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日本の「デフレーション」と政策対応

奈良県金融経済懇談会における植田審議委員基調説明要旨

2003年4月24日
日本銀行

目次

  1. はじめに
  2. 1.1990年代以降の日本のデフレーション
  3. 2.なぜ、デフレーションは問題なのか
  4. 3.1990年代以降の日本における一般物価下落と債務者の負担
  5. 4.1990年代以降の日本における負の金融的アクセラレーター
  6. 5.さまざまな問題への政策対応
  7. 参考文献

はじめに

日本の「デフレーション」やこれに伴う問題に関する議論には多くの混乱がみられるように思われる。こうした混乱は、実体経済の停滞、一般物価の下落、資産価格の下落、という互いに関係しあっているが別々である3つの事象をきちんと区別していないことに起因する場合が多い。一般物価の下落は、確かに足許にかけて継続している—ただし、どの指標に着目するかによって、下落の始まった時期が1990年代中盤となるか同後半となるかという違いを生ずる—。しかし、その下落は緩やかなものに止まっており、消費者物価についてみると、1998年のピークからの累積下落率は3%以下である。一般物価のこのように緩やかな下落が日本経済停滞の根本的な原因であるとは考えにくい。一方、この間の資産価格の下落については、東証株価指数や市街地価格指数がピークから70~80%も下落するなど、大恐慌に匹敵するほど深刻なものとなっている。こうした資産価格の下落は、日本の金融システムに深刻な打撃を与え、ひいては一般物価を含む実体経済全体に大きな影響を与えているのである。

本稿では、こうしたさまざまなデフレ圧力の相互関係について議論することとしたい。第1章では、近年の一般物価下落の原因に関する議論を簡単に振り返る。第2章では、大恐慌期における物価や名目金利、実質金利の動きを跡付けるとともに、特にデット・デフレーションや負の金融的アクセラレーターの議論に注目しながら、大恐慌の原因に関する分析例を紹介する。この章での検討は、1990年代以降の日本の「デフレーション」を考える上でのベンチマークとなるものである。第3章では、近年の日本においては、日本や米国が大恐慌の際に経験したような深刻なデット・デフレーションは発生していないことを示す。すなわち、一般物価の下落の結果として、実質金利が急上昇して、実質債務負担が増加するといった事態は生じていないということである。もっとも、今後、一般物価の下落が一層加速した場合に経済がデフレ・スパイラルに落ち込む可能性がある点には注意が必要である。

第4章では、最近の日本において、借り手のバランスシートひいては銀行のバランスシートに深刻な悪影響を及ぼしてきたのは、一般物価の下落ではなく資産価格の下落であって、これに負の金融的アクセラレーターが加わることで経済に対するデフレ圧力が強まるということを示す。最後に第5章では、「デフレーション」に対する適切な政策対応について検討する。一般物価の下落に起因するデット・デフレーションは、デフレを止めるためのマクロ経済政策と金融仲介における問題への対応によって解決され得る。しかし、最近の日本のケースは、一般物価の下落が根本的な問題なのではないという点でその解決が難しい。また、資産価格の下落は1980年代後半の「バブル」に対する資産市場の自然な反応でもある。さらに、資本収益率が1980年代の後半から低下トレンドを辿ってきたことを示す証拠も存在しており、経済の持続的回復には「構造改革」が重要との議論と整合的である。加えて悪いことには、1990年代初期において金融システム不安に適切な対応がなされなかったために、一般物価の下落に対するマクロ的な景気刺激策の効果が大きく減殺されているということもあろう。このようなさまざまな現象間の複雑な絡み合いが必ずしも正しく理解されておらず、そのことこそが「デフレーション」を巡る議論を混乱させているように思われる。いずれにせよ、金融システムの問題に対して、出来る限り早く適切な対応を採ることが不可欠なのである。

