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自己資本と中央銀行

―― 2003年10月25日、2003年度日本金融学会秋季大会における植田審議委員記念講演要旨

2003年10月28日
日本銀行



  図表は、こちら(ko0310f.pdf 31KB)から入手できます。




[目次]

 1、はじめに
 2、自己資本比率の低下と中央銀行:若干のケーススタディ
 3、理論的背景
 4、最近の日本銀行のケース
 5、結論
 参考文献




1、はじめに

 本日は、主催者からリスク管理がらみの話をするように依頼された。中央銀行のリスク管理という点に焦点を絞ったとしてもその内容は多岐にわたる。組織の内部管理の話もあろうし、日銀ネットがスムーズに毎日機能するだろうかというような心配もある。しかし、中央銀行にとってもっとも大事なのは、政策目標である物価の安定が達成できなくなるリスクのコントロールである。将来が不確実な世界で常に誤差無しに目標を達成することはありえないが、それに失敗する可能性に目配りをし、なるべくその可能性を低くすること、また失敗するにしても国民にとってのマイナスが大きくなるような可能性の顕現化は、なるべく避けること等が、この意味でのリスク管理の主な内容である。1

 本日お話したいのは中央銀行のリスク管理がらみのもう少し小さな話題である。中央銀行は政策目標を達成するために、通常政策手段を適当と思うだけ発動する、ないし、動かす。その多くは市場での金融資産の売買であったり、金融機関相手の資金の貸借である。従って、政策手段の発動によって中央銀行はある程度の資産価格変動リスク、あるいはクレジットリスクにさらされる。民間の金融機関であれば、こうしたリスクをとりつつ収益の最大化を目指すわけである。また、リスクが顕現化し、予期せぬロスが発生する場合に備えて資本を保有している。中央銀行は、同様にリスクをとりつつ、収益最大化ではなく、物価安定のような政策目標の達成を目指している。しかし、注意しても予期せぬロスはしばしば発生する。それでは中央銀行はこうした可能性に備えて資本を保有していることが必要なのだろうか。資本が少なかったり、場合によっては債務超過になったりすることが、どの程度本来の政策目標の達成を阻害するのだろうか。

 こうした意味で、中央銀行の自己資本のあり方に対する関心が高まっている。従来の途上国の中央銀行のバランスシート問題に対する関心とはやや異なって、ここ数年は先進国のそれに対する関心の高まりが特徴である。その背景には、世界的なディスインフレ傾向の中で、中央銀行がデフレ克服のためにややリスクの高いオペレーションを既に実施していたり、今後実施する可能性が出てきているという点がある。

 なかでも日本銀行は、外国為替、大量の中長期国債の保有に加えて、2002年暮れからは、銀行の保有株式を買い取っている。さらに今年に入って資産担保証券の購入を始めた。一部の見方によれば、こうしたオペによって、日本銀行は通常中央銀行がとらないようなリスクを抱えており、そのバランスシート毀損の可能性が信認の低下につながるリスクも犯している。他方、別の見方によれば、こうした異例のオペによってデフレが克服されれば、経済全体も政府の税収も好転する。万が一、日本銀行が会計上債務超過に陥ってもそれを埋め合わせるような資本再注入は容易だろう。あるいは、インフレ率が正常なプラスの値に戻れば、将来の通貨発行益も増え、その割引現在価値を考慮に入れれば、一時点での債務超過自体大した問題ではない。こうした相対立する見方はどちらが正しいのだろうか。2

 結論的にはどちらの見方にもそれなりの根拠があるものの、いずれか一方のみに組することも出来ず、自己資本の問題の金融政策運営との関わりの多様な側面を意識しつつ、注意深い政策運営を中央銀行は実施するしかないということになる。以下では、こうした主張をやや詳細に展開してみたい。また、日本銀行は自らのバランスシートのことを気にするあまり、本来の物価安定という責務をおろそかにしているとの批判も多い。議論の過程でこうした点にも触れてみたい。その上で、学界の方々がこの問題の周辺の議論に興味を持っていただくきっかけともなれば幸いである。

