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最近の金融経済情勢と金融政策

2001年 3月 7日・内外情勢調査会における速水日本銀行総裁講演

2001年 3月 7日
日本銀行

[目次]

1.はじめに

 本日は、内外情勢調査会にお招きいただき、たいへん光栄に存じます。

 新たな世紀を迎えて2か月が経ちました。日本経済にとって非常に厳しい世紀末の10年間を終えたわけですが、残念ながら、経済の再生と景気の本格回復に向けては、なお道半ばであると言えます。

 振り返ってみますと、昨年の日本経済は、企業部門を中心に持ち直しの動きが次第に明確化し、緩やかな回復過程を辿りました。しかし、その後の経済の足取りは順調というわけにはまいりませんでした。特に、これまで、世界経済を牽引してきた米国景気が、昨年秋以降、大方の予想を上回るテンポで減速したことは、日本経済にも大きな影響を与え始めています。過去10年間、日本経済は景気循環という観点からみて、何度か回復の動きがみられましたが、結局力強い回復を迎えることなく、景気後退に直面するという事態を繰り返してきました。現在、日本経済の先行きに対し、悲観的な見方が広がっているようにみえますが、これには短期の景気循環の問題という側面と、中長期的な日本経済の立て直しという側面の両方が関連しているように思います。

 そこで、本日は、こうした問題意識を念頭におきながら、最近の金融経済情勢や金融政策運営の考え方を申し述べたいと思います。

2.最近の金融経済情勢

景気の現状

 それでは、金融経済情勢からお話ししたいと思います。最初に、日本銀行の基本的な認識を要約して申し上げれば、「景気回復の動きは一段と鈍化しており、先行きの不透明感も強まっている」というもので、私どもとしては、このところ、警戒感を強めています。

 ここ2年間の日本の緩やかな景気回復を支えてきたメカニズムを整理しますと、まず、輸出の増加やIT関連需要の高まりに先導されるかたちで、企業の生産活動と収益が回復し始め、これにより設備投資の増加がもたらされました。ただし、企業部門の回復が家計部門に波及するテンポは、リストラ圧力が強いために、たいへん緩慢なものでした。それでも、昨年夏ごろには、賃金の伸び率がようやくプラスになりました。このように、昨年中は、企業部門の回復が先行し、それがゆっくりとではあれ、家計部門に繋がっていくというメカニズムが働いていたとみられます。

 しかし、米国経済の急速な減速の影響を受けて、昨年末以降、輸出や生産の増勢鈍化が徐々に明確になってきました。実際、わが国の輸出は昨年第4四半期には前期比横這い程度にまで減速し、先行きについても、当面、減少は避けられないものとみています。こうした輸出の減速を受けて、生産が足踏み状態となっているほか、海外需要の減少が大きい素材や電子部品の一部では、在庫にやや過剰感が生じています。このため、IT関連企業の中には、増益基調を維持しつつも、業績の下方修正を発表する先が出てきています。また、設備投資の先行きについても、やや懸念される材料が出始めています。ただいまご説明したとおり、これまでの景気回復のエンジンは、製造業を中心とする企業部門でしたから、以上のような動きは先行きの景気展開に影を落とす重要な要因であると考えられます。

景気の下振れ方向のリスク

 そこで、先行きの景気の展開を見通すうえでどのようなリスクが重要であり、その影響はどの程度かという問題を考えてみたいと思います。経済はいつも様々なリスクに直面していますが、昨年秋以降、私どもは、特に2つの景気下振れリスク、すなわち世界経済の減速と、内外資本市場の不安定な動きを注視してまいりました。これらのリスクは本年入り後、さらに高まっており、徐々に現実のものになりつつあるように思います。

 まず最初に、世界経済の減速、とりわけ鍵を握る米国経済の動きからみていきますと、米国経済は、昨年半ば頃まで、5%前後の高い成長を示してきましたが、年後半以降、成長率は大きく低下しました。こうした景気減速のスピードは、大方の予想を上回るものであったと思います。このため、米国の中央銀行であるFRBは、年初に臨時のFOMCを開催して0.5%の利下げを行い、続いて1月末にも、0.5%の追加利下げを実施しました。こうした景気の急激な変化は、FOMCメンバーによる2001年の実質成長率見通しが、昨年7月時点の「3.25%~3.75%」から、本年2月には「2.0%~2.5%」に大きく下方修正されていることにも表れています。

