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日本経済の現状・先行きと金融政策

沖縄県金融経済懇談会における須田美矢子審議委員挨拶要旨

2004年4月21日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.2003年度の景気を振り返って
  3. 3.日本経済の先行きとリスク要因
  4. 4.量的緩和政策と「展望レポート」
  5. 5.おわりに—沖縄の将来へ向けて—

1.はじめに

 日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、正副総裁および政策委員会審議委員、いわゆるボードメンバーが、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせて頂いております。本日は、沖縄県の各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まり頂き、親しくお話しする機会が得られましたことを誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃、私どもの那覇支店が大変にお世話になっております。この場を借りて厚くお礼申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

 本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話させて頂きます。最後に沖縄のこれからについて僭越ながら私の意見を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2.2003年度の景気を振り返って

緩やかな景気の回復

 日本銀行政策委員会では、年に2回(4月と10月)、展望レポート(正式名称は「経済・物価の将来展望とリスク評価」)において、経済の先行きシナリオを示すとともに、リスク評価を行っています。またその際に政策委員の経済成長率と物価の大勢見通しを公表しています。現在は来週の金融政策決定会合で決定される展望レポート作成に向けて政策委員それぞれが作業中ですが、それに先立ちここでは私なりに、2003年度の日本の景気動向を振り返っておきたいと思います。

 昨年4月の展望レポートでは、「海外経済が緩やかに回復する」ことを前提に、設備投資は徐々に回復し、個人消費は概ね横這い圏内の動きを続け、「景気の回復テンポは緩やかなものにとどまる可能性が高い」とし、そしてこのような需要の回復テンポを前提とすると、「物価は、なお緩やかな下落傾向を続けると予想される」としました。昨年10月には、海外経済の先行きは「米国や東アジアなどを中心に高めの成長を続ける」と上方修正され、昨年4月よりも「全体としてやや上振れで推移している」とレビューしましたが、その後の動きについても内需・外需とも私が想定した以上の強さでした(図表1)。

 もう少し詳しく申しますと、IT関連需要の回復もあって、米国や中国を始めとする東アジアを中心とした海外経済の成長が想定以上に加速し、これを背景に輸出が大幅に増加しました。

 設備投資は、半導体製造装置やコンピューター関連を中心に資本財出荷(除く輸送機械)が大幅に増加するなど設備投資も回復基調にあります。先般発表されました3月短観(全国企業短期経済観測調査<2004年3月調査>)によりますと、昨年度の設備投資額の前年度比は、製造業で+9.1%、非製造業で+1.7%となっています。

 また、企業収益もこれまでのリストラが奏効し、損益分岐点が低下基調にあることも手伝って増益を続けています。3月短観から昨年度の経常利益をみてみますと、製造業で前年度比+18.9%、非製造業で同+3.7%となっており、特に製造業で大幅増益となっています。

 こうした状況下で企業の業況感は広がりを伴いつつ改善しております1(図表2)。3月短観の業況判断DIでは、大企業は製造業だけでなく非製造業大企業もプラスとなりました。もっとも中小企業はまだマイナスです。レベルをみると、製造業および非製造業大企業が概ねバブル崩壊後のピークに達していますが、非製造業中小企業はバブル崩壊後のピークにはまだ距離があります。

  1. 1日本銀行では、「短観」(企業短期経済観測調査)に関し、2004年3月調査(4月1日公表)より、約5年ごとに実施される定例の調査対象企業の見直しと併せ、幅広い観点から調査の枠組み等の見直しを実施しました。例えば、(1)業種分類の見直し・調査対象業種の拡充、(2)集計規模(大企業、中堅企業、中小企業)区分基準の「常用雇用者数」から「資本金」への変更等です。このため、2003年12月調査と2004年3月調査の計数値の間には不連続(段差)が生じています。

 とはいうものの、規模別・産業別にみて、すべて同程度に改善しています。昨年度は、製造業大企業を中心とした景気回復を想定していましたが、足許では、中小企業や非製造業にまで広がりがみえはじめています。

