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ゼロ金利近傍における金融政策の波及メカニズム

1998年~2000年の日本の経験から

2000年9月22日・スウェーデン大使館で行われたコンファランス※1における植田審議委員英文スピーチの日本語訳。

  1. ※1National Bureau of Economic Research, European Institute of Japanese Studies, Tokyo University Center for International Research on the Japanese Economyおよびthe Center for Economic Policy Researchの共催

2000年10月5日
日本銀行

[目次]

  1. 1.1997年~1998年不況の本質
  2. 2.クレジット・クランチへの金融政策対応
  3. 3.ゼロ金利政策の採用
  4. 4.ゼロ金利政策の波及経路
  5. 5.ゼロ金利政策の解除
    1. (1)ゼロ金利解除反対論
    2. (2)ゼロ金利解除賛成論
  6. 6.終わりにあたって
  7. 参考文献

 日本銀行はここ2、3年の間、その金融政策運営面において、これまでに類の無い経験をしてきた。私は1998年4月、新日銀法の下で設置された政策委員会の審議委員に就任したが、当時既に、日本銀行の中心的政策手段であるオーバーナイト・コールレートは、0.5%より低い水準にあった。日本経済は戦後もっとも深刻な不況——ただ、それに我々が気付いたのは暫く後になってからのことであったが——の最中にあった。我々は1999年の第I四半期にコールレートを実質ゼロ%へと誘導し、加えて、デフレ懸念の払拭が展望できるまでそのレベルを維持すると約束しつつ、ゼロ金利を続けた。我々は1年半に亘りゼロ金利を続けた後、本年8月、遂に金利を25ベーシス・ポイント引き上げた。

 本日は、ここ2~3年の金融政策を巡る主な検討状況について紹介してみたい。なかでも、1997年~1998年にかけての不況の特徴、ゼロ金利近傍における金融政策の波及プロセスおよび本年8月の金利引上げの背景に焦点を当ててみよう。

 このような問題意識に照らしてみると、特に金利引上げの件に関してであるが、私自身非常に難しいポジションに身を置いていると言わざるを得ない。と言うのは、報じられているように、私は利上げの決定に反対票を投じたからである。しかし、政策委員会は合議制の意思決定機関であり、全体として1つの判断を下す。従って、私は政策委員会の利上げの決定にも、また、それに反対した自分の投票にも責任があることになろう。双方の考え方を整合的に説明するのは容易なことではない。もしそれに成功した場合は、私には論理的に考える能力がないということを証明していることになるのかもしれない。しかしベストを尽くしてやってみよう。ひと口で言えば、利上げに反対する理由は単純明快だが、利上げ論をサポートする議論を提示することも不可能ではなかった、ということである。

1.1997年~1998年不況の本質

 まず最初に、1997年第IV四半期に始まった不況の性格と、それに対する我々の対応について概説するのが適当であろう。この不況の最も重要な特徴が、不良債権問題に対する緩慢かつ不適切な対応から引き起こされたクレジット・クランチにあるのは明らかである。加えて、アジア諸国の経済危機、1997年の早過ぎた日本の財政引締めおよび1998年のロシア危機が不況を深刻化させた。

 より詳しく言えば、アジア諸国における経済危機の到来や、日本における不良債権問題処理の遅れが、1997年秋には中堅・大手の三金融機関の破綻を招くに至った。とりわけ、最初の事例である三洋証券の破綻の際に、コール市場での小規模なデフォルトが発生した。そのデフォルトは金融資本市場にパニックを引き起こし、他の2金融機関破綻の引き金となり、そのうえリスク・プレミアムの急上昇と流動性需要の急速な増大を引き起こした。

 このため、既に不良債権に苦しんでいた邦銀では、今や資金調達が難しくなってきた。その結果、彼らは非金融法人、特に中小企業からの貸出回収を開始した。不況の到来と共に企業の設備投資は急速に減少し始めた。図表編[PDF 71KB]-表1に示されているように、需要項目別にみると設備投資の減少が目立つ。

 金融システム不安は1998年前半になって幾分和らいだ。しかし、日本長期信用銀行の経営悪化問題が明るみに出て、更にその後にロシア危機が発生した。この中で、大企業でさえクレジット・クランチの危機感を覚えるようになっていた。我々のヒアリングによれば、多くの企業が「メイン行を除く全ての銀行では、年末を越える資金のロール・オーバーには応じられないと話している」と訴えていた。これらの企業では当然、設備投資計画の取り止めを余儀なくされた。

