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日本経済の将来の発展に向けて

2003年7月23日・きさらぎ会における福井総裁講演要旨

2003年 7月23日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1.日本経済の現状と真の課題
  3. 2.金融緩和政策の堅持
  4. 3.金融システムの健全化促進
  5. 4.将来の金融資本市場に向けて
  6. 終わりに

はじめに

 日本銀行の福井でございます。本日は、このように識者の皆様方の前でお話する機会を賜わり、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。

 私は、4ヶ月前に日本銀行総裁を拝命した際、「日本経済の将来のため、全力を挙げて貢献したい」と申し上げました。日本経済は、引き続き様々な困難な課題に直面していますが、その一つ一つを解きほぐしながら、将来のより良い姿を目指して進んでいかなければなりません。本日は、そうした観点に立って、日本経済の課題とその中で日本銀行が取組んでいる施策について、ご説明したいと思います。

1.日本経済の現状と真の課題

日本経済の現状

 はじめに、日本経済の現状について、簡単にご説明したいと思います。

 日本経済は、現在、全体として横這い圏内の動きを続けている、と判断しています。

 まず、企業部門は、収益の改善が続いており、設備投資も緩やかな持ち直し傾向にあります。

 7月初に公表した日本銀行の短観をみましても、企業の売上高経常利益率は、今年度は、1996年や2000年の景気回復局面をも上回り、バブル崩壊以降では最も高い水準に達する計画となっています。また設備投資計画も、現時点としては、2000年度以来の高い水準となっています。

 一方、個人消費は弱めの動きを続けています。企業が、売上げが伸び悩む中でも高い収益を上げているということは、リストラによる経費や人件費の削減効果が大きいことを示唆するものです。その裏返しとして、個人にとってみれば、雇用・所得環境は厳しい状況が続いており、その影響が個人消費にも及んでいます。

 この間、輸出もほぼ横這いで推移しており、結局、冒頭に申し上げたように、日本経済全体としても横這い圏内の動きを続けているわけです。

 ただ、このところ、日本経済を巡る不透明感は、徐々に薄れてきています。

 まず、輸出を左右する海外経済についてみますと、イラク戦争が終結し、また新型肺炎(SARS)の発生も終息していることなどから、不確実性が低下しています。このため、不透明感はなお根強いものの、海外経済の成長率は、年後半には高まるとの見方が一般的です。

 こうした中で、わが国の経済も、輸出や生産が次第に増加基調に戻り、前向きの循環が働き始めると期待されています。内外の金融資本市場でも、経済や物価の先行きに対する悲観的な見方が後退し、株価が上昇をみていることはご承知の通りです。

日本経済の真の課題

 もっとも、日本経済の抱える様々な長期的問題が解決されたわけではありません。

 日本経済は、バブル崩壊以降長く低迷を余儀なくされていますが、それでも過去に何度か回復局面を迎えました。ただ、その都度、持続的な成長軌道に復することなく、海外経済の後退や国内金融システム不安の台頭などによって、後退局面に戻ることを繰り返してきました。

 この背景には、例えば、企業の過剰債務や過剰雇用といった問題が解消していないことがあります。海外経済の活況などに伴って生産が上向き、企業収益が増加しても、企業は過去の債務の返済に追われ、あるいは返済を優先し、新規の設備投資には容易につながっていきませんでした。また、過剰雇用の解消に向けた動きの中で、厳しい雇用・所得環境が続き、個人消費は伸びませんでした。このような過去の行き過ぎの調整圧力によって、内需が自律的に拡大していく力が弱くなっています。

 でも、それだけの理由でこんなにも長期にわたって低迷が続くものでしょうか。

 これまでの過程を冷静に振り返ってみますと、問題はそうしたバブル経済崩壊の後遺症としての過剰債務、過剰雇用に止まりません。より厳しい問題に逢着していることが分かります。

 先ず、1980年代の後半以降、グローバリゼーションや情報通信革命の進展など世界経済を巡る大きな潮流変化が認められます。日本経済の現状を打開し、将来の発展に向けた解決を考えるに当たっては、問題を世界的な広がり、歴史的な流れの中で正しく理解することが出発点になります。

 折りしも、世界的には、ディスインフレーションの傾向が強まっています。例えば先進7カ国(G7)の消費者物価指数の前年比上昇率は、1980年代前半には平均7%台であったものが、1980年代後半から3%台に下がり、1996年から昨年までの平均では2%弱の水準となっています。こうした動きの背景としては、各国の中央銀行が適切な金融政策運営によりインフレを抑制することに成功したということが挙げられますが、より根本的には、グローバリゼーションや情報通信革命の影響が価格形成の面にも次第に強く現れるようになってきた、ということではないでしょうか。

