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日本経済の課題:中央銀行の視点

2000年12月22日・経済倶楽部における速水日本銀行総裁講演

2000年12月22日
日本銀行

[目次]

  1. (はじめに)
  2. 1.今回の景気回復局面における3つの特徴
  3. 2.日本経済の課題
  4. 3.日本銀行の役割
  5. (おわりに)

(はじめに)

 本日は、経済倶楽部にお招きいただき、各界で活躍される皆様方にお話しする機会を得られましたことを、たいへん光栄に存じます。

 本年も残すところ1週間余りとなりました。本日は、この1年間で日本経済は何を達成し、何を課題に残したかということを私なりに整理するとともに、金融政策運営の考え方を申し述べ、皆様方のご理解をいただきたいと思っています。

1.今回の景気回復局面における3つの特徴

(本年の日本経済の歩み)

 最初に、まず今年1年の日本経済の歩みを簡単に振り返ってみますと、まず強調すべきことは、日本経済がようやく回復の動きを始めるに至ったということです。

 今月始めに、新しい方法によるGDP統計が発表されました。この統計によりここ数年の経済成長率を振り返ってみますと、98年度はマイナス0.6%とマイナス成長だったのですが、99年度は1.4%とプラスに転じ、今年の7~9月期は前年比でプラス1.5%となっています。注目されるのは、こうした成長率の回復に対して、民間需要と公共投資がどのように貢献してきたか、ということです。

 ちなみに約2年前、日本銀行がゼロ金利政策を導入した昨年の1~3月は、公共投資は前年比で13.3%伸びていました。それに対して、個人消費と設備投資などの民間需要の伸びはマイナス2.0%と落ち込んでいました。しかし、この両者は、この2年間で徐々に役割を交替させてきました。ちなみに、今年の7~9月期には、公共投資が前年比マイナス4.1%となる一方で、民間需要の伸びはプラス1.1%となっています。つまり、財政面の寄与がマイナスとなるなかで、民間需要の伸びは徐々に強まってきているのです。

 こうした経済の動きのもとで、企業収益も、大企業から中小企業までを合わせた経常利益ベースでみて、2年連続の2桁増益を達成するものとみられます。この間、賃金や雇用情勢をみても、本年春先以降賃金の伸びがプラスに転じ、失業率も過去最高水準から幾分低下するなど、少しずつ好転してきています。

 こう申し上げると、皆様方のなかには、「自分たちの実感とは違う」という感想をもたれる方もいらっしゃるかもしれません。われわれ自身も、そうした実感を否定するつもりもなく、ある意味で、そうした実感にこれから申し上げる今回の景気回復の特徴が端的に反映されている面があると考えています。

(2極化の動き)

 今回の景気回復の第1の特徴は、さまざまな経済の部門ごとに、回復テンポに大きなばらつきが残っているということです。これは、しばしば「2極化」の動きともいわれています。例えば、現状では、企業部門の改善傾向が明確な一方で、家計部門の回復が遅れています。これは、設備投資が大きく伸びているのに対して、個人消費が一進一退の動きに止まっていることに端的に表われており、「企業先行・家計遅行」の回復パターンが顕著です。また、ITブームに乗ったニュー・エコノミーと伝統的産業が中心のオールド・エコノミーとの違いも2極化の典型ですし、大企業の製造業と中小企業の非製造業との対比もよく指摘されています。

 こうした2極化現象のなかで、ここでは、「企業先行・家計遅行」の景気回復パターンについて、少し詳しくご説明します。企業部門では、収益の回復が明確になっており、設備投資も増加しています。一方、収益が増加に転じても、企業はすぐに賃金や雇用を増やそうとはしていません。これは経済・金融のグローバル化が進展するもとで、企業は金融資本市場からのプレッシャーを強く意識せざるを得ず、その結果、過剰債務の処理や収益力の強化が、経営上の最優先課題となっていることを反映しています。経済の状況が多少改善しても、家計や個人消費関連の企業からみて、景気回復の実感がなかなか得られないのも、こうした要因によるところが大きいと思われます。

 このように、企業部門が力を蓄えて、債務の処理やリストラを進めることは、持続的な回復の条件であり、その過程では、雇用や賃金の改善テンポ、ひいては個人消費の回復テンポも緩やかなものにならざるを得ません。しかし、それと同時に、企業が収益基盤の強化を優先するあまり、家計部門への所得分配が過度に絞られますと、マクロ的には、個人消費が落ち込んで景気の足を引っ張るリスクが増大してしまいます。日本経済は、現在、こうした微妙なバランスを保ちながら、持続的な回復の基盤を作っていかなければならない段階にあると考えられます。

