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最近の金融経済情勢について
2004年3月25日長崎県金融経済懇談会における福間年勝審議委員基調説明要旨
2004年3月25日
日本銀行
目次
1.はじめに
日本銀行の福間でございます。本日は、お忙しい中、辻原副知事を始め経済界・金融界の中核の方々にお越し頂き、金融経済情勢についてお話をさせて頂く機会を得ましたことを大変光栄に存じます。また、平素より、日本銀行長崎支店が経済調査等々で皆様に大変お世話になっております。この場をお借りして厚く御礼申し上げますと共に、今後ともご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。本日の懇談会では、僭越ではございますが、冒頭、私の方から最近の金融経済情勢全般についてお話を申し上げ、その後、皆様方と意見交換をさせて頂ければと思います。本席上では、皆様方から長崎県の経済・金融の動向や、日本銀行の政策・業務運営等に対する忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いに存じます。
2.海外経済と日本経済の現状と先行き見通し
(1)世界経済の動向
(1−1)景気・物価の現状
それでは、お手元の図表に沿ってご説明致します。まず、世界経済の現状ですが、特徴的な点を申し上げますと、第一の特徴は、図表1にあるとおり、景気は世界的な回復傾向にあり、回復の範囲もブラジル、ロシア、インドといったエマージング・カントリーにまで広がっていることです。ブラジル、ロシア、インドは中国と共にその高い成長性に内外の注目が集まっており、最近、国名の頭文字をとって"BRICs"と総称されるようになっています。大手外証の試算によれば、BRICsのGDP合計額は40年以内にG6を抜く見通しとのことです。2番目の特徴は、そうした世界的な景気回復の中でも、中国を中心とするアジア諸国が、特に高い経済成長を続けており、図表2にあるとおり、近年、世界のGDPや輸出入額に占める中国・その他アジア諸国の割合が急速に高まっています。これは、アジア各国において、緩和的な金融政策の効果も手伝って内需が拡大し、それを映じて日本を含むアジア域内の相互貿易が活発化する自律的な経済成長メカニズムが働いているためです。域内の相互貿易の活発化については、図表3をご覧ください。そこにはアジア各国の輸出が、中国を中心とした他のアジア諸国向けを中心に高い伸びとなっていることが示されています。3番目の特徴は、世界的な景気回復にも関わらず、図表4−1が示すように、物価上昇率の低い状態が続いていることです。この要因としては、第一に、経済のグローバル化に伴い、BRICsやその他アジア諸国等の新興工業国から世界市場への質のよい安価な製品供給が急増し、先進工業国では競合製品の価格支配力を維持することが困難になったことが挙げられます。また、米国や日本等では、図表5の一生産当たりの労働コスト、いわゆるユニット・レーバー・コストの低下が示すように、企業の生産性が向上していることも指摘できます。これらの企業では、リストラのほか、ITを活用して、業務プロセスの合理化(BPR)を進めたり、海外へのアウトソーシングを通じて良質で低コストの労働力を活用するなどして生産性の向上を図っています。もっとも、中国の内需拡大とその「世界の工場」化を反映して、鉄鉱石、鉄スクラップ、銅鉱石、石油、石炭等の原料価格や、それらを運搬する海上輸送の運賃が、図表6にあるとおり、高騰しています。米国では、図表4−2にあるとおり、原材料価格の高騰は最終財価格に波及していませんが、今後、こうした川上の物価上昇が日本を含む各国の最終財価格や企業業績、賃金・雇用情勢、ひいては景気動向にどの程度の影響を及ぼすかを見守る必要があります。
(1−2)世界経済のリスク要因
現在までのところ順調に回復している世界経済についても、先行きのリスク要因として、為替相場の動向、世界的なテロの再発、鳥インフルエンザの感染拡大に加えて、中国および米国経済の動向についても注意が必要です。中国については、高成長が続く中で、既に電力・水不足や交通渋滞等が生産活動のボトルネックになり始めています。また、先般行われた全国人民代表大会では、今年の経済成長率目標が昨年実績の9.1%よりも低い7%に設定され、中央政府主導で、地方政府間にみられる重複投資の抑制等を行う方針が示されました。このため、中国経済は、高めの成長は維持するものの、幾分スローダウンする可能性もあります。
