ホーム > 日本銀行について > 講演・記者会見・談話 > 講演・記者会見(2010年以前の過去資料) > 講演・挨拶等 2002年 > 日本経済の現状と課題── 2002年 7月24日・内外情勢調査会における速水日本銀行総裁講演

日本経済の現状と課題

2002年 7月24日・内外情勢調査会における速水日本銀行総裁講演

2002年 7月24日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1. 最近の金融経済情勢と金融政策運営
  3. 2. 信用仲介機能の強化に向けた課題
  4. 3. ペイオフ全面解禁に向けた課題
  5. 4. 構造改革における民間部門の役割

はじめに

 本日は、内外情勢調査会にお招きいただき、たいへん光栄に存じます。

 日本経済は、輸出や生産の増加を背景に、循環的には、90年代以降3回目の景気回復局面を迎えようとしています。これまでの2度の回復局面 —— 政府の景気基準日付に従えば93年~96年と99年~2000年の2回の局面 —— では、海外経済の減速や金融システム不安などをきっかけに景気は数ヶ月で勢いを失い、民間需要全体の自律的かつ持続的な拡大には至りませんでした。

 本席では、漸く明るさの見え始めた最近の経済情勢についてご説明したうえで、今度こそわが国経済を持続的な成長軌道に復帰させていくための課題や条件について、お話したいと思います。こうした観点から、本日焦点を当てたいのは、(1)信用仲介機能の強化に向けた課題、(2)来年4月のペイオフ全面解禁に向けた課題、(3)構造改革における民間部門の役割の重要性の3点です。

1. 最近の金融経済情勢と金融政策運営

 それでは最初に、日本銀行が、最近の景気動向をどのようにみているか、また金融政策をどのような考え方で運営しているか、という点から、話を始めます。

景気の現状

 わが国の経済は、昨年初来、世界的に生じた情報通信分野における急激な調整の影響を受けて悪化傾向が続きました。ここにきて漸く明るさが窺われるようになってきましたが、その起点となっているのは、海外経済の回復とそれに伴う輸出の大幅な増加です。これを受けて、国内の在庫調整も急速に進み、鉱工業生産の持ち直しが明確になっています。7月初に公表した私どもの「短観」でも、企業の業況感が改善してきていることがはっきりと確認されました。

 日本銀行は、年に2回、4月と10月に、先行きの経済・物価情勢に関する見通し —— いわゆる「展望レポート」 —— を公表しています。輸出・生産面の回復は、4月の展望レポートでもある程度想定していましたが、現状は、当時考えていたよりも幾分強めに推移していると思います。

 一方で、国内民間需要については、引き続き雇用・所得環境の厳しさや、企業のバランスシート調整圧力などを背景に、弱めの動きが続いています。

 しかし、こうした景気の中の「弱め」の部分についても、幾分ではありますが、輸出・生産面の増加を反映して、変化の兆しが窺われるようになっています。例えば、設備投資では、製造業の機械受注など一部の指標に下げ止まりとも取れる動きがみられます。また、雇用・所得の面でも、新規求人や所定外労働などに、生産増加の影響がみえ始めています。

 物価面では、卸売物価は、輸入物価の上昇や、在庫調整の一巡といった需給面の改善を反映して、2月以来横這いの動きとなっています。しかし、消費者物価はまだ緩やかな下落を続けています。

景気の先行き

 このように、足許の景気は幾分強くなっていますが、その分、先行きの回復の確度が高まったかというと、必ずしもそうとは言えない面があります。それは、申すまでもなく最近の米国株価や米ドル相場の動向と、それが米国経済やわが国の輸出環境に及ぼす影響です。

 最近の米国株価の下落やドル安の背景には、企業会計を巡る問題や国際的な政治情勢への懸念のほか、先行きの米国景気についての慎重な見方があると思います。足許の経済指標は概ね景気回復を裏付けるものとなっていますし、引き続き生産性の上昇傾向が維持されているようですが、企業の設備投資や収益の状況などをやや慎重にみる向きもあるようです。