1 このテーマに関する中央銀行関係者の最近の発言で興味深いのは、グリーンスパン議長のカンザスシティ連銀での講演である(Greenspan(2003))。この中で議長は、将来が見通し難たい、将来を描写する経済モデルとしてどれが適切かも先験的にはわからないような状況のもとで、考えうる政策目標からの乖離によって発生するロスが最も小さくなるような政策オプションを選択するアプローチを議論している。類似の指摘は、翁・白川・白塚(2000)第6節に見られる。

2 こうした点に関する最近の日本銀行関係者の発言としては、福井(2003)、須田(2003)がある。


2、自己資本比率の低下と中央銀行:若干のケーススタディ

 そもそも各国の中央銀行はどの程度の自己資本を保有しているのだろうか?図表1は、各国の中央銀行について自己資本の総資産に対する比率を示したものである。自己資本比率がまちまちであること、概して先進国のほうが低いこと、ただし、債務超過国は途上国であること、G3の中では、米国のそれが低く、日本と欧州はやや高めであることなどがわかる。いずれにせよ、各国間の自己資本比率のこうした大幅な乖離は、中央銀行にとってどの程度の自己資本が望ましいかという点に関する議論が収斂していないことを意味すると見られる。

 より詳しく個別のケースを見てみよう。大幅な期間収益赤字や債務超過を経験した中央銀行は、どのような経緯でそうした事態に陥り、またそれが金融政策運営にどのような影響を与えただろうか。この点についてはStella(1997,2002)他が詳しい。3 これらの文献によれば、債務超過に陥った中央銀行の例は中南米諸国に多い。その他にも一部のアジア、アフリカ、東欧の中央銀行、また先進国ではBundesbankが1977-1979年に債務超過を経験している。

 債務超過に陥った原因は多岐であるが、金融危機処理費用の一部を中央銀行が負担したこと、自国通貨高により外貨準備に評価損が発生したり、為替取引に関わる産業政策に中央銀行が協力させられる過程で外貨建て債務を増やした後、自国通貨安に見舞われたこと、中央銀行保有の国債に政府が利払を実施しなかったことなどが典型例である。

 問題はこうした債務超過に陥った中央銀行の政策がそれによって歪められたかどうかである。現実には多くのケースで物価安定の目標を追求することが困難になり、高率のインフレーションが発生している。その理由は基本的には二つである。債務超過を自らのオペレーションで克服しようとすれば、多額の通貨発行益を稼ぐ必要があり、その為には高率の貨幣供給、インフレーションが必要になる。あるいは、債務超過を埋めるための財政措置が議論されたり、発動される場合には、その規模、タイミング、是非等について財政当局等の裁量権や介入余地が強まり、物価安定とは必ずしも整合的でない政策目標が中央銀行行動を縛る可能性がある。

 例えば、1980年代から90年代にかけて、ベネズエラ中央銀行は、実勢から乖離した為替レートを用いた輸入補助金、輸出税の仕組みへの関与、また金融危機(1994-95年)の処理費用の一部の負担等から債務超過に陥った。この後、拡張的な財政政策もあって加速したインフレを止めるため、金融引締めに転じたが、そのプロセスで発行した高金利の中央銀行手形が同行の収益を圧迫し、結局引き締めを断念、インフレを放置せざるを得なくなった。4

 ジャマイカ銀行も1980年代から90年代半ばにかけて類似の経験をしている。1980年代前半に政府の産業政策的な措置に対する協力の結果、多額の外貨建て債務を負っていた。このため、80年代半ばに自国通貨が減価すると外貨建て債務の利払負担のため、大幅な赤字を計上するようになった。このため、政府は国債の贈与による穴埋めを実行したが、無利子国債であったため期間収益の改善にはつながらず、同行は債務超過に転じた。この間、インフレが高進し、同行は自行CDの大量発行により流動性の吸収に努めたが、金利の上昇下での債務発行は期間収益を更に苦しくし、インフレを止めるだけの強力な引締めを実行することが出来なかった。

 旧フィリピン中央銀行も類似の経緯から債務超過に陥るとともに、インフレが進行したが、政府の政策への協力を余儀なくされ続けたため、インフレは放置された。5

 他方、中央銀行の債務超過が必ずしも高率のインフレにつながらなかったケースもある。 チリ中央銀行は1997年から2000年にかけて債務超過に陥った。しかし、2000年のインフレ率は4%以下と物価安定は維持された。その理由としては、1997年頃まで財政政策が極めて緊縮的に運営され、ある程度拡張的な金融政策と合わせてもマクロ政策全体としては安定的なものであったことが指摘されている。6 7

