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量的緩和政策について1
その暫定的評価と今後の課題
(社)金融財政事情研究会における須田審議委員講演要旨
- 1本稿は、神戸大学金融研究会(2003年9月27日)および(社)金融財政事情研究会(同12月5日)において行った講演の内容を取りまとめ、加筆修正したものです。
2003年12月17日
日本銀行
目次
1.はじめに
日本銀行政策委員会審議委員の須田美矢子です。私は2001年4月1日に審議委員に就任しましたが、その10日余り前の3月19日に日本銀行は量的緩和政策に移行しました。したがって、私は量的緩和政策とともに歩んできたといっても過言ではありません。これまで2年半余り行なわれてきた量的緩和政策の小括を、公表資料を参考に、行ってみたいと思います。具体的には、量的緩和政策を導入するに当っての当初の狙い、その狙いと現実との違いなどにスポットを当て、量的緩和政策について暫定的な評価を行うとともに今後の課題についてお話をさせて頂きたいと思います。
2.量的緩和政策採用時点での議論
量的緩和政策の導入時点では、「ゼロ金利政策」に戻ることも選択肢の一つでしたが、なぜ「量的緩和政策」を採用したのでしょうか。その理由の一つは、「市場機能の維持」です。ゼロ金利政策の下で失われてしまった市場機能を、量的緩和政策を採用することにより、維持していきたいとの考えがありました。ただし、量を一定にすると「金利」が大幅に振れる可能性があるので、それを防ぐために、「なお書き」が導入されました。通常のなお書きは、「なお、資金需要が急激に増大するなど金融市場が不安定化するおそれがある場合には、上記目標にかかわらず、一層潤沢な資金供給を行う」というものです。
もう一つの理由は、量的緩和政策を採用すれば、先々「量を増やす」という選択肢がありますので、ゼロ金利の場合と違って、金融政策の打ち止め感がないということです。ただ、当時は「量を増やす」ことが本当に実現できるかどうか不安がありましたので、長期国債買い切りオペの増額を、目標達成がむずかしいと判断される場合の対策として位置づけることにしました。
量的緩和政策の量自身の効果については、「量を増やす」ことがポートフォリオ・リバランス効果などの効果をもつのか、また期待に働きかける効果があるのか、導入時点では良くわからなかったようですが、長めの金利に働きかける「時間軸効果」の重要性ははっきりと認識されており、その強化がはかられました。
以下、当時の議論について、もう少し詳しくみておきたいと思います。
2.1.市場機能の維持
量的緩和政策採用直後に日本銀行のホームページに掲載されたQ&Aによると、新しい金融調節方式のもとでは、「コールレートがゼロ%近辺となる日が多くなると予想されますが、資金需給が逼迫する際にはある程度上昇したり、信用リスクの差が金利に反映される余地も広がります。いわば、市場メカニズムをできるだけ損なわないように配慮しつつ、「ゼロ金利政策」の有する金融緩和効果を実現することを狙った政策」とあります。このことからも量的緩和政策を選んだ理由に「市場機能の維持」があったことが伺えます。当時の総裁記者会見でも同様の指摘があります。量的緩和政策に移行した時点では、「金利」をもう少し活かした政策にする意図があったということではないでしょうか。
量的緩和政策への移行については、「本当は、ゼロ金利政策に戻りたいが、一度解除しておいて今更戻れないから量的金融緩和政策に転換したのではないか」という指摘がありますが、当時、ゼロ金利政策のマイナス面を可能な限り避けたいという思いがあったことが伺えます。
2.2.「なお書き」の位置づけ
「量」をターゲットにした場合、金利がボラタイルに動く可能性があります。とはいっても、同年3月16日から補完貸付制度(通常の場合の貸付金利は公定歩合)が運用を開始されていましたので、公定歩合(当時0.25%)が概念上は無担保コールレート(オーバーナイトもの)の上限金利になるはずです2。ところが、量的緩和政策に移行する前は、無担保コールレート(オーバーナイトもの)の金利が0.15%程度でしたので、補完貸付制度があっても、それが0.15%をオーバーしてしまうことは排除できませんでした。金融緩和政策と言いながら、金利がそれまでよりも高くなってしまうと緩和にならないという意見があって、そのような高い金利を回避するために、「なお書き」が付け加えられました。金利が高くなりそうなときに弾力的な資金供給を行えば、金利の跳ねを防ぐことができるというのが、「なお書き」の意味合いでした。
- 2補完貸付制度における公定歩合の適用については、当初、1積み期間に5営業日までとされましたが、本年3月25日より「当面の間、すべての営業日を通じて公定歩合による利用を可能とする」としています。なお、それまでも、金融経済情勢を勘案し、2001年9月16日~10月15日の間はその限度を5営業日から10営業日に、2002年3月1日~4月15日の間は現在と同じようにすべての営業日に公定歩合を適用するよう期間を拡大しています。
2.3.長期国債買い切りオペ増額の位置づけ
量的緩和政策に移行する際には、量の目標額まで資金が供給できないのではないかとの心配がありましたので、その対策が考えられました。「当座預金残高を操作目標にする場合、札割れというかたちで円滑な資金供給に限界が生じる可能性があることから、あくまでも、そうした事態への対策として長期国債買い切りオペの増額を位置づけるべきとの意見が出され、多くの委員がこれを支持した」(2001年3月19日開催金融政策決定会合議事要旨)ということです。つまり、長期国債買い切りオペを増額するとしても、「長期国債の引受けなどは絶対にするつもりはない。これは法律でも認められていない。国債価格の買い支えとか、財政ファイナンスを目的として長期国債の買い切りオペを増額するというようなことも考えていない。」(同日の速水総裁の記者会見での発言)ということであり、そのような趣旨を明らかにするために、銀行券発行残高を長期国債保有残高の上限とする歯止めが用意されました3。
