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日本経済のリストラクチャリング

2003年10月28日・内外情勢調査会における福井総裁講演要旨

2003年10月28日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1.日本経済の歩み
  3. 2.日本経済のリストラクチャリング
  4. 3.日本経済の課題と展望
  5. 4.おわりに

はじめに

 日本銀行の福井でございます。

 日本経済は現在、輸出環境が好転し企業の業況感も改善するなど、ようやく緩やかな景気回復への基盤が整いつつあります。この背景には、グローバルな情報関連需要の回復といった循環的な動きに加え、企業の収益体質の改善など構造面での調整が進捗しつつあることも、好影響を及ぼしているように思います。

 もっとも、日本経済の構造調整はなお道半ばであり、将来に向けて多くの課題を残していると言わざるを得ません。構造面からの根強い調整圧力は、これからも内需の自律的回復にとって重石となりかねず、金融政策運営上も引続き留意しなければならない要因です。

 このような経済情勢の下、日本銀行は、「消費者物価上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」量的緩和政策を堅持し、ようやく見られはじめた景気回復の芽を大事に育てていく必要があると考えています。こうした基本的な考え方に基づき、今月10日には金融調節の柔軟性・機動性を一段と高める観点から、当座預金残高目標値の上限を引き上げる等の措置を講じたところです。

 さて、構造調整の問題を含め日本経済が抱える課題については、経済のグローバル化やわが国経済社会の成熟化といった歴史的視点の中で考察していくことが、どうしても必要だと考えています。

 その理由は、構造問題の発生自体、このような歴史の流れと切り離しては捉えられないということもありますが、同時に、我々が20世紀から21世紀へという大きな時代の転換点に位置している今こそ、構造問題克服の鍵を新たな「時代の要請」の中から見出していく取り組みが、必要かつ有益ではないかと思うからでもあります。

 本日は、やや長期の時間軸に立ちながら、わが国経済の構造調整の過程を振り返るとともに、先行きの課題などについて、「付加価値」と「リスク」、さらには「持続可能性」という三つの言葉をキーワードとして、お話を進めてまいりたいと思います。

1.日本経済の歩み

高度成長とその背景

 まず、20世紀という「成長の世紀」を象徴する出来事の一つともいえる、日本の戦後の高度成長から振り返ってみたいと思います。

 わが国の実質GDPは、1955年から1970年までの間に、約4倍近くに拡大しました。すなわち、15年の長期に亘り、年率10%近いペースでの成長を続けたことになります。

 このような世界にも例のない高度成長は、わが国経済が持っていた潜在力と当時の歴史的・地理的条件という前提があって、はじめて実現されたものと言えるように思います。

 もともと日本には、比較的高い技術力の基盤や勤勉の精神、さらには海外の技術や文化を前向きに受け入れていく土壌など、下地がありました。このことは、明治維新後の急速な産業勃興とその後の経済発展の大きな背景となったように思います。

 歴史的・地理的条件という面では、冷戦構造の中で海外のいくつかの地域が社会主義経済圏に留まった結果、わが国は市場経済圏における「世界の工場」として有利な位置を占め続けたことが指摘できます。また、戦後国内の資本ストックが大きく失われた状態からの再出発となったため、設備投資が当初からかなりハイペースなものとなったという事情もありましょう。

 さらに人口の面でも、高度成長期はいわゆる「ベビーブーマー世代」の労働力化の時代とも重なっています。この時期、労働力人口は1955年の約4千万人から70年には約5千万人へと増加しました。加えて、当時の人口増加は、人口ピラミッドが「釣り鐘形」となる形で進みました。このことも、年金など社会保障制度を維持する負担を他の先進国に比べ相対的に軽くしたように思います。

変動相場制への移行と2度の石油ショック

 70年代入り後、日本経済は、いわゆる「ニクソン・ショック」に伴う円の切り上げやその後の変動相場制への移行、さらには2度の石油ショックといった大きな荒波を経験しました。とりわけ第一次石油ショック時には、当時の過剰流動性とも相まって、狂乱物価と呼ばれるインフレが生じました。

