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石川県金融経済懇談会における中原眞審議委員挨拶要旨

2001年11月22日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.景気の現状および先行きの見通し
  3. 3.金融政策運営について
  4. 4.物価を巡る議論
  5. 5.最後に

1.はじめに

 本日は、石川県の県政・経済界を代表する方々と親しくお話する機会を得まして光栄に存じます。明治42年以来、私共の金沢支店は地元の皆様に大変お世話になっております。永いお付き合いに対して心から感謝申し上げます。

 過去何回か当地を訪問する機会に恵まれましたが、参ります度に印象を強くしますのは、一つは、漆器、織物、菓子等の伝統工芸の巧みさ、およびこれらに使われている根生いの色の鮮やかさです。冷気に富む気候、豊富で清純な水、そして何よりもこれらに携わる人達の丹念、精緻な仕事が、希有の作品を作り出したものと思います。一方で、伝統的な産業の中に閉じ込もることなく、受け継がれてきた技術を活かしながら、そのうえに新しい技術や製品を工夫して開発しておられます。「伝統を尊重しつつもそのうえに新しいものを築き常に進歩と向上を怠らない」という地道な努力が感じられます。

 この当地の自然・風土が産み出した、今申し上げたような姿勢は今後の日本経済の安定的発展のために、日本銀行も含めた全ての経済主体、企業や個人にとって大変重要と思います。まずは、景気の現状および先行きに対する見方についてお話しします。その後、金融政策運営の問題、物価に係る議論、そして最後に金融政策の効果を高めるために何が必要かという順番で進めさせて頂きます。

2.景気の現状および先行きの見通し

引き続き後退局面にある国内経済

 先ず、我が国経済の現状でございますが、足許の景気の展開は、夏頃と比較致しまして、一層厳しさを増しているものと深刻に受け止めております。まず、企業部門におきましては、米国景気の急減速を背景として、IT関連業種で生産調整が進んでおり業績が大きく落ち込んでいます。さらに、足許ではそれが素材などその他の業種に波及してきており、景気の後退の深まりには未だ底がみえず、物価の下落も既に3年近く続いています。また落込みのスピードも夏場に想定していたより速いようにみえます。輸出の大幅減少もあって製品出荷の落ち込みのスピードが予想以上に速く、在庫調整はなお時間がかかる見通しです。こうした企業や生産部門での調整は、労働時間の減少やボーナスなど所定外給与の減少を通じて家計部門にも及び始めており、これまで比較的底固く推移してきた個人消費にも弱さが目立って来ました。好調であった乗用車販売がここへきて落込み始めているほか、失業率は日本でかつて経験したことのないような水準に達しており、今後さらに高まるとみられます。

 さらに、我が国の景気の先行き不透明感を強めているものとして、構造改革の進展、就中、不良債権処理の動向、及びテロ事件を受けて今後の米国経済がどのようになるかという問題があります。これらについては先行きのリスクとして後程まとめて述べたいと思います。

 このように先行き不透明感の強い中で、日本経済は、循環的な景気後退に対応すると同時に、グローバル化の中で国際競争力を維持し、企業の過剰設備、過剰人員、過剰債務に対応すると同時に、未曾有の財政赤字問題の解決など、いわゆるバランスシート調整も行わねばなりません。これが、今までの景気後退局面と大きく異なる点であり、一層事態を深刻化させている点です。

先行きの見通しと留意点

 では、循環面、構造面、両方の問題も抱えた日本経済は、いつになれば回復に向かうのでしょうか。先月末、日本銀行は、「経済・物価の将来展望とリスク評価」を公表しましたが、そこでお示ししたとおり、標準的なシナリオとしては、来年度前半、米国を始めとする海外経済が回復するという前提で、来年度下期にかけて、輸出を起点として経済全体が下げ止まりに向かうと見込まれます。ただ、日本経済が構造的な問題を抱えていることから、その後回復するとしても、そのテンポは緩慢で浮揚感に乏しいものとならざるを得ません。

