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日本経済の再生に向けて

2002年 1月29日・経済倶楽部における速水総裁講演要旨

2002年 1月29日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1.昨年の経済金融情勢を振り返って
  3. 2.構造改革とマクロ経済
  4. 3.金融システムの現状と課題
  5. 4.おわりに

はじめに

 日本銀行の速水でございます。本日はこの席でお話をする機会を頂き、あつく御礼申し上げます。本年は、日本経済にとって、経済・産業面での構造改革や金融システムの健全化を進め、持続的な成長の基盤を整える上で、たいへん重要な1年であります。本日は、やや長い視点に立って、日本経済が再生を果たすためには何が必要なのか、中央銀行の立場から、私の考えを率直にお話ししたいと思います。

1.昨年の経済金融情勢を振り返って

内外経済の動向

 まず、日本だけでなく、世界にとってもたいへん厳しい年となった昨年の経済の動きについて、簡単に振り返ってみたいと思います。

 前回、一昨年の12月に本席でお話しさせて頂いた際、私は、日本経済を取り巻く先行きのリスクとして、米国を中心とする世界経済の動向や、株式市場の不安定な動きなどを指摘しました。経済がさまざまな構造問題を抱え、ショックに対する抵抗力が弱いもとでは、これらのショックを受けて景気が下振れするリスクに十分留意する必要があると申し上げたところです。大変残念なことに、この1年間、こうした懸念は、かなりの程度現実のものとなってしまいました。

 すなわち、昨年中の世界経済の特徴は、何と言っても、IT関連分野のグローバルな調整を背景に、世界経済全体が景気後退をみた点にあります。加えて9月には、米国で同時多発テロという、大変痛ましい事件が起こりました。こうした中で、各国とも経済政策の面では、景気の悪化やショックへの対応に追われた1年でした。

 わが国でも、世界的なIT関連需要の落ち込みを受け、輸出や生産は大幅に減少することになりました。このように始まった経済の調整は、企業収益や設備投資の減少をもたらしました。その後、調整の圧力は家計の雇用・所得環境にも広がり、最近では個人消費にも徐々に影響が及んできています。

 その一方で、最近では、いくつか前向きの兆しもみられています。

 すなわち、グローバルなIT関連分野の在庫調整は徐々に進捗しています。これを受け、世界的な半導体の出荷には下げ止まりの兆しが窺われ、半導体市況の一部にも持ち直しの動きがみられます。各国に先がけて減少をみた東アジア諸国の輸出も、下げ止まりの傾向を示しています。海外の金融市場をみると、株価や長期金利の動向は、先行きの景気回復を予想する姿となっているようです。

 ただし、こうしたIT分野の調整の進捗が最終需要の回復につながっていくのかどうかは、まだ不透明です。今後、米国をはじめとする海外経済が着実な回復軌道を辿っていくのかどうか、引き続き注意深くみていく必要があります。

 この間、国内では、設備投資や個人消費など、最終需要の面での弱い動きが目立っており、しばらくの間厳しい調整局面が続くことは、避けられないように思います。その一方で、輸出を取り巻く環境には変化の兆しもみられています。また、IT関連を中心に、在庫調整は徐々に進捗しており、この面からの生産の下押し圧力は徐々に弱まっていくと予想されます。

 今後、日本経済は、家計部門への調整の広がりといった下向きの力と、輸出・生産への下押し圧力の減少という好材料とがせめぎ合い、景気回復への足がかりをつかむ上で、重要な局面を迎えていくと考えられます。

新しい金融緩和の枠組みの採用

 次に、昨年来の日本銀行の金融政策運営について、簡単に振り返っておきたいと思います。

 我々は昨年の早い段階で、只今申し述べたような世界的な景気情勢を踏まえ、先行きの日本経済がかなり厳しい調整を余儀なくされることを予想せざるを得ませんでした。

 一方で、90年代を通じて大規模な金融緩和を続けてきた結果、金融調節の誘導目標であったコールレートは昨年初の時点で0.25%と、殆ど下げ余地のない水準となっていました。このように、経済の厳しい見通しに加え、金融政策の発動余地という点でも、きわめて難しい状況にありました。

