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「日本経済の現状・先行きと構造調整」

山口県金融経済懇談会における須田審議委員挨拶要旨

2004年10月6日
日本銀行

目次

1.はじめに

 日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、正副総裁および政策委員会審議委員、いわゆるボードメンバーが、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせて頂いております。本日は、山口県の各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まり頂き、親しくお話しする機会が得られましたことを誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃、私どもの下関支店が大変にお世話になっております。この場を借りて厚くお礼申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

 本日、私からは、日本経済の現状・先行きと構造調整についてお話しさせて頂き、最後に私のふるさとである山口県への思いを僭越ながら少し述べさせて頂いた後、皆様方から当地の実情に即したお話や忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2.足許の日本経済の動向

日本経済の現状

 わが国の景気の現状をみると、輸出、設備投資を中心に最終需要の回復が続いており、生産活動などからの好影響が雇用面にも及んでおります。更に、個人消費もやや強めの動きを続けており、総括すれば「わが国の景気は、回復を続けている」状況です。

 最近、米国を中心に世界経済が若干減速気味である中、電子部品・デバイス工業製品の在庫増加や原油価格の高騰等のネガティブな材料もあり、足許と先行きの景気に悲観的な見方が散見されます。もっとも、私としては、4月の沖縄県金融経済懇談会の席上でも申し上げましたとおり、米国の経済成長率は2005年に減速すると考えており、それに連れてわが国経済も減速すると考えておりましたため、減速自体は、然程、驚くようなことではないと思っております。ただ、米国経済の減速が想定以上に早まっていること、中国の引締め政策の影響、さらに電子部品・デバイス工業製品の早めの在庫調整によって、想定していたよりも早めに減速の兆しが現れたということはいえると思います。

 なお、日本銀行政策委員会は、経済・物価情勢に対する見通しを公表(所謂「展望レポート」 1)しておりますが、足許のわが国経済の状況をみると、7月に行った4月の展望レポートの中間評価どおり、経済成長率の数値は4月の展望レポート比上振れて推移していると思われます。もっとも、先程申し上げた足許までの景気回復のメカニズムは4月の展望レポートで示したものの範囲内の動きと捉えています。

 この間、物価については、足許の原油価格や素材価格は中国などの需要増大を背景に4月の展望レポート時に想定した以上に上昇しており、コストプッシュの圧力は「川上」から「川中」まで及んでいます。こうしたこともあり、国内企業物価指数は想定より上振れて推移しております。一方、所得が伸び悩んでいる状況下、「川下」である最終財価格までは価格転嫁が進んでおらず、消費者物価指数(除く生鮮食品)は想定どおり前年の水準を僅かながら下回っている状況が続いております(図表1)。

日本経済の先行き

 わが国経済の先行きについては、米国を中心とする海外経済が巡航速度へ減速するという想定のもと、わが国経済の成長も減速するものの、引き続き潜在成長率を上回る成長率が実現できるというのがメインシナリオではないかと考えています。つまり、原油の高騰や半導体の在庫調整等による海外経済の調整が本格的なものにならずに一時的なものに止まり、輸出が徐々に増勢を取り戻し、企業部門から家計部門への所得の波及が次第にみられ始め、足許の所得比強めの個人消費の維持や設備投資における製造業から非製造業・中小企業へのバトンタッチの動きが広がり、前向きの循環が明確化していくというシナリオは維持できると思っております。

 このようなシナリオについて、先日公表された「短観」 2で確認してみたいと思います。

 企業の業況感をみますと、製造業・非製造業、大企業・中小企業を問わず改善を続けており、業況感のレベルでは、製造業・大企業のDIは+26%ポイント、非製造業・大企業は+11%ポイント、製造業・中小企業は+5%ポイントとバブル崩壊以降のピークを更新しております。但し、非製造業・中小企業は▲17%ポイントとなっており、期待していたほどの改善はみられません。6月短観同様の製造業・大企業中心の景気の回復が続いていることがみて取れます(図表2)。

 もっとも、企業収益をみると、製造業だけでなく、非製造業とも大幅な増益を続けています。全体でみると2004年度上期の経常利益は当初計画以上となっており、2004年度通期では、2003年度に続いてかなりの増益となる計画になっています。業種・規模別では、非製造業・中小企業以外は6月時点に比べ上方修正されており、特に製造業では大企業、中小企業とも前年度比2割弱の増益を見込んでいます。非製造業・中小企業は、下方修正されたとはいえ、なお前年比1割弱の増益計画となっています(図表3(1))。