 例えば、エマージング諸国の市場経済化に伴って供給力が飛躍的に増大したことがあります。また、かつては市場によっては、地域別、ジャンル別にセグメント化され、その中で価格支配力を示す企業も少なからず存在しましたが、グローバリゼーション、情報通信革命の進展とともに、市場を分断したまま維持することが困難となり、つれて価格支配力を誇る企業も次第に影を潜めるようになりました。今や、日本を含む先進国の企業は、おしなべて、グローバルな競争の場で、より高度の付加価値を創出する能力が問われるようになっています。

 それに加え、国内においても与件の際立った変化が認められます。経済の成熟化、人口動態の変化などがそれに該当します。これらは、かつてのような高度成長への復帰を不可能とする、という意味で、日本経済の将来に対する期待自体を低くする要素を持っておりますほか、個々の企業にとっても、競争条件の厳しい変化をもたらす、即ち、高度成長時代に築き上げたビジネスモデルの通用力を奪い、より創造的な新しいビジネスモデルの構築を迫る側面を有しています。

 過剰債務や過剰雇用の問題を抱えていない企業は、製造業を中心にたくさんありますが、こうした企業であっても、競争力の再構築に自信を持つまでは、生産や設備投資の面でなかなか強気になれないというのが実情のようです。

 このように日本経済の場合には、世界共通の問題に加え、経済の成熟化、人口動態の変化、バブル経済崩壊の後遺症などわが国独自の問題を抱えているため、困難の度が著しく増しています。

 物価情勢の面からこれを見ても、わが国の場合は、ディスインフレーションの段階を超え、緩やかな物価の下落が続くデフレーションの状況に陥っています。デフレーションは、たとえそれが緩やかなものであっても、インフレーションとはまた異なる形で、経済や社会に歪みをもたらします。

現状から脱却するために

 日本経済を現状の苦境から脱却させるためには、企業や個人が将来に期待を持ち、積極的な活動が生まれるような、新しい(ダイナミックな)経済の仕組みを構築していかなければなりません。

 そのうえで、近隣アジア諸国との間で、相乗効果が出るような新しい相互依存関係を構築しなければなりません。

 そのキーワードは、「付加価値創出力の強い日本経済」、そして「地域経済アジアの結束強化」ということになりましょう。

 そのためには、資源が創造性の高い方へ円滑に流れるようわが国の経済や社会を「柔軟性」に富んだものに仕立て直していく必要があります。日本の場合、現状、資源の再配分機能が十分発揮される仕組みが整っている、とは申せません。民間部門においては、規制の緩和・撤廃の遅れが足枷となっておりますし、政府部門においては既得権の累積が予算の再配分を妨げています。

 ファイナンスの仕組みも問題です。高度成長の過程が長く続いた結果、わが国においては、金融機関貸出を中心とする間接金融のルートへの依存度が極端に高まり、借り手の側で、リスクテイクのためのマネーと安定操業のための資金との間の区別が曖昧となるようなところまできてしまった感があります。この問題は、コーポレート・ガバナンスの歪みにも直結しています。過剰債務も、実は、この延長線上の問題です。

 さらに、賃金や雇用の問題があります。生産性に見合って賃金が決定される仕組み、流動的な労働市場、この二つがこれからの日本経済には欠かせない要素です。年功序列型の賃金体系や終身雇用制をこうした新しい要請にどう調和させていくかが、大きな課題です。

 要は、「ビジネスの挑戦の機会を広げる。そのうえで、リスクを取って積極的に行動した企業や個人に対しては、それに応じたリターンが得られるような仕組みを整える」ことだと思います。戦後の経済成長を支えてきた様々な仕組み、─すなわち、企業のガバナンスや雇用慣行、政府・公的機関の果たす役割など─は、最早、企業や個人にインセンティブを十分与えられなくなっているように思います。

 そして最後に、アジア諸国経済との関係です。日本の企業は、既に対アジア・ビジネスの戦略を大きく転換しています。アジアを単に輸出加工基地として利用するに止まらず、アジアの拡大する国内市場への浸透にも力を入れ始めています。アジア域内の貿易関係も、近年、さらに緊密なものとなっています。例えば、東アジア9ケ国の域内貿易規模の対名目GDP比率は、1980年代後半の8%から最近では17%と2倍以上に昇っており、この比率は概ねEUのそれに匹敵するものです。