 今後の景気展開については、いくつか留意しなければいけないリスクがあると思います。一つは、所得・雇用環境に影響を与える企業の調整の深さや今後の収益の見通しがどうかという点。今一つは先程経済全体に不透明感をもたらしていると申し上げた不良債権の処理の動向、及びテロ事件後の米国経済の動きです。

 まず企業収益からお話しします。昨年一貫して下がっていた企業の損益分岐点比率および労働分配率は、ここへきて上昇に転じています。物価の下落の中で、過剰設備、過剰人員が企業の重い負担となってきているのです。既に、さらなる業況悪化の惧れが強まる中で、企業は海外での現地生産を加速させ大幅な雇用の削減を行う動きが始まっています。最近、企業の広告費支出が低下しているようですが、広告費は、商品サイクルの短期化・消費者ニーズの多様化への対応から半ば固定費化していました。それが9月からは2年振りに前年を下回ったのです。いわば企業が需要掘り起こしの努力をする収益的な余裕も無くなったかと心配です。これまで比較的底固かった個人消費にも支えられ、自動車等は好調でしたが、それらにも陰りが出始めています。海外からの安い製品との競争や末端需要の落ち込みから製品価格が低迷し企業の営業キャッシュフローは細くなっています。企業収益がさらに悪化する可能性はないのか、目を凝らしてみていく所存です。

 不良債権処理の動向も、今後の景気展開に対して大きな影響があります。金融機関は、このところ年間利益にほぼ匹敵する規模の不良債権処理を実施してきましたが、さらに構造改革の最重要事項として、大手銀行については破綻懸念先以下を2~3年で処理するという基本方針が決められ、また、要注意先への引当の厳格化・強化を進める方向でここへ来て特別検査も行われています。しかし、経済構造調整圧力の強まりや資産価格の下落等を背景に、なお新たな不良債権の発生が続いています。一方で、銀行の金融仲介機能やリスクをとる能力は大きく制約された状態となっており、今のところ97~98年のような金融システム危機には至っていませんが、今後、不良債権処理が進むにつれ短期的には失業者や企業倒産の増大といったデフレインパクトがでてくる可能性があります。しかし、だからと言って、ここで処理の手を緩める訳にはいきません。私は、処理が進まないことにより市場の信頼の回復が遅れ、企業や個人等経済主体のマインド面へ悪影響が出ることにむしろ注意すべきであると思っています。

 次に、米国経済の先行きです。米国は、堅調な消費者マインド、政策的な裁量余地、比較的底固い資産価格等によって、大幅な景気後退を回避し得てきました。しかし、その後、通信やIT関連を中心に設備投資減少や在庫調整による落ち込みは予想以上に大きく、企業収益も極めて厳しい状態となっていましたが、加えて、レイオフなどの雇用環境の悪化を通じて個人所得にも影響が出始め、景気回復のタイミングは後ずれを始めていました。そこへ今回の米国テロ事件の発生です。当初の金融資本市場の混乱は収まり株価も回復していますが、まだ不安定であり底値は確認されていないとの見方も少なくないようです。実体経済への影響も具体的には旅行業界や航空業界で大きく出ていますが、米国の市民生活を直接狙った事件だけに、消費マインドを大きく落込ませるとともに住宅や株などの資産価格に悪影響を与え、景気回復をさらに遅らせるショックとなり得ます。非常に低かった米国の貯蓄率は、このところ5%程度にまで上がってきています。これは一方で、消費を減らしているわけですが、この傾向が続くと米国の過剰消費の構造が変わり、今後ドル円の相場にも影響してくる可能性もあります。景気を支えるために、政府やFEDは減税や金利引下げで景気の下支えを狙っていますが、未だ目立った効果は確認されていません。さらに、米国の不況はヨーロッパやアジアにも大きく影響を与えており、今や世界同時不況の様相を呈し始めています。アルゼンチン等エマージングマーケットを巡る情勢も要注意です。このような米国始め海外景気の後退が日本からの輸出のさらなる減少を通じ、日本経済に圧力を加えることにならないか、これも大きなリスク要因であります。