1.1990年代以降の日本のデフレーション

1990年代初め以降、日本の最終財物価は概ね安定している。(図1)は消費者物価指数とGDP内需デフレーターの動きを示したものであり1、1992年~2002年の年間平均上昇率は各々0.3%と−0.75%となっている。GDP内需デフレーターの下落率が大きいのは、技術革新の進展によって投資財価格が継続的かつ大幅に下落してきたことと、指数を構成する財のバスケットが時間とともに変化すること(パーシェ効果)の双方が反映されているためである。これらの両指数は1990年代の中盤ないし後半から各々下落してきたが、同時に、こうした下落が足許加速する傾向が窺われないことも事実である。

一般物価の動向をより詳しく見るために、(図2)では1990年~2000年の産業別の価格変化率と実質生産増加率をプロットしている。この図の各点は右下がりの関係を示していることから、産業別のクロスセクションでの価格変化においては供給側の要因が重要であることを示唆しているように思われる。また、図には示していないが、消費者物価指数のうちでは財価格がサービス価格より大きく下落してきており、サービスの中では、運輸や通信のように抜本的な規制緩和が行われた分野の方がそれ以外の分野よりも大きな価格下落をみてきた。非製造業におけるこうした規制緩和も、一般物価下落の要因の一つである。加えて、消費者物価指数のうち財価格をより細かく見ると、(図3)から明らかなように、輸入品と競合するものの価格はそうでないものの価格よりも大きく下落してきており、この点も、供給側の要因が重要であるということを示唆している。

需要側に目を移すと、まず、大きなGDPギャップが一般物価下落の背景となっている可能性を指摘できる。GDPギャップについては、今や非常に大きな値に達しているとの推計結果が多数存在しており、例えば、1990年代初めにはギャップがなかったとし、潜在成長率を年2%と仮定した場合、2002年のGDPギャップは10%を超えるものと推計される。しかし、こうした推計結果は、一般物価の下落率が年率1%程度と緩やかなものに止まっており、かつ、下落が加速する兆候がみられないという現状とは整合的でないように思われる。つまり、真のGDPギャップは推計結果よりはるかに小さい(潜在成長率がはるかに低い)か、GDPギャップが一般物価に及ぼす影響が非常に小さいかのいずれかであり、また、供給側要因が一般物価に与える影響が重要であるということではないだろうか。

これらの点に関する最近の実証分析をみると、例えば、広瀬・鎌田(2002)は潜在成長率とGDPギャップについて推計を行い、潜在成長率が1%前後と従来の推計結果に比べてはるかに低い値になっていることや、低価格の輸入品が1990年代中盤以降の一般物価下落に寄与したことを示している。また、鎌田・平形(2002)は、一般物価の変動に対する需要側要因と供給側要因を時系列分析によって分解することを試みており、近年では国際的比較優位のような供給側要因がドミナントであることを示している。もちろん、こうした需要側要因と供給側要因の寄与の大小について結論を下すためには、より多くのデータや分析が必要であろう。また、景気循環が一般物価の変動に与える影響が小さすぎるように思われる点についても、今後の解明が必要であろう。

一般物価が緩やかな下落を辿ってきたのとは対照的に、過去20年間に地価や株価は非常に大きく変動してきた。東証株価指数は1980年~1989年の間に約400%上昇し、その後、ピークから約70%下落してきた。同様に6大都市圏の市街地価格指数は、1980年~1992年に約500%上昇し、その後85%下落してきた。加えて、ピークを付けてから10年以上が経過した2003年の春に至っても、地価や株価が底を打ったのかどうかは判然としていない。

資産価格は大恐慌当時と同じ位に大きく変動している一方で、一般物価についてはこうした大きな変動は生じていない。実際、資産価格と一般物価の非対称的な動きは、1990年代中盤以降、多くの先進国において生じた株価のブームと崩壊において共通してみられた特徴である。こうした非対称的な価格変動の原因と影響の解明は、経済学にとって今後の重要な研究テーマであると思われる。

  1. 1本稿では、消費者物価指数とGDP内需デフレーターとも、1997年の消費税率引上げ効果を調整したデータを使用している。具体的には、税率引上げによる物価上昇分を除くため、両指数とも、1997年分について1.5%、1998年分について2.0%、それぞれ下方修正している。