 個人消費に大きな影響を与える雇用・所得環境については、新規求人数が増加したほか、有効求人倍率も年度を通じて改善傾向にあるなど労働需給を反映する求人関連指標は改善傾向を辿りました。3月短観における企業の雇用過剰感も引き続き緩やかに後退しています(図表3)。また、所定外給与がプラスを続けている一方、所定内給与は引き続きマイナスとなっています。総じてみれば、想定していたように、雇用者所得は徐々に下げ止まってきていますが、明確な改善を示すには至っていません(図表4)。こうした中、デジタル家電(薄型テレビ、DVDレコーダー、デジタルカメラ)ブームで年度を通じて家電販売が好調で、かつ、年度後半には新型車人気で自動車販売も好調となったことなどもあって、個人消費が当初の想定よりやや強めの動きとなりました。

 その結果、昨年度の実質経済成長率は私が展望レポートで想定していたよりも上振れて着地することになるとみています。

前年度比物価は下落

 この間、国内企業物価については、需給ギャップのマイナス幅がかなり大きいものの、内外商品市況高から鉄鋼や非鉄の上昇が目立ち、こうした素原材料価格の上昇が国内企業物価を押し上げました(図表5)。3月の国内企業物価指数は、3年8ヶ月ぶりに前年同月比でプラス(+0.2%)でした。対前年度比では、私の想定よりも少し上振れて、-0.5%となりました。

 一方、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品、以下同じ)は、米価格の上昇など一時的な押し上げ要因があったため、年度央よりゼロ近傍で推移しました。ただ、想定以上の実質経済成長が実現できたと思われるにもかかわらず、消費者物価の対前年度比は、前回の展望レポートで私が想定したとおりのマイナスの値で着地しそうです。

 想定よりも経済成長率が高く、原材料価格が高騰しているのに、なぜ消費者物価指数対前年度比は想定どおりの結果となったのでしょうか。それは、(1)消費財生産に占める、原材料費のウェイトが川上産業に比べて小さいこと、(2)為替相場が円高で推移してきたことから円ベースの輸入物価の上り方が小さかったこと(図表6)、(3)資本効率や収益率への意識の高まりの中で、リストラ・賃下げ圧力やパート・派遣社員の活用等により企業がユニット・レーバー・コストを低下させ、また海外景気の拡大による数量効果で企業収益悪化を回避できたこと(図表7)、(4)賃金抑制で所得環境が好転しがたく、よって国内の小売価格への転嫁が可能なほど消費が強くなかったこと、といった理由が考えられます。

3.日本経済の先行きとリスク要因

 今年度については、前年度初にみられたSARSの影響といったようなこともなく、先行きの不透明感は薄らいでいますが、見通しは様々な前提を置いて求めることになりますので、なるべく蓋然性の高い前提を置く必要があります。

 昨年10月の展望レポートでは、今年度も米国や東アジアなどを中心に高めの成長を続けるとの想定のもとに、今年度を通じて回復が続くが、「緩やかな回復」となる可能性が高いとしています。なお、今年度のシナリオが前回展望レポートで示した通りと想定するとしても、実質経済成長率や国内企業物価については、昨年度分が前回展望レポート対比上振れていますのでその分を反映するだけで、数字の上では前回の想定よりも上振れることになることに注意が必要です。

 今後を見通していく上では、前回の想定よりも持続的な成長軌道への復帰が確かなものになりつつあるかどうかについての判断が重要です。それには循環的な回復がどの程度長続きするかということと、過剰債務や過剰雇用、金融システム面の弱さなど構造的な問題の解決への道筋がどの程度みえつつあるかについても見通さなければなりません。以下では、このような問題意識をもちながら、鍵を握っていると思われる点に絞って、つまり、(1)海外経済の回復動向、(2)企業の増益、(3)製造業の設備投資の更なる増加と非製造業への広がり、(4)所得環境比強めの個人消費の動向について、現時点で私が蓋然性が高いと考えている見方とリスク要因についてお話したいと思います。

海外経済の回復動向

 日本の輸出が米国および東アジアの経済の回復に支えられている構図は、当面、変わらないと思います。従って、日本経済の持続的な回復のためには、米国および東アジア経済の高めの成長が今後も続くことが必要となります。

