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さいたま市経済講演会における武藤副総裁講演要旨

2004年 1月30日
日本銀行

目次

はじめに

 日本銀行の武藤でございます。さいたま市の関係者の皆様、企業経営者の皆様、市民の皆様にお話をする機会を頂き、大変嬉しく存じております。本日は、「わが国の金融経済情勢について」というやや固い題目ではありますが、日本経済の状況や日本銀行の政策について、できるだけわかりやすくお話ししたいと思っております。

1.日本経済の現状

(1)景気は回復している

景気の現状と見通し

 まず、日本経済の状況について、日本銀行の見方をご紹介します。日本銀行は、現在「景気は緩やかに回復している」と判断しています。また、先行きについても、緩やかな回復が続くと予想しています。

 こう申しますと、政府や日本銀行は「景気は回復している」と言っているが、そんな実感はない、という方もおられるかと思います。日本銀行が全国の約3,000人の方々のご協力をいただいて昨年9月に行った「生活意識に関するアンケート調査」でも、半数近い人が、1年前に比べて景気は「悪くなっている」と答えています。また暮らし向きも「どちらかと言えば苦しくなってきた」という人が半数を超えています。一方で、企業に対するアンケートでは、業況は良いと答える企業が、大企業・製造業などを中心に増えてきています。

 本日は、なぜこうしたギャップが生まれてしまうのかについても、お話したいと考えています。ただ、その前に、なぜ日本経済は回復していると考えているのか、というところから話をはじめたいと思います。

 理由の第1は、世界経済全体が回復していることです。米国では、大規模な減税が行われたことや、中央銀行であるFRBが低金利政策(ゼロ金利ではなく、1%ですが)を続けていることもあって、消費などを中心に景気回復が続いています。クリスマス商戦もまずまず好調で、日本からは薄型テレビなどデジタル家電の輸出が増えたようです。このところ、企業の生産や設備投資も活発になってきており、回復の主役を個人から企業部門にうまくバトンタッチできそうな状況となっています。回復が遅れていた雇用の面でも失業率などが改善してきました。またアジアでは、中国が昨年のSARSの影響を比較的早く脱して、高い成長軌道に復帰しています。不動産などの投資ブームで貸出が急増し、過熱が心配されていましたが、中国の中央銀行である人民銀行は、その抑制に乗り出しています。ヨーロッパは、日本と同様構造問題に悩んでいますが、ようやく回復の兆しが出てきました。

 また、品目で言うと、パソコンや携帯電話、その材料となる半導体などいわゆるIT関連財の需要が世界的に高まっています。こうした商品は、世界中で分業体制ができています。例えば、米国でパソコンが売れれば、台湾やシンガポールなど東アジアの国々からの輸出が増え、それらを作るための機械などを含め、日本からの輸出にもつながるといった形で、各国に波及していきます。こうしたこともあって、最近の世界各国の景気は連動して動く傾向が強まっています。世界経済の回復は、当面続くものと考えられますので、日本の輸出や生産も増加傾向が続くだろうと予想されるわけです。

 また、第2に、国内面でも、企業の経営改善努力の結果、収益が回復しています。本日お越しの経営者の皆様も、収益が出る体制を築くために、様々な工夫や努力を積み重ねてこられたことと思います。企業収益が増え、また景気の先行きに少しでも明るさが見えてくれば、これまでずっと抑えられてきた設備投資を行おうという企業も増えてきます。日本銀行が全国の企業約8,000社を対象に行っているアンケート、いわゆる「日銀短観」でも、企業の業況感や利益率、設備投資の伸びなどは、バブル崩壊後としては、ピークか、それに近い水準にまで回復してきています。今は、こうした生産・企業収益・設備投資の好循環が働きはじめたところです。来年度まで見渡しても、こうした動きが続くであろう、というのが日本銀行の見方です。

 今週はじめ、日本銀行は、全国32ヶ店の支店や海外事務所から支店長などを集めて支店長会議を開きました。支店長などの報告でも、こうした景気に関する見方が確認されたところです。

先行きに対するリスク

 ただ、将来の予想には常に不確実性があります。前提となる海外経済の状況や株価・為替相場などの市場の動き、金融システムの状況などによっては、こうした見方が実現しない可能性もあります。すべての要因についてご説明する時間はありませんので、本日は、海外経済や市場の動きに触れたいと思います。