 今後の米国景気の展開をみていくうえでは、本年前半の成長率がかなり低めになることはもはや避けられないとして、その後、どの程度の回復が見込めるかという点が重要です。エコノミストや市場参加者の間でも、年後半以降、急回復をするのか、緩やかな回復に止まるのか、あるいは、経済の減速傾向が長引くのかといった点を巡って、意見が分かれています。その中で、楽観的な見方、すなわち、年後半以降、いわゆる「V字型回復」に戻ることを予想する見方の背景として、IT革命による生産性の向上には変化がみられないこと、また金融、財政とも政策対応の余地が大きいことなどの点が指摘されています。ただ、これまで非常に高い成長が続いていただけに、いったん始まった調整は厳しいものとならざるをえず、どの位の時間で終息するかについては、なかなか予想し難いということも指摘されています。最近は、楽観的な見方は徐々に勢いを失っているように窺えますが、いずれにせよ、私どもとしては、本年後半の米国経済がどの程度の力強さを取り戻すか、予断をもつことなく慎重にみてまいりたいと思います。

 こうした米国経済の減速が日本経済に与える影響をみると、米国経済との関連性の強い東アジア諸国経済の成長鈍化を通じる間接的な影響も加わり、先ほど申し上げたとおり、すでに様々なかたちでインパクトを及ぼしつつあります。輸出の減少を背景とした生産の減速が、企業収益の圧迫や企業の支出活動の抑制にまで繋がるとすると、「企業部門を起点とする景気回復メカニズム」自体が損なわれるリスクが高まることになります。今後、企業の生産活動や収益、設備投資計画の動きを、念入りに点検していく必要があると考えています。

 世界経済の動向と並んで、日本経済にとって留意すべきもうひとつの景気下振れリスクは、内外資本市場、とくに株価の動きとその影響です。わが国の株価は、日経平均株価でみると、銘柄入替えによる影響は調整して考える必要はありますが、バブル崩壊後の最安値を更新するなど、このところ低迷振りが目立っています。株価低迷の原因を特定することはなかなか困難ですが、米国株価の動きの影響に加え、わが国の景気の先行きに対する警戒感を背景に、市場心理がかなり慎重化していることが影響しているように窺えます。また、わが国経済が抱える様々な構造問題に対する解決への取り組みが遅れていることに対する内外市場参加者の懸念が影響していることも否定できません。

 こうした株価の低迷が、家計・企業のマインド面や企業金融にどのような影響を与えるか、重大な関心を持ってみていく方針です。

物価情勢

 以上申し上げたような金融経済情勢を背景に、物価情勢をどう評価するかという問題が、このところ、改めて関心を集めています。

 現在、国内卸売物価指数、消費者物価指数、企業向けサービス価格指数など各種の物価指数は前年比で若干のマイナスとなっており、先行きも、当面、物価は弱含みで推移するとみています。

 こうした物価動向の背景には、当然のことながら、需要、供給の両面の要因が作用しています。まず、需要面では、景気のボトムであった2年程前と比較すると、状況は相当程度改善しているとはいえ、現在でも、なお、かなり大きな需給ギャップが残っていることは事実です。さらに、このところ景気の回復テンポが一段と鈍化していることから、今後、需要の弱さを反映した物価低下圧力が再び強まる懸念があります。一方、供給面では、技術革新や流通合理化、規制緩和など、様々な要因が、引き続き物価下落方向に作用しています。例えば、国内卸売物価では、技術進歩が著しい電気機器などの機械類の価格下落が目立っています。また、消費者物価の下落については、衣料品に代表されるような輸入品や輸入競合品価格の低下の寄与が大きくなっています。

 この点に関連して一言申し上げたいことは、日本銀行はいわゆる「良い物価下落」という主張を展開しているわけではないということです。日本銀行が常々申し上げてきているのは、現在の物価情勢には、需要・供給の両面が複雑に影響を及ぼしているため、単に物価指数の動きだけでは、経済の健全な発展と整合的な物価情勢であるかどうか、判断しにくくなっているということです。問題は、現在の物価の弱さが、企業収益や雇用者所得を圧迫して、再び、景気と物価の悪循環、すなわちデフレ・スパイラルをもたらすかどうか、ということです。これまでのところ、経済が再びデフレ・スパイラルに陥るというような状況には至っていないと判断されますが、先ほど申し上げたように、景気の回復テンポが一段と鈍化しているだけに、物価動向については、これまで以上に入念に点検していくべき局面になっていると認識しています。

