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構造問題と金融政策の有効性

群馬県金融経済懇談会における植田審議委員基調説明要旨

2002年4月24日
日本銀行

[目次]

  1. 1.マネタリストの主張とはかけ離れた最近の日本のマネーとインフレ率の関係
  2. 2.足許の景況感
  3. 3.景気回復の足枷となる構造問題
  4. 4.低下した金融緩和の有効性
  5. 5.金融政策と他の経済政策との役割分担、協調

1.マネタリストの主張とはかけ離れた最近の日本のマネーとインフレ率の関係

 日本銀行はここ数年潤沢な流動性供給を続けて来ている。そのペースは、2001年3月以降、いわゆる「量的緩和策」の下で高まり、足許では、日本銀行が供給するベースマネーの対前年比伸び率は、30%を超える高い値となっている。30%どころか15%を大幅に超える伸び率は、1970年代初め以来である。当時は、いわゆる「過剰流動性インフレーション」が発生した。他方、現在の物価変化率を見ると、デフレが加速する気配はないものの、デフレ率が目立って縮小するという傾向もこれまでのところ見えていない。

 より視覚的には図1をご覧頂こう。これはベースマネーの名目GDPに対する比率を過去30年程度について示している1。1995年頃までは、短期的な乖離、若干の長期的な上昇トレンドはあるものの、両者がかなり密接な関連を持って動いていたことがわかる。しかし、1990年代半ば以降、こうした関係は失われている。ベースマネーの名目GDP比は、どんどん上昇し、過去には見られないような水準に達している。

  1. 12000年初めのY2K問題に対応する一時的な流動性供給の影響を簡単な方法でならしてスムーズな系列とする調整を施してある。

 経済学にはマネタリズムという考え方がある。そのポイントは、マネーの伸びを高く保てば、いずれインフレになるというものである。マネタリストが図1を見れば、日本経済には尋常でないインフレのリスクがあると指摘するだろう。ところが、こうしたマネーの名目GDPを上回る高い伸びは、ここ1年どころか既に5年以上続いているにもかかわらず、経済はインフレではなく、緩やかなデフレの状態にある。

 もちろん、マネー供給の経済への効果発現には時間がかかるので、もう少し待てばはっきりしたデフレ解消への動きが出てくるという主張は可能である。また、日本銀行もこうした可能性を期待はしているわけである。しかし、通常マネーから経済への影響発現までのラグの長さは半年から3年程度と言われており、こうした経験法則から大きく外れた現象が現在の日本で起こっていることも事実である。以下ではその背景を考えてみたい。

2.足許の景況感

 デフレの傾向は続いているものの、足許では経済の一部に明るい兆しが見え初めている。その最大の理由は、アメリカ・東アジア経済の回復と、それに伴う輸出の増加傾向である。2000年後半から続いてきたIT分野を中心とする世界的な製造業の在庫調整がおおむね終了したと見られる。特に東アジアの回復は目覚しく、つれて日本のアジア向け輸出もV字型に回復しつつある。

 日本でも、輸出の増加だけでなく、在庫調整の終了が視野に入る中で生産が下げ止まりつつある。年央までのどこかで生産は上向き傾向に転じようし、企業収益も製造業中心に対前年度比では上昇となろう。

 外需の好調さとは対照的に、内需は低迷している。設備投資は先行指標を見ても低下傾向が継続しているし、雇用者所得の低下傾向もあって消費も弱含みである2。内需が低迷しているため、製造業の回復が経済全体の回復に結びついていくかどうか予断を許さない状況である。

  1. 2ただし、消費は雇用者所得ほどには低下していないと見られ、その意味では景気を下支えしている。

 物価動向に目を転じると、世界的な在庫調整の進捗、石油価格の反発、円安などを映じて、卸売物価の低下傾向は若干弱まりつつある。他方、消費者物価は、こうした卸売物価の安定化傾向を受けつつも、賃金下落の影響がサービス価格にどのように反映されるか、今後の動きを注意深く見守るべき段階にある。

 アメリカ経済を中心とする世界経済の前向きの動きが今年後半にも継続するならば、わが国でも外需の伸びが内需に点火する可能性も高まっていこう。しかし、ここには世界経済動向の不確実性以外にも様々な問題がある。

