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青森県金融経済懇談会における植田審議委員基調説明要旨

2001年 4月18日
日本銀行

[目次]

金融緩和の背景

 日本銀行は、本年2月から3月にかけて金融緩和措置を3回連続で発動した。その背景を説明するために、1999年からの緩やかな景気回復過程を振り返ってみたい。回復の起点となったのは、99年半ばからの輸出・生産・企業収益の回復、そして少し遅れての大企業製造業を中心とする設備投資の回復である。別の面から見れば、堅調な米国経済、世界的なITブームの中で、日本も製造業中心の回復を実現したということである。

 しかし、製造業、特に電気機械の堅調さが、その他セクターへ波及した度合いは残念ながら極めて弱かった。その原因は、日本経済が大きなスケールでのリストラ過程の途中にあるからだと思う。企業部門の利益率はROAで見て3%程度と、8%から9%の米国に比べて大きく劣る。利益率を上げるための賃金抑制は消費の停滞につながった。また、様々な分野で新しい技術、ビジネス・モデルを使った勝者が誕生する一方、敗者が発生し、彼らの支出行動を通じて厳しいデフレ圧力につながっている。例えば、ユニクロ等の動きは、明らかに経済を中長期的には活性化する要因である一方、短期的には、消費の弱さとあわせて、国内の輸入競争企業、及び流通関係の非製造業の支出行動にマイナスの圧力を及ぼすとともに、消費者物価指数(CPI)の下落傾向の重要な要因にもなってきた。また、金融機関の不良債権問題の抜本的な解決の遅れもこうした構造問題の一つである。

 つまり、電気機械を中心とするごく一部のセクターがきわめて高い成長を記録する一方、その他部門はミクロではダイナミックな動きを一部に見せつつも、平均的には停滞色の濃い状態を続け、全体では先頃発表されたように、2000年暦年は前年比1.7%というほぼ潜在成長率並みの成長となったのである。足許のデータから見て、2000年会計年度も1%台半ばの成長率で着地する可能性が高い。

 さて、昨年後半からこの緩やかな回復に黄色ないし赤信号が点り始めた訳である。いうまでもなくその原因は米国の景気後退、ITブームの一服によって、回復のエンジンであった製造業、特に電気機械産業が、輸出を通じて、急減速したことである。これは生産の低下、企業収益の伸びの鈍化、慎重な設備投資計画と波及してきている。つまり、経済を引っ張ってきた分野の動きが逆向きに転じたということだ。最近発表されたデータはこうした動きを確認するものが多く、さらに一部で在庫調整の動きも重なりはじめている。その他の分野は製造業のように急低下している訳ではないが、停滞感は継続している。このため、2001年度の景気は難しい局面を迎えているし、株価はこれを先取りして下げてきたと言えよう。付け加えれば、こうした動きは大方の予想以上に急速であり、米国のFedも1月の初めに臨時FOMCで緊急利下げを実施したほどである。

3月19日の政策変更

 昨年の1.7%成長からの減速となれば、物価の低下傾向が一段と鮮明になるリスクがある。この判断の下、いくつかの政策対応を今年になって打ちだしてきたわけだが、時間の関係で3月19日の措置に絞って説明をさせて頂く。この措置では、日本銀行の取引先金融機関の日本銀行当座預金残高を操作目標にするという方式を、「CPIの前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」続けること、さらに資金供給に困難をきたした時には、日銀券残高を上限として、長期国債の買いオペを増やすことも選択肢とすることが決定された。

 3月の措置を議論する前に、当時金融政策としてどのような選択肢があったかを整理しておくのが有益だろう。いうまでもなく、中央銀行は通常、短期金融市場において、様々なオペレーションを通じて市場に存在する流動性の量を動かし、これによって短期金利をその時適当と思われる水準に誘導する。金融緩和効果を狙って短期金利を引き下げるために流動性を増大させるのは、最もオーソドックスな「量的緩和」政策である。この標準的な金融政策は、緩和方向では短期金利がゼロになるまで発動可能だ。ゼロになってしまえば、短期金融市場でのそれ以上の資金供給の影響は、ほとんど消滅する。1 あるいは資金供給の試み自体が、札割れと呼ばれる現象に直面し難しくなる。

 キャッシュを持つ代わりに人々(金融機関)は、TB,FBを持つことができる。キャッシュを持つということは、TB等の保有から得られる金利を受け取る機会を放棄していることになる。逆に言えば、この金利がキャッシュを持つことの価値に等しい。つまり、短期金利がゼロであれば、それ以上キャッシュを日銀が増やしても、人々にとってのメリットは薄く、景気刺激効果も小さいだろう。この状態を、現在プリンストン大学教授のクルーグマンは「流動性の罠」と呼んだ。2