 こうした中で、我々は昨年3月、金融政策の主な操作目標を、コールレートから、日銀当座預金の残高という資金の「量」に変更し、これを大きく増やすという金融緩和に踏み切りました。

 このように、世界の中央銀行の歴史に前例のない思いきった緩和策を採ることについては、さまざまな悩みがありました。短期金利がほぼゼロまで下がったもとで、なお「量」を拡大させることが経済にどのような影響を及ぼすのか、そのメカニズムは未知のものであり、理論的にも経験的にもはっきりと裏付けられている訳ではなかったからです。

 金融政策が有効性を発揮する上では、政策当局への信認がきわめて重要な役割を果たしますが、これは決して一朝一夕に築かれるものではありません。政策当局が、政策に期待される効果やリスクをきちんと国民に説明する。国民は、その現実の効果やリスクがどうであったか、それが当局の説明に沿ったものであったかを検証する。政策に対する信認とは、こうしたプロセスの地道な積み重ねによって漸く得られるものです。中央銀行としては、「やらないよりやった方がまし」といった乱暴な割り切りはできません。

 新しい金融緩和の枠組みを採用するに当たっても、私は、中央銀行として誠実に説明責任を果たしていこうと考えました。すなわち、我々が採ろうとする政策が前例のないものである以上、効果が不確かな部分があることもきちんと説明し、その上で、未踏の分野に踏み込んでいく必要性について理解を求めていくほかはないと判断しました。

 そもそも金融政策は、需要を直接創り出せるものではありませんし、ましてや、構造政策を代替するものとはなり得ません。加えて、長短金利がほぼ下げ余地のない水準まで低下している中で、金融政策の面から経済を刺激し得る余地には、限界があると言わざるを得ません。

 しかし私は、中央銀行としてできる限りの政策努力を重ねた上で、その効果を十分に発揮させるためにも構造問題の解決が必要不可欠であることを、強く訴え続けていくべきであると考えました。いわば、構造改革に一歩先んじる気持ちもあって、前例のない思いきった金融緩和を決意した訳です。

 日本銀行は、昨年2月の段階で既に2回の緩和措置を決定しました。3月以降は、只今申し述べた新しい枠組みのもとで、さらに4回にわたる緩和措置を講じてきました。先月には、景気の悪化や金融情勢に鑑み、日銀当座預金の「量」をさらに大幅に増やすとともに、資産担保証券(ABS)といった新しい金融商品をオペや担保の対象として一層活用していく措置を決定したところです。

未踏の金融緩和の経験

 このように、いわば未踏の領域の金融緩和を続ける中で、その効果についての経験も、それなりに蓄積されてきました。

 まず、昨年中の一連の金融緩和措置は、限界的とはいえ、短期金利の低下や流動性懸念の払拭という面では、一定の効果を挙げたといえます。

 すなわち、コールレートは現在、0.001~0.003%といった水準まで低下しています。ちなみに、「ゼロ金利政策」時のコールレートは0.02~0.03%ですので、現在の水準はゼロ金利政策時の水準を下回っています。さらに、大量の資金供給や、金融緩和の継続性に関する強力な「コミットメント」、つまり「インフレ率が安定的にゼロ%以上になるまで現在の金融緩和の枠組みを続ける」という約束を通じて、金利の低下はより長めのものにまで及んでいます。例えば、1年物の国債の金利も現在0.001%と、ほぼゼロに近い水準となっています。

 加えて、米国のテロ事件発生の際にも、積極的な資金供給を行った結果、流動性の面での問題は回避されました。また、昨年末にかけて大手企業の破綻などを契機に金融システム面での懸念が高まった際にも、金融市場に大きな混乱が生じることはありませんでした。この3月期末に向けても、これまでのところ流動性の逼迫といった現象はみられていません。

 一方、日銀当座預金の「量」を大きく増やすこと自体が、実体経済活動や物価、あるいは人々の先行き見通しなどに影響を及ぼすといった現象は、これまでのところ、明確には観察されていません。

 現在の金融緩和の枠組みのもとで、日銀当座預金と現金の合計であるマネタリーベースは、前年比15%を超える著しい増加を示しています。これは、コンピューター2000年問題という特殊要因があった時期を除けば、第一次オイルショック前後の「狂乱物価」時以来の伸びです。しかしながら、銀行貸出は低迷していますし、成長率や物価もマイナス基調を続けています。

