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日本の産業空洞化への対応

企業経営者の方との対話に基づいた一考察。
全国銀行協会「金融」(平成14年1月号)への中原眞審議委員寄稿

2002年1月4日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.日本の技術、資本・労働力
  3. 3.欧米の産業政策
  4. 4.産業空洞化への対応
  5. 5.最後に

1.はじめに

 「日本は社会主義であり、中国は資本主義である」。中国の現地生産を拡大している繊維メーカーの社長の方から伺った話である。当初、ご発言の趣旨が分らなかった私も、お話しを聞くにつけ、「なるほど」と納得してしまった。かの社長の言い分をまとめると、

  1. 中国では、1,000億元にのぼるベンチャーキャピタルが存在するとともに、IT企業の集中する地区(北京市中関村)では毎年1,000社ずつ企業家(entrepreneur)が誕生1、「商才とやる気さえあれば社会の上層にあがれる」という意識が徹底している、
  2. 日本では、開業率より廃業率が上回るとともに、所得を再分配するための保護行政が残存、「努力しても大きな差は生じない」という意識が蔓延し始めている、
  3. 上昇志向のある者が報われるシステムを持つ中国は資本主義、全ての人を平等に扱うシステムを持つ日本は社会主義である、

ということになる。中国は、WTOへ加盟したとはいえ、多くの規制保護に守られた分野を持つ。常識的には、社長の見解は、やや一面的な見方に基づくと言わざるをえないだろう。しかし、バブル崩壊以来、1995~2000年度までの年度平均成長率が2%に達しない日本、1992年の南進講話以来平均10%を超える成長を遂げている中国。企業・消費者マインドが冷え込み経済活動の停滞している日本、毎日新しい企業家・ベンチャーキャピタリストが誕生、「我々は遅れているので一日25時間勉強する必要がある」という学生がいる中国。この2つの国の状況を単純に比べると、「経済社会のエンジンを起動させ、その運動を連続させる根本的要因は、企業家の結合する、新しく創造された消費財、財・サービス・情報の新生産方式ないしは新輸送手段、新しく誕生した市場、新たな組織形態の持つ性質である」2というシュムペーターの言葉は、果していずれに国に当てはまるのかやや心もとない。

 第二次世界大戦後の日本経済は、アジア市場をベースとした「雁行形態」(Wild Flying Geese3による製造業の業容拡大によって成長してきた。製造業によって産み出された付加価値は、非製造業等の低収益分野も潤し、日本経済全体の持続的な発展を可能にしてきた。また、この成長・発展は、他国よりも、常に一歩先んじて低コストで高付加価値製品を生産するという、製造業における正の連鎖によって維持されてきた。そして、この連鎖を可能としたのは、国内で供給される「卓越した技術、その技術を体化させた設備、それを使いこなす労働の質の高さ」であった。

 今、その連鎖が途切れようとしている。日本経済自体、技術、設備および労働に問題を抱え、付加価値を産み出してきた製造業が国内で生産する経済合理性を失いつつあるかのようにみえる。

 国内生産のインセンティブの喪失、即ち、国内の産業空洞化が加速している。2000年度の対外直接投資額は、1996~1999年度の平均の約2倍に膨れ上がっており、本年度入り後もペースが衰えていない。技術、資本、労働の面において、日本で生産する優位性が薄れている。個別企業の立場としては「最適な場所で生産・オペレーションを行う」という姿勢を貫かざるを得ないのだろう。その事由としては、日本の高コスト体質という国内要因に加え、拡大する現地市場の獲得(マーケット・イン)や生産インフラの充実、技術力の向上という現地側の要因も考えられる。特に、海外進出を積極化している加工組立業種(輸送機械、IT関連業種)の意識が、「日本でしか優秀な部品ができないというのは今や幻想」と変化したことは大きい。

 また、海外進出には目先の経済合理性を越えた企業行動も存在する。例えば、世界に冠たる自動車王国日本も、自動車メーカーが乱立する欧州におけるシェアは10%程度に過ぎない。こうした厳しい市場環境にあっても、ここ2~3年、日本の自動車メーカーの当該地域への進出は活発化している。進出の背景には、「競争の激しい地域に身を置いて自らの競争力を高めたい」との意図があるようだ。企業家精神を持った、一部の国際化した企業の行動は頼もしいとも言える。

