から、労働省の中央職業安定審議会、総務庁の統計審議会などの委員も務めていますが、こうした場などを通じて、現在の経済情勢を少し異なる視点から捉え直すこともできます。そのうえで、金融経済情勢の判断、および、それに基づく金融政策運営方針について、私自身の責任で考え方をまとめ、毎回の金融政策決定会合に臨んでいる次第です。

 さて、このように金融政策運営の独立性の意義を申し上げますと、政府の経済政策の基本方針との整合性についてはどのように考えているのか、というご疑問をお持ちになるかも知れません。当然のことながら、日本銀行は、政府と十分な意思疎通を図らなければなりません。この点は、日本銀行法の第4条で謳われているとおりです6。こうした意思疎通は、日常的な意見交換などを含む幅広いものを指しますが、特に、新しい日本銀行法では、政府と十分に意思疎通を図るための制度的枠組みとして、金融政策決定会合への政府からの出席や議案提出権、議決延期を求める権利を定めています7。すなわち、政府からは、大蔵大臣または経済企画庁長官が、または、それぞれが指名するその職員が出席できることになっており、実際に、通常、それぞれ1名が出席しています(例えば、大蔵省からは政務次官、官房総務審議官、経済企画庁からは政務次官、調査局長、調整局長)。このように、金融政策の決定に至る過程は、政府に対して、極めてオープンなものとなっています。

 それにもかかわらず、時として、政府と政策委員会の多数意見がどうしても擦り合わないことはあり得ます。その初めてのケースが、前回、8月11日の金融政策決定会合で、政府は、ゼロ金利政策の解除という議案について、その議決の延期を提案しました。これに対して、政策委員会は、政府の議決延期の求めを否決し、政策変更を決定しました。

 こうした経緯について、マスコミなどの一部には、「政府と日銀が衝突した」などと捉える見方もありました。しかし、そもそも、新しい日本銀行法には、日本銀行に対して、政府との十分な意思疎通を図りながら、最終的には、日本銀行政策委員会の責任と判断に基づいて金融政策を決定することが明記されています8。したがって、今般の政策変更は、金融政策運営の独立性においても、また、政府との関係においても、新しい日本銀行法が規定する枠組みに基づいて、済々と行われたものであり、それ以上でも、それ以下でもないと理解しています。私は、先ほどのような一部のマスコミ報道に接して、「新しい日本銀行法の考え方がまだ十分に理解されていない」、したがって、「私どもは、現在の金融政策運営の枠組みについて、より一層説明に努めなければならない」と感じている次第です。

  1. 5日本銀行法における「目的」および「通貨及び金融の調節の理念」に関する規定は次のとおり。
  • 第1条 日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする。
  •  2  日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。
  • 第2条 日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。
  1. 6日本銀行法における「政府との関係」についての規定は次のとおり。
  • 第4条 日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。
  1. 7日本銀行法における「政府からの出席等」に関する規定は次のとおり。
  • 第19条 大蔵大臣又は経済企画庁長官は、必要に応じ、金融調節事項を議事とする会議に出席して意見を述べ、又はそれぞれの指名するその職員を当該会議に出席させて意見を述べさせることができる。
  •   2  金融調節事項を議事とする会議に出席した大蔵大臣又はその指名する大蔵省の職員及び経済企画庁長官又はその指名する経済企画庁の職員は、当該会議において、金融調節事項に関する議案を提出し、又は当該会議で議事とされた金融調節事項についての委員会の議決を次回の金融調節事項を議事とする会議まで延期することを求めることができる。
  •   3  前項の規定による議決の延期の求めがあったときは、委員会は、議事の議決の例により、その求めについての採否を決定しなければならない。
  1. 8日本銀行法における「日本銀行の自主性の尊重及び透明性の確保」に関する規定は次のとおり。
  • 第3条 日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。
  •  2  日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければならない。

(政策・業務運営の透明性)

 そこで、次に、日本銀行の説明責任に話を進めたいと思います。この説明責任とは、金融政策運営の独立性が許容される条件、ないしは、根拠であると考えられます。このため、日本銀行は、金融政策の決定内容とその過程について、その透明性を高めるように努めてきました。そこで、この点について海外の主要な中央銀行と比較しながら、その特徴点を整理して申し上げます。

 第1に、日本銀行は、毎回の金融政策決定会合における議論のあらましをまとめた『議事要旨』を1~2か月後に公表しています9。その内容の特色は、米国や英国が大勢意見を中心に整理しているのに対して、日本銀行では、少数意見も含め、議論の内容を比較的詳細に記述しています。なお、欧州中央銀行では、現在、議事要旨を公表していません。