 まず、海外経済については、さきほどご説明したとおり、米国で雇用情勢が改善し、バランスの良い成長が実現しつつあることや、世界的なIT需要が堅調なことなどを考えると、減速のリスクは一頃より小さくなっていると言って良いと思います。

 一方、注意が必要なのは、金融・為替市場の動きとその影響です。このところ、為替市場では、ドル安が進んでいますが、その背景としては、米国の「双子の赤字」の問題やイラクを含めた地政学的なリスクが意識されているといわれています。米国は、減税やイラク戦争の支出などもあって、財政赤字が膨らんでいるほか、貿易の面でも赤字が続いています。万一米国経済に対する信頼に陰りが出たときに、今米国の株や国債などを買っている世界の資金がどう動くのか、その時、為替相場や世界の株価・長期金利はどうなるのか、といったことが市場の注目を集めているのです。米国が高い生産性をバックに成長を続ける限り、これからも世界の資本を惹き付けるだけの魅力を持つと考えられますが、イラクを含めた地政学的なリスクなど経済の論理では割り切れない問題もあるだけに、注意してみていかなければならないと思っています。

バブル崩壊後3度目の回復

 やや長い目で振り返ってみますと、今回はバブル経済が崩壊して以降3回目の回復になります。80年代後半のバブル期には、人々の将来に対する見方が過度に強気になり、土地や株の値段が実力以上に上がりました。企業は銀行からお金を借りて、工場やビルを建てたり、土地を買ったりしましたが、その後思ったほどには売上げや利益が上がらず、地価や株価は大きく下落しました。これに対処するため、企業は工場や機械などの過剰な設備を減らしたり、従業員を削減したりしました。また、少ない利益の中から過大な借金を返すことに追われることとなりました。銀行は返済ができない借手を多く抱え、いわゆる不良債権の処理を余儀なくされてきました。

 このような企業の過剰な設備・雇用・債務の削減や、銀行の不良債権処理は、90年代から現在に至るまで、日本経済の回復にとって重石となってきたのです。過去2回の回復は、こうした重石を背負いながらのものであり、力強さに欠けるものでした。このため本格的な回復に至る前に、海外経済の後退や金融機関の破綻などをきっかけに、後退局面に入ってしまいました。

 まず、1回目は、93年頃から97年頃まで比較的息の長い回復が続きましたが、97年秋の山一証券、北海道拓殖銀行の破綻、アジアでの通貨危機などもあって、景気は大きく悪化しました。2回目の回復局面は、99年のはじめ頃から、世界的なITブームに支えられた回復でした。ただ、2000年末にかけてブームが終焉を迎え、IT産業などが調整局面に入りました。その影響で、米国や東アジアの景気は後退し、わが国の景気回復も比較的短命に終わりました。追い討ちをかけるように、2001年9月の同時多発テロや昨年春のイラク戦争、SARSの発生など、世界経済にとって不透明な要因が重なりました。その後、こうした不透明感が徐々に薄れ、IT部門の調整が終わる中で、世界経済は回復局面に入ってきました。わが国経済も、さきほどご説明したように、緩やかに回復をはじめたわけです。

 この間、企業の過剰債務などの削減や金融機関の不良債権処理など構造的な問題への取組みは続いています。10年以上やってきたわけですから、それなりに進展があることは間違いないと思います。この先、構造的な調整がどの位進展し、日本経済にとっての重石をどの位軽くすることができるか、それが、今度こそ、本格的な回復につなげていけるかどうかの鍵だと思っています。

(2)なぜ景気回復の実感に乏しいのか

個人の実感

 さて、「景気は回復している」と言っても「そうした実感はない」という声が多いことも事実です。なぜでしょうか。ひとつは、景気回復といっても緩やかなもので、実感を感じにくいということはあると思います。加えてもう一つの答えは、今ご説明したバブル崩壊以降の景気回復の歴史の中にあります。

