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最近の経済金融情勢と金融政策運営

静岡県金融経済懇談会における田谷審議委員挨拶要旨

2001年10月 4日
日本銀行

[目次]

1.はじめに

 日本銀行政策委員会審議委員の田谷です。本日は、静岡県における各界の皆様と懇談させて頂く機会を賜り、感謝申し上げます。今日は、まず、私の方から最近の経済金融情勢と金融政策運営についてお話させて頂きました後、皆様の忌憚のないご意見をお聞かせ頂きますとともに、懇談させて頂きたいと思います。数字などを見ていても分からない経済の実態をお教えいただければと期待しております。

2.最近の経済金融情勢

 米国におけるテロ事件が起こる前から、内外の経済・金融情勢はすでにかなり厳しくなっていました。そこに、テロ事件が発生し、経済の先行きについての不透明感が増しています。内外の株価が下がり、為替市場にも不安定化の動きがあります。各国とも、まず、金融当局による流動性供給によって資金決済の円滑化を図り、金融緩和によって景気の下支えを図ろうとしています。以下では、国内の経済金融情勢をお話する前に、海外の情勢について米国を中心にお話してみたいと思います。

海外経済金融情勢

 米国における今回のテロ事件は、結果的に、米国経済の回復をさらに後ずれさせることになると思います。テロ事件以前の米国経済は、企業部門、特に、製造業における生産の減少、設備投資の減少が進む一方、家計部門の支出は、個人消費にしても住宅投資にしても、底堅く推移していました。ただ、企業収益の悪化を反映して、雇用・所得環境は悪化し始めていましたし、その上、株価の下落もあって、消費者コンフィデンスが下がり始める兆しも出ていました。事件後は、人の移動が手控えられていますし、車や住宅の販売が落ち、小売売上も低調になりつつあると伝えられています。こうした消費性向の落ち込みは、減税や政府支出の拡大で今後相殺されるところもあるとは思いますが、個人消費や住宅投資は少なくとも当面低調になりそうです。金融資本市場でも、景気後退リスクの高まりを織り込みつつあるようです。株価が下がり、金利が下がり、社債・CP市場での信用リスクが高まり、金融機関の貸出姿勢も慎重化してきています。

 日本でも、90年代初めのバブル崩壊時には、株価が下がり始めても、暫くは、不動産価格は上昇を続け、消費も堅調を保ちました。もし、テロ事件をきっかけに、米国でも住宅価格が下がり始め、消費が下がるとしたら、バブル崩壊後の日本経済に似てくるようにも思えます。IT関連の新興企業が多く上場されているNASDAQ市場の株価指数は、昨年3月の高値から3分の1以下になり、TOPIXのバブル時高値からの下落率を上回っています。しかも、現在でも、NASDAQ市場は株式時価総額で東京市場とほぼ同じ規模です。ただ、時価総額でNASDAQ市場の4~5倍あるNY証券取引所の株価は、昨年年初の高値から2~3割の下落にとどまっています。NY証券取引所の株価が今後どうなるか、また、個人消費に対する影響力では株価以上に重要とも言われる住宅価格がどうなるかが、今後の米国経済を考える上で決定的に重要でしょう。ただ、仮に、NY証券取引所の株価がさらに下がり、住宅価格が下がったとしても、米国において日本がこの10年経験してきたことが繰り返される可能性は小さいと思われます。

 こうした可能性を考える上で、最も重要な日米の違いは、米国の場合、資産価格下落のリスクが金融機関に集中していない点にあります。米国の非金融法人が使用している資金(金融負債と株式の合計)に占める借入の割合は1割以下で、日本の場合、この割合(金融負債と資産負債差額の合計)は4割弱になります。米国企業の資金調達は、圧倒的に株式と社債に依存しています。リスクが顕現化して、資産価格が下落しても、資産保有者の損失は、市場において継続的に調整されることになります。こうした背後には、厚いリスク・キャピタルの供給基盤の存在があります。米国の家計は、金融資産を年金、株式、出資金、投信などで保有する割合が高く、預金や保険のウエイトはあまり高くないのが特徴です。たとえば、家計の金融資産に占める預金の割合は、日本が53%であるのに対して、米国では11%程度に過ぎません。米国において、資産価格がさらに下がるようなことがあっても、日本のように、調整が長引くことはなさそうです。