 振り返ってみれば、90年代を通じて、財政・金融というマクロ経済政策の面から大規模な政策対応が採られました。金融面では、マネタリーベースやマネーサプライといった量的金融指標も、経済活動水準との対比ではかなり高めの伸びを続けましたが、日本経済は持続的な成長軌道に復帰することができませんでした。こうした姿は、不良債権問題など、経済がさまざまな構造問題を抱えるもとで、金融緩和だけでは、銀行行動や経済活動、物価などに対して目に見える効果を及ぼしにくい状況を示しています。

 このように、近年の金融政策運営の経験は、日本経済が抱える問題の根の深さをあらためて浮き彫りにするものともいえます。こうした問題を是正するために何が必要なのかという建設的な議論が必要です。我々が、日本経済再生のための最重要課題として、経済・産業面の構造改革と金融システムの健全化を強く訴えてきているのも、まさにこうした問題意識に基づくものです。そこで次に、この2つの問題についてお話ししたいと思います。

2.構造改革とマクロ経済

構造改革の目指すもの

 現在、日本を含めた先進各国は、東アジアなどのエマージング諸国で急速な工業化が進展する中で、強い国際競争圧力に晒されています。

 国が豊かになり、人々の所得水準が上がっていくということは、同時に、相対的に賃金コストの低い国々からの競争圧力に晒され続けることを意味しています。しかし、このことは先進国の「宿命」として受け入れるべきものです。環境変化に応じて産業構造の転換を柔軟に行い、その時々の経済をリードする高付加価値産業を育てていくことは、先進国であり続けるための条件といえます。

 さらに、先進国がそうした構造転換を行っていくことができれば、経済のグローバル化は、市場の拡大や効率的な国際分業を通じて、拡大均衡をもたらすはずです。最近、わが国企業の海外生産比率の上昇が「産業の空洞化」として問題にされることがあります。しかし、わが国製造業の海外生産比率は約15%と、欧米の2~3割と比べれば高いとはいえません。海外への生産シフトは、短期的には特定の地域や産業に厳しい影響をもたらすでしょう。しかし、経済のグローバル化の中で、企業が国際分業をより有効に活用しようとする動き自体は止めることはできません。また、そうした動きは、中長期的には、経済全体にメリットをもたらし得るものであると思います。

 実際、既に80年代から小さく効率的な政府の実現に向けた改革を進めていた米英や、欧州統合に向けて構造改革の努力を行ってきた欧州大陸諸国は、90年代、情報通信関連の技術革新を利用しながら、成長を実現してきました。

 これに対しわが国は、80年代の「バブル」の発生やその崩壊の過程で、不良債権問題などの問題を抱えるに至り、また、その他の構造問題への対処という点でも、他の先進各国に比べて遅れをとったことは否めません。

 したがって、日本の中長期的な展望を切り開いていく上では、将来の経済をリードし得るような生産性の高い産業やプロジェクトが、民間の中から十分に現れてくるかどうか、また、民間の活力を最大限に生かせる経済社会を実現していけるかどうかが、最大の鍵となるように思います。

 昨年来、私も参加している経済財政諮問会議で、いわゆる「骨太の方針」から「中期展望」まで、構造改革の骨子が作られてきました。今後、改革の内容や進捗度合いについて、様々な議論が起きてくるでしょうが、その際重要な尺度は「民間需要の活性化につながるかどうか」ということだと思います。

 今年は、経済財政諮問会議で、税制全般や公的金融のあり方も議論されていく予定です。

 税制を巡る議論では、公平、中立、簡素といった租税の基本原則に加え、民間の自由で創造的な経済活動を促すものか、また、経済や企業活動のグローバル化などに十分対応し得るものかといった観点が、これまで以上に重要になってくると考えています。

 また、公的金融については、90年代以降、政府系金融機関の貸出シェアは、大企業向けを中心に上昇しており、現在では民間借入の約2割を占めるに至っています。資金仲介に占める公的金融のシェアが大きいと、市場原理に沿った金利設定が困難になるとか、資本市場の発達が阻害されるといった、マイナスの影響が考えられます。今後、市場原理を活用して経済の活性化を図っていく上で、公的金融の見直しは不可欠の課題です。その際、民間にできることは極力民間に委ねるとの考え方に立ち、公的金融の機能を、保証やリファイナンスを中心とする方向で見直していくことが、一つの有力な方法ではないかと考えています。