 以上厳しいことを申し上げましたが、私は、日本経済が、物価の下落と実体経済の後退が悪循環で起きるデフレスパイラルに入ったとは考えませんが、なお注意深くみていく必要があると思っています。現在の調整局面は、金融システムの不安と相俟って景気がスパイラルに悪化した97~98年当時とは違います。まず、仮に金融システムに不安が起きても大きな波及には至らないよう、金融システムのセーフィティネットが整備されております。二つ目には、耐久消費財が比較的堅調な動きを続け、多少弱目な動きになっているとは言え慣性効果もあり、個人消費がなお下支えをしています。個人消費が大きく落込まないうちに、企業部門の調整、海外経済の回復、不良債権の早期処理が現実化すれば、想定しているシナリオよりも早く回復する可能性も残されています。

3.金融政策運営について

本年3月、8月及び9月の金融緩和措置

 日本銀行は、こうした先行きの厳しい情勢に早目に手を打つ必要があるとの考え方から、本年8月には、3月から行ってきました量的緩和政策をさらに強化、また9月にはテロの発生をみてさらに流動性の供給を強めるなど、一連の金融緩和策を打ち出しております。ここでは、3月の量的緩和策を含めそれ以降の追加的な政策の背景、および今後の政策運営に当たっての考えを開陳させて頂きます。

 3月以降の量的緩和措置は、市中の金融機関が日銀に預けるお金、当座預金の残高を必要とされるレベル、これはいわゆる準備預金で約4兆円となりますが、これを超えた残高、具体的には5兆円の残高を維持することを目指しました。当座預金は、いわゆるベースマネーというものの一部であり、この残高を高く維持することにより、銀行やそれを通じて企業にも働きかけ、銀行の貸出行動を活発化させて実体経済にまわるお金を増やしたり、また利息のつかない日銀の当座預金以外の、もっとリターンの高い資産にお金を回させることを狙ったものです。このため、日銀は市中銀行や証券会社から国債等を買って流動性、つまりお金をどんどん供給したわけですが、短期金利も実質ゼロに限りなく近い水準となりました。また、このような政策を「消費者物価指数の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」続けることを公約しました。これにより、結果として、中長期の金利が低く安定しました。この効果を時間軸効果と我々は呼んでいます。これは、企業や個人の物価の継続的な下落に対する歯止めへの期待を醸成するという効果も狙ったものでした。

 このうち、中長期金利が安定的に低く維持されたことは極めて重要と認識しています。単に短期金利を低くしただけでは中長期の金利は低くなるとは限りません。例えば、皆さんが銀行に100万円を預けるとします。その際、1ケ月預けるよりも1年預ける方の金利が高くなります。これは、将来の金利がどうなるか分からない中で、長期間資金を固定させておくことのリスクに対する代償が存在するためです。このリスクを極力低めるための一つの方策が3月の政策の中で採用した、先程申し上げた時間軸であり、具体的には、「当座預金をターゲットとした金融政策を、消費者物価前年比が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」というものです。これによって、5~6年までの中期の金利が極めて低い水準となったわけです。

 また、日本銀行は、景気の厳しい現状および先行きに鑑み、上記の効果のより一段の浸透を企図して、8月に追加の金融緩和措置を講じました。具体的には、当座預金目標をそれまでの5兆円から6兆円に引上げましたが、9月にはテロ事件以後不安定となった金融資本市場を落ち着かせるためにこれを6兆円超とし、最高では12兆円超まで当座預金が積み上がるようなお金の供給を行いました。また、日銀が金融機関に貸し出す金利である公定歩合をそれまでの0.25%から0.10%と史上最低の水準にまで引き下げました。この結果、3月の量的緩和策のさらなる浸透を図ったわけです。「もしもやらなかったら」という話しをするのは難しいのですが、テロ事件発生以来、金融資本市場、実体経済における混乱を未然に防止している点、一定の効果があったものと評価しています。特に、9月の緩和政策は、テロ事件直後、各国と協調して金融緩和姿勢を堅持している姿勢を内外に示し、市場に大きな安心感を与えました。