 また、外需とともに足許のわが国の景気を牽引している設備投資ですが、先行きについても、内外需要や企業収益の増加が見込まれるもとで、製造業を中心に増加が続くと予想されます。9月短観で2004年度の設備投資計画をみると、製造業・大企業では前年度からの繰越案件もあって、前年度比2割増と極めて強い計画になっています。前年度に二桁増であった製造業・中小企業の2004年度計画も、前年度比1割増とかなり強い計画になっています。一方、非製造業・大企業では、横ばいの計画となっていますが、若干上方修正されています。この間、非製造業・中小企業の2004年度計画は前年度比大幅なマイナスとなっていますが、2003年度が二桁増であったことを考えれば、底堅い動きとみることもできると思います(図表3(2))。

 企業部門から家計部門への所得の波及がみられるという段階ではないため、前向きの循環の明確化というところにはまだ到達していませんが、非製造業も次第に明るさを増していることが確認できます。

 ただ、わが国経済の先行きについてリスクがないわけではありません。現時点で特に注視が必要だと考えられるのは、まず、世界の景気を牽引している米国、その恩恵を受けている中国等アジア諸国を始めとする海外経済やIT関連需要が想定以上に減速するリスクです。この点については、これから始まるクリスマス・年末商戦に注目しております。もちろん、原油価格の動向も要注意です。また、米国の「双子の赤字」についても、古くて新しい問題ではありますが、足許の赤字のレベルは既往最大規模となっており、大統領選挙後に米国政府がどのような動きをみせるかが気になります。米国を起点にして各国の財政・金融政策がグローバルにみて、どのような動きになるのか、その内外金融市場への影響も含めて、注視していきたいと思います。

 こうしたリスクが顕現化しなければ、先程も申し上げましたように、わが国の経済は潜在成長率を上回るレベルにソフトランディングするというシナリオが想定できます。ただ、過去を振り返ると、そのような奇麗な形で減速・収斂した経験はありません。従って、景気循環の「綾」が多少大きく出る可能性もあると考えられますが、現時点では国内要因から景気が腰折れする可能性は少ないと考えています。

 さて、物価の先行きについてですが、潜在成長率を上回る経済成長率が実現できるというメインシナリオのもとでは、需給ギャップは次第に改善していくものと思われます。素直に考えれば、その延長線上には消費者物価指数の前年比上昇率のプラス転化が展望できますが、1.生産性の上昇率をどうみるか、2.企業の人件費抑制圧力がどの程度強いのか、によって見通しは変化すると思われます。別の言い方をすれば、これまでは非正規雇用の活用もあって賃金が低下しており、この賃金を生産性で割ったユニット・レーバー・コストが低下したことが物価の上昇を妨げていた原因の一つですが、先行きこのユニット・レーバー・コストの低下傾向をどうみるかがポイントとなります。これには後に述べる企業による構造調整がどこまで進んでいるとみるかにも係ってきますが、それを見通しの中に織り込むことは難しいと考えています。私としては、当面はユニット・レーバー・コストが低下傾向を持続し、原油価格の高騰等のコストプッシュ要因は、基本的には収益で吸収できると想定している一方、所得に裏付けられた消費の増加はまだみられないため、消費者物価の価格上昇圧力は強くないとみています。とはいえ先行き不確実性がありますので、予断をもたずにみていきたいと思います。

  1. 1 日本銀行は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(所謂「展望レポート」)において、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを公表しています。さらに、そこで示した標準的な見通しについて、上振れまたは下振れが生じていないか、3か月ごと(1・7月)の金融政策決定会合で検討し、「金融経済月報」の「基本的見解」の中で公表することとなっています。また、「経済・物価情勢の展望」では、政策委員による実質GDP、国内企業物価指数、消費者物価指数(除く生鮮食品)の見通しを参考計表として掲載しています。こうした見通しの公表は、金融政策の透明性向上という観点から、日本銀行の金融政策運営に対する考え方や、経済・物価情勢についての見方を、より分かりやすく伝える取組みの一環として行っているものです。
  2. 2 「短観」の正式名称は「企業短期経済観測調査」といい、国内景気の実態把握を主目的として、業況等の現状・先行きに関する判断(判断項目)や、事業計画に関する実績・予測(計数項目)など、企業活動全般に関する調査項目について、日本銀行が全国の調査先企業に協力して頂き、四半期ごとに実施する統計調査(ビジネス・サーベイ)です。海外でも"TANKAN"の名称で広く知られています。