 いずれにせよ、米国経済の動向やラ米なども含めた国際的な資金フローの変化、および内外株価・為替相場の動向などは、ここ暫く注意深くみていくことが必要だと思います。

金融政策運営

 次に、このような情勢のもとでの金融政策運営に話を移したいと思います。

 日本銀行は昨年3月、オーバーナイト金利がほぼゼロに達した下で、物価の継続的な下落を防止するという断固たる決意をもって、日銀当座預金という資金の「量」を操作目標とする金融政策運営の枠組みを採用しました。それ以来、この新しい政策の枠組みのもとで、内外の中央銀行の歴史に例のない思いきった金融緩和を実施してきました。

 この結果、金融市場では、オーバーナイト金利はもちろん、3ヶ月、6ヶ月といった短期金利までがほぼゼロに低下しています。中長期の金利も、例えば3年物の国債利回りが0.1%台、5年物でも0.4%前後となるなど、金利は全般に極めて低水準で推移しています。また、日本銀行が供給する通貨量を示す「マネタリーベース」は、前年比3割弱の大幅な伸びとなっています。この通貨量は、経済規模、すなわち名目GDPとの対比では、日本の過去百余年の歴史のなかで、第二次世界大戦時に次ぐ歴史的な高水準にあります。

 こうした日本銀行の金融緩和は、誰も予期し得なかった昨年9月の米国テロ事件の発生や昨年末からこの3月末にかけての金融システム不安の高まりなどを無事乗り越えるのに役立ちました。わが国経済に大きなストレスがかかるこのような事態の中でも、量的緩和の拡大を通じて金融市場の安定を確保し、景気の底割れを防いだという意味で、大きな役割を果たしてきたと思います。

 4月以降は、景気が幾分明るさをみせ始め、金融システム不安も後退したことから、金融市場での流動性需要も徐々に落ち着きを取り戻してきています。しかし、先ほども述べましたように、景気の足取りはまだまだ脆弱であり、先行き様々なリスク要因を抱えています。このような現状を踏まえますと、金融政策運営面では、現在の思いきった金融緩和を継続し、漸くみえ始めた回復の動きをしっかりと下支えしていく必要があると考えています。

 冒頭でも触れましたが、日本経済が様々な構造問題を抱えるなかで、金融緩和だけで経済を十分活性化させていくことは困難な状況にあります。しかし、日本銀行が、揺るぎない緩和姿勢を継続していくことは、金融市場の安定を通じて景気の回復を支援するものです。また、構造改革や金融システム強化への取り組みが着実に進展し、ひとたび前向きの経済活動が生じてくれば、金融緩和の効果が本格的に発揮されてくるものと思います。

2. 信用仲介機能の強化に向けた課題

 このように景気が漸く回復に向けた動きをみせ始めたなかで、その過程で生じてくる資金ニーズに金融システムが十分応えていけるかどうかは、民需主導の回復軌道に復するための重要な鍵となります。

 一方で、金融システムは不良債権問題という負の遺産を克服していく途上にあります。金融機関は、健全化に向けて不良債権の処理を促進すると同時に、不採算の貸出を見直すなど、借り手からみれば厳しい施策にも取り組んでいかなければなりません。しかし、金融機関の「経営健全化」と「信用仲介機能の強化」は、本来決して矛盾する命題ではありません。

 以下では、金融システムの健全化を進めていくなかで、信用仲介機能を如何にして強化していくかという観点から、重要と思われる取り組みを3つ申し述べたいと思います。

リスクに応じた貸出金利の設定

 第1に挙げられるのは、リスクに応じた貸出金利の設定です。

 現在金融機関は、借り手のリスク —— つまり貸し倒れリスク —— までを考慮すれば実質的に採算割れの貸出を多く抱えています。わが国の銀行は、平成6年度以来8年連続して、「本業」収益、やや単純化して申し上げれば、貸出業務から得られる利鞘収入を上回る不良債権の処理を行っており、こうした事実がそれを端的に物語っています。従って、個々の企業毎にみれば事情は様々でしょうが、少なくともマクロ的にみれば、「リスクに応じた貸出金利の設定」とは、金融機関の利鞘を厚くしていくことに他なりません。不良債権処理を促進し、信用コストを下げるとともに、利鞘を厚くすることで収益力を改善させることが必要です。