 米国経済について市場では2004年は4%半ば、2005年は3%後半の成長を予想していますが、私も差し当たりはその程度の成長率を予想しております。ただし、その蓋然性が非常に高いといえるほど確信はありません。具体的には家計債務が増加している中で、堅調な消費が減税効果剥落後も持続する可能性が高いと必ずしもいいきれないからです。まず、雇用・所得環境についてですが、注目を集めていた3月の雇用者統計は予想以上の強い数字となり、第1四半期における雇用者の増加数は、景気回復に必要な雇用者の増加数(一般に+15万人/月といわれています)を超えております。ただ、これで安心できるかというとそうではなく、何人かの米国当局者が「こうした状況が数ヶ月続くかどうか見極めたい」と慎重な姿勢をみせております。私も同感であり、今暫く雇用・所得の環境が好転するか否かについては慎重にみておきたいと思っています。

 また、地政学的リスクの高まりなどによる消費者マインドの低下、ガソリン価格の上昇、米国の低金利政策からの転換ないしはそれをめぐる思惑によって金利やそのボラティリティが高まるリスクなども気になります。米国金利の変動は、資本移動を通じてエマージング・マーケットをはじめ世界に波及しますので、その点からも気になるところです。

 一方、東アジア経済の回復を牽引している中国の動向も気になります。昨年末に中国を訪問した際に現地の当局者や有識者に話を聞いたところ、中国経済は2004年も8%成長を達成し、2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博まで足許の好景気が続くという強気の見方が多かったのですが、最近、一部地区の資産価格・人件費の高騰、過剰設備投資、電力、石油、石炭等の供給制約などへの関心が高まり、過熱気味だという見方が増えてきたようです。実際、中国人民銀行は昨年半ば以降、引き締め政策をとっていますが、4月に入ってからも、再度、預金準備率を引き上げたところです2

  1. 2中国人民銀行は、2003年半ば以降、過度のマネーサプライ・貸出の伸びを抑制するために、さまざまな手段を講じています。まず、預金準備率については、2003年9月21日に6%から7%に引き上げたほか、2004年4月25日には、さらに0.5%引き上げるとともに、差別的預金準備制度を導入しました。この結果、預金準備率は、経営状況が芳しくない金融機関が8%に、農村信用社と都市信用社を除くその他の金融機関が7.5%になりました。また、金融機関に対する人民銀行の貸出金利についても、中国人民銀行が国務院から授権された一定の範囲内で基準金利に金利を上乗せする制度を3月25日に導入しました。さらに、2003年7月以降、数回に亘り窓口指導会議を行って、金融機関に対する融資指導を強化しています。(2004年4月23日に一部加筆修正しました。)

 他方、中国政府は最重要政策課題の一つとして、三農(農業、農民、農村)問題をかかえています。中国の労働人口は6.5億人で農村部に4.5億人、都市部に2億人といわれています。農村部の内訳は、農民2億人、非農民1.5億人(農産品加工業やサービス業)、沿海部への出稼ぎが1億人ですが、問題は農民のうち少なくとも半分の1億人が実質的な失業者であるともいわれていることです。この人々に雇用機会を創出することが中国としては急務ですが、職を求めて移動することが自由ではないこともあって、これが捗々しくありません。雇用問題に代表される都市部と農村部の格差の拡大傾向はまだ続くとみています。

 私は中国の2004年の成長について、昨年ほどではないものの高い成長を想定していますが、このような二極化拡大問題を背景に、適度な引き締め政策によって過熱分だけ除去して、安定成長を持続することができるのかどうか、気になるところです。また、足許の景気は、沿海部を除き、財政主導の投資が牽引していることにも注意が必要です。

企業収益の増益

 3月短観によると昨年度に大幅増益を実現した後、今年度も増益が続く計画となっています。具体的には、製造業が前年度比+9.8%、非製造業が同+11.1%の増益を見込んでいます。ただ、原材料価格が依然として上昇していますのでその上昇を引続き数量効果と計画されたユニット・レーバー・コストの低下でカバーできるのかが気になります。最終財価格への転嫁が部分的に止まるため、今後も増益を維持するために更なる賃金抑制を招くとしたならば、雇用・所得環境に悪影響を及ぼしかねないだけに心配です。他方、現在では、その可能性はかなり小さいとみていますが、個人消費の回復次第では、価格転嫁が消費者物価に何がしか影響を与えることも否定できませんので、注意深くみておく必要があります。