 以上が当時の金融政策判断のバックグラウンドである。

2.クレジット・クランチへの金融政策対応

 世界の中央銀行はこれまで、様々な手段を使ってクレジット・クランチに対応してきた。対応の正当化には複数の理屈が使われた。システミック・リスクを心配してという言い方もあれば、将来の深刻なデフレを招くリスクを心配してという場合もあった。

 いずれにせよ、中央銀行はクレジット・クランチを緩和するために様々な手段を講じてきた。典型的な手法は金融システムに対して流動性を供給することである。この方法は通常、短期金利を低下させつつ行われる1。環境次第では、もっと特殊な方法もある。米国のCP市場が崩壊した1970年代前半においては、CPのロール・オーバーが困難になった企業に対して銀行が貸出の増額を行った場合には、Fedはその銀行に対し自動的に資金を供与する、と宣言した。Fedはまた——これは実施には移されなかったようであるが——必要であれば非金融法人に対する直接的貸出にも応じると宣言した。

 またFedは、1998年秋、フェデラル・ファンド・レートを連続3回引下げつつ、金融システムに大量の資金を供給した。加えて、FedはLong-Term Capital Managementの救済パッケージについて話し合う会議に参加した、とも言われている。

 図表編[PDF 71KB]-図1.にあるとおり、1997年~1998年にかけて、日本銀行も大量の資金を供給し、1998年秋にはコール・レートを0.43%近辺から0.25%へと引下げた2。クレジット・クランチを緩和するため、その他幾つかの試みも実施した。日本銀行は、民間金融機関に対しCPや社債を見合いとする短期資金の実質的な貸出を実施することにより、CPおよび社債市場へ流動性を供給した。

 加えて、短期金融市場のイールド・カーブをフラット化させるため、一種のツイスト・オペを実行した。このオペレーションには、邦銀が円資金市場で資金を取り、ドルにスワップさせることにより、ドル資金市場でみられたジャパン・プレミアムを低下させる意味もあった。

 これらの手段は全て、クレジット・クランチ的様相を呈した不況に対処したもの、あるいは金融仲介機能を担う民間の金融システムの不全に対応したものであった。

  1. 1Goodfriend(2000)は、流動性クランチにおける金利引下げのシグナル効果を指摘している。金利ターゲティングの下では、流動性需要の増大は自動的に満たされるので、中央銀行が金融の安定を維持する旨のコミットメントを示すためには、金利引下げを並行して行うのがより望ましい、としている。
  2. 2なお、この頃はマネー需要が非常に不安定に推移した時期であった。マネーの量と実体経済の動きとの間には、おおまかな負の相関関係を見出すことすら可能である。それ故、この期間において、例えばマネタリーベースに関するMcCallumルールのようなマネーサプライ・ルールを適用したならば、経済の不安定性を悪化させていた可能性が高い。

3.ゼロ金利政策の採用

 日本銀行の金融政策は、信用保証協会の保証枠の増額や邦銀への資本注入といった措置とともに金融システム不安を幾分和らげる役割を果たした。しかし、金融の不安定性が消え去ることはなかった。1998年末から1999年にかけては、当時の経済状況では恐らく正当化できないほど長期金利が急速に上昇し、同時に円高が進んだ。確かに、当時は財政による刺激策が再度実施されたおかげで実体経済は一時的に安定化していたが、年後半以降の見通しは不確実なものであった。しかもインフレ率はゼロ近辺にあった。我々は、このような状態から経済活動がさらに停滞するのであれば、デフレ進行と実体経済悪化の悪循環を招来しかねないことを憂慮した。

 上記のような考えに基づき、我々はこれまでに前例のない金融緩和政策、すなわちオーバーナイト・コールレートをゼロ%まで引下げる施策を採用した。決定は1999年2月に行われた。結局、オーバーナイト・レートは貸し手にとって0.01%、借り手にとって0.02%以上というレベルに到達した。加えて、同年4月、我々は「ゼロ金利はデフレ懸念の払拭が展望できるまで維持される」と宣言した。この組み合わせ、すなわちゼロ金利と、ある一定の状態になるまでその金利水準を維持するというコミットメントの組み合わせは、世間でしばしば「ゼロ金利政策(ZIRP)」と呼ばれるようになった。ここでは私もこの用語を使わせて頂く。