 ここで、東アジア、欧州について、簡単に触れたいと思います。昨年末あたりから、米国景気はIT関連需要の落ち込みによって減速し始めましたが、東アジア諸国、特に、IT関連財に対する輸出依存度が高いNIES諸国における景気下押し圧力は大変厳しいものになりました。在庫が急増し、急激な生産調整に追い込まれ、企業収益は急速に悪化し、雇用・所得環境が悪化し、外需の落ち込みの影響が内需にも波及してきました。昨年まで、世界的に、インターネット関連産業の先行きに対する期待が非常に強く、IT関連財の需給逼迫から、生産の各段階で仮需が発生していたようです。米国を中心とした最終需要の急減を契機として、特に半導体といった川上から、川下のパソコン、携帯電話、光ファイバーやルーターといった通信関連財まで、生産の各段階における仮需も剥落しました。その分、東アジアにおける生産調整も厳しいものとなりました。今に至るも、半導体価格の下落は止まっておらず、IT需要の早期回復については、悲観的見方が強まっています。東アジア各国の予想経済成長率は、このところ、大幅に下方修正されてきています。例外は中国ですが、中国の場合、IT関連財輸出に対する依存度が比較的低かった分だけ、IT需要急減の影響は相対的に軽微なものにとどまっています。

 当初、米国景気の鈍化やIT需要の落ち込みの影響が比較的小さかった欧州諸国経済も、今年に入って以来、輸出の鈍化や設備投資の落ち込みが見られるようになりました。景気の鈍化傾向はドイツあたりから始まり、周辺諸国へ広がってきています。企業収益の悪化は雇用情勢を悪化させ、製造業コンフィデンス、消費者コンフィデンスも悪化してきています。今年に入ってからの株価の下落ペースなどを見ても、欧州の景気先行きは、米国と比べても楽観できないとすら思えます。

国内経済金融情勢

 こうした国際環境の下で、国内景気の回復シナリオを描くことがますます難しくなってきました。輸出の落ち込みが続き、生産調整は、少なくとも、年内は続きそうです。今週月曜日に発表しました短観でも確認されますように、企業収益は、製造業を中心に悪化し、設備投資が減少傾向となってきました。企業収益の悪化は、雇用・所得調整に結びつきつつあり、今後、個人消費も弱含みになっていくと思われます。しかも、公的需要にも期待できないとなれば、デフレ・ギャップは拡大気味となり、物価も下落圧力を受けることになります。そうした状況下、円相場が円高気味になりかけましたが、とりあえず介入によって阻止されているようです。

 輸出は、IT関連を中心として、予想以上の落ち込みを見せてきました。それでも、日本の輸出構造は、東アジア諸国などと比べれば、格段に多様化、分散化されていますので、IT需要の急落の影響は、その分、限定的です。しかし、今後、米国における消費が減少するようであれば、その影響は、直接的にも、間接的にも、受けることになるでしょう。IT需要の先行きが不透明であり、各国の予想成長率が下方修正されつつある状況の下では、輸出の回復に多くを期待することは、少なくとも、当面、難しいように思います。

 個人消費は、これまで統計で確認できる数字に関する限り、弱めのものばかりでなく、堅調さを示すものもあります。しかし、今後の雇用・所得環境を考えると、厳しいと思います。一昨年から昨年にかけての経済を振り返ってみますと、企業収益の回復が、賃金の上昇にほとんど結びつきませんでした。その結果として、労働分配率は長期的な上昇傾向線近くに低下してきていると思われます。ということは、今後の賃金の動向は、企業収益と連動する傾向を強めるだろうということです。ただ、賃金の低下がその短期的な硬直性から、企業収益の悪化に比較して不十分であれば、それだけ雇用調整圧力が強まるでしょう。賃金の低下と雇用者数の減少が起こりそうです。もっとも、雇用者所得の低下が、物価下落の範囲に収まるとすれば、実質ベースで、個人消費がそう落ち込むこともないでしょう。

 設備投資の減少は、続くにしても比較的マイルドなものにとどまる可能性があります。昨年までの設備投資の増加は、製造業、その中でも、IT関連産業でこそ顕著に見られましたが、その他産業への広がりは限定的でした。最近では、その逆の現象が起こっており、設備投資の落ち込みはIT関連産業で集中的に見られます。IT関連以外の製造業や非製造業の設備投資は、全体として見れば、設備の現状を維持する程度しか投資を行なってきておらず、大幅な減少は考え難いように思います。

 公共投資は、現在分かっている範囲で考える限り、今後とも減少を続けそうです。今年度、補正予算が組まれても、雇用対策が中心になると一般に考えられており、公共投資が大幅に増加すると想定する向きはほとんどありません。今後は、今年度補正予算とともに、来年度予算編成の行方に注目しようと思います。