 中央銀行の財務基盤が悪化することは、物価安定だけでなく、政府の銀行、決済システムの円滑性の維持という中央銀行の役割を脅かすことにもつながるリスクがある。Stella (2002)は、中央銀行の財務が極端に悪化すると、金融取引が正規の決済システムを通じて行われなくなる、従って、決済の効率性が低下する例が多いと述べている。

 このように各国の経験を振り返ってみると、中央銀行にとって、健全なバランスシートを保つことは、一般論としては、その責務を全うするための必要条件でも十分条件でもないが、必要条件に近いような状況もしばしば存在したというような評価ができようか。

3 Dalton and Dziobek (1999), Jacome (2001), Mackenzie and Stella (1996), Vaez-Zadeh (1991)他、各国中央銀行年報。

4 同様の例は1989年のアルゼンチンである。

5 ただし、この場合は政府の政策への協力が債務超過とインフレ双方の原因となったという解釈の方が適切と見られる。

6 類似のケースとして、1997-98年前後のインドネシア中銀の例がある。同行は、金融危機に際して民間金融機関に実施した融資が焦げ付き、債務超過に陥った。しかし、「財政均衡法」が成立し、拡張的な財政政策が採用されなかったこと、IMFプログラムの影響もあり、金融政策もその後安定的に運営された結果、高率のインフレには至らなかった。

7 1970年代後半のBundesbankの債務超過は、通貨高が外貨準備の評価額を下げた結果であるが、程なく為替レート高が一服し、債務超過も解消されたため、金融政策には重大な影響を与えなかった。


3、理論的背景

 前節のような自己資本と中央銀行に関する経験的事実の整理をもう少し理論的に考察してみよう。例えば、財務悪化に直面した中央銀行を救済する財政当局は金融政策に介入する誘因を持つと指摘した。しかし、中央銀行が何らかの理由で債務超過に陥ってしまった場合、その損失を穴埋めしてもしなくても政府の予算制約に与える影響は理論的には同じだと考えることができる。これは政府が中央銀行と一体となったバランスシートで物事を判断していると考えればわかりやすい。そうで無い場合には、債務超過を埋め合わせるための資本注入を実施すると、これは例えば国債発行増でまかなわれなければならない。しかし、注入された資金で中央銀行がちょうど追加発行された国債を購入するとすれば、キャッシュフロー上の負担は発生しない。中央銀行保有の国債に対する利払いは納付金として政府に還流するので、将来も追加的な利払い負担は生じない。

 以上のような考え方に加えて、中央銀行の債務超過のような状態に対する政府の姿勢について、メルツァー(1999)は、「日本銀行の債務返済能力を損なうような事態が発生した場合に政府がこれを補填して日本銀行を支える保証について、何らかの疑念があると信じる理由は無いと考える。これまで中央銀行が債務不履行に陥ったことはないし、責任ある政府がこうした事態の発生を許すことはないと考える。中央銀行の破綻とはいったいどういうことを意味するのかが私にはわからない」と主張している。

 しかし、こうした考え方は中央銀行と政府との関係、政府の予算策定プロセス等に関するかなりナイーブな理解に基づいたものといわざるを得ない。そもそも中央銀行の債務超過を埋め合わせることがかりに物価安定のための金融政策遂行に資するものだとして、政府サイドはそれを素直に実行するのだろうか。そうだとすればそもそも中央銀行の政府からの独立性というテーマ自体が存在していなかったはずである。政府サイドが好ましいと思うインフレ率が必ずしも国民にとって望ましいものではないリスクに鑑みて中央銀行の独立性というテーマが存在するのである。8

 政府サイドの予算作成部局においても中央銀行との統合バランスシート、あるいはある長期間全体を通しての予算制約を見るという「合理的な」行動だけでは済まない局面、理由も多い。予算の単年度主義、利害関係者の多様性、複雑性等から通常の組織区分、歳出・歳入の項目区分を越えた調整はコストが大きい。例えば、財政当局にとって、納付金収入は時系列的に安定していることが望ましいし、他の歳入項目との差し替えも調整コストを発生させる。