 ゼロ金利政策は金融資本市場、ひいては実体経済に対して大きな影響をもたらした。イールド・カーブは10年に至るまでかなりの程度フラット化した。期間1年未満の金利は1999年中、ほとんど実質ゼロとなり、10年物長期国債の金利はこの1年半の間、1.6%~2.0%で推移した。1999年の株式相場は急速に上昇し、また、社債と国債の金利格差は著しく縮小した。このように、ゼロ金利政策は投資家に対してリスクを取ることを促し、それが様々なリスクプレミアムを縮小させることに繋がった。一つの例外は銀行貸出市場であった。銀行貸出は依然として減少を続けている。このことは我々が直面している不良債権問題の深刻さを物語っている。

 その後、時が経つにつれ、ゼロ金利政策は輸出の増加、財政支出、IT関連投資と相俟って、戦後もっとも深刻であった不況から経済を徐々に立ち直らせてきた。なお、この間の回復過程は、多くの問題を持つGDP統計よりも、生産指数や全産業活動指数等の動きにより端的に表れていると思われる(図表編[PDF 71KB]-図2.参照)。

4.ゼロ金利政策の波及経路

 振り返ってみると、ゼロ金利政策は、多くの人々が考えていたよりもずっと大きな効果を経済に与えた。その理由は何であろうか。

 言うまでもなく、ゼロ金利政策はオーバーナイト・レートを約20ベーシス・ポイント引下げることによって実施され、それは通常の政策金利の変更と同様の波及効果をもたらした。しかし、今回の政策変更の効果は、短期金利の小幅な変更によってもたらされるものだけには止まらなかったようである。すなわち、ゼロ金利をある期間続けるというコミットメントが重要な役割を果たした。このコミットメントは、3種類のメカニズムで経済に強い影響を及ぼしたと考えられる。それらは全て金利の期間構造、およびその経済に与える効果に関わっている。

  1.    第1に、このコミットメントは、特にゼロ金利政策を実施した初期段階において、政策の不確実性を最小化する役割を果たした。1999年3月、短期金融市場のトレーダーの間には、日本銀行によるゼロ金利と、同時に実施された流動性供与は、金融機関が年度末を無事に越えることを意図した一時的な施策に過ぎないのではないか、との懸念が生じていた。そのような理解は、より長めの金利に対するゼロ金利の効果を限定的なものにしてしまった。そのため、4月になって、「デフレ懸念の払拭が展望できるまでゼロ金利を続ける」とのコミットメントがアナウンスされたわけである。この結果、イールド・カーブは一段とフラット化した3
  2.    第2に、このコミットメントは金融機関の流動性懸念を緩和した。ゼロ金利政策の下では、短期金融市場での銀行の資金調達コストの格差は事実上なくなった。なぜなら、平均してゼロ金利を達成するということは、マイナス金利が存在しない以上、全ての金融機関にとって金利がゼロでなければならないからである4。また市場参加者は、ゼロ金利政策のコミットメントがあるため、ゼロ金利は少なくとも数か月維持されると期待していたであろう。深刻な流動性危機は金利の上昇を招く。日本銀行はゼロ金利維持の約束ゆえ、それを防ぐよう行動するだろう。こうしてゼロ金利政策は、当時の流動性懸念を抑える強い効果を発揮した。その結果、1999年に入り、家計や企業部門が直面していた流動性制約が緩和し、消費および設備投資にやや回復の動きが見られたわけである。僅か20ベーシス・ポイントのオーバーナイトレートの引下げが、経済にこれほど大きな影響を与えたのは、ここで指摘したようなゼロ金利政策の特徴があったからこそである。この点は、今回の不況がクレジット・クランチ型のものであるという見方と整合的である。
  3.    第3に、学界・中央銀行界で議論されてきたゼロ金利政策のもう一つの側面がある。上に述べてきたように、ゼロ金利政策は、単なるゼロ金利以上に大きな緩和効果を経済に対して与えようとする試みであった。しかし、明示的なコミットメントが中央銀行から発せられなくとも、合理的な市場参加者であれば、ゼロ金利はそれを続けることが適当である限り、その状態が維持されると期待するであろう5。その結果、それを超えた効果を発揮するためには、中央銀行は、ある基準の下で金利引上げが適正である状況に至った後においても、なお将来に亘りゼロ金利を維持すると約束する必要があることになる。