 日本は、自由貿易協定(FTA)の締結という点では、他国に著しい遅れをとっています。これからは、政府において自由貿易協定拡充の努力が強められ、今申し上げたような民間の努力を後押しすることが期待されます。

 ところで、経済のダイナミズムが働くような環境を整えるうえで、もう一つ重要なことがあります。

 それは、将来の不確実性をできるだけ小さくすることです。例えば、個人が年金などの面で老後に不安を持つとか、企業が将来の金融不安を心配する、というような状況では、なかなか積極的なリスクテイクは出来ません。多少逆説的な表現を使えば、「安心してリスクを取れるようにする」ことが、大切だと思います。

 以上のような環境を整えるうえで、政府の役割は極めて重要です。規制、税制面で、制約要因を取り除き、民間のリスクテイク・インセンティブを高めるとか、予算の面でも、歳出の中身を抜本的に見直して民間の資源再配分を促すなど、工夫の余地が大きいように思います。このほか、年金などの社会保障の面で将来の不安を取り除くことなど、社会経済システムの全般にわたって、幅広い改革をさらに積極的に進める必要があります。

 先月、経済財政諮問会議において、経済活性化、国民の「安心」の確保、将来世代に責任が持てる財政の確立、という三つの宣言を内容とした「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003」(いわゆる骨太の方針−第3弾)が決定されました。こうした方針を含め、改革を加速度的に実行していくことが大切だと思います。

 また金融政策の面から、私ども日本銀行の果たすべき役割も非常に大きなものがあると認識しております。この点については、すぐこの後、詳しく説明いたします。

 政府や日本銀行が全力を尽くす。それを前提として、敢えて申し上げれば、大きな流れを作る主役は、とどのつまり、民間企業ということになりましょう。企業を所有し、運営するのは個人、企業で働くのも個人、社会にいて企業の動きを直接、間接チェックするのも個人ですから、民間部門あるいは究極的には個人と言った方が良いかもしれません。いずれにしても、企業や個人が、人々の求める新しい価値を探り当て、リスクを取りながらそれを商品やサービスに仕立て上げる活動をすることが、市場経済の力の源泉です。収益機会は、これまでのように他に追随しても得られるというのでなく、常に他に先駆けて創り出さなければ得られない時代となりました。

 民間部門の課題を少し具体的に描写しますと、高度成長と輸出促進に焦点を当てた戦後の経済運営のもとで、日本の企業は収益率よりも売上高の増加やマーケットシェアの拡大を図り、低収益率・高コストの構造が生まれることになりました。

 高度成長が長く続くうちに、企業のこの仕組みがあまりに強固に定着したため、企業にとって、高コスト構造の是正を進め、新しい競争力を築いていく道筋は極めて厳しいものとなっています。バブル経済崩壊の結果、過剰債務、過剰雇用の問題が加わったことも、調整負担を一層重くしています。

 また、企業の改編の遅れは、既存の企業に有能な人材が留まり続ける結果ともなっており、これが、日本において新規の起業が輩出しない一つの有力な理由となっている、との話が聞かれます。

 これらはいずれも困難な課題ですが、どんなに困難であっても、民間部門の創意と工夫、粘り強い努力、そして政府と日本銀行の強力なバックアップがあれば、解決出来ない課題ではない筈です。

日本銀行の貢献

 日本銀行としても、日本経済が一刻も早くデフレから脱却し、持続的な回復の軌道に辿り着くよう、また将来へ向けて、企業や個人の力を活かし、経済のダイナミズムがより強く働くよう、積極的に貢献して参りたいと考えております。

 以下では、現在日本銀行が行っている政策について、三つの課題に分けてご説明したいと思います。

 第一は、金融緩和政策の堅持です。経済が厳しい状況を続けていても、企業が出来るだけ多く前向きの行動を取れるよう、環境を整える仕事です。

 第二は、金融システムの健全化を促すことです。金融システムの主たる担い手である銀行その他の金融機関は、不良債権問題の重圧などから、金融仲介機能を必ずしも万全に発揮しているとはいえない状況となっています。これでは、企業などが、将来の資金繰りや万一金融不安が発生した場合のことを心配して、積極的なリスクテイクを躊躇してしまう心配があります。

