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最近の雇用情勢について ——金融政策運営の視点から——

平成12年10月 5日・中部経済倶楽部における篠塚審議委員講演

2000年10月 5日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.ゼロ金利政策の解除と雇用・所得環境
    1. 2-1.デフレ・スパイラルの懸念
    2. 2-2.ゼロ金利政策の解除に至る考え方
    3. 2-3.賃金面からみた物価下落圧力
  3. 3.構造問題を抱えた下での雇用問題
    1. 3-1.雇用は流動化したか
    2. 3-2.雇用調整は変わったか
  4. 4.変わる雇用政策
    1. 4-1.人口構造の変化
    2. 4-2.雇用調整助成金の役割
    3. 4-3.オランダ・モデル
  5. 5.むすび

1.はじめに

 日本銀行審議委員の篠塚英子です。本日は、60年余の歴史を誇るこの中部経済倶楽部に、昨年4月に引き続き、今年もお話をする機会を頂きまして、有り難く存じます。

 さて、本日は、昨年4月と同様に1、私の専門分野である労働経済学の視点から、最近の雇用情勢に関してお話をさせて頂きます。前回の講演では、主として雇用の流動化と固定化に焦点を合わせましたが、1年半の時間を経てこのテーマにも新たな変化が表れています。また、この間には、ゼロ金利政策の解除という、内外の関心を集めた金融政策変更もありました。そこで、こうした最近の雇用情勢を金融政策変更と重ねて、私自身がどのように考えているかを、3つの論点に絞りお話ししたいと思います。

  1.    第1は、ゼロ金利政策を解除した時の、雇用・所得環境の考え方と、当面の雇用情勢に関する判断です。当然のことながら、金融政策の運営を検討する場合には、金融経済情勢をあらゆる角度から分析し、的確な情勢判断を行うことが不可欠です。そこで、ゼロ金利政策を巡って、私が、主に、雇用・所得面をどのようにみて議論に臨んでいたのか、をまとめます。
  2.    第2は、高齢化や少子化など、雇用の構造的な問題を抱えた下で起きている景気循環的な雇用問題について、特に雇用不安の背景について、雇用の流動化および若年層と中高年層との対立などから考えます。
  3.    第3に、日本の雇用環境が大きく転換しつつある中で、現在雇用政策が直面している課題の一つである雇用調整助成金を取り上げます。その中で、労働市場改革の成功例として時々取り上げられるオランダのケースにも言及する予定です。
  1. 1篠塚(1999)。

2.ゼロ金利政策の解除と雇用・所得環境

2-1.デフレ・スパイラルの懸念

 日本経済にとって、1990年代は「失われた10年」であるというフレーズがすっかり定着した感があります。確かに、90年代は、96年頃の一時期を除き、全体として不況感の強い経済状況が続きました。実質経済成長率の年度平均でみると、80年代の3.8%から、90年代には1.7%、さらに95~99年度という最近5年間に限れば1%弱へと大きく低下しました。特に、日本経済は、97年第4四半期以降、実質GDPが5四半期連続して減少するという厳しい経済状況に直面しました。

 当時を簡単に振り返りますと、日本経済は、物価下落と需要減退の悪循環であるデフレ・スパイラルの瀬戸際に立っていたと言うことができます。すなわち、バブル崩壊後、資産価格の下落が顕著で、そのため各経済主体の持つ担保価値は大幅に低下し、これによるバランスシート調整と、金融システムにおける不良債権の増大が生じていました。こうした中で、97年から98年にかけて、消費税率引き上げ、東アジア経済危機、金融システム不安の高まりなどの影響が重なる中で、総需要が減退し、これが企業収益を減少させ、賃金が低下し、物価は下落しました。その意味でも、バブルの発生と崩壊が今回の不況に大きく関連していることだけは明らかでしょう2

 物価の下落は、債務者の実質的な返済負担を増大させます。債務者は債務返済が困難化する一方、債権者は債務不履行のリスクが高まり、これを回避しようとする債務者・債権者双方の行動はさらに萎縮し、金融仲介機能の低下を通じて、総需要は一層収縮しました。

 こうした厳しい経済状況に直面し、政府は、98年初頭以降、大型の景気対策を打ち、さらに、金融システム面でも、公的資金による金融機関の資本増強策を進めました。他方、日本銀行では、一段と金融緩和政策を強化し、金融調節の直接的な対象である無担保コールレート(オーバーナイト物)を、98年9月に公定歩合(0.5%)を下回る0.25%前後に引き下げ、さらに、その5か月後の99年2月には事実上ゼロ%にまで引き下げました。いわゆる、ゼロ金利政策です。

 こうした政策対応が奏効し、さらに海外経済の回復にも支えられ、景気は、昨年春頃に漸く下げ止まり、最近では、企業収益が改善する中で、設備投資の増加が続くなど、緩やかに回復しています。そこで、日本銀行では、今年8月の金融政策決定会合において、金融経済情勢の判断を、これまでゼロ金利政策解除の条件としていた、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったとみて、ゼロ金利政策の解除を決定しました。

  1. 2篠塚(2000)、および、翁・白川・白塚(2000)。

2-2.ゼロ金利政策の解除に至る考え方

(解除の鍵は雇用・所得環境)

 そこで日本銀行がゼロ金利政策解除に至った考え方を、主に雇用・所得面から説明したいと思います。

 金融政策決定会合の議論を要約した『議事要旨』の中で明らかにしているとおり、ゼロ金利政策を解除する約1か月前の7月の決定会合では、多くの委員から、「民間需要の自律的回復の道筋がみえてきた」、さらに、「デフレ懸念の払拭という基準からみてゼロ金利政策を解除する条件は満たされた」といった発言が相次ぎました。しかし、同時に、「民間需要の自律的回復の持続性を見極めるためには、雇用・所得環境について、夏季賞与を含めた賃金全体の姿を念の為に確認したい」という意見もあり、討議の結果、7月時点ではゼロ金利政策の解除が見送られ、結局、8月に解除となりました。なお、私自身は、特に労働分配率の動向に注目していました。

(労働分配率)

