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日本経済の力強い成長に向けて

経済同友会会員懇談会における福井日本銀行総裁講演要旨

2005年 5月13日
日本銀行

[目次]

はじめに

 日本銀行の福井でございます。本日は、経済同友会会員懇談会にお招きいただき、各界でご活躍の皆様に、親しくお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

 日本銀行では、4月と10月の政策委員会で、「経済・物価情勢の展望」というレポート——私どもでは、「展望レポート」と呼んでいます——を決定し、公表しています。

 この展望レポートは、私どもが金融政策運営を行う前提となる、経済・物価の先行き見通しを記述しているものですが、先月末に公表したレポートでは、その対象期間を1年延ばし、2006年度までの見通しを示しました。金融政策の効果が実体経済や物価に波及して行くには一定の時間を要することを念頭に置きつつ、海外中央銀行のケースも参考にして決めたものです。

 本日は、この展望レポートの内容を中心に、わが国の経済・物価の現状と見通しについて、経済・物価の変動に関する基本的なメカニズムに焦点を当てながら、ご説明したいと思います。その上で、そうした経済・物価情勢のもとでの金融政策運営について、お話しさせていただきます。

経済・物価情勢の現状と先行き見通し

 今回の展望レポートで示した、先行き2年間の経済の姿ですが、これを一言で言えば、「日本経済は、緩やかではあるが、息の長い成長が続く」ということです。すなわち、現在の景気回復は、バブル崩壊後では3回目の回復ですが、過去2回の回復は、持続的な成長軌道に復することなく景気後退局面に再び入るということを繰り返しました。今回は、息の長い回復を続けており、さらにそれが続いて行く可能性が高い、というのが私どもの見方です。

 これまでのところ、景気は、実質GDP成長率が昨年の4~6月以降3四半期連続してほぼ横這いで推移するなど、「踊り場」局面にあることはご案内のとおりです。半導体製造装置等の資本財・部品や電子部品等の情報関連の輸出が弱かったこと、IT関連財の生産がマイナスで推移していることからみて、世界的にIT関連分野の生産・在庫調整が進められた影響が大きいと思います。こうした動向をみて、今回の景気回復が途切れてしまうのではないかという悲観的な見方も少なくありません。

 しかし最近では、輸出や生産も持ち直しており、「横這い」の動きは景気後退の前触れではなく、いずれ再び回復軌道に戻るという「踊り場」であったことが、次第に明らかになって来ています。

 IT関連分野の調整は、デジタル家電の調整が進んでいる一方、携帯電話には遅れがみられるなど、品目によってその進み具合に差がみられますが、全体としてみれば、年央には概ね調整が終息するとみています。2001年のITバブル崩壊時に比べ、調整が早期かつ軽度なものに済む可能性が高いということです。企業がITバブル時の経験を活かし、グローバルな在庫管理技術を向上させるとともに、在庫積み増しに慎重に臨んで来たこと、また需要に陰りがみえた段階で早めの在庫調整に取り組んだこと、これらが調整を軽度に止めることに寄与していると思われます。需要面からは、パソコン需要中心であったITバブル時と異なり、今回は、わが国に比較優位のあるデジタル家電など需要の裾野に広がりがあった点も、幸いしています。

 このようにIT関連分野の調整が遠からず終息し、「踊り場」を脱した後は、緩やかで息の長い景気回復が続く、というのが私どもの見通しですが、次に、その背景などについてお話ししたいと思います。

 まず、景気が回復を続けるとみている背景ですが、一言で整理すれば、経済・金融両面から、わが国の基礎体力が強くなって来ていること、と言えると思います。

 経済面では、過剰設備・過剰雇用・過剰債務の調整が進捗しています。短観でみた企業収益は、バブル末期の水準を上回っていますし、設備の過剰感もほぼ払拭されつつあります。全産業ベースでみた雇用人員判断は、1992年以来の不足超に転じています。