構造改革の「痛み」について

 一方で、構造改革の必要性については認識しつつも、それが短期的にもたらす「痛み」を、何らかの手段によって「和らげる」ことができないか、といった意見も聞かれます。現在の厳しい経済環境や、構造改革が短期的にもたらす影響などを踏まえれば、こうした意見が出てくること自体は、十分に理解できます。

 しかし同時に、それが「痛みを和らげる」といった感覚的な言葉で語られているが故に、その具体的な内容がわかりにくくなっている面もあります。言われていることをよく吟味すると、実は構造改革そのものを止めることに等しいものであったり、単に「痛み」を先送りするものである場合も多いように思います。

 この点を判断する基準として、私は、さまざまな政策手段を検討するに当たり、構造改革が実現を目指す姿との整合性を考えていくことが、有用ではないかと思います。

 例えば、企業再編や金融システム健全化のプロセスでは、銀行貸出の減少や貸出金利の上昇という現象が発生する可能性が高いと思います。このため、金融機関に対して貸出の増加を求めるとか、さらには、中央銀行が民間企業に資金を直接流してはどうか、といった意見さえ聞かれることがあります。

 しかし、金融システムを健全化する上で、リスクに応じた適正な貸出金利の形成が行われていくことや、不採算貸出を圧縮することは、避けて通れない過程です。もちろん、そうした動きが行き過ぎて、健全な企業まで資金繰りが厳しくなるといった事態は避ける必要があります。大事なことは、企業の退出と同時に参入も活発化させ、産業構造の変革を急ぐとともに、新たな金融仲介の道を育てていくことではないかと思います。日本銀行が、資産担保証券など新しい金融商品のオペや担保面での活用を通じて、金融市場の育成に積極的に取り組んでいるのも、こうした問題意識に立っているからです。

 これに対し、中央銀行が直接企業に資金を出すといったことは、そもそも中央銀行の本来的な役割とはいえないという問題があります。加えて、そうしたことは、市場機能と民間の力を最大限活用するという考え方のもとで、公的金融の見直し等に取り組んでいる構造改革の方向とも、整合的ではありません。

 また、一部には、「痛み」を和らげる手段として、人為的な円安誘導を求める声も聞かれます。

 円相場は、昨年末以降、130円台前半まで円安が進んでいます。こうした動きは、短期的には、米国経済の回復期待が高まる一方で、日本経済の抱える構造問題が強く意識されるといった、市場の見方を反映している面があると思います。気になるのは、こうした市場動向を超えて、円安誘導を図るべきであるという論調が一部に見受けられることです。しかし、資本が自由に移動し得る現在のような環境のもとで、為替相場を人為的に操作することはできません。加えて、日本のような経済規模の大きな国が、為替相場の操作によって自国の問題を解決しようとする姿勢自体、経済運営やひいては通貨に対する国際的な信認を傷つけるおそれがあります。

 為替レートは、やや長い目でみれば、各国の経済のパフォーマンスに対する市場の評価を反映して変動します。仮に日本が今後、先進国にふさわしい高付加価値産業を育てていくことができなかったり、あるいは、市場がそうした悲観的な見方を採れば、円は下落していくかもしれません。しかし、それは日本の国としての購買力が失われていく形で、調整が進むことを意味します。構造改革は、決してそのような形での調整を目指すものではないはずです。

 為替相場はやはり、経済のファンダメンタルズを反映して安定的に形成されることが望ましく、円安によって日本経済の克服すべき様々な課題が解決されるわけではないことは、十分認識しておく必要があります。

 さらに、構造改革を進める一方で、何とか物価の下落傾向を止めることはできないか、あるいは構造改革を円滑に進める上でも物価を上げる必要がある、といったご意見もあります。