 しかし、ここで強調しておきたいのは、リスクに応じた貸出金利が形成されることは、金融機関の収益性改善や健全化に必要であるというだけではなく、企業にとっても、資金調達の可能性を広げるなど、プラスの側面が本来大きいという点です。

 こうした貸出行動が定着してきますと、企業は、従来以上に自らの事業リスク・借入れコストを十分に認識したうえで、債務の大きさを決めていく必要があります。しかし、一方で、リスクに応じた金利を払えば、必要な資金は手当てできるようになる筈です。現在は業績不振に苦しむ企業であっても、金融機関との対話を通じて、事業や財務のどこを改善すれば借入れコストが削減されるのかを明確にして、経営の改善に繋げていくことができます。現状わが国においては、借り手である企業自体の信用力に依存する貸出が主流ですが、企業ではなく、事業そのものの収益性に着目した融資手法 —— プロジェクト・ファイナンスなど —— を一層活用していくことも、信用仲介の可能性を広げると考えられます。

 かつてのバブル期においては、担保主義と右肩上がりの地価神話のもとで、「企業と銀行が貸出条件の交渉を通じて事業の収益性とリスクについての認識を共有する」というプロセスが疎かにされていました。この点、営業の現場での工夫の仕方は様々ですが、ここへきて、金融機関が顧客との対話を重視し、共通理解を深めていこうとしている点は、望ましい方向での取り組みであると思います。

 もちろん、こうした取り組みはまだ緒についたばかりですし、利鞘の改善を実現していくためには、企業の収益力自体が高まっていくことが必要です。従って、今申し上げたような本来の効果を発揮し始めるには時間がかかるということを認識しておく必要があると思います。

貸出債権の流動化等

 第2に挙げられるのは、貸出債権の流動化市場の拡大やコミットメント・ラインの普及です。

 金融機関は、貸出債権を満期まで抱えているのが通常ですが、近年、これを機関投資家や別の金融機関などとの間で売買するマーケットが整備されつつあります。さらに一歩進んで、貸出を実行する段階から、流通市場での転売を前提に参加者を募り、貸出金利の値決めを行うシンジケート・ローン市場も普及してきました。金融機関が一旦貸出を行った後、何らかのかたちで債権を移転した残高は、本年6月末現在で6兆円程度に達しています。しかし、貸出残高の433兆円に比べればまだごく一部に止まっています。

 このような貸出債権の流通市場が形成されてくることは、2つの意味で、信用仲介機能の向上に資すると考えられます。第1に、信用リスクが継続的に市場で評価され、取引されることになりますので、信用リスクの価格形成の透明性を高めます。これには金融機関のリスクに応じた貸出金利の形成をサポートしていくという側面もあります。第2に、金融機関が自己資本を節約しつつ仲介機能を発揮していく途を広げます。また、リスク・テイクの意欲と能力を持った投資家に、リスクを効率的に再配分していくことが可能になりますので、金融システム全体としてのリスク許容度を高めることにも繋がります。

 一方、コミットメント・ラインは、金融機関が、一定の条件のもとで企業に対してほぼ受動的に貸出を行う「融資枠」を提供する契約であります。企業にとっては、財務の柔軟性を高めつつ、バランスシートの圧縮を可能とする資金調達手段です。99年に導入されて以降、大企業だけでなく中堅・中小企業も含めて急速に普及しており、今や契約残高は14兆円強と、銀行貸出残高の3%程度にまで達しています。企業が有利子負債の削減と財務内容の効率化を進めていくなかで、潜在的な利用ニーズはまだまだ大きいと考えられます。