 以上のような技術的な理由で、仮に政府サイドにとって中央銀行の債務超過を埋め合わせることが財政上は本質的な負担を発生させないとしても、そうした行動に出ることは必ずしも容易ではないかもしれない。また、より本質的に、政府が近視眼的に高いインフレ率を目指そうとしている局面では、資本再注入を契機として中央銀行の物価安定化努力に対する介入を招く可能性が高い。

 中央銀行が通貨発行益を稼げるので一時的に債務超過になっても大丈夫という議論もそのままは受け取れない。会計上の債務超過が続く間は、多くの場合中央銀行の監督官庁である財政当局からのさまざまな介入が発生する可能性がある。より本質的には適度のインフレ率の下で稼ぐことのできる通貨発行益は有限である。9 短期間に通貨発行益に頼って債務超過を脱しようとすれば、物価安定の目標を犠牲にして高いインフレ率を目指さなくてはならない。

 そもそもこうしたさまざまな事態を恐れて、債務超過に陥る前からその可能性を高める引き締め政策を躊躇してしまうリスクも無視できない。さらには中央銀行の財務の悪化が民間の投資家の中央銀行・通貨に対する信認を低下させ、通貨価値の下落を招くというよくある主張もこうした脈絡で理解することが可能である。

 他方、こうした議論、あるいは前節の例から明らかなように、中央銀行の財務悪化がその物価安定化のための努力を阻害する程度は中央銀行と政府の関係に依存しており、一定不変のものではない。従って、中央銀行がどの程度の資本をもてば良いかという問いにもユニークな答えはないはずである。10 ただ、中央銀行と政府がお互いに納得できるような適切な自己資本水準、ないしその計算式が存在することは両者の間の調整費用を節約することに資する局面もあるだろう。

 まとめれば、政府と中央銀行との間では、例えば目標インフレ率に相違が発生する可能性がある。中央銀行のオペレーションは必然的に財政当局の歳出、歳入に影響を与える。これはネットの(歳出−歳入)に影響する場合もそうでない場合もあるが、いずれのケースも財政当局にとっては重大な関心事である。これらの理由で発生しうる政府や財政当局と中央銀行の間の緊張関係は、中央銀行の財務状態が大幅に悪化する場合には、高まりやすいのである。11

 以上のような政治経済学を前提に中央銀行のオペ手段の選択、バランスシート構造、政府との関係、そして物価安定目標達成の可能性を論じた文献にSims(2001)がある。彼は、政府が中央銀行からの納付金に一般論としてはそれほど強い関心を持たないものの、それがマイナスとなるケースについては無関心ではいられず、中央銀行との間で軋轢が生じるということを前提に、中央銀行を大まかに二つに分類する。Fタイプ(FED)は、バランスシートに主に短期政府債務を保有することにしている。従って、財務状態が大幅に悪化するということはありえない。政府との関係も概ね良好である。Eタイプ(ECB)は、リスクを伴う様々な資産を保有する結果、バランスシートの健全性を意識せざるを得ず、財政当局との緊張関係が存在する。物価の安定が脅かされるような一部のケースでは、Eタイプは自らのオペレーションでこれを防ぐことが出来るが、Fタイプは財務省からの協力の約束を必要とする。ただ、約束さえあれば、実際に援助が発動される可能性はあまり高くない。デフレや流動性の罠のようなケースでは、非伝統的オペレーションが有効かもしれないが、Eタイプはそうしたオペが原則的には可能でも大幅な財務の悪化を恐れてある程度以上は踏み込めない。

 このような分析がどの程度現実の中央銀行行動の描写となっているかはさておくとしても、本稿で議論しているような問題の一側面を正面から扱った数少ない文献であることは事実であろう。

8 政府サイドが高めのインフレ率追求の誘因を持つことの説明として、いわゆる時間的不整合性の議論がある。インフレは長期的には実体経済にプラスの影響を持たないが、金融政策運営に信頼が厚く、インフレ期待が安定している下では、金融緩和が短期的に実体経済に緩和効果をもつ。政治家はこの点に魅力を感じやすい。しかし、こうした政策を続けると、中長期的には結局、インフレ率が高まり、実体経済への影響は消えるとともに、金融政策に対する信頼も失われる。