量的金融緩和の効果

 ところで、これら一連の政策で短期金利はゼロに近い水準となるとともに、中長期の金利が低位安定化し企業の発行する社債やCPの金利も低くなりました。その意味では効果がありましたが、悩みは日銀が供給したお金の大部分は銀行など金融機関間の市場に留まり、企業の新しい投資や事業に回らないことが続いていることであります。また、効果をあげるために当座預金残高の目標をどんどん増やしていけるかというと、日銀がお金を出すいわゆる資金供給のオペレーションを行っても、相手の銀行に資金需要がなくお金を受取ってくれなければ、一方的に増やすことはできません。このような技術的な限界が存在しているのも事実です。この点を捉え、「そもそも量的緩和は効果ないのではないか」とか、「金融政策の出番はもう無いのではないか」と指摘される方がいるのも理解できます。結局、実体経済にお金が回らないのは、銀行の貸出機能が不良債権のために十分に発揮されていないこと、また不況のため企業の資金需要が極めて弱いうえに、過剰債務の圧縮といった財務リストラの動きが続いていることが原因です。さらにその背景としては、需要不足・供給過剰、構造改革の進展の遅さ、または物価が継続的に下落していることや消費者の将来への不安心理などがあると思います。逆に言えば、現在の金融緩和の効果を高めるには、銀行の資金仲介機能を高めるとともに規制緩和や民営化を進め、新しい産業や事業分野を開拓するとともに種々の改革を通じて企業や個人の将来不安を解消することが必要なのだと思います。これについては、もう一度後で述べます。

今後の金融政策運営

 次に、こうした状況を踏まえたうえで、今後の金融政策運営に当っての考え方を申し上げたいと思います。私は、まずは、景気が回復するまで、公定歩合で上限を抑えられた短期金利を低く維持するとともに、可能な限り市場が必要とするお金を上回るお金を供給し、日銀当座預金からよりリターンとリスクの高い商品にお金を向かわせる方策を根気強く進める、即ち、流動性つまりお金を市場に溢れさせることにより量的な圧力を通じて緩和効果を染み出させることが重要と考えています。3月の政策の延長線上で、一貫したスタンスで日銀が徹底的な量の緩和を堅持していることは、少なくとも中長期金利を低位安定させるという面では絶大な効果を発揮してきました。先程、長期金利には、足許の短期金利のほか、長期間資金を固定しておくことのリスクへの代償が含まれていると申し上げました。「日銀は3月に決めた政策をベースに一定のスタンスで徹底的な金融緩和を続けている」という、このことが市場の不安心理を取り除き、安心感を与え、期間のリスクを少しでも小さくしてきました。そこに染み出し効果も生まれてくると考えています。様々な要因で実体経済にお金が回らないのは確かですが、反面、実体経済面での制約要因や市場心理が多少なりとも好転してくれば、現在まで続けてきた金融緩和効果が大きく効いてくるということがあると思います。一つの政策の軸を振らさないこと、それが日銀に対する信認も高めると思っています。現在の政策は、公定歩合で上限を決めた低金利の下で需要を刺激し、いざ需要が出てきた場合には潤沢な流動性で対応するという両面の備えがあります。こうした懐の深い政策をとっている以上、振らす必要もないものと思います。

 日々マーケットの資金需給が変動している中、この姿勢を堅持することは、実務面においても大変な作業を伴いますが、今後も緩和策の効果を一段と浸透させることに徹する所存です。