 以上のように、個人消費が実質ベースで下支えとなり、設備投資の減少が限定的なものにとどまったとしても、公共投資は増えませんし、頼みの輸出にしても、環境が悪化しています。GDPギャップのマイナス幅は拡大すると考えられます。需要の弱さに起因する物価低下圧力は強まる方向にあると思います。新基準による消費者物価は、足許、前年比1%弱の下落となっていますが、需要面からは、さらに下落圧力がかかってくるものと思われます。実際にどうなるかは、供給サイドからの下落圧力にもよります。これまでの物価低下は、輸入・輸入競合品の価格低下に主導されたものであったと思います。消費者物価指数は、サービス価格と財の価格に分けられますが、それぞれのウエイトは約6割と4割です。サービス価格は、ここ数年、ほとんど下がりも上がりもしていません。下がっているのは財の価格です。財は輸入・輸入競合品とその他に分けられますが、それぞれのウエイトは大体五分五分です。財の価格が下がっているのは、輸入・輸入競合品の価格が強烈に下がっているためです。もっとも、その他の商品の価格もこのところ下がり気味になってきています。こうした、供給サイドの物価低下の構図は、短期的には変わらないように思います。結局のところ、物価下落圧力は強まる方向にあると思います。

 ここで、最近の株価下落と円相場動向に触れたいと思います。まず、株価動向ですが、わが国の株価だけが下がっているわけではありません。世界的に見ますと、NASDAQ市場に主導された株価下落が主な先進国、途上国すべてで見られます。比較的下落幅が限られたものにとどまっているのは、NY証券取引所とロンドンで、それ以外のマーケットの下落は強烈です。ITバブルの崩壊が世界的規模で発生したと言えると思います。テロ事件以来見られた株価下落の中では、日本の下落が最も小さなものですらありました。これは、日本の株価がすでにかなり低いところにあったこともあります。ただ、わが国の場合、株価の水準が水準だけに、金融機関、特に、銀行、生保に対してネガティブな影響を与えています。金融機関の金融仲介機能がますます弱まる懸念があります。

 株価下落とともに、もう一つの懸念材料は円相場です。7月初め頃から、ドル高修正の動きが出てきていましたが、特に、テロ事件以降、その動きが強くなる兆候がありました。そうした中、先々週あたりから、ドル買い・円売り介入が行われているようです。マーケットが薄く、放っておいた場合、急激な円高になりかねませんでした。介入は時機を得たものだと思います。実体経済にデフレ圧力が強まってきている中にあって、構造改革を本格化させようとしているところです。円相場が急騰でもしたら、泣きっ面に蜂、です。介入は国際的にも理解が得られるものと思います。

3.金融政策運営

 次に、金融政策運営について、お話させて頂きたいと思います。まず、最近、いかなる政策運営を行なってきたのか、その効果はどうだったのか、についてお話いたします。そして、経済金融情勢の悪化に直面して、今後の政策運営について、どう考えているのか。この点では、巷間主張されているさまざまな提案について考えてみたいと思います。最後に、金融緩和を有効たらしめる条件について、触れてみたいと思っております。

最近の金融政策

 今年3月に、金融政策の主たる操作目標を金利から日銀当座預金残高に替え、当初の目標を5兆円程度にしました。この額は、金融機関が各種預金額に応じて日銀に持つことを義務づけられている金利のつかない準備預金額(つまり、所要準備)を約1兆円上回るものでした。また、こうした緩和姿勢を、消費者物価指数が前年比で安定的にゼロ%以上になるまで続けることを表明しました。その後、目標は、8月に6兆円程度に引き上げ、先月、「6兆円以上」といった表現に変更しました。8月の変更時には、それと同時に、長期国債の買い切り額を、それまでの月4000億円から6000億円に引き上げました。先月には、公定歩合を0.25%から0.1%に引下げました。

 日銀当座預金残高の引き上げによって、まず、短期金融市場における資金余剰感がさらに強まった結果、短期の金利が下がりました。最近では、金利の刻みが、0.001%になったこともあって、翌日物金利は0.002%−0.003%にまで下がりました。これは、10億円運用して、金利が1日54円あるいは82円になったということです。短資会社を通した場合、運用者の手元に残るのはこの半分です。こうした水準では、外銀、地銀など多くの金融機関は、運用をあきらめ、資金を日銀当座預金に放置する一方、約款などから運用を義務づけられている投信や一部金融機関などが取引を続けることになります。翌日物金利が0.001%をつけることもまれではなくなりました。これに連動して、8月以降、1年以下の短い金利はそれまで以上に下がりました。