- 3今回、新しい金融調節方式の実施にあたり、長期国債買い切りオペを増額するのは、あくまで、資金供給オペの未達(いわゆる「札割れ」)が多発するケースなど、所要の資金供給を円滑に実施するうえで必要と判断される場合です。したがって、今後も、国債価格の買い支えや財政ファイナンスを目的として長期国債買い切りオペを増やすということは考えていません。このような趣旨を明らかにするため、今回、これまでの「長期国債買い切りオペは銀行券に対応させる」という考え方を守り、銀行券発行残高を長期国債保有残高の上限とする明確な歯止めも用意しました。(新しい金融調節方式Q&A)
2.4.時間軸効果の重視
量的緩和政策への移行を決めたものの、量自体の効果については不確かであり、その効果や当座預金残高の増額による追加緩和の可能性については、その後も検討を続けることになりました4。他方、金利についてはコールレート(オーバーナイトもの)の低下が想定されるとともに、より長めの金利の低下につながる「時間軸効果」が重視され、強化することが合意されました5。そして量的緩和政策を、「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」ことを宣言しました。
この政策を採用した時点では、コミットメントが満たされるまで、量をターゲットとする政策の枠組みを用いることを決めたのであって、その間、量のターゲットを減らすことはあり得ないということまでコミットしたわけではありません。ただ、その後、市場においては「量的緩和を進めることが金融緩和である」という期待が形成されていますので、今のところはそういう形で政策が進められています。
- 4議事要旨によれば、「ある委員は、量自体の持つ追加的緩和効果については、期待への影響といった効果は否定できないものの、その効果が明らかでない」とか、「当座預金残高という量そのものの持つ効果や、今後の当座預金残高の増額による追加緩和の可能性については、今後とも検討を続けていくこと、とされた」ほか、「一方で、ある委員は...量で約束しても必ずしも金利はゼロにならない可能性があるので、ゼロ金利で約束した方がコミットメント効果は強い、との評価を述べた」とあります。植田(2001)は、「金融政策は、緩和方向では短期金利がゼロになるまで発動可能だ。ゼロになってしまえば、短期金融市場でのそれ以上の資金供給の影響は、ほとんど消滅する。あるいは資金供給の試み自体が、札割れと呼ばれる現象に直面し、難しくなる」(植田和男、日本金融学会特別講演「流動性の罠と金融政策」、2001)と、述べています。
- 5「どのような緩和政策を打ち出すにせよ、(1)その継続期間に関するコミットメントを明確に行なうことで、いわゆる「時間軸効果」を狙うことが必要である点、および(2)ゼロ金利政策下において採用された「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで」という表現よりも明確なコミットメントが望ましい点、において、概ね認識が一致した。」(3月19日議事要旨)。
3.量的緩和政策の現実
3.1.当座預金残高ターゲットと短期金利の推移
移行時の話はこれまでにして、それでは量的緩和政策は実際どのように行われてきたのでしょうか。日銀当座預金残高目標は、まずは所要準備預金額プラス1兆円から始まりましたが、その後、順次増額され今では、そのターゲットは27~32兆円まで拡大されています(図表1参照)。この間、短期金利——無担コールレート(オーバーナイトもの)——は、移行当初こそ大きく変動しておりましたが、足許では、殆どゼロ金利となっております。このような量の拡大短期金利の低下と安定性は、当初想定していたものよりもかなり大きいものとなっています。短期市場金利の刻みが2001年9月に1/100%から1/1000%に引き下げられたことも、短期金利を殆どゼロ%に張り付かせる一因になりましたが、短期金利の低下はターゲットの拡大とも当然関連しています。
3.2.なぜ当座預金残高のターゲットを増やせたか
背景
量的緩和政策への移行時だけでなくその後も目標未達懸念があったにもかかわらず、なぜ当座預金残高目標を増やせたのでしょうか。その答えは需要の増加と供給の工夫の両面があります。また、供給の工夫が需要を増やしたという側面もあります。
供給側の対応
供給側としては単に需要増に応えていたということではなく、金融調節面からいろいろ対応を図ってきました。一つは、長期国債の買い入れ額の増額です。長期国債買い切りオペは準備預金との代替性が低いこと等もあり、円滑な資金供給のための有効な手段と位置づけられていましたので、当初は当座預金のターゲットを引き上げる際には、一緒に長期国債の買い入れ金額を増額しました。量的緩和政策へ移行した時には、長期国債を毎月4,000億円購入していましたが、2001年8月、12月、2002年2月、10月に、各々2,000億円ずつ増額しました。現在は、毎月1.2兆円の買い入れを行っており、年間では14.4兆円もの規模になっております。今年度の国債の新規発行額は36.4兆円ですので、そのうち概ね40%に相当する額を日本銀行が購入しているという格好になります。なお、今年は長期国債の買い切りを増額していませんが、それがなくても資金供給を増やすことが可能だという判断があったということです。
次に手形買入オペの期間の延長を行いました。金融調節担当者にとって「量」が出せるかと問われて気になることは、オペが札割れを起こすことなく実行できるか、ということです。量的緩和政策移行後のオペにおける札割れの発生状況を見ますと、2001年5月にかなり発生し、その後、2002年1~4月にかけて、また2002年の夏場についても札割れが発生しました。このような札割れに対して、長めのオペが札割れ防止に寄与するのではないかということで、2001年5月に手形買入オペの期間を3か月から6か月に延長しました。また、オペ入札金利の刻みを1/100%から1/1000%に引き下げました。