 先ほど、日本経済がデフレ・スパイラルの瀬戸際に立っていたと申し上げました。一般的に、デフレ・スパイラルが発生した場合には、製造業を例に取りますと、製品価格の低下に直面した企業は、その価格低下に対応するレベルにまで、人件費を即座に削減することはできません。その結果、ユニット・レーバー・コスト(=雇用者所得÷実質GDP)が上昇し、これが労働分配率の上昇となり、結局、企業収益を圧迫します。この結果、企業の投資やその他の支出がさらに削減され、賃金は大幅に低下します。企業収益と雇用者所得はともに減少しますが、労働者の生活を支える賃金は、価格の低下に対し時間的な遅れをもって下がるため、企業収益は圧迫され続けることになります。

 こうした一連の流れが加速されると、価格低下から、収益減少、賃金低下、雇用減少、そして消費減少、需要減による生産削減、さらなる価格低下というデフレ・スパイラルになります。その流れを判断するうえで重要な指標の一つに労働分配率があります。デフレ・スパイラルの危機に直面した企業は、収益の悪化に陥り、本格的に総人件費の削減に取り組みました。このことは、企業収益の悪化を緩和する一方で、雇用者所得を減少させるという影響をもたらしました。

(雇用・所得の状況)

 当時の雇用関連指標をみましょう。労働需給については、有効求人倍率が99年に0.48倍と統計開始以来の最低レベルになりました。こうした中で、戦後半世紀、一貫して増加し続けてきた雇用者数(労働力調査)をみますと、98年、99年と2連続して初めて前年比で減少となりました(各々、23万人減、37万人減)。また、98年、99年には、名目賃金(現金給与総額)も同じく前年実績を下回ったことから、雇用者数と賃金を掛け合わせた雇用者所得は大きく落ち込みました。こうした結果、労働分配率は、99年度以降、製造業・非製造業、大企業・中小企業を問わず、大幅に低下しています3。最近時点の大企業製造業では、90年代のピーク時に比べ、12.4%ポイント(大企業非製造業でも7.8%ポイント低下)もの減少をみています。このように最近の企業の人件費抑制スタンスは、過去の景気回復局面と比べて、かなり強いとみられますが、この背景として、わが国の企業が資本効率を強く意識し始めたことを指摘できると思います。

(消費の低迷)

 こうした状況は、個人消費を減少させる可能性を高め、その結果さらに賃金・物価の累積的な下落の引き金になるリスクを内包しています。したがって、仮に、企業が、総人件費などのコストを削減することによって、企業収益を確保しようと努めるだけであれば、結局は企業部門の立て直しもうまく行かないことになります。ところが、実際には、2000年に入り、幸いにして、企業部門は、収益の増加などを背景に設備投資や広告などその他の支出を積極化させました。すなわち、設備投資は、情報関連を主体に製造業が牽引するかたちで、基調としては増加しており、先行指標などからみて、今後も増加が続くと見込まれます。また、鉱工業生産は、こうした情報関連財や輸出全般の伸びなどを背景に、増加傾向を辿っており、直近の今年8月の生産指数(速報)はバブル期のピーク(91年5月)を上回って過去最高となっています。

 こうした中で、雇用面でも、新規求人数が増加を続けるなど労働需要に明るさが増しており、雇用者数もほぼ横這いで推移するまでになりました4。また、賃金についても、所定外を中心にした給与が緩やかに増加しているほか、夏季賞与も前年水準を僅かながら上回っています5。したがって、バブル崩壊以降の構造問題を抱えたままでの緩やかな回復であるため、企業の人件費抑制スタンスに大きな変化はないものの、雇用者所得の減少傾向には全体として歯止めが掛かっているといってよいでしょう。繰り返しますと、企業部門における収益増加や生産活動の積極化につれて雇用・所得環境の緩やかな改善を見込み得る下地が整ってきているとみています。

 それというのも、雇用不安が徐々に薄れてきていることなどを背景に、各種の消費者コンフィデンスを示す指標に明るさが表れてきたからです。したがって、私は、個人消費について、今後、雇用者所得が緩やかな増加に転じれば、いずれ増加していく可能性が高いとみています。ただし、このところ、百貨店やチェーンストアのような伝統的な販売関連指標だけでは、個人消費の実勢を把握し切れないと言われています。卸・小売業の競争が厳しくなっている中で、新しい業態や新興企業の動向が統計にはまだ十分に反映されていないようです。

  1. 3労働分配率について、『法人企業統計』(大蔵省)に基づいて計算すると(=人件費÷(人件費+営業利益))、90年代のピークは、製造業・大企業が98年第4四半期の85.7%、製造業・中小企業が98年第3四半期の91.9%、また、非製造業では、大企業が98年第4四半期の79.8%、中小企業が98年第2四半期の91.3%となっている。このピークから直近(2000年第2四半期)時点までの変化幅をみると、製造業・大企業では−12.4%ポイント、製造業・中小企業で−7.4%ポイント、非製造業・大企業で−7.8%ポイント、非製造業・中小企業で−4.0%ポイントとなっている。
  2. 4『労働力調査』(総務庁)ベースの雇用者数(前年比)をみると、2000年1~3月に−0.4%と減少した後、4~6月には+0.4%、7月+1.0%、8月+0.2%と増加した。一方、『毎月勤労統計』(労働省)ベースの常用雇用指数(事業所規模5人以上、前年比)は、2000年1~3月−0.2%→4~6月−0.3%→7月−0.1%→8月−0.2%、と緩やかに減少し続けており、両統計の動向に相違がみられる。
  3. 5<現金給与総額の前年比(事業所規模5人以上)は、99年10~12月−1.2%→2000年1~3月+0.7%→4~6月+1.1%→7~8月−0.4%。

2-3.賃金面からみた物価下落圧力

 以上、主に個人消費の源泉という視点から、雇用者所得を巡る環境の変化と当面の展望についてお話ししてきました。ところで、雇用者所得は雇用者数と賃金に分けられますが、その賃金には、同時に、様々な財・サービス価格を形成する基本的なコストという側面があります。そこで改めて、賃金と物価の関係について簡単に整理します。