 金融面では、不良債権問題を中心に、金融システムの健全性回復に向けた対応が相当進んでいます。こうしたもとで、この4月にはペイオフの全面解禁も無事実施されており、企業の前向きの活動を金融面から支える環境が整って来ています。

 ただ、そうした中にあっても、企業の行動は、全体としてみると依然慎重です。やや逆説的に聞こえるかもしれませんが、私どもが、今回の景気回復が息は長いものの、そのテンポは緩やかに止まるとみている背景には、こうした企業行動があると思います。設備投資は増加を続けており、攻めの姿勢を明確にし始めた企業も一部に見られますが、そうした動きはまだ限定的です。高水準の収益は、有利子負債の削減に先ず振り向け、設備投資を増やすとしても、その額はキャッシュフローの範囲内といった企業がほとんどです。

 こうした企業の慎重なスタンスを前提としますと、回復のテンポは「緩やか」に止まる可能性が高いのですが、同時に、それゆえに「息の長い」成長が続くとも考えられるわけです。過去の大きな景気の振幅を振り返りますと、外需のショックが強く働いた場合もありますが、内需の変動が景気循環を増幅したケースも少なくありません。経済活動が活発化する中で、先行きの成長に対する過大な期待が生まれ、設備投資や在庫投資の面で行き過ぎが生じると、景気の「山」は高くなりますが、その後、行き過ぎの調整を通じて、「谷」も深くなります。今回は企業行動が慎重であるだけ、内需の変動による景気の大きな振幅は生じにくくなります。

 こうした見方を、計数のイメージで述べれば、2005年度、2006年度とも、潜在成長率をやや上回る1%台半ばの成長を続けるということになります。

 物価動向を見通す上でも、慎重な企業行動、中でも人件費抑制に向けての企業の姿勢が大きなポイントとなります。

 原油価格を始めとする内外商品市況の高騰により、原材料コストが上昇しており、グローバルにはインフレ方向のリスクが従来よりも強く意識されて来ています。もっとも、これまでは、企業部門での生産性の高まりと人件費の抑制によってこれがかなり吸収されています。

 特にわが国では、消費者物価にまだ上昇がみられない状況が続いています。わが国の企業は生産性向上に一段と力を入れようとしています。また創出した付加価値から人件費に配分された割合を示す労働分配率は、90年代初の水準にまで大きく低下しているのですが、多くの企業は、引き続き、人件費の抑制を図って行くという慎重なスタンスを崩していないようです。加えて、米価格の下落や電気・電話料金引き下げの影響もなお暫らく残るとみられます。景気が回復を続ける中で、基調的には物価を押し上げる方向の力がじわじわと作動していますが、今述べたような要因が強く働くことから、消費者物価の前年比は、2005年度はゼロ%近傍、2006年度は小幅のプラスと予想しています。

上振れ・下振れ要因

 以上のように、私どもでは、緩やかではあるが息の長い成長が続くことを蓋然性の高い見通しとしています。

 とは言え、今後2年間を展望した場合、経済や物価に大きな影響を与え、見通しの上振れ・下振れをもたらすようなショックが起きないとは当然言い切れません。日本銀行として意識しておかなければならない経済活動に関する不確定要因として、展望レポートでは、エネルギー・素材価格の動向、米国および中国の景気動向、そして国内民間需要の動向、の3点を指摘しました。ここでは、下振れのリスクとして、エネルギー・素材価格と世界経済の動向という二つの点について、若干敷衍したいと思います。

 先ず、原油価格の動向ですが、実質価格では既往ピークをかなり下回っていますが、名目価格でみると、このところ既往最高値圏で推移しています。その背景にあるのは、世界経済の拡大が続く一方、産油国の供給余力が乏しくなっていることを受けた需給の逼迫です。より大きな視野に立てば、80年代以降、中国や東欧などの諸国が相次いで市場経済に参入し、賃金面での優位性を活用しながら、様々な財の生産能力を飛躍的に拡大しました。このことは、最終財価格に絶えざる低下圧力を加える一方で、資源を大量に消費することによって、一次産品価格の高騰をもたらしています。ただ、最近の原油価格上昇には、米欧の天候見通しや米国の石油在庫といったニュースに市況が大きく反応するなど、やや投機的な動きも指摘されています。