3.金融政策運営の考え方

(1)流動性供給方法の改善策と金利の引き下げ

2月9日、2月28日の決定

 以上のような金融経済情勢を踏まえ、金融政策運営の考え方について述べたいと思います。

 ご承知のとおり、日本銀行は、2月9日の決定会合において、流動性供給方法の改善策と、公定歩合の0.15%の引き下げを決定しました。具体的な流動性供給方法改善策としては、公定歩合により受動的に貸出を実行する、いわゆるロンバート型貸出の新設、短期国債買い切りオペの積極活用、全国手形オペの早期具体化の、3つの措置を講ずることとしました。

 さらに、2月28日の決定会合では、コールレートの誘導水準を0.15%に引き下げるとともに、公定歩合を0.1%引き下げて年0.25%とすることを決定いたしました。

ロンバート型貸出と公定歩合の新たな役割

 これらの措置のうち、日本では初めて導入する仕組が、いわゆるロンバート型貸出です。正式には「補完貸付制度」と呼んでいます。従来の日本銀行の資金供給は、相手先を予め選定したうえで、その実行のタイミング、金額を日本銀行が決定していました。これに対し、ロンバート型貸出においては、担保の種類等予め明確に定められた条件を満たす限り、適格担保の範囲内で、金融機関自身が希望するときに、希望する金額を機動的に日本銀行から借入れることができます。つまり、金融機関にとっては、いつでも利用可能な資金調達手段が備わったことになります。

 今回創設した補完貸付制度の最大の効果は、市場金利を安定化させるということです。日本銀行が誘導目標としている翌日物のコールレートは、通常であれば、公定歩合より低い水準で推移すると思われます。他方、期末要因ですとか、株価急落や大型信用不安といった何らかのショックが発生すると、市場金利は上昇傾向を示しますが、そのような場合でも、金融機関は、公定歩合により日本銀行から資金を調達することができるため、翌日物の市場金利は公定歩合以下の水準で動くことになります。さらに、流動性がいつでも調達できるという安心感から、翌日物のコールレートだけでなく、短期市場金利全体の安定化にも繋がると考えられます。2月中の2回にわたる合計0.25%の公定歩合引き下げは、そうした金利安定化効果を一層強化する意味を有しています。

 ここで、公定歩合の役割について述べておきたいと思います。かつては、公定歩合操作は金融政策の基本的手段と位置付けられていました。また、それだけに、公定歩合の変更は金融政策運営の基本スタンスの変更を示すものとして、いわゆるアナウンスメント効果を有すると考えられてきました。しかし、94年に金利自由化が完了し、公定歩合と預貯金金利との制度的な連動性はなくなりました。96年には、日本銀行は、公定歩合が適用される日銀貸出を金融調節の手段としては用いないとの方針を明らかにしました。このため、公定歩合の政策金利としての地位は大きく低下し、90年代半ば以降は、翌日物コールレートの誘導水準が政策金利の役割を担ってきました。

 しかし、このたびのロンバート型貸付制度の新設により、公定歩合には、コールレートの変動の上限を画し、短期市場金利の安定性を確保するという、新たな機能が付与されることになりました。日本銀行としては、日々の金融市場調節を通じて、コールレート誘導水準の実現に努めるとともに、その政策効果を補強する手段として、公定歩合の新たな機能も活かしてまいりたいと考えています。

機動的・弾力的な政策運営

 以上、2月中の2回の決定会合における決定内容をご説明いたしました。これらの措置を講じたことの背景を、改めて整理しておきたいと思います。

 まず、今回の一連の措置は、言うまでもなく、金融経済情勢の現状と先行きに関する認識を踏まえたものです。さきほど申し上げたように、海外経済の減速や株価下落の影響を受けて、景気回復の動きは一段と鈍化しており、先行きの不透明感も強まっています。また、金融資本市場においても、こうした先行き警戒感もあって、一部に不安定な動きがみられました。そこで、金融市場の円滑な機能の維持と安定性の確保に万全を期すとともに、金融面から景気回復を支援する力をさらに強化する観点から、これらの措置を決定したわけです。実際、これらの決定を受けて、オーバーナイト金利はもちろん、3月期末を越える金利や長期金利など、市場金利全般が大きく低下しています。

 もうひとつ、強調しておきたいことは、私どもは、経済情勢の変化を踏まえ、機動的・弾力的な政策運営に努めているという点です。先ほど申し上げたとおり、米国経済の急激な減速などを背景に、日本経済も、回復の動きが一段と鈍化してきました。私どもとしては、そうした状況を直視し、適切な措置をタイムリーに講じてきたと考えておりますし、今後も機動的な政策運営に努めていく方針です。