 まず、最近の物価情勢をみますと、国内卸売物価は、技術進歩の速い電気機器など機械類の値下がりを石油関連製品の値上がりが相殺する中で、全体としては横這いで推移しています。一方、企業向けサービス価格は、企業のコスト削減に向けた厳しい姿勢が続く中で、リース・レンタルや一般サービスの低下などを反映して、小幅の下落を続けています。そして、消費者物価は、幾分弱含みの推移が続いています6

 このように消費者物価がやや軟調に推移している背景については、需要面をみますと、先ほどご説明したとおり、企業部門を中心にした緩やかな景気回復が続いている中で、個人消費回復の足取りが弱いものの、国内需給バランスは緩やかに改善し続けており、「需要の弱さに由来する物価下落圧力」はかなり薄れています。一方、供給面では、流通合理化(特に、グローバルに利用されている安値で高い品質の製品を供給するビジネス・モデルの導入)、規制緩和、為替円高化などの影響が物価を押し下げる現象もみられています。

 こうした中で、賃金が物価に与える影響はどうか、という論点があります。経済全体としては、賃金が切り下げられると、必ずそれは物価下落圧力の高まりに繋がります7

 過去の景気回復局面を振り返りますと、現在との違いが明確です。一般的に、景気が回復し始めますと、製造業において、労働生産性が上昇し、一旦はユニット・レーバー・コストが低下します。景気の回復が続きますと、いずれかの時点で賃金が引き上げられ、この段階で、製造業と非製造業の賃金が乖離します。そこで非製造業では、生産性が製造業ほどには上昇していないにも拘らず、人材確保などの理由から、賃金を製造業に鞘寄せするように引き上げる傾向がみられます。この結果、非製造業では、労働生産性に比して実質賃金が高めに設定され、労働分配率が上昇しますので、収益を確保するためには、コスト上昇分を価格に転嫁せざるを得なくなります。このようにして、グローバルな競争に晒されるモノとの比較でみたサービスの価格は一段と割高になります。これが可能であった背景には、参入規制をはじめとする非製造業に対する手厚い保護政策が強く影響していたと思います。

 しかし、今回の景気回復局面では、過去の景気回復局面と比べて、製造業と非製造業の間で若干の差はありますが、企業収益の改善と労働分配率の低下が同時に進行し続けていることが特徴的です。この背景には、わが国の企業が、資金調達面で資本市場への依存を高める中で、企業格付や、株式持ち合い関係がない一般の株主に対する意識を強め、従来の売上げ重視から、ROA(使用総資本利益率、rate of Return on Asset)やROE(自己資本純利益率、rate of Return on Equity)を重視する姿勢に転換していることを指摘できると思います。

 こうした経済構造の変化が背景にあることを考えますと、今後、景気が緩やかに回復するとしても、企業の人件費抑制スタンスは続き、労働分配率が引き続き低下する可能性が高いように思います。したがって、賃金面からコスト・プッシュ圧力が高まるといったリスクは、当面、私の視界にはまだ入ってこないのではないか、とみています。

  1. 6国内卸売物価・前年比は、4~6月+0.3%→7~8月+0.3%。消費者物価(除く生鮮食品)・前年比は、4~6月−0.3%→7~8月−0.3%。また、企業向けサービス価格・前年比は、4~6月−0.6%→7~8月−0.6%。
  2. 7吉川(1999)。

3.構造問題を抱えた下での雇用問題

 次に少し視点を変えまして、日本の雇用システムにどのような構造変化が生じているかについて、(1)雇用の流動化はどの程度進んでいるか、(2)若年層と中高年層の間で雇用機会のバランスをいかに確保するか、という2つの視点から取り上げます。

3-1.雇用は流動化したか

(非固定的な慣行か)

 日本の雇用慣行については、硬直的で、流動化が進まず、転職者や解雇が抑制されているという通説がまだ根強いと思います。例えば、米国FRB(連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長は、最近の講演の中で、(1)技術革新による利益率向上の主要な源泉は労働コストの削減である、(2)したがって、技術革新の恩恵を享受するためには、流動的な労働市場の存在が不可欠である、(3)ところが、日本などのアジア諸国や欧州の大陸諸国では、米国に比べ、法制や雇用慣行などの違いによって、労働市場の流動性が劣る、と指摘しています8。日本の公的統計がこうした情報を多く発信しているので、当然のことかも知れません。

 例えば、平成5年『労働白書』では、「労働市場が流動化しつつある現在も、わが国では転職コストの高い状態が依然として続いており、失業なき労働移動を難しくしている」と指摘したうえで、例えば、男子高卒の生産労働者が30歳前後で転職する場合には生涯所得が1,900万円減少する、という試算結果を紹介しています。

 しかし、仮に転職がそれほど大きな損失を伴う非合理的な行動であるとしましたら、転職によって賃金が上昇した者が転職者全体の3割を占めているという『雇用動向調査』(労働省)9を説明できません。このことから、流動性の実態をみるためには、転職した人を直接調査対象にしたデータが必要であるということになります。

 というのは、日本の労働市場では終身雇用がタテマエで、雇用政策もこれを前提に行われてきたため、これまでは、入・離職した労働者に焦点を当てた調査の重要性がさほど高くなかったのです。しかし、現在のように、流動化の議論が活発になりますと、こうした統計が存在しないことが問題になります。

 こうしたデータの必要性を早くから指摘してきた慶応大学の樋口美雄氏は、一定期間、同一個人を追及したパネル・データの開発を呼びかけた結果、支援機関の協力も得て、93年からようやくこうしたパネル・データで分析をできるまでになりました。そのデータを利用した転職者についての研究成果によると、99年時点で30~33歳である男性で転職経験を持っていた人の割合は2人に1人と驚くべき高さで、しかも転職者の転職前の賃金水準を継続就業した者と比較しますと前者が2割弱低かったため、転職によって賃金は上昇していました10。つまり、実際に転職した人に限れば、転職行動は決して経済的不合理な行動であるとは言いきれないのです。現在のように産業構造の変化が大きく、人々の意識変化が激しい社会では、統計開発の遅れが適切な政策実施の判断力を鈍らせる懸念もあることを指摘しておきたいと思います。

(不況で移動は低下)