(物価面の特徴)

 今回の景気回復における第2の特徴は、物価の弱い動きが続いていることです。消費者物価指数やGDPデフレーターなどの各種物価指数は前年比マイナスの傾向を続けています。このような物価情勢ですと、それなりにモノの量がさばけても、名目の売上高が伸びにくいということになります。経営者の皆さんからみて、回復の実感が得られないというのは、こうした事情も反映しています。

 ただ、昨今の物価低下には、将来につながる前向きな経済活動という側面も含まれているようです。例えば、カテゴリー・キラーと呼ばれるような新しい流通業の拡大は、その大胆な価格戦略によるところが大きく、消費者に対しても大きな恩恵をもたらしています。原材料の調達や加工面で海外のネットワークを駆使した戦略は、流通業における新しいビジネスモデルを提供していると言われています。また、パソコンなどIT関連製品にみられるとおり、情報通信技術の急激な進歩も、価格の低下をもたらす大きな要因となっています。

 こうした物価の動きを需要と供給という2つの側面から整理すれば、次のようなことになるでしょう。まず、需要面ですが、経済がデフレ・スパイラルの瀬戸際という厳しい局面にあった昨年前半との比較で言えば、需要の弱さに起因する物価低下圧力は大きく後退していると思います。他方、ここ数年、技術革新や流通合理化、規制の緩和ないし撤廃の影響など、供給サイドの要因によって物価低下圧力が増大していることも事実です。こうした供給サイドの要因から物価が下落するという動き自体は以前から存在していましたし、技術革新の動き自体は米国の方が凄まじい勢いで進んでいるかもしれません。しかし、わが国の場合、これまで相対的に競争圧力に晒されることの少ない分野が数多く残されていただけに、その分、ここにきて技術革新や経済のグローバル化のもたらすインパクトも大きなものとなるという側面も無視できません。ただ、それだけではなく、経済全体の需給ギャップは依然大きいですし、景気回復のテンポも緩やかなものに止まっているため、こうした面からの物価低下圧力がなくなった訳ではないことも十分意識しています。

 このように、需要・供給両面からの要因が物価に複雑に影響を及ぼしていると、物価の動きをどう評価するかということもたいへん難しくなります。日本銀行がこれまで着目してきたのは、物価低下が企業収益や賃金などの名目所得を圧迫して、それが景気の悪化を通じて、さらなる物価低下をもたらすようなことはないか、ということです。言い換えれば、デフレ・スパイラルという悪循環につながるリスクがあるかどうかの判断です。この点を判断するためには、物価指数の動きだけではなく、物価情勢の背後にある経済全体の需給バランス、企業収益や賃金の動きなどを合わせて判断していくことが必要です。

 現在は、企業収益が増加を辿り、雇用者所得も緩やかながら改善に向かっています。また、成長セクターとされる分野では、製品価格の低下が企業活動を活発化させています。こうした点からみて、現在、物価低下がデフレ・スパイラルをもたらすリスクは小さいと判断しています。

(金融面の特徴)

 今回の景気回復の第3の特徴は、マネーや貸出の伸びが低いことです。

 通常の景気回復期には、実体経済活動と金融活動とが相互に刺激しあいながら、新たなリスク・テイクに向けての動きが活発化するものです。ところが、今回は、不良債権処理という課題が重く残っているために、金融システムが景気回復を力強く後押しするには至っていないように思われます。

 ただ、ここで急いで付け加えないといけないのは、現在、金融が非常に逼迫して実体経済活動の足を引っ張っているという訳ではないということです。ちなみに、日本銀行の短観により、企業からみた金融機関の貸出態度に対する評価をみますと、中小企業では、引き続き「厳しい」とみる企業の方が多いのですが、その程度は改善する方向にあります。また、大企業では、99年9月頃から「緩い」とする企業の数が「厳しい」とみる企業を上回っています。これらの指標や企業の資金繰りに関するアンケート調査、さらにはミクロのヒアリング情報などから判断する限り、全体としては、企業金融を巡る環境は緩和傾向にあるといってよいと思います。