 まず申し上げたいことは、我々はすでに、「インフレ率が安定的にゼロ%以上になるまで現在の金融緩和の枠組みを続ける」といったコミットメントまで行い、世界の中央銀行の歴史に例をみない思いきった金融緩和を実行している、という事実です。「日本銀行は物価の下落を放置している」とか、「デフレを容認している」といった見方があるとすれば、それは全くの誤解です。

 しかし、そのうえで、構造改革と物価の関係については、正確に認識しておく必要があります。現在の物価の下落傾向には、技術革新や規制緩和、安値輸入品の影響など、様々な要因が複雑に寄与していますが、とりわけ大きな要因としては、やはり、日本経済が長期にわたり本格的な景気回復を実現できず、需給ギャップが大きく拡大していることが挙げられます。

 実体経済と物価との関係は、実体経済の動きが先行し、これによる需給バランスの変化を受けて物価も変動するというものです。景気が良くなってから物価が上がるのであって、まず物価が上がり、それから景気が良くなるわけではありません。

 構造改革は、日本経済の成長や生産性の向上を阻害してきた原因にメスを入れ、民需を活性化させようとするものです。こうした構造改革は、国民が選択した道であるとともに、中長期的には、日本経済が持続的な成長軌道への復帰を果たしていくためにも必要不可欠です。しかし、構造改革や財政再建を進めていく過程で、一時的に成長率の低下が避けられないとすれば、その間は、物価に下落圧力がかかり続けることも避けられません。単に物価を上げることだけが目的であれば、財政支出を大幅に拡大させて短期的にモノやサービスの需給を逼迫させるという方法が考えられますが、それが構造改革の理念と整合的でないことは明らかです。

 結局、構造改革の「痛み」を和らげる正攻法は、逆説的な言い方ではありますが、改革を着実に進めること、同時にその方針について経済主体や市場の信認を得ることではないかと思います。

 すなわち、構造改革の具体的な取り組みを通じて、家計が年金や社会保障制度などに抱く将来不安が後退したり、企業が先行きの生産性の向上を確信すれば、そのことが、現在の企業や家計の支出を下支えすることが期待できます。さらに、金融・資本市場が構造改革への取り組みを前向きに評価すれば、株価の上昇などを通じて、改革のプラス効果を前倒しで引き出すことも可能となります。そのためにも、具体的な取り組みのスケジュールや、個々の方策に期待される効果について、人々が納得する形で示していくことが重要であると思います。

3.金融システムの現状と課題

金融システムの現状評価

 次に、構造改革のもうひとつの重要テーマである、わが国の金融システムを巡る問題について申し述べたいと思います。

 まず、株価全体の動向から確認してみたいと思います。ニューヨークのテロ事件以前は日米の株価はパラレルな動きをしていたのですが、10月以降日本の株価は、全体的に弱い地合いが続き、両者の乖離が目立ってきています。この間、東証一部の取引高は、1日平均6~8億株とかなりの出来高を維持していますが、その中で外国人投資家の売買高に占める割合が年々増えるなど、株式市場の構造が変化してきています。こうした株価の低迷や構造変化が続く中で、申すまでもないことですが、最近強化された空売り規制なども効果を挙げ、一段と透明かつ公正な市場になっていくことが期待されます。

 また、日本の株価を業種別に分けてみると、電気機器や輸送用機器の上昇に比べて、建設業、不動産業、銀行業は低下しています。この点からも、銀行に対する市場の評価は、残念ながら、一段と厳しさを増していると言えます。

 銀行株が低下している背景には、三つの要因があるように思います。いうまでもなく第一には不良債権問題があります、第二には、銀行の取引先である企業の相次ぐ破綻とそれが今後も続くのではないかという懸念です。特に銀行の再編が相次ぐ中で、調整に時間を要している点にも留意すべきと思います。第三に銀行と企業の双方で時価会計が導入される中、持合い株の解消が進んでいることです。

 中でも最大の問題は、いうまでもなく、不良債権問題です。そして、この不良債権問題が、日本経済全体に重荷になっているのが実情です。

 不良債権問題については、これまで、その克服に向けて多くの努力がなされてきました。多くの金融機関で、ここ10年近く、年間利益を上回る多額の不良債権処理が実施されてきました。しかし、不良債権の新規発生が高水準であり、結果として、不良債権残高は目立った減少をみていません。