2.なぜ、デフレーションは問題なのか

一般物価の下落が予想されない形で発生すると、(事後的な)実質金利の上昇によって債務者から債権者に対して所得または富の移転が生ずる。また、一般物価の下落が予想できた場合であっても、名目金利がゼロ制約のためにそれ以上下がれない状況にあれば、実質金利はやはり上昇することとなる。そこで、債務者の方が債権者よりも所得に対する支出性向が高いとすれば、それだけ経済に対するデフレ圧力を増加させてしまうこととなる2。加えて、情報の非対称性の下では、債務者の純資産価値の減少を懸念した銀行が当該債務者への貸出を減らす可能性があり、このことが負の金融的アクセラレーターを働かせてしまうこととなる。金融機関も債務者と同様にバランスシートの悪化に見舞われた場合、こうした負の金融的アクセラレーターの効果はより深刻なものとなろう3

深刻なデット・デフレーションは1920~1930年代の先進国において発生した。(図4)には、日本のコールレートとGDP内需デフレーター、およびこれら両者から計算した実質金利を示しているが、1930年代前半には、物価下落率は年率10%を超え、実質金利も15%に達していたことがわかる。この結果、債務者の債務負担は急増し、例えばネット利払をキャッシュフローで割った比率は、1929年の約80%から1930年には200%以上に上昇した。良く知られているように、1930年代の米国においても同様な現象がみられた。加えて、Bernenke(1983)が詳しく述しているように、金融仲介機能の低下によってデット・デフレーションはより深刻なものとなっていた。

  1. 2I.Fisher(1933)やM.King(1994)を参照。
  2. 3例えば、Bernanke(1983)やBernanke and Gertler(1990)を参照。

3.1990年代以降の日本における一般物価下落と債務者の負担

一般物価の下落が債務負担に与えた影響という点では、1990年代以降の日本は1930年代の米国や日本とは全く異なっている。(図5)は、日本経済における主要な債務者である非金融企業と政府が各々直面する実質金利を示したものである。ここでは、利払いを債務残高で割ったものからGDP内需デフレーターの上昇率を差引くことによって、実質金利を推計している。この図から明らかなように、実質金利は1990年代中盤から低下してきている。もちろん、総需要を刺激するためには実質金利はもっと低い方が望ましいということはできるが、少なくとも、一般物価の下落によって実質金利が上昇したという事実は見られない4。また、利払いをキャッシュフローで割った比率をみても、例えば、非金融企業の場合、1991年や1992年には40%以上であったのが1990年代を通じて低下し、現在では12%程度となっており5、上と同様の推論が導かれる。

ここでいくつか留意点を挙げておきたい。第一に、一般物価の下落がこれ以上加速した場合には、名目金利のゼロ制約が格段に深刻な影響を与えるという点である。今や、残存期間1年以内の名目金利は事実上ゼロであり、それ以上長い期間の名目金利でさえゼロと大きく異ならない状況にある。2003年4月現在、例えば、5年国債の利回りは約0.25%であり、10年国債の利回りも0.6%台にまで低下して来ている。金利の一段の低下余地は明らかに限られてきているので、一般物価の下落がこれ以上加速しないようにすることは非常に重要である。

第二に、一部の債務者は既に苦境に陥っているということである。その代表は銀行である。殆どの銀行の負債は短期のものであることを考えれば、一般物価の下落と名目金利のゼロ制約によって銀行が大きな被害を受けるであろうことは容易に推測できよう。(図7)は、邦銀と米銀の双方について、貸出金利鞘と信用コスト率—つまり、総貸出に対する不良資産の償却及び引当の比率—の推移を示したものである。邦銀の貸出金利鞘は米銀に比べてはるかに小さいものの、減少している訳ではないので、その限りでは、一般物価の下落や名目金利のゼロ制約が邦銀の収益性を毀損しているとは言えない。しかし、邦銀においては、近年、貸出金利鞘が信用コスト率をカバーし得ない状況となっていることも明らかである。不良債権が銀行の収益を毀損していることがこのような形で現れているのであり、この問題については後で改めて議論することとしたい。