4.物価を巡る議論

物価を取り巻く環境

 金融緩和が実体経済へ波及していかない一つの原因として、一般物価が継続的に下落していることもあげられます。このデフレの状態は、日本経済に深刻な影響を与えています。デフレの悪影響は、債務者の負担を重くするというストック面、売上の減少による経済活動の萎縮というフロー面、この両方があります。デフレの中では、債務者は、収益が減少しても過去の借金の金額が変わりませんから、実質的な負担が増えます。また、売上が減少することが予想される中では、企業は前向きに投資しようとする気持ちが萎えます。日本経済においては、今まで、個人消費よりも財政や企業等川上部分の経済活動を起点として景気回復が図られてきました。経済の川下である家計が物価下落でメリットを受けるのは事実ですが、製品価格の下落や売上減少によって企業活動が縮小すれば、日本経済はより大きなマイナスの影響を受けることになります。

 消費者物価指数は3年連続で前年を下回るのが確実です。なぜかくも長き下落が続いているのか。足許のデフレの要因は、様々なものが複合的に絡み合っています。物価を決める要因としては、コスト面における原材料価格や賃金、そして需給面における競合する輸入品の流入や国内での製品間の競争等があります。足許、どの要因も物価を下げる方向に働いています。循環的には、設備投資、個人消費、公共投資および輸出の全ての需要が弱まっています。構造的には、賃金上昇圧力が弱まっているほか、一次産品価格が下落していますし、また消費財の一部や家電製品等中国などで作られた廉価良質な輸入品によって製品間の競争が激化し強い物価下落圧力がかかっています。

インフレターゲット

 こうしたデフレに対して、「日本銀行は物価上昇率の目標を数値で示し、これを第一義的な政策目標とするべきだ。こうしたデフレ克服への強いコミットメントは、企業や個人の心理を変え、需要を増やすきっかけとなる」と主張される方がいます。これは、いわゆるインフレターゲットと呼ばれるものです。

 私は、インフレターゲットは、手段の議論と切り離して議論することはできないと思います。目標のみを定めても一体何の意味があるのでしょうか。目標のみを定めれば、皆が「将来的にインフレになるので投資や消費をしよう」と本当に思うのでしょうか。とてもそうとは思えません。達成可能性のある手段を整備しなければ、失業率と長期金利の上昇が同時に起きる可能性すらあります。

 では、デフレを食い止めるためにはどうしたら良いのでしょうか。私は、需要が創出され供給が適正な水準に戻ることが必要であると思います。これは、企業や家計等の主体的な動きによって為されます。金融政策は、この動きから産み出された物の量に対し、必要なお金を供給する責務は負っていますが、自ら需要を創出し供給を適正な水準に戻すことはできません。金利を下げることにより需要を刺激することはできますが、ゼロ金利となった現状では、この方法は働きません。現在の構造調整圧力の高い中で、新しい需要はなかなか創出されません。この中で、お金の量を増やし物価の下落を止めていくにはどうしたらよいのでしょうか。例えば、そのための手段として、国債を日銀がどんどん買って財政支出を増やしたり減税をしたりする、CPや社債などの民間の債務や株式・土地等の資産を購入するなどにより出回るお金の量を増やし物価の低下を止めることは確かに考えられます。しかし、本来中央銀行に期待されている役割から考えると、これらのやり方を採用するには慎重にならざるを得ません。