 バブル崩壊以降、企業は売上げが伸びない中で収益を上げていくために、人件費を抑制し、パートへの代替を進めてきたわけです。企業の側からは、生き残りのため必須のことだといえますが、個人の側からみれば、給料が増えないとか、雇用が心配だという状況が続いています。さきほどの生活意識アンケートでは、約8割の人が勤め先の雇用や処遇について「不安を感じている」と回答しています。雇用や所得を巡る環境は、徐々に好転していくと考えられますが、企業の人件費抑制姿勢は根強く、当面は、所得が明確に増えるまでには至らないと思います。加えて社会保障の負担が増えることなども考えれば、可処分所得はさらに伸びない状況にあります。個人の立場から見て景気回復の実感が伴いにくいというのは当然のことかもしれません。

 所得が伸びないとすれば、個人消費も当面は横ばい程度で推移すると考えています。もっとも、個人消費にとっては良い材料もなくはありません。デジタルカメラ、DVD、薄型テレビという「新三種の神器」の話です。かつての洗濯機や冷蔵庫がそうであったように、家電製品はある程度普及してくると、一気に広まる傾向があります。DVDレコーダーなどはそうした段階に入っているか、入りつつあるところであり、消費を下支えする材料になるのではないかと思っています。一方悪い材料もあります。ここ2~3年所得が落ち込む中で消費はそこそこがんばってきたことです。その裏側では貯蓄に回すお金が減っているわけですから、この先所得が多少回復しても、その分がすべて消費に回るということにはならないかもしれません。そうしたことを考え合わせれば、個人消費が大きく伸びるとは考えにくいと思います。

企業間の格差

 「景気回復の実感に乏しい」ことのもうひとつの背景は、企業の中でも、好調な企業とそうでもない企業があり、とりわけ中小企業や非製造業にとって厳しい状況が続いていることです。今回の景気回復のパターンは、輸出が伸び、それが生産や設備投資に結びついていくという形のものです。そうすると、どうしても中心は、製造業、それも輸出を行うような大企業になるということです。一方で、中小企業や非製造業では、そこまでの実感が伴ないません。

 また、過剰債務などの構造的な問題は、中小企業や非製造業で特に根強く残っています。さきほど日本銀行の短観調査で、企業の収益や業況感などは、バブル崩壊後最高のレベルまで回復していると申し上げました。ただ、もう一つの特徴は、大企業・製造業と、中小企業や非製造業の格差が大きいということです。これはバブル崩壊以降の景気回復に共通する特徴点です。過去2回の景気回復局面でも、大企業・製造業中心に収益の増加や業況感の好転がみられましたが、中小企業や非製造業にまで十分広がらず、本格的な回復に至りませんでした。今回の回復局面では、こうした分野への広がりがみられるかどうかが、日本経済が本格的な成長を取り戻せるかの大きなポイントだと思っています。そして、中小企業や非製造業に回復が広がる条件はこうした企業が十分回復できなかった理由の裏返し、すなわち、過剰債務などの構造的な問題への対応が十分進捗するか、にかかっていると思います。

 例えば、企業の債務の残高をみると、製造業では、経済の成長の度合いを勘案すれば、ほぼバブル前の水準と変わらないのに対して、非製造業では、最近やや減ってきたとはいえ、なお、債務が多い状況が続いています。もちろん、個々の企業によって問題の大きさは異なりましょうが、いわゆる過剰債務の問題は主として非製造業の問題といえると思います。

 また、それと表裏の問題が、貸し手である金融機関にとっての不良債権問題です。実際、不良債権問題の中心は、建設・不動産・卸小売りなどの非製造業向けです。また、不良債権問題や金融機関の経営の問題は、資金調達の大部分を銀行借入れに依存している中小企業に影響を与えてきました。例えば、97~98年頃、金融機関の破綻が相次いだ時、中小企業の資金繰りは大きく悪化し、設備投資も減少しました。このように、非製造業や中小企業、金融機関の構造的な問題は、相互に絡み合いながら、こうした分野の回復を遅らせてきたといえると思います。

 わが国の金融システムは全体としてなお厳しい状況にありますが、不良債権問題については、このところ一定の進捗がみられます。不良債権の残高は、大手行を中心に減少しました。また、不良債権から損失が発生した場合への備えである引当の水準も高くなっています。このような対応が進んだことや景気が改善してきたことから、昨年9月の中間期は、不良債権からの損失はこれまでよりかなり少な目で、ほとんどの銀行が黒字決算となりました。株価が4月頃をボトムに上昇したことも、大手行にはフォローの風となりました。大手行の自己資本比率は、平均して11%程度と3月末より1%以上高くなっています。