 第三は、金融資本市場の整備です。その際ポイントとなるのは、市場メカニズムの向上を通じて金利形成を合理的なものとすること、即ち、市場の「価格発見機能」を磨くことです。そうした市場機能の向上は、企業などの積極的な投資活動を呼び起こし、経済のダイナミズムを刺激することにつながると考えられます。

 以下、この三つの課題について、やや詳しくご説明します。

2.金融緩和政策の堅持

潤沢で機動的な資金供給

 日本銀行の第一の課題は、金融緩和政策の堅持です。日本銀行は、短期金融市場の金利がほぼゼロ%にまで低下した2001年春以降も、金融政策の操作目標を短期金融市場の「金利」から、取引先金融機関が日本銀行に保有する当座預金残高(「量」)に切り替え、いわゆる量的緩和の枠組みのもとで、積極的に緩和を進めてきました。

 私の総裁就任後も、対イラク武力行使開始、新型肺炎(SARS)の問題、さらには株価や為替相場の不安定な動き、りそな銀行への公的資本注入問題など、不確実性の高まりに直面し、これに緊急に対応する必要上、思い切って流動性を追加供給することとしました(4月、5月と二度にわたって当座預金残高の目標を合計8兆円引き上げ—最高限度30兆円へ)。

 このような量的緩和の推進は、一面で市場機能の低下など副作用を伴うものとなっておりますが、金融市場の安定確保のうえで極めて大きな効果を発揮しております。

 また量的緩和は、企業金融円滑化の面でも有効な働きをしています。思い起こせば1997~98年当時、金融機関の破綻をきっかけに、いわゆるクレジット・クランチが起こりました。この時には、金融機関が自らの資金繰りに不安を感じたため、優良大企業からの資金ニーズにさえ応えられないケースが見られました。しかし、量的緩和に転じて以降は、こうした問題は生じていませんし、現在では、多少のショックが加わってきたとしても、そうしたリスクは当時よりかなり小さくなっているのではないかと思われます。

 こうした経路を経て、量的緩和は、実体経済に対してもかなりしっかりとした下支え効果を発揮しているところですが、日本銀行としては、これで満足せず、量的緩和の効果が経済のすみずみまでさらに良く行き渡るよう、効果波及経路の改善に努めています。その具体策として、先般決定した資産担保証券の買入れ措置については、この程具体的な準備が整い、間もなく買入れを実行に移す運びとなっております。

コミットメント

 金融緩和政策の中身は、これだけではありません。日本銀行は、消費者物価指数の前年比変化率が安定的にゼロ%以上となるまで、現在の緩和政策を続ける、というコミットメントを行っています。いわゆる「時間軸効果」を狙ったものであり、その効果により、数年先までのやや長めの金利が低水準で安定しています。最近の長期金利上昇局面において、中期ゾーンの金利の上昇が比較的モデレートなものに止まっているのも、その反映ではないかと思われます。

 このように、将来の政策展開に対する人々の期待の安定化を図ることは、私どもにとって今後とも極めて重要な課題であり、金融政策運営の透明性向上努力をさらに進めて参ることとしたいと考えております。

3.金融システムの健全化促進

 日本銀行が取組んでいる二つ目の課題は、金融機関の経営健全化を促し、金融システムの安定を図ることです。

 日本の金融システムの問題は、不良債権の問題とほぼ同義と理解されたまま、約10年という長い年月を経過して参りました。しかしながら、真の課題は、不良債権の問題を乗り越えて、日本の金融機関が、新しい競争力を身につけた「金融サービス業」として生まれ変わることにあることは、論を待ちません。大手の金融機関は、国際金融市場で太刀打ち出来るだけの力を早く養わなければなりません。地域の金融機関も、地域経済の発展に資する新たな事業やそれを開発する中小企業に従来にない金融サービスを提供し得るよう体制を整えなければなりません。

 そうは言っても、目先の不良債権の問題がまだ大きく残っていることも事実です。

 日本銀行は、昨年10月に「不良債権問題の基本的な考え方」を公表し、この問題克服を促進するためには、不良債権の経済価値の適切な把握と引当の強化、企業再生への積極的な取組みなどを軸とした総合的な対応が不可欠であることを明らかにしました。その後の金融機関の取組みは、概ねこうした方向性に沿ったものと言って良いと思います。

 まず、大手行の大口要管理債権に関して、いわゆるディスカウント・キャッシュフロー方式による引当が行われ、全体としての引当率も高まりました。不良債権の償却や売却など、最終処理も加速しており、不良債権残高はかなり減少してきています。また、産業再生機構をはじめとして、企業再生への新たな取組みもスタートしています。最近では、地域金融機関を含む多くの金融機関において、企業再生の専担部署が設けられています。