 しかし、その改善のテンポは、金利が非常に低い水準にあることと比べると、緩慢なものに止まっています。また、金融システム面の問題が十分に解決されていないと、金融機関の経営問題が発生するたびに、その金融経済情勢への影響が懸念されることになります。最近も生保や信用組合などの経営破綻がありましたが、こうしたことが起こると、家計や企業の行動はどうしても防衛的にならざるを得ない面があります。

 以上のような金融面の動向に関連して、最近のマネーの伸びについて、ここで簡単に解説したいと思います。ここ数年のマネーの伸びを振り返りますと、伸び率が最も高かったのは、景気の悪化と金融システム不安が非常に強かった98年でした。代表的なマネー指標であるM2+CDでみて、5%の伸びを当時記録しましたが、これが昨年には3~4%台となり、今年はさらに伸びを低め、2%台の推移となりました。

 確かに、こうしたマネーの動きは、景気が回復すると企業の取引が活発化し、これに合わせてマネーも増加していくという通常の動きとは、様子が異なります。しかし、最近のマネーの伸び率の低下には、次に述べるような要因が働いています。

 第1に、企業では、収益の回復やリストラの効果に伴ってキャッシュフローが高水準で推移していますが、設備投資などの支出水準はまだこれを下回っています。第2に、昨年までは、金融システムに関する懸念から、いざという時のための予備的な資金を手元に保有しておくという行動が幅広くみられました。そうした手元資金積み増しの動きは、金融システム安定化に向けた諸施策の効果などを受けて一巡してきました。最近では、格付けなど市場の評価を念頭において財務効率化を図るといった観点も加わって、過去に積み上げた手元現金や借入金の圧縮を優先している企業が多くなっています。

 したがって、企業収益が好調に推移し、また、金融システムに関する懸念が後退しても、しばらくは、マネーの伸びがさらに低下するような可能性もあると考えられます。このような、ある意味でたいへん逆説的なマネーの動きは、金融システム不安の動きに大きく影響されてきたという意味で、今回の景気回復局面の特徴を反映しているように思います。

2.日本経済の課題

(構造的課題と緩やかな回復)

 以上で申し上げてきた今回の景気回復局面の3つの特徴的な動きは、いずれも、日本経済が直面している構造的課題、すなわち、バブルの後始末である不良債権処理という課題と、経済・金融のグローバル化、技術革新への対応といった課題と深く関連しています。そこで、次にこのような構造的課題を意識しながら、日本経済の先行きを考えてみたいと思います。

 日本銀行は、この10月から「経済・物価の将来展望とリスク評価」というレポートを公表し始めました。これは、半年に1回の頻度で、先行き1~2年の日本経済の標準的なシナリオを示すとともに、さまざまなリスク要因に関する政策委員会メンバーの見方を示したものです。先般公表したレポートでは、「今後とも民間需要主導の緩やかな景気回復が続く可能性が高い」が、同時に「企業や金融機関のバランスシート問題やリストラの継続など、さまざまな構造調整圧力が残存しているため、景気の力強い拡大は期待しにくい」という判断を示しています。

 ここには、2つのメッセージが込められています。

 第1に、現在の日本経済は、将来の新たな発展に向けた準備段階にあるということです。構造調整と言っても、その意味するところは多岐にわたっています。マクロ経済のレベルでは、競争メカニズムの一層の活用、規制の緩和や見直し、産業構造の改革などがありますし、企業経営のレベルでは、株主重視のコーポレート・ガバナンスや雇用調整、人員の再配置など、いずれも、これまでの経済や社会の仕組みの見直しを迫るものであります。その過程ではさまざまな痛みが伴うことは避けられません。また、企業や金融機関の不良債権問題という重石は、一晩で帳消しにすることはできませんので、毎年の経済活動が産み出す付加価値で徐々に解消していく必要があります。

 このように、構造調整は、時間をかけて取り組んでいく課題ですが、日本経済が、今後、持続的に発展するためには、避けて通れない大きな課題です。こうした意味では、景気回復がしばらくは緩やかなものに止まることは止むを得ない面があります。大事なことは、一時的な経済成長率の引き上げを目指すのではなく、腰をすえて構造的課題の解決に取り組むことではないかと思います。

 ただし、第2に、もうひとつ大事なことがあります。それは、いくら止むを得ないといっても、経済の回復テンポが緩やかなままでは、外部からのショックに対する抵抗力がなかなか強まらないということです。とりわけ、海外経済の動向や国際的な資本市場からの影響には、十分留意する必要があります。この点については、後ほど、金融政策運営との関連でもう一度触れることにします。