 この理由をもう少し詳しく説明致します。お金、つまり銀行券は、中央銀行のバランスシートにおいて債務です。銀行券が信用あるものとして皆に受入れられるためには、見合いの資産が必要です。銀行券の発行は、中央銀行が国債等信用力のある、または、いつでも売ることのできる流動性のある資産を買入れる、別の言葉でいえば、銀行券の価値を保持するに足る資産を買入れるということを通じて行われます。こうした信用力と市場性を持った資産の裏付けがあればこそ、貨幣の価値が保たれることになります。このため、日銀が買入れる資産を選定する作業においては「この資産は信用力があり市場性を持つのかどうか」という判定が極めて重要になります。国債の日銀引受は過去のインフレの経験から財政法で禁じられていますが、既発の国債であっても、これを日銀が無制限に買うとなると財政規律が失われたと市場からみられ国債の値段が下がったり、場合によっては格付が引き下げられ市場性が失われることに繋がりかねません。長期国債の買入を現在毎月6,000億円行っていますが、買入の残高の上限を銀行券発行残高の範囲内としているものも、このような点に配慮してのことであります。株や土地は、そもそもどの土地を買うか、どの株を買うか日銀の中立性からいっても問題ですし、価格の変動が激しく日銀の資産に大きく損失を与える危険もあります。規律という点では、社債やCPの買入は比較的問題が少ないのですが、まだ市場がそれ程大きくなく日銀が調節の手段にする程大量に買えないとか、そもそも現在では運用難から比較的格付の高いものについては市場で玉が集まらないなどの問題があります。外債の購入は、これとは別の観点、即ち為替政策との関連で難しい問題があります。

 いずれにしても、財政規律維持や中央銀行の資産の健全性をどのようにバランスをとっていくのか大変悩ましい問題です。財政規律維持の問題は、過去のEUにおけるマーストリヒト条約のように、包括的な法律の「たが」があれば日銀による国債の買入について別の議論ができるかと考えてはいます。しかし、現在の枠組みはそれを許しません。もちろん、今後、スパイラル的なデフレが生じ物価の大幅な下落が急激におき、失業率が高まり、また強い信用収縮や貸渋りが起きるような場合には、政府・日銀が一体となって通常では採り得ないような手段を使ってでも危機を乗り切らねばならないことは当然です。ただし、これは、あくまで緊急の危機対策に近いものと考えられるべきだと思います。

 物価に関して長々と申し上げましたが、簡単にまとめますと、現在のデフレには循環的、構造的な問題が絡んでいます。こうした中、伝統的な手段の限られている中央銀行がインフレターゲットを導入しても、デフレを阻止するのは大変難しいというのが結論です。

 ただし一般論としてインフレターゲットが政策手法として持つメリットは、検討課題と認識しております。デフレ克服のための方策としてではなく、より良い金融政策運営のフレームワークとしての観点からの検討です。日銀は、昨年、「物価の安定に関する考え方」を公表し、物価を金融政策運営の一つの枠組みとして活用する可能性につき継続検討したいとしていますが、私も「安定物価」とは何かを数字で定義することはできないかと考えています。「安定物価とは何か」、こうしたものを市場との対話の中で納得される形で定義することができれば、政策に対する信認を向上させられる可能性があります。

 もっとも、「物価の安定」の定義において望ましい物価上昇率を決める場合、どのような物価を対象とするか、どのような数値が適当かなど十分な詰めと検討が必要であることは当然です。

 いずれにしても、デフレに対して日本銀行が為し得ることは、潤沢な流動性を供給して実質ゼロ金利の水準を維持し、中長期金利に係るリスクを少しでも減少させることを忍耐強く続けることでしょう。安定的な日銀の金融緩和姿勢を一つの拠り所として、企業、家計等全ての経済主体の動きが正の方向への動きに転じ、新たな資金需要が生み出されデフレを解消する、迂遠な方策に見えますが、これが最も確実な近道であると考えています。

5.最後に

金融政策の効果をあげるために

 最後に、金融政策の有効性に影響を与えている企業や個人の需要不足・供給過剰および構造改革について一言申し上げ、本日の講演の結びとさせて頂きます。

 金融政策の有効性を高めるには、とにもかくにも新しい需要を作り出していくための方策を考えなくてはなりません。まずは規制緩和や民営化また外資の誘致等があげられます。例えば、家計の分野においては、本年7月に「総合規制改革会議」によってまとめられた「重点6分野に関する中間とりまとめ」は、ケアハウスや託児所の民間経営体の参入促進等を謳っています。こうした取組みは、新しい需要創出、新しい雇用機会をもたらします。もちろん、家計の将来に対する不安を取り除くことにもなります。また企業の分野においても、様々な分野で規制緩和による新しい需要創出効果が見込まれると思います。産業や業界の再編・競争力強化のための規制緩和や関連法制の見直し、弾力的な適用等も欠かせません。財政改革や民営化も、「小さな政府」を実現し民間の活力を最大限利用した新しい産業分野を興し雇用機会を作るでしょう。外国企業が日本でビジネスをするための環境を作ることも極めて重要です。生産の中国シフトが加速し日本の空洞化の懸念が高まっている中で、この面における我が国の努力は十分ではありません。電力や水道などのインフラのコストを下げ、また外国人が働き易い社会環境を作っていくことが重要と思います。