 ミクロでの企業戦略は是としても、日本経済全体の将来を考えた場合、産業空洞化への対応は喫緊の課題である。将来的に、対外直接投資の収益が投資収益として国内に還元されても、製造に伴い発生する付加価値の多くの部分が他国の国民経済に流出してしまうからだ。我が国においては、他国に吸収された付加価値を埋める別の付加価値が創出されればよいが、そうでない場合には、経済全体のパイが縮小せざるを得なくなってしまう。

 日本の成長力の源泉であった、技術力、これを体化させた資本と質の高い労働力の現況はどうなのか。将来の日本経済はどのように付加価値を産み出していけばよいのか、卑近な言い方をすれば、日本は、将来的に一体何で食べていけばよいのだろうか。新年に当り、これへの回答に想を巡らしてみたい。もちろん、技術に素人の日銀の審議委員が、明確な答えなど持っているわけもない。しかし、企業経営の立場で議論に一石を投ずることができればと思っている。昨年6月、日本銀行の審議委員に就任してから、「地に足のついた経済情勢の把握」を旨として、10,000人の従業員を抱える大企業から、社長も入れて10人しかいない中小企業まで、数十社を超える企業や工場・研究所を訪問させて頂いた。試行錯誤を繰り返しながら苦労されている、こうした企業経営者の方の声をベースに、先ずは技術、資本設備、労働についてやや些末な切り口ではあるが一考を加えたうえ、欧米の例を参考に産業空洞化への対応を検討してみた。

  1. 1羊城晩報(2001年11月27日版)
  2. 2「経済発展の理論」(1926、シュムペーター)
  3. 3「産業発展が輸入から始まり、輸入に代替する生産、輸出化、そして後発国からの輸入に進むプロセス。日本の代表的な近代産業において、それがいずれも典型的にみられ、輸入、国内生産、輸出が雁の群れを飛んでいる形態を呈するため『雁行形態』と呼称する」(「日本経済のダイナミズム」<1991、篠原三代平>)。

2.日本の技術水準、技術の体化された資本、質の高い労働力

日本の技術水準

 日本の研究開発費の対GDP(名目)比率は、3%前後と、先進国でもトップクラスのレベルにある。この10年間の推移をみても、平成元年に2.9%であったものが平成11年に3.1%まで着実に上昇4、この間の経済変動を考えれば、高いレベルを維持してきたと結論付けることが可能であろう。この結果、自然科学の分野における論文発表数は、1991~1998年の平均で6万件前後と、1989年以来、米国に次ぐ世界第2位の位置を占めている。また、海外への技術輸出額と海外からの技術輸入額の差額(技術収支)は、1999年度で5,000億円強の黒字を計上しているうえ黒字幅は年々増加してきている。私が就職した高度成長期(昭和36年)には、国際収支の天井が経済成長の制約要因となり、現在の20分の1程度のGDP規模で1,000億円を超える技術収支の赤字を記録していた。何と大きな変化と今更ながら実感する。

 しかし、その中身を今一度詳細にみてみると大分様相が違ってくる。まず、日本人によって書かれた自然科学論文が、他の国で書かれた論文でどの位引用されたかを示す被引用回数をみると、日本は0.8回と米国の約2分の1であり、先進国の平均(1.0)を下回っている。これは、特許や実際の生産に結び付くような有用な研究が比較的少ないことを示している。また、技術輸出超額の大部分は自動車工業に係るものであり、これを除けば黒字幅は600億円程度しかない。特に、ITやバイオ関係といった、今後大きな成長を望める分野においては入超となっている部門も存在する。

  1. 4「平成13年版科学技術白書」(文部科学省)、以下(日本の技術水準)における他の計数は同書に依拠する。

技術の体化された資本ストック

 資本においても競争力の低下傾向が窺われる。日本企業の投資行動は長引く不況によって変化した。主に設備の除却を進め、設備の新規・高度化投資を十分に行うことができなかったのである。民間資本ストックのビンテージをみると、1992年度で9年前後であったものが最近では11年程度にまで上昇してきている5。設備の老朽化によって、設備収益率(営業利益/有形固定資産)も大きく低下、昨年度一度回復の兆しをみせたものの、本年度に再び下落傾向を辿り始めた6。つまり、設備の老朽化によって収益が上がりにくくなっているわけだ。資本に加えて、労働生産性も伸び悩み傾向がみられ始めている。これらは、いわゆるリストラの効果である、「固定費の削減によって収益を稼ぐ」という経営方針が限界に達しつつあるということではないか。