 次に、利用できる統計から、雇用の流動化現象の推移をみましょう。通常、パート・アルバイトなど非正規雇用の割合が高まることを「雇用の流動化」として捉えることもあります。しかし、一般に労働経済学者の間で議論されている流動化とは、常用労働者が既存の会社を辞めて別の会社に転じることを指しています。すなわち、主たる関心は、正規雇用者の間の移動であり、この移動がスムーズに行われているか、その阻害要因は何か、という内部労働市場における流動化問題です。しかし、外部労働市場、すなわち非正規雇用のウエイト(女性や高齢者、外国人労働者などマイノリティ・グループ)の増加は今後ますます大きくなると予測されます。他方で、この動きは内部労働市場にも影響を与えるために、両者の移動に注目すべきと思います。

 流動化を示す指標としては、労働移動者の入職率と離職率が一般的です(『雇用動向調査』)。この入・離職率とは、それぞれ在籍常用労働者に対する、入職者と離職者の割合のことです。この移動率は、バブル崩壊以降、時系列ではあまり大きな変化がないといってよいと思います。99年時点では入職率は14.0%、離職率は15.0%と、離職率の方が高いのですが、比較のために過去10年間のピークである90年をみますと、当時のほうが現在に比べ入・離職率ともに1%ほど高く、また入職率(16.8%)の方が離職率(15.3%)よりも高いという、現在とは逆の状況でした。さらに、性別では、女性は男性に比べて移動率は6~7%ポイントも高く、また、年齢別では、若年層(20歳以下)と高年層(60歳以上)のグループで高い移動がみられました。さらに、パート労働者は、一般労働者に比べ2倍近い入離職を繰り返しています。

 結局、雇用過剰感が根強い現時点の方が、バブル期よりも移動率は沈静化しており、入職率よりも離職率が高いというのが現状の特徴です。しかも、常用労働よりはパートなどの非正規雇用で移動が上昇しているのです。常用労働者の間での流動化は、不況の中でさほど進んでおらず、むしろ非正規雇用へのシフトによって流動化が顕著になっていると思います。

(非正規雇用の増大)

 このように外部労働市場における流動化は、内部労働市場とは様相が異なり、急増しています。この非正規雇用の変動を「パート・アルバイト」や「出向・派遣・その他」からなるグループに括り雇用者(役職者を除く)に占める割合としてみたものを非正規雇用率と呼んでおきます11。この比率は、2000年2月には26.0%で、90年に比べ 6%ポイントも上昇しました。

 また、女性に限ってみますと、2000年には46.4%で2人に1人弱の高い割合です。女性の社会参加が喧伝されているのとは逆に、今次の景気後退の中で、むしろ女性の労働力率は、この間、横這いから最近では若干低下気味です(97年の50.4%から99年は49.6%)。他方、最近、IT関連産業が脚光を浴びている中で、ニューエコノミーとオールドエコノミーという業種間の二極化現象が指摘されていますが、労働市場においても、正規雇用と非正規雇用の二極化が拡大し、特に非正規雇用の中で男性対女性の二極化が進行している点が気になるところです。

  1. 8Greenspan(2000)
  2. 9転職により賃金が上昇した者3割のうち、1割以上賃金上昇したものは17%。労働省『雇用動向調査』1999年度。
  3. 10樋口(2000)は、93年時点で24~34歳であった者(女性1,500人、既婚男性1,002人)をサンプルとして固定し、その同一個人を毎年追跡調査したパネル・データに基づいて、転職者の動向を分析した。
  4. 11総務庁『労働力調査特別調査報告』(2000年2月)。「パート・アルバイト」と「出向・派遣・その他」を合計したものを非正規雇用とし、雇用者(除く役職者)合計に占める割合を非正規雇用比率とした。

3-2.雇用調整は変わったか

(賃金、人員、労働時間の調整)

 他方、雇用の流動化を企業側からみますと、雇用調整が進むことであり、これはコスト要因として人件費に影響が及びます。人件費は、労働投入量である人員ベース(マンアワー)と賃金ベースに分けられます。すなわち、企業からみた流動化とは、労働時間、賃金、雇用者数の3つの変数をいかに調整するかということです。そこで、企業が対応し易いのは、労働時間、賃金、雇用者数という順であると思います。

(雇用と賃金がともに減少)

 過去の雇用調整をみますと、(1)賃金調整が先行し、(2)人員調整はやや遅れる、(3)しかも、賃金と雇用者数がともに前年を下回ることはなかった、という特色がありました12。ところが今回の不況では、(1)賃金調整と人員調整が同時に起こり、(2)賃金も雇用も2年連続前年を下回るマイナスという、統計開始以来の厳しい状況に至りました。

 労働経済学ではこうした企業の雇用調整の速度を測る一つの手段として、雇用調整関数を計測するというのがあります。

 因みに、私がオイルショック時の雇用調整関数を分析したのは、日米欧の比較ですが、当時でも日本の雇用調整は通常言われるほど、固定的ではなく、米国には遅れるものの、欧州よりは調整速度が高いという結果でした。当時の私の計測では時間調整が大きくでましたが、賃金調整の計測パラメータは有意ではありませんでした13

 ところが、今年の『経済白書』では、90年代について雇用調整関数を計測していますが、賃金調整が有意な結果になっており、日本の雇用慣行がより弾力的な方向に変容し、賃金と雇用がともに同時に調整されるという米国型に一段と近付いていることを示しています14。98~99年における雇用不安の高まりは、こうした計測結果でも裏付けられているように思います。

(賃金調整の背景)

 このように97年秋以降の景気後退局面では、賃金の調整と雇用者数の調整が同時に進行し、さらに両変数はいずれも98年、99年と2年連続して前年を下回りました15。これを背景に、名目雇用者所得の前年比は、97年度の+2.0%から、98年度には−1.6%と大きく減少し、99年度にも−0.7%と落ち込んでいます。

 これまで日本では名目賃金は下方硬直的であるという見方が一般的でした。では一変した賃金調整の変化についてどのように説明したら良いのでしょうか。断定的な言い方はできませんが、企業の賃金体系に変化が生じている可能性を指摘できます。すなわち、日本的雇用慣行の特徴の一つに年功賃金体系が挙げられますが、これは、「若年時に生産性を下回る賃金しか支払わない一方、中高年時にはその分を還元する」という暗黙の契約が結ばれていることを意味します。若年に厳しく中高年層に手厚い年功賃金体系は、これまで中高年人口が相対的に少なかった時代には機能しましたが、現状では成り立たなくなっています。そこで、最近、企業では、能力給制度の導入など、個々人の労働生産性に応じたかたちで賃金体系を見直す動きがみられます。