 原油高の影響については、わが国の場合、実質GDP1単位当たりの原油消費量が米国の7割程度であるなど、他国に比べてエネルギー効率が高い点は、影響を緩和する方向に働きます。また、為替相場がここ1、2年の間に、やや円高となっていることも、円ベースでの原油高を多少とも相殺しています。ただ昨年とは異なり、今回は、わが国の輸入依存度が高い中東産原油の価格も上昇していますので、企業収益の圧迫や実質購買力の低下によって、わが国経済が下振れする可能性もあり、より注意が必要であると考えています。また、先物市場の価格が高止まりしていることにも表れているように、原油高が持続するのではないかとの見方が広がる可能性も否定できません。原油価格の高騰が続けば、世界経済が下振れる可能性がありますし、世界経済の成長鈍化が、輸出を通じて、わが国経済に与える間接的な影響も視野に入れておく必要があると思います。

 下振れ方向のリスクとして、二つめに取り挙げたいのは、世界経済についてです。

 米国および中国を中心に世界経済は着実な拡大を続けており、この先も、潜在成長率程度の景気拡大が続くというのが標準的な見方です。4月のG7でも、世界経済の拡大は強固であり、2005年の経済成長も堅調との見方を共有しましたし、IMFの見通しでも、本年、来年とも4%台の実質成長率の伸びを予想しています。物価面でも、原油を始めエネルギー・素材価格の上昇は、これまでのところ、生産性の向上等によって企業部門で吸収され、インフレ率は抑制されています。

 もっとも、ここへ来て、素材価格の上昇が相当程度長引く可能性が出て来ていることから、グローバルなインフレ方向のリスクも意識され始めています。米国でも、今のところ、インフレ圧力は抑え続けられるとの見方が強いのですが、既に国内需給の引き締まりが底流にある中で、生産性の上昇が鈍り、製品単位当たりの労働コストが上昇する下で、インフレ予想が上昇して行かないかという点が注目されています。米国の中央銀行であるFRBも、5月の金融政策変更時に、「物価上昇圧力はここ数ヶ月間で強まっているほか、企業の価格決定力はより明確にみられるようになっている。長期的なインフレ予想は引き続き落ち着いている。」との判断を示しています。グローバルな物価を巡る環境がどのように変化し、それが長期金利の上昇など金融市場を通じて、世界経済にどのような影響を与えて行くのか、わが国へのインプリケーションという点も含めて、確認して行きたいと考えています。

 また、中国では、堅調な内外需に支えられて力強い拡大が続いていますが、固定資産投資が高めの伸びを続けているほか、電力不足などインフラ面でのボトルネックのリスクが指摘されています。また、都市と農村間での所得格差を始めとする構造問題なども抱えています。これから先も、持続的な成長が確保できるか注意深くみて行く必要があると思います。

企業行動に関する特徴と今後の見通し

 今回の景気回復は、回復テンポが緩やかであることが一つの特徴ですが、その背景に、慎重な企業行動があることは既に述べた通りです。言葉を換えれば、企業行動がより積極化した場合、これまで述べてきた経済・物価見通しの上振れ要因になるということでもあります。

 それでは、景気が回復を続け、収益力が高まる中でも、企業は何故慎重な行動を続けているのでしょうか。次にこの点について、考えられる幾つかの仮説を述べさせて頂きたいと思います。

 第一に、企業の皆さんの立場に立ってみれば、バブル期以降の景気の落ち込みや金融システム不安を経験して、事業リスクや財務リスクの大きさが意識されたため、できるだけ有利子負債は返済し、自己資本を厚めに持っておきたいと考えるのは当然だと思います。在庫や固定費を圧縮して予期せぬショックへの抵抗力を強めておく必要も痛感されたと思いますし、金融資本市場のグローバル化が進み、格付けや金融資本市場からの評価を意識せざるを得なくなって来た中で、債務比率の引き下げに取り組んで来られたということかと思います。