 日本銀行としては、2月に決定した一連の措置が、民間需要主導の自律的な回復に繋がることを期待しております。

(2)今後の金融政策運営

 以上、2月に決定した一連の施策について、そのポイントを述べました。現在、わが国の金融政策のあり方については、引き続き、様々な観点から議論が行われています。例えば、日本銀行の現在の金融緩和策は不十分であり、いわゆる「量的金融緩和」を実施したり、ゼロ金利政策を復活させるべきではないか、といった主張も聞かれます。そこで、今後の金融政策運営について、政策委員会における議論を踏まえ、基本的な考え方を申し述べたいと思います。

 まず第1にご理解いただきたいことは、日本銀行は、金利の面はもちろん、量の面においても、これまで、内外の中央銀行の歴史に例をみないような思い切った金融緩和策を行っているという事実です。こうした政策運営を背景に、短期金利、長期金利とも、極めて低い水準で推移しています。また、市場に対して極めて潤沢な資金供給を行っており、日本銀行が直接に供給する通貨量を示すマネタリーベースも、後程ご説明しますように、相当高い伸びを示しています。

 第2に申し上げたいことは、そのうえで、しばしば「量的緩和」といわれるような追加的な手段を講ずるかどうかは、すぐれて、景気や物価の情勢に関する判断に帰着する問題である、ということです。

 一口に「量的緩和」といっても、論者によって、様々な意味で使われているように窺われます。例えば、「長期国債の買い切りオペを増額する」という意見がありますが、日本銀行は従来から、長期的な銀行券の増加トレンドにほぼ見合うように、年間5兆円程度の長期国債を購入しています。このような買い切りオペの金額を思い切って増やすという場合には、効果もあるかもしれませんが、同時に副作用もあるかもしれません。したがって、その効果と副作用を慎重に検討したうえで実施する必要があります。国債買い切りオペの増額で期待される効果としては、長期金利の低下を促すことができる、あるいは人々の期待インフレ率を高めることができるかもしれない、といったことが挙げられています。一方、現在の深刻な財政状況に鑑みると、財政運営に対する信認が毀損され、かえって長期金利が上昇してしまう可能性も否定できません。

 また、思い切った政策をトライするという意味では、「為替相場を介入により大幅な円安に誘導する」という政策も考えられます。現在の法律の枠組みのもとでは、為替介入は財務省の権限ですが、そのことをさておいても、介入で為替相場の人為的なコントロールがどこまで可能なのか、輸入コストの上昇やアジア諸国へのマイナスの影響をどう考えるか、といったことをさらに慎重に考える必要があります。

 結局、量的緩和論の中で提唱されている政策や、ゼロ金利政策といった、通常は行われないような政策にあえて踏み込むべきかどうかは、それらを必要とするような経済や物価の情勢にあるかどうかという判断が大前提となります。日本銀行としては、今後とも、しっかりとした情勢判断を行ったうえで、中央銀行として採りうるもっとも適切な政策運営のあり方を、考えていく方針です。

 第3に、改めて強調したいことは、この10年間、金融政策や財政政策をフルに投入しても、なお経済の回復が確実なものとならない理由を同時に直視すべきである、ということです。

 この点を説明するため、ここで、3つの数字を申し上げます。この5年間の平均で、マネタリーベースの伸びは7.3%、マネーサプライの伸びは3.3%、名目GDPの成長率は0.4%でした。70年代から80年代にかけては、これら3者の伸びは比較的近いレベルでしたが、ただいま申し上げた3つの数字の間には大きな隔たりがあることがお分かり頂けると思います。

 まず、マネタリーベースとマネーサプライの関係です。マネタリーベースとは「現金」と「金融機関が日銀に預けている当座預金」の合計です。金融論の教科書では、日本銀行がマネタリーベースを供給すると、それをもとに金融機関が信用創造を行い、マネタリーベースの数倍のマネーサプライが産み出されるとされています。しばしば、金融政策を巡る議論においても、マネタリーベースが足りないということが問題にされています。しかし、今申し述べたように、実は、日本のマネタリーベースは、かなり高いペースで伸び続けています。それにもかかわらず、マネーサプライの伸びが一向に高まらない状態が続いているわけです。実際、経済にマネーサプライを供給する主なルートは民間金融機関の信用創造機能ですが、その中核をなす銀行貸出は、同じ最近の5年間で年率−1.4%のペースで減少しています。その代わり、銀行は国債保有を年率15.7%という高い伸びで増やしており、いわば国債発行とそれによってファイナンスされた財政というパイプを介して、資金が循環するルートが大きくなっていると言えます。