3.構造調整と前向きの循環の明確化

 先程、国内要因から景気が腰折れする可能性は少ないと申し上げましたが、このように考える背景には、企業が直面する構造調整がかなり進捗してきたことがあります。構造調整とは、経済環境変化に応じて経済資源を効率的に再配分することと捉えることができます。それを阻害する要因が構造調整問題です。現在のわが国では、90年代に想定以上に大きく進んだグローバル化、情報化、少子高齢化といった環境変化に応じて経済資源を再配分することが必須ですが、それを阻害する要因は、硬直的な企業経営システム、内向きの所得再配分システムと非製造業の非効率性、バブルの生成と崩壊に伴う負のストック問題、貯蓄・投資バランスをめぐる問題など、様々です 3。構造調整をこのように幅広く捉え、各種の規制緩和や金融・税制・歳出等の分野における政府の改革も含めて考えると、まだまだ道半ばといわざるを得ません。しかし、企業の環境変化への対応は着実に進みつつあります。従って、景気が減速しても、それをきっかけとして大きく落ち込む可能性は小さいと考えています。

 4月の展望レポートでは、民間企業は、経営戦略の明確化、コストの削減、財務体質の強化などにより収益向上に取り組み、また、金融機関における不良債権処理にも一定の進捗がみられるとしましたが、以下では企業や金融機関のこういった収益向上への取り組みの進捗度合い、また構造調整をもっと進めるために金融機関、特に地域金融機関に期待する点にスポットを当ててお話ししたいと思います。

企業の経営努力の成果

 バブル崩壊以降の景気低迷期を捉えて「失われた10年」という言い方がしばしばなされますが、その間、わが国の企業は、バブル期に文字どおり膨れあがったバランスシートのシェイプアップや高コスト体質の改善に取り組んできました。実際には、シェイプアップという奇麗な言葉では言い表せないような血の滲むような努力がなされています。もちろん、努力が及ばず市場から退出していった企業も少なくありませんが、倒産は減少傾向にあります(図表4)。以下ではわが国で生き残っている企業の財務体質、収益がどの程度改善されているのか概観してみたいと思います。

 まず、バブル期に膨れてしまった債務の状況をみると、有利子負債の対総資産の比率では、製造業では着実に有利子負債比率が低下しています。回復が芳しくないといわれている業種である建設、卸小売、不動産、旅館等でも、不動産や旅館等はまだ高い水準にありますが、80年代の平均と比較すると、そのレベルないしはそれ以下まで低下しています(図表5)。一方、債務残高と売上高を比較しますと、製造業については大企業、中堅中小企業ともに80年代前半よりも低い水準まで低下している一方で、非製造業はそこまで低下しておらず、とりわけ大企業について高止まりしています(図表6)。こうしたことからなお努力を要する部分が残されているものの、企業部門の債務の圧縮はかなり進んでいることがわかります。

 コスト面をみると、企業は人件費の削減や柔軟な対応を可能とするために、パートや派遣労働者といった非正規雇用者の活用等により人件費の変動費化を図っています(図表7)。その結果、労働分配率をみると、製造業、非製造業とも大企業では、ほぼバブルのピーク時の水準まで低下しています。中堅中小企業についても減少傾向がみられますが、製造業・非製造業ともまだそこまでの下落はみせていません(図表8)。労働の産業間移動については、雇用者数をみると製造業からサービス業へのシフトが進んでいます(図表9)。

 また、資本効率重視の経営のもとでは、資本生産性を上昇させる必要があります。足許、除却率と設備投資が高まっており、その動きもみえ始めています(図表10)。

 こうした企業努力の結果、企業の収益力も向上しております。昨年度の総資産経常利益率(ROA)をみると(図表11)、不動産、旅館等の水準はまだ低いものの、5年前との比較では、建設を除いて改善しています。また、収益の改善に業種の広がりがみられており、本年の4〜6月期の売上高経常利益率は、電気機械を除いた各業種で直近ピークの2000年7〜9月期を超えております(図表12)。

 以上のように、企業の構造改善は一部にはまだ調整を必要とするところが残っていますが、マクロでみれば着実に進んでおり、多少景気が後退しても収益を確保できるような体質になってきたと思われます。