(IT革命)

 ここで、構造的な課題ということに関連して、IT革命といわれるような情報通信技術の大きな変化にどう対応するか、という問題を取り上げてみたいと思います。

 不良債権問題の処理と経済構造の変革という2つの課題は、バブル崩壊以降このかた、日本経済の課題として指摘され続けてきました。このうち、後者については、しばらくは具体的な方向性が見い出しにくい状態、つまり、将来の成長を支える分野やリーディング産業が見通せないような状態が続きました。しかし、ここ数年来、情報通信技術の分野における急激な変化にどう対応し、どのようにその成果を活かしていくかということが重要な課題である、ということが次第に明確になってきました。

 私はこうした情報通信技術の専門家ではありませんので、セントラル・バンカーとして関心のある経済の発展、成長という観点から、2点ほど感想を申し述べたいと思います。

 まず第1に、経済社会全体の仕組みに大きな影響を与える技術進歩という意味では、IT革命は、かつての英国の産業革命とか、米国における鉄道業の発展などに匹敵するものかもしれません。これらのケースで共通しているのは、生産性が大きく上昇しているリーディング産業に向けて、雇用者が大きく移動した点です。産業革命時の英国では、就業者が農業から繊維工業に大きくシフトしました。米国鉄道業が発展した際にも、鉄道や鉄鋼業の雇用者が大きく増加したことが知られています。また、最近の米国では、過去5年間に非農業部門全体で雇用者数が約1,400万人増加しましたが、IT分野が成長するもとで、サービス部門の増加はその半分の約700万人、このうちソフトウェア開発や人材派遣といったビジネス・サービスの分野で約300万人増加しています。

 このような事例が端的に示すように、構造調整とは、個々の企業の経営改革だけに止まらず、労働、資本、土地といった生産要素が、より効率的な分野に振り向けられるプロセスであると言えます。

 第2に、技術の進歩は、単に、生産性の高い分野が発展し、雇用を大きく拡大するということだけに止まりません。IT革命が、革命である所以は、情報通信技術の発達が引き金となって経済全体の生産性が増大し、その過程で、企業や政府などさまざまな組織に、大きな変革がもたらされるという点に求められます。

 ちなみに、米国FRBのグリーンスパン議長も、講演でこの問題をしばしば取り上げています。企業は、情報通信技術の発達によって、顧客のニーズや自らの生産体制をリアルタイムで把握できるようになりました。従来は、予想し得ないような事態に備えて在庫を抱え、また資金や人員の面でもある程度のゆとりを持たざるを得ませんでしたが、情報通信技術の発達によって、そうした「バッファー」を縮小することができるようになりました。グリーンスパン議長は、そうしたバッファーの縮小をIT革命の意義として強調しています。要すれば、情報処理の効率性の向上によって、企業経営上の不確実性が低下し、その結果、さまざまな資源がより生産的な用途に振り向けられることになります。これが、IT革命のもたらすマクロ的な生産性向上の効果だと言う訳です。

 他方、わが国では、これまではメーカーとしてのIT関連企業の動向や業績が議論の中心になっていたことが多いように思います。もっとも、日本でも、最近、さまざまな動きがみられるようになっています。例えば、企業のなかには、サプライ・チェーン・マネジメントというシステムを導入する先が増え始めています。これは、企業が、企画、調達、生産、物流および販売までの一連の業務に関わる自社および取引先の情報を、一括して管理・運営するシステムです。ほんの一例ではありますが、私は、わが国において、こうした動きが今後どのように広がっていくか注目していきたいと思います。

 この点で思い起こされるのはシュンペーターの分析です。シュンペーターは経済発展の過程を「創造的破壊」という言葉で描写しましたが、彼が経済発展の原動力として特に重視したのは、「新しい結合」(new combination)という言葉で表わされる動きです。具体的には、「新しい商品」、「新しい生産方法」、「新しい市場」、「新しい資源」、「新しい組織」の5つです。この整理に従えば、現在最も大きな動きがみられるのは「新しい商品」という領域でしょうが、他の領域でも変化の兆しは感じられます。

(IT活用のための条件)