 この点はWoodford(1999)によって指摘されている。これとは別に、Reifschneider & Willams(1999)はFRB/USモデルを使い、2種類の政策ルールのパフォーマンスを比較したシミュレーションを行っている。第1の政策ルールは、FF金利をテイラー・ルールに沿って動かし、テーラー・ルールに基づく金利がマイナスとなる場合にはFF金利はゼロとする、それ以外はテーラー・ルールどおりとするものである。第2の政策ルールは、基本的には第1のルールに近いが、FF金利がいったんゼロになった場合には、テイラー・ルールに基づく金利が(ゼロをちょっと上回るだけでなく)ある程度以上のプラスの金利を上回るようになるまで、そのゼロ金利を維持すると約束している点が異なる。そして、シミュレーションの結果では、後者の方が良好なパフォーマンスを示している。直感的に言えば、第2の政策ルールは、中央銀行が将来の金融緩和を現時点で約束することを意味しており、またそうすることによって、ゼロ金利より低い金利を必要とするような時においてそれが出来ない状態を補っている訳である。

 こういった意味でのゼロ金利政策は、学界のエコノミスト達が提案する他の幾つかのゼロ金利以上の金融緩和政策に近い考え方となっている。例えば、日本銀行が国債を大量に購入すべきという提案は、長期金利に影響を与えようとする試みである。日本銀行は意図的に長期債のリスク・プレミアムを左右することができないとすれば、長期債市場を直接触らなくても、将来の短期金利について約束することで同様の効果を得ることが出来るだろう。あるいは、クルーグマンによるリフレ政策の提案についても、単に十分長期に亘りゼロ金利を維持するとアナウンスすることによって達成しうるであろう6

 では、「デフレ懸念の払拭が展望できるまでゼロ金利を維持する」とのステートメントは正確には何を意味したのであろうか。我々のコミットメントがやや曖昧であったことは認めざるを得ない。我々は確かに、上記の第1および第2の経路を早い時期から念頭に置いて政策運営にあたっていた。第3の議論があることも知っていた。しかし我々は、クルーグマンが主張する4~5%もの高いインフレ率を目標とする過激な提案は受け入れなかったわけである。また、テイラー・ルールから導かれる金利のレンジには幅があり、これを我々の政策の厳格なベンチマークとすることは容易ではないように見えた。この点については再度後述したい。

 我々のスタンスはより曖昧なものとなった。政策委員会メンバーの多くは、「インフレ率が大幅なマイナスとなるリスクが十分小さくなるまで、ゼロ金利は維持される」との見解を述べた。これは更に、「インフレ率は総需要が急激に減少する時に大きく下がる。そのため我々は、国内民間需要が持続的な回復軌道に乗ったことを確認できるまで待ちたい」と言い換えられた。しかし、このようなスタンスは以下で述べるように、相当幅広い解釈の余地を残した。

  1. 3Tinsley(1999)は、短期金利がゼロ近辺の時に、中央銀行が一層の刺激効果を生み出すために何が出来るかについて議論している。彼は、近い将来短期金利が引き上げられるという期待を最小化するため、中央銀行が短期証券のプット・オプションを売れば良い、と主張している。これにより長期金利が一段と低下し、景気刺激効果が発生する。ある意味では、日本銀行は間接的に同様の結果を達成したことになる。
  2. 4実際には、マイナスの資金調達金利を享受した外銀が散見された。彼らは大幅なジャパン・プレミアムに苦しむ邦銀との間できわめて有利な条件で円・ドルスワップを組み、マイナスの円金利を作り出したわけである。
  3. 5この議論は、恐らく一部の市場参加者や中央銀行の過度の合理性を仮定している。そう考えれば、第1の経路で確認したコミットメント効果が無意味なものとはいえないだろう。
  4. 6同様に、この意味でのゼロ金利政策は、少なくとも部分的には、円安を生じさせる提案と重複するように見える。

5.ゼロ金利政策の解除

 今年の第2四半期までの状況を踏まえると、2000年度の経済成長は、高い確率で政府見通しの+1%をかなり上回ることが明らかになってきた。当然、政策委員会の議論は、ゼロ金利政策を解除するタイミングの適否に集中した。この辺は、公表されている議事要旨にあるとおりである。しかし、どの程度の成長があれば十分かという疑問は残されたままであった。以下では、金利引上げを支持、あるいは不支持とする主な議論を紹介するとともに、我々が直面した困難について説明してみたい。