 問題は、これまでの努力の結果として企業に積み上がったキャッシュフローがどのように使われていくのかということです(図表13(1))。これまではバランスシートの改善のため、借入金の返済に充てていたと思われますし、今後も借入金残高の圧縮は続くものと思われます(図表13(2))。ただ、先程もお話ししましたとおり、借入金の圧縮はかなり進んでいますので、今後、積み上がったキャッシュフローを企業が自らの価値を高めるためにどのように使っていくのかがポイントになります。借入金返済や内部留保を積み上げただけでは企業価値(株価)は然程上がらず、むしろM&Aの対象となるだけでしょう。もちろん、株主への利益還元の充実や敵対的買収の防衛等のために自社株買いを行うかもしれません。固定資産の減損処理の加速化に使われることもあるでしょう。ただ、積み上がったキャッシュフローが設備投資、賃金の増加等に回っていくことも期待できると思います。いずれにせよ企業価値を高める更なる努力が、景気を後押しすることにも繋がると考えております。

金融面からみた構造調整の進展と金融機関の対応

 さて、企業の収益改善へ向けての企業努力は、金融機関にとっては不良債権の減少や信用コストの低下につながります。実際、不良債権は減少し、信用コスト率 4は低下しています。これには企業の取り組みだけでなく、景気回復、地価の下げ止まり傾向、そして金融機関側の取り組みの影響も含まれます。

 金融機関の不良債権問題への取り組みは、不良債権比率の目標達成がほぼ可能といえるところまできましたが、今後の金融機関の収益を見通す上で、これまでの信用コスト率の低下がどの程度景気回復に伴うものなのかの見極めが必要になります。短観のDIと金融機関の信用コストを比較しますと、結果的な関係とはいえ、両者にはかなり安定的な関係があるように見受けられます(図表14)。このことからは信用コストの低下に景気要因が大きく影響を与えていることが窺われます 5。もっとも、この間、不良債権のディスクロージャーの拡大や金融検査マニュアルの導入等制度要因が変化しているもとで金融庁検査との乖離もかなり縮まっていることからわかるように、足許の信用コスト率の低下は、金融機関側の対応としての適切な引当が進んだ結果をも反映していると思われます(図表15、図表16)。もちろん、景気要因がどの程度なのかは景気循環を一回り経験した後でないと、大まかな見当をつけることもままなりません。ただ、景気が減速した場合に、図表に示された線上を逆方向に移動するのではなく、これまでの取り組みの結果、それよりは信用コスト率は低くなるものと想定されます。金融機関側の景気減速に対する耐久度も上がってきていると思われます。

 この間、金融機関のコストに見合ったリターンの確保という点を業種別にみると、前年に比べ多くの業種で利鞘は若干改善していますが、採算がとれている業種はあまり多くなく、残念ながら貸出によって十分収益があげられるような状況にはありません(図表17)。金融機関の収益向上のための努力はまだまだ必要です。足許では、一部に利鞘確保を犠牲にした貸出ボリューム確保の動きもあり、こうした改善状況が続くかどうかは、注意深くみておく必要があります。

 なお、新しい経済環境に対応して、金融機関は自らのバランスシートを使わない取引など新たな取り組みを行っています 6が、わが国経済の構造調整を進め、さらに回復の度合いを強めるためには、金融機関のバランスシートを用いた金融仲介機能も重要です。わが国の中小企業にとっては、豊富な貯蓄をリスクマネーに転換してくれる金融機関の「資金仲介機能」や「信用創造機能」が重要だからです。実際、「マイルドなデフレ下における期待デフォルトコストの直接の上昇は限定的なものにとどまるが、メインバンクの自己資本比率および不良債権比率に加えて、主要販売先企業、持ち株会社、および取引金融機関の破綻は期待デフォルトコストを大きく増加させる可能性がある」という分析結果もあります 7

 そのためには、金融機関、とりわけ地域金融機関は地域経済や取引先の情報を活用した従来型の銀行業務の強化も必要だと思います。地域金融機関において「目利きの育成」という言葉が最近良く聞かれますが、リスクを十分に把握できないため、ハイリスクものとして片付けてしまい、結果としてリスクマネーが企業に流れないようなことは避けなければなりません。また、リスクの把握に止まるだけでは十分とはいえないと思います。つまり、「診断」だけでなく、「相談」に応じ、かつ「治療」する能力も向上させなければなりません。そのためには金融機関には「知識・経験」と「体力」が必要です。多くの方が指摘しているとおり、これをどのように向上させるかが、地域金融機関に課された課題だと思います。