 第二に、先ほど述べたエマージング諸国の市場化に伴ってグローバルな競争環境が激化していることもひとつの要因ではないでしょうか。

 米国をはじめ先進各国では、程度の差はあれ、企業行動の慎重さがみられています。また、各国の金融市場では、長期金利の水準から株価の益回りを差し引いて計算されるイールド・スプレッドの低下傾向が続いていますが、株式市場の評価する成長期待が低迷していることを表しています。

 米国では会計スキャンダルの余波など、欧州では構造改革の遅れなどが投資家心理に影響している面もあると考えられますが、グローバルな競争環境の激化が企業経営者の心理に影響していることも窺わせます。

 わが国では、アジア諸国との地理的近接性ということもあり、グローバルな競争圧力に最も強く晒されていると、企業が感じても不思議ではありません。それに加え、少子高齢化の一層の進行や総人口の減少など、わが国の企業活動を巡る環境がこれからさらに大きく変化して行くことは誰しも念頭においているところです。これまで低成長の期間が長く続いた経験ともあいまって、人々の心の中で日本経済の将来に対する成長期待がやや低くなっている可能性があります。因みに内閣府の企業に対するアンケート調査から先行き5年間の期待成長率をみると、90年代初の4%程度から長期的に低下して来ており、最近漸く幾分上向きに転じたものの、依然1%前後に止まっているようです。

 最後にひとつ付け加えれば、現在の好調な収益は、極めて低い金利に支えられている部分があり、これ自体いつまでも続くものではない、と指摘する声も聞かれます。

 もっとも、構造調整が進捗する中で、企業が前向きの行動を起こす環境が整いつつあることも事実です。

 企業財務面では、まず債務の削減が進んでいます。企業が抱える負債残高を売上高対比でみてみますと、非製造業では、下がったとはいえ80年代前半と比べればまだやや高い水準にありますが、製造業に関しては、80年代前半を下回る水準にまで低下しています。こうした下で、企業のバランスシートにおける自己資本の割合は、製造業、非製造業ともに上昇傾向が一段と顕著になって来ています。近年エクイティ・ファイナンスが堅調であることもこれを促す大きな要因となっています。また、長期金利が2000年代以降はかなり低い水準となっている中で、過去の高い金利での借入れの返済や借換えが進み、企業の負債コストは大幅に低下しました。最近では、これ以上低下し得ないところまで来たといった感触さえ聞かれます。一方で、企業の収益率は、大企業ではバブル期を上回る水準にあるほか、中堅中小企業でもバブル期以来の高さになっており、負債コストを上回る状況が実現しています。キャッシュフローを債務返済に充てるよりも実物投資に振り向けることが促され易い環境になっているということです。

 そうしたことを考えると、今後は、中長期的に企業価値を高めていく観点から、フリーキャッシュフローを負債圧縮に回さずに、成長のための設備投資や投融資、研究開発などに使う企業が増えて来るとみられます。業務の多角化を戦略とする企業は、M&Aを活用することも考えられます。あるいは、株主によるガバナンスの強まりもあり、自社株消却、配当性向の引き上げといった形での株主への利益配分の動きが強まるかも知れません。さらには、緩和的な金融環境を利用して、資金調達を行った上で、より積極的な活動を行っていくという企業も徐々に増えて来ると思われます。

 雇用面でも、スキルの高い技術者の確保やバランスのとれた従業員構成の維持などのため、名目賃金や賞与の増額、新卒者の採用の拡大といった動きが広がることも考えられます。

 こうした動きは、わが国経済がバランスのとれた成長過程を辿っていく中で広がって行くはずですし、これが更に経済の成長を高めるという循環メカニズムも働くと期待出来ると思います。