さらに2002年12月には、手形買入オペの期間を6か月から1年に延長し、2003年10月には国債現先買入れオペの期間も1年まで延長しました。この間、期間延長を利用した長めのオペを多用する一方で、手形の売出オペを利用し、だぶ付き気味の短期資金を吸収するという、所謂「ツイスト・オペ」も行っています。こうした手段を利用して、ターゲットを守ってきたということです。
需要面の状況
いくら日本銀行が資金を供給しようとしても、需要側にニーズがなければ、資金は供給できません。当座預金残高目標の引き上げに見合って需要が増えた背景としては、(1)金利の刻み幅が小さくなり、短期金利が殆どゼロになってしまったこと、(2)ゼロ金利のもとでオペによる資金調達にメリットがある可能性があること、(3)この間、中間期末や年度末を展望する時期には必ずといっていいほど「金融危機」という報道等から金融システム不安が高まり、緊張感が高まったこと、それから、(4)金利がゼロ%近傍に下がり低位安定化してしまったため短期金融市場の機能を低下させてしまったこと、があげられます6。なお、この「市場機能の低下」は当初の狙いとは違う結果になりました。
以上のような要因のうち、金融システム不安に伴う資金ニーズはわかりやすいと思います。金融システム不安が高まって、預金が流出するかもしれないとか、短期市場から資金が取れないかもしれないといったような懸念を抱きますと、金融機関は主体的に当座預金に資金を積んでおこうとします。市場等で余資を運用しているといざ現金が必要なときに迅速に対応できない可能性があるからです。
ゼロへの金利低下は、収益と費用を比較したら、余資を運用するよりも金利ゼロの当座預金に積んでいた方がよい、という消極的な需要を増加させていきました。短期金融市場で資金運用しても十分に収益が上がらない一方で運用にはコストがかかるからです。コールレート(オーバーナイトもの)が、0.001%まで低下している状況では、仮に100億円をオーバーナイトで運用しても、金利収入は273円しかないという話であって、それでは、人件費はおろか電話代や日銀ネット使用料といったコストすら賄うことができません。それなら当座預金に積んでおいた方が収益がマイナスにならなくて良い、という判断につながります7。
また、金利の付かない当座預金に積んでおくことがプラスの収益をもたらすという奇妙なことも起こっています。外銀の円転コストがマイナスとなる場合です。外銀の円転コストは、外銀がドルを調達するコストとそれを為替スワップ等で円に転化するコストを合計したものですが、通常、これは邦銀の円貨調達金利と同じになるはずです。しかしながら実際には、外銀の円転コストを求める場合、(無担保の場合の)ジャパン・プレミアムや需給要因の影響を考慮にいれる必要があります。
日本では資金が余剰であるため、邦銀の円調達金利がそもそもかなり低いうえに、邦銀に対するジャパンプレミアムに加え、更に需給要因も外銀の円調達コストを低下させる要因としてしばしば働いてきたため8、外銀の円調達コストの加重平均はこのところずっとマイナスで推移しています。
円転コストのマイナス幅が大きくなると、外銀の当座預金残高が増えるという傾向があります。つまり、マイナス金利で資金調達できるので、短期市場に金利が殆ど付かないという状況であれば、ゼロ金利の当座預金に置いておいた方がよいことになります9。
オペに参加することのメリットが需要を高めるという点については、一般に市場取引においては、買い手と売り手の主観的な「便益」の等価交換が成立しているはずですが、金融調節の場合には、日本銀行の便益は「もうけ」ではなく「豊富な資金を円滑に供給すること」にありますから、市場価格に比べれば参加者に幾分有利な価格が成立する可能性があるということが考えられます。
そのほか、短期金融市場の機能の低下を取り上げましたが、それが当座預金需要増に結びついていったのは、日本銀行がその機能を代替していったからです。過去にもゼロ金利が採用されたときにコール残高が減少し、市場機能が著しく低下しました。したがって、量的緩和政策に移行するときに、市場機能の維持が議論されたことは前述したとおりです。もっとも、量的緩和政策に移行した後も、ターゲットの引き上げや金利の刻み幅の変更もあって金利が限りなくゼロに近づくにつれ、コール市場の残高、特に無担コール残高は減ってしまいました。一方でオペを工夫し、日本銀行は長めのオペを打つようになってきました。金融システム不安が拭い去れない状況ではとくに、金融機関は、市場で資金を調達するのではなく、まず日本銀行のオペに参加して、長めの資金をとるようになりました。要するに、コール市場の資金の仲介機能が、日本銀行にシフトしてきているということです。民間金融機関の資金需給に合わせて日銀がオペを打つため、短期金融市場の残高が減少し、日本銀行の当座預金残高が積み上がることになりました。
以上のように、供給面の工夫と需要面の要因が相俟って、当初の想定以上の当座預金残高目標の増大にもかかわらず、それに合わせて資金供給を増やすことが、比較的スムーズにできました。
- 6白川方明(2002)「「量的緩和」採用後一年間の経験」『金融政策論議の争点』(小宮隆太郎ほか編著)