  1. ほとんど消滅するということが理論的には妥当な主張だが、本当にそうかどうかは、もちろんやってみないとわからない。
  2. 「流動性の罠(liquidity trap)」は最初ケインズによって、長期債市場のある状態を表現するために使われた言葉であり、ここでの用語法とは若干異なるが、以下ではこの点には立ち入らない。クルーグマンの考え方のわかりやすいサーベイとしてはKrugman (2000)を参照。

 それでは、理論的に考えると、どのような対策があるだろうか。クルーグマンによれば、現在は「流動性の罠」で流動性をさらに供給しても意味が小さいので、将来のベース・マネーの大量供給を現在約束して人々の期待を変えるという方法がある。物価が大きく上がるまでマネーの供給を続けると約束することによって、将来の金融緩和、低金利予想が生まれる。さらに、その先のインフレ予想にも結びつくかもしれない。これらは現在の広範な資産価格に影響を与えるとともに、うまくいけば、人々の現在時点での財・サービスに対する需要を高め、結果として「流動性の罠」からの脱出をもたらすかもしれない。

 いま一つはTB,FBではなく、長期国債、あるいはもっと違う資産、社債、ABS等を現在購入するということだ。長期国債の追加購入は、長期金利に低下余地があれば、緩和効果をもたらそう。ただ、財政赤字、大量の国債残高との関係で、その進め方には注意が必要である。企業債務の購入は確かにある程度の影響をもたらそう。しかし、現在、こうした債務の市場で資金調達に大きな問題が発生しているわけでもないし、市場が薄く、日銀による大量の購入が難しかったりする。

 3月19日の措置を「量的緩和」とみれば、上で議論した三つの要素をすべて含んだものと言える。すなわち、所要準備額を大幅に上回る日銀当預5兆円の資金供給により、無担コール市場でのオーバーナイト・レートはほぼゼロに低下した。第二に、大量の資金供給は現在だけでなく、インフレ率が若干プラスになるまで続けること、つまり、将来の金融緩和が、約束されている。第三に、円滑な資金供給のための必要に応じて、長期国債買いオペを増額することを表明した。

 それでは以上の措置は、これまで日本銀行が採用してきた政策とはまったく違った範疇のものなのだろうか。そうではない。実は、今回の措置は昨年の8月まで採用されていたいわゆるゼロ金利政策を一段と強化したものと類似の措置だという解釈が可能である。当時は、無担コール・オーバーナイト・レートをゼロにするという政策を「デフレ懸念が払拭されるまで」続ける(いわゆる時間軸効果の約束)という政策スタンスが採用されていた。今回の政策において、日銀当預5兆円の資金供給は実質ゼロ金利を達成するのに(期末日等の例外を除いて)十分な量である。これに「CPIの前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」という強化された時間軸が加わっている。前回と今回の、この意味での類似性は明らかだろう。

 見方を逆にして、今回「量的緩和」の形態をとらずに、単にゼロ金利+時間軸として政策を提示すればどうだっただろうか。この組み合わせが「量的緩和」の第一の効果、すなわち、短期金利を引き下げるための量の拡大という面を持っているのは明らかである。第二に、将来の金融緩和へのコミットメントはどうか。量ではなくて金利での表現になるが、ゼロ金利を続けるという姿勢に当然含まれている。第三に、国債買いオペについてはどうか。今回の措置における国債買いオペ増額の位置づけは金融調節技術上の必要性ということだが、より一般論として買いオペの効果を整理してみよう。もっとも標準的な長期金利決定理論は、長期金利=将来の短期金利の予想値の平均、というものである。買いオペは左辺に働きかける政策と考えられる。これに対して、ゼロ金利+時間軸は右辺に強い影響を与える。つまり、左辺にも影響する。従って、直接長国買いオペを多用しなくても、ゼロ金利+時間軸によってほぼ同じ効果を作り出せるのである。3 このように、今回の「量的緩和策」で狙った主要な効果は、ゼロ金利+時間軸の政策でも実現可能だったわけである。これが両者の類似性である。

 ゼロ金利+時間軸の政策と「量的緩和」が似たような効果を持つのなら、なぜ「量的緩和」という形態を採ったのかという疑問があり得よう。一つの答えは、複線的な解釈を可能とすることによって、より広い層にアピールし、それによって政策効果を高めようという狙いがあったからということになる。今回の政策が、「量的緩和」であっても、実質的にはゼロ金利+時間軸の意味を持つことは見やすい。しかし、1999年から2000年にかけてのゼロ金利政策が、「量的緩和」的な効果を持つものであることはなかなか理解されなかった。4 両者の類似性の中で最も重要と考えられる将来の金融緩和へのコミットメントは、本来、量でも金利でも表現可能なはずである。いわば「量的緩和」とゼロ金利政策は、現在だけでなく将来についても、同じコインの裏と表である。その上で、コインの片側を見るだけでもどんなコインかわかっていただけるように工夫したのが、今回の政策である。