 そこで、わが国において、IT分野での技術革新をてこに経済全体の構造改革を進めるための条件を考えてみたいと思います。

 まず第1は、労働市場の柔軟性を高めることです。海外の例で示したとおり、構造調整の進展のためには、生産性の高い分野に労働力がスムースに移動することが重要なポイントです。最近では、パートや契約社員等の非正規雇用が増加しており、これは労働市場の流動性が高まる方向の動きとみることも可能です。ただ、そうは言っても、労働市場には依然として大きなミスマッチがあり、労働力の移動に伴う障害を取り除くための余地はまだまだあるようにもみられます。

 第2は、金融システムの立て直しと市場の活性化です。ちなみに、先ほど引用したシュンペーターは、「新しい結合」を推進する立役者として「銀行家」の役割の重要性を何度も強調しています。この「銀行家」という言葉を現代流に翻訳すれば、金融仲介業としての銀行や金融資本市場を含んだ「金融システム」全体を指すものと捉えることができるでしょう。新しい産業や企業群が育てられるためには、健全で活力のある金融システムを通じて、資金やリスクが効率的に配分されるようなメカニズムが不可欠です。

 そうした望ましい金融システムの具体的な姿は時代によっても国によっても変わってきます。したがって、何か固定的な目標を設定してそこに向けて前進するという性格のものではありません。ただ、私が強調したいことは、常にリスクとリターンの関係を意識して信用——これには預金、貸出、証券投資、デリバティブ取引等さまざまな金融取引が含まれますが——が取引される土壌や文化がしっかりと根づくことが重要であるということです。

 第3は、さまざまなイノベーションを引き出す上で障害となりかねないような各種の制度の見直し、規制の緩和・撤廃を進めていくことです。この点については、これまでも、民間および政府の関係者の間で重ねられてきたさまざまな努力が、数多く実を結んできています。ただ、会計、税制、法制といった制度上の枠組みが新たな時代に適応したものになっているかどうか、引き続き点検していくべきポイントは少なくないように思います。

 このように考えてきますと、ITを活用して、その意義を十分に引き出そうとする取組みの多くは、結局は、企業や個人がリスク・テイクをしやすい環境を整えるものです。そして、これらは、わが国経済の構造調整の推進そのものにつながってくる課題でもあります。その意味で、私は、わが国において、IT革命が経済のなかにどの程度浸透していくかということは、「構造調整」の進捗度合を示す尺度であると考えています。

3.日本銀行の役割

(金融政策運営)

 それでは、日本経済がこれまで申し上げてきたような構造調整を進めていく上で、日本銀行は中央銀行として、どのような役割を果たすべきなのでしょうか。

 インフレやデフレが進行するもとでは、構造調整の進展の多くは期待できません。金融政策の目的は、物価の安定を達成し、このことを通じて健全な経済の安定的な発展に貢献することですが、このことは、構造調整という大きな課題の達成に対して中央銀行がなし得る最大の貢献です。そこで、来年に向けての金融政策運営の課題についても簡単にお話ししたいと思います。

 日本銀行は、今年8月にいわゆるゼロ金利政策を解除しましたが、これは、冒頭に申し述べたような経済の改善状況を踏まえた、「金融緩和の程度を微調整する措置」と位置づけられるものであり、金融面から景気回復を支援する姿勢に変わりはありません。

 現在、日本経済を取り巻くさまざまなリスク要因を点検しますと、回復テンポが緩やかであるだけに、外部からのショックで景気が下振れしたり、デフレ懸念が再燃するリスクにも十分留意する必要があると考えています。

 日本銀行が着目しているリスク要因は、先ほどご紹介した「経済・物価の将来展望とリスク評価」で詳しく述べていますが、このうち、現在私が特に着目している点を2つ挙げておきたいと思います。

 第1は、米国を中心とする世界経済の動向です。米国経済はこれまで潜在成長率を上回るような拡大を続けてきましたが、本年7~9月期の実質GDPは年率プラス2.2%と、これまでの4~5%台の高成長から拡大テンポが鈍化しています。米国経済の減速自体は、それがソフトランディングである限り、成長の持続性という点でむしろ望ましいとされてきました。しかし、同時に、米国との貿易ウェイトが高いアジア経済を通じる間接的な影響も含め、日本経済にマイナスの影響がもたらされる可能性もあります。今後、米国経済のスローダウンが、世界経済の持続的成長に寄与するものかどうか、あるいは、より厳しい影響を世界に与えるのか、十分注意を払っていく必要があると考えています。