  1. 4実質金利の低下が小幅に止まっている理由の一つは、非金融企業の負債利回りと10年国債の利回りの推移を示した(図6)に現れているように、両者の乖離が1997年以降拡大してきたことにある。ただしこれは、一般物価の下落によるのではなく、次章で説明するように、債務者の信用リスクが高まってきたことや金融仲介機能のコストが増加してきたことを反映したものである。
  2. 5もちろん、一般物価が下落すると、名目利払はキャッシュフローよりも早く低下するので、名目利払/キャッシュフロー比率は低下する。しかし、一般物価の下落によってこの比率の低下が低下しても、債務の実質価値は逆に増加することに注意しなければならない。両者のネットの効果を把握するためには、(図5)に示した実質金利の推移をみることが必要である。

4.1990年代以降の日本における負の金融的アクセラレーター

日本の金融システムが近年に不安定化した最大の理由が、資産価格の急落にあることは間違いないが、こうした金融システムの問題と一般物価の下落との関係については必ずしも自明ではない。この点を考えるために、物価上昇率と不良債権問題の深刻さとの関係を産業別にプロットした(図8)を参照されたい。この図は、物価上昇率の低い産業ほど、不良債権問題が深刻ではないという関係を明らかに示している。こうした関係が現れた背景を完全に解明するためにはより深い研究が必要であろうが、少なくとも、一般物価の下落が不良債権問題の原因であるという仮説に対して明らかに矛盾する結果を提示している。

(図9)は、不良債権の深刻さとバブルのピーク時における土地保有の程度(総資産に占める土地のシェア)との関係を産業別にプロットしたものである。不動産業のデータを重視して判断すれば、これら2つの変数は正の関係を有している。すなわち、土地保有が大きかったほど、不良債権問題は深刻になっているということであり、資産価格の下落が不良債権問題をもたらしたという仮説と整合的である6。また、銀行が10年以上もかけて不良資産の償却や引当を行ってきたにも拘わらず、なぜ今になっても不良資産が無くならないのかという疑問も湧こう。実際、銀行や政府が不良債権処理に費やしてきた金額はGDPの約20%にも達する。その疑問を解く手がかりの一つは、1980年代後半以降について産業別の貸出残高を示した(図10)にある。不動産業や建設業といったいわゆる「バブル業種」向けの貸出が減少し始めたのは漸く1990年代後半になってからである。ノンバンク向けだけがやや早目に、世論の関心が高まり、政府の取組みが始まった1990年代中盤から減少を始めている。このように、銀行は迅速な不良債権処理に対して明らかに消極的であり続け、「追い貸し」を行うことで不良資産の一層の増大を招いたのである。ただ、近年の経済の停滞、特に2001年以降の景気低迷が不良資産問題を悪化させていることも事実であろう。政府の定義による「不良資産」の大半は、引続き「バブル業種」向けの貸出によって占められている一方、不良資産の定義を要注意貸出まで拡大すると、経済全体の低迷を反映して、より多様な業種向けの貸出が含まれる。

金融システムの不安定性が経済に与えてきた影響を統計的に検出することは、多くの研究者にとって難しい課題であったが、データの蓄積や綿密な統計手法の活用によって、この点に関する興味深い事実が明らかにされるようになっている。例えば、永幡・関根(2002)は、企業の設備投資の決定要因をパネル分析の手法を用いて検討したものである。この論文では、他の決定要因とともに、債務者とそのメインバンクの各々のバランスシートの状態が与える影響について分析することで、債務者のバランスシートの悪化が当該企業の設備投資に有意な負の影響をもたらすことを明らかにしたのみならず、特に社債市場へのアクセスの無い企業の場合は、メインバンクのバランスシートの悪化も当該企業の設備投資に有意な負の影響をもたらすことを明らかにした。また、バランスシートの悪化は資産価格の下落や不良債権の増加(メインバンクの場合)によって説明されることや、1990年代中盤以降の銀行貸出の減少は、1997~1998年における銀行の流動性危機とともに、債務者と銀行双方におけるこうしたバランスシートの悪化によるものであることも示した。このように、負の金融的アクセラレーターは明らかに大きな影響を及ぼしてきたと考えられる7