 こうしたもとで、例えば1~2年前と比べれば、金融機関の経営の問題が、企業の資金調達や経済全体に悪影響を与える惧れは小さくなってきていると言って良いと思います。人々の金融システムに対する不安感も徐々に後退してきているように窺えます。これは、意外に身近なところにも表われています。例えば、世の中に出回っているお札の量は、ここ10年ほど相当な勢いで増えてきたのですが、ごく最近になって伸びが低くなってきています。ひとつには、金融機関に預けるのが不安で「たんす預金」をしてきた人が、少しは預金するようになってきているのではないか、と思っています。

 ただ、来年4月に予定されているペイオフの解禁を控えて、手を緩めることなく、不良債権を着実に処理し、経営の健全性を高めていかなければなりません。日本銀行は、金融機関の経営をチェックするため、金融機関に赴いて考査を行ったり、日常から面談や電話でコンタクトをとってモニタリングを行ったりしています。今後とも、こうした活動を通じて、金融機関の積極的な取組みを促していきたいと考えています。

東京と地方の格差

 景気回復の実感という意味では、「東京などの大都市はともかく、地方は景気が悪い」という声も多く聞かれます。これは、これまでご説明してきたような、大企業と中小企業の格差が、地域間の格差として表われたものと考えられます。また、グローバルな活動を行っている大企業が生産拠点を海外に移転しているため、本社のある大都市と、工場のある地方とで格差が生じているということもあるように思います。

 日本企業ブランドのテレビは、液晶とかプラズマといった高付加価値製品以外は、ほとんど海外で生産されています。最近ではDVDプレーヤーなども中国などで生産されているようです。国際協力銀行の調査によれば、日本企業の海外生産比率は、3割近くにまで上昇してきています。海外移転の動機も、単にコストが安いからというよりも、IT関連の国際分業体制の中でのアジア諸国への拠点の再配置や、現地市場の拡大を見越した中国への進出などが目に付きます。例えば中国の携帯電話の普及率は2002年で15%程度ですが、人口は日本の10倍です。日本のようにムービー機能付きが売れるわけではないにしても、魅力的な市場といえます。これらのことも考えれば、先行きも海外移転のトレンドは続くと予想されます。

 こうした流れは、グローバルベースでの企業の収益力を高めるために必要な戦略ですが、一方で下請けなど国内に残される企業の経営に与える影響は大きなものです。大都市と地方の格差も、こうしたところから理解することができると思います。地価の面でも東京に比べ、地方での下落が目立ってきています。ちなみに埼玉県内でも、さいたま市を含む東京隣接地域の商業地価の下落率は約5%なのに対して、県北部などのその他地域は約9%となっています。

 ここで一旦これまでの話をまとめておきましょう。日本経済は、世界経済の回復の中で、全体として緩やかな回復過程に入っていると思います。ただ、同時に、大企業と中小企業、製造業と非製造業、企業と個人、東京と地方といった格差が広がっています。このため、どうしても、景気回復の実感が伴わない状態が続いています。これを本格的な回復につなげていくには、弱い分野にも広がりをみせることが必要です。そのためには、過剰債務や不良債権問題など、こうした分野の回復を妨げている構造的な問題が解決に向かっていくことが大切だと思っています。

(3)物価の下落が続いている

 次に、物価の話をしたいと思います。新聞やテレビでは、「デフレ」という言葉が聞かれない日はありません。「デフレ」という言葉は、昨年1年間で主要な新聞に約7,000回登場しています。昨年最大のニュースである「イラク」は5万回、「阪神」は2万5,000回で、これらには及びませんが、相当に関心の高いニュースであったことが窺われます。

 皆様の実感では物価は下がっていると感じておられるでしょうか。生活意識アンケートでは、物価が1年前に比べて「かなり下がっている」「少し下がっている」が合わせて3割位、逆に「かなり上がっている」「少し上がっている」は15%程度ですので、この点は、アンケートで見る限り、多少の実感を伴っているように思われます。もっとも、「ほとんど変わっていない」という人が最も多く5割位ですので、「緩やかな物価下落」か、「ほとんど横ばい」というのが家計の実感ではないでしょうか。