 経済活動との関係から企業行動の特徴をお話して来ましたが、こうした動きが、今後の物価情勢にどのような影響を与えて行くかについても、注目して行きたいと思います。

 物価下落の要因を振り返ってみますと、2001年から2002年にかけてのわが国の物価下落は、需要の弱さを反映した面が大きかったと思います。しかし最近では、こうした需要面の低下圧力は後退し、別途の要因の影響が強くなって来ています。規制緩和等による電気・電話料金の引き下げもその一つですが、生産性の上昇、そしてとりわけ企業の根強い人件費抑制姿勢が最終物価を押し下げる大きな要因となっています。

 つまり、景気回復が「緩やか」であることと、物価が「高まりにくい」状況にあること、という最近のわが国経済の特徴は、慎重な企業行動という共通の要因が姿を変えて表れているとも言えます。その意味でも、企業行動が一段と前向きのものとなり、人件費抑制姿勢に変化が生まれてくるのかどうかという点が注目されます。また、先行きの成長期待が高まる中で、物価に対する見方も変わって行くことが考えられます。実際、各種のアンケートでみても、先行きの物価上昇を見込む個人や企業の割合が増加するなど、家計や企業のデフレ心理は、2001年頃をボトムに着実に後退して来ています。都心部を中心に、地価が下げ止まりから上昇に転じつつあることも、成長期待が高まりつつあることのひとつの表れとみることが出来るかもしれません。こうした動きが今後どう展開して行くか、注目されるところです。

金融政策運営

 次に、日本銀行の金融政策運営について、お話ししたいと思います。

 日本銀行は、現在、日銀当座預金残高という「量」を主たる操作目標とする金融緩和の枠組み——いわゆる「量的緩和政策」——を採用しています。この量的緩和政策の枠組みは、大きく言えば、次の2つから成り立っています。

 先ず、第一に、日本銀行は、金融市場に極めて潤沢な資金供給を続けています。具体的には、金融機関が法律上の義務等で、日本銀行に預けることが求められている資金——これを所要準備預金と言い、現在は6兆円程度ですが——を大幅に上回る資金を供給しています。これにより、金融市場では、流動性に関する安心感が隈なく広がるとともに、コール市場でのゼロ金利が実現しています。

 第二に、日本銀行は、こうした政策を消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比変化率が安定的にゼロ%以上となるまで継続するという、中央銀行としては異例の「約束」をしています。これによって、市場参加者が、ゼロ金利の継続を予想することを通じて、やや長めの金利を引き下げることとなります。

金融政策の効果

 今述べたような量的緩和政策の枠組みを導入してから、4年以上が経過しました。この間、量的緩和政策の枠組みに変化はありませんが、政策効果は、直面する経済や物価の状況、金融市場や金融システムの状況によって変わって来ます。

 量的緩和政策を導入した当時の情勢をみますと、2001年度の実質成長率は、前年比−1.1%と低迷し、消費者物価は、前年比−1.0%まで下落していました。金融機関が多額の不良債権を抱える中、金融システム不安が根深く底流し、金融機関の流動性需要が十分に満たされない場合は、企業向けの信用供与にも極度に慎重になるなど、クレジット・クランチに到る惧れがありました。このようなことから経済全体としてデフレ・スパイラルに陥るリスクが強く意識されていました。

 こうした金融経済情勢の下では、機動的に潤沢な流動性を供給することで、人々や市場参加者の流動性に関する不安心理を抑制し、金融市場の安定化を達成することにより、緩和的な金融環境をしっかりと維持することが必要でした。例えば、2002年秋には、銀行株価の下落や不良債権処理についての方策を巡る不透明感が高まる中で、金融機関の流動性需要が増加傾向を辿りましたが、これに対応した潤沢な資金供給を続けることによって、金融市場は安定的に推移しましたし、企業金融の急激な引き締まりもみられませんでした。