 対照的に、第二次石油ショックについては、わが国は先進国の中で最もスムーズに問題を克服しました。この背景としては、マクロ政策面での機動的な対応も指摘できますが、同時に、産業界が第一次石油ショックの教訓を踏まえ、省エネルギー化への対応を積極的に進めたことも重要な要因であったように思います。こうした対応により、先進国の中で最も石油依存度の低い経済体質への転換を果たすとともに、省エネ技術を新たな付加価値の源泉とすることに成功しました。これは、日本がその技術力を活かし、「克服すべき課題」を「得意技」に変えていった典型的な例だと言えます。

 また、このように第二次石油ショックを比較的スムーズに克服したことは、日本経済への国際的な評価にもつながっていきました。

円高とバブルの生成

 その後80年代後半には、いわゆるプラザ合意を契機とする為替相場の大幅な修正が起こり、「円高不況」と呼ばれる景気停滞を経験しました。しかし、これは比較的短期間で終わり、その後資産価格の高騰を伴う景気拡大が生じたことはご承知の通りです。

 この時期には高成長と低インフレが併存する中で、その原因を生産性の上昇に求め、「石油ショックに続き円高も克服した」といった楽観論が広がりました。しかし現実には、強い危機感の下で調整が進んだ石油ショック時とは対照的に、多くの構造面での調整が結果として先送りされたことは否めません。

 この時期、89年の「ベルリンの壁崩壊」に象徴されるように、冷戦構造の変化が既に始まっており、エマージング諸国の工業化も進みつつありました。これらの事実が示すように、経済のグローバル化や企業間競争の激化など、わが国経済を取り巻く環境は、大きく変わり始めていたように思います。

 このような環境変化は、本来であれば、企業の収益体質の強化や、参入・退出の活発化などを通じた資源の効率的な再配分を強く要請するものです。しかし、この時期生じた資産価格の上昇や国内需要の過熱は、経済の調整を求める「シグナル」への感度を鈍らせるとともに、投資活動の規律を歪め、むしろ過度に楽観的な需要見通しと、それに基づく巨額の設備投資を誘発する結果となりました。後々大きな問題となった過剰設備、過剰借り入れ、過剰雇用の淵源はここに求めることができます。

 金融面でも、グローバルな競争激化の下では、事業の刷新や企業の新規参入をサポートし、収益性やリスクをより客観的に評価し得るような金融仲介マーケットの発達が求められます。その意味で、本来であれば、相対型取引から市場型取引へと金融仲介の裾野が拡大すべき局面であったように思います。

 しかしながら、資産価格の高騰は、むしろ不動産を担保とする旧来型の金融機関貸出を拡大させる結果となりました。これはその後の資産価格急落と相まって、不良債権問題という90年代以降の経済に深刻な影響をもたらし続ける問題を生むこととなりました。また、この時期に生じた証券不祥事は、株価の大幅な下落とも重なって、家計のリスク・マネー市場への参加を強く躊躇させる方向に働いたように思います。

 さらに、84年には1.81であった出生率が、90年には1.54に急低下するなど、少子高齢化も急速に進みました。これには様々な原因がありましょうが、一つには、女性の社会進出が進む一方で、多くの企業が年功序列的な色彩の強い雇用制度を残していたため、育児に伴う仕事の中断に対し強い抵抗感があったほか、社会の仕組みとしても育児環境は十分ではなかったという事情があったように思います。

 この間、年金や社会保障など多くの制度も、基本的に従来の「釣り鐘型」の人口ピラミッドを前提とする形のまま残されました。

 国家財政の面でも、この時期米国や英国が厳しい経済情勢のもとで、「小さく効率的な政府」を目指した取り組みを進めたのとは対照的に、日本では好況や資産価格の上昇に伴う税収の増加が続き、結果的に歳出構造の見直しを遅らせてしまった面があったように思います。