 不良債権に加え、株価の変動も金融機関の経営に大きなリスクをもたらしています。日本銀行では、株式持合いの解消は時代の流れに沿うものであり、とくに銀行保有株式については、出来るだけ早くその売却を進めることにより、株価変動に伴うリスクを金融機関経営から遮断することが適当との考え方を持つに至っております。このため、日本銀行は、昨年後半来の株価下落の中で、銀行保有株式を直接買い取る措置に踏み切っています。銀行は、その後この措置を活用しながら株式保有の削減を進めてきており、既にいくつかの大手行では、保有株式が規制水準である自己資本Tier1の金額を下回るに至っています。

 もちろん、なお残された課題が大きく、金融機関としては、問題克服に全力を注ぎ続ける必要がありますが、同時に、こうしたいわば後向きの課題に加えて、貸出その他金融ビジネスの再構築を行い、収益力を強化していくという、前向きの課題にもより積極的に取組んでいかなければならない局面となってきています。企業にとって付加価値創出が至上命題となっているように、金融機関にとっても、どのようにして付加価値の高い金融サービスを提供することが出来るか、その「解」に金融機関の行く末を決する最終的な鍵が託されています。

 なお、金融システムの健全化に関しては、問題の大きさ、時間的制約、の両面から、これまでどうしても金融当局主導の色彩が前面に出勝ちであったことは否めません。状況が厳しいだけに、やむを得ない面があったと思われますが、不良債権処理にしても、資本調達にしても、また企業再生についても、本来は民間が自らの才覚で取組むべき問題です。日本銀行としては、これまでも、金融機関が出来る限り主体的に行動しやすいよう様々な工夫を凝らしてメッセージを発してきておりますが、これから金融機関の収益性向上にウエイトがかかるとすれば、なおさら経営の自主性確立抜きに目的を達することは難しいと考えられます。日本銀行としては、考査やモニタリングなどの機会を通じて、金融機関の主体的な努力を前面に引き出しながら、これを強くサポートしていきたいと思っています。

4.将来の金融資本市場に向けて

 日本銀行が取組んでいる三つ目の課題は、金融資本市場の整備・拡充です。

 ここでは、株式市場などリスクマネーの市場と並んで、社債やCPなどの市場、いわゆるクレジット市場の重要性を指摘したいと思います。

 わが国企業金融の構造をみますと、これまでは金融機関貸出が中心となっていますが、将来の金融市場のあり方を踏まえれば、投資家や資金調達主体の多様なニーズを汲み取れるように、様々な金融仲介ルートが整備されていくことが望まれます。その際、最も重要なことは、市場を通じて金利形成が合理的なものとなること、つまり、市場の価格発見機能をフルに活用することが出来るようになることです。

 市場には、もともと、市場参加者の考えるリスクとリターンの関係を「金利」即ち「市場価格」という情報にして提示する役割が期待されています。こうした機能を十分発揮出来る市場が育っていけば、金融取引において、リスクに見合って適切なリターンが得られる仕組みを整えることになります。同時に、そうした市場の存在は、企業の積極的な投資活動を呼び起こし、市場経済のダイナミズムを働かせることにつながると考えられます。

 わが国の金融資本市場、わけても、貸出、社債、CPといったクレジット市場は、これまでのところ、企業などの信用リスクを評価するうえで、十分な価格発見機能を発揮してきたとは言えないように思います。これには様々な要因が関わり合っていますが、先ず、メインバンク制のもとで、貸出が中心となってきたことが指摘出来ます。また、貸出に当たって、右肩上がりの経済を前提として、不動産担保に依拠した貸出が行われ、企業やプロジェクト自体の評価が十分でなかった面もあると思います。社債やCPでさえ、貸出の変形と目される傾向が無かったとは言えません。

 しかし、最近では、シンジケート・ローン市場、資産担保証券市場、クレジット・デリバティブ市場など新しい市場の拡大が見られるようになり、わが国クレジット市場の変革を予感させるようになっています。こうしたクレジット市場の活性化が進んでいけば、資金やリスクがスムーズに仲介されるようになり、経済全体の流れの中で資源の効率的な配分にも資するようになるものと期待されます。

 このような市場の整備が、日本経済の将来に向けて重要な布石となることは、間違い無いものと考えられます。

 また当面、不良債権問題の負担などから金融機関の仲介機能が万全でないことを考慮すると、金融緩和効果の浸透、企業金融円滑化の観点からも、取組みに値する課題と言えると思います。

