最近の金融経済情勢と金融政策運営
――2003年11月13日、岡山県金融経済懇談会における植田審議委員基調説明要旨
2003年11月13日
日本銀行
図表は、こちら(ko0311c.pdf 69KB)から入手できます。
[目次]
1、今回の景気回復パターン
2、構造問題:景気回復の足枷か、回復の加速要因か
3、経済・物価の将来展望
4、当面の経済政策運営
参考文献
1、今回の景気回復パターン
景気は緩やかな回復過程にある。ここ2年ほどの経済の動きを振り返ってみると、2002年1月頃の景気の底から、2002年を通じて、及び2003年第III四半期からと、2回にわたっての輸出の力強い上昇があり、それが経済の各所にプラスの効果をもたらしてきたということができる。ある程度の波及効果があったと見られること、2002年には消費の伸びが思った以上であったことなどから、成長に対する寄与度で見ると、内需主導の回復という見方が可能なほどである。現在は、その2番目の上昇局面がスタートしたところである。
第一波の2002年を通じての輸出の上昇のほとんどは対東アジア向けであり、対中国向けだけでも全体の半分近くを占めた。背景としては、世界的なIT関連品の在庫補填の動き、世界的な中国への生産拠点移転に伴う様々な派生需要、米国経済の回復に伴う需要増等をあげることが出来る。輸出の増大に加えて、賃金の下落傾向の中でも消費が堅調、すなわち、消費性向が上昇したことがさらに経済を下支えした。1
1 例えば、名目家計最終消費支出を雇用者報酬で割った比率は、2001年の1.011から2002年には1.034へと上昇している。 輸出・消費の堅調さは、生産・企業収益の上昇、さらには緩やかな設備投資の増大、雇用・賃金の安定化等のかたちで経済の他の部門に波及していった。輸出自体は2003年前半にはSARS、米国の対イラク戦争などの要因から一旦伸び率を低下させた。2 しかし、その他の部門への波及の動きは、例えば今年夏のボーナスの下げ止まり傾向、GDP統計上は4四半期連続の設備投資増大など継続している。
2 ただし、中国向け輸出が大きく伸び率を低下させたのは、今年の第2四半期だけである。 一旦今年前半に伸びを低下させた輸出は、7月以降増大傾向に戻り、第3四半期の対前期比実質輸出の伸び率は3.8%を記録した。地域別には再び東アジア向けが中心であり、情報関連財、資本財・同部品の伸びが目立っている。背景としては、中国を中心とする東アジアが、SARSの影響を軽微に乗り切り、力強い成長軌道に復帰したことがある。IT関連の荷動きが活発になってきている。中国の世界の生産基地としての成長による派生需要だけでなく、中国の消費がテークオフ局面に入っていることも大きい。これに加えて、家計と財政からの需要で支えられてきた米国の企業部門に前向きの動きが出てきている。設備投資がハイテク中心に、第2、第3四半期と増加に転じ、耐久財受注等から判断して足許でも増勢が続いていると見られること、8月以降3ヶ月連続して雇用が増大していること等である。日本の米国向け輸出は第3四半期全体では対前期比減少したものの、9月にはかなりの増加傾向に戻ったこと、また日本から直接米国向けではなく、米国経済の好調が東アジア経済を刺激し、それが日本に及んでくるというパターンが重要性を増しつつある(図表1参照)ことから判断しても、米国経済動向が依然として日本にとって重要であることは間違いない。
しばらく低迷を続けていた生産も9月に入って再び増勢に転じ、輸出が国内経済にも好影響を与え始めていることが確認できた。米国・中国両経済が当面強いと見られることから、去年から今年前半にかけて見られたような、輸出の伸びが国内の様々な部門、需要項目にプラスの影響を与えていく好循環が、しばらくは続く可能性が高いといえよう。
国内については以下でもう少し詳しく検討することにして、海外についてのリスク要因を検討しておこう。対イラク戦争は一応終息したものの、地政学的リスクには依然注意が必要である。米国経済は足許力強さが確認されているが、その来年入り後の持続性(すなわち、家計需要の低下のスピードと、企業需要の持続性)については不確実性が残っている。双子の赤字のドルに対するインプリケーションも依然懸念される。中国経済については、むしろ過熱リスクを意識した政策当局が広い意味の引締め政策に転じており、それによる来年のスローダウンがどの程度のものになるかという問題がある。
2、構造問題:景気回復の足枷か、回復の加速要因か
金融機関の不良債権問題、借手の過剰債務、過剰設備等の構造問題の深刻さが指摘されて久しい。1990年代半ば以降の何回かの景気回復局面では、こうした構造問題が景気回復を短命に、あるいは弱々しいものにした。この点、今回はどうだろうか?