 実際、家計からみた物価を表わす消費者物価指数は、このところ、前年比で若干のマイナスかほぼゼロ%という水準になっています。ちなみに、新聞等で「デフレ」という言葉が登場する回数も段々と減ってきています。

 このように物価の下落が緩やかになってきている背景には、景気が回復して物が少し売れるようになってきていることのほかに、一時的な要因も働いています。皆様良くご承知のように、昨年の冷夏で米の値段が上がっています。お正月の餅も去年より高かったようです。昨年から医療費の自己負担率やたばこ・発泡酒などの税金が上がったことも影響しています。そういう要因もあることを考えれば、基調としては、なお緩やかな物価下落が続いていると考えられます。

 「物価が下がるのは良いことじゃないか」という考え方もあると思います。実際、さきほどのアンケートでは、物価が下がっていることについて、「どちらかといえば好ましいことだと思う」という人が4割で、「どちらかといえば困ったことだと思う」の2割を上回っています。ただ、これは消費者としての立場で、立場を変えて企業の側に立てば、製品価格や納入価格が下がっていることは大きな問題です。企業に勤めている人の給料やボーナスが下がることにもつながります。また、特に住宅ローンを抱えている人などは、返さなければならない金額は変わらないのに年収は下がっているというのは大変切実な問題ではないかと思います。物価はいわば「ものさし」のようなものですから、大きく変動しないことが大事です。「ものさし」が動いてしまうと、今借金をして工場を建てればいいのか、あるいはローンで家を買おうか、といった選択が難しくなってしまいます。人々が経済活動を営む際に、物価について思い悩むことがないようにするのは、日本銀行の大切な仕事です。物価の下落はやはり問題なのです。

 では、なぜ今物価が下がっているのでしょうか。基本的には、景気が十分に良くならないからです。企業が物を作っても売れなければ値段は上げられません。今は物を作る能力に比べて買おうとする需要が少ないので、物価が上がらない環境になっています。個人は雇用に不安があったり、給料が下がっていれば、物を買うのをためらいます。企業も景気が悪くて売上げが伸びないと思うと、設備投資をしようとは思いません。日本経済が本格的に回復していくのだという目処が立ってくれば、企業も思いきった設備投資をしたり、人を雇ったりするようになるでしょう。そうすれば、個人も安心感を持って消費するようになり、物価の下落も止まると考えられます。デフレから脱却するためには、やはり、景気を良くしていくこと、それも裾野の広い本格的な回復となるように、構造的な問題を解決していくことが必要なのです。

2.日本銀行の政策

(1)量的緩和政策

量的緩和政策

 それでは次に、日本経済が本格的に回復し、デフレを脱却するために、日本銀行がどのような政策を行っているか、についてお話します。日本銀行に限らず、世界の中央銀行の目的は、物価の安定を通じて経済の健全な発展に貢献することです。中央銀行がたくさんの資金を供給して金利を下げると、経済活動が活発になり、物価も上がりやすくなります。逆に金利を上げれば、経済活動や物価上昇を抑制することになります。中央銀行は、先行きの経済や物価の情勢を予測しながら、金利をコントロールして、物価が安定するように努めています。

 日本銀行も、バブル崩壊後の91年から95年までの4年間で、公定歩合を6%から0.5%にまで引き下げました。その後も景気が十分回復せず、物価が下がる中、99年にはゼロ金利政策を導入しました。現在は、短期の金利をこれ以上下げられなくなっている中で、銀行により多くの資金を供給する政策、いわゆる「量的緩和政策」を行っています。日本銀行は、銀行などが日本銀行に持っている当座預金口座に30~35兆円ほどの資金が残るように資金を供給しています。銀行などは法律などによって6兆円ほどの残高を日本銀行に持っておかなければなりませんが、その5~6倍の資金ということになります。銀行は必要以上の資金を持っているので、あわてて市場で資金を取る必要はなく、短期の金利はほぼゼロ%になっています。

 日本銀行が大量の資金を供給していますので、銀行は容易に資金を手に入れられるという安心感を持っています。このことは、銀行が自分の資金繰りを心配して企業への貸出をためらうようなことがないようにする効果があります。例えば、97年頃には、金融機関の破綻の影響もあって、優良な大企業ですら、銀行から必要な資金を調達できないような事態がありました。現在では、少なくとも銀行の資金繰りという面では、そうしたことが起こる心配はほとんどありません。