 以上のような考え方に基づき、日本銀行では、かねてより市場参加者と協力しながら、新しい市場について、取引約定の雛型作成、市場取引慣行の整備、統計の集計・公表など、市場整備のため地道な活動を行って参りました。

 そのうえ、日本銀行としては、金融政策上の重要な意味合いを込めて資産担保証券を採り上げ、間もなく、その直接買入れ措置を開始する運びとしております。

 私どもが、「資産担保証券」に着目したのは、その商品特性から、わが国金融資本市場の将来のために、必ずや重要な役割を果たすと考えたためです。資産担保証券は、最先端の金融技術を駆使し、中小・中堅企業に対する貸出債権やリース債権、企業が持っている売掛債権など、比較的小口の債権をプールして、そこから生じるキャッシュフローをもとに、幾種類かの債券を発行するスキームです。多くの債権をプールすることでリスクが削減されます。また、ハイリスク・ハイリターンの債券からローリスク・ローリターンの債券まで、リスク度の異なる債券を組み合わせて発行することができ、様々なリスク許容度を有する投資家を取り込めるというメリットがあります。

 これは、日本の現状にも合った商品です。すなわち、実際の組成に当たっては、金融機関などが中心となって実務を行いますが、リスクは直接最終投資家が負担します。日本の企業、特に中小企業の場合には、銀行などの主取引先金融機関が当該企業の資金ニーズを一番良く把握しうる立場にあります。こうした銀行のノウハウを活用しつつ金融商品を組成する、金融商品のリスクは投資家が取り、銀行のリスクテイク能力には左右されない。こうした点に、この商品の特色があります。金融機関は、自らのネットワークと審査能力を使って、資産担保証券という商品を作り、これを販売する、あたかも製造業や流通業のような仕事をすることになります。

 このように、資産担保証券は、間接金融中心の現状からスタートして、将来の金融資本市場の姿につなげていくうえで、格好の商品であると考えたわけです。

 資産担保証券市場の発展を支援するに際し、日本銀行は、債券の買取りという形で民間債務の信用リスクを直接負担することとしました。現状、市場は揺籃期にあって、リスクテイクを行う参加者が乏しく、組成自体が容易に進まないという現実があるためです。中央銀行が市場に介入する場合には、一歩間違えれば、市場の価格発見機能を歪め、市場の発展をかえって阻害してしまうおそれがあります。しかし、これまでに得られた情報から判断する限り、この市場の場合には、日本銀行の買入れが触媒となって、取引が活発になり、市場参加者が増え、市場機能が自律的に高まっていく可能性があると思われます。私どもとしては、是非そうした好循環が生まれることを願っております。

終わりに

 以上ご説明して参りましたように、日本経済が困難な課題を克服し、将来に向かって前進していく力の源泉は、究極的には、企業や個人が新しい価値を追い求め、果敢にリスクを取りながら活動することにあります。

 日本銀行の仕事は、そうした未来を切り拓く人々に、行動しやすい環境を金融面で整え、提供していくことです。

 日本経済の取組む課題が困難であればある程、日本銀行としても、必ずしも従来からのものの考え方にとらわれることなく、果敢に新しい選択肢に挑戦していかなければならないと考えております。

 量的緩和政策それ自体、いずれの国の中央銀行もかつて足を踏み入れたことのない領域ですし、銀行保有株式の買入れ措置も、中央銀行としては通常考えられない政策に属します。

 また、資産担保証券の買入れについては、民間信用のリスクを直接負担するというだけでも、極めて異例の措置と言えるわけですが、そもそも伝統的な中央銀行の金融政策観では、金融機関の負債サイドであるマネーに焦点が当てられるのが通常であり、クレジットを独立の問題として採り上げることは滅多にないことです。しかし、現在のような日本の状況のもとでは、資産サイドであるクレジットのあり方如何が金融政策の運営上決定的に重要になっており、日本銀行としてはそこに着目して新たな政策展開を試みようとしているものです。

 私どもとしては、日本経済の将来の姿を念頭に置きながら、今後とも適切な金融政策の運営に知恵を絞って参りたいと念願しております。

 日本経済の底力が発揮され、明るい未来が築かれていくことを確信し、また、日本銀行も総力を挙げてこれをサポートしていくことをお約束して、講演を終えたいと思います。

 ご清聴、誠に有難うございました。

以上