一方、米国経済については、財政拡大(減税)と金融緩和を背景に、設備投資と個人消費が堅調に推移し、景気は着実に回復していますが、景気回復が持続するかどうかは、雇用の改善とこのところ急騰しているガソリン価格の動向が鍵となっています。このうち雇用の改善に関しては、米国では、先程述べたように、企業の生産性向上がみられますが、日本等他国との比較において特徴的なことは、ITを活用したBPRが徹底していることに加え、海外へのアウトソーシングが広範囲に亘ることです。具体的には、中国等への工場移転に止まらず、インド、ロシア、フィリピン等に銀行のバックオフィス事務や航空機の設計等サービス分野やソフトウェア開発等を委託する例までみられます。これが「ジョブレス・リカバリー」との言葉に代表される景気回復下での雇用の伸び悩みの一因となっています。この点は、後程申し上げるように、わが国経済の今後の課題を考えるうえで他山の石とすべきではないかと思います。
(2)日本経済の動向
(2−1)景気の現状
世界経済が順調に回復する中で、日本経済も、アジア向けを中心とした輸出の大幅な伸びが、高水準の生産をもたらし、さらにそれが設備投資の増加に繋がるという前向きな景気循環メカニズムが働いています。牽引役の輸出については、中国への直接投資に伴う機械・設備類の輸出や、現地工場向けの部品等の輸出、さらには中国を含むアジア諸国の活発なインフラ投資に絡んだセメントや建設機械、鉄鋼製品等の輸出がそれぞれ高い伸びを示しています。また、国内の設備投資については、企業の合併・提携や減損会計導入を前にした設備廃棄の動きから過剰設備が整理されつつある中、いわゆる「新三種の神器」の需要拡大から、プラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)や液晶、CCD等最先端の電子部品の生産能力を増強する投資が大幅に増えているほか、素材や機械産業では既存設備の改修や工場増設も増えています。こうした動きは、大企業に連動する形で中堅中小企業にも及んでおり、設備投資は、広がりと強さがみられます。この間、個人消費についても持ち直しの動きが続いています。その背景には、貯蓄の取崩しに加え、時間外賃金の増加や雇用者数の増加、あるいは株高による資産効果も某か働いて、消費者のムードが明るくなってきていることが影響していると考えられ、そうした中で、デジタル家電や食料、衣料の売れ行きが好調となっています。このように日本経済は、内外需とも回復・持ち直しの動きが認められ、景気循環の観点からは自律的な回復局面が視野に入りつつあるように思います。
(2−2)企業業績
今年度の企業業績については、図表7が示すように、自動車、電機等の製造業が好調であるのは勿論のこと、非製造業の業績回復にも広がりがみられており、情報通信、輸送、不動産、電力、金融等では史上最高益を予想する企業が目立っています。今や、業種や企業の規模、あるいは地域の枠組みを超えて、経営の合理化や新技術・新製品の開発に粘り強く取り組んできた企業では、幅広く業績回復の動きがみられます。このような業績回復の背景には、企業が、高株価と高格付を目標として、株主資本利益率(ROE)の向上や、企業の社会的責任(CSR)の重視、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の強化、国際会計基準に準じた会計基準による情報開示と説明責任に取り組むというビジネスモデルの変化があります。こうした変化の中で、経営者は勿論、社員一人一人に至るまで、収益を基軸に、考え、企画し、行動することにより収益拡大が達成されつつあります。