 また、日本銀行は、量的緩和政策を物価が実際に上がりはじめるまで続けると宣言しています。その効果は、やや長い期間の金利まで低くなったことです。さきほどご説明したように景気回復のテンポは緩やかなものなので、物価が実際に上がりはじめるにはもう少し時間がかかると考えられます。日本銀行の政策委員会のメンバーの大勢は、消費者物価指数は、来年度もややマイナスになると予想しています。そのとおりだとすれば、来年度も量的緩和政策が続くことになります。市場でも、そうした物価見通しが一般的なので、足許の金利に限らず、もう少し長めの金利もゼロ%に近い水準になっています。

 この点に関連して、日本銀行は、(1)経済・物価に関してどういう見方をしているか、(2)そのもとで、どのような考え方で政策を行っていくのか、わかりやすく説明していくことにも努めています。例えば、現在少し長めの金利もゼロ%に近い水準となっているのは、物価が上がりはじめるまで量的緩和を続けるという日本銀行の約束が、市場で良く理解されているからです。そういう意味で、日本銀行が正確な説明を行っていくことで、政策の効果は高まることになります。金融政策は、その内容が適切であることが重要なのは当然ですが、それをどう説明し、市場がどのように反応するか、という点も重要なのです。日本銀行は、こうした「市場との対話」にも細心の注意を払っています。また、申すまでもないことですが、日本銀行の政策は、国民の皆様ひとりひとりに影響のある重い仕事ですので、きちんと説明して理解を頂くようにしなければなりません。本日の講演もそういう大切な機会のひとつと思っています。

 ところで、先週、日本銀行は、資金供給の目処を3兆円ほど増やして30~35兆円程度とすることを決めました。この一段の量的緩和はマーケットの一部などから予想外のことと受け取られているようです。そこで今回の政策変更について、少し詳しく説明したいと思います。日本銀行では、年に2回、先行き1年~1年半の経済・物価について、最も可能性が高いと思われる見通しを「標準シナリオ」として公表しています。直近の標準シナリオは、昨年10月に公表されました。そこでは、今年度、来年度を通して、経済成長率は実質2%台半ば、消費者物価は0.2~0.3%程度の下落と予想されています。現時点においても日本経済は概ねこの標準シナリオに沿って展開していると判断しています。しかしながら、標準シナリオに沿っていると言っても、景気回復は緩やかなもので本格的な回復ではありませんし、デフレ克服の展望も拓けていないということで、決して満足すべき状態ではありません。そうした中で、さきほどご説明した米国の「双子の赤字」やイラク情勢などを背景にドル安が進むなど、金融・為替市場の動きには注意が必要な状況になっています。

 そこで、日本銀行は、追加的な金融緩和を行うことで、デフレ脱却に向けたスタンスを改めて明確に示し、今後の景気回復の動きをより確かなものにしていこうと考えました。そうした日本銀行の固い決意と先を見越した政策対応が、市場や人々の安心感につながり、より前向きな動きを促していくものと期待しています。

銀行貸出は増えていない

 以上のように、日本銀行の量的緩和政策のもとで、金利は少し長めの金利を含めて極めて低い水準となっており、銀行の資金繰りも安定しています。企業金融という面から見ても、低金利で安定的に資金を調達できる環境を整えることに貢献し、日本経済をしっかりと後押ししています。

 しかし、日本銀行が資金を大量に供給しているにもかかわらず、銀行貸出はここ数年ずっと減り続けており、企業への貸出の増加にはつながっておりません。これは一体なぜでしょうか。これには貸し手・借り手双方の事情があります。ひとつは、企業が過剰な債務を削減していることや、景気の先行きに確信が持てない中で設備投資を絞り込んできたことです。もうひとつは、銀行が不良債権問題などでリスクを取る余力が十分でなかったこともあります。この点は、最近、やや貸出を積極化させようとする気運も生まれていますが、比較的信用力の乏しい企業に対しては、厳しい状況が続いています。

