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日本銀行金融研究所主催第12回国際コンファランスにおける福井総裁開会挨拶(日本語仮訳)

2005年 5月30日
日本銀行

[目次]

はじめに

 皆さん、お早うございます。

 金融研究所主催の第12回国際コンファランスで挨拶することは、私にとって大きな喜びです。世界中からお集まり頂いた参加者の方々に対し、日本銀行の同僚を代表して、心から歓迎の気持ちを伝えたいと思います。

 過去24年間にわたり、金融研究所主催コンファランスは、幸いにも学界と中央銀行の英知を一同に集めることを得て、中央銀行がその時々に直面していた課題について議論してきました。

 私どものコンファランスが幸いにも各方面から好評を頂いているのも、これまで出席していただいた皆様の長期間に亘るコミットメントとご尽力のお陰であり、これまでこのコンファランスにお力添えいただいた皆様に改めてお礼を申し上げたいと思います。

 今年から、金融研究所は隔年ではなく、毎年国際コンファランスを開催いたします。これにより、金融経済のより幅広い論点について、より時宜を得たかたちで取り上げていくことができると考えています。

 毎年開催する新しいコンファランス・シリーズにより、中央銀行関係者と学界との率直な意見交換の機会をより多く提供できるに違いないと確信しています。

 将来行われるこのコンファランスにつきましても、引き続き、皆様から暖かいご支援を賜れれば幸いです。

今年のコンファランスのテーマ

 さて、今年のコンファランスでは、経済政策の担い手に対するインセンティブ・メカニズムをどのように設計するかという問題を取り上げています。

 制度のあり方とインセンティブ・メカニズムは、全体として経済のパフォーマンスに大きな影響を与えます。人々に効率的な行動を動機付けることができる制度もあれば、そうでない制度もあるからです。

 いま、もっとも大きな制度的枠組みである市場経済と中央集権的な計画経済という、2つの制度を例にとってこの点を考えてみます。

 市場経済では、超過需要あるいは超過供給が発生すると、市場価格が変動するというシグナルが発信され、生産者に供給を変化させるインセンティブを生み出します。市場価格が均衡価格よりも高いときは、生産者はその生産・売上を増加させるインセンティブを与えられます。一方、市場価格が均衡価格よりも低いときは、生産者は逆に生産を減少させるインセンティブを与えられます。供給が増加すると、市場価格は低下し、供給が減少する場合は、市場価格は上昇し、こうしたプロセスは均衡価格のもとで需給が一致するまで続きます。こうしたインセンティブ・メカニズムの存在によって、市場経済では効率的な資源配分が達成されます。

 これに対して中央集権的な計画経済における計画当局のトラック・レコードは、惨澹たるものです。計画経済では、生産者は概して超過需要と超過供給に自律的に対応するようなインセンティブを与えられませんでした。同時に、当局者自身も需要の変化を見極めて反応するような適切なインセンティブを与えられていなかったため、生産者に需要の変化に見合った生産調整を指示することにしばしば失敗しました。その結果、効率的な資源配分は達成されませんでした。

 こうしてみると、中央集権的な計画経済が1990年代までに世界的に崩壊したことは少しも不思議ではありません。このように、制度とそれに内在するインセンティブ・メカニズムは経済のパフォーマンスを決定する上で決定的な役割を果たすといえるでしょう。

市場経済におけるインセンティブ・メカニズムの失敗

 ところで、市場価格は市場経済におけるインセンティブの唯一の源ではありません。市場経済に内在するインセンティブ・メカニズムが、かえって経済主体の効率的な行動を阻むこともあります。

 実際、インセンティブの問題は、例えば、わが国銀行の不良債権問題処理の過程にも、影響を与えました。

 1990年代後半までの日本の規制的および制度的環境は、銀行が自らのバランス・シート悪化を防ぐために迅速な行動をとる方向で動機付ける力に欠けるものでした。例えば、銀行は、不良資産の開示に関して大きな裁量を与えられており、その詳細について情報を公表しないことは法律的にも可能なことでした。

 その結果、この問題に市場規律が働く余地は限定的なものにとどまっていました。同時に、規制当局、監督当局に利用可能な手段も限られていました。

 当局にもっと強力な手段があれば、当局は銀行に対してより果断な行動をとるように説得できたかもしれませんが、そうではありませんでした。

 銀行のインセンティブをうまく働かせるような様々な手法が導入されたのは1990年代後半から2000年代前半にかけてのことです。例えば金融庁は、より厳格な情報開示基準や早期是正措置などを導入しました。預金保険機構の機能も強化されました。また、日本銀行は、わが国の銀行に対して、DCF(Discounted Cash Flow)法を使って貸出のより適切な評価を行うことを推奨しました。

 こうした手法の導入は、日本の銀行に経営改善を促す適切なインセンティブを作り出しました。先般の預金全額保護の廃止措置(ペイオフ解禁)は、その成功を示す象徴的な出来事といえます。