 ただし、完全に同じコインの表裏とは言い切れない側面もある。一つには、完全なゼロ金利+時間軸政策の方が緩和効果は強いという面がある。現行政策の日銀当預5兆円でも3月期末のように金利が上に振れる日もある。また、将来、景気回復に伴って必要準備額が増加してくれば、金利が若干上昇に転じるかもしれない。これに対して、ゼロ金利はこうした可能性を排除することを最初から約束しているわけである。つまり、例えば、1999年から2000年にかけてのゼロ金利政策時期に、「量的緩和」へシフトしたとすれば、緩和効果を弱める意味があったかもしれないのである。しかし、この問題については、現行スタンスでは当預目標を増やすということで対応余地がある。

 いま一つは逆の側面である。先ほど、長期金利は将来の短期金利の予想値の平均に等しいと述べたが、現実にはこれからずれて変動する場合がある。この部分を、専門的には長期債のリスクプレミアムという。もしも、国債買いオペが、リスクプレミアムに働きかけることが出来るなら、若干の追加効果が生まれる可能性がある。さらに、その場合には将来のオペに伴うこの効果に対する人々の期待を通じて、影響は増幅されよう。5

 こうしたコインの表裏の微妙なずれがどの程度の重要性を持つものであるかは、今回の措置が今後しばらく時間をかけて消化されていく中で明らかとなっていくだろう。

  1. 3読者は次の点を気づかれたかもしれない。つまり、ここでの「量的緩和」の最初の二つがあれば、ほぼゼロ金利の長期化が約束されるので、第三の要素、長国買いオペの増額は必要なさそうだ。あるいは、長国買いオペを使えば、将来の短期金利についての意志を示すことになるので、第二の要素、量的緩和の継続の意思表明は必要ない。この直感は、後で触れる長期債のリスクプレミアムが無い場合は、おおむね正しいと思われる。
  2. 4両者に共通の狙いがあることを指摘した例として植田(1999)がある。
  3. 5ここでも先の注意を繰り返しておこう。すなわち、今回の措置における金融調節的な長国買いオペの位置づけには、ここまでの解釈が含まれているわけではない。しかし、理論的に一般論として整理すれば、ここで示したような解釈も可能だということである。

時間軸の意味

 実は今回の措置の中でもっとも思い切った部分は、「CPIの前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」という時間軸の部分である。今回の時間軸が強力だということの例証として次の事実を指摘しておこう。1995年IQから1997年IQまでの景気上昇過程で実質GDPは年率平均4.3%上昇している。この間の、(消費税の影響控除後で)CPIの上昇率は年率0.2%に過ぎない。また、1999年IIQから2000年末までの景気回復過程では、実質GDPは年率で0.8%増えたが、CPIはかえって下落している。つまり、かなりの景気回復がないとこの条件を満たすには至らないということになる。

 それでも思い切った時間軸を設定した理由は、前回の「デフレ懸念の払拭まで」という時間軸の設定に不透明感がつきまとい、政策効果を減じてしまった面があったという反省である。ここには、強い金融緩和の意志を示すことによって、人々の期待に働きかけ、緩和効果を強めるという狙いが存在する。

 これはインフレーション・ターゲティングだろうか。もちろん、そのような方向と矛盾した措置ではないことは明らかである。ただし、今回の措置は、ゼロを少し上回るインフレ率の達成を約束したわけではない。また、ゼロないしそれを少し上回るインフレ率を、(仮にインフレーション・ターゲティングを採用する場合の)中長期目標インフレ率と決めたわけでもない。

 今回の時間軸の設定に関して、CPIインフレ率がゼロを上回ったところで、時間軸効果はとりあえず切れるわけだが、その時点で強い金融緩和が続いていることに変わりはなく、インフレ率はゼロを越えて上昇を続けるだろう。つまり、この時間軸効果設定の一つの帰結として、仮にわれわれが中長期的な目標として念頭におくインフレ率のような概念があるとすると、それはゼロよりも少し上にある可能性がある。6 いずれにせよ、この点を含めてインフレーション・ターゲティングの是非については引き続き検討課題だということになろう。

 以上、3月19日の決定の効果について様々な側面から論じてきたが、現実の効果が、理論で想定されるものとどう同じで、どう違うか、冷静に観察分析していきたい。また、冒頭でも指摘したような経済の足腰の弱さの根源である様々な構造問題について、政府サイドでも適切な手が打たれ、われわれの金融緩和が活かされるものと期待している。

  1. 6時間軸効果は、通常の金利設定ルール、例えばテイラー・ルールによって示される金利がゼロを超えてもしばらくゼロ金利を続けるという約束をすることによって強化されるという議論がある。例えば、植田(2000)参照。いくつかの標準的なケースについて、われわれのルールがこうした性格を備えていることを示すことが可能である。

引用文献

以上