2.日本経済のリストラクチャリング

90年代入り後の経済の停滞

 90年代に入り、冷戦の終結や情報通信革命の進展に伴い、経済のグローバル化は一段と加速することになりました。こうした中で、わが国経済は、これまでの好調とは裏腹にバブル崩壊やエマージング諸国との競争激化など、俄かに厳しい試練に直面することとなりました。

 90年代入り後のわが国経済が対峙した調整圧力を私なりに整理すれば、次の3つに分けられるように思います。

 まず一つ目は、バブル期のさまざまな面での「行き過ぎ」や、バブル崩壊によって生じた調整圧力です。今しがた申し上げた企業の過剰設備、過剰借り入れ、過剰雇用、そして金融機関の不良債権問題がこれに該当します。これらの問題は、内需の下押し圧力や金融システム不安定化の原因として働き続けてきました。

 二つ目は、市場のグローバル化や国内の人口動態の変化など、経済を取り巻く大きな環境変化に伴う調整圧力です。わが国経済は、高度成長期やバブル期のブームの下で醸成された高コスト構造を抱えたまま、グローバル経済の中に晒されるようになり、とりわけ急速な発展を遂げる東アジア諸国経済との間で厳しい競争関係に立たされることとなりました。加えて、急激な人口動態の変化が、先行きの成長期待を抑制する方向に作用しています。

 さらに三つ目として、さまざまな法制度や国の財政、社会保障制度など広範な制度的インフラを、経済社会の成熟化に対応するものに作り直さなければならなくなったという調整圧力も挙げられます。

企業部門の調整の進捗

 これらの問題の多くは今なお克服の途上にあります。しかし、企業部門を中心に、徐々にではありますが、着実に調整が進みつつあることも見逃してはならないと思います。

 多くの企業は、設備投資の抑制等によって過剰債務を削減するとともに、人件費を抑えるなど、収益体質改善に向けての努力を粘り強く続けてきました。

 このような取り組みは、もともとの要調整幅が大きければ大きいほど、その克服に要する努力は幾重にもなり、時間もかかります。と申しますのも、それぞれの企業による設備や人件費の圧縮努力は、収益力回復のために必要ではあっても、経済全体としては内需の下押し圧力となり、これが業況回復への道のりをさらに険しくする方向に働くからです。

 しかし現在、このような企業のリストラ努力は、ようやく実を結びつつあるように思います。

 昨年度以降、企業収益は継続的に増加しています。売上高経常利益率は、今やバブル崩壊以降では最も高い水準に達する勢いであり、企業がリストラ努力によって損益分岐点の引下げを実現し、売上げが大きくは増えない中でもある程度の収益をあげられる体質へと転換を果たしつつあることを示しています。

新しいビジネス・モデルの模索

 また、経済のグローバル化への対応という面でも、わが国が経済発展の著しい東アジアに位置していることは、安値輸入品の流入などの厳しい影響を強く受けやすい一方で、国内産業の競争力が早く鍛えられたという面もあるように思います。

 東アジアなどエマージング諸国との対比でみて、わが国の産業は労働力コストの面でかなりのハンディキャップを抱えていますが、電気機械や自動車など多くの輸出製品は強靭な国際競争力を維持しており、貿易収支も黒字を続けています。この背景としては、わが国の産業が、自らの技術力や品質管理のノウハウと、東アジア諸国の生産力、さらには各国の消費者のニーズに応えるデザインを編み出す仕組みなどを組み合わせた新たなビジネス・モデルを作るといった形で、高付加価値化の努力を続けたことが指摘できるように思います。

 同時に、国内市場に向けても、マーケティングと海外生産に併せ、卸売・小売といった流通プロセスを一体的に統合するビジネス・モデルが進展をみました。これらが徐々に消費者の嗜好を掴み、シェアを拡大するケースも目立っています。