資本市場の役割拡大

 第3に挙げられるのは資本市場の育成です。近年の経験が示すとおり、わが国のように間接金融に大きく依存した金融構造のもとでは、信用仲介機能が、その担い手である金融機関の健全性に左右されてしまいます。直接金融と間接金融がバランスの取れたかたちで併存し、多様な信用仲介の経路が確保されていることで、様々なショックへの耐久力を高め、金融システム全体の安定にも資すると考えられます。

 また、経済・産業面の構造が変化しつつある時には、前例に囚われない、イノベーティブな事業化努力に対して、如何に円滑に資金を供給していくかが重要な課題です。「リスクは大きいが将来性も非常に大きい」というビジネスに対して、リスクマネーを供給していくのは、本質的に、株式や債券などの資本市場の役割であると思います。

 わが国の資本市場も、近年拡大傾向にはありますが、こうした観点からみれば、成長の余地はなお大きいと思います。

 資本市場を通じた資金調達は、銀行貸出が減少を続けるなかでも前年を上回って推移しており、企業の負債性資金調達に占める社債・CPのウエイトは、最近では2割程度にまで高まっています。しかし、米国では、トリプルAクラスの高格付け債から投資不適格の債券まで、きわめて幅広く、かつ厚みのある市場が形成されていて、企業の多様な資金ニーズに応えています。これに比べますと、わが国の社債・CP市場は、投資適格のなかでも比較的優良な企業にアクセスが限られています。

 企業が自己の保有する売掛債権やローン・クレジット債権、不動産などを裏付けに資金を調達する資産担保証券 —— ABSやABCP —— の発行市場もこのところ急速に拡大しています。しかし、市場規模や流動性という意味では、米国の市場に比べてまだまだ見劣りするのが実情です。

当局による環境整備と日本銀行の役割

 以上、信用仲介機能の強化に必要と思われる点を3つ指摘しましたが、このような取り組みが今後着実に進展していけば、成長に必要な資金は十分に供給され得ると思います。

 しかし、そのための環境整備という意味で、公的当局の果たすべき役割は小さくありません。

 例えばわが国では、政府系金融機関の貸出シェアが90年代以降趨勢的に上昇しており、民間借入れの約2割と諸外国にも例のない水準に達しています。金融環境にもよりますが、このシェアがあまりに高過ぎますと、民間金融機関が市場原理に沿って貸出業務を行っていくことが難しくなります。公的金融の役割や位置づけについては、「リスクに応じた貸出金利の設定」を可能にしていく観点からも、時々の金融経済情勢を踏まえつつ、あるべき方向性を十分認識した議論を行っていく必要があるように思います。

 また、リスクマネーの円滑な供給を図っていくうえで、投資税制や情報開示の充実はきわめて重要なインフラです。投資信託は、家計の貯蓄を資本市場に結び付けていく重要な投資手段ですが、昨年秋のエンロン・ショックに伴って一部のMMFが元本割れを起こしたことから資金流出が続いています。今後、債券や投信をはじめとする金融商品の市場を厚みのあるものとしていくためにも、適切な情報開示が行われ、そのもとでリスクとリターンがしっかり認識されることが必要だと思います。

 この間、日本銀行も民間における信用仲介機能強化に向けた取り組みを様々なかたちでサポートしています。

 例えば、日本銀行は、先ほども述べましたように、きわめて思いきった金融緩和を実施しています。これは、流動性に対する不安を払拭して金融機関の前向きな貸出行動を促すこと、貸出のベースとなる市場金利を極力低く抑えることを通じて、企業金融の円滑化にも貢献するものです。

 また、日本銀行は、金融政策の実効性を確保していく観点から、金融資本市場の動向を踏まえつつ、調節手段のあり方を不断に見直しています。例えば、99年12月と昨年12月には、証券化市場の拡大を眺めて、資産担保証券や資産担保CPをオペの担保として受け入れることとしました。こうした措置は、日本銀行の資金供給力を高めるだけでなく、資本市場の育成にも資するものです。日本銀行はまた、証券決済制度の構築や市場ルールの策定など、広い意味での市場のインフラ作りにも積極的に参画しています。