製造業の設備投資の更なる増加と非製造業への広がり

 3月短観によると、製造業については、大企業・中小企業とも今年度は積極的に設備投資を行う計画となっています。このように今年度の設備投資については、持続的な回復が見込まれるものの、キャッシュフロー対比では抑制的な回復にとどまる蓋然性が高いとみています。

 ただし、バブル崩壊後、企業は設備投資を手控えてきたこともあり、生産設備のヴィンテージは約11年と過去最長になっている一方で、企業収益増を実現していることから更新投資に期待が持てます。また、素材産業では稼働率が上昇しているうえ、プロダクト・サイクルが短くなっている電気機械では除却率が高まっており、これが続けば設備投資が上振れる可能性もあります。

 さらにもっと長い目で見て、設備投資が持続性あるものになるかどうかについては、IT関連需要の持続性が大きなポイントとなります。具体的には、コンピューター更新需要などに起因する「シリコン・サイクル」の影響がでる可能性もありますが、足許、国内や中国等で「シリコン・サイクル」の影響を受け難いデジタル家電や携帯電話の需要が旺盛であり、この需要が続く可能性もあります。デジタル家電やそれに使用する部品は付加価値が高く、わが国が得意とするところです。

 実際、足許の設備投資を牽引しているのは半導体製造装置等であり、付加価値の高い製品・部品の製造については国内回帰の動きも散見されます。こうした動きが持続すれば製造業の設備投資の持続・拡大に期待が持てます。

 ただ、こうしたデジタル関連を中心とする製造業の能力増強投資もさすがに増勢が鈍化するという見方があるうえ、3月短観によると非製造業の設備投資については一部の小売が緩やかな増加を見込んでいるほかは、減少ないし横這いの計画であり、現時点では設備投資の裾野がどんどん広がっていくと判断できる状況にはありません。

所得環境比強めの個人消費の動向

 昨年度の個人消費については、先ほど述べましたように雇用・所得環境の改善が捗々しくないものの、貯蓄率の低下等を背景に強めの動きとなりました。この貯蓄率の低下・消費性向の上昇については、先ほどのデジタル家電ブームなどのほか、消費者コンフィデンスの改善やシニア層の消費の活発化、あるいは、日本人のライフスタイルの変化、といった様々な理由が指摘されています。問題は堅調な消費が今後も続くかどうかです。そのためには雇用・所得環境が改善するか、貯蓄率の持続的な低下が今後も続くと想定する必要があります。

 貯蓄率の持続的な低下については、その蓋然性が高いようには思えません。例えば、金融広報中央委員会が行っている「家計の金融資産に関する世論調査」3をみると、貯蓄残高が減った理由として59.6%の方が「定期的な収入が減ったので貯蓄を取り崩した」と回答しており、こうした人々は収入が増加すれば貯蓄の復元を図ると思われるからです(図表8)。また、そもそも貯蓄を保有している世帯割合は3年前の87.6%から77.4%に減少しています。今後は所謂「団塊の世代」が順次定年を迎えることとなりますが、こうした世代はリストラ等による所得減に直面しています。厚生労働省が先に公表した「賃金構造基本統計調査」によりますと、昨年6月時点の50歳代前半の男性の平均賃金(ボーナス、残業代を除く所定内給与)は、-1.7%と全体の平均(-0.2%)を下回っています。この世代は「年金不安」等を強く感じている世代でもあるため、現在のシニア層と同じように貯蓄を取り崩して消費を続けるということは考え難いと思います。

  1. 3詳しくは金融広報中央委員会「家計の金融資産に関する世論調査」(平成15年)(2003年9月22日公表)を参照して下さい。

 こうした状況であるため、貯蓄率の低下を伴う個人消費の強さが続くとは考え難く、堅調な消費を維持するには、企業の増益が雇用・所得環境に好影響を及ぼしていくことが見通せる必要があります。