3.景気回復の足枷となる構造問題

 外需の回復がどの程度経済全体の回復につながるかという問題は、最近の日本経済ではおなじみのテーマである。1999年から2000年の回復を振り返ってみよう。1999年の第II四半期から2000年第II四半期までの1年間に実質GDPは2.3%成長している。需要項目別に寄与度ベースで見ると、一番大きいのは設備投資の1.6%、次に輸出の0.7%である。しかし、因果関係としては輸出が先に伸び、つられて製造業の設備投資が伸びたということだろう。この間、消費は0.3%の寄与度と、ほとんど伸びておらず、景気回復が力弱く、短命なものに終わった主因の一つとなっている。

 消費低調の主因は雇用者所得の低い伸び(1999,2000年度平均で−0.4%)である。その背景としては、1990年代を通じてきわめて高い水準にまで上昇した労働分配率がある。既に80年代に高まっていた労働分配率は、90年代前半に大きく上昇、さらに98年の不況時に一段と上昇(法人季報ベースで85%超)、その後の賃金抑制をいわば必然とした。

 低調ではあったが、一応プラスの成長を記録した消費の景気刺激効果を弱めた要因として、輸入浸透度の上昇が上げられる。いうまでもなく、この時期は中国の一段の経済成長もあり、衣料品・食料品・その他を中国等で生産し、国内の既存の卸・小売業者をショートカットして格安の値段で販売する新しいビジネスモデルが隆盛を極めた。これもあって、1981年から98年までは、消費者物価指数上昇率は卸売物価指数の伸びを年平均2.3%上回っていたが、98年から2000年にかけてはその差は大きく0.1%へと低下し、消費者物価デフレとでも呼ぶべき現象が発生した。

 消費の低迷や輸入の増大は非製造業、特に中堅中小企業の経営を揺さぶった。実際、1999年から2000年にかけてセクター別に設備投資動向を見ると(図2)、非製造業中堅中小企業の不振が目立っている。これも当時の景気回復が力弱いものに終わった大きな要因である。80年代までは金融緩和期には、非製造業中堅中小企業の設備投資が他のセクターに先駆けて増大し、景気回復をリードしたのである。

 もちろん、このセクターの投資不振の最大の原因はいわゆるバランスシート(以下、B/S)問題である。各セクターの自己資本比率(自己資本÷総資産)を地価や株価の下落による保有資産のキャピタルロスで調整した実質自己資本比率(図3)を見ると、非製造業、特に中堅中小企業において比率の低下が著しい。この間、労働分配率の高まりの裏側で資本に対する利益率は低下している。すなわち、こうした企業は低い利益率にもかかわらず、自己資本比率が低く、設備投資は出にくい、貸し手側の金融機関からすれば融資を行いにくい対象であった。

 加えて、いうまでもなく金融機関自身のB/Sも傷ついており、借り手側の問題を別にしても金融仲介能力が弱まっていたわけである。端的には、新規の有望な企業、プロジェクトへ資金を回す能力が低下したということである。

 今後予想される経済動向の特徴は、景気が回復するとしても、製造業中心のものだという点である。すると、いま述べたような借手・貸手のB/Sの痛みに代表される構造問題が自律的、かつ大幅に改善していく可能性は残念ながら低いと考えざるを得ない。

4.低下した金融緩和の有効性

 以上のような議論からすれば、金融緩和の景気刺激能力が弱まっている理由は見やすい。通常であれば、低金利に強く反応するようなセクター・需要項目(例えば、非製造業中堅中小企業の設備投資)が、借手・貸手双方のB/S問題、その他の構造問題を背景に弾力性を欠いているということである。図4には、銀行貸出の前年比が示されているが、図1で見たようなベースマネーが名目GDP比大幅に上昇した最近数年間において、貸出がほとんど伸びてこなかったか、下落してきたことがわかる。

 これに加えて、いわゆる「名目金利のゼロ制約」(金利がゼロ以下に下がれないこと)が金融政策にとっては深刻な制約条件となってきたということは言うまでもない。同じく図4にはコールO/Nレートが示されているが、やはり1995年以降1%以下で推移している。特に1999年初め以降は、ほぼゼロに張り付いており、低下余地が極めて限られていたことが明らかである。

 それではこの間の金融緩和政策が何の役割も果たしてこなかったかといえばそうではない。最大の貢献は、流動性危機を未然に防いだり、不幸にも出現してしまった場合には、その悪影響を最小限に食い止めてきたという点である。