金融システムの不安定化の悪影響は、1997年~1998年のクレジット・クランチの際に経済全体に拡大した。アジア経済危機や1997年における早すぎた財政引締め、さらに1998年のロシア危機が日本の金融危機の引き金となって、いくつかの金融機関が破綻したほか、広く金融市場全体で流動性需要やリスクプレミアムが急上昇し、既に不良資産問題に苦しんでいた邦銀では資金調達が困難化した。このため、邦銀の多くが企業からの貸出回収を図り、大企業でさえクレジット・クランチの圧力を体感することとなった。日本銀行のヒアリング調査に対し、多くの企業では、年末以降は貸出のロール・オーバーに応じられないとの通告をメインバンク以外の取引先金融機関から受けたと回答している。このため、企業は設備投資を削減せざるを得なかった。今から振り返ってみれば、不良資産問題を早い段階で解決できなかったことがクレジット・クランチを招き、それ以降の景気停滞の理由の一つとなっている訳である。

  1. 6この点やこれ以外の不良債権問題の原因に関するより詳しい議論については、植田(2002)を参照。
  2. 7大恐慌の際にも同様なメカニズムが作用していたと考えることもできよう。その際には、一般物価の下落によって、影響がより深刻なものとなっていたと考えられる。

5.さまざまな問題への政策対応

1930年代型のデット・デフレーションに対しては、Bernanke and Gertler(1990)を含めて多くの処方箋が提示されている。負の金融的アクセラレーターの問題は、有望な投資プロジェクトを持っている企業に所得移転を行うことによって—もちろん、こうした企業やプロジェクトが識別できるという条件付きではあるが—解決できる可能性がある。同様の議論は銀行にも妥当するであろう。この間、マクロ経済政策は一般物価の下落に対応すれば良い。

しかし、1990年代以降の日本の場合、問題はより複雑である。これまで述べてきたように、一般物価の下落は深刻という訳ではなかった一方、最も重要な問題は、資産価格の下落自体と、資産価格の下落が金融システムや経済全体との間で引き起こした悪循環であった。この間の資産価格の下落については、1980年代後半の「バブル」は破裂せざるを得なかったという仮説と、1980年代のある時点以降、資本収益率は低下を続けており、資産価格の下落や設備投資の減少はその結果であるという仮説8の2つがある。これら2つの仮説は相互に対立している訳でなく、むしろ相互に関連しあっており、例えば後者の仮説に立つ場合でも、1980年代後半の「バブル」期における資産価格の一時的な上昇を説明するためには、前者の仮説を援用することが必要であろう。これら2つの仮説は、資産価格が将来どのような水準に落ち着くかについては意見を異にするであろうが、資産価格と設備投資の下方への調整が不可避であったことを主張する点では一致している。もちろん、負の金融的アクセラレーターの理論によれば、経済も資産価格もアンダーシュートした可能性があるので、ある段階以降は資産価格を政策的に支持することも正当化されうるかもしれない。しかし、経済がそうした段階に到達したのかどうかを判断することは困難であるし、より基本的な政策対応は、金融システム問題の解決や経済の非効率性の解消に向けられるべきであろう。

マクロ経済政策のあるべき姿についても決して自明とは言えない。先に見たように、最終財の価格下落を止めることは、日本経済にとって必要な構造調整に伴うコストを確かに減少させることとなろう。しかし、だからといって、日本経済にとって構造調整が不必要になるという訳ではない。一般物価の上昇率を数%引き上げても、資産価格に対しては大きな意味は持たないであろう9し、実際のところ、資産価格と一般物価との比率の調整こそが必要である10。加えて、後に金融政策に関する部分でみるように、マクロ経済政策による景気刺激効果は金融システムの問題によって減殺されてきたのである。