 国内設備の老朽化・設備収益率の低下は、企業が海外直接投資を積極化した結果でもある。つまり、国内の設備が老朽化しているからといって、企業の収益性が低いとは単純には言えない。例えば、自動車等加工組立型産業の一部では、海外における生産設備の増強によって高い収益率を保持している。しかし、これは、技術の体化された高い付加価値を産み出す設備は、主に海外に存置されているということである。また、素材産業の一部では、海外・国内とも設備投資を押え込んできている。こうした先では、今後、新規投資を怠ってきた咎を甘受せざるを得ない可能性もある。

  1. 5「平成12年経済白書」(経済企画庁)、「民間企業資本ストック」(経済企画庁)より推計。
  2. 6「法人企業統計季報」(財務省)より推計。

労働力の質

 日本の高度成長が支えた質の高い労働力という面でも大きな変化がある。製造業に従事する人が減っているという事実の中で、ここでは、機械金属業種の集積地である東京都大田区の例をみてみたい。大田区の機械金属業種、就中、精密金型生産は、その卓越した技術による基盤産業としての強みから1998年まで一貫して生産を拡大してきた。しかし、ここ2~3年、韓国、台湾、中国等の追い上げ、長引く不況による需要減少・価格下落から、大田区中小企業の事業所・従業員数はピーク時の半分のレベルにまで減少した。精密金型生産等の基盤技術は、高度な熟練を要する分野であり、地味な基礎的訓練の必要から人材養成に長い時間がかかる。「指先でミクロン単位の誤差を見分ける」という職人芸は、実地での技術継承が何よりも重要である。しかし、後継者難を主因とする事業所数の減少は、雇用の減少のみならず技術の喪失をもたらす。最近では、大田区の中小企業の中には、韓国等の企業に金型を発注するケースが現れ始めているという7

 技術、資本、労働力をもって経済成長・発展の全てを説明できるわけではないし、以上披瀝させて頂いたのは、それらの要素の中でも、ほんの一部の事例に過ぎない。しかし、急増している海外直接投資の動きと併せて考えれば、現況を憂慮せざるを得ない象徴的な動きであることには違いないように思う。

  1. 7「日本のものづくりを支える大田区の基盤産業」(2001、山田伸顯)

3.欧米の産業政策

 上記のような現在の日本の空洞化問題は、コスト削減を主目的として生産の下流工程のみが海外に移転していた過去の状況とは、質の点で多いに異なっている。企業側の行動が「低付加価値製品を海外で高付加価値製品を日本でという時代ではなく、マザーファクトリーや研究開発も海外で行うことを検討する」という状況になっているのである。

 新しい新興諸国の出現に伴う労働や資本の移動によって、自国の抱える経済資源の問題点が顕現化することは、歴史的にみて先進国が何度も経験してきたことである。そして、その影響が大きい場合、各国政府とも何らかの対策を講じてきた。経済環境は時々刻々変化するので、他国の過去の例を単純に参考にすることはできない。しかし、対策に当っての考え方は参考になる。ここでは、EU統合時における欧州諸国、北米自由貿易協定(NAFTA)締結前後における米国の対応をみてみたい。結論から申し上げれば、両者に共通しているのは、「自分の船は自分で漕ぐ("Paddle your own canoe")」ことを徹底し競争を促進させるとともに、守るべきところを守るという姿勢を貫いていることである。

 EU統合は、一国規模では米国や日本に比べて小さいEC各国市場を一元化することによって、市場規模を拡大するとともに域内企業の淘汰を通じて競争力を高めることを目指していた。このため、EUでは、1993年に域内統一市場がスタートする前から、EC競争法に基づいて企業間の競争促進が進められていた。特に、マーストリヒト条約に定められた基準達成が視野に入ってきた90年代後半から、域内で本格的な競争が始まることになる。EU内の企業は、資本や労働力の移動が自由化されるに従って、廉価良質な財・サービスが移入され激しい価格・品質競争に巻き込まれていった。加えて、同時期に、米国企業の欧州大陸進出が加速したこともあり、欧州大陸企業の間で供給過剰の問題が顕現化した。欧州大陸企業は、供給過剰を解消し競争力を高める手段として、域内外でのM&Aを積極化した。