 なお、地域金融機関は、その営業地域の経済動向に自らの経営も左右されてしまうのも事実です。従って、地域の企業をサポートする必要がある金融機関が地域経済の浮沈に左右されず信用を供与するための工夫も必要になります 8

 これまで申し上げましたことから、民間部門の構造調整の進展に伴い、わが国経済のショックに対する耐久度は向上していることがおわかりになると思います。もちろん、構造調整のための努力を要する部分は今なお残されていますので、循環に伴う景気回復に安心して手綱を緩めることなく、今後も弛まぬ努力が続けられれば、景気の底割れの心配はなく、多少の循環要因があっても前向きのモメンタムが失われる可能性は小さいと思っています。

構造調整と金融政策 9

 量的緩和政策に移行して以降、低金利と潤沢な資金の供給で、日本銀行は構造調整の下支えとなってきました。金融システム不安を引き起こさないという強い意志と超低金利は、民間部門の債務の返済をサポートしてきたと思います。他方、景気回復のもとでもこのような超低金利を持続させているがゆえに、利払いの重さが、企業自らが主体的に生き残りをかけて「選択と集中」に取り組むというインセンティブになりにくかったという点で、構造調整を遅らせる面があったことも否めません。また、短期金融市場金利を限りなくゼロにしているため、資金余剰の金融機関、特に地域金融機関が余剰資金を短期金融市場で運用して利鞘を稼ぐという利益機会を結果的には奪ってしまっているということもいえると思います 10

 このように副作用もありますが、民間部門が構造調整を進め、前向きの循環がより確かなものとなる中で、昨年10月に明確化したコミットメント 11 が満たされたと判断するまで、量をターゲットとして潤沢に資金を供給し、結果的にオーバーナイト金利をほぼゼロとする現在の政策を維持していく所存です。

 なお、コミットメントには「消費者物価の前年比上昇率が先行き再びマイナスとなると見込まれないことが必要」とあります。それを私どもの先行き見通しで判断することになりますので、この政策の枠組みにはフォワードルッキングな部分が含まれているということになります。ところが、先程も申し上げましたように、経済・物価の先行きについてはかなり不確実な面があります。このような不確実性の高い状況下で、フォワードルッキングな政策を行うのは正直にいって難しいといわざるを得ません。政策運営にあたってはマーケットとの対話の観点からもアカウンタブルである必要がありますので、なおさらです。

 先行き不確実な状況で、フォワードルッキングかつアカウンタブルな政策を採ろうとすると、一度に大幅な政策変更を行うよりも、まずは小幅な政策変更を行い、様子をみながら必要に応じて追加的な政策変更を行う「漸進主義」(gradualism)がある程度望ましい政策運営方法になると考えられます。バーナンキFRB理事は、「漸進主義」のような政策の方が先行きの金融政策について予想しやすく、中央銀行は長期金利を直接操作するようなことはできないものの、現在と将来の短期金利を通じて長期金利への影響度を高められるうえ、金融市場の不安定化のリスクを減らせると述べています 12

 私は、わが国においてもコミットメントが達成され量的緩和政策が解除された後の金融政策については、——その時点での経済・物価情勢にもよりますが——基本的にはこのような「漸進主義」が採られることが望ましいと思っています。現在は異常事態に慣れ過ぎてしまっていますので、金融政策正常化のプロセスでは、政策の効果がどこにでているか、マーケットの反応や世間の受け止め方はどうか、経済の情勢判断が正しいかどうかを確かめながら、政策を運営する方が望ましいと考えるからです。但し、この場合、政策変更の幅が小幅過ぎ、かえって政策変更が遅くなり過ぎる可能性があるため、場合によってはマーケット等の予想が上振れし、結果として、後で大幅な政策変更を余儀なくされる可能性があります。この可能性の大きさは、量的緩和政策解除が適切なタイミングで行われるかどうかにもかかわってきます。仮にコミットメントが達成されたかどうかの判断が遅れ過ぎますと、そのような可能性が高まります。