但し、図表8で企業の「資本」を構成する「当期未処分利益」が、バブル崩壊後減少に転じ、1990年代後半にかけて赤字幅が大幅に拡大したことが示唆するように、バブル崩壊により資本勘定が毀損した企業では、現下の収益拡大によりその修復に当たっており、このことが業績回復を経営者が実感できない一因となっています。国税庁の企業サンプル調査によりますと、欠損金(赤字)の繰越しにより2002年度の法人所得の約2割が非課税になったということで、利益と相殺し切れずにさらに繰越しとなった欠損金も70兆円以上に上るとのことです。また、ROEも、図表9が示すとおり、過去に比べると依然低水準にあるため、図表10にあるように、歴史的にみて高水準にある労働分配率を直ちに引き上げることは難しく、わが国企業でも、米国同様、アウトソーシングやパートタイマーの併用が今後とも残ると予想されます。
(2−3)物価の動向
この間、物価面については、生鮮食品を除くコアの消費者物価は、先程ご覧頂いた図表4にあるとおり、マイナス幅は縮小傾向を辿り、足元はゼロ%近傍で推移しています。こうした動きには、医療費自己負担率の引上げやたばこ税の引上げ、米価の値上がり等一時的な要因も寄与しており、それらを差し引けば、需給ギャップが残る中で、当面、下落傾向は残ると思われます。ただ、先程世界経済のところで述べたように、国際商品市況と海上運賃が高騰しており、その影響から、わが国の国内企業物価も、本年1月および2月は約3年半振りに前年比下げ止まりとなりました。これらの高騰を製品価格への転嫁や合理化努力で吸収しきれない先では、原料高・製品安による赤字ないし減益を回避するため、生産休止または減産を行う動きがみられており、今後、企業業績への影響にも注意が必要です。
(2−4)今後の課題~景気回復の自律性と持続性
この先、現在の前向きな景気循環が続けば、資産デフレの影響を受けた業績不振企業のバランスシート問題、金融機関の不良債権問題、さらには財政赤字等の構造問題も徐々に氷解していくことが期待されます。しかし、構造問題の根は深くかつ広範囲に亘ります。わが国は、バブル崩壊により、第二次世界大戦による物的損害と同程度の割合の国富が失われたと言われています。先行きにおいては、来年4月のペイオフ全面解禁とさらに1年後の2006年3月期決算からの減損会計の全面適用に向けて、銀行や企業がバランスシート調整の最終仕上げに目処を付けられるかどうかがポイントとなります。さらに、少子・高齢化が急ピッチで進む中で、企業や家計の社会保障費や税負担も増加せざるを得ない方向にあります。こうしたことを踏まえると、経済を持続的な成長軌道に乗せていくためには、現在の景気回復が、より強くより高い水準で相当期間持続する必要があります。
その実現のための課題としては、第一に、企業が、先程述べたITの活用による生産性向上を一段と図ること、第二に、医療・福祉・環境・教育等サービス分野や農業等で需要創造型の規制改革を進めること、第三に、わが国の基幹産業の国際競争力を一段と高めることです。第三の点について敷衍しますと、鉄鋼、造船・セメント・一般機械等の重厚長大産業やハイテク産業等の基幹産業は、これまで一貫してモノ作りを大切にしてきた結果、アジア諸国との水平分業を進めることができました。現在、これらの産業は、アジア諸国への供給基地として不可欠な存在となっています。このため、今後とも、経営の合理化や新技術・新製品の開発に取り組んで国際競争力を高めアジア諸国との相互依存関係を深め、拡大していけば、生産ベースのさらなる拡大が期待できます。以上挙げた3つの取組みを中心にしてミクロの活力を引き出しながら、国全体の付加価値創造力を高める努力を続けていけば、国内の賃金・雇用を一層安定化させ、景気回復の自律性と持続性を高めることができると考えております。
(3)わが国の金融動向
(3−1)信用乗数の低下
次に、わが国の金融動向をみますと、日本銀行が、後程述べる量的緩和政策により市場に資金を潤沢に供給してきた結果、図表11の上段にあるとおり、日本銀行当座預金残高と流通現金を合計したマネタリーベースは極めて高い伸びを続けていますが、その一方で、企業や個人が保有する通貨の量、すなわちマネーサプライは小幅な伸びに止まっており、マネーサプライのマネタリーベースに対する比率、いわゆる「信用乗数」は、図表11の下段にあるとおり、1990年代後半以降、昨年秋頃にかけて、ほぼ一貫して低下傾向を辿ってきました。この背景には、貸し手の銀行と、借り手の企業の双方の要因が働きました。