 短期金利がこれだけ下がることによって、より高いリターンを求めて、金融機関、その他の投資家のリスクテイク姿勢が強まりました。しかも、消費者物価に関するコミットメントによって、こうした状況が暫く続くといった見方が強まりました。その結果、より長めの金利が下がったり、社債利回りの対国債イールド・スプレッドが縮小する傾向が見られました。また、CPや社債発行に占める低格付け銘柄の割合が若干高まる傾向も見られました。しかし、今後は、短期金利のさらなる低下は望めず、こうした金利低下を通しての金融緩和はそろそろ限界に達したように思います。

 8月の長期国債の買い切り増額は、マーケットではあまり評価されなかったようで、長期国債利回りは下がりませんでした。景況感の悪化とからんだ国債増発懸念、株安に関連した債券売却による益出しの思惑、また、日銀による買い切り増額の財政規律に対するネガティブ・インプリケイションもしばしば市場では指摘されていました。日銀の長期国債の買い切り増額が、常にマーケットによってネガティブに受け取られるとは限りませんが、逆に、需給の改善から必ずポジティブに受け取られるとも限らない、ということがはっきりしたように思います。

 株価につきましても、この間、当初一部で言われていましたように、日銀当座預金残高の増額により、流動性相場に対する思惑が高まるということもなく、ほとんど影響がなかったように思います。少しは、投資家のリスクテイク姿勢の強まりの影響はあったかもしれませんが、NASDAQの株価が下がり続け、市場を取り巻く環境は最悪でした。気をつけてマーケット・コメントを見ていましたが、特に、8月以降、日銀の当座預金増額はほとんど材料視されてこなかったように思います。同様なことは、為替相場についても言えるのではないかと思います。一部の投資家は、日米のマネタリー・ベースの比率、あるいは、それらの変化率の比率も材料にして円ドル相場を考えると言われています。マネタリー・ベースは、現金と日銀当座預金の合計ですから、日銀当座預金の増加は円安を示唆するはずです。しかし、実際には、円相場はほとんど反応しませんでした。マネタリー・ベースの増加が、より広い定義のマネーにどう結びつくのか、経済活動の活発化にどう結びつくのかといった経路がはっきりしない限り、マーケットとしても反応のしようがない、ということだと思います。

 テロ事件以来の日銀当座預金の大幅な増加については、どう考えたら良いでしょうか。金融市場が不安定化し、資金の出し手が出し渋り、取り手が手厚く資金を持とうとした場合、つまり、日銀当座預金に対する予備的な需要が高まった場合、そうした需要に応じて資金を供給することはできますし、実際、9月末の当座預金残高は、12兆円を超えました。そうした状況にある限り、6兆円を大幅に超えて資金供給を続けることはできますし、すべきであるとも思います。これは、ゼロ金利政策を採用していた時と同じです。ただ、資金需要が低下した場合、いくらでも供給できるわけではありませんし、供給しようとして、長期国債の買い切りを増やしても、目指す効果が得られるかどうか不確実です。今後は、中間期末も過ぎ、金融市場が安定化してくれば、どの程度の供給が可能で、また、望ましいかを探って行くことが出来ると思います。

今後の政策運営

 短期金利の低下を通して、経済に働きかけていくというオーソドックスな政策手段はほぼ限界に達したように思います。そこで、日銀として、さらに何をすべきかについて、実にさまざまなことが新聞、雑誌等で議論されています。そうした議論のいくつかを取り上げてみたいと思います。これらの多くは、必ずしも新しい議論ではありませんので、私もすでに過去に何回かコメントしたことがありますが、簡単に触れたいと思います。

 その第一として、「日銀はもっと貨幣を発行せよ。」という議論があります。これは、言ってみれば、ヘリコプターからお金をばらまけという主張です。日銀は紙幣を財務省から、理屈からすれば、いくらでも買えますが、どう配るのでしょうか。たとえば、国債発行によって政府が減税をし、国債を日銀が買うのであれば、実質的に紙幣を国民に配ることになりますが、これは、金融政策というよりも財政政策です。政府の対応なしに、日銀が紙幣を勝手に配れるわけではありません。