 第2は、金融経済情勢の判断に関する資料の公表です。どのような情勢判断に基づいて金融政策を運営しているのか、という点について、毎月、『金融経済月報』で詳しく説明しています。これは、毎月初の決定会合で決定したうえで、対外公表しています。海外の中央銀行をみますと、米国は議事要旨の中で、また、英国は議事要旨の付属資料として、金融経済情勢についての見方を説明しています。欧州中央銀行でも、月初の会合の後の総裁記者会見で背景説明を含むステートメントを公表し、毎月中旬に月報を公表しています。

 第3は、議事録の公表です。日本銀行では、金融政策決定会合について、発言者の氏名を明記した逐語の記録である議事録を、10年後に公表することにしています。海外をみますと、米国では議事録の公表が5年後、欧州中央銀行では30年後となっていますが、英国は議事録を公表しない扱いとなっています。

 このほかにも、国会での答弁、講演、また、インターネットのホームページなどを通じて、日本銀行の政策運営の考え方を国民に理解して頂くように努めています。このようにして、日本銀行の金融政策運営に関する透明性は、先進諸国の中央銀行と遜色ないレベルまで高まっていると思います。さらに、現在、日本銀行では、こうした政策運営の透明性を向上させるために、もう一工夫する余地はないか、鋭意検討しているところです。

 ところが、今般の政策変更については、「市場との対話が十分ではなかった」、「対話ではなく、日銀からの一方的な通告だった」などというご批判もみられました。そこで、世の中にこうした認識があることをも念頭に置きながら、金融政策に関する説明責任のあり方について、私の問題意識を申し上げます。

 第1に、日本銀行は、今般の政策変更に至る過程で、『金融経済月報』などを通じて、景気情勢が着実に改善しているという情勢判断を示してきました。また、政策委員会の討議の概要をまとめた『議事要旨』では、政策委員会が、政策変更の時期をさほど遠いものとして議論している訳ではないことを伝えていたと思います。ところが、誠に残念なことですが、「市場が了解しない限り政策変更は行わない筈である」、あるいは、「日本銀行の金融経済情勢に対する判断はどうあろうと、政府や海外主要国の同意を得ないまま、独自の判断で金融政策を運営することはできない筈である」という全く誤った認識により、日本銀行が発するメッセージが素直に受け止めて頂けなかった面もあったのではないか、と思います。

 金融政策の効果が、どのような強さで、どのようなタイミングで実体経済に及ぶかについては、企業や家計などの経済主体が経済の現状と先行きなどをどのようにみているかという期待のあり方によっても変化します。金融資本市場においても、経済の先行きの見方などについて、多様な期待が生れています。金融資本市場で形成される価格は、将来の経済活動や金融政策運営などについての期待を含む、有益な情報を提供しています。その意味において、市場とのコミュニケーションは非常に重要です。

 しかし、私は、中央銀行と市場との関係は、一般的な意味での「対話」というよりも、むしろ、「市場に対する情報公開」によって促進されるものではないか、と考えています。すなわち、中央銀行は、まず、金融経済情勢をどのように判断し、それを踏まえて金融政策をどのように運営しようとしているか、などについて、その考え方を明らかにします。それとともに、金融資本市場でどのような価格が形成されるか、などを注意深くモニタリングすることによって、金融政策の意図が市場に的確に伝達されているか否かを把握するように努めるということです。

 なお、仮に市場参加者の期待形成にピッタリと追随して政策を運営しますと、少なくとも短期的には市場に動揺をもたらすことを避けることができるかも知れません。そうすれば、当面の金融政策運営が市場参加者などから厳しい批判に晒されることもないでしょう。しかし、金融資本市場における期待は、時として、行き過ぎることがあります。したがって、私は、そのような金融政策運営は、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」という政策の理念とは相反する結果に繋がるリスクがかなり高いと考えています。

 第2に、日本銀行の対外説明が、金融資本市場の参加者に止まり、国民一般には十分に届いていないのではないか、という懸念です。

 金融政策運営は、一般の国民の生活に大きな影響を及ぼします。したがって、中央銀行は、どのような考え方に基づいて、どのような金融政策を運営しているのか、ということを国民に説明し、その信認をしっかりと得なければなりません。このため、『議事要旨』では、金融政策決定会合における議論をかなり詳しく記述しています。また、『議事要旨』、『金融経済月報』などの対外公表資料や、本日のような講演の要旨、あるいは、日本銀行や金融政策などに関する解説なども、日本銀行のホームページで簡単に閲覧できるように努めています。因みに、インターネットのホームページへのアクセス件数は、今年の4~6月で平均して毎月約140万件、また、7月は約180万件に達しています。