すなわち、銀行サイドでは、バブル崩壊による保有株式の価格下落と不良債権の処理により自己資本が大きく毀損し、BIS規制の下で貸出が制約されたほか、銀行の不良債権問題を背景とした金融システム不安や個別行の信用リスクへの懸念から、銀行の流動性需要が高まり、信用仲介機能が低下する結果となりました。一方、企業サイドでも、過剰債務・過剰設備のバランスシート調整のため、図表12にあるとおり、設備投資をキャッシュフローの範囲内に止め、設備投資資金や運転資金を支払ってもなおキャッシュフローに余裕がある場合には、それを銀行借入れの返済に充てました。借入れの返済については、1997~1998年の金融危機を教訓に、企業が、先程述べた高株価と高格付を目標とする経営を通じて、銀行借入れよりも低コストの資金を直接、市場から調達する方針にシフトしたことから、借入れ返済に拍車が掛かる形となりました。企業の直接金融へのシフトには、1996年の「適債基準」の完全撤廃等社債発行に関する様々な規制緩和も影響を与えました。
(3−2)足元の変化と先行きの見通し
但し、昨年10月以降、銀行の貸出姿勢に大きな変化がみられています。銀行は、国債保有残高が相当程度積み上がる中で、昨年来の株価の反転や不良債権処理の進捗を背景に、住宅ローンを中心とした個人向け貸出や中堅中小企業向け貸出を中心に、貸出姿勢を積極化しており、これを映じて、銀行貸出も、図表13が示すように、減少傾向にはあるものの、その減少幅は一頃に比べて幾分小幅になっています。景気との関係で申し上げれば、銀行の中堅中小企業向け貸出の積極化は、それらの企業の設備投資を活発化させ、景気が底固さを増す一因となっています。この間、わが国の金融システムは、個別にみると未解決の問題も残されていますが、預金保険法102条や今後導入が見込まれる2兆円の公的資金導入制度の存在と、各行の不良債権処理に向けた努力により、システム全体の安定性は高まりつつあります。このように銀行の貸出姿勢が積極化し、金融システムの安定性も高まりつつある状況を踏まえると、少なくとも、先行きマネーサプライが伸びを高める基盤は整いつつあるように思います。
もっとも、現実にマネーサプライの伸びが高まるには、銀行の貸出意欲と並んで、借入れ需要も増える必要がありますが、先程述べたように企業のビジネスモデルが変化する中では、銀行貸出の減少に歯止めを掛け、これを増加させていくことは容易でありません。すなわち、キャッシュフロー重視の財務戦略から、最近でも、過去業績不振が続いた大企業が、ここへきてキャッシュフローの大幅改善により借入れ返済を本格化させており、企業の過剰債務問題は相当程度改善しています。先日新聞でも報道されていましたが、過去長期間に亘って無配・減配を続けてきた企業の中には、復配・増配する動きも多数みられています。一方、企業の投資スタンスについても、バブル期のように他社との横並び意識によるのではなく、投資対象の土地や企業、あるいは事業が、将来どれだけキャッシュフローを生み出すかという投資収益率を慎重に見極めたうえで投資を行うようになっています。こうした変化は欧米諸国でもみられており、その結果、図表14が示すとおり、これらの国々の企業向け貸出も減少あるいは伸び悩みの状態です。わが国の銀行も、企業のビジネスモデルの変化に合わせて自らのビジネスを絶えず見直していかなければ、今後、収益力を高めて、経営のさらなる安定化を図ることはなかなか難しい時代となっています。今後の銀行経営のあり方については、後程触れたいと思います。
3.量的緩和政策
次に、以上のような経済金融情勢の下で、日本銀行が行ってきた金融政策、すなわち量的緩和政策についてご説明したいと思います。量的緩和政策の目的や内容については、既に皆様ご案内のことと思いますが、図表15に政策の概要を取り纏めましたので、適宜ご参照ください。本席上では、量的緩和政策を巡る最近の動きとして、昨年10月に行った量的緩和政策継続のコミットメントの明確化と、本年1月の量的緩和の拡大、および量的緩和政策を巡る今後の課題等について述べたいと思います。
(1)量的緩和政策継続のコミットメントの明確化