 先ほども述べましたように3月短観によると雇用の過剰感は緩みつつありますが、派遣労働者の台頭などによる構造的な賃金押し下げ要因の存在がありますし、現象面として企業収益から所得へのリンケージが未だはっきりと見えてきていません。また、原材料価格の上昇等をさらなる雇用・賃金の抑制でカバーしようとする企業行動が続く可能性もあります。したがって、足許の個人消費の強さが今後もかなりの期間持続すると想定することは難しいのではないかと考えています。

成長率と物価の関係

 以上私が展望レポートで経済見通しを構築する際に重要と思っている項目について、みてまいりましたが、今年度中に景気が腰折れせず「緩やかな景気回復」が続き、昨年度程度の経済成長が維持できるのではないか、というのが現時点での私の見方です。

 もっとも、今年度に過剰雇用・債務等の構造問題に解決の目処がついて、非製造業・中小企業をも巻き込んだ景気回復が実現する姿までは見込めません。したがって、昨年度と同様に、雇用・所得環境の改善が見通せないもとで、これまで以上に堅調な消費は期待できません。そのため、企業は競争も激しく、生産コストの上昇を小売価格に転嫁することはかなり難しいと考えています。その結果、需給ギャップはある程度は縮小するものの、診療代、たばこなどの制度要因や米価要因が剥落することもありますので、消費者物価対前年度比は弱含みで推移すると考えています。

 しかし、日本の過剰債務・過剰雇用などの構造問題は地道ではありますが一歩一歩解決の方向に向かいつつあります。現在はその過程で二極化が拡大することはあっても、縮小するまでには至らず、したがってマクロでみた場合、なかなか経済の改善となって現れてこないということかもしれません。構造問題の解決にとって地価の動向は重要ですが、実際、先日公表になりました平成16年地価公示に基づく地価動向を窺うと、全国の地価では下落幅こそ縮小しておりますが、引き続き前年比で下落しています。もっとも、東京都区部都心部では、上昇や横這いの地点が増加し、区単位でみれば渋谷区、港区、千代田区が上昇しています。こうした動きは日本銀行のスタッフが試算した加重平均・公示地価4ではさらに鮮明となり、最近では、東京はトータルで上昇に転じているものの、地方はなお下落幅を拡大しています(図表9)。

  1. 4才田友美、橘永久、永幡崇、関根敏隆(2004)「都道府県別パネル・データを用いた均衡地価の分析:パネル共和分の応用」『日本銀行ワーキングペーパーシリーズ』

 このように二極化が進んでいるときに、集計値である様々なマクロの数字は必ずしも実体経済をあらわしておらず、実際にはもっと強い芽がでている可能性もあります。

 現在、生産構造の高付加価値化が企業内で、産業内で、あるいは産業間で進みつつありますが、全要素生産性の上昇という形で日本の潜在成長率が上昇しつつあるかもしれません。潜在成長率が高まれば、日本の景気回復はより強固なものになるでしょう。また、潤沢な資金供給を通じて短期金利をゼロにする日本銀行の政策が、投資や支出を刺激する効果もより強まるでしょう。ただし、短期的には、実質経済成長率が高まっても、一方で供給力も伸びるため、需給ギャップはあまり縮まらず、この結果、直ちには物価上昇圧力が高まらない可能性が高いように思います。今年度の上振れリスクシナリオとして、このような強い経済を想定することができますが、その場合でも近い将来に消費者物価が安定的なプラスに転じることまでは展望しにくいというのが現在の私の見方です。

4.量的緩和政策と「展望レポート」

 こうした景気動向の中、私ども日本銀行は、持続的な景気回復とデフレの克服を目指して、金融緩和を粘り強く続けています。具体的には、金融機関が世の中に多くの資金を供給できるように、金融機関が日本銀行に預けている当座預金残高の目標を所要準備(現在6兆円弱)よりもはるかに多い額(現在30~35兆円)に設定し、金融機関に潤沢な資金を供給するという方法で金融緩和を行っています(図表10)。この政策を量的緩和政策と呼んでいます。