金融システムの変容と金融機関貸出

 もう1つ付け加えておきたいのは、以上申し上げた3つの取り組みが、何れも仲介機能の向上に資する動きでありながら、短期的には金融機関の貸出残高の増加に必ずしも繋がらないという点です。金融機関貸出が、緩和効果の浸透する重要なチャネルの1つであることに変わりはありません。しかし、現在のように過剰債務と不良債権の調整が進行していく過程では、「信用仲介機能が円滑に発揮されながら、或いは信用仲介機能が強化されていくプロセスのなかで、マクロ的な貸出残高が減少していく」ということが起こり得るという点は、認識しておく必要があるように思います。

3. ペイオフ全面解禁に向けた課題

 続いて、金融システム面のもう1つの大きな課題であるペイオフ全面解禁に話題を移したいと思います。

 本年4月から定期性預金についてペイオフが解禁され、3月末にかけて、超低金利のもとで、定期性預金から流動性預金に大幅な資金シフトが生じました。4月以降は、徐々に落ち着いた動きとなっていますが、全体として預金者の安全性指向は続いているとみられます。今後、来年4月に予定されているペイオフ全面解禁に向けて、資金の動きがどうなるか、そのことが金融機関の信用仲介行動にどのような影響を与えていくかという点は、金融システムの安定のみならず、回復局面を迎えつつある景気との関連でも重要なポイントです。

 そうした意味で、ペイオフ全面解禁への円滑な移行を図っていくことは喫緊の課題と言えます。個々の金融機関は、最大の懸案である不良債権処理への取り組みをこれまで以上に強めて、市場や預金者の信認確保に努めていく必要があります。

ペイオフ全面解禁の延期論について

 来春のペイオフ全面解禁を延期すべきではないかという議論が台頭してきました。これは、先ほども触れましたように、この春にみられた定期性預金から流動性預金へのシフトがかなり大きいものであったことが背景にあると思います。

 振り返ってみますと、わが国は、平成13年度までの間、金融システムの安定を図りつつ、不良債権処理や破綻金融機関の処理を進めて、金融システムの健全性を取戻すために、金融機関が破綻した際にも預金は例外なく全額保護してきました。

 しかしながら、本来預金保険制度で想定されている範囲、つまり1千万円までの預金元本とその利子を超える手厚い保護をいつまでも続けることはできません。いわゆるモラルハザードの問題が深刻化するからです。そこで、流動性預金のみを全額保護する今年度1年間の経過措置を経て、来年4月からペイオフを全面的に解禁することとされた訳です。

 こうした経緯に鑑みても、やはり、流動性預金を例外なく保護するという措置をいつまでも続けて良いという訳ではないと思います。

 もちろん、そのためには個々の金融機関に対して預金者が十分な信認を持ち得る状況になっていなければなりません。この点、先ほども触れましたように、不良債権問題を克服する道筋を明確に示していくことが非常に重要なポイントになります。

 残念ながら、今の段階では、不良債権問題については、これまでの多額の処理にもかかわらず、新規の発生もあって、最終的な解決への道筋が付いたとは言えない状況です。大手の過剰債務を抱えた企業の問題もありますが、構造調整に直面し苦境にある中小企業の問題などについては、むしろこれからが正念場とも言えます。従って、金融機関側は不良債権の処理に向けて、一段と努力する必要があります。

減損会計導入とバーゼル委員会における自己資本比率規制の改正

 不良債権処理という意味では、ペイオフの全面解禁に加えて、2つのことを念頭においておく必要があります。

 それは、1つには固定資産の減損会計の導入であり、今1つは自己資本比率規制の枠組みの見直しです。固定資産の減損会計の考え方は、企業の固定資産の収益性が当初の見込みより低下した場合に、損失を計上し、バランスシートと企業の経営実態とのズレを小さくしようというものです。本年4月に企業会計審議会から公開草案が公表され、2005年度からの導入が打ち出されています。