 したがって、私は、98年、99年と2年連続して賃金が減少した背景としては、景気の悪化に対応して緊急避難的に賃金が引き下げられたというよりも、年功賃金体系が本格的に修正され始めている、構造的な変化の可能性があるように思っています。

(希望退職)

 現在、雇用調整は最悪期を脱したと思われますが、構造改革を進めながらの緩やかな回復ですから回復感には乏しい状況です。次に、こうした不況期に実施された最も厳しい雇用調整の一つである希望退職について触れたいと思います。

 上場会社のうち、希望退職者募集の実施を公表した主な企業を抽出して、その募集状況を調べた調査があります16。この原資料は適時開示の『会社情報に関する公開資料』であり、上場企業自身が自社の「合理化等による人員削減」計画を公表したものです。この調査から、雇用不安が最も深刻であった99年1~3月時点で、希望退職募集を実際に実施あるいは、年内実施予定を公表した上場・店頭登録企業は74社で、そのうち対象者を特定化したのは61社でした。この対象者を特定化した企業のうち、希望退職の年齢を45歳以上に制限をした企業が最も多く21社でした(残りは40歳以上や50歳以上)。働き盛りを含む45歳以上の中高年層が希望退職募集の主要な対象になっているのは、この年齢層が企業にとって最も人件費の負担が大きいためです。

 しかし、長期勤続者が解雇の対象になることは、短期的には企業にとって合理的にみえても、長年培った熟練者が企業成長に寄与していたことを考慮すると、果たして中長期的にみて、合理的な選択かどうか、議論が分かれるところです17

 この希望退職数の動向は、景気回復に入った2000年、異変が生じています。上場会社の従業員数は、先の調査開始(94年)以降、平均して年2%程度の減少となっていましたが、2000年3月決算期には、前年比−9%と、減少幅が大幅になったのです18。その原因は、(1)2000年3月決算から連結主体の新様式に変更したことに伴い、これまで出向などが含まれていた「在籍人員」ベースから、実際の「就業人員」ベースに変更したのに加え、(2)持ち株会社に伴うグループ戦略強化として分社化が進行したためです。

 この結果、希望退職募集企業数も151社に増え、4割の企業で従業員を1割以上削減しておりました。当然、そのため特別退職金等の特別損失額も開示し、115社合計で1,448億円に上りました。景気は99年春に底を打ち現在も緩やかに回復しているものの、雇用調整は依然進行中です。次に、こうしたリストラの対象である中高年者の雇用問題に移ります。

  1. 12経済企画庁(2000)。
  2. 13篠塚(1989)。
  3. 14経済企画庁(2000)。なお、雇用調整関数の計測結果は、付表1-1-4(5)、p.292。
  4. 15例えば、雇用者数について、『労働力調査』(総務庁)をみると、98年、99年と2年連続して前年に比べて減少した(前年比では、98年−0.4%、99年−0.7%)。これを実数でみると、98年には33万人、99年には36万人が減少した。他方、賃金面について、『毎月勤労統計調査』(労働省)の現金給与総額(賃金指数)の前年比をみると、98年には−1.3%、99年には−1.3%と2年連続して減少した。特に、特別給与は最も大幅に減少した(98年は−5.0%、99年は−5.8%)。
  5. 16関(1999)では、この希望退職募集調査結果について、98年に希望退職募集を実施した62社と、次いで99年 1~3月の決算期を控えた時期の74社について、2時点報告している。
  6. 17村松(2000)は中高年のリストラについて文献から日米比較を行い、最も流動的な米国で実は長期雇用関係が主流である、という実態や研究を紹介している。また小池・小柳(1999)の中で、小池氏も、流動化ではなく長期雇用にしたほうが、国際競争力は高まる、と論じている。
  7. 18(株)東京商工リサーチ『1999年度下半期、上場会社従業員数調査』(2000年8月14日)および『1999年、主な上場会社、希望退職者募集状況調査』(2000年1月19日)。

3-3.若年層と中高年層の雇用機会の確保は両立するか

 このように、希望退職募集では、中高年層が主な対象となっています。しかし一方、最近、中高年層がむしろ若年雇用を締め出しているのではないか、という議論もみられます。

 すなわち、最近、若者のフリーターが話題になっていますが、彼らは、長引いた就職氷河期の犠牲者であり、好んでフリーターになった訳ではなく、中高年雇用を手厚くする保護政策(雇用維持や賃金確保、賃金補助といった仕組み)が若年層の雇用機会を締め出しているのではないか、という議論です19

 確かに、雇用調整を実施している企業をみますと、在籍労働者をまず守るため、真っ先に新規学卒者の採用手控えを行うというのが、人件費カットの常套手段でした。そこで、日本銀行の『企業短期経済観測調査』(「短観」)について、12月調査時点における翌春の新卒者採用計画をみますと、昨年12月時点では、大企業で前年比−29.7%、全規模合計で同−20.6%となっており、正に就職氷河期というべき状況でした。他方、雇用人員判断(全産業全規模合計)をみますと、昨年12月時点では依然として雇用過剰感がかなり強い状況でしたが、その後、回を追って過剰感が後退しています20。こうした雇用過剰感の後退を反映して、実際に学校を卒業したものの就職できなかった若者は、99年平均で17万人とピークに達しましたが、2000年入り後は減少に転じています21。こうした改善傾向が続けば、来春の新卒採用状況が今春ほどには厳しくならない可能性もあると思います。

 過去の日本経済に貢献してきた中高年層には相応に報いる一方で、未来の労働力である若年層の雇用を守ることは極めて重要な課題です。そこで、中高年層の雇用維持と若年層の雇用創出は本当に両立できない関係なのか、という疑問が出てきました。今年の『労働白書』はこの点をメイン・テーマに興味深い議論を展開していますので、私なりに注目点を2つにまとめました。