 その第二は、「インフレーション・ターゲティングを採用せよ。たとえば、2%のインフレ率を2年後までに実現せよ。」というものです。物価は長期的には貨幣的現象と言えますが、短期的には、主として需要と供給とで決まります。金融政策は、通常、足許の短期金利を動かすことで需要に働きかけます。現在は、金融緩和を「消費者物価指数が前年比ゼロ%以上になるまで続ける」ことにコミットすることで、将来の短期金利の予想値を下げ、長期金利も下げようとしています。しかし、現在と近い将来の短期金利に下げ余地がほとんどなくなった後、日銀としては、需要に働きかける効果が確実な手段を持っていません。実現の手段を持たずに約束はできませんし、約束をしたとしても、それは信頼に足るものではあり得ません。

 第三に、「実現の時期は示さなくとも、何%のインフレ率が望ましいかを公表することで、インフレ期待を高めよ。」というものがあります。望ましいインフレ率を設定しても、その実現を人々が信じなければ何も起こりません。一方、望ましいインフレ率を人々が信じた場合には、長期金利がインフレになる前に上昇し、必ずしも実質金利が下がるとは限りません。また、望ましいインフレ率について、物価を消費者物価指数などで考える時は、その上方バイアスを考えなければなりませんし、金融政策の効果には非対称性(つまり、引き締めはほぼ確実に効きますが、緩和の効果は不確実ですし、その上、金利はゼロ以下にはできません、といったこと)があります。また、現在、さまざまな経済主体がバランス・シート調整、つまり、過去の過剰債務の削減を行なおうとしており、こうした状況下では、物価の低下は調整をより困難なものにしてしまいます。これらのことから、プラスの物価変化率を目指すことが望ましいように思います。ただ、現在、技術革新、規制緩和、国際競争圧力の激化、流通合理化に加えて、構造改革の進展による物価低下圧力もあります。当面、望ましい物価変化率はプラスではあっても、長期的に望ましい変化率よりも小さいでしょう。現状では、ある程度の期間にわたって望ましい変化率を特定することは難しいのではないかと思います。それを割り切りの問題だとして、仮に特定したとしても、それほどインパクトがあるようにも思えません。

 第四には、「日銀当座預金残高目標を7兆円、8兆円、あるいはそれ以上に引き上げよ。」というものがあります。日銀は、銀行の所要準備を超えた金利のつかない日銀当座預金を余分に供給することによって、短期金利を安定的に低位に維持するとともに、金融機関のリスク資産の積み増し活動(つまり、貸出、債券投資など)の促進を図ろうとしております。しかし、貸出は、資金需要が弱い上に、金融機関が資本制約から積極化できないために、増えません。債券などに対する需要が若干増えることで、金利は下がってきましたが、下げ余地は、仮にあったとしても、もうかなり限定的でしょう。また、最近、日銀当座預金に余分の資金があっても、金融機関は何もアクションを起こさず、放置するといった兆候もでてきています。こうしたことが続けば、当座預金残高目標を引き上げることはできるかもしれませんが、何のインパクトも期待できないことになります。金融機関の不良債権処理が加速したり、産業再生が本格化し、資金需要と供給の両面で改善の動きが出てこない限り、いくら流動性を供給しても、効果は限定的のように思います。

 第五に、「長期国債をもっと買ったり、CP・社債、株式、土地・不動産、ドルなど何でも買って、デフレを止めよ。」というものがあります。まず、長期国債の買い切り増額ですが、金額やタイミングによっては、財政規律についての疑念を引き起こし、金利上昇の要因になりかねません。これは、すでに単なる観念上の可能性ではなく、現実的可能性になってきているように思います。増額するにしても、余程、市場動向を見ながら行わなければならないと思います。長期国債を一時的・例外的に直接引き受けたらどうかといった議論もありますが、市場へのマイナスのインパクトはかえって大きいものになるでしょう。ただ、金融面や経済・産業面での構造改革が進み、その結果として短期的にデフレ圧力が強まった場合、より踏み込んだ財政出動と一体となったものであれば、そうしたリスクを踏まえた上で、長期国債買い切りの増額を検討することは可能かもしれません。

 CP、社債、ABS(資産担保証券)の直接買い入れについてはどうでしょうか。短期金利の低下と投資家のリスクテイク姿勢の積極化から、これらの発行は順調です。CP・社債を発行できる企業は、相対的に優良なところが多く、そもそも資金調達の制約は大きくありません。さらに、こうした資産を日銀が買うことは、企業金融の分野に中央銀行が深く立ち入ることになり、民業圧迫にもなりますし、価格形成を歪め、市場機能を弱体化させてしまうリスクがあります。そもそも、民間資産を日銀が直接買うということは、中央銀行の本来の業務である流動性の供給を逸脱し、リスク・マネーの供給になります。リスク・マネーの供給はいかなる状況下でも絶対行わないとは言い切れませんが、それなりのしっかりした理由がなければならないと思います。