制度・法制面の対応

 制度や法制の面でも、企業の参入・退出や再編の激化を前提とした対応が徐々に進んだことは、注目すべきであろうと思います。

 例えば、企業の破綻処理や再建においては、市場の規律を生かすとともに、企業の継続価値—on going concern value—を極力残しながら、関係者の利益を極大化できる仕組みを作り上げることが重要となります。実際、こうした方向に沿って、民事再生法などの法整備や手続の迅速化などが進められてきましたし、会社法の分野でも、企業の再編をより容易にするための見直しが行われました。

 また金融システムへの対応という面でも、公的資本注入の枠組みなどセーフティ・ネットの整備が、90年代以降の困難な経験の中で徐々に進んできたことも見逃せないように思います。

現在の経済情勢

 このようなわが国経済のリストラクチャリングの進捗は、足許の経済情勢にも好影響を及ぼしているように思います。

 冒頭述べたように、現在、国内景気は回復に向けての基盤を整えつつあります。その背景をみると、企業収益が増加を続け、設備投資にも持ち直しの動きが見られていることがまず指摘できます。さらに輸出も、情報通信関連を中心に再び増加しつつあります。金融システムを取り巻く不安感も一頃に比べ後退しています。

 かねてより、物価が下落すれば名目賃金の下方硬直性によって企業収益が圧迫されるため、デフレ・スパイラルにつながっていく可能性が高い、との見解が聞かれました。しかしこれまでの経験は、緩やかな物価下落の中にあっても、企業が名目賃金を弾力的に調整し増益を実現していることを示しています。一方で、これによる家計所得の減少は消費性向の上昇によって補われる形で、個人消費も横這い圏内の動きを維持してきました。

 このように、日本経済の自律的な調整メカニズムは相応に作動してきており、この事実はマクロ政策運営の面にも重要なインプリケーションを持つように思います。

3.日本経済の課題と展望

日本経済の抱える構造的課題

 もちろん、わが国経済はなお多くの構造的な課題を抱え、その克服に向けた努力を続けている段階にあります。これらの残された課題を整理すると、次のようなことになろうかと思います。

 まず一つ目は、経済の一層の効率化や次世代のリーディング・インダストリーの育成など、前向きの資源の再配分が挙げられます。

 先ほど申し上げたように、これまで企業は、新規の設備投資を抑制し、キャッシュフローを債務の圧縮に充てるといった形でのリストラを進めてきました。このこと自体は、バブルの「負の遺産」を整理し経営体質を強化するため必要なプロセスであったといえますが、同時に、国内の設備が諸外国と比べ相対的に陳腐化してしまうという、別の問題を生じさせる面があります。

 したがって、企業がある程度の収益力を回復した次のステージでは、資本ストックを生産性のより高いものへ整備し直していくことが新たな課題になるように思います。

 また、多くの企業は、新規の正社員の採用を抑制し、不足するところはパートタイマーなどで補いながら、労働力コストの削減を進めてきました。ただ、こうした形でのリストラは、若年層の雇用に皺を寄せる面があり、このような状況が長期化して若い人の就業意欲を削ぐようなことになれば、経済の活力自体が損なわれるリスクがあるように思われます。

 これからは、社会全体として雇用の流動化に積極的に取り組み、若年層の就業機会を広げる努力を強めることが重要だと思います。

 二つ目は、申すまでもなく、不良債権問題処理の一層の加速と金融機関・市場を通ずる金融仲介機能の強化です。

 不良債権問題への取り組みは、着実に進んでいるとはいえ、前途なおかなりの道のりを残しています。ペイオフの全面解禁まで残された時間は約1年半であり、これを念頭に全体として処理をさらに急ぐ必要があります。 市場を通ずる金融仲介機能の強化は、金融機関貸出を代替・補完し得る市場型のクレジット市場の整備を含め、これから次第に重点が置かれるべき大切な課題です。

 三つ目は、新しい時代に適合するよう諸制度を再設計することです。

 社会保障制度や税制、国と地方との関係などさまざまな制度を、新しい時代に適合するものへ変革していくことが喫緊の課題となっています。

 これらの制度の再設計は、世代間等の「利害の対立」という問題につながりやすい面を持っています。かつてのような成長率の高い経済の下では、この問題の妥協点を、経済全体の「パイの拡大」によって見出すことも比較的容易であったように思われます。しかし現在、こうした形で対立を解消することはますます困難となっています。