 金融政策の有効性を高める二つ目の条件として、銀行が早期に不良債権の処理や収益性向上などの課題を解決して、金融仲介機能を回復することがあげられます。現在新しい金融サービスのビジネスも色々と始まっていますが、時代に即応した銀行業のビジネスモデルは未だ確立されてはいないように思えます。個々の銀行が資本効率を高める努力をすることにより、銀行業としての一般的な収益環境が整備されることになるのではないかと思います。また、不良債権処理のもう一つの側面は、企業の過剰債務の解消ということであります。これなしには前向きの企業活動が出てくることは期待できません。もちろん、政策面では、公的金融機関の在り方も議論を深めていく必要があります。

政策当局の役割

 「成長分野に経済資源を配分することにより経済構造を効率化し社会を活性化する」という構造改革は、一方で、誰がどのように利益をあげるのかという所得の分配論でもあります。これには、金融政策というよりは、財政、税制、労働政策等にわたる総合的な対策が不可欠です。当面の景気を何とか下支えしながら構造改革を進めていくためには、財政については、今回の補正予算で実現されたように中長期的な立場で機動的・弾力的な対応が必要です。不良債権処理を進める裏側では間接金融から直接金融へのシフトが進む必要があり、このためには資本市場の整備が重要ですし、その流れを作るのは税制ではないでしょうか。改革の傷みを和らげ、労働の流動化を高め効率性の高い分野に労働力をシフトするためには労働政策も新しい時代に即して変わっていくべきです。日本経済にとって構造改革は全方位での総力戦です。

 しかし、一度に全てのことができるわけがありません。現在の問題は、具体的なアクションプランやタイムスケジュールが未だ見えないことであります。これが日本経済全体を不透明・不安定にしていると考えます。その意味で政治の果たす役割は大きいわけですが、構造改革の基本に流れている考えは、経済行動における自己責任の原則ということもまた思い起こさねばならないでしょう。

 日本銀行も頭を絞って、常に何ができるか、何をすべきか考えてまいります。そして、同時に、地道ではありますが、忍耐強く軸を振らすことなく徹底的な緩和、潤沢な資金供給を続けていく所存です。

 根が楽観的な私は、日本の現在の苦境もいずれ我々の英知で解決できると思っています。経済学者の中山伊知郎先生は、日本の戦後復興策を提言するに当って、英国の経済学者J.S.ミルの著作「経済学原理」の次の言葉を引用しています。「戦争によって資本を破壊され荒廃した国々も、人と技術さえ残っていれば思いの外速やかに回復するものだ。資本は所詮物であるのでいつかは壊れる。資本を作る人力と技術さえ残っていれば問題はない。ナポレオン戦争によって荒廃したフランスが、極めて短期間のうちに復興した事実がこれを証明している」。これは正に日本の第二次大戦後の復興に当てはまる言葉ですが、今一度これを思い出したいと思います。

 幸い、現時点で、日本にはどちらも世界に誇るものが存在します。勤勉な人と優秀な技術、そしてこれまでに貯えられた1兆ドル超の対外純資産と1,400兆円にのぼる国内の貯蓄、これをいかに有効に活用していけるかが、今後の日本再生のカギになると思います。

 私が本日申し上げたかったことは以上です。金融政策に係る我々の思いを少しでも共感頂ければ幸甚でございます。ご清聴有り難うございました。

以上