 各国政府は、こうした動きをサポートするためインフラを整えた。つまり、競争を促進させるM&Aを活発化させるため、法制、会計・税制を整備した。例えば、フランスでは、M&A合併時に取得した株式を一定期間保有することを条件として合併時の評価益が非課税となったほか、敵対的買収に加え、複数企業の同時買収や双方向の買収が認められるようになった。この結果、欧州の中で1996年に2,000億ドル程度であったEU企業によるM&A取引金額は、1999年には1兆ドルを超えるレベルにまで膨らんだ8。そして、製造業一般のほか、金融、小売、エネルギー等の非製造業においても集約化が進み、米国大手企業に伍していける大規模企業が誕生した。

 米国において1993年に誕生したクリントン政権は、レーガン政権におけるヤングレポートから続いた競争促進的な産業政策を引き継いだ。その動きは、EUと同様に、市場拡大を狙いカナダ、メキシコとの間で締結された北米自由貿易協定(NAFTA)によって加速する(同協定は1994年1月発効)。NAFTAに対しては、「産業の空洞化を招き米国労働者の雇用が脅かされる」として、民主党が基盤とする労働組合の反対が強かった。しかし、民主党のクリントン政権は、党是である雇用擁護を第一義とする政策と決別した。このことは、NAFTA発効前に採られた1993年の「経済再建計画」、「包括財政調整法」が多分に競争促進的なものとなっている点から伺える。その骨子は、政府のセーフティネットとしての役割は残しつつも、国内外からの投資促進を通じ生産性の向上を図るため、規制緩和の動きを一段と進めるものだった。こうした規制緩和の中で典型的な例が、96年の通信法による通信業界での業界垣根の撤廃である。同法では長距離電話と地域電話、地域電話とケーブルTV、ケーブルTVと放送の相互参入が認められることになり、業界における競争の激化やマルチメディア化を目指した産業再編成が進んだ。これまで規制の枠組内にあった各産業が、規制緩和によって競争の波にもまれ、効率的な経営を追求した。そして、それぞれが提供する財・サービスの多様化や低廉化をもたらすとともに新規企業の出現により多くの雇用が創出された9

 EUおよび米国政府は、上記のような競争促進的な政策と同時に、「守るべきものは守る」という姿勢も強く打ち出している。例えば、EUでは生産・製造における技術革新(イノベーション)の基盤強化を図った。本来、EUは、他の工業国と比べ科学研究水準が高い反面で、これを実務に結び付けるイノベーションの水準が低いことが問題視されていた。1996年11月には、その振興のため「欧州におけるイノベーション活動計画」が策定された。具体的には、教育訓練や産学協同の推進、欧州特許システムの簡素化、技術志向企業のベンチャー資金確保等の施策を行った。また、米国では、1993年にクリントン大統領およびゴア副大統領が、連名で「米国経済成長のための技術」を政策として打ち出し、研究開発により米国の技術力を高め、経済反映につなげるとの方向を明確にした。この中で、「基礎科学、数学、及び工学における世界の主導的立場」を達成するため、科学の教育・研究体制の充実・予算の傾斜配分に注力した。因みに、政府の研究開発予算をみると、1990年の総額約664億ドルから1999年の総額約790億ドルまで約20%増加しているが、増加の殆どが非国防研究開発予算である10。また、90年代初頭には、多くの国家的プロジェクトの強化も図られた。中でも、半導体の技術研究開発分野において、世界No.1の地位を維持することを目的として設立されたSEMATEC11は、同時期に人員・設備等体制を大幅に拡充、その成果物が90年代後半のITブームの礎となったことは記憶に新しい。

  1. 8European Economy」(2000、European Commission Directorate-General for Economic and Financial Affairs
  2. 9「世界の経済・財政改革」(2001、第一勧銀総合研究所)
  3. 10「平成11年版科学技術白書」(科学技術庁)
  4. 11International Semiconductor Manufacturing Technology Corporate Communication」、米国半導体業界保護を目的として87年に米国政府とデバイスメーカー(HP, INTEL, Motorola, TI等)の折半で設立された研究組織。現在は、設立当初の目的が変容、「半導体業界の未来のために」、国、デバイスメーカー、製造装置メーカーを問わず広く門戸を開放している。