 この時期、見方によっては、「約束」の効果<いわゆる「時間軸」効果>よりも、流動性不安を鎮めることを通じる「量」の効果の方が大きかったといえるかもしれません。

 その後、金融経済情勢は改善傾向にあります。2002年度以降、実質成長率が前年を上回って成長を続ける中で、消費者物価の前年比もほぼゼロ%近傍まで下落幅を縮小しました。緩和的な企業金融の環境が維持されていることがその支えとなっています。金融機関の自己資本比率の上昇、企業の財務体質や収益性の改善とともに、量的緩和政策の枠組みのもとで資金調達に対する安心感が定着していることが、こうした望ましい環境を作り出しています。

 量的緩和政策の枠組みは、景気が回復に向かえば向かうほど、サポートする力も強くなります。この場合、「量」の効果との比較では、「約束」の効果の方に徐々にウエイトが移って来ます。

 経済・物価情勢が好転すれば、それに応じて金利が上昇するものですが、「約束」があることで、先行きの金利予想を安定させることを通じて、やや長めの金利を引き下げ、企業は引き続き低利での資金調達が可能となります。一方、景気の回復に伴って投資の収益率が高まるため、経済活動における投資採算はそれに応じて改善することになります。

 量的緩和政策は、以上のように微妙な変化を伴いつつも効果を発揮し続けていますが、この政策を取り巻く市場の状況は、金融システムの健全化が進み、金融システムに対する不安感が後退する中で、最近とみに変化して来ています。金融機関においては、市場からの資金調達に対する安心感が定着しています。また、金融機関は、格付けや株価への意識から収益力を重視する姿勢を強めており、これが、利息収入をうまない日銀当座預金という形での資産保有に対するインセンティブを殺いでいる可能性もあります。

 このように金融機関の流動性需要が減少していることから、日本銀行の資金供給オペレーションに対するニーズが低下し、最近では、日本銀行が資金供給をオファーしても、金融機関から申し込まれた金額が供給予定額に達しないという、「札割れ」現象がしばしば発生しています。「札割れ」現象が頻発しているのは、それだけ金融システムを巡る状況が改善していることの表れであり、それ自体は、前向きに受け止めてよいと思われます。

 しかし同時に、その分日本銀行の資金供給が難しくなっている面はあり、政策委員会でも、現在のような高い当座預金残高目標をこのまま維持することの是非をめぐり議論が展開されています。ただ、これはあくまでも、金融機関の流動性需要や金融市場の状況が変化している実情に即して、量的緩和の枠組みを堅持して行くためにはどのような対応が適当なのか、という観点に立って行われている議論です。消費者物価指数に基づく明確な「約束」に沿って、所要準備を大きく上回る潤沢な資金供給を続けることでしっかりと金融緩和を継続する、という基本スタンスにはいささかの揺るぎもありません。

 では、枠組みの変更の時期については、どのように考えられるのでしょうか。

 先ほども申し述べたとおり、政策委員の消費者物価見通しは、今年度はゼロ%近傍、来年度は小幅のプラスとなっています。こうした物価の先行き見通しは、経済活動水準の上振れ・下振れの影響を受けたり、物価固有の要因である、インフレ心理の台頭や規制緩和等の競争促進策の影響などによって、上下に振れる可能性があるものです。従って、今回の展望レポートが対象とする期間において、この「約束」の条件が満たされ量的緩和政策の枠組みを変更する時期を迎えるか否かは明らかではありませんが、私どもの物価の見通しが実現していけば、2006年度にかけてその可能性が徐々に高まっていくとみられます。

 ただ、その場合でも、今回の展望レポートが想定しているような経済・物価の姿、すなわち、経済がバランスのとれた持続的な成長過程を辿る中にあって、生産性の向上を基本的な背景として物価が反応しにくい状況が続いて行くのであれば、今後の金融政策運営については、余裕をもって対応を進められる可能性が高いと考えられます。

 企業の皆さんには、そうした緩和的な金融環境を活用して、新しい事業機会に挑戦し、さらに前向きの姿勢で企業活動を展開されるよう期待いたします。そして、そのことこそ、日本経済のよりダイナミックな発展の道に通ずるものと確信いたしております。

 ご清聴、誠に有難うございました。

以上