 また、主要国の当局者が銀行監督のあり方を検討する場であるバーゼル銀行監督委員会では、2006年末からの実施を目指して、国際的な自己資本比率規制の枠組みの見直しを検討中です。

 見直しの最大のポイントは、今申し上げた減損会計と軌を一にするものです。即ち、金融機関の貸出債権の不良化を早目の段階で認識し、融資対象プロジェクト自体のリスクやその変化度合いに応じて、自己資本の積み増しを遅滞なく求める仕組みの導入です。現在のバーゼル合意では、企業向け貸出は原則として、一律8%の資本賦課が求められていますが、この新しい枠組みでは貸出先企業の業況等に応じて貸し倒れ率を推計し、それに基づいて所要資本が賦課されます。このように貸出債権の価値の減損を、早目に、かつ、よりきめ細かく認識する仕組み自体は、信用リスク管理の枠組みとして、既に海外の先進的な銀行では実務上定着をみているものです。

不良債権処理促進の必要性

 金融機関としては、只今申し上げた会計や規制の変更も視野に入れて、自ら不良債権問題の克服をはじめとする経営上の諸課題の達成に向けて最大限の努力を行うことが求められています。そうした努力を行うことなくペイオフ全面解禁を延期しても、単なる時間稼ぎに終わってしまうおそれがあります。

 そこで、不良債権問題克服に向けての道筋をどのようにつけるかということですが、そのためには、金融機関自らが今後の不良債権処理に耐えうるだけの十分な引当てを予め行っておくことがまず重要です。その上で、これまで講じられた整理回収機構(RCC)の機能拡充、私的整理ガイドラインの制定など各種の施策も一段と活用していくことが望まれます。

 もちろん、更に思いきった不良債権処理を行えば、バッファーの大半を食い潰した金融機関では、資本不足に陥るという事態もあり得ます。そのことによって、万が一、金融システム全体への信認が失われることが懸念されるような状況になれば、以前から繰り返し申し上げているように、時機を逸せず公的資本注入等の措置をとるべきだと思います。もちろん、抜本的な業務見直しやリストラをはじめとする収益力向上策が実施されることが、その際の前提条件になることは言うまでもありません。

 私どもも、中央銀行という立場から、モニタリング機能などを十分活用しつつ、状況を正確に把握した上で、流動性供給の面を含め、金融システムの安定維持に必要な対応を適宜適切に講じて参りたいと考えています。

4. 構造改革における民間部門の役割

 最後に、構造改革に話を進めたいと思います。

 構造改革の必要性や具体策については、すでに広く認識されていますし、私自身、色々な場で繰り返し申し上げてまいりました。やや耳にタコができたように感じておられる方も少なくないと思いますので、ここでは各論には立ち入らず、心を新たにする意味を込めて、構造改革の「原点」めいたお話を、2点だけさせて頂きたいと思います。

民間部門の役割の重要性

 まず指摘したいのは、構造改革における民間部門の積極的な取り組みの重要性です。

 政府は、自ら構造改革を重要な課題と位置づけて、様々な対策に取り組んでいます。本年6月にはいわゆる「基本方針2002」を決定し、経済活性化や税制改革、歳出構造の見直しなどの具体策を提示しました。しかし、最近の構造改革を巡る議論のなかで、やや見落とされがちに感じられるのは、「構造改革の主役はあくまでも民間経済主体、すなわち個々の企業である」という点です。

 構造改革は、経済のグローバル化や少子・高齢化、バブル崩壊といった経済の大きな環境の変化に対して、労働・資本・土地といった生産資源を再配分し、経済全体の生産性を高めていくことです。どのように資源を再配分するかを決めるのは、政府ではありません。個々の企業が、市場メカニズムのなかで、生産や投資といった経済活動を営むことを通じて、はじめて効率的な再配分が実現されることとなります。この点は、金融システム面の課題克服についても同様です。信用仲介機能を真に活力あるものとしていく主役は、収益動機に基づいてビジネスを展開する民間セクター、すなわち金融機関であり投資家に他なりません。