第一の量的緩和政策継続のコミットメントの明確化、言い換えれば、量的緩和政策解除に関する判断基準の明確化についてですが、図表15にあるとおり、日本銀行は、量的緩和政策をコアの消費者物価前年比が安定的にゼロ%以上となるまで継続することを対外公約としています。そうした中、昨年の夏以降、短期の先物金利が急上昇した際、その要因として、株価と長期金利の急騰に加えて、日本銀行の金融政策決定会合等における量的緩和政策の解除、いわゆる「出口政策」に関する議論や発言の影響も指摘されました。日本銀行としては、景気が上向いても、物価の下落傾向が続いている間は、量的緩和政策を堅持することが最優先の課題であり、出口政策はその次の問題として認識しております。そうした「遠近感」を市場との間で共有するため、昨年10月に量的緩和政策解除に関する判断基準を、より明確化した形で公表しました。
時々、「日本銀行は、量的緩和政策の時間軸効果を維持するために、出口政策を封印している」との声を耳にしますが、昨年10月に発表した判断基準がまさに日本銀行の出口政策であります。金融政策は、まずはこの判断基準の下でデフレ脱却を目指し、その後については、実体経済や物価の先行きに対する市場の見方がイールド・カーブの形状やその動きにどのように表われているか、また、それが短期金融市場にどのような影響を与えているかを慎重に見極めながら実施していくものと考えています。
(2)本年1月の量的緩和の拡大
第二の本年1月の量的緩和の拡大については、「何故景気が回復する中で、量的緩和を拡大するのか」との疑問も寄せられました。私は、次に述べる理由から、先般の量的緩和の拡大は必要な措置であったと考えています。
(2−1)経済のデフレ・リスクへの対応
1つ目の理由は、政策変更の発表文において「デフレ克服に向けた日本銀行の政策スタンスを改めて明確に示し、今後の景気回復の動きをさらに確かなものとする」と表明したように、為替円高を含め経済へのデフレ・インパクトが懸念される場合には、日本銀行として、柔軟かつ機動的に対処する姿勢を示す必要があったことです。先程の量的緩和政策解除に関する判断基準を公表した直後の、政策委員の経済・物価見通しでは、図表16にあるとおり、来年度にかけて「景気回復は続くものの、物価の下落傾向は続く」という見方が大勢を占め、翌11月の金融政策決定会合では、政策委員の中から「景気が回復しつつあっても物価下落が続いていれば量的緩和政策を継続することを改めて説明する必要があり、資金需要の高まりに対しては今後とも柔軟に対応すべきである」との発言が聞かれていました。そうした中で、本年入り後、為替市場で円高のマグマが蓄積され、為替円高が一段と加速した場合の、輸出や企業業績に対する影響が懸念されたため、日本銀行としては、量的緩和の拡大により、「現在の極めて緩和的な金融環境は当面維持される」との期待を通じて、経済に対するデフレ・インパクトの軽減を図る必要がありました。
(2−2)金融調節の円滑性の確保
2つ目の理由は、為替介入の増加に伴うFB発行額の急増により、日本銀行の金融調節の円滑性が失われ、市場との対話が困難とならないよう、日本銀行当座預金残高目標値に十分な余地を確保する必要があったことです。図表17が示すように、短期金融市場では、FB・TBが急増していますが、量的緩和政策と現状の如く企業の資金需要が低調な下では、FB・TBは、基本的に、ある程度時間を掛ければ市場で吸収され、FB・TBの利回りと他の市場金利はお互いに整合的な水準に落ち着いていくとみられます。もっとも、銀行のALMの観点からみると、FB・TBによる運用の資金調達は、それらの発行期間、すなわち3ヶ月、6ヶ月、1年という期間に出来るだけ近い期間で行うことが銀行側からみれば望ましい訳です。しかし、ゼロ金利と、2002年4月の金融機関に対する「全債務全額保護措置」の終了に伴う個別行の信用リスクへの懸念がある中では、3ヶ月以上1年以内という長めの資金を市場から調達することは困難な状況にあり、そうした資金の調達は主として日本銀行のオペに依存する形となります。実際、図表18が示すように、本年1月時点を含めて、長めの資金供給オペの応札倍率はほぼ一貫して高い水準にあり、このうちの某かはFB発行の影響があるように思います。今後とも、金融市場の安定維持の観点から、こうした市場の資金需要の動向には注意を要すると考えております。
(2−3)ペイオフ全面解禁に向けた金融政策上の保険