 第1に、高齢者の雇用確保のために、米国のような年齢差別禁止法を日本にも導入すべきという意見に対して、労働白書が否定的な見解をとっていることです。その根拠として、定年制が定着している日本においては、よほどのことが無い限り定年まで解雇されないという判例が確立されており、そうした定年制を残したままで年齢差別禁止法を導入すれば、企業の求人意欲を殺いでしまう恐れがある、という考え方が示されています。そこで、当面の高齢者雇用を維持・拡大するための政策対応としては、企業に対し年齢要件の緩和を積極的に働き掛けること、というマイルドな結論になっています。

 第2の注目点は、若年層と中高年層の雇用トレード・オフ論には否定的であることです。その根拠として、(1)現在、失業率の4分の3は労働需給のミスマッチによって説明されること、そこで、(2)特に若年層における求人・求職のミスマッチ解消を行政的に働き掛けることによって、より少ない若年層とより多い中高年層といった年齢間のミスマッチを軽減させることができる筈であること、さらに、(3)今後、若年の労働力が急速に減少していくことから、高齢者の雇用継続は必ずしも若年層に悪影響を及ぼすとは限らないこと、という比較的楽観的な見方を示しています。

 私自身は、中長期的展望としては、『労働白書』が説くような理想論に与したい気持ちを否めません。しかし、短期的な景気循環の下で若者が新卒採用削減という犠牲を強いられているのが現実である以上、こうした現状を緩和することが行政の役割であると考えます。そのための一つの解決策は、高齢者が、年功賃金で守られてきた賃金カーブの傾きを緩くし、これまでよりも低い賃金に修正することを受け入れ、その代わりに、彼らの雇用維持を保証することが考えられます。こうした方向で労使が合意するように行政的な働き掛けが必要であると思います22

 結局、賃金は、基本的には生産性に応じた成果配分となるように、年齢に関係ない賃金カーブへと修正することが、延いては、高齢者の雇用維持につながるのです。しかし、いうまでもなく、高齢化、少子化という人口構造の変化に対応した雇用慣行、人事管理の見直しは、本来、労使間で協議されるテーマです。これまで、行政は、こうした協議において中立的な役割に退くことが求められ、何か事が起きた場合に備えたセーフティ・ネットの構築に努力を結集させてきました。しかし、今日、限られた財源と人的資源を有効に活かしていくためには、雇用政策を弱者保護政策から峻別させる勇気が、国民全てに求められているのだと思います。

  1. 19玄田(2000)。
  2. 20雇用人員判断DI(雇用人員の過不足について、「過剰」と回答した企業の割合から「不足」と回答した企業の割合を差し引いたディフュージョン・インデックス)の「過剰」超幅は、99年3、6月がピークで32%ポイント、その後、昨年12月実績18%ポイント→今年9月実績11%ポイント→12月予測9%ポイント、と改善している。
  3. 21学卒未就職者数は年度末に増加するという季節性をもつため、前年差でみると、99年4~6月+6万人→2000年4~6月±0万人、と沈静化した(総務庁『労働力調査報告』)。
  4. 22大竹(2000)。

4.変わる雇用政策

4-1.人口構造の変化

 これまで、雇用の流動化や、若年層と中高年層の雇用機会の問題を取り上げましたが、この背景には、少子化・高齢化という構造変化が強く影響していると思います。

 まず、人口予測を確認しておきます。99年9月に公表された労働省『第9次雇用対策基本計画』では、先行き10年程度の展望が発表されていますが、労働力人口は5年後の2005年にピーク(6,856万人)に達し、それ以降減少に転じる姿になっています。さらに、5年後の2010年には6,736万人になり、わずか5年間で120万人の激減となるとみています。しかも、年齢構成の変化を、1998年~2010年の12年間でみると、15~29歳の若年層が約400万人減少する一方、55歳以上の中高年層は約380万人増加しており、この2つの年齢層の人口増減が対照的です。こうした目前に迫っている人口構造の変化は、当然のことながら、税収、社会保険財源、企業経営、家計消費など種々の経済変数に直接的な影響を及ぼします。現在、高度経済成長時代の、ピラミッド型の人口構成時にビルトインされた企業の人事管理制度や、政府の社会保険制度がうまく機能し得なくなってきたことは当然のことでしょう。雇用制度や雇用政策にも絶えず見直しが求められるのはこうした背景からです。

4-2.雇用調整助成金の役割

(失業を未然に予防する政策)

 現在、転換期にある雇用政策の中で、法制度に様々な変化が起きていますが、ここでは雇用の流動化に関連して、雇用調整助成金に絞ってお話しします。雇用調整助成金とは、第1次オイルショック直後の75年度に、失業率が2倍にシフトするという構造変化が起きたことを契機として、従来の失業保険制度から抜本的改正を経て制定された、「雇用保険法」により、新たに登場した雇用保険制度下の一つの事業の名称です。

 失業保険給付は、失業の発生に対する「事後的な保障」であるのに対し、雇用調整助成金を含む各種事業は、「失業を未然に防ぐ」ことを目的に創設されたものであり、従来にない画期的な政策です。これらは、現在、雇用安定・能力開発・雇用福祉という三つの事業からなり、そのうちの一つである雇用安定事業の中に、雇用調整助成金も含まれています。この雇用安定事業は、雇用変動に直面した企業を支援する役割を担っており23、かつ事業規模が最大です。雇用調整助成金の役割は、短期的な景気変動の結果として、一時的に操業短縮などの雇用調整が必要になった事業所に対して、休業手当や教育訓練手当などを助成することであり、企業の人件費負担を軽減し、それにより失業を未然に予防するのが趣旨です24

(雇用維持は企業のみの責任か)

 その財源は、失業給付の場合は、労使折半による雇用保険料、それに国庫金も加わるという三者が負担するのに対し、雇用保険三事業の財源は企業のみが負担しています。このような財源に違いがある背景には、まず失業給付については、失業の直接的な原因が雇用者と企業にあるほか、失業が経済政策の失敗である不況によって発生する場合には政府にも責任がある、という考え方があります。