1980年代後半以降の日本経済の動きを振り返ってみると、バブルの生成の過程で企業家の将来期待がきわめて楽観的となり、様々な投資、それに伴う債務が拡大した。その後、こうした楽観論が根拠薄弱であることが判明すると、株価や地価のような資産価格が急落するとともに、過剰設備・債務の存在が顕現化した。徐々に設備投資も伸び率を低めた。資産価格の下落は、土地担保融資、株式の含み益に依存する日本の金融仲介メカニズムを直撃し、資産価格、投資、金融システムの調整をより厳しいものにした。3
3 こうした見方については、植田(2003)参照。 理論的には、こうした調整は次のようなプロセスを経て終了する。まず最も容易に動く変数である資産価格が十分に調整され、下げ止まる。その後、資産価格は緩やかに上昇に転じるが、設備投資の調整や不良債権処理は時間をかけて続けられる。設備投資が伸びないこと、あるいは設備の除却によって資本ストックが減ると、徐々に利潤率が回復を始める。十分に実体経済側で利潤率が回復するとともに、金融機関側にも新規融資の体力が戻ることによってようやく調整は終わる。もちろん、何らかの技術進歩があり、前向きの利潤率回復の動きが起これば調整はより早く終了する。
代表的な資産価格として、株価の動きを見てみよう。足許の株価は本年5月から若干の反発に転じている。この上昇は前節で見たような景気回復の動きを好感したものだが、株価自体の長期間にわたる調整がかなり進捗したことをも反映していると見られる。図表2は、日米の過去20年程度の株価収益率(株価÷予想収益)を示している。米国については、1990年代後半から2002年にかけての上昇程度しか大きな動きは見られない。これに対して、日本は1985、6年に30倍前後を越えた後、一段と高い水準での上下が続き、いわゆるバブルの崩壊後も、株価が収益対比で調整されたという証拠はない。それが2002年後半からの調整を経て、ようやく過去20年間では最低、そして、ほぼ世界標準のバリュエーションに近づきつつあるといえよう。
また、借手の過剰債務問題にある程度の進捗が見られることはよく知られている。図表3で見ると、中小企業を除き、債務残高の対キャッシュフロー比率は、1990年代前半から半ばにかけての大幅な上昇分を打ち消した形となっている。4 図表4は製造業の生産能力指数を示しているが、1997年末以降低下を続け、2002年からは急落の傾向にある。すなわち、設備廃棄もかなり進んできている。このように調整が進んでいる部分も見られる反面、企業の利益率自体は必ずしも大幅には改善していない。上場企業の収益は最高益を更新中だが、経済全体で見ると利益率(例えばROA)はまだ極めて低い。5 図表5にあるように、大企業製造業のROAには若干の回復傾向が観察されるが、その他セクターの利益率は低いままである。また、労働分配率も製造業では若干の低下を見せてはいるが、歴史的にはまだ高水準であるし、非製造業でははっきりした低下傾向が見られていない(図表6)。
4 同図にあるように、利払費の対キャッシュフロー比率はさらに低下しているが、これは史上最低の金利水準によるものであり、負債残高から見られるように、一部企業は依然として金利上昇に対して脆弱であることとは矛盾しない。
5 株価収益率はその逆数をとれば、株式市場を通じて企業の資産を取得した場合の利益率を示している。既に見たように、これはある程度改善されてきている。他方、通常のROAやROEは取得価格ベースの資産ないし払込資本金に対する利益率を見ている。これが低いということは(過去の平均と現在とで投資財価格が大差無いとすると)新規投資に伴う利潤率がまだ低いことを意味する。ただし、投資財価格も(株価ほどではないが)低下してきており、新規投資の収益率はこうした指標が示すよりは高めであると考えられる。 このように非金融企業回りの調整を眺めると、資産市場での評価はかなり良い水準にまできているが、新規投資の利潤率についてはまだ低めだといえようか。それでもここ1年ほど緩やかな設備投資の増勢が続いている。こうした状況について、中村(2003)は、低収益性(=過剰設備)の調整は始まったばかりだが、新しい成長分野が現れやすい電気機械や通信では過剰設備があっても新規投資が抑制されにくいこと、相対的に成熟化が進んだ自動車や鉄鋼では事業再編や最近の需要堅調を背景に設備の過剰度が大きく低下し、前向きの投資が活発化していること、ただし非製造業や中小企業では今後の調整負担がまだまだ大きいことを指摘している。