 他方、先行きが不透明で、かつデフレスパイラルのように経済に深刻な打撃を与える可能性があると判断した場合には、それによって生じるかもしれない最大のロスを避けることを重視して政策運営することも考えられます。これは最大損失回避型の政策であり、そのようなリスクに対して保険をかける政策です。また、マイルドなものであってもデフレのコストは大きいという判断に立つのであれば、同様の政策を採ることも考えられます。これまでの政策はそのようなものであったと位置付けることができるかもしれません。このような政策運営を行っている場合には、上振れリスクよりも下振れリスクが強調されますので、コミットメントが達成されたかどうかの判断はより慎重になります。

 しかし、金融システム不安が解消されつつある今日、デフレスパイラルに陥る懸念を耳にすることはなくなりました。また、これまで申し上げましたように民間企業の債務削減などの構造調整が進展し、潜在成長率の上昇、今後物価が上昇するとみる人の増加 13、労働市場の硬直性の低下 14など、デフレになると大きなコストをもたらすと指摘されてきた条件・要因に改善傾向がみられ、かつ不良債権処置に目処が立ちつつあるといえるようになった現在においては、マイルドなデフレのコストは量的緩和政策導入時よりも減少していると思います。

 金融政策が成功するかどうかは中央銀行の先行き見通しの質に大きく依存することになります。従って、私どもの現状認識と先行き見通しにおいて、展望レポートで出されたシナリオのパスにのっているのかどうか、また上振れ・下振れしているかどうかを日々蓄積されたデータや分析などから検討し、予想能力を高めることが重要になります。但し、それは数字を正確に当てることではなく、景気のメカニズムを正しく把握することが中心になります。そして、コミットメントが満たされたかどうかを判断する場合に、予測の数値の大きさを重視するのではなく、先行きもっとも蓋然性の高いシナリオはどのようなものか、そのメカニズムを見極めることが重要だと思っています。また、予測の上振れ・下振れの可能性だけでなく、それらが実現した場合のコストを評価することも必要です。私としては、コミットメントが満たされたかどうかの判断を、早過ぎないというだけでなく遅過ぎることもないように行いたいと思っております。

  1. 3 構造問題に対する分析は、翁邦雄・白塚重典「資産価格変動、構造調整と持続的成長:わが国の1980年代後半以降の経験」、『日本銀行金融研究所ディスカッション・ペーパー』、No.2004-J-22や前田栄治・肥後雅博・西崎健司「わが国の『経済構造調整』についての一考察」、『日本銀行調査月報』、2001年7月号をご参照下さい。
  2. 4 信用コスト率は、信用コスト(一般貸倒引当金純繰入、個別貸倒引当金純繰入、貸出金償却および債権売却損等その他の合計)を貸出金残高で除したものとしています。
  3. 5 信用コスト率の低下は、景気回復や財務リストラによる企業収益の改善、オフバランス化による不良債権処理の進展などが寄与したと考えられます。決算等銀行経営の動向の詳細については、「2003年度決算からみた銀行経営動向」、『日本銀行調査月報』、2004年8月号をご参照下さい。
  4. 6 具体的な取り組みについては、日本経済研究センターにおける総裁講演要旨「金融サービス高度化——経済の将来を切り開く」(2004年7月)をご参照ください(本ホームページから入手可能です)。
  5. 7 詳しくは、福田慎一・粕谷宗久・赤司健太郎「デフレ下における非上場企業のデフォルト分析」、『日本銀行ワーキングペーパーシリーズ』(2004年9月)をご参照下さい。
  6. 8 その一つは金融機関の資産の流動化や証券化です。貸出債権市場の活性化については、2002年10月に金融庁が公表した「金融再生プログラム」においてその重要性に触れられたことを契機に金融庁、経済産業省、日本ローン債権市場協会、全国銀行協会および日本銀行などによる制度やインフラの整備等への取り組みが進んでいます。
  7. 9 構造調整とマネーサプライの関係については、須田美矢子「構造改革と金融政策:変化の胎動と期待」(2002年5月)をご参照ください(本ホームページから入手可能です)。
  8. 10 90年代の平均でみれば、預金利鞘(市場調達金利−預金金利)は約1%ポイントとの推計結果もあります。詳しくは、白鳥哲哉・大山剛「近年における邦銀の収益低迷の背景と今後の課題——預貸利鞘のトレンドからみた分析」、『日本銀行ワーキングペーパーシリーズ』(2001年11月)をご参照下さい。
  9. 11 昨年10月に量的緩和政策継続のコミットメントを明確化しました。具体的には以下のとおりです。
    日本銀行は、金融政策面から日本経済の持続的な経済成長のための基盤を整備するため、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品。以下略)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、量的緩和政策を継続することを約束している。日本銀行としては、このコミットメントについては以下のように考えている。
  • 第1に、直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できることが必要である(具体的には数か月均してみて確認する)。
  • 第2に、消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると見込まれないことが必要である。この点は、「展望レポート」における記述や政策委員の見通し等により、明らかにしていくこととする。具体的には、政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していることが必要である。
  • こうした条件は必要条件であって、これが満たされたとしても、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる。
  1. 12 バーナンキFRB理事は、講演の中で、"(1) Policymakers' uncertainty about the economy should lead to more gradual adjustment of the policy rate; (2) gradualism in adjusting the policy rate affords policymakers greater influence over the long-term interest rates that most affect the economy; and (3) gradualism reduces risks to financial stability."、"Although the FOMC cannot directly determine long-term interest rates, it can exert significant influence over those rates through its control of current and future values of the federal funds rate."と述べています。詳しくは、Bernanke, B.S.(2004)"Gradualism", At an economics luncheon co-sponsored by the Federal Reserve Bank of San Francisco (Seattle Branch) and the University of Washington, Seattle, Washingtonをご参照下さい (FRBのホームページ<http://www.federalreserve.gov>から入手可能)。
  2. 13 日本銀行「生活意識に関するアンケート調査」によると、1年後に物価が上がるとの回答比率は、2002年9月調査では2割弱であったが、2004年6月調査では4割となっています。
  3. 14 黒田・山本(2004)は、フルタイム雇用者の賃金の下方硬直性が98年以降、確認されなくなったと分析しています。詳しくは、「バブル崩壊以降のわが国の賃金変動:人件費及び失業率の変化と名目賃金の下方硬直性の関係」黒田祥子・山本勲 Discussion Paper No.2004-J-23をご参照下さい。