- 7金利が付いていた時代には、金融機関は、金利が付かない日銀当座預金をいかにして必要最小限に止めるかという運用を行っていました。そういう技術が資金繰りの担当者には求められていました。運用の得手不得手が資金運用者の評価にも結びついていたということです。もっとも、今のように運用をしようとしても十分な収益が得られない、それどころかむしろコスト割れするのであれば無理に運用せず当座預金に積んでおけばよいということになり、少々収益機会が発生しても見ているだけということになりかねません。金利の付いていた時代には、地方銀行なども東京でそういう資金運用を行っていましたが、今は資金運用をやめて、東京から人もいなくなり、運用の技術も落ちてしまったという話も聞きます。こうしたことを考えると、今後、いざ金利が付くような環境に戻ったときに、昔のような資金繰り対応がすぐにはできないということが十分に考えられます。
- 8例えば、本年6月末頃、円転コストが大幅にマイナスになりましたが、これは、(1)外債投資の拡大、(2)米国経済の先行き不透明感を背景とするドル金利先安感やドル相場先安感、(3)外銀の半期決算期末に向けたドル資金調達圧力の高まりが原因ではないかとの指摘が多く聞かれました。
- 9外銀の中にはリスク管理上、資金集中を嫌う傾向があり、日本銀行についても例外ではない場合があります。つまり、日本銀行の当座預金に資金を集中させることを嫌い、リスク分散のため、短期市場に資金を放出します。その結果、短期市場においてもマイナス金利が発生することもあります。
3.3.「なお書き」の受け止め方
量の増大が金利の平均的な低下だけでなくゼロ近傍での安定化をもたらしたことは、市場機能の維持という当初の狙いとは異なる結果をもたらしましたが、その一因として取り上げておきたいのが、当時想定していた扱いとは異なるようにみえる、「なお書き」の運用とその受け止め方です。なお書きについては、前に申し上げた通り、短期金利が一時的に許容範囲を超えて跳ねた場合に資金供給量を増やして、マーケットを鎮めるということを想定していました。
ところがなお書きが実際に発動されたのはどのようなときか思い起こしますと、期末対応だけの場合を除くと、まず最初は2001年9月の米国における同時多発テロの直後です。その次は2002年3月ですが、このときはペイオフの一部解禁の直前でした。また、同年4~5月にかけては、銀行のシステム障害への対応として、それから今年の3月~4月にかけては、イラク問題等国際政治情勢の緊迫化に対して、なお書きを発動しました。このようになお書きを発動した時の状況を見れば、結局、大きなショックに対しての施策として、かなり大量に、かなりの期間、資金供給を増やしたということになります。確かに、大量に資金を供給した結果、金利は跳ね上がらずに済んだと言えるでしょうが、当初考えていたように、金利が変動し、許容範囲以上に金利が跳ねた場合に、なお書きを発動するということにはなりませんでした。
今日では、市場は、日本銀行は単純に当座預金残高を目標にしているだけではなくて、短期金融市場において継続的に金利をゼロ%近辺に維持することにも強くコミットとしていると認識しています。資金需要の急増に対して補完貸付に委ねてある程度の金利上昇を許容するのではなく、なお書きで対応しゼロ金利を維持してきたことが、このような認識を生じさせた一因であると思います。
4.暫定的な評価
さて、当座預金残高を増やした結果、短期金利は下がりましたが、その他どのような影響があったと考えられるでしょうか。以下では、「量的緩和政策」のこれまでの暫定的な評価について述べておきたいと思います。
4.1.経済・物価の将来展望とリスク評価における評価
量的緩和政策の暫定的な評価は、今年4月と10月の「経済・物価の将来展望とリスク評価」、所謂「展望レポート」に記されています。10月の「展望レポート」(背景説明)では、「量的緩和政策のもとでの潤沢な資金供給は、流動性懸念の払拭や長めの金利も含めた金利や信用スプレッドの低位での推移など金融市場の安定や緩和的な企業金融の環境を維持することに寄与し、実体経済に対してしっかりとした下支え効果を発揮している」と記されています。
金融環境についてみますと、短期金利が低位安定しているだけでなく、長期金利も、この夏に急騰するまでは、低下傾向を辿りました(図表2参照)。金利のボラティリティについても量的緩和政策移行後低下し、日本銀行が銀行保有株式の買取りを発表したときに一時高くなったのを除けば、夏の金利上昇期までは低い水準で推移していました(図表3参照)。
このような金利の低下とボラティリティの低下には相互作用がありますが、長めの金利の低下には、量を増やしたことによるゼロ金利の成立と時間軸効果が効いていると考えられます。量的緩和政策採用後のイールド・カーブの形状の変化をみると、まず短期金利がゼロになったことを受けて、イールド・カーブは下方にパラレルシフトしました(図表4のA)。このようなシフトは移行時に想定されていたものです。その後、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで量的緩和政策が解除されないという時間軸効果の認識が広がり、またデフレ懸念から出口が遠くなったという認識が強まって、時間軸が長期化する過程で、イールド・カーブは右にシフトしました(図表4のB)。その後長期ゾーンの金利が低下し、金利がフラット化しました(図表4のC)が、これについては、先行きの日本経済に対する悲観論の高まりから、量的緩和政策脱却後の短期の予想金利が低下したことの表れだと考えられます。
なお、日本銀行はゼロ金利になってからは、時間軸効果を重視してきましたが、現在、米国もそれに働きかける金融政策を行っています。内外の経済学者や中央銀行エコノミストもこの効果に対する理論的・実証的な分析に高い関心を寄せています10。
信用スプレッドについても、一時期上昇しましたが、量的緩和が浸透するにつれて縮小していきました。金利が低下すると、金融機関は少しでも収益が上がるものに運用先をシフトさせるため、国債から利回りの高い社債に運用をシフトさせたことも長期の信用スプレッド縮小の要因の一つではないかと思われます。