 日本銀行は2001年3月に金利政策から量的緩和政策へ移行する時に、この政策を、「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上」となるまで続けるとコミットしました。そして昨年の10月にその意味をより明確にしました。具体的には消費者物価の前年比上昇率が数ヶ月均してみてゼロ%以上で、かつ「展望レポート」などで示されます見通しにおいて、政策委員の多くが消費者物価の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを持つまで続けること、ただしこれら必要条件が満たされたとしても、経済・物価情勢によっては量的緩和政策を続けることが適当と判断することもある、としました(公表文は下掲)。つまり、日本銀行はここで示した物価の具体的条件を当てはめて量的緩和政策からの解除を機械的に決定するのではなく、景気回復が確かなものだと判断できるようになるまで、この政策を続けていくことを決めているということです。そうした趣旨は、「経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる」という箇所に示されていると私は解釈しています。私としては、消費者物価が前年比プラスに転じた場合でも、その持続性・安定性については、雇用・所得環境や内需回復の底固さなど、ミクロ・マクロの両面から慎重に見極める必要があると思っています。

金融政策の透明性の強化について(抄)

量的緩和政策継続のコミットメントの明確化

日本銀行は、金融政策面から日本経済の持続的な経済成長のための基盤を整備するため、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品。以下略)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、量的緩和政策を継続することを約束している。日本銀行としては、このコミットメントについては以下のように考えている。

  1. 第1に、直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できることが必要である(具体的には数か月均してみて確認する)。
  2. 第2に、消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると見込まれないことが必要である。この点は、「展望レポート」における記述や政策委員の見通し等により、明らかにしていくこととする。具体的には、政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していることが必要である。
  3. こうした条件は必要条件であって、これが満たされたとしても、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる。

 日本銀行はこの量的緩和政策のもとでの潤沢な資金供給により、ターム物などやや長めの金利も含めた金利の低位での推移、金融システムの安定化や銀行貸出等の増加につながることを期待してきました。銀行貸出の増加等、期待した効果が顕現化していないものもありますが、金融システムの安定化は維持されてきましたし、3月短観をみても企業の資金繰り判断、銀行の貸出態度、借入金利水準はなお緩和や低下方向にあり、緩和的な企業金融の環境が維持されています(図表11)。

 金利効果については、量的緩和政策への移行前から短期金利(無担保コールレート<オーバーナイト物>)はほぼゼロであったため、資金供給量を増やしてその金利を限りなくゼロに近づけても、その金利低下効果は非常に限定的でありました。したがって、先ほど示した量的緩和政策の解除条件を示すことで、短期金利(無担保コールレート<オーバーナイト物>)が限りなくゼロに近い状態の継続期間についてコミットし、それを通じてオーバーナイト物だけでなく、イールドカーブにもその金利低下効果を浸透させていくことを狙う「時間軸」効果にも期待しました。これは景気の下支えに効果があったと評価できます。

 コミットメント効果を伴った量的緩和政策は、景気、物価についての市場の判断によって、時間軸を伸び縮みさせて金利効果を発揮させるメカニズムを内包しています。

 経済・物価情勢が悪化し、市場の予想する量的緩和政策の解除時期が遠のけば、すなわち「時間軸」が長くなることになります。一方、市場が、経済・物価情勢が好転しており、量的緩和政策の解除条件の達成時期が近づいていると判断すれば「時間軸」が縮んでいくことになります。

 このような市場の経済・物価に対する見方が、経済・物価の真の姿や、日本銀行の経済・物価情勢の判断とも整合的であれば、このような時間軸の変化は、経済・物価情勢を反映したスムーズな金利変動に資するものであり、景気回復やデフレ克服とも整合的です。一方、市場の経済・物価の見方と、日本銀行の経済・物価情勢との判断にズレがあれば、時間軸が不安定になり、金利の動きが必要以上に大きくなってしまいます。

 したがって、日本銀行として重要なことは、コミットメント、すなわち量的緩和政策の解除は現行の条件にしたがって行なうことを明確化するとともに、解除の判断基準となる景気や物価についての見方を市場に丁寧に説明する一方で、市場の声に耳を傾け、市場との間に認識のギャップができるだけ生じないようにしておくことであると考えています。この点については、このコミットメントを明確化した昨年10月に私自身が強く意識したことです。