 このように、日本銀行では、日本銀行法改正以来、対外説明の充実に向けて一生懸命に努めて参りましたが、その実績が2年半と短いこともあり、その説明振りや内容などが一般国民にとってまだ分かりにくいという面があるように思います。私事で恐縮ですが、私の知人には金融政策に馴染みが薄い者の方が多いのです。彼ら・彼女らは、私が日本銀行の審議委員を務めているということもあって、日本銀行の対外説明などを比較的関心を持ってみてくれていますが、「もっと平易な言葉で説明できる筈である」といった厳しい注文が寄せられることが少なくありません。一口に金融政策運営の透明性、説明責任と言いますが、その対象者はかなり幅広く、日頃から日本銀行の説明に対して積極的な関心を持って頂く方はむしろ少数であると覚悟するべきでしょう。したがって、例えば、一般の方がお読み頂くものについては、容易にご理解頂けるような説明を目指して、引き続き努力していきたいと思います。

 さらに、印刷物や、ホームページなど、いわゆる書き物を用意するだけでは不十分かも知れません。現在でも、日本銀行の正副総裁および審議委員は、全国各地を訪問し、日本銀行の諸施策の内容や趣旨をご説明申し上げるとともに、ご意見、ご要望を直接承り、金融政策や日本銀行の組織運営の参考にさせて頂いています。私自身も、本日は、こうした趣旨で当地に参りました。

 第3に、日本銀行では、従来から、景気動向に関する情勢判断について、「回復に向かいつつある」、「足踏みしている」など、定性的な表現で説明していますが、私は、これだけでは情報を受ける側、読む側が解釈する余地が大き過ぎるのではないか、そして、説明責任という点でさらに工夫する余地があるのではないか、と考えています。

 現在、日本銀行では、金融政策の運営の透明性を一段と向上させることなどを企図して、金融政策の目的である物価安定の内容をより明確にできないか、あるいは、物価・経済見通しの公表などについてどのように考えるか、などの論点を鋭意検討しているところです。

 金融政策運営方針の決定においては、金融経済情勢に関する、現状評価、および、標準的な見通し、さらには、先行きの上振れ・下振れリスクなどを総合的に判断しています。したがって、日本銀行が物価・経済の先行きをどのようにみているかという情報を伝達することは、金融政策運営の透明性を一段と向上させるとともに、市場参加者などの期待形成の振れを小さくするというメリットもあると考えられます。すなわち、市場参加者は、先行きの金融政策運営に関する自らの予測・見通しをも踏まえて、資金運用・調達のポジションをつくります。そこで、次回の決定会合までの期間を越えて先行きを見通すうえでの基本的な指針が示されますと、先行きの市場価格に関する予測の振れがより小さくなる可能性があります。

 もっとも、こうした見通しの公表には問題点がない訳でもありません。そもそも先行きについての見通しには当然のことながら不確実性が伴います。また、海外経済の動向や、為替レート、財政政策の前提など、多くの仮定や前提に依存せざるを得ません。であるからこそ、金融政策運営においては、柔軟に、かつ、中長期的な視点をもつことが非常に重要なのです。ところが、こうした経済見通しの限界や制約などが市場などに十分に理解されない場合には、経済見通しの公表が金融政策に関する見方をかえって撹乱させたり、あるいは、見通しの改訂が直ちに政策変更の憶測を招くことも懸念されます。

 さらに、わが国では、政府の経済見通しの達成度が、0.1%といういわば誤差のレベルで問題視されることを考えますと、見通しとは、本来は様々な仮定や前提に基づくものであり、誤差がつきものであるにもかかわらず、表面上の見通しの数字と実績の乖離ばかりが注目されたり、あるいは、見通しが政策目標と誤解され、かえって政策運営の手足が縛られる可能性などもあるでしょう。また、先般の政策変更の際にみられたように、「政府対日銀」という対立の構図で捉える誤った見方が根強い中では、政府の経済見通しとの比較ばかりに関心が集中するリスクも否定し切れません。

 現時点では、私も、以上のような様々な論点を吟味しているところであり、自分の見解を具体的に固め切っている訳ではありません。しかし、これらの困難な問題点はあるものの、金融政策の決定過程に関する透明性を一段と高めるために引き続き知恵を絞っていきたいと考えています。

  1. 9正確には、次々回会合の金融政策決定会合で承認した後、その3営業日後。

4.今後の金融政策運営

 さて、ゼロ金利政策を解除した後、金融資本市場は比較的落ち着いた展開になっているとみて差し支えないように思います。そうした中で、その後、新たに明らかになっている経済指標などをみますと、日本経済の歯車が前向きに回り始め、需給バランスが緩やかに改善していく可能性が高まっているという情勢判断を裏付けるものが少なくないと思います。このため、市場参加者などの間では、早くも、追加的な利上げの時期をうかがうような見方も一部でみられ始めているようです。