- 10時間軸についての日本銀行での分析として、例えば、翁 邦雄、白塚 重典(2003)「コミットメントが期待形成に与える効果:時間軸効果の実証的検討」『日本銀行金融研究所ディスカッション・ペーパー・シリーズ』(2003年6月)があります。
4.2.公表文における変化
皆様はあまり関心を持っておられないかもしれませんが、金融政策決定会合において政策変更を行った際に公表する文章において、文言が変わってきていることを紹介します。
最初にターゲットを5兆円から6兆円に引き上げた2001年8月の公表文をみると、「3月に決定した金融政策の枠組みのもとで、金融面から景気回復を支援する力をさらに強化することは必要かつ適当と判断した」ということで、金融緩和を行っています。その次の変更である9月の時点では、「金融市場の安定を確保するとともに、金融緩和のより強力な効果浸透を図る観点から」と、量的緩和の効果が表れることを期待している表現となっています。その後、「量」の増加の効果がなかなか出てこないという認識が徐々に広がりました。その結果、12月の公表文では、「金融面から景気回復を支援する効果を確実なものとするために講じたもの」という表現に変わっています。
量的緩和政策が景気回復にどのような効果を持ちうるかについて、これまでの経験からは景気の下支えといった消極的な評価にならざるを得ませんが、その見方とこの発表文の変化は整合的であるように私は思います。
4.3.ゼロ金利下での量増大の効果をどうみるか
なお、展望レポートでは現在のようなゼロ金利のもとで「量」を増やすことの効果についてそれだけを取り出して評価していませんが、私の現在時点での量増加の効果についての評価は、その効果は不確実であって、これまではあるとしても非常に小さくて確認できない程度であったということです。
最近、日本の金融政策は研究テーマとして世界的に関心が高いので、様々な分析が行われるようになっています。量の増大はマネタリストからみれば当然有効だということになります。他方、「ゼロ金利の状況下ではマネタリーベースの増加と供給手段の多様化、それに中央銀行が何を買うかは、市場参加者の将来の金利に関する期待形成を変化させることがない限り、経済の均衡に影響を与えることはない。ゼロ金利の状況下では量的緩和は無効である」という有名な論文もあります11。いずれにせよ、今のところ、理論の世界でも実証の世界でも、ゼロ金利下で「量」を増やすということの効果については、決着がついていないということです。
例えば為替レートとの関係をみてみましょう。
為替レートに関しては、ソロスチャートと言われているものをみると一目瞭然です(図表6参照)。量的金融緩和を始めた時期に、日米のマネタリーベースの比率と円・ドルレートとの間には、高い相関関係があると言われていました。マネタリーベースを高めれば、円安方向に為替相場が動くという議論が、よく民間エコノミストから聞こえてきました。経済財政白書でも2年連続してこの問題をとりあげています。しかしながら日本は米国に比べて「量」を増やしてきましたが、為替は決して円安方向には振れていないことがわかります。為替レートは、内外金利差、内外インフレ率格差や経常収支、資本移動の程度など様々な要因によって影響を受けるので、簡単に論じることはできませんが、短中期的な動きを説明するのに当っては、マネタリーベースよりは内外景況感格差の方が説明力があるのではと思っています(図表7参照)。
「量」が物価に影響を与え、それが為替レートに影響を与えるという関係が長期的にあるとして、それが短中期の為替レートの動きにも大きな影響を与えているとした場合、期待を通じるものはあり得ますが、そうだとしてもこの考え方では為替レートはそれほど変動しないはずです。また、ポートフォリオ・リバランス効果が実証的に大きいとは考えられません12。ゼロ金利のもとで「量」の増加が為替レートに有効だとする議論の波及メカニズムについて、私にはよくわからないというのが正直なところです。
- 11 Eggertsson, Gauti, and Michael Woodford, "The Zero Bound on Interest Rate and Optimal Monetary Policy,"Brookings Papers on Economic Activity 1, pp.140-233, 2003。このモデルも当然様々な前提があります。例えばポートフォリオ・リバランス効果がもともと機能しないモデルとなっています。例えこの効果があってもたいしたことはないというのが彼らの結論ですが、それに反対する学者も当然おられます。
- 12民間部門にとって、外貨と短期債の交換(不胎化介入)と、ゼロ金利下でベースマネーと短期債等円建て資産との交換とで、どちらが為替レートに与えるポートフォリオ・リバランス効果が大きいかを比較すると、代替性が小さいため前者の方が効果が大きいと考えられますが、その前者のポートフォリオ・リバランス効果はあったとしても小さいというのがこれまでの研究から得られた結論です。例えば、Sarno, L. and M.P. Taylor(2001), "Official Intervention in the Foreign Exchange Market: Is It Effective and, If So, How Does It Work?, Journal of Economic Literature, Sep. 2001.; Chiu, Priscilla, "Transparency versus constructive ambiguity in foreign exchange intervention,"BIS Working Papers No.144, 2003をご参照下さい。
4.4.IMFによる評価