(1)ゼロ金利解除反対論

 ある意味で、ゼロ金利解除に反対する立場は明快なものであった。経済は回復を始めていたが、それは長く厳しい不況を経てきたばかりである。WPIを除けば、物価は未だ低下しており、従って、金利を急いで上げる理由はない。

 より厳密には、テイラー・ルールに基づく金利を計算することができよう7。それは、多くのケースで、マイナスとなる。例えば、早川・前田(2000)は、幾つかの仮定の下でGDPギャップを推計した。それによれば、一つの標準的な推計では、2000年のギャップは8~9%になるとしている。我々はインフレ率に対して中立的なGDPギャップの水準を知る必要がある。GDPギャップが4%と5%の間に位置していた1996年末には、CPIインフレ率は0%近傍にあった。このことは、GDPギャップが中立的な水準よりも約4%デフレ方向へ拡大していることを意味する。テイラー・ルールの公式において、GDPギャップに50%の係数を掛けると、GDPギャップの項だけで既に金利は-2%である。またインフレーションの項は、用いられる目標インフレ率や物価指数次第で程度の差はあるが、これもマイナスに寄与している。また、GDPギャップの試算と矛盾しない潜在成長率は2%より下となる。この結果、こうした推計の下では、テイラー・ルールに基づく金利はプラスにはなり得ないことになる。

 勿論、この試算はラフなものでしかないが、最適な政策金利のレベルが依然としてマイナスである可能性を示唆している。しかも、先に示したReifschneider & Williamsのシナリオの下では、この金利がゼロを上回るまでではなく、あるプラスの数字を超えるまで、我々は待つ必要があったのである。

  1. 7ただし、テイラー・ルールが我々の用いているベンチマークであると主張しているわけではない。単に、最適な金利を決定する分析手法の例として、このルールを持ち出しただけである。

(2)ゼロ金利解除賛成論

 上記のような試算には様々な問題がある。恐らく、最も深刻なものは次のようなものである。上で述べた標準的な推計によれば、非常に大きなGDPギャップの存在が導かれ、それが物価に対して大きなマイナスの圧力をかけるということになる。事実、まさにこうしたロジックの下で、我々はゼロ金利政策を採用した。ところが驚いたことに、1999年中の物価は大きくは下がらなかった。標準的なフィリップス・カーブを用いて試算すると、1999年中のCPIあるいはWPIは2%前後は低下しても不思議はなかった。ところが、1999年12月のコアCPIおよびWPIはそれぞれ前年比0.1%、0.5%の下落に止まった。確かに、原油価格の上昇や前年の円安の影響はあったはずである。しかし、これらの要因だけでは両者の差を説明できない。GDPギャップの大幅な過大推計か、あるいは価格決定式の定式化の問題があったように思われる。

 より(絶対値で)小さなGDPギャップ推計を得ることは難しいことではない。80年代後半~90年代前半の間の設備投資による資本ストックのうちかなりの部分が不稼働状態——勿論、これは不良債権問題の裏側なのであるが——になっているのかもしれない。従って、資本ストックデータを用いてギャップを推計することは止めて、現実の生産量を、非線型のタイムトレンド、そして例えば日本銀行の短観(企業短期経済観測調査)に出ている製商品需給判断ID等の財市場における需給指標に回帰させ、潜在成長力やギャップを推計することができる。こうした方法で試算を行うと、GDPギャップは随分小さな値となる。テーラー・ルールの公式における他のパラメータ次第ではあるが、テイラー・ルールに基づく金利が既にプラスであることを示すのは不可能なことではない。

 ここで、もう少し先に議論を進めてみよう。GDPギャップの大きさが不確実であるということは、テイラー・ルールにとって深刻な問題である。Orphanides, Porter, Reifschneider, Tetlow & Finan(1999)は、興味深いシミュレーション結果を報告している。すなわち、GDPギャップ計測誤差が大きい場合、ギャップの変動に対する金利の変化幅を縮小させるのが望ましい。加えて、GDPギャップの計測誤差が非常に大きい場合には、金利はGDPギャップのレベルに反応するよりむしろ、現実の成長率と潜在成長率の格差に反応する方が望ましい、としている。彼らはこれを成長率ルールと称している8