 株式の買い入れはどうでしょうか。これは、日銀法上の通常業務としては行えません。それでも買うとなった場合でも、最近の株価の国際的な連動性や外人投資家のウエイトを考えると、超短期的にはともかく、中長期的に株価水準に影響を与えられるかについては、疑問があります。また、昭和40年の証券不況時の経験からも、半端でない金額の投入が必要になるであろうことは推測できます。仮に、日銀が株式を買うことで、株価が上昇したとしても暫く売ることは出来ず、その後、相当の期間、市場経済の機能麻痺とその後遺症に悩む可能性があります。経済活動に対する株価の指標性が失われることになれば、何のための株価引き上げか、ということにもなります。たとえば、企業にとって、株価が上がったからといって、設備投資を増加させるべきかどうかの判断もつかないでしょう。個別株の代わりに、たとえば、株価指数連動型投資信託やその上場ものであるETFを買うといったアイデアについても、同様なことが言えると思います。

 土地・不動産の買い入れはどうでしょうか。これも、日銀の通常業務としては行えません。土地・不動産は、情報が集約された市場がないこともあって、株式の買い入れ以上に難しいでしょう。REIT(不動産投資信託)を買ったらどうかといったアイデアもありますが、市場規模がまだ小さく、しかも、民間部門に需要が十分あるようです。そうしたところへ、日銀が出てゆくことは、まさに民業圧迫でしょう。

 流動性供給オペの手段として、ドルを市場で買い、そのドルで米国債を買う、ということについてはどう考えたら良いでしょうか。金利を通しての金融緩和がほぼ限界に達した後、為替レートを通じた景気下支えを考えることは一つの論理的な帰結ですし、事実、内外の学者の中に一定の支持者がいることも事実です。ただ、円相場の安定化を目指した為替市場介入は、財務省の管轄です。オペ手段としてドルを買うと言っても、相場安定化のための介入との区別がつけにくいことも事実です。したがって、現状では、実際のオプションとして考えるのは難しいのではないかと思います。

金融緩和を有効にする条件

 以上のように、金融政策でさらに何ができるか、何をすべきか、といったことを検討し続けることは常に必要です。しかし、ある意味で、それ以上に重要なことは、これまでの金融緩和が本来の効果を発揮する条件を考え、そうした条件を整備することではないでしょうか。この条件を広く考えれば、現政権が経済政策として打ち出しているほとんどのことが関係してきます。財政構造改革、年金・医療制度改革、労働市場改革、規制緩和、特殊法人改革といったことがありますし、また、個人株主に配慮した税制も必要でしょうし、銀行等株式保有取得機構の創設も現状ではやむを得ないでしょう。これらは、ヒト、モノ、カネを効率よく配分するために必要なことです。こうした中でも、金融政策が本来の効果を発揮するために最も重要と思われることは、不良債権問題を解決することです。

 不良債権問題を考える時、まず認識しておくべきことは、不良債権問題が解決したからといって、景気が直ちに回復する訳ではない、つまり、景気回復の十分条件ではないということですが、しかし、それは、明らかに重要な必要条件の一つであるということです。現在、金融機関の自己資本は、要注意債権を含めた問題債権の抜本的な処理を進めたり、新たな信用リスクを積極的にとるには、十分ではありません。このため、いつまでたっても効率的な資源配分に向けた動きが始まりません。こうした状況の下では、本来の金融緩和効果を期待することはできません。

 不良債権処理を現在想定されているようなペースで行うのか、あるいは、処理のスピードをあげ、必要とあらば、公的資金の投入を辞せずとするのかは、結局のところ、それぞれのケースにおける帰結を十分に踏まえた上での政治の判断・決断です。公的資金の投入と言った場合、一つ大事な点は、求められている資金は、資本であって、返済負担を伴う負債ではない、ということです。また、資本と言った場合、最終的には「ロス埋め資金」であることを認める、という意味です。すでに、金融庁による特別検査の実施、引き当ての強化、整理回収機構(RCC)の機能拡充といった指針が出されています。要は、そうした施策をいかなる規模、スピードで実施するかということです。そうした施策の具体化の過程で、いかなる貢献ができるか、考えていきたいと思っております。

以上