 一方、いくら低い伸びとはいえ、マネーサプライが年間3.3%、金額にして毎年20兆円ほども増加していることも事実です。それにもかかわらず、名目成長率がほとんどゼロにとどまっているわけです。以上の事実は、マネタリーベースの供給量のわりには、経済活動が活発化しにくくなっているという状況を表わしています。

 結局、これらの数字は、金融システム問題の解決や、それと裏腹の関係にある企業経営の立て直しといった、日本経済の構造的課題の重要性を浮き彫りにしているように思われます。また、そうした問題を解決することが、金融政策の効果を引き出すためにも、重要な前提となります。

 この点は、最近の不良債権の処理を巡る問題と関連して、最後に、もう一度述べることとしたいと思います。

(3)物価の安定と金融政策

 金融政策運営に関連するもうひとつの話題として、物価と金融政策の関係について申し上げたいと思います。最近、「インフレを防ぐのと同様、デフレを防ぐことができるのは、唯一金融政策だけである」というご意見が少なからず聞かれます。金融政策の目的を「物価の安定」とすることは、日本銀行法においても謳われており、私どもはそうした考え方に基づき適切な金融政策運営に努めています。しかし、同時に、金融政策を実践するという観点からみますと、物価安定という目標と金融政策との関係はもう少し複雑です。

 昨年、私どもが公表した「物価の安定」に関するレポートの中でも触れたところですが、例えばどのような長さの期間を想定するかでも、金融政策と物価の関係は変わってきます。例えば、10年とか20年とかいう非常に長い期間をとりますと、財やサービスと通貨の交換比率が物価である以上、多くの場合、通貨の過大供給が物価の上昇に、一方、通貨の過小供給が物価の下落に対応しています。「物価の変動は本質的には貨幣的な現象である」とされているのも、また、ただいま述べたとおり、「物価の安定」が金融政策の目標とされているのも、こうした長期的な関係に基づくものです。

 他方、数か月から数年間といったもう少し短めの期間では、物価の変動には、通貨以外の様々な要因も影響を及ぼしています。経済全体の需給バランス、人々のインフレ期待、国際商品価格、あるいは為替相場などが複雑に関係しています。こうした状況下で、金融政策で物価をどこまでコントロールできるか、また、すべきかは、なかなか難しい問題です。例えば、石油ショックにより物価上昇圧力が生じた場合、それを短期間で抑えようとすれば、たいへん激しい金融引き締めが必要となります。その結果、経済活動は大幅に落ち込んでしまうかもしれません。そうなると、長期的にみれば物価の持続的な安定は確保されないことになります。逆に、活発な技術革新による生産性の向上から物価が低下しているときに、金利引き下げによって物価を無理に引き上げようとすることは、結果的に経済活動の振幅を大きくする可能性があります。

 私も、最終的には、金融政策は物価動向に影響する重要な要素であると考えています。しかし、長期的にその責任を果たすためには、表面的な物価指数の動きだけでなく、その背後にある様々な経済の動きを分析して、そのときどきの物価の動きが「経済の持続的な成長と整合的かどうか」という観点を踏まえた対応が必要となるのです。日本銀行法が、金融政策運営に当たっては、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定しているのは、正にそうした考え方によるものであると理解しています。

4.おわりに

 以上、金融政策運営についての考え方を述べてまいりました。最後に日本経済の構造的な課題に触れて、本日の私のお話の結びとしたいと思います。

 日本経済が、今後、力強い成長を遂げるためには、経済の供給面や構造面に働きかけ、生産性を高めていく努力が不可欠です。米国や英国の経済が1990年代にかけて力強く復活したのも、基本的にはそうした努力の結果だと思います。こうした観点から、わが国にとって現在最も重要なことは、次のような認識を、国民が共有し、改革のスピードを速めることであると考えています。

 第1に、経済成長の源泉はイノベーションを通じた民間部門の活力にあるということです。公的部門に過度に依存することなく、民間セクターの創意と工夫によってはじめて経済の潜在的な力が最大限に発揮されます。

 第2に、民間の活力は市場メカニズムをフルに活用することで引き出されるという点です。すなわち、民間部門が生産性を高めるためには、成長性、効率性、採算性の高い部門や企業と、そうでない部門や企業の間で、資本や労働といった生産要素を再配分・再配置することが必要ですが、こうしたプロセスは市場メカニズムによって最も効率的に実現されます。