9 名目の通貨発行益がベースマネーの増分に等しく、ベースマネー・GDP比を10%、目標インフレ率、均衡実質成長率をそれぞれ2%とすれば、通貨発行益は年間GDP比0.4%となる。もちろん、高インフレを容認すれば、通貨発行益は増える。Fry (1990)は、インフレ率を持続的に上昇させつづけないと期間収益の赤字を防ぐことが出来ない中央銀行を債務超過の状態にあると定義している。

10 あまりに多額の自己資本を中央銀行が保有することは、政府サイドにそれを流用しようという誘因を与えることになる。

11 中央銀行の財務の悪化という環境が無くても、政府と中央銀行のインフレ抑制のスタンスの違いが両者の間の深刻な対立を招いた例は多い。典型的なケースとしては、1951年のいわゆるアコード成立直前の米国の状況がある。この点については、Hetzel & Leach (2001) 参照。


4、最近の日本銀行のケース

 次に、現在の日本銀行の財務状態について検討してみよう。日本銀行が伝統的に用いている自己資本比率(自己資本÷銀行券残高)が図表2に示されている。同比率はここ3年ほどかなり低下し、日本銀行がみずからの財務の健全性の目安としている10%±2%の範囲の下限周辺にある。これは量的緩和政策の下でバランスシートの規模が拡張したこと、また金利がきわめて低い水準で推移し、それに伴って収益及び、それによって定まる準備金積み立てが伸び悩んできたことなどが主因である。12

 今後、同比率がどのような動きを示すかは、自己資本に大きな動きが無ければ、銀行券の動きに左右される。足許のような5%前後の銀行券の伸び率が今後も続くとすれば、自己資本比率は一段と低下する。他方、銀行券のGDPに対する比率は現在平時の2倍近くになっている(図表3参照)。いずれこの比率、従って銀行券の伸び率も大きく低下すると見れば、自己資本比率が上昇に転じる可能性もある。

 より大きな問題は資本部分にどのような変化が予想されるかである。 日本銀行はここ数年間通常では考えられないような様々なリスクをとったオペを実行しており、そのつけが発生するリスクがある。日本銀行が現在保有する最大の資産は国債である。2003年10月20日時点での長期国債保有高は約64兆円に達した。これに対して日本銀行の自己資本は約5兆円しかない。従って、金利が大幅に上昇して保有国債の評価額が10%ほど低下すれば、日本銀行は実質債務超過に転じる。

 ただし、ここでの債務超過の意味は微妙である。現実には日本銀行は過去30年間ほど長期国債を売却していない。また、民間及び公的企業の会計原則が変わりつつあるのに合わせて、国債の評価方法も、低価法から償却原価法へと平成16年度から変更される。仮に満期まで保有する国債の保有期間中の含み損は気にしないということであれば、財務の健全性との関連では、近い将来日本銀行が保有している国債を大量に売却する必要に迫られるかどうかという点が焦点になる。13

 もしも何らかのメカニズムでデフレが終息した場合に、その後、適度なインフレ率に着地させるための金融調節の姿はどのようなものになるだろうか。これはそうした状況下でベースマネーに対する需要がどのように推移するか次第で大きく異なる。現在の時点で、ある程度以上の正確さでこの点を予測するのはきわめて難しい。ただし、そこそこのベースマネー水準の引き下げ、それに伴う国債売却による実現損を覚悟しなければならないかもしれない。ただ、この場合でも国債売却によらずに、売出手形を発行して資金吸収を進めるという手段もある。この方式によった場合は、売出手形の金利が資産サイドの国債の利回りを上回った場合にロスが発生することで済む一方、国債のアウトライトの売却に比べれば会計上のロスは少しずつ長い期間にわたって発生する可能性が高い。このように考えると、以上のようなメカニズムで、量的緩和策からの脱出期に日本銀行が会計上債務超過に陥る可能性は、それほど高くないといえようか。またもしも一時的に債務超過に陥ったとしても、それがあまり多額ではなく、平常時に戻った後の期間収益を利用して比較的速やかに債務超過状態が解消される可能性もあろう。14

 言い換えれば、現在の状態で更なる国債の購入が不可能であるというような状況に日本銀行があるわけではない一方、ここからの国債購入がきわめて大規模になった場合には、以上で議論したリスクが顕現化する可能性は高くなるわけである。