 今後貸出残高の減少が止まるかどうかは、こうした要因の綱引きによって決まります。企業が景気の先行きに自信を深め、収益以上の設備投資を行ったり、金融機関の健全化が進んでより積極的な貸出態度を示せば、貸出増加の要因となります。一方で、過剰債務の返済が進めば、減少要因となります。実際、債務の返済は業況感が良くて収益が出ているときに進む傾向があります。「日銀短観」には、企業が先行き3ヵ月で債務を「減らすか」、「増やすか」を聞く質問がありますが、企業規模を問わず、「減らす」という回答が上回っています。それも大企業ほど「減らす」という回答が多くなっており、また、比較的景気の良い時期、例えば2000年や現在のような時期の方が「減らす」という回答が増えています。収益に余裕があれば借金を返したいという企業の姿勢が引き続き強いことが窺われます。

 さきほどご説明したような形で日本経済が回復していくとすれば、企業の売上げや設備投資は増えるので、運転資金や設備資金がそれなりに必要になってくるはずです。ただ、同時に企業収益も増加するので、それでこうした資金ニーズを賄ったり、さらに債務返済に回す企業も多いと考えられます。そうだとすれば、借入れや社債の発行が大きく増えるという状況にはなりにくいと思っています。日本銀行では、企業の資金調達は、減少のテンポが緩やかになるにしても、当面は増加に転じるまでには至らないと予想しています。また、仮に案に相違して増加したとしても、設備投資や売上げが予想以上に好調なためなのか、それとも、企業収益が思ったほど伸びず、過剰債務の返済が進まなかったためなのかによって、喜ぶべきことかどうかは異なります。

 このように、企業の設備投資や収益が回復していること、その下で過剰債務の返済や金融機関の健全化も進展してきていることは、いずれも前向きの動きと評価できるわけですが、貸出残高に対する表われ方は様々です。貸出残高の動きは、その背後にあるこうした動きを良く分析しながらみていく必要があると考えています。

 これに関連して、最近新聞等で「通貨供給量」あるいは「マネーサプライ」の伸びが低くなっているとか、景気の本格的な回復やデフレ克服のためには、もっと伸びるようにしなければならない、といった記事を目にされた方もあるかと思います。マネーサプライというのは、要すれば、個人や企業が持っている「現金」や「預金」の量のことです。実は、「貸出」と「預金」は、貸出が増えると預金も増えるという関係にあります。逆に、現在は貸出が減っているので、預金やマネーサプライも伸びにくい状況になっているのです。

 これはやや込み入った話ですが、皆さんが住宅ローンを借りたときのことを思い出してみてください。銀行からローンを借りると皆さんの預金口座に入金されます。それで家を買うと預金は減りますが、不動産会社の預金口座は増えるはずです。企業が借入れをして、材料を買ったり、給料を払ったりした場合も、取引先や従業員の預金が増えます。このように銀行がローンや貸出を行うと誰かの預金が増えるのです。企業や個人は必要だからお金を借りるので、それを受け取る人がいるというのは、良く考えると当たり前のことです。

 これを少し大きな目で見てみると、日本全体では、銀行は個人や企業にお金を貸し、それがまた個人や企業から銀行への預金になる、という形でお金は回っているということになります。したがって、その全体としての量は、同じように増えたり減ったりするということです。そうだとすると、マネーサプライが伸びないということを評価する場合にも、その背後にある動きをよく点検してみることが大切です。さきほどご説明したとおり、過剰債務の削減など構造調整が進んでいることによって、貸出が減っているという面もあるからです。

(2)金融緩和の波及経路の強化

 さて、日本銀行が量的緩和を行っても、今申し上げた事情で銀行貸出がなかなか増加しないという状況の中で、銀行貸出以外の企業の資金調達手段を広げていくことも大切です。社債やCPなどがその代表格ですが、中小企業などの場合、ひとつの企業の債務では、直接投資家に販売するには小規模すぎることもあって、実際に社債やCPを発行することはなかなか困難です。そこで、銀行などが窓口になって、多くの企業の貸出債権や売掛債権などをまとめて、それを担保に証券を発行する「資産担保証券」という仕組みが、ひとつの資金供給手段として注目されています。日本銀行は昨年からこうした証券の買入れを始めました。その際、とりわけ中堅・中小企業の金融の円滑化を図るため、裏付けとなる資産の半分以上が中堅・中小企業に関係する債務であることを条件としています。