 第3に、こうした改革は、どうしてもある程度の「痛み」を伴うものとならざるを得ない、ということです。構造改革を進めるプロセスにおいては、企業の淘汰や事業の再構築の動きなど、一時的にせよ、経済に対してマイナスの影響が生じる可能性があります。その際、重要なことは、いったん構造改革の波に洗われた企業や労働者に対しては、自らの競争力を発揮できる分野へ再度挑戦する機会を用意する、ということです。

 構造改革として具体的に何が重要であるかという点については、様々な意見がありますが、本日は、私が常日頃から考えている2つのポイントを申し上げたいと思います。

 第1のポイントは、銀行の不良債権問題の解決です。私が3年前総裁に就任して以来、グリーンスパン議長など米国の有識者の方々から、「銀行の不良債権問題の解決に関し、米国のS&L問題や銀行危機から得た教訓は、不良債権をバランスシートから完全に切離すことだ」との助言を頂きました。それ以来、私としても「不良債権を銀行のバランスシートに載せたまま引当金を積んだだけでは問題は解決しない。不良債権をバランスシートから完全に切離すことがどうしても必要だ」と機会ある毎に述べてきた経緯があります。わが国の銀行の不良債権額は、ここ数年30兆円程度で推移し、ほとんど減少していない事実は真に残念と言わざるをえません。こうした状況を勘案しますと、柳沢大臣の「直接償却を推進すべき」とのご見解は、私どもの考え方と一致するものであると同時に時宜を得たものと考えます。

 また、直接償却の推進は構造改革を進めていく一助となるものと考えられます。

 現在、直接償却を推進するための諸施策としては、例えば、第1に、会社分割により不良債権を別会社に移し償却する、第2に、貸出債権売買市場の改善などが考えられますが、何らかの具体策が早急に打出され実行に移されることを期待しています。同時に銀行経営者の方々が、思い切って償却に踏み切ることも大いに期待しているところです。なお、「不良債権の予備軍」である「要注意債権」についても、十分に引当を講じておくことが極めて重要です。

 もちろん、償却の推進は一方で不良債権問題の解決に向け大きな前進となるものの、他方では企業の淘汰が進み雇用面への影響も懸念されます。日本銀行としては、そうした「痛み」が経済に大きなマイナスのインパクトをもたらすことのないよう、金融政策面からできる限り貢献を果していく積もりです。

 第2のポイントは、銀行の不良債権問題の解決や構造改革を推進していくためには、現在1,380兆円にも達している個人の金融資産の54%が現金や預金という状況から、これら資金を株式市場や債券市場へ流入させることがどうしても必要だということです。こうした間接金融から直接金融への移行を近年うまく行い、リスク・キャピタルの増大に成功した事例としてはドイツが挙げられますので、簡単に紹介します。

 ドイツでは、90年代前半から98年までの間に3回に亘り金融・資本市場振興法を成立させ、株式市場や投資信託の改革を進めました。具体的には、株式の最低額面金額の大幅引き下げ、ファンド・オブ・ファンズの自由化、投資信託の商品性改善、高齢者ファンドの育成などです。この結果、家計部門の金融資産に占める現預金の比率は1991年から99年の間で、日本では50.8%から54.0%まで上昇したのに対し、独では45.8%から35.2%へと減少、また同期間における株式・投資信託の比率は日本では10.9%から10.4%へと減少しているのに対し、独では14.6%から27.3%へと急上昇するなど、劇的な変化が生じています。

 日本においても、投資信託あるいはミューチュアルファンドなどの増加が期待されるわけですが、そのためには、投資信託の商品性改善が急務であり、特に家計が安心して投資できる、家計の様々なニーズに合致し、しかもバラエティに富んだ投資信託が多数設定されることが望まれます。

 さらにリスク・キャピタルを通じた資金の流れを太くする方策としては、投資組合の設立が考えられます。長銀を購入し新生銀行を設立したリップルウッド、東京相和銀行を購入したローンスターなどはいずれもプライベート・エクィティ・ファンドと称する投資組合であり、その出資者は投資信託、個人年金の運用主体である年金基金、大学財団などであります。日本でもこうしたファンドが多数設立されることをバックアップする施策が講じられることが必要でありましょう。

 このように、現在、現金や預金に偏っている個人金融資産が様々なパイプを通じて金融・資本市場に流入することにより、不良債権問題の早期解決を含めた金融システムの安定性が確保され、同時に構造改革がさらに進むことを期待するものであります。

 ご清聴ありがとうございました。

以上