3つ目の理由は、来年4月にペイオフ全面解禁を控え、向こう1年間が金融システム問題の総仕上げの時期に当たることを踏まえると、金融システム問題が経済に与える影響を最小限に抑えるため、金融政策上の保険を掛けておくことが適当と考えられたことです。1997~1998年の金融危機のように、金融面から経済にデフレ・インパクトが及ぶ事態は、何としても避ける必要があります。私としては、物価の継続的な下落の防止と並んで、金融システムの健全化が確認されるまでは、現在の量的緩和政策を継続することが適当と考えており、さらに申し上げれば、銀行や企業のバランスシート調整に目処が付くまでは、極めて慎重な金融政策運営が求められると思います。
(3)量的緩和政策の効果と副作用
(3−1)効果
量的緩和政策に対しては、「業績不振企業を温存した」とか「金利がもっと高ければ早めに企業淘汰が進み、経済が健全化するタイミングも早まった筈」といった結果論をもって批判する声があります。もとより超低金利をいつまでも続けることが望ましいとは考えておりませんが、これだけ長期間に亘って超低金利が続いてきたことは、企業や銀行の支払利息負担の軽減を通じて、産業の再編・転換や企業の再生、銀行の不良債権処理を下支えしました。鉄鋼、造船、セメント、一般機械等の製造業が国際競争力を回復し、海運、電力、ノンバンク等の非製造業が収益力を回復し、さらに銀行も貸出競争を行えるだけの体力を取り戻しつつあることは、各社・各行の自己変革・リストラ努力に負うところが大ですが、超低金利の継続がそうした変革や努力を下支えしました。そして、それらの企業や銀行の業績回復は、図表19にある倒産の減少、雇用者数の増加、あるいは株価の上昇を通じて、個人消費の持ち直しと消費者物価の下落幅縮小に某か寄与していることを考えると、量的緩和政策が「業績不振企業を温存した」といった批判は一面的であり、寧ろ、量的緩和政策の経済・雇用・物価に対するプラス効果が、遅効性を伴いながらも着実に現われつつある、そのように考えております。
金融政策の遅効性に関連して思い出されるのは、FRBのグリーンスパン議長が1992年に来日した際の発言です。図表20はその際の発言を伝えた新聞記事の抜粋ですが、議長は、経済がバランスシート調整に直面している下では、債務負担の軽減を通じて金融政策の効果が顕現化するまでには相当の時間を要すると述べ、当時24回に及んでいたFRBの金利引下げに効果が認められないとの見方に対して反論すると共に、日本でも、資産デフレを含めて将来同様の問題が生じ得ると予告しました。米国では、2000~2001年のITバブル崩壊後も、景気刺激のための財政拡大が伴っていたにも関わらず、金利の引下げは3年に亘って計13回に及んでいます。
一方、わが国も、前回の景気の山とされる2000年10月から約3年半が経過し、量的緩和政策の導入から丁度3年が経過しました。景気自体は、2002年1月に底を打ったとされ、以後、緩やかな回復が続いていますが、米国との比較で申し上げれば、今回のわが国の景気回復は、財政拡大によるものではなく、ミクロの改革が主導した点で画期的であります。今後、景気回復の自律性と持続性を高めていくためには、ミクロの改革を推し進めていくことが鍵であると申し上げましたが、先程述べましたように、政府が歳出改革・規制改革を行いながら、財政規律を維持していく限り、金融政策を通じてミクロの改革をサポートしていくことが重要と考えております。このため、先程指摘した様々な構造問題が経済や金融システムに与える影響を慎重に見極めつつ、物価の下落傾向からの脱却と金融システムの健全化に至るまでは、現在の量的緩和政策を忍耐を持って堅持して参りたいと思います。
(3−2)副作用
ただ、量的緩和政策に関しては、プラスの効果と共に副作用があることも事実です。この点、日本銀行は、これまで両者を比較考慮しながら政策運営に努めて参りましたが、私の個人的な印象としては、景気に前向きな循環がみられ、金融システム全体の安定性が高まりつつある中では、量的緩和政策の効果と副作用の差は一頃に比べるとやや縮まっているように思います。