総合的な「付加価値創造力」の重要性

 これらの課題の克服は、今後とも決して容易ではありませんが、「問題解決の鍵」と目される幾つかの視点について私の考え方を申し上げてみたいと思います。

 まず第一に、日本全体としての総合的な「付加価値創造力」を高める、という視点です。

 私は、「付加価値創造力」とは単に経済の問題に止まらず、文化や政治なども含めた総合的なものであると考えていますが、ここでは、主として経済の面からお話したいと思います。

 国が豊かになり、人々の生活水準が向上していくということは、同時に、労働力コストが上昇する要因を抱えていくことを意味します。このような労働力コストの上昇に見合う高い付加価値を創り出していけるかどうかが、経済が持続的に繁栄を続けていく上で最も重要なポイントであることはお分かりいただけると思います。

 その上、わが国の総人口は、2006年を境に減少に転じることが予想されています。先行き人口面から経済成長への寄与は見込み難いということです。このことを踏まえれば、付加価値創造力の向上は、とりわけわが国にとって切実な問題です。

 しかも、この問題を経済のグローバル化の中で解決していかなければなりません。経済のグローバル化とは、言い換えれば、「分業の規模が世界中に広がる」ということでもあります。それだけに、日本がこの中でどのような付加価値創造の役割を担い得るのかが、ますます真剣に問われてくることになります。

 おまけに、情報通信革命の進展です。情報通信技術の発達により、国境を越えて情報を入手し複製するコストが低下している中では、他と似通ったものを作ることはあまり大きな価値を持つものとは受け止められ難くなり、これによる収益機会も限られてくることになります。一方で情報通信技術は、「独自のもの」を産み出した主体が、世界中に情報を発信することを可能とするものでもあります。こうした中で、日本が「独自のもの」、「日本にしかできないもの」を産み出すことの重要性は、ますます高まっているように思います。

 私は、日本は少なくとも経済の分野において、「独自のもの」を今後とも産み出し続けていく力を十分に持っていると思いますし、そのためのいくつかの長所や優位性も備えていると考えています。

 まず、戦後わが国の産業は、先端技術を軍事用ではなく、専ら民生レベルで活かす取り組みを進めてきました。これは、欧米諸国と比べた日本の産業技術の一つの特徴であったように思います。

 現在、自動車や家電は勿論、自動券売機や改札機、さらにはインターネット機能やカメラの付いた携帯電話、ディジタルカメラに至るまで、日本ほど、新しい技術を日常生活の隅々にまで行き渡らせることに貪欲な国は他にないように思います。

 エマージング諸国の経済発展との関係でこれを考えてみましょう。

 多くの人口を抱えるこれら諸国では、経済発展に伴い、情報通信関連などの新しい技術が人々の生活レベルに普及する可能性は次第に大きくなってきており、この面でわが国の民生型テクノロジーが貢献を果たしていく領域は広いのではないかと思われます。

 殊に、わが国と地理的に近い関係にある東アジア諸国について、このことがいえると思います。日本の市場は世界の中で最も消費者の要求レベルが高い市場です。この消費者の厳しい要求の下で鍛えられた技術力やノウハウと、東アジア諸国の生産力や現地の消費者の需要などとの有機的結合を実現していくことができれば、アジア諸国との地理的な近さや歴史的・文化的なつながりの深さは、むしろ日本にとっての大きな強みとなるはずです。既にその走りが見えるようになっていることは、先ほど述べたとおりです。

 ここで少々話題が飛躍しますが、21世紀以降の世界経済はエネルギー資源や地球環境との関係で果たして持続可能かという問題が、ますます深刻な問いかけになってきていることに触れたいと思います。

 近年、再生可能エネルギー源の開発やCOの排出抑制などに強い関心が寄せられています。

 そして、アジア経済全体の規模や成長テンポを踏まえますと、地球上の経済が持続可能かどうかという問題に、抜き差しならぬ形で行き当たるのは先ずアジア、ということになる可能性が予感されます。