 日本銀行が保有するその他のリスクアセットとしては外国為替と株式がある。外国為替の保有高は、2003年10月時点で4.3兆円。株式は2兆円弱である。従って、それぞれの資産一つだけの評価損で債務超過になるということはありえない。しかし、これらの資産の通常考えうる範囲の価格変動は、無視できない影響を日本銀行収益に与えるという点も明らかだろう。15

12 債券の現先取引の評価方法が、売買から金融取引へと変更になり、これに伴って債券売却益が出なくなったことも影響している。売却益の一部は債券取引損失引当金に積むという運用がなされていた。例えば、平成11年度には約0.8兆円の長国関係損益の5割を引当金に積んでいる。また、最近数年は日銀当座預金の急速な伸びもあり、銀行券の伸びを上回って日銀のバランスシートが膨らんでいる。このため、総資産対比で見た自己資本比率はさらに低下している(図表1参照)。

13 もちろん、国債の売却の可能性と償却原価法の採用との関係は微妙である。

14 債務超過にはならなくても自己資本比率が著しく低下した場合、あるいは債務超過になった後、期間収益で繰越欠損金を処理した後、どの程度のプラスの比率まで、どのような方法で同比率を引き上げられるかという問題は残る。Fedの場合には、期間収益が赤字になった場合には、余剰金勘定を用いて収益をバランスさせる。その後の期間収益は、余剰金勘定が払込資本金の水準に戻るまで、国庫に納付しないというルールとなっている。(Goodfriend(2001).)

15 平成14年度の日本銀行の経常収入は1.67兆円、経常利益は6,620億円である。また、この他に平成15年度より資産担保証券の購入を開始したが、その残高はまだごくわずかである。


5、結論

 現実の政治経済の中では中央銀行はその財務状態が著しく悪化すると、物価の安定(特にインフレーションの抑制)という責務を果たせなくなるリスクが存在することを指摘した。政府は、時として短期的な判断から過度の金融緩和政策、それによる景気拡大を狙うことがある。財政当局は、やはり時として高インフレによる通貨発行益嵩上げを狙うことがある。こうした要求が通る可能性は、中央銀行の財務状態が悪化し、政府による支援を仰がねばならないときには高くなる。

 現在日本銀行の財務状態が著しく悪化しているわけでもなければ、近い将来のインフレ率の大幅な上昇の可能性、それを抑制するオペレーションの必要性に直面しているわけでもない。当面の課題は、もちろんデフレの阻止である。また、この点に関して政府と問題意識は共有されている。

 それではインフレリスクが低い現状では財務の健全性に配慮する必要は無いかといえばそうではない。繰り返しになるが、ここ数年間日本銀行はデフレ克服、傷ついた金融の仲介機能を補強するために、様々なオペレーションを展開してきた。そうしたオペで取得した資産の一部(例えば株式)は、デフレが克服できなければ、大幅な価格下落に見舞われるものである。また、別の資産(例えば、国債)は、デフレ克服に成功すると資産価値が下がる可能性が高いものである。双方の資産を保有していることで、ある種のリスク分散効果が得られているものの、いずれの資産もある程度以上の保有額になれば、経済の動向次第によってはそれ単独で日本銀行の財務を大幅に悪化させる可能性がある。前節で検討したように、現在こうした領域に到達しているという蓋然性はそれほど高くは無いと見られるが、デフレ克服に時間がかかり、その間一段の積極的なオペ対応を実施するとすれば、こうした蓋然性は必然的に高まる。ここまでの議論を前提とすれば、その際には、積極的なオペに伴うリスク負担のあり方について政府との何らかの事前協議が必要になるかもしれない。

 Bernanke (2003)は、日本銀行による一段の積極的な国債買いオペ実施に際しては、政府が日本銀行に対してその保有国債を変動利付債に転換する権利を与えることによって、上記の問題を解決できると述べている。確かに、これは日本銀行サイドにとっては、前もって将来の財務悪化の際の収益支援、資本注入のオプションを得ることに等しい。それでは政府側にこうしたオプションを日本銀行に与えるインセンティブがどの程度あるだろうか。もちろん、デフレ克服が大目標であり、上記オペがそれに役に立つとの前提なら、そのことは強いインセンティブとなる。しかし、越えなければならないハードルもある。