 先程お話したように足許の金融経済情勢では、量的緩和政策の解除の条件が揃うような状況は予見できません。こうしたもとで、今後とも、金融経済情勢の分析や日本銀行の行動について、誤解を生まないような情報発信を心がけ、日本銀行の行動に起因する予想形成の不確実性を小さくする努力も重要だと考えています。

 また、金融システム不安が後退するにつれて、これまで日本銀行が大量に積み上げてきた資金を個々の金融機関がそのまま日本銀行の当座預金に置いておくのではなく、それを効率的に利用しようとする芽を育てるにはどうすればよいかを考えています。その方法の一つは金利機能の回復です。市場で運用しても金利よりも手数料など取引コストの方が高いとか、クレジット・リスクに見合う金利が得られないということなら、無利息であっても個々の金融機関は日本銀行当座預金から資金を引き出そうとしないでしょう。景気回復の芽を摘まないためには低金利政策を粘り強く続けていくことが必要なことは言うまでもありませんが、実体経済の回復度合いに見合った僅かな金利や資金需給を映じた僅かな金利の変動を現時点でも容認することが必要なのではないかと考えています。確かに日本銀行が当座預金目標を30~35兆円に設定し、資金を潤沢に供給しているため、無担保コールレート(オーバーナイト物)は殆どゼロ金利となっております。もっとも、ターム物等に若干の金利はみられることからこうした金利を潰さないようにして、少しでも金利機能を復活させることが必要なのではないかと考えています。昨年秋以降、僅かずつですが、無担保コール市場残高が増えつつあります(図表12)。この動きを大事に育てていきたいと思います。

 もう一つは、リスクテイクしやすくなる環境を整備することです。そのためには貸出債権の流動化を促進したり、金融機関がリスク負担余力やリスク管理のレベルを高める取組みを考査などを通じて支援することも有用だと思います。また、資産価格に関わる過大なリスク・プレミアムの発生を極力回避する努力も必要だと思います。日本銀行だけでできることに限ると、日本銀行が様々な資産を民間から直接買い取ることには限界がありますので、需給への影響を通じて、リスク・プレミアムを抑え込むことには限界があります。しかしながら、先ほど述べましたような適切な情報発信や、日本銀行による資産担保証券の買入れや日本銀行保有国債の補完供給制度(いわゆる「品貸し」)の導入など、市場整備や万が一の備えはそれに貢献するであろうと考えています。

 これらの取組みについて、少しお話させていただきますと、日本銀行では、資産担保証券の買入れ開始と同時に、市場の基盤整備に向けた取組みの一環として、幅広い市場関係者を招いて「証券化市場フォーラム」を開催し、市場横断的な議論の場を設けました。証券化市場の発展は、新たな信用チャンネルを拓くことを通じて、わが国金融の一層の効率化、安定化の強化に寄与すると考えられます。証券化市場は90年代後半から大きく拡大していますが、その機能や潜在的なニーズの大きさからすれば十分に活用されているとはいえない状況です。そのため、(1)証券化商品の価格評価をより効率的に行い得るための環境整備や(2)証券化商品の組成・売買にかかるコストを低下させるための環境整備が必要です。こうした市場慣行・実務の整備・見直しなどは、民間の取組みを基軸に行うべきことですが、日本銀行としても、1月20日に資産担保証券の買入基準の見直しを行ったほか、今後とも、市場関係者の努力を支援していきたいと考えています。詳しくは、今月末頃を目途に公表される予定の報告書に纏められますので、是非、ご覧になって下さい。