4.おわりに

 最後に、私が生まれ育った山口県の経済について、ふるさとが活気のあるところであって欲しいという思いから、少しお話させて頂きたいと思います。

 山口県経済の現状をみますと、全体としては製造業を中心に回復しています。先般、下関支店が公表した短観の結果をみても、山口県の企業経営者の業況判断DIは、2000年の景気回復局面以来の高水準となっています。特に、山口県は素材産業を中心とした製造業が集積しており、この製造業の業況判断DIはバブル期に迫る水準となっているなど、明確な回復の姿が窺えます。しかしながら、仔細にみると、業種間格差や地域間格差が色濃く残っていることも事実です。具体的には、化学コンビナートや自動車メーカーが集まっている県中部から東部では、米国・アジア向け輸出や内需回復によって生産が高水準を維持しているほか、設備投資も増加するなど、回復感が強まっている一方で、非製造業が中心の日本海側や県西部では長期的な公共工事抑制の影響から建設業が厳しい業況にあるほか、個人消費にも盛り上がりがみられず、回復感に乏しい展開が続いています。非製造業のここ一年間の景況感の改善幅は全国を上回りますが、製造業と非製造業の格差はむしろ拡大している状況にあります。

 こうした製造業と非製造業の格差を縮める手段の一つは観光なのでしょう。山口県を見渡しますと、下関を始めとして、萩、防府等県内各所に歴史や文化が漂う名所・史跡が数多く残されていますほか、関門海峡、秋吉台、秋芳洞、青海島といった自然や「ふぐ(地元では"ふく"と呼ぶ)」に代表されるように海産物等にも非常に恵まれた地域といえますし、そのどれもが全国的に知名度が高いものです。ただ東京で暮らしていますと、生まれ育った県であり、愛着があるにもかかわらず山口県との距離は実際の距離よりも遠いというのが実感です。潜在的に観光需要があることは確かですので、「行ってみたいけど遠い」を「遠いけど行ってみたい」に変えるための工夫を、勝手なお願いですが、是非考えて頂きたいと思います。

 山口県は、近代日本の礎を築いた明治維新の志士を輩出したように、時代を担う人材の宝庫といえます。そうした志士たちのDNAが現在の山口県の人々に脈々と受け継がれ、時代の変化を先取りして活躍する力が潜んでいると確信しています。このような力は構造調整には必須のものです。観光に限らず、時代を切り拓く新たな動きが、山口県から出てくることを期待しております。

 私の話はこのくらいで止めまして挨拶とさせて頂き、皆様方との意見交換に移らせて頂きたいと存じます。ご清聴頂きまして、誠にありがとうございました。

以上