 しかしながら、わが国の景気が回復に向かいつつあるとはいえ、その一方で、重い構造問題を抱えながら、極めて緩やかな回復基調に乗った段階に過ぎないということを忘れてはならないと思います。

 すなわち、負のストック(すなわち、企業部門の過剰債務、金融機関の不良債権)の問題は、漸く改善の方向に動き出しつつあるものの、引き続き日本経済の重石であることには変わりがありません。例えば、金融機関の不良債権処理を全体としてみますと、期間収益を上回る不良債権処理額を強いられ、これを、有価証券含み益を含めた自己資本でカバーするという状況が、昨年度まで、過去6年間にわたって、続いていました。今後、金融機関が、期間収益力の引き上げにより、不良債権を処理しつつも、たとえ少しずつでも期間収益から自己資本の上積みを図れるようになるか、という点も今後の展開を考えるうえで一つの重要なポイントであると思います。

 また、私は、本来の専門分野が労働経済学ですので、雇用の問題には特に強い関心を持っています。

 このところ、新規求人数が増加を続けるなど労働需要に明るさが増していますが、常用雇用者数がなかなか増加してこないことは気掛かりです。この背景には、仕事の内容に関する需給のミスマッチという構造的な問題が大きく影響していると思います。例えば、現在、日本経済を牽引しているのは、いわゆるIT関連分野ですが、他方で、既存の分野から移動しようとしている人達が、即座に、高度なスキルを必要とするIT関連の仕事の求人に応えられる訳ではありません。したがって、企業、労働者双方の自発性がより発揮し易いような雇用環境を構築することが喫緊の政策課題であると考えています。このことは、短期的に需給のミスマッチ要因による失業率を引き下げるためだけではなく、高齢化・少子化が進行する下で労働力人口の低下が目前に迫っているという問題意識も合わせ持って、真剣に取り組むべき課題です。

 また、賃金は、個人消費の源泉であると同時に、様々な財・サービス価格を形成する基本的なコストでもありますので、両面において重要なインプリケーションを持っています。これまでのところ、労働需要の増加、企業収益の改善などを背景に、賃金の下げ止まり傾向にはどうにか歯止めが掛っています。この好影響が滲み出つつあることから、個人消費は、極めて緩やかなペースかも知れませんが、これまでのような一進一退という状況からは徐々に抜け出していくことが展望できるようになりました。

 もっとも、企業の総人件費抑制スタンスには目立った変化がありません。90年代における日本企業の資本収益率の低下には、労働需給などに比べて時間当たり賃金が高止まりしていることが影響していました。その背景としては、80年代末以降、週40時間労働を目指して時短が推進されたことや、年功賃金制度のもとで雇用者の高齢化が進んだことなどが影響していると指摘されています。現在、日本の企業が、グローバル・スタンダードを意識して、資本収益率の引き上げを重要な経営課題と位置付けていることを考えますと、労働生産性に即して賃金を設定する傾向は一段と強まるでしょう。その結果、当面、労働分配率は低下し続ける可能性が高いとみています。私は、このところの賃金の下げ止まりは物価低下圧力の弱まりを意味するものとして評価するとともに、先行きについては、賃金がどのようなタイミングでどの程度上昇していくか、という点にも注目していきたいと思います。

 したがって、現在、今後の金融政策運営に関する私の意見は、当り前のことではありますが、日本経済が、構造問題を抱えながら、今後、現実にどのような成長軌道を辿っていくのか、物価がどのように変動するとみられるのか、という情勢判断次第であり、その状況に即して政策を対応させていく、ということに尽きます。私は、こうした政策運営の考え方について、国民の皆様の理解を深めるためにも、金融政策が前提としている先行きの経済や物価について、私どもの見方をしっかりと説明していくことが必要であると認識している次第です。

5.おわりに

 私は、日本銀行法が改正される前の日本銀行について、「行動すれども説明せず」というフレーズをしばしば耳にしました。しかし、今日、日本銀行は、新しい法律の枠組みの中で、国民から金融政策の運営について非常に大きな権限を委ねられましたが、その一方で、自らの行動を説明し、理解して頂く義務を負っています。そのためには、日本銀行に身を置く一人一人が、広く報せ、広く聴き、そして、広く説明するという気構えで、自らの行動半径を広げなければならないと考えています。それが、説明責任の本来の姿でありましょう。

 皆様方には、今後とも、私どもの松山支店などを通じて、あるいは、もちろん私に直接でも構いませんので、どうか忌憚のないご意見などをお寄せ頂き、新しい日本銀行を育てるためにお力添えを頂きたいと願っています。私も、皆様のご意見などを踏まえ、より一層、自らの職責を果して参りたいと考えております。

 本日は、ご清聴頂き、どうも有り難うございました。

以上