不良債権問題にも若干の進展が見られる。図表7は、自己査定による債務者区分で要注意先以下の債務者に対する債権額だが、全国銀行ベースでも主要行ベースでもここ1年ようやくはっきりと減りはじめている。これに加えて株価の上昇もあり、銀行の貸出スタンスはやや前傾化している。図表8は、日本銀行による「主要銀行貸出動向アンケート調査」の結果だが、幅広い債務者相手に銀行の貸出態度が積極化の方向へ動いている。もちろん、不良債権は減り始めたといってもまだ大量に残存している。銀行の貸出スタンス積極化は、既に低い水準にある利鞘の低下を伴っており、中長期的に健全な動きかどうかは今のところ不明である点、これも含めて銀行自身の収益力強化のためのビジネスモデル模索の動きは始まったばかりである点等に注意は必要である。
以上の構造的諸問題に関するレビューは次のようにまとめられようか。1990年前後の経済活動の様々な行き過ぎ、高すぎた資産価格、過剰設備・債務等については、経済に自動的にこれを解決する仕組みが備わっている。すなわち、多すぎるもの、高すぎるものについては、経済主体の判断により自然と適切な水準にむけての調整の動きが起こる。ただし、調整のスピードは経済主体の所得、収益、自己資本等の調整のバッファーの強さ、また取り巻く環境が調整促進的かどうかに依存して一様ではない。それにしてもゆっくりとした調整であっても、10年の単位で進めば、ある程度のものが達成されるということである。
従って、こうした調整の少なくとも一部分については、最悪期は脱し、経済の足を引っ張る度合いは多少なりとも弱まっているといえよう。しかし、依然として越えなくてはいけない高いハードルが随所に残っているのも確かであり、全体としての経済の動きがどの程度の強さになるかは、上向きの力と足を引っ張る構造的な調整圧力との綱引きだという点にこれまでと変わりはない。
3、経済・物価の将来展望
以上のような実体経済認識に基づいて、日本銀行は10月31日付で政策委員の当面の経済・物価見通しを発表した。その特徴は、2003年度、2004年度とも政策委員の大勢見通しが、実質成長率で2%台半ばの高めのものであること、他方インフレ率見通しは消費者物価指数(除く生鮮食品)で見て、今年は<−0.3%〜−0.1%>だが、来年度も<−0.5%〜−0.2%>とデフレ傾向が継続するというものである。
実質成長率見通しが高めなのは、ここまでに述べたような景気回復に関する見方を反映して、輸出、設備投資が経済を牽引する姿を想定しているからである。しかし、残存する構造問題にも妨げられ、GDPギャップの縮小ペース(経済が潜在成長率を上回って拡張する程度)は小幅に止まる。小幅なGDPギャップの縮小による物価上昇圧力は、今年度消費者物価指数を嵩上げしているいくつかの一時的な要因(医療費自己負担・たばこ税の引上げ、昨年の電力料金引下げの反動、10月頃から予想される米価格の上昇等)が、来年度にかけて消滅してデフレ率が拡大する力を下回り、来年度にかけてデフレ率はわずかながら拡大する。
それにしてもわれわれの実質成長率見通しが楽観的に過ぎるのではないかとの見方も寄せられた。ただ、この点についてはわれわれがGDP統計に関する見方を最近修正したことによる面が強い。すなわち、パーシェ型の物価指数であるGDPデフレータは、コンピューターなど継続的に価格が下落する品目のウエートを基準年から遠ざかるに従って過大評価する傾向がある。このため、価格指数に下方バイアスが生じやすいわけである。現在のGDP統計の基準年は1995年であり、深刻なウエートのずれが発生している可能性が高い。逆に、名目GDPをデフレータで除して得られる実質GDPには上方バイアスが生じる。こうしたバイアスの所在は前から知られていたが、最近の複数の研究によればバイアスは思った以上に大きい。6 発表された政策委員の成長率見通しもこうしたバイアスを織り込んだものである。7 この意味で、成長率見通しは経済の実勢を過大評価したものとなっており、数値が与える印象ほどの楽観的な見方が背後に存在する訳でもないし、GDPギャップの縮小の程度も限られたものである。8 付け加えれば、GDPデフレータの低下率が過大推計となっているからといって、デフレが急速に解消しつつあるということでもない。よりはっきりと下落率がゼロに近づいている消費者物価指数には逆の上方バイアスが存在している(脚注7参照)。
6 例えば、モーガン(2003)は、「今年第II四半期の実質GDP成長率は、(対前年比で)0.9〜1.4%ポイント過大評価されている」可能性を指摘している。
7 消費者物価指数はいわゆるラスパイレス型であるため、GDPデフレータと同様のバイアスはない。他方、ラスパイレス型であることによる上方バイアスが存在することが知られている。