一方、量的緩和を続けることには、良い面だけではなく、コストもあります。9月にFSAP13の最終報告書FSSA14が公表されましたが、その中には、「日銀による量的緩和策は銀行システムの安定性に貢献してきたが、一方で低金利が問題企業の利払いを容易にさせ、銀行の不良債権処理への取り組みを遅延させた。イールドカーブのフラット化が銀行収益増を困難化させた。十分な流動性と資金調達コストの低下が脆弱な銀行を支えた面もある」とか、「銀行部門の脆弱性が金融政策のトランスミッション・メカニズムに悪影響」を及ぼしたという記述があります。また、「銀行改革の遅れが企業リストラの遅れに」繋がっているとか、「低金利がコール市場における活動を大幅に低迷させ、ディストレスのサインの早期発見を困難に」しているとの指摘もありました。IMFは、一方では、「もっと量的緩和政策を進めるべきだ」と言っていますが、FSAPにおいては量的緩和にはマイナス効果があるということを認識しています。
私もIMFが指摘するようなコストの認識はありましたが、金融システム不安が大きいときに資金調達に不安感を生じさせないためには、潤沢に資金を供給し、ゼロ金利にする必要があったと思っています。金融システム不安を生じさせるコストは非常に大きいので、これまでやってきたことはこれらコストを差し引いてもプラスの効果をもたらしたと評価しています。しかし、他方、ゼロ金利にする必要があったといってもここまで限りなくゼロに近くかつ安定的にしておく必要があったのかという点については、短期金融市場機能の低下を鑑みると、疑問もなくはありません。もっともどのような金融調節を行なえばそれが可能であったかについては答えは持ち合わせていませんので、今後の課題ということだと認識しています。13FSAPとは、正式にはFinancial Sector Assessment Program(金融セクター評価プログラム)といい、IMF(国際通貨基金)が世界銀行等と協力してIMF加盟国の金融システム全体を総合的に評価するものです。
- 14FSSAとは、Financial System Stability Assessment(金融システム安定性評価)の略であり、FSAPの結論を要約した報告書のことです。
5.今後の課題
量的緩和政策について、以上のようなコストがあるとしても、コミットメントが達成されないかぎり量的緩和政策からイグジットすることはあり得ません。また出口論も重要な課題ですが、以下で述べる必要条件の提示以外には、頭の体操としてもまだ具体的に議論できる状況にありません。したがって、ここでは現在の量的緩和政策の効果を高めるため、ないしはコストを小さくするために、できることはないかという視点から、今後の課題について述べておきたいと思います。
5.1.市場との対話の重要性
中央銀行は市場との対話の重要性を強く認識しています15。米国でも、ディスインフレ懸念があり、FRBが非伝統的な金融政策に移行する可能性を示唆したことを受け、長期金利が3%台まで低下していた状況下で、グリーンスパン議長が景気について少し楽観的に取れるような発言をしたため、途端に金利が跳ね上がったことは記憶に新しい出来事です。一方、英国では、総裁が記者会見を行なう前に入念な打ち合わせ、リハーサルを実施していると聞いています。英国はインフレーション・ターゲティングを採用していますが、それを利用したところで市場との対話が容易だということではなさそうです。
日本銀行においても同様です。今年の6月以降に長期金利が急騰し、ボラティリティもかなり高くなりました。私はこの一件以来、市場との対話の重要性を拠り一層強く実感するようになりました。市場との対話について改善できるところはないかどうか、常に考えていなければならない課題だと思います。金利急騰時の経験は、私にとって、市場との対話の改善のためのよい教材となりましたので、それをもとにお話したいと思います。
6月以降の長期金利の急騰の要因としていろいろ挙げられています。金利低下の行き過ぎ感の強まりや内外における経済指標の好転を背景に景気についての過度の悲観論が後退し景況感が改善したこと、金融機関による利益確定売り、もしくは損切り、それにボラティリティ上昇やそれに伴っての持高調整売り等が嵩んだこと、などが指摘されています。
8月以降については、消費者物価の前年比下落幅が0.1%まで縮小したもとで、そのとき公表された7月の決定会合議事要旨の読み手が、「日本銀行が量的緩和の出口論を本格化させたのではないか」という疑念を抱いたことなどもあって、量的緩和の出口のことなど、まったく考えていなかった人達が出口を意識しはじめたことも、金利上昇に影響を与えたといわれています。
この間、イールドカーブの形状が(1)時間軸の長さと(2)量的緩和後の短期金利の水準によって決定されるとの前提16をおいて、イールドカーブの動きから、市場が先行きの金利予想をどのように変更させたかを探ると、量的緩和解除後の金利水準が、過度の悲観論の後退や経済指標の改善に伴って、上昇するとともに、時間軸が短縮したことがわかります(図表4のD)。特に出口論が注目された8月には時間軸が大きく短期化しました。
その間、私は日本経済は展望レポートの標準シナリオに沿った動きを続けているという判断を維持していましたし、時間軸が大きく短期化しているという認識もありませんでした。したがって、市場の景況感の急な強気化と時間軸の短期化には大きな認識ギャップを感じていました。長期金利の急騰に、景気や時間軸についての日銀の見方を市場がきちんと把握していなかったことが影響を与えていたとしたら、それはこちら側にも責任があります。
10月10日の決定会合で、金融政策の透明性の強化策を決定しましたが、これによってこのような事態が少しは改善されることを期待しています。この透明性強化策は経済・物価情勢に関する日本銀行の判断についての説明の充実と、量的緩和政策継続のコミットメントの明確化、の二つの部分からなります。