 例えば1998年後半は内外の金融不安から金融機関の流動性供給能力が急低下した。98年末の様々なオペの工夫、99年からのゼロ金利政策はこうした流動性不安の解消に大きな役割を果たした。その後も2001年初めや、2001年度後半の株安、金融不安の高まり等に適宜適切に十分な資金供給を実施していなければ、金融資本市場、金融システムは大混乱に陥り、デフレ圧力は急拡大していただろう。日本銀行の資金供給はこうした事態を食い止めてきたのである。

5.金融政策と他の経済政策との役割分担、協調

 日本銀行の金融緩和政策の効果がゼロ金利制約に加えて、様々な構造問題で限られたものとなってきたことを説明した。構造問題のうち、B/S問題あるいは不良債権問題は解決しなければならないものである。ニュー・ビジネス出現に伴う既存企業へのデフレ圧力については、これは甘受せざるを得ない3。むしろ、こうした動きが一段と活発化すれば、金融政策の効果は強まる方向へと向かおう。

  1. 3当然だが、失業者対策等は十分進める必要がある。

 以上に関連して、デフレ阻止のための政策を先に打つべきか、不良債権問題を先に解決すべきかという点が良く議論される。どちらにも言い分はあり、マクロ政策担当者からすれば、金融仲介の能力が向上しなければ、マクロ政策の効果は小さい。金融機関の側からすれば、経済全体が好転しないことには貸出が大幅に伸びることなど期待できないということになる。

 景気が良ければ、不良債権の発生は相対的に少なく、貸出も伸びやすいことは言うまでもない。だからこそ、効果が相対的に弱いにもかかわらず、金融緩和策を続けている。しかし、デフレが止れば、不良債権も自動的に減っていくのだろうか。B/S問題に直接関係のあるデフレは一般物価のそれではなく、地価であったことは言うまでもないだろう。1991年から2000年の平均で(除く生鮮食品ベースの)消費者物価指数の上昇率は、1年間に0.8%である。この間、市街地価格指数で見た地価は年平均10.6%下落している。つまり、1990年代、一般物価はほぼ安定していたにもかかわらず、地価は大幅な下落を続けたのである。地価下落の主因は一般物価の低迷ではなく、1990年にかけてのファンダメンタルズで正当化されない上昇だった。仮に消費者物価指数の上昇が1%高めで2%前後だったとしても、大幅な地価の調整が不可避だったことは否定しがたい。地価の下落を食い止めるには、土地から生まれる収益に見合ったところまで十分地価が下がるか、収益を向上させるような努力が土地のユーザーによって進められるしかない。

 繰り返しだが、マクロ環境が良いほど、過去の失敗の始末は楽である。しかし、マクロ環境の若干の好転は厳しい不良債権処理の必要性を消し去りはしない。1999年から2000年も株価は急反発したものの、地価は一部の地域を除いて下落しつづけた。地価が十分下がりきっていなかったからであり、株価の上昇はIT分野の活況に引っ張られていた、つまり広い規模での土地生産性の上昇は発生していなかった面が強かったからである。

 もしも、金融政策が金利のゼロ制約に直面していなければ、B/S問題があっても金融緩和だけで短期間にデフレを止めることが出来ていたかもしれない。しかし、それでも本格的な景気回復には、不良債権問題の処理が必要だったろう。金融政策の効果がかぎられている現状では辛抱強く、両方の政策を続けるしか無いように思われる。金融政策は大幅な流動性供給を続けるべきだし、不良債権処理は、なるべく早く打ち止め感を出すこと、他方その間のデフレ圧力を出来るだけ小さなものにとどめるような工夫が肝要である。処理の過程では一旦は貸出・マネーにマイナスの圧力がかかることも覚悟せざるを得ない。その後に、金融緩和の効果は大きく高まろう。

 以上のようなポリシー・ミックスの困難さは、一時的な拡張的財政政策によって緩和されうる。ただし、これも旧来型の一部の公共事業では効果が薄かったり、マイナスだったりする。特に必要とされている非製造業部門でのリストラを遅らせる可能性があるからである。必要とされるリストラにマイナスにならず、新しい動きを助けるような政策は財政の支出サイドでも、収入サイドでも考えられよう。

 日本経済の現状、先行きについてやや厳しい見方を紹介してきたが、最初に指摘したように、足許明るい兆しが見え始めているのも事実である。問題の非製造業中小企業についても先頃の短観では、2002年度について例年を上回るペースでの設備投資計画が示されている。しかし、注意すべきは経済に明るい動きが出てきた時こそ改革のペースをゆるめてはならないという点である。

以上