8 GDPギャップの縮小の程度を推計するには、成長率見通しをバイアス込みの潜在成長率見通しと比較するか、バイアスを含まない成長率、潜在成長率見通しを作成する必要がある。いずれにせよ、GDPデフレータ算出に際して、連鎖型物価指数方式の採用など、バイアスを小さくする工夫が望ましい。
4、当面の経済政策運営
政策委員会は10月31日の見通し公表に先立ち、10月10日の金融政策決定会合において、現在の「量的緩和政策」の下でのコミットメントをより明確化することを決めた。すなわち、現行の枠組みは、足許の消費者物価指数(除く生鮮食品)の対前年比が、数ヶ月間ならしてみてゼロを超えてくること、また政策委員の同指数変化率見通しがゼロを超えるようになるまでは少なくとも続けられる。さらにこれらの条件が満たされた場合でも、何らかの理由で量的緩和を続けることが適当と判断されれば、同政策が継続される。前節で説明した見通しと、このコミットメントを合わせて判断すれば、現在時点では政策委員の大勢が、少なくとも見通し期間中の量的緩和策の継続を念頭においていることになる。
実はここで示されたコミットメントほど明確に自らの将来の金融政策変更の条件を明らかにしている中央銀行は無い。もちろん、かなりの国においてインフレーション・ターゲティングの枠組みが採用されている。その場合、基本的には将来のインフレ率の見通しが現在の政策の重要な決定材料となる。しかし、ある特定の期間のインフレ見通しがX%を超えればYという政策手段を発動する(あるいは超えなければ発動しない)というような明確な公約をしている中央銀行は他に存在しない。この理由としては、一部の中央銀行は、狭い意味でのインフレ率の安定化のみを追求しているわけではないことを指摘できよう。また、ある期間後のインフレ率に関心があったとしても、そこへのインフレ率の道筋、その後の動向にも関心を持たざるを得ないだろう。言い換えれば、長い期間にわたっての物価安定に責務を負う中央銀行にとっては、5年後のデフレを避けるために、2、3年後の若干のインフレを甘受するというような判断も有り得るからである。9
9 2003年9月16日のFOMC議事要旨は、FEDが現在弱い形での時間軸政策を採用していると見られるにもかかわらず、こうした将来の金融政策についてのコミットメントを行うことに対する反対論がかなり強かったことを示している。 こうした類を見ない強いコミットメントは、時間軸効果により現在の景気回復をサポートし、デフレ克服への道筋をつけようという日本銀行の強い意志を現している。10 量的緩和への強いコミットメントは、将来における金融政策の次のステージへの移行を遅らせてしまう可能性を内包するものではある。しかし、デフレが弱まりつつあるとはいえ長期化している状況下では、こうした可能性に伴うコストは、強い時間軸効果で得られるベネフィットを下回っているという判断が背景にある。また、さらに引き続き、まだ十分には回復していない金融仲介機能を側面から支える手段が無いかどうか模索していきたい。
10 より強いコミットメントとしては、(インフレーション・ターゲティングに対して)いわゆる物価水準ターゲティングが考えられる。この下では、ある特定の目標物価経路を想定し、そこへ現実の物価経路が到達することを政策の目標とする。従って、現実の経路が目標を下回るほど、将来はより高いインフレ率が必要となる。こうした政策を主張している例としてEggertsson & Woodford (2003) がある。しかし、こうした政策には、現実にデフレが長引いた結果、例えば5-10%のような高率のインフレが必要になった場合に、実際にインフレ率が高まりはじめた時に、政策当局はそうした高率のインフレを容認しない可能性(時間的非整合性の問題と呼ばれる)、従って枠組み全体が信頼されないリスクが存在する。
参考文献
植田和男(2003)「日本の「デフレーション」と政策対応」奈良県金融経済懇談会における説明要旨、日本銀行ホームページ。
中村純一(2003)「設備投資はこれまでのように景気を牽引するか」『エコノミスト』、11月18日号。
モーガン、ピーター(2003)「デフレと成長率」HSBC証券、東京支店調査部。
Eggertsson, G. & M. Woodford (2003) "The Zero Bound on Interest rates and Optimal Monetary Policy," Brookings Papers on Economic Activity, Vol.1.
Federal Reserve Board (2003) Minutes of the Federal Open Market Committee, September 16.