 政策委員会メンバーの多くは、2000年度の経済成長率について、経済に大きな負のショックが加わらない限り、世の中にある合理的と思われる潜在成長率予想のうち高目のものを上回るだろうと見ている。従って、仮に成長率ルールが金利のゼロ制約の近傍においてもその有効性を維持しうるのであれば、成長率ルールは、多少の振れはあったとしても、プラスの金利を導くことになるのであろう9

 ただし、利上げの支持者達は、以上のような議論を明示的に利上げの根拠にした訳では必ずしもないという点は付け加えておこう。私自身も、こうした議論は、利上げの根拠としてはやや弱いものであると理解している。ただ、教訓めいたものを付け加えれば、GDPギャップ等に計測誤差があったとしても、テーラー・ルールは最適な金利水準の変化方向を概ね正しく捉えるように見える。この意味では、一般的には、一回前の政策判断が正しかったとするならば、中央銀行は政策変更を決断するためにテーラー・ルールを利用することはできる。ただ、ゼロ金利を解除するという特殊状況の下では、日本銀行としてはやはり最適金利の水準を正確に知る必要があり、それは非常に難しかったということである10

  1. 8その後、Orphanides(2000)は、この考え方を発展させ、自然成長率目標ルールと呼ばれるものを提示している。
  2. 9脚注10を参照のこと。
  3. 10四半期前には、たとえゼロ金利が正しい政策判断であったとしても、それはテーラー・ルール上の金利がマイナスであったからかもしれない。したがって、テーラー・ルールに基づく金利がなおマイナスである以上、その金利が多少上振れたとしても、それによってゼロ金利を解除する根拠にはならない。こうした考え方に立つと、先程からのOrphanidesら(1999)の分析結果が、ゼロ制約の下でも成立するかどうか特別のチェックが必要と思われる。

6.終わりにあたって

 最後に主要な論点をまとめてみたい。ゼロ金利政策は日本銀行の歴史の中では類のない政策であった。それは単に金利がゼロであったということではなく、金融政策の将来の方向性についてある約束をしていたという意味においてである。この政策が経済に与えた効果は、この約束(コミットメント)が市場参加者の期待に影響を与えた結果、かなり大きなものとなった。コミットメントは流動性クランチ型の不況への対応として有用であった。それはまた、特にゼロ金利政策の初期において、先走った金利上昇期待を抑制することに役立った。しかし、2000年8月に利上げが行われた結果、我々はおそらくReifschneider & Williams型の政策を完遂することまではしなかったということだろう11

  1. 11ただ、ゼロ金利ではないが、0.25%の水準で同じ政策を続けるという余地はある。

 8月の利上げ案に反対する理由を提示することは容易であった。しかし、ここで紹介してきたように反対論の理論的根拠は思ったほど強固なものではない。他方、利上げを理論的にサポートすることも不可能ではない。ここで議論が定まらないのは、経済の供給サイドについての我々の理解が不完全なためである。加えてFedも同じ悩みに直面している。我々はまた、GDPギャップ等の計測誤差の下での有効な政策運営手法を十分確立していない。日本銀行は今後ともこれらの点を検討していきたいが、特に学界の方々には、こうした努力に共に参加し、議論を深めて頂きたいと願う次第である。

参考文献:

  • Goodfriend, M. (2000) "Financial Stability, Deflation, and Monetary Policy," paper Presented at the Ninth International Conference at the Institute of Monetary and Economic Studies, The Bank of Japan.
  • Hayakawa, H. & E. Maeda (2000) "Understanding Japan's Financial and Economic Developments Since Autumun 1997," Working Paper 00-1, Research & Statistics Department, The Bank of Japan.
  • Orphanides, A. (2000) "The Quest for Prosperity Without Inflation," ECB Working Paper, No.15.
  • Orphanides, A., R. Porter, D. Reifschneider, R. Tetlow & F. Finan (1999) "Errors in the Measurement of the Output Gap and the Design of Monetary Policy," Federal Reserve Board.
  • Reifschneider, D. & J. Williams (1999) "Three Lessons for Monetary Policy in a Low Inflation Era," Federal Reserve Board.
  • Tinsley, P. (1999) "Short Rate Expectations, Term Premiums, and Central Bank Use of Derivatives to Reduce Policy Uncertainty," Finance and Economics Discussion Series, 1999-14, Federal Reserve Board.
  • Woodford, M. (1999) "Commentary: How Should Monetary Policy Be Conducted in an Era of Price Stability?" paper presented at the Kansas City Fedconference.