 政府が進めている税制改革や、規制緩和、年金・医療制度の見直しなどは確かに重要です。しかし、これらは、あくまでも個々の企業の自由で創造的な行動を促すための環境整備と位置づけられるものです。

 20世紀前半の経済学者、シュンペーターの言を持ち出すまでもなく、経済成長を促す重要な原動力の1つとなるのは企業家によるイノベーションです。歴史を紐解けば、内外を問わず、革新的な企業、企業家が、時々の技術と資源を結合して新たな事業を立ち上げ、需要を創出して経済全体を豊かにしてきた事例に事欠きません。金融経済構造の変化に応じたビジネス・チャンスは必ずある筈です。個々の企業、あるいは個々人のイノベーティブな取り組みに期待したいと思います。

日本経済の潜在力と改革の時間軸・おわりに代えて

 これに関連して、最後に指摘しておきたいのは、わが国の潜在力の強さと改革の時間軸についてです。構造改革の進捗をめぐる最近の論調をみていますと、悲観的な見方が少なくないように思います。確かに、決して楽観すべき状況ではないのかも知れませんが、あまりに自信を失ってしまうのもかえって改革のモメンタムをそぐことにもなりかねません。

 振り返ってみますと、日本経済はこれまでにも、いわゆるニクソンショック、2度のオイルショック、プラザ合意など、数々の大きな環境変化を乗り切ってきました。これらは、天然資源に乏しい貿易立国のわが国にとって、極めて厳しい交易条件の変化を迫るものでした。調整の過程では、その都度厳しいリストラ、企業の淘汰、産業構造の転換を経験しました。しかし、こうした「痛み」を克服する努力と工夫のなかで、省エネ、ライフスタイルの多様化、環境対策など、時代の要請に応えた、付加価値の高い製品が産み出され、日本経済を豊かなものにしてきました。痛みを避けているだけでは、現在の日本はなかったと思います。そして、私が強調したいのは、これを実現してきたのがわが国の民間部門に他ならないという点です。

 わが国経済が直面している構造問題は、大きなバブル崩壊の影響が加わっている分だけ、過去にわが国が経験してきた経済環境の変化に比べても、困難なものかも知れません。構造改革を急ぐべきことは言うまでもありませんが、さりとて一朝一夕に進むものではないのも事実だと思います。

 よく90年代を「失われた10年」と言いますが、私は決してそうは思いません。産業界、金融界、いずれにおいても10年前には想像もできなかった再編や提携がすでに実現しています。グローバル化に対応した新たなビジネス・モデルも出始めています。株の持ち合いや系列関係、長期雇用制度も、近年における経済環境の変化に応じて見直しが進んでいます。企業統治のあり方も着実に変わり始めています。このような対応の成果もあって、輸出企業は、あれだけの急激な情報通信分野の調整や、中国など東アジア諸国の生産力向上といった厳しい客観情勢のなかで、しっかり利益を出せるだけの強靭な力を蓄えつつあります。まだ経済全体に目に見えるような成果が現れている訳ではありませんが、こうした1つ1つの取り組みの積み重ねが、いつか大きな成果に結びついていくものと思います。

 幸い、わが国には豊富な個人金融資産と対外債権があります。経済の弱さが、対外支払い問題に直結することになる途上国とは違って、自ら改革に必要な時間軸は確保できることを意味します。この点はわが国の最大の強みであり、また場合によっては危機感の薄さという弱みにもなり得る点です。問題の所在はすでに認識されています。景気回復がみえ始めた今こそ、明確な意思とビジョンをもって、課題の克服を進めていく好機だということを改めて申し上げて、本日の私のスピーチを締め括らせて頂きたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

以上