4.産業空洞化への対応

我が国へのインプリケーション

 競争促進的な政策を講じながらも、自国企業の体力や技術力の保護も図った欧米の産業政策を踏えると、我が国の産業空洞化への対策としてどのようなことが考えられるのであろうか。換言すれば、日本が守るべきもの、そして捨てるものは何であろうか。私は、空洞化した付加価値を埋めるため、競争を促進し資本・技術を強化することによって製造業を高付加価値化すること。そして、これだけでは、空洞化に見合う十分な付加価値・雇用を産み出さないので、経済全体としてサービス産業化を進めることではないかと考えている。つまり、「製造業の高付加価値化」と「雇用」は守らねばならないということである。企業経営者の方とお話しする中で得られた、具体的な処方箋は、(1)制度の整備(競争促進的な環境作り、資本・技術力の強化策)、(2)製造業内および経済全体のサービス化(新規需要の創出、ソフトの評価体制)の2つであった。

制度の整備<競争促進的な環境作り、資本・技術力の強化>

 企業の資本・技術力を強化し、競争を促すような社会経済の制度作りが必要である。まずは、マクロ的な政策として、企業の吸収・合併を進め競争力を高める機会を与える一方、実際に競争を行わせるための規制緩和を行うべきだ。機会を与えるという面では、吸収・合併を促進するための法制、会計・税制の整備を進める必要があろう。一連の商法改正や会計制度のグローバル化によって、M&Aにとってかなりのインフラ整備が進んだが、今後は具体的な案件毎の弾力的運用が望まれる。反面、こうした制度面の整備は、外国企業に対しても同様の競争条件を求めていくということでもある。自動車・オートバイ、自動織機等、中国で需要のある工業製品は違法コピーによって大きな被害を受けている。WTO加盟によって事態の改善が図られることを期待するが、国際経済のルール遵守を国家間で要求していく必要がある。

 競争促進という点においては、規制緩和に加え、海外からの直接投資を増加させる政策も不可欠だ。海外からの直接投資の増加は、企業の海外進出によって減少した雇用を創出する効果も持っている。いずれの国においても、ナショナリズムに基づく「外国嫌い」は存在する。特に、日本は、海外企業による買収や吸収に慣れておらず、海外からの直接投資の増加に対してアレルギーを示しがちである。しかし、日本企業のうち、海外資本の入っている企業の数は諸外国と比較して極めて低い水準に止まっている。アレルギー感情を持つレベルでは無い。そもそも自国の経済資源(資本、労働力)を十分に活かすために、その受皿として海外資本を利用するのは極めて経済合理性に則った考えと思う。逆に言えば、国内の企業が、国内の経済資源を十分に使いこなすことができないのであれば、使いこなせる企業に任せるべきだ。外資の導入による競争によってもたらされる利益は、最終的には個人にまで及び、国としての経済的利益は大きい。

 各国とも、優秀な人材やインフラの充実(交通輸送、ライフライン等)をアピールし、海外からの投資を呼び込もうと懸命になっている。この点で、日本の政府や地方公共団体の取組みは必ずしも十分とは言えない。例えば、欧米の地方公共団体では、企業誘致に際し、(1)協同研究・デザイン・生産サポートの斡旋やバックオフィス事務の提供等のアフターケアを充実、(2)産学連携を進め特定分野(半導体やバイオ等)でのスキルを持った人材の提供、(3)企業間での知的所有権売買の仲介を通じた集積効果の向上等、様々な諸施策を実施することによって直接投資のインセンティブを高めている。もちろん、ここにおいて税制も重要な役割を果たす。世界同時不況が進む中でも、アイルランド等のEU諸国が比較的落ち込みが少ないのは、法人税を大きく引き下げて海外直接投資を呼び込んだことも一つの要因と言える。