 第2に注目している点は、内外の株式市場が不安定な動きを続けていることです。日本の株価の下落が、企業や家計のコンフィデンスを悪化させたり、金融機関や企業のリスク・テイク能力を低下させたりすると、景気回復の流れにも支障を来します。現時点では、企業業績の増益基調は維持されており、実体経済の動きに悪影響が生じているとはみられませんが、今後の株価の動向やその影響については、引き続き細心の注意をもってみて参りたいと考えています。

(金融政策と構造調整)

 以上申し上げましたように、日本銀行は、さまざまなリスク要因を慎重に点検しつつ、金融面から景気回復を支援し、日本経済がデフレ・スパイラルに陥ることのないよう、適切な金融政策運営に全力を挙げていく方針です。

 ただ、同時にご理解いただきたいことは、金融政策は決して万能薬ではなく、金融政策でもって構造調整そのものを肩代りすることはできない、ということです。長い目でみれば、経済の成長の源泉は、イノベーションを通じた民間活力の発揮に求められることは言うまでもありません。構造調整を進めるためには、この問題に真正面から焦点をあてた政策対応や企業努力が不可欠です。

 その意味では、先ほどいくつか申し述べたとおり、経済や社会の仕組みについて絶えず見直しを続けて、企業や個人の経済活動を取り巻く不確実性や不安感をできるだけ減らし、リスク・テイクをしやすい環境を整えることが重要です。

 日本銀行は、わが国の中央銀行として、さまざまな中央銀行サービスを提供しており、そのサービスの質は日本経済の発展にも影響を及ぼします。このため、金融市場や決済システムという面では、自らの業務を見直していくことを通じて、金融システムの改革に貢献していきたいと考えています。現在は、年明けの1月4日にスタートするRTGS(Real Time Gross Settlement)や、国庫金事務の電子化などに取り組んでいますが、こうしたことのひとつひとつの積み重ねが、効率的で安定的な金融システムの構築につながっていくものと考えています。

(おわりに)

 以上、本年の日本経済の展開を振り返って、来年に向けての課題や金融政策運営の考え方を申し述べて参りました。

 あと僅かで20世紀が終わり、21世紀を迎える訳ですが、最後に、20世紀の経済成長の歩みを振り返りながら、本日の話を締めくくらせていただきたいと思います。

 今世紀の100年間の年平均成長率をみると、米国が3.3%、英国が1.9%でした。今世紀中、米国や英国では、2回の世界大戦のほか、幾度かの戦争を経験しました。経済や金融面では、激しいインフレやデフレ、あるいは金融システムの動揺も経験しましたし、20年ほど前には、国力の衰退が真剣に議論された時期もありました。しかし、最近の5年間の平均成長率をとると、米国が4.4%、英国が2.8%となっており、今世紀の平均成長率を1%程度上回る成長を実現しています。このことは、成熟した経済でも、民間経済のダイナミズムを十分に引き出すことができれば、経済の拡大、発展を実現できるということを雄弁に物語っています。

 他方、日本の過去100年間の平均成長率は3.9%、今世紀後半の50年間の平均成長率は5.8%、過去5年間の平均成長率は1.4%です。このように最近は低成長が続いたため、日本経済の中長期的な成長力に対し悲観的な見方も聞かれなくはありません。しかし、私は、そこまで悲観的になる必要はないと思います。海外の例をみても明らかなように、経済は人間の営みである以上、われわれ自身が経済の先行きをどのように判断し、どのように行動するかで、経済の軌跡は変わってきます。

 本日も申し上げましたように、確かに、日本経済はここ10年間、バブルの後始末に追われ、「グローバル化」という言葉に代表される、世界経済を巡る環境の変化に十分に適合できなかった面があると思います。

 したがって、そうであれば、現在まず必要なことは、われわれはグローバルな競争圧力から逃れることはできないという認識を共有することです。そうした共通の認識があれば、取組むべき構造調整の具体的な内容も自ずと浮かび上がってくるように思います。私は、今後、民間が主体的に構造調整に取り組み、当局がそのための環境を整えるならば、日本経済は再び力強い発展を遂げることができるものと信じています。

 先ほど、構造調整との関係で日本銀行の果たす役割は、経済の安定の実現に努めることと、中央銀行自身の業務・サービスの見直しであるということを申し上げました。日本銀行はわが国の中央銀行としてこの2つの役割を意識し、日本経済の発展に最大限貢献していきたいということを強調して、私の話を終わりたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

以上