まず前者については、私は経済・物価情勢に関する判断を展望レポートの標準シナリオを基準にしてみていくことに変更したことが特に大切だと思っています。経済・物価情勢判断を方向だけでなく、水準と、その蓋然性の程度もあわせて議論できるようになることを期待しているからです。つまり標準シナリオの「水準」と「方向」に加え、蓋然性という「濃さ」まで盛り込んだということです。標準シナリオとそのリスク評価をもとに対話をすれば、各会合や記者会見での経済・物価情勢判断についての真意がより正確に市場に伝わると思います。
- 15コーンFRB理事(2003)は、FRBによる市場への語りかけの効果を分析し、その重要性を指摘しています。詳しくは、Kohn, Dohn, and Brian Sack, "Central Bank Talk: Does It Matter and Why?", presented at the Macroeconomics, Monetary Policy and Financial Stability Conference in honor of Charles Freedman, Bank of Canada, 2003をご参照下さい。
- 16丸茂幸平、中山貴司、西岡慎一、吉田敏弘(2003)「ゼロ金利政策下における金利の期間構造モデル」『金融市場局ワーキングペーパーシリーズ』
5.2.時間軸効果の明確化
金融政策の透明性向上のために、もっと大切なのが量的緩和政策継続のコミットメントの明確化です。これは消費者物価(除く生鮮食品)の足許の動きと先行きについての政策委員会の見通しからなります17。このコミットメントの明確化で、「現在時点では」という条件つきですが、先日公表された展望レポートにおける消費者物価指数(除く生鮮食品)前年比ついての政策委員の大勢見通しが2004年度までマイナスとなっていることは、今後少なくとも1年半は量的緩和政策を解除しないということを市場に宣言していることなります。日銀が現在の標準シナリオを修正しないで量的緩和を解除することはありませんから、今10月の消費者物価(除く生鮮食品)対前年比がプラスになっても時間軸がゆらぐことはありませんでした。
なお、出口のための必要十分条件として、物価のハードルをより高くして条件を数値だけにするということも考えられますが、物価と景気とには一対一の関係があるとはいえず、物価以外の要因も無視できないため、総合判断の方が望ましいと思っています。それに出口のための必要条件を高く設定すると、量的緩和の解除が非常に遅れてしまうリスクもあります。例えば、歴史依存性が非常に強いコミットメントである物価水準ターゲットの採用を求める声もありますが、それが正当化されるのはデフレの慣性がない場合であって、日本のようにデフレの慣性がある場合に物価水準をターゲットまで戻そうとすると、GDPギャップの大幅なオーバーシュートを引き起こしてしまうとの分析があります18。市場が量的緩和からの解除が遅れる蓋然性が高いという認識を強めれば、むしろ長期金利が上昇する可能性があります。
実際、今回の時間軸効果の明確化について、量的緩和解除が遅くなりすぎるリスクへの言及も見受けられますが、今回の発表によって時間軸は長期化してはいないようです。時間軸の明確化で量的緩和の継続が明確になった1年半程度の金利は低下しましたが、発表自体が長期金利全体へ与えた影響は限定的であったと思われます。今回は混乱を生じさせることなく時間軸を明確化できたのではないかと思いますが、イグジットは最終的に総合判断としていることもありますので、まだ改善する余地はないか探っていく必要があるとも思っています。
- 17(1)直近公表の消費者物価指数(除生鮮食品)の前年比上昇率が、基調的な動きとして数ヶ月均してみてゼロ%以上であること、(2)政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していること。
- 18Kimura=Kurozumi,"Effectiveness of History-Dependent Monetary Policy", Journal of the Japanese and International Economics, (forthcoming)
5.3.十分な流動性供給と市場機能の維持
現在の量的緩和政策は市場機能の低下をもたらしたという意味では、当初、想定していた政策とは異なっていることを指摘しましたが、少しでもそのコストを削減するために、「市場メカニズムに配慮しつつゼロ金利政策の有する金融緩和効果を実現」という初心に戻ってもう少し市場機能を活かした政策にできないものかと考えています。
最近、短期市場ではやや奇妙な現象が起こっております。通常は資金余剰であれば金利が下がると考えられますが、市場では逆のことが起こっています。つまり、資金不足の月の方が資金余剰の月よりも日本銀行が資金供給オペを大量に行うと市場が予想するため、市場に安心感が生まれます。そうすると資金をとり急がないため、金利が下がる傾向がみられます。本来、所要準備額が6兆円程度に対して30兆円も資金供給をしているわけですから、短期金融市場が機能していれば個々の金融機関の資金過不足調整は市場に任せておけばよいことですし、金融機関の間の資金偏在が金利に影響を与えるとも思われません。しかし短期金融市場が機能しなくなり、日銀がその役割を代替せざるを得なくなったためにこのようなことが生じています。これ以上、短期金融市場の機能を低下させないために、できることなら金利機能を僅かでも回復させることが必要ではないかと思っています。
あるエコノミストが、「3か月物金利が0.004%から0.008%に上昇した」と海外で説明したら「それを金利上昇というのか」と腹を抱えて笑われたというエピソードを紹介しています19。私自身、短期金融市場は政策の舞台ですので短期金融市場を虫眼鏡でみています。しかし、そういった外国人の反応にも耳を傾ける必要があると思います。つまり、0.01%以下でのこの程度の短期金利の上下については大騒ぎすることなく、冷静に受け入れることも必要ではないでしょうか。