量的緩和政策の副作用としては、市場における金利機能の低下を始め、家計等の利子収入の減少や、年金等機関投資家の運用難といった問題があるほか、銀行間の短期資金のやり取りの場であるコール市場も、先程ご覧頂いた図表17が示すように、無担保取引を中心に大幅に減少するという問題があります。コール市場の縮小に伴い、銀行の長めの資金調達が主として日本銀行のオペに依存した形となっていることに、モラル・ハザードを懸念する声もありますが、私もその懸念を共有しております。今後、不良債権問題の解決と銀行の収益力の強化を通じて銀行の格付が引き上げられ、ペイオフ全面解禁を経て金融システムの健全化に対する市場の信認が高まることで、短期金融市場が、長めの資金取引を含めて活発化し、その結果、銀行のALMも市場経由で自律的、機動的に行える状態に戻ることを願っております。
4.今後の銀行経営
只今述べた銀行の不良債権問題の解決とその収益力強化については、不良債権残高の減少や銀行の業績回復が示すように、全体としては改善方向にあり、そうした中で、最近、大手行が攻めの戦略を明確にしつつあることは大変心強いことであります。今後、このような前向きな動きが広がっていくことを期待しておりますが、その中で重要となることは、銀行が企業のニーズに合わせて提案型のサービスを一段と展開していくことではないかと思います。その企業のニーズは何かと言えば、その一つは、銀行が、企業の抱えるリスクをシェアするパートナーになることだと思います。このため、銀行サイドとしては、今後、第一に、営業の第一線を含めて、リスク管理を高度化すると共に、第二に、財務制限条項(コベナンツ)を活用して借り手との間でリスクとリターンを明確化すること、第三に、時代の変化に合わせて、対象とする金融分野、すなわち事業ポートフォリオについて絶えず戦略的な見直しを図っていくことが課題ではないかと思います。最後にこの点について、若干、私の考えを述べたいと思います。
(1)リスク管理の高度化
(1−1)リスク管理と表裏一体となった営業の推進
第一のリスク管理の高度化については、米国の大手銀行では、フロントとリスク・マネジメント部署が、自動化・標準化されたシステムにより有機的に結び付き、自行のあらゆる資産のリスク評価を絶え間なく、タイムレスに行っており、その結果、流動性リスクがあると判断される場合には当該資産を証券化して売却し、集中リスクがある場合には、証券化による売却のほか、デリバティブを用いたヘッジを行うなど、リスクの分散化を図っています。あたかもディーリング業務のように、コアとなる資産を維持しつつ、許容範囲を超えるリスクのある資産については、市場動向をみながら売却している訳です。わが国でも、最近、大手行や地銀において信用リスク管理を高度化する動きがみられ始めており、今後そうした動きが広範化することを期待しております。
(1—2)資産担保証券市場の整備
銀行が、その資産内容の見直しを絶え間なく行うには、理想論を言えば、銀行がいつでも資産を売買できる市場が整備されていることが望ましく、そのためには、銀行が、絶えず時価評価と減損会計により資産の適切な自己査定を行っていく必要があります。日本銀行は、昨年8月より時限的措置として貸出債権等を裏付資産とする資産担保証券の買入れを行っていますが、日本銀行の買入れを梃子にして、資産担保証券市場が拡大し、さらに法的整備を行ったうえで、その他の証券化市場やクレジット・デリバティブ市場、貸付金そのものの売買市場等周辺市場が拡大していけば、銀行のより適切な自己査定を促すという効果も期待できます。日本銀行は、本年1月に、資産担保証券の買入れスキームの一部を、市場参加者にとってより使い勝手のよいものとなるように見直しましたが、今後も、関係官庁や金融機関等と連携をとりながら、市場の自律的な拡大が期待できる仕組み作りに努めて参りたいと思います。なお、本日お手元には、最近の企業金融の多様化に向けた取組みについて、資産担保証券を含め日本銀行が簡単に取り纏めたパンフレットをお配りしておりますので、適宜ご参照ください。
(2)リスク・リターンの明確化
第二の、コベナンツを活用して借り手との間でリスクとリターンを明確化することについては、その前提として、銀行が、企業と共に汗をかきながら対象となる案件のリスクを最小化し、リターンを最大化する努力が必要になるという点で、銀行にとっては、その「目利き」機能の向上に繋がると思います。地域金融機関の場合は、その伝統的な貸出業務に対して、「リレーションシップ・バンキング」ということで、地元企業の育成や地域経済の基盤作りという重要な役割が期待されています。ただ、目的が重要であるから事業性を度外視してもよいという訳ではなく、株主利益の重視という観点からも、案件の収益性と貸し手・借り手の間のリスクの分担について合理的な見通しや取極めを行うことが重要です。