 競争促進とともに「守るべきものは守る」という政策面のサポートも重要である。ある財の生産において、生産に用いられる素材や要素技術の変化により、製造工程全体が大きく変容する場合がある。例えば、半導体を製造する過程で、半導体の回路を基盤に焼き付ける作業がある。この感光作業は、従来はレーザー光で行われていたが、現在、より波長の短いX線等に移行することが始まっている。こうした新しい素材や要素技術による生産には、民間企業で負担しきれない費用が生じる可能性もあろう。政府の産業界への研究開発費支出(対GDP)をみると、日本は米国の5分の1、EU諸国の半分以下に止まっている12。旁々、政策面のサポートという点では、技術特許の認可までに要する期間や助成金・公共施設を利用する手続きの問題も指摘できる。例えば、特許の申請から認可までの平均年数をみると、「我が国では平均2年余りと米国の2倍以上の時間を要する」という事実がある。また、ベンチャー企業からは、「地方公共団体から一台数億円もする電子顕微鏡やX線解析の機械を無料で借用できるのは有難いが、提出書類の作成が大変煩雑で、わざわざそのために人員を雇用している」との声も聞こえてくる。グローバル化の進む中、外部環境の変化は激しい。技術を育てる体制の不備によって、多額の資金と人材を投入した技術開発が立ち腐れとなるようであれば、企業の技術開発意欲は衰えてしまう。今後、「産業技術力強化法」に基づいた技術移転が進むことにより、産学協同事業に基づいた特許出願や公共施設の利用増加が予想される。国・地方公共団体の体制整備が切に望まれる所以である。

 また、「守るべきものは守る」中で、金融機関やベンチャーキャピタリストの果たす役割は大きい。現在、技術力を持った中小企業に対するお金の流れは、「中小企業経営革新支援法」、「中小企業信用保険法」等の政策に依っている。こうした政策に加え、個別企業の技術力や成長性を見極め、自らのリスク・リターンの尺度を持った金融機関やベンチャーキャピタリストの活躍が期待される。

  1. 12「産業空洞化の現状と対応策について<経済財政諮問会議資料>」(2001年11月26日)

サービス産業化<新規需要・雇用の創出、ソフト評価体制>

 資本を強化し技術の保護を図る政策が講じられるとはいえ、競争が促進されれば、必然的に倒産や失業の増大といったデフレインパクトは生じ得る。この備えとして、雇用に係るセーフティネットの充実はもちろんであるが、それ以上に、官民一体となった新規需要・雇用創出のためのサービス産業化はより重要である。

 そもそもサービス産業化とは何か。これは、簡単に言えば、製造業においてはハードウェアだけではなくソフトウェアも生産し、非製造業においてはその供給するサービスの種類を増やし付加価値を高めることである。それでは、官民一体となった需要創出のためのサービス産業化とは、具体的にどのように進めればよいのか。回答は、個別企業における経営戦略、および官による政策に分けることができる。

 個別企業におけるサービス産業化とは、単に工場跡地をマンション業者や大型小売店に売却するというものではない。例えば、製造業においては、財・サービス販売後の配送やメンテナンスについて、今までハードウェアの生産に従事していた従業員に担当させることなどが考えられる。もちろん、昨日までハードウェアの生産に従事していた従業員が、今日からシステムエンジニアになれるわけがない。従業員のミスマッチを解消しスキルを育成するには時間がかかる。しかし、新たな雇用を創出するため、一企業の中でもジグソーパズルを解くような努力も必要だろう。

 また、企業間の連繋を強めネットワーク化することもサービス産業化に資する。日本では、部品作業等様々な卓越した技術・スキルを持つ多くの企業が、顧客と隣り合いながら、狭い範囲に集中している。これは、グローバル化にはマイナスという面もあるが、顧客のニーズに対して、企業同士一体となったベストのソリューション(ソフトウェア)を提供できるというメリットも持っている。例えば、大田区の中小企業では、顧客の発注に対し数十の企業が連絡・協力し合いながら試作品を完成していくそうだ。このような「集積」に伴うメリットを失ってはならない。さらに、企業間の連繋は、横だけではなく、サプライチェーンに着目した縦も重要である。小売業が消費者のニーズを捉えて衣類の委託生産を行い、メーカーや商社が中間卸売業者の系列化を進めているように、生産→仕入→流通のいずれに付加価値を産み出すかは、経済情勢や収益環境によって異なろうが、縦の連繋を強めることは、「製造業においてはハードウェアだけではなくソフトウェアも供給し、非製造業においてはその供給するサービスの種類を増やし付加価値を高める」というサービス産業化に資する。