 他方、雇用保険三事業の財源を企業だけが負担する理由としては、雇用上の種々の問題が、(1)個々の企業の行動に起因する面が大きいこと、(2)三事業の実施によって企業が一定の利益を得ること、などが指摘されており、さらに諸外国の税制(雇用税・訓練税)なども参考にされました。制度発足当時の25年前の日本的労使慣行が一般的であった時代には、こうした考え方が妥当であったのでしょう。しかし、現在、これまで述べてきましたように、産業構造が変化し、労働者の意識も多様化しているうえ、さらに国際的な競争が激化していることなどを考えますと、雇用上の問題の責任を企業だけに押し付けることは合理性に欠けると思います。

 今般の深刻な雇用情勢においては、数次にわたる経済対策が講じられ、雇用創出などを中心に4千億円超の一般会計の財源が使われました。しかし、財政赤字が深刻化している現状も合わせて考えますと、雇用維持の財源については今後再検討を要する課題でしょう。

(雇用政策の中立性)

 雇用安定事業は、これまで雇用上の問題の責任は企業にあるとして運用されてきましたが、時間の経過とともに新たな機能が追加され、肥大化して身動きならない状態になりました。例えば、雇用調整助成金の利用は構造問題を抱えた業種に偏っており、しかも支給が長期化するといった歪みが指摘されるようになりました。そこで、昨年(99年)10月に、この制度を景気変動による一時的な雇用調整に重点化するよう、政策変更が打ち出されたところです25

 また、最近では、雇用保険の財源悪化などをきっかけとして、国会でも全体的な制度見直しが議論されるようになってきました26。現在、労働省では雇用保険三事業の整理・合理化の方向に向けて、議論に着手したところです。この制度の過去における実績と失業の予防の効果をきちんと評価・計測したうえで、新たな見直しに入るべきでしょう。残念ながら、こうした分野の政策効果を測定する研究手法とそのために必要な満足できるデータが不足しています。ここでは、(1)企業の雇用維持責任を原則として助成金を支給している現行の制度は、現在の雇用流動化の流れに逆行していること、また、(2)制度発足時から中高年雇用の雇用維持を助成の柱に置いてきましたが、その結果、高齢者雇用維持のための助成額が膨大になっていること、さらに、(3)こうした助成金のあり方が若年層の雇用機会の減少にも影響しているのではないか、という議論を招いていること27、などを指摘するに止めます。

 なお、最後に申し上げた論点は、政策が特定グループを支援した結果別のグループの雇用機会を締め出していないかどうか、という政策の中立性の問題です。既存の制度の統廃合と新たな制度の創設には拙速な判断は禁物であり、客観的な研究分析が待たれます。

  1. 232000年度予算規模は、雇用安定事業3,861億円、能力開発事業1,804億円、雇用福祉事業1,251億円、財源は事業主負担のみ。
  2. 24雇用調整助成金は、『雇用保険法』の中の「雇用安定事業」として約25前後ある事業の一つの名称であるが、75年スタート時(当初は雇用調整給付金)からこの事業の利用度が高く周知度も高いため、本論でもこの名称で事業全体を代表させている。
  3. 25変更の具体的内容は「業況悪化が2年を超えて引き続くものでないと認められること」、および、「99年10月1日以降、指定・延長された特定不況業種、特定雇用調整業種等については、支給対象としないこと」となった。その結果、2000年8月31日現在の指定業種数は、雇用調整助成金が133業種、特定雇用調整助成金が44業種となっている。
  4. 26労働省中央職業安定審議会雇用保険部会報告書(99年12月10日)で、「今後の少子高齢化の進展、労働移動の増加等の経済社会の変化に対応して、三事業のより効果的かつ効率的な運営を図っていく必要がある」という指摘。また、衆議院労働委員会(99年4月14日)で「三事業等の各種給付金について、その実効性を検証の上、政策の重点化を図りつつ、整理合理化に努めること」、あるいは、衆議院労働・社会政策委員会(99年4月27日)においても、同様の指摘がなされた。中央職業安定審議会では、今年入り後、これらの指摘などを踏まえ、制度の抜本的な見直し作業に着手し、現在、その途上である。
  5. 27大竹(2000)による批判。なお、助成金の実績をみると、制度発足の1975年代から高齢者対策関係助成金は雇用調整助成金を上回っていた(83年度予算、雇用調整助成金217億円、定年延長奨励金251億円、高齢者雇用確保助成金115億円)が、現在ではさらに増加している(2000年度予算、雇用調整助成金510億円、継続雇用定着促進助成金456億円、特定求職者雇用開発助成金1,002億円)。労働省雇用保険課内部資料。

4-3.オランダ・モデル

(オランダ病からオランダ・モデルへ)

 日本が深刻な不況に直面した98年、99年、労働市場は氷河期と呼ばれた時期でした。高まる失業解消の糸口を模索している過程で、マスコミや研究者の間で「オランダ・モデル」が注目され、日本および同じ高失業に悩んでいた欧州で一気に関心が集まりました。

 80年代の始め、オランダは高失業、膨大な財政赤字、高インフレと惨憺たる経済状態にあり、「オランダ病」といわれていました。しかし、その後、15年という長い年月をかけた改革が成功し、90年代には年平均2%強の安定した成長率を達成するまでに至りました。このとき採用された一連の経済改革が「オランダ・モデル」あるいは「ポルダー・モデル」と呼ばれています28

(パートタイム雇用だけが特色ではない)

 日本の『海外労働白書』(労働省)29では、オランダを多様な就業形態のモデル、特にパートタイム労働の成功例として現地取材した報告をしています。確かに、オランダの雇用者に対するパートタイム比率は群を抜いて高く(98年38%、EU平均17%、日本23.6%<労働力調査特別調査>)、しかも、パートタイムとフルタイムの間で、賃金や社会保障に差がない点などは興味をひきます。このため、日本では、「オランダ・モデル=パートタイム労働の活用」という、比較的狭い視点から捉えている見方が多いように思います。

 私は、こうした見方に疑問を感じていましたが、今年6月、現地で企業、労働組合、政府の三者と意見交換する機会を持ちました。それらを踏まえて、日本における教訓を引き出し、本日の結びにしたいと思います。