 その意味で、エネルギー問題や地球環境問題への対応は、最早単なるコストの問題ではありません。地球上の経済の「持続可能性」を将来にわたり確保していくという意味で、エネルギー・環境対応はまさに付加価値の源泉そのものであると思います。この点でも、前述の通り、わが国は石油ショックを克服する過程で、省エネ技術や環境対応技術を新たな強みとしてきましたし、今後とも様々な方向に沿ってこうした強みを活かし得るのではないかと考えられます。

 このように、我々が取り組まなければならない時代の課題やニーズがある限り、付加価値創造の「芽」は至る所にあるはずです。

リスクに強靭な金融仲介システム

 「問題解決の鍵」となる二つ目の視点としては、個々の経済主体が付加価値の「芽」を見出し育てていく取り組みを、社会全体として十分にサポートする仕組みを作っていくことの必要性です。この観点からは、経済活動に伴う「リスク」への対応がきわめて重要な課題となります。

 未来を完全に予測できない以上、将来に向けて付加価値を創り出そうとする活動は常に不確実性を伴います。そうした不確実性への備えが十分であればこそ、経済主体は安心して前向きの事業活動に乗り出すことができます。経済全体としての「付加価値の創造力」と「リスクへの対応力」とは、実は表裏一体のものであるということです。

 これまでも、リスクを経済主体の間で分散する枠組みは、経済発展の根幹をなす基本的なインフラとして整備が進められてきました。例えば、近代の会社法制やその下での有限責任制度は、事業活動に伴うリスクを株主や債権者など幅広い主体によって吸収する仕組みと言えます。このような制度が、近代以降の各国の経済発展を支える一つの重要な礎であったことは疑いないように思います。

 しかし、経済のグローバル化が進み、事業に伴うリスクもより大きくなっていくこれからの時代においては、リスクを効率的に分散し経済全体でそれを吸収する仕組みを築く上に、金融仲介システムが果たす役割は極めて大きなものがあります。

 企業その他の経済主体は、様々な形態による資金調達を組み合わせながら、事業活動に伴うリスクの分散を図ろうとします。他方、金融機関は、事業の態様・収益性やリスクを見極めながら、最適な金融サービスをどのようにして供給するかを判断していきます。そうした判断が投資家の判断とも相まって、最終的に貸出金利や債券の利回りといった市場の「価格」を通じてきちんと示されるようになれば、事業活動に規律が与えられ、効率的な資源配分が実現されていくことになります。

 すなわち、経済全体として効率的な資源の再配分を実現していく上では、金融仲介システムが、収益性やリスクをしっかりと評価できる能力を備えるとともに、そうした評価が貸出金利や信用スプレッドなどにきちんと反映されることが重要です。

 従来、成長率自体が高い経済の下では、金融機関としては、資産規模の大きさを確保しさえすれば、ある程度の増収が確保され、その中にリスクを吸収することが比較的容易であったため、こうした能力を十分磨かなくても済んでいたかもしれません。また市場を通ずる金融も、ともすれば二次的な位置に甘んじる傾向があったかもしれません。

 しかし、経済が激しい新陳代謝を伴うよりダイナミックな段階に移り、企業の参入・退出、ビジネス・モデルの変革がいわば常態化しつつあるこれからの状況の下では、金融仲介システムが全体として強靭なリスク対応力を備え、効率的な資源配分の実現を通じて経済の付加価値創造力の向上に寄与することが求められます。このためには、金融機関の審査能力や金融サービス開発力、リスク管理能力の真価が厳しく問われるとともに、投資対象に対する投資家の複眼的な評価が可能となる市場型の金融取引の発展が強く望まれるようになると思います。