金融政策に関しては、日本銀行による一般物価の下落への対応が如何に困難なものであったかが(図11)に示されている。名目GDPのマネタリーベースに対する比率は、1995年以前のトレンドから急速に下方へ乖離し、現在に至るまでに約半分の値となっている。それでも、一般物価の下落は緩やかではあるが継続しており、マネタリズムが主張するようなマネーと物価との関係は明らかに成立しなくなっている。その理由とみられることが同じ図の中に示されている。すなわち、この間における銀行貸出の伸び率は金融セクターの問題に呼応する形でゼロまたはマイナスとなっており、先に見たように、このことが低金利による景気刺激効果を減殺してきたと考えられる。加えて、これも同じ図から明らかなように、この間を通じて短期金利はゼロ制約に直面しており、日本銀行による普通の意味での金融緩和余地は消滅していた訳である11

これらの問題を踏まえると、一般物価の下落と金融システムの問題の双方に対応できる政策があれば良いことになる。日本銀行は、実際にこうした政策を採用してきた。すなわち、企業の資金調達環境を改善するため、日本銀行はCPや社債、あるいはある種の資産担保証券を資金供給オペレーションにおける担保として受け入れてきた。また、昨年からは、法律による規制に対応するために株式保有を自己資本のTierI相当額以内まで圧縮しようとする銀行の対応をサポートするため、銀行から株式の買入れを行ってきた。その意図は、株価の下支えではなく、資産価格の下落に伴って銀行システムに生ずるコストを軽減することにある。さらに、先日(4月7,8日)の金融政策決定会合では、一部の資産担保証券の買い切りを実施する可能性を検討することを決めた。日本銀行では、今後も、マクロ経済における一般物価の下落と金融システムの問題の双方に対応しうるような新たな政策を真摯に追求していきたい。

  1. 8このような仮説については、例えば、Hayashi and Prescott(2002)を参照。
  2. 9この点には議論の余地があるかもしれない。一般物価が上昇しても、実質金利が変化しない限り、資産価格は影響を受けない。しかし、名目金利のゼロ制約によって実質金利の下落が妨げられている状況から出発する場合は、一般物価の上昇によって実質金利は低下するであろう。3章の議論から明らかなように、この点についての事実はいずれとも言えない状況にある。すなわち、一般物価の下落によって実質金利が上昇したという明白な証拠は無い一方、実質金利はあるべき水準よりも高止まっている可能性を否定することも困難である。
  3. 10地価や株価のGDPデフレーターに対する比率は、1990年頃のピークから急速に低下し、現在ではともに1983年頃の水準となっている。このように既に大幅な調整が行われたことは事実であるが、上に述べたように、調整過程が終了したのか、不完全なのか、あるいはアンダーシュートしたのかを判断することは困難である。
  4. 11この期間の金融政策運営に関するより詳しい説明は、植田(2001)および同(2002)を参照。

以上


参考文献

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「可変NAIRUによる我が国の潜在成長率」、日本銀行調査統計局ワーキングペーパーシリーズ、No.02-8
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"Import Penetration and Consumer Prices," Bank of Japan Research and Statistics Department Working Paper Series, No.02-1
永幡崇・関根敏隆 (2002)
「設備投資、金融政策、資産価格—個別企業データを用いた実証分析—」、日本銀行調査統計局ワーキングペーパーシリーズ、No.02-3
植田和男 (2000)
"Causes of Japan's Banking Problems in the 1990s," in Crisis and Change in the Japanese Financial System, Hoshi, T. & H. Patrick (eds.) Kluwer Academic Publishers.
植田和男 (2001)
「流動性の罠と金融政策」、日本金融学会における特別講演
植田和男 (2002)
"The Transmission Mechanism of Monetary Policy Near zero Interest Rates: The Japanese Experience, 1998-2000," in Monetary Transmission in Diverse Economies, Mahadeva, L. & P. Sinclair (eds.) Cambridge University Press,
オリジナル論文
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Bernanke, B. & M. Gertler (1990)
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Fisher, I.(1933)
"The Debt-Deflation Theory of Great Depressions," Econometrica, Vol.1, October, 337-357.
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