(3)事業ポートフォリオの絶え間ない見直し
第三の事業ポートフォリオの絶え間ない見直しについては、変化の激しい時代にあって、経営環境や自行の経営資源の変化に応じて戦略的に事業ポートフォリオを見直し、「選択と集中」を図ることも、経営安定化のために必要なことと思います。米国では、ご案内のように、JPモルガン・チェースとバンク・ワンの合併や、バンク・オブ・アメリカによるフリートボストンの買収等、戦略的なM&Aにより絶えず金融業界の再編が行われています。つい先日もフロリダ州の地銀の買収が報じられていました。米国には「オーバーバンキング問題は存在しない」と言われていますが、その背景にはこうした活発なM&Aがあり、さらにそれが可能であるのは、時価会計・減損会計の徹底と、説明責任を伴った情報開示を通じて、企業価値を適正に反映した株価が形成されているからです。わが国においても、最近、戦略的に個人部門や中堅中小企業分野の拡大を図る動きがみられ始めていることは大変心強いことであります。今後も、銀行が自らのコア・ビジネスを持ちつつ、「選択と集中」を進めていくことが期待されます。今後の銀行業の重点分野について、私の考えるところを図表21に纏めましたが、このうち国際業務について一言付け加えれば、わが国が世界最大の債権国であることや、企業がグローバル展開を進めていること、さらに海外における貸出スプレッドは、国内に比べれば合理的ではないかと思われることから、銀行も、再び国際舞台に復帰し、そのプレゼンスを高めることが望まれます。既に、大手行では企業が積極的にビジネスを展開している中国その他アジア諸国での体制強化を図られていますが、そうした取組みが銀行の収益のさらなる拡大に繋がることを願っております。
5.結びにかえて
以上、内外の金融経済情勢や日本銀行の金融政策等について鏤々申し上げましたが、最後に改めて強調させて頂きたいことは、今後とも、わが国経済がバブル崩壊で失った国富を着実に取り戻し、将来世代への礎を築くためには、何回も申し上げましたが、政府の歳出改革・規制改革と並んで、企業および銀行が、現状に自己満足することなく、終わりなき自己変革——ミクロの改革を続けていくことにより国全体としての付加価値創造力を高め、経済の自律的・持続的な成長を図ることが不可欠であります。
長崎県が、多様な歴史や文化、自然環境を背景に豊かな観光資源、水産資源に恵まれていることは万人の認めるところであり、加えて、急成長する中国とは至近の距離にあり、上海との間にはわが国最初の定期航路が設けられるなど、歴史的な繋がりも深いという「地の利」もあります。こうした地元の特色・優位性を一段と活かしていけば、地域経済をさらに活性化することは十分可能であると思います。特に、中国その他アジア諸国といった成長地域に絡むことがポイントではないかと考えます。既に造船業界では、これまでの度重なる経営合理化努力が、中国等アジア諸国の経済成長を背景とした世界的な物流の増加により、見事業績回復に繋がっています。また、先日新聞で、長崎県漁連が、来月から準備室を設けて中国でのビジネスチャンスを探るとの記事を目にしました。現在、世界最大の水産物の輸出国である中国が、将来、その内需拡大から輸入国に転じるとの予想に立ったものです。成長地域の中国に絡むという点で、県漁連の取組みは大変注目されるところです。県最大の産業である観光業についても、その振興に向けて官民挙げて取り組まれていますが、中国を始め海外の旅行客を取り込むことは、さらなる発展のための有力な方策ではないかと思います。ご参考までに、今後の企業戦略のターゲットについて図表22に取り纏めましたので、ご参照ください。
「開明的でハイカラな土地」として全国に知られた長崎県が、世界により開かれた経済構造を構築し、さらなる飛躍を遂げられることを、そしてそうした地域経済の一段の発展の積み上げにより、誇りと夢のある日本(ニュー・ジャパン)に生まれ変わることを切に願いつつ、私の話を結びたいと思います。長い時間に亘りご清聴有り難うございました。
以上