 金利が上昇した際には、既存債務の変動利付債への転換は、とりあえず、歳出増大要因となる。もちろん、先に議論したとおり、これが日本銀行からの納付金の増大で打ち消されるなら、財政全体への影響は中立的である。しかしながら、実質的に資本再注入に事前にコミットすることによって、財政当局、あるいは政府は金融政策への関与の機会を減らすことになる。やや小さい問題だが、利払費増、納付金増の組み合わせが中立的かどうかも自明ではない。そもそもこうした点を政府が全く気にせずに資本再注入のコミットメントをするものであるなら、中央銀行の独立性というテーマはそれほど重要なものとならなかっただろう。16

 付け加えれば、このケースで日本銀行が変動利付債に転換した債券を保有し続ければ、実質的に政府に追加金利負担は発生しないが、この債券を日本銀行が売却することになればそうではない。既に議論したように、デフレが克服されるまでの日本銀行の国債保有残高の増加度合い、その後の物価動向によっては大幅な資金吸収、債券売却を日本銀行は実行しなければならないかもしれない。そうした可能性をも考慮に入れるとすれば、財政当局がこうしたオプションの付与に安易に応じるとは考えにくい。逆にいえば、困難な交渉が予想される例えばこうしたオプションの付与といった措置が講じられれば、デフレが長期化する場合に、日本銀行は今以上の大規模な緩和措置に踏み切りやすくなるだろう。

 日本銀行は、1998年の新日銀法施行とともに、それまでのように財務的に政府と一体という色彩を薄めた(脚注16)。政策的にも独立性を高めた。他方で経済はデフレ色を強め、日本銀行は様々なリスクの高いオペを実行し、Sims(2001)流に言えば、タイプFの中央銀行は保有しないような資産を保有するようになった。その意味ではタイプEの中央銀行に近づいたといえようか。ただし、Simsの議論は、どちらのタイプが将来起こるかもしれないインフレ、デフレショックにどううまく対処できるかという点についてである。日本銀行はデフレ進行の中で、タイプE型のバランスシートとなった。今後、デフレを阻止するとともにその後の過度のインフレをも避ける責務を負っているわけであるが、自らの財務の問題がその足かせにならないような政策運営が今後の課題である。17

 以上、様々なオペ手段はリスク・リターンという観点からは異なった性格を持ち、どういう時にどのオペが、あるいはそれぞれをどう組み合わせることが財務の健全性という観点からは得策かという観点を中心にここでは議論を進めてきた。しかし、いうまでもなく、中央銀行にとってオペ手段間の選択の基準としてより重要なのは、それぞれの手段が、金融政策の本来の目的、すなわち、物価の安定化に対してどの程度の有効性を持つか、そうした効果を発揮する過程において市場における資源配分機能をいかに阻害しないかという点である。18 ここでの議論が、財務の健全性のみを突出させて日本銀行が金融政策を決定しようとしていることを、意味するものではない点を強調しておきたい。

 最後に一言付け加えておきたい。繰り返し指摘したように、以上の議論は各経済主体、政策担当者が、格別のコスト無しに合理的な意思決定を下せるという世界では重要性が低いものが多い。しかし、現実には意思決定のコスト、時間的視野の違い、経済外的要因等の存在により中央銀行の独立性の是非、自己資本の重要性の有無を含めた理論的にも興味深く、現実にも重要な問題が存在すると考えられる。こうした問題に経済学者の方々の関心が向かうことを願うものである。

16 日本銀行の独立性が低かった旧日銀法時代には、その附則において日本銀行が準備金を使用しても「なお毎事業年度に生じた損失を補填するに不足する場合には、政府は、その不足額に相当する金額を補給しなければならない」と規定されていた。

17 図表4が、ここ6年間の日本銀行のバランスシート構造の変化を示している。長期国債、株式等の資産の比率が上昇していることがわかる。

18 いわゆる非伝統的なオペレーションの一部である民間債務や株式の購入が、完全に資源配分に中立的であることはありえないだろう。こうした財政政策ともオーバーラップするようなオペを政府ではなくて中央銀行が実施することの意味、損が発生した時の処理のあり方等の難しい問題には、本稿では十分に立ち入ることが出来なかった。


参考文献:

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