 また、不良債権の内容をみると、バブル崩壊後、しばらくの間は、ノンバンク、不動産業、建設業などの業種がその大部分を占めていました。しかしながら、最近の不良債権をみると、特に新規発生分を中心に、流通などのサービス業、さらには一部製造業にも業種が広がってきています。すなわち、構造調整に直面している業種に不良債権の発生が及んできているといえます。

 不良債権の発生は、見方を変えると、構造調整の進展に伴うものという側面も色濃く持っています。この面からみると、その解決にあたっては、貸し手の金融機関だけではなく、借り手の企業サイドにおける思いきった経営刷新も求められていると言えましょう。

金融機関の対応

 そうは言っても、不良債権問題は基本的に金融機関経営の問題であることは言うまでもありません。実際、大手行は、昨年秋の中間決算発表の際、同時に13年度決算の見通しを発表しましたが、その中で、(1)期初の見通しを大きく上回る不良債権処理の実施、(2)さらなるコストの削減、(3)信用リスクに見合った貸出スプレッドの改善、(4)これらを通じた収益力の強化、など思い切った方針を打ち出しました。その内容は、評価に値するものと考えています。

 市場の信認を回復するために、今後は、こうした取り組み方針が速やかに具体化され、実施に移されることを強く期待しています。

 このうち不良債権処理について、やや詳しく申し上げると、引当に加え、その最終的な解決のためには、バランスシートから切り離していくことが重要です。

 実際に金融機関の対応をみると、民事再生手続などを活用して企業の整理を進める一方、債権を第三者に売却するなど、流動化を促進する動きが、このところかなり広範化してきています。例えば、外資系を含む企業再建ファンドの資金やノウハウを活用するといった動きがあります。また、債務の株式化——いわゆるデット・エクイティスワップ——などの新しい手法の活用も大いに期待されます。さらに、先般の法律改正により買取り条件の弾力化と企業再生のための機能強化が打ち出された整理回収機構(RCC)を一層活用することも展望されます。

 今後、多面的な手法の活用により、不良債権処理のスピードアップが図られることを強く期待しています。

 この点、一部には、不良債権処理を急ぎ過ぎると、景気との関係でマイナスが大きいとの議論があります。もちろん、不良債権には景気循環的な側面もありますが、先ほど申し上げた通り、構造調整に直面している企業の不良債権も相当あります。したがって、不良債権処理の先送りは、構造調整の遅れ、ひいては、経済全体の再活性化の遅れにつながりかねません。また、民間金融機関の経営の重荷となっている不良債権問題を解決することは、経済の基盤の一つである金融機関の金融仲介機能の回復に資するという大きな意味を持っています。逆に不良債権処理の遅れは、金融機関の健全性に対する信頼の一段の低下を通じて、金融システム全体を不安定化させるリスクもあると考えています。

収益性改善の重要性

 次に、金融機関が現在取り組んでいるもう一つの大きな課題である収益性の改善について、お話しいたします。金融機関は、このところ期間収益を上回る不良債権処理を余儀なくされており、これが体力を低下させています。体力を回復していくには、自らの収益性を改善していくほかはなく、不良債権処理など負の遺産の処理のみでは、十分ではありません。

 長い目でみて収益性を改善していくためには、金融機関自らが新しいビジネスモデルの確立に向けて、大胆に挑戦していくことが必要です。もちろん、「言うは易く行うは難し」という面があると思いますが、自らの特性を認識し、それを活かすためのビジネスの構築や、経営資源の思い切った再配分を行うなど工夫の余地はまだまだあるのではないでしょうか。

 ここ1~2年、合併、持株会社設立、業務提携といった色々な手法により事業再編を行う動きが、金融界に広範化してきました。その内容をみても、旧財閥グループの枠を超えた統合、信託や証券部門の集約化、スーパーリージョナルバンクの標榜など、さまざまな形が展望されています。その際、大事なことは、金融機関が、自らの経営形態の見直しを経営刷新のためにどのように活かしていくか、ということであると思います。

 私は、金融機関が、以上述べたような収益性を改善するための取り組みを一層積極化することにより、不良債権処理と企業再生が同時に進展し、金融システムが再活性化することを期待しています。そうしたことが、金融機関の信認を向上させ、これらが株価にも好影響を与えるといったプラスの相乗効果をもたらすことになると思います。