Fairnessの視点

 第三に、制度の変革に伴う利害の対立を解きほぐす鍵としての「受益」と「負担」の公正−Fairness−という視点です。

 先ほど申し上げた通り、経済の成熟化に適応した様々な制度の変革を行っていく過程では、利害の対立という問題がある程度生ずるのは避けられません。しかし、このような対立を経済全体の「パイの拡大」によって回避することは、現在ますます難しくなっています。

 例えば、年金制度の改革は、世代間の利害の対立を避けては通れない課題です。それだけに個々の主体にとっては、制度変革の遅れが経済全体に及ぼす悪影響よりも、まず自らの負担と給付の問題に関心が向かいやすく、このことが、制度変更に向けたコンセンサスの形成を難しくする要因ともなります。

 こうした下で、社会保障制度、税制その他各般の制度の見直しに対し国民の広い合意を得ていくためには、これまで以上に「『受益』と『負担』の公正さが確保されているか」という点を強く意識していく姿勢が重要ではないかと思います。

 その上で、日本が先行きどのような経済社会の実現を目指しているのかというビジョンを示し、これに国民の合意を得ながら、ビジョンと整合的な政策を積み重ねていく努力が求められているように思います。

4.おわりに

 最後に、これら日本経済が抱える課題などを踏まえ、金融政策運営の立場から留意すべき点について、三点ほど申し述べたいと思います。

 第一は、日本銀行の基本的使命である「物価安定の確保」です。今後、グローバル化した経済活動に伴う不確実性の問題は、経済主体にとって一段と重要な関心事となっていくと考えられます。それだけに物価安定を確保して経済の要を磐石にし、付加価値創造に向けた人々の経済活動に対する最大の制約要因を排除して行くことがますます重要となってきています。

 こうした問題意識に基づき、日本銀行としては、引続きデフレ克服を最優先の課題として、これに真剣に取り組んでいく方針です。

 第二に、「金融システムの安定確保」です。

 一口に「金融システムの安定」といっても、その意味合いは大きく変わってきています。高度成長期のいわゆる「護送船団」の時代には、金融機関の競争を制限して退出を起こさせないことを主眼とするものでしたが、今では、金融機関が競争を通じ、事業の収益性やリスクの評価・プライシング、あるいはリスク管理といった能力を向上させながら、十分効率的な資金仲介機能を発揮していくよう促すと同時に、いわゆるシステミックリスクは抑止することが求められています。活発なリスクテイクと信用秩序の両立ということです。

 日本の金融システムはまだ健全化の途上にあり、金融機関のリスクテイク能力は万全とはいえない状況にあります。2005年4月のペイオフ完全解禁までに金融機関の努力がさらに加速されていく必要があります。日本銀行としても、新しい時代の要請を踏まえながら、プルーデンス政策や考査・モニタリングの運営の仕方に一層工夫を加えていきたいと考えています。

 第三に、金融資本市場の一層の整備です。

 これから新しい経済の中で、企業が付加価値創造を競い合っていく上では、時代の要請やニーズ、さらには自らのビジネス・モデルへの評価を、様々な市場が発するシグナルから鋭敏に読み取っていくことが必要となります。それだけに、市場メカニズムは、日本経済が将来にわたり繁栄を確保していく上で必要不可欠な「アンテナ」であり、かつ「規律付け」ともなるものです。

 これを金融面からみると、既に述べました通り、金融機関がリスクテイク能力を高めるだけでなく、より広く市場を通じて資金の最適配分がなされる仕組みが備わっていることが必要です。

 日本銀行としては、この面でも積極的な貢献をしていきたいと考えています。この場合、わが国においては金融機関貸出が金融仲介ルートとして圧倒的なウエイトを占めてきている事情を考えますと、資産流動化市場をはじめとする新しいクレジット・マーケットの育成から着手することが現実的かつ有効ではないかと判断され、日本銀行では既にこの方向に沿って具体的な取り組みを開始しています。

 以上いろいろと申し述べましたが、日本銀行は、今後とも民間の努力をサポートし、日本経済のダイナミックで持続的な発展を実現するため、最大限の努力を続けてまいる方針です。

 ご静聴誠に有難うございました。

以上