 従来の伝統的な金融政策では、このような資産担保証券を中央銀行が買い取るなどということは考えられませんでした。しかし、銀行貸出以外に金融緩和が企業に波及する経路を育てるため、日本銀行は資産担保証券の買入れに踏み切りました。このような「非伝統的金融政策」は、まだ外国にも例がないように思います。

 日本銀行は、先週、これまでの買入れの経験を踏まえ、基準をいくつか見直し、日本銀行が資産担保証券を買い入れやすいように改めました。こうした見直しは、資産担保証券市場の長期的な発展に役立つと考えられます。また市場が発展していけば、企業にとっても、資金調達の選択肢が広がることになります。実際、資産担保証券のひとつである資産担保CPの市場は拡大してきています。

 以上のように、日本銀行は、量的緩和政策や多様な資本市場の育成などを通じて、金融面から、企業など民間の活動を支えています。そのもとで、民間の方々のご努力が実を結び、回復の裾野が広がっていけば、その先にデフレ脱却が見えてくると考えています。それまで、粘り強く量的緩和を続けていきたいと思っています。

(3)量的緩和政策の副作用

 もちろん、量的緩和政策には、副作用もあります。例えば、金融市場では、日本銀行が大量の資金を供給し、金利がほとんどゼロ%となっているため、資金を運用してもあまり利息がつかなくなっています。このため、お金の余っている金融機関も、資金を出す気持ちが乏しくなり、取引が成立しにくくなるという問題が生じています。金融市場の働きが弱くなることは大きな問題ですが、今は、本格的な景気の回復とデフレ克服を実現することを最優先に、量的緩和政策を続けているわけです。

 また、「副作用」という言葉は適切でないかもしれませんが、預金者の方々からは、「量的緩和のせいで預金をしても利子がつかない」というご不満もあるかと思います。ただ、今金利を上げれば企業への貸出の金利も上がり、景気が悪くなってしまいます。何よりまず、景気を良くしていかなければなりません。景気が良くなれば、企業は借り入れをしても儲けで利子を払えるようになりますから、自然に金利は上がっていきます。そうした状態になる前に金利を引き上げれば、景気を悪化させ、後でより長い期間ゼロ金利を続けざるをえなくなってしまいます。過去に預金金利が高かったときは、景気が良いときか、インフレになっているときか、あるいはその両方です。古くはオイルショックの時やバブル期には、預金に高い金利が付されていました。高い金利が付いても、インフレで預けたお金の価値が下がっては意味がありませんから、やはり目指すべきは、経済が安定的に成長し、預金者もそれに応じた利息を受け取るということでしょう。日本銀行は、そうした姿を目指して低金利政策を続けているということをご理解いただければと存じます。

おわりに

 最後に、締め括りとしまして、年初でもありますので、今年1年がどのような年になるのか、私の見方をお話しして、講演を終えたいと思います。

 日本銀行の見通しでは、今年は、緩やかな景気回復と物価の下落基調が続くと考えられます。政府も同じような見方をしています。これを本格的な回復とデフレの克服につなげていくためには、過剰債務の削減や金融システムの健全化などが進み、日本経済の将来について人々が明るい見通しを持てるようにならなければなりません。今年のように、世界的な経済の環境が良いときこそ、こうした構造的な問題に対する取組みを進めていくことが大切だと思います。

 その過程では、景気は回復しているけれども、給料やボーナスはあまり増えないとか、企業間の格差がなかなか縮まらない、といったことも起こると思います。過剰債務の返済で、銀行貸出は減少を続けるかもしれません。預金者の皆様には利子がつかない状態を今しばらく我慢して頂かなければならないと思います。

 ただ、こうしたことは、将来の飛躍のステップとして、必要なことです。こうした過程を経てこそ、個人や中小企業などを含めた裾野の広い回復が実現し、デフレの脱却も視野に入ってくるのです。今年は、そうした飛躍のための準備の年になるのではないか、と考えています。

 日本銀行は、量的緩和政策を粘り強く続けるとともに、多様な金融仲介の手段を整備することで、緩和の効果が経済全体に行き渡るように努めています。こうしたことを通じて、民間の方々のご努力を全力でサポートしていく所存です。

 鏤々申し上げましたが、本日の機会が、日本経済の状況や日本銀行の政策に関するご理解を深めていただく一助となったとすれば幸いです。ご清聴ありがとうございました。

以上