 官においては、新しいサービス産業を産み出すように規制緩和に取組まねばならない。職業紹介、託児所および司法関連サービス等の分野での民間経営主体の参入拡大は大きな雇用創出効果を持つ。また、この前提として、サービスの購入者がその価値を正当に評価する体制を構築し、ビジネスモデルやソフトウェアの特許や著作権保護を強化することも必要だ。例えば、ソフトウェア開発に従事するシステムエンジニアは、ソフトウェア製作の対価を受けるに当り、「どのようなソフトウェアを製作したか」ではなく「何時間働いたか」によって評価されている。ソフトウェア会社内の給与で調整されるとはいえ、サービスの内容をもって個人の力量が目に見える形で評価される必要がある。製造業を支えてきた熟練工は、若年層の新規参入がなく大きくその数を減らしている。これは、極めて貴重な技術を持つ熟練工が3Kと一括りにされ、正当に評価されていないため、若年層が参入するインセンティブを喪失しているためである。サービス産業化とは、財・サービスを産み出すソフトウェアを正当に評価する、教育・雇用政策が前提となるのである。

 我が国の就業構造をみると、1998年末で第1次産業約6%弱、第2次産業約22%弱、第3次産業約70%強となっている。米国における第3次産業従事者が75%を超えている事実、および、今後、製造業におけるサービス産業化も進めば、日本における一段のサービス産業化の余地は十分にある。

 米国においては、冷戦終結後、「小さな政府を目指す」クリントノミクスの下で、軍事・連邦政府の持つ経済資源が開放された。特に、国防関係に従事していた人員の多くが民間企業へと移動した。90年から95年にかけて30万人もの国防関係者が減少する一方、サービス産業従事者は400万人の増加をみている13。サービス産業が、削減された国防・連邦政府関係者の巨大な受皿として機能したことが分かる。人の移動に伴って、それまで防衛分野に留まっていた技術も民間にスピン・オフ(軍事目的に開発された技術が民生などの分野に利用されること)されることになった。IT部門の中核的な技術、例えばネットワーク制御や暗号等、オリジナルが軍事技術であったものは少なくない。このように、ある部門に止まっていた技術やスキルなどのソフトウェアが開放されることによって、経済全体が活性化される可能性もある。

  1. 13"Statistical Abstract of the United States 1998"(U. S. Department of Commerce)

5.最後に

There is always room at the top

 経済成長・発展の源泉は、コストを引下げ付加価値の高い財・サービスを提供する努力以外にはない。もちろん、このためには、政府・日銀が協力して良好なマクロ環境を整えねばならない。しかし、その努力は、あくまでも個々の経済主体によるものである。

 経済的な苦境が続く中、「技術立国日本」という日本の国際的な地位も変容しつつある。企業は競争に挑むのを避けコストと時間のかかる研究開発に及び腰となるとともに、これを促進する制度も疲労を起こしている。今後、日本は、何を生産し何によって国を成り立たせていくのか、そして国際経済に対しどのような立場で何を貢献できるのか。戦後の焼野原から経済大国という僥倖を得た日本は、今再び国際社会から問われている。

 経済発展の歴史をいくつかの時代に区分し、「発展段階説(伝統的社会、離陸のための先行条件期、離陸期、成熟期、高度大衆消費社会の5段階)」を唱えたロストウは、耐久消費財とサービスの爆発的な需要が起こる「高度大衆消費社会」の次に、さらに新しい時代が来ることを予言した。それは、人々が労働によって所得を得るよりは余暇を選好する時代、余暇選好時代である。彼は、トーマス・マンの次の言葉を引用しながら、この余暇選好時代が持っている危険性を指摘した。「ブッテンブローグ家の初代はお金を求めた。2代目は金持ちの子として生まれ、社会的地位を求めた。3代目は資産と地位の中で生まれて音楽を求めた」14。資産、即ち付加価値を産み出す力、そして国際的な地位、これらがあってこそ余暇が楽しめるということを忘れてはならない。付加価値と地位を求める努力を放棄すれば経済の成長・発展は止ってしまう。

 IT不況、不良債権、未曾有の財政赤字、日本経済を取り巻く環境において暗い材料は事欠かない。ただ、一方で、1兆ドルを超える対外純資産、1,400兆円の個人貯蓄、優秀で技術力を持った1億人の民、明るい材料も十分にあることにを目を向けるべきである。「将来に希望を抱かせる明るい兆候は必ずある」("Every cloud has a silver lining")、そして、「粘り強い取組みを行う者に浮揚するチャンスは必ず残されている」("There is always room at the top")。

 本年が皆様にとって大いなる発展の年であることを祈念して、新年のご挨拶とさせて頂きたい。

  1. 14「経済学」(1989、佐和隆光編)

以上