 今お話した例は、インセンティブ・メカニズムが金融システムの安定性にも影響しうることを示唆しています。それだけに、中央銀行はこうしたインセンティブ・メカニズムの設計に大きな関心を持っています。

中央銀行のインセンティブ・メカニズム

 ところで、中央銀行自体もその制度設計が生み出すインセンティブ問題の影響を免れません。

 たとえば、かつて先進工業諸国の政府は、経済成長の加速と緩やかなインフレーションの阻止との間にトレード・オフ関係があると考えがちでした。このため、潜在成長力以上の成長の結果生じるインフレーションを中央銀行が黙認するような環境を生み出しました。1970年代にみられたスタグフレーションは、経済を誤った方向に導くインセンティブの結果もたらされたものと見ることもできます。

 幸いにも、我々は歴史から学ぶことができます。1980年代後半以後、先進工業諸国の政府の間では、中央銀行は、政府が持続的な成長を達成するためのひとつの前提条件として、物価の安定を目指すべきだ、との認識が強くなっているようにみえます。

 従って、今日では、多くの中央銀行は、以前に比べて良好なインセンティブが存在する下で金融政策を遂行しています。その鍵となる構成要素は、政府からの独立と、意思決定についてのアカウンタビリティです。

 物価の安定に関して与えられている具体的な任務は、中央銀行ごとに異なります。特定の数値目標を達成することを要求されている中央銀行もありますし、そうではない中央銀行もあります。

 具体的な数値目標を定めている例としては、ニュージーランド準備銀行総裁と大蔵省の間の2002年の政策目標協定が挙げられます。協定は、「政策目標は、中期的に、消費者物価で計測した将来のインフレ率を平均的に1から3パーセントの間に収めること」としています。

 より抽象的な形で物価安定の責務を与えられている例は、日本銀行法第2条にみられます。そこでは、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定されています。

 私自身は、──この点については、中央銀行関係者の方々のご同意をいただけるのではないかと思っていますが──、中央銀行にとって最も重要な成果は、特定の数値目標を達成すること自体ではないと考えています。ある一つの特定の物価指数が現在安定していることは、将来の持続的な成長を常に保証するものではありません。それゆえ、中央銀行が持続的な成長と整合的な物価の経路を追求していくようなインセンティブを生み出すように制度を設計していくことが重要だと考えます。

金融政策委員会のインセンティブ・メカニズム

 インセンティブの問題は中央銀行にとって、マクロ経済的な政策目標というレベルだけではなく、よりミクロ的な、日々の意思決定においても重要です。国民が中央銀行に物価安定の任務を委任することが物価安定の達成につながると判断したのであれば、中央銀行はその任務を達成するためにどのように意思決定を下すべきでしょうか。

 この点では、日本銀行のように政策委員会が金融政策を決定する、という意思決定方式を採る事例が増加しています。「船頭多くして船山に登る(camel is a horse designed by a committee)」という古いことわざもありますが、私は委員会方式で金融政策を決定することにはさまざまな優れた点があると感じています。なにより、委員会方式の下では、各委員が多様な経歴をもっており、それを活かして徹底的に議論することが可能です。他方、金融政策委員会が異なる意見をもつ人々の集まりであるが故に、委員会の中でインセンティブの対立が発生することがあるのも事実です。

 したがって、異なる意見をもつ人々からなる金融政策委員会の議長は、委員たちの意見を調整し、コンセンサスへの到達を目指して意見を集約していきます。最近のアラン・ブラインダー教授の著作に、グリーンスパン議長が「鉄拳ではなく、ビロードの手袋で」FOMCの議事運営をしている、という記述があります。この記述は、各委員の持つ多様なインセンティブを発散しないように処理していくという議長の微妙な役割を示しています。

 私自身は、日本銀行政策委員会議長としていくつかのことを心に留めています。第一に心にとめている点は、反論や少数意見を歓迎することです。そうした意見は最終的には良い決定に貢献するものだからです。第二に、私の姿勢が議論にあまりに大きな影響を与えないようにすることです。

 政策委員会内部の仕事振りを垣間見ていただくとすれば、私が最初に意見陳述するのではなく、まず他の委員方に論点を出していただき、それらについての意見表明をお願いしている姿をお目にかけることになるでしょう。

結び

 適切なインセンティブ・メカニズムを組み入れるように組織や政策を設計することは、一国経済のパフォーマンスを決定する上で決定的な役割を果たします。政策決定に携わる人々は、中央銀行総裁も含めて、この点についてなお多くのことを学ぶ余地があるでしょう。

 私は、これからの2日間を通して、学界と中央銀行から参加されたこの分野の専門家の方々から、様々な制度におけるインセンティブ・メカニズムの設計に関する分析とご意見を拝聴するのを楽しみにしています。

 そして、こうした議論から皆様も何がしかの洞察を持ち帰られることができたとすれば、それは私たちにとっても大きな喜びです。

 ご清聴有難うございました。

以上