 ただ、各金融機関のそうした取り組みが実を結ぶまでに、しばらく時間を要することは否定できません。

公的資本注入およびペイオフ解禁

 また、金融機関の自助努力にもかかわらず、今後、不良債権処理が進む過程で、万が一、金融システム全体の安定について疑問が呈されるような場合に十分備えておくことが必要です。この点、昨年4月から施行された改正預金保険法において、そうした場合に、金融危機対応会議が開かれ、内閣総理大臣の必要性の認定を経て、公的資本注入を行う仕組みが整えられています。

 もちろん、再建が困難であることが明らかとなった金融機関については、斉々と処理を進めるべきことは言うまでもありません。

 日本銀行としても、金融システム安定の観点から必要がある場合には、公的資本注入などの措置と併せて、我々の基本的な役割の一つである最後の貸し手として流動性供給の面からの責務を果たしていく所存です。

 なお、金融システムに関する話の最後に、ペイオフ解禁について一言申し上げます。

 4月のペイオフ解禁まで残された時間は、少なくなってきました。各金融機関が、各種経営課題への取り組みをさらにスピードアップさせ、市場の信認向上への流れを確かなものにすることにより、円滑なペイオフ解禁が実現することを期待しています。それで本来の姿に戻るということではないかと思います。

4.おわりに

 以上、日本経済の課題や日本銀行の政策運営の考え方について、申し述べてまいりました。

 日本経済の再生に向けた道のりは、なお道半ばと言わざるを得ませんし、これからの道のりも、決してなだらかではないでしょう。しかし私は、日本経済の潜在力や、中長期的にみた経済の先行きについて、決して悲観していません。

 例えば、日本の個人金融資産は約1400兆円に達しています。国全体としても、世界最大の対外債権超過国として、約1.2兆ドル、GDPの約3割に相当する対外資産を有しており、ここから、巨額の所得収支の黒字が生み出されています。これを含め、日本の経常収支は80年代以降現在に到るまで、名目GDPの2~4%の黒字を維持しています。さらに、ITなど新分野に対応し得る技術的なバックグラウンドという面でも、日本は十分な潜在力を備えているように思います。

 構造改革とは、このような日本の潜在力を目に見える形で活性化させていくということです。その間、短期的には、低成長や物価の下落、失業や倒産の増大といった痛みが伴うことは避けられません。しかし、そうした短期的な痛みは、長期的には、日本の潜在力を発揮して、新しい発展の基盤を整備するために、どうしても避けられないプロセスであることを銘記する必要があります。

 そこで最後に、構造改革の途上で必要となる政策運営の考え方について2点申し述べたいと思います。

 第1は、構造改革の短期的な「痛み」をなるべく小さくするという観点からも、改革の具体的な取り組みを着実に進めることを通じて、そのプラス効果をできるだけ早期に引き出していくことが重要です。

 第2に、構造改革の過程で、マクロ経済政策に求められることは、「一時的な低成長や物価の下落はやむを得ないとしても、それをデフレ・スパイラルにつなげない」ということだと思います。

 先ほど申し述べたような実体経済と物価との関係からみて、構造改革を通じて民需主導の持続的成長が実現すれば、デフレからの脱却も展望できることになります。ただし、そうなる前に、物価の下落と需要の減少が相互作用的かつ加速度的に進む「デフレ・スパイラル」に陥ってしまうと、構造改革がもたらすはずの果実も得られなくなります。

 デフレ・スパイラルを未然に防止するためには、民間需要を効果的に引き出すような財政支出の内容面での工夫や、雇用のセーフティ・ネットの整備、さらには、金融システムの強化などが重要です。

 日本銀行としても、潤沢な資金供給を継続し、金融市場の安定確保と緩和効果の浸透に努めるとともに、金融システム面でも最後の貸し手としての責務を果たしていく方針です。冒頭申し上げたように、日本経済にとって「正念場」となるであろう年を迎え、中央銀行としての決意をあらためて申し述べるとともに、日本銀行の政策・業務運営に対するご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げて、本日の私の話を終わらせて頂きます。

 ご清聴ありがとうございました。

以上