 他方、4月9日に導入を決定しました国債の補完供給制度ですが、これは日本銀行が保有している国債を市場参加者に対して一時的かつ補完的に供給し得る制度です。これにより特定銘柄の調達困難化等の要因から、国債市場の流動性が低下するような場合でも、市場参加者は日本銀行から国債を一時的に調達することが可能となるため、銘柄間の不整合な価格形成が是正されるなど、市場における円滑な価格形成を促す効果があります。また、同一銘柄について複数の市場参加者の売買が複雑に連鎖している下では、1つの取引の決済の不履行が次々と波及することがありますが、これに対しても対象となっている銘柄を一時的に供給することで、決済の履行を確保することができます。本制度は、こうした特定銘柄の調達困難化や決済不履行の連鎖の抑止に一定の効果があると思われます。また、災害発生時や大規模なシステム障害の発生時など、国債市場の機能が大きく損なわれたり、またその懸念が生じた場合には、この制度を用いて日本銀行が自ら国債を供給し、混乱を極小化する効果にも期待できます。

 このように、市場機能を高めることを通じて、市場の安定化に資するための努力は、地味でかつ時間と労力を伴うものですが、これからも市場の声を聞きながら日本銀行がお手伝いできることがあればやっていきたいと思います。

5.おわりに—沖縄の将来へ向けて—

 以上、日本経済および金融政策について私が日頃考えていることを率直にお話しさせて頂きました。

 最後に、沖縄で金融経済懇談会を開催するにあたって、沖縄についての事前の勉強等を通じて、いくつか感じた点を素人的な感想も含めて申し述べて、本日の私のお話を終えさせていただきたいと思います。

 沖縄経済の現状をみますと、三位一体改革の影響を受ける建設業界を巡る経営環境は一段と厳しさを増しているものの、観光の好調、個人消費の堅調を背景に緩やかな回復を続けています。先般那覇支店が公表した短観の結果をみても、沖縄企業経営者の業況判断DIは九州・沖縄サミットで公共工事が集中した2000年春以来の高水準となっていますし、全国で最も高い水準となっています。特に沖縄のリーディング産業である観光は、テロやSARS懸念を背景とする海外旅行の国内旅行シフトという追い風を受けたこともあり、昨年は入域観光客数が初めて500万人を突破しました。こうした観光の好調は、観光業界における収益性の改善、設備投資や雇用の増加に繋がり始めているばかりでなく、他の産業にもプラスの波及効果をもたらしながら、景気回復の裾野拡大に寄与しています。レンタカー需要に主導されて高水準を維持している新車登録台数、県外出荷量が前年比で5割増となっている泡盛などは、その一例に過ぎません。

 もっとも、やや長い目で見た場合、沖縄経済が克服すべき課題がいくつかあることも事実です。観光産業は、気象変動や地政学的リスクといった外的ショックに弱いという特性を有しています。そうしたリスク要因に対する抵抗力の強い、多様性に富んだ観光サービス業を育てて行くという視点が今後は特に重要になると思われます。その際に、観光需要を国内で取り合うのではなく、新たな需要を呼び起こす努力が大切だと思います。その一つが海外からの観光客の誘致であることはいうまでもありませんが、シニア層にも目を向けることが大事だと思います。先日発表になりました「沖縄の食と健康に関する調査」5によりますと、「健康な人が多く住んでいそうな都道府県」、「しあわせな人生を送っている人が多く住んでいそうな都道府県」の第1位に沖縄県がなりました。この健康でしあわせなイメージを大切にしていただきたいと思います。

 また、沖縄県が経済自立化を目指して振興しているIT・金融等の知識集約型産業や健康・環境産業などについても、リーディング産業である観光産業を主軸に据えた上で各産業間のシナジー効果を極大化するための望ましい地域活性化政策は何か、といった観点から議論することも必要かもしれません。金融については、本年2月、福井総裁がテレビ会議システムを通じて参加させていただいた「沖縄金融専門家会議」において、リゾートアイランドとしての魅力を筆頭とする沖縄の地域特性を活かした沖縄金融サービス業のあり方について具体的なアイデアを含む多面的な議論がなされたと聞いております。こうした取組みを、産官学が共同して推進し、ひとつひとつ成果を積み上げて行くことができれば、沖縄経済の中長期的展望は沖縄の太陽(ティダ)のように極めて明るいと確信しております。

  1. 5アサヒビール(株)お客様生活文化研究所が首都圏と沖縄県で実施した調査。

 私の話はこのくらいで止めまして、皆様方との意見交換に移らせて頂きたいと存じます。ご清聴頂きまして、誠にありがとうございました。

以上