 まず、80年代初め、不況に苦しんでいた当時のオランダで、失業解消の手段としてワークシェアリングの導入が検討されました。1人のフルタイム雇用を2人のパートタイム雇用に切り替えれば、失業が減らせるという発想です。確かに、失業は減少しましたが、パートタイム雇用者2人がフルタイム雇用者1人分の賃金を半分に分けるだけでは、企業からみた人件費は削減されません。企業の人件費負担が変わらなければ、このような制度を導入しても、積極的な経済活動を引き出すことにはなりません。

(ワッセナー合意)

 こうした中で、改革の中心となったのが、82年末の有名な「ワッセナー合意」(Wassenaar agreement)という、企業と労働組合の壮大な合意形成とこれに対する中立的かつ協調的な政府の支援でした。例えば、労使間による賃金上昇率の抑制の合意をみたケースでは、これに対して政府が減税で家計を支援しましたので、労働者の実質的な所得目減りは避けられました。また、社会保障の支出削減には、給付水準のカットではなく、支給資格基準の厳格化で対処し、これによって財政赤字の削減を導きました。こういう一連の改革が時間をかけながら実施された結果、労使双方が、一つ一つの成果配分を獲得し、これが次の新たな協定と合意形成を生むという安定した労使間協定に発展しました。この時、政府の役割は、労使間協定の内容に直接介入することではなく、間接的かつ的確な支援という姿勢が歓迎され、現在の景気回復に結実したといえます。

(フィッサー教授の講演より)

 『オランダの奇跡』の著者であるフィッサー教授によりますと30、まずワッセナー合意によって賃金抑制が実施され、労働分配率が低下しました(80年から85年の5年間で7%ポイント低下)。この結果、(1)企業収益が回復し、投資が促進され、また、(2)輸出の増加も成長を後押ししました。その後、(3)労働需要が喚起され、生産性の低い労働者向けの雇用機会も増加しました。賃金上昇率を抑制した初期にこそ経済は引き続き停滞していましたが、前述したように、これを減税で補い、その効果は時間とともに人々の納得いく成果として現れていったのです。

(オランダ・モデルの教訓)

 以上のオランダ・モデルの特徴点を要約します。それは、(1)イギリスのサッチャーリズムが法律面からの経済改革であるとすれば、オランダは企業、労働組合、政府の三者が一体となった改革であること、(2)労働市場改革だけではなく、競争促進による規制緩和、政府による機動的な財政政策など、経済政策の相互の連携がうまくいったこと、(3)最初からがっしりと洗練したモデルを組み立ててスタートしたのではなく、着手後に様子をみながら修正・再構築するという、弾力的な運営であったこと、といった3つにまとめられるかと思います。

 このようにオランダのケースを紹介したからといって、全く文化や歴史の異なる他国のモデルがそのまま日本に適応できるとは思っていませんし、オランダ・モデルのデメリットも承知しています。欧州諸国でも、昨年6月にポルダー・モデルの導入可能性を巡ってオランダ中央銀行主催のシンポジウム(欧州各国のエコノミストが参加)が開催されましたが、このモデルが欧州諸国で応用・導入できるかどうかは簡単に答えを出せないというのが結論でした31

  1. 28「ポルダー・モデル」という言葉は、オランダ人が干拓地(polder)を守るために国民が一致して協力してきた伝統、延いてはオランダ社会全体に流れるコンセンサス文化を意味している。
  2. 29労働省大臣官房国際労働課編著(1999)。
  3. 30アムステルダム大学フィッサー教授 [1999]。これは、社会経済生産性本部主催で99年3月に日本で開かれた日欧シンポジウム『雇用形態の多様化と労働市場の変容』における講演記録。
  4. 31Labohm and Wijnker ed.(1999)pp.7~17を参照。

5.むすび

 さて、日本に翻ってみると、「賃金率抑制の協定、および、政労使三者のコンセンサス形成などは、とても無理ではないか」といった諦めの声が聞こえてくるように思われます。しかし、私は、構造改革の成否は深刻な危機の存在が国民各層に明確に認識されるか否かにかかっており、その可能性は皆無ではないと思います。日本の高度成長時代には、その目標が良かったかどうかはひとまずおくとして、経済成長が国民的目標であるというコンセンサスの下で、国民が一丸となって経済活動に取り組みました。では、現在の日本経済にとって国民が心を一つに結集する国民的な目標・関心は何でしょうか。雇用不安の解消でしょうか。それとも巨額な政府債務残高の縮小でしょうか。

 日本のある思想家は、「日本が現在の閉塞感から脱却するには精神の仕切り直しをしなければならない」32と言いました。この言葉が私の脳裏を離れません。そして、私の中では、この主張がオランダ・モデルに突然結び付きました。精神の仕切り直しには、国家目標あるいは国民的関心の形成が必要であり、オランダ・モデルは、こうした国家的な合意形成の典型的な成功例であったと思えたからです。

 もう一つのヒントは思い掛けないところからやってきました。先月24日(日曜日)の朝、本日の講演原稿の準備を中断して、シドニー・オリンピックの女子マラソンをテレビ観戦していました。岐阜県出身で、名古屋女子マラソンで見事に優勝を果してオリンピック代表となった、高橋尚子さんが金メダルを取るシーンに深い感動を覚えました。レース直後のインタビューで、彼女は、「最初から立てたシナリオ通りに走るというより、その日の自分の体と相談しながら、風の向きや気温などにも合わせて柔軟に対応して走った。すごく楽しい42キロだった」と、あっけらかんとした顔で語りました。高橋選手の言葉は、「ギチギチと決めたルールで走るのではなく、絶えず緊張感をもって情勢の変化をとらえながら、柔軟な構えで臨むことが大切なのだ」と教えているように思いました。

 これは、私がオランダ・モデルから得たインプリケーションとも正に重なるものでした。さらに、マラソンだけの話ではなく、人生そのものにも当てはまるように思います。金融政策運営に携わっている私自身も、「しっかりとした理論と哲学に裏打ちされたしなやかさ」が非常に重要であり、そのような構えで国民経済の健全な発展に向けて微力ながら一層力を尽くしていきたいと改めて思いました。高橋選手の言葉を拝借して、本日の話の結びにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

  1. 32中西(2000)

以上

参考文献

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