30兆円も資金を供給していますので、短期金融市場で資金を運用して儲かるような金利が付くのは稀かもしれませんが、少なくとも日本銀行はそのような金利をつぶすような金融調節はすべきではないと思っています。
- 19加藤出「「ミクロキッズ」と化した東京短期金融市場の窮状」『週刊ダイヤモンド』2003年8月9・16日合併号。
5.4.トランスミッション・メカニズムの強化:為替レートを通じる効果
ゼロ金利下での金融政策の波及メカニズム強化について、量をもっと増やせばよいとか購入資産を多様化すべしとか、様々な議論が行なわれいますが、その中の議論の一つとして、量を増やしていけば、ゼロ金利であっても為替レートを通じる波及効果があるのでは、という議論が聞かれます。日本銀行が為替レートを目標に金融政策を行なうことはありませんが20、為替レートが景気や物価の先行きにどのような影響を及ぼすかについては、当然ながら関心をもっています。先ほどベースマネーと為替レートの関係については理論的・実証的に頑強な関係はみられないと申しましたが、この問題を考えるに当たっては、為替レートの変化と経済実体・物価との関係についての考察も必要です。
日本の海外市場での輸出価格の設定が市場志向型であることは前々から指摘されておりましたが、最近では日本の輸入物価についても為替レートのパス・スルーが低下しています21。また契約ベースでは輸出入ともに円建て比率が上昇しています。一般物価となると、サービスのウェイトが高いのでより一層為替レートの影響を受け難いということになります。
もちろん、為替レートの変化は、企業収益への影響のほか、長期的にも企業による生産拠点の内外でのシフトといったルートを通じて景気に影響します。しかし、さきほど述べたように、輸入国からみて輸入財の自国通貨建て価格が為替レートの動きではあまり変化しないということは、為替レートが変化しても、自国財と外国財の相対価格の変化を通じた従来型の支出転換効果は働きにくくなっているということを意味します。したがって、為替レートが景気に影響を与えることは確かですが、このような輸出価格設定傾向が強まりますと、為替レートが直接物価に与える影響は小さくなります。
実際、内閣府短期日本経済マクロ計量モデル(2003年版)によると、円の対ドルレートが標準ケースと比べて10%減価し、その変化が継続するとした場合、民間消費デフレータに与える影響は1年目には0.08%、3年目でも0.57%でしかありません。
また為替レートのルートは、自国通貨安が意図的に生じたものであれ結果的に生じたものであれ、貿易相手国にとって通貨高が望ましいものではないということになれば、相手国において政策対応がなされ、自国通貨安が相殺される可能性もあることも、政策効果の不確実性を高めることになります。
バーナンキFRB理事は11月に行われた金融政策に関する国際リサーチ・フォーラムで、金融政策について、リサーチと実際の政策運営が密接に関係していることを強調し、望ましいインフレ率や政策反応の強さは、直観的に判断すべき対象ではなく、経済構造を踏まえた「科学的判断」により扱われるべきだと述べています。私もこうした考え方に賛成です。この考え方をわが国の現状に照らしてみれば、ゼロ金利のもとでの量的緩和政策が、円安を有効な波及チャネルとして、デフレ克服に役立つという主張については、それが為替レートにどの程度の影響を与え、そして為替レートが物価にどう影響を与えるか、その波及メカニズムとともに、量的な大きさの提示を前提に判断すべきだということになります。今のところその考え方をサポートできるだけの判断材料は示されていないということです。
- 20「日本銀行は、為替相場そのものを金融政策の目的とはしていません。金融政策運営を為替相場のコントロールということに直接結び付けると、誤った政策判断につながるリスクが高いことは、バブル期の政策運営から得られる貴重な教訓になっています。」(「当面の金融政策運営に関する考え方」1999年9月21日公表)
- 21大谷聡・白塚重典・代田豊一郎(2003)「為替レートのパス・スルー低下:わが国輸入物価による検証」『金融研究』第22巻第3号(2003年9月発行)
5.5.財政との役割分担
ここではトランスミッション・メカニズム強化の課題として、為替レートを通じる効果の有効性に焦点をあてて議論しましたが、金融政策の伝統的な手段をほぼ使い果たした今、今後の政策手段の選択にしても、シニョレッジの使い方にしても、財政に近い領域に踏み込まざるを得ない可能性があります。デフレ克服のために金融政策が踏み込めるのはどこまでか、財政との役割分担をはっきりさせておく必要があります。これも今後の大きな課題です22。
- 22須田美矢子(2003)「デフレと金融政策」(大分大学および東北大学における特別講義)
6.おわりに
最後に、FRBの元副議長であり、経済学者のブラインダーの言葉を紹介して終わりたいと思います。「より開かれた中央銀行は、金融政策を左右する基本的要因に対する中央銀行の見方について、より多くの情報をマーケットに提供し、それによって自然と市場の予想を調整していく。そうすれば、金融政策の変更に対する市場の反応の予測可能性が高まる。この結果、次のような好循環が生まれる。中央銀行が自らをマーケットに予測しやすくすることによって、金融政策に対する市場の反応を中央銀行自身が予測しやすくなる。中央銀行は政策運営を行ううえで、より良い仕事ができるようになる。」と述べています23。
私も、あと半分弱となった残りの任期において、金融政策の目的、政策ルール、経済構造や経済・物価情勢などについて、日本銀行の認識をよりわかりやすく市場へ伝える努力・工夫をしていきたいと思います。
- 23アラン・ブラインダー(1999)『金融政策の理論と実践』東洋経済新報社(河野龍太郎・前田栄治訳)
以上