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鹿児島県金融経済懇談会における岩田副総裁挨拶要旨

2005年11月30日
日本銀行

[目次]

はじめに

 本日は、鹿児島県における各界の皆様と懇談の機会を賜り感謝致します。また、日頃より日本銀行鹿児島支店に対して、暖かいご支援とご協力を賜り、深く御礼を申し上げます。

 さて、御地におかれます景気動向につきましては、鹿児島支店より定期的に報告を受けておりますし、本店におきましても地域経済動向を分析し、四半期ごとに「地域経済報告」(通称「さくらレポート」)を発表しています。

 九州・沖縄地域につきまして、私どもは、「景気は緩やかに回復している」と見ております。そして、鹿児島県の景気につきましては「足踏み状況ながらも緩やかな回復に向けた基調を維持している」と判断を致しております。

 鹿児島県の経済活動が全国で生み出される付加価値に占める割合は1.1%に止まっていますが、農畜産業では、肉用牛、豚、ブロイラーの産出額は全国第一位になっており、焼酎の製成量も全国第一位であります。製造業部門におきましてもセラミックや半導体など電子部品・デバイスなどを中心に活発な活動を展開しておられます。九州地域の工業立地件数は、2003年以来全国の13%を占めており、関東、東海、近畿についで全国4位になっています。鹿児島におかれましても、企業の新たな事業拠点の構築が進むものと期待しております。

 御地は、「火山と海と島」の国といわれるように豊かな自然環境に恵まれており、全国から優秀な企業を引き付ける魅力を備えておられると思います。この自然環境を活用し、皆様方の各方面にわたる活動が新たな展開を遂げるものと期待致しております。

日本経済の動向

 さて、日本の景気は、2002年1月に底を打ってから緩やかながらも息の長い回復過程をたどっています。途中2003年と2004年に成長率の中休みが入りましたが、企業部門の過剰債務、過剰設備、過剰雇用が解消されるなかで、企業収益はいわゆるバブル景気の時期なみの高水準となっており、労働市場の需給も改善を続けています。さらに金融市場におきましても、これまで低迷していた銀行貸出が下げ止まり、上向きに転じ始めています。今年の夏にIT部門の在庫調整が終了した後、まだ汎用鋼材など非IT部門の在庫調整が残存していますが、日本経済の基礎体力は強化されつつあります1(図表1)。経済成長率も年初来底固い動きを示しています。ちなみに、7-9月期の経済成長率は、前期比年率1.7%(前年同期比3%)と緩やかでしたが、国内最終需要を中心にしっかりとした動きになっています(図表2)。

 日本銀行は、10月末に、「経済・物価情勢の展望」(いわゆる展望レポート)を公表しました。そこでは、「政策委員の大勢見通し」として、2005年度、2006年度と連続して潜在成長率(1%程度)を上回る成長を遂げて行くとの見通しを示しました(図表3)。景気回復局面の長さは、現在時点ですでに46ヶ月と戦後3番目になっており、2006年度も回復が続くとすれば、戦後最長であったいざなぎ景気(57ヶ月)を上回ることになります。

  1. 1 IT部門、とりわけ電子部品・デバイスについてはクリスマス商戦の行方が重要ですが、韓国や台湾のメーカーの台頭も無視できません。ちなみに、サムソンは様々な製品(NAND61%、DRAM31%、SRAM34%、LCD23%、VCR21%、CDMA携帯)で世界第一位のシェアをもっています。各種システムLSI(ドライバーIC、チップカードIC、DSC、CMOSセンサー、モバイル・アプリケーション・プロセッサー、メデイアプレイヤーSOC)でも、2007年までに世界第一位のシェアを獲得することをめざしています。

アメリカ経済の動向

 この日本経済の持続的な回復シナリオにつきましては、いくつかのリスクがあります。その1つは、アメリカ経済の動向です。アメリカ経済は、「カトリーナ」、「リタ」の2度にわたるハリケーンの被害を受けたにもかかわらず、第3四半期に前期比年率3.8%の成長を遂げました。ハリケーンの打撃によって、アメリカのメキシコ湾岸地域の原油生産施設の稼働率は、一時的にゼロとなりましたが、11月下旬の時点で61%まで回復しています。民間予測によりますと、アメリカの10-12月期の成長率は、3%程度に減速するとされています。これは、ガソリン価格の高止まりによって家計の購買力の伸びが抑制されることに加えて、米国車を中心として自動車販売が減少することや、住宅投資に頭打ち感が出ていることから、国内最終需要が伸び悩むと見られるからです。

 アメリカの物価面を見ると、消費者物価指数は、10月に前年同月比で4.3%上昇しました。アメリカの連邦準備制度理事会は、石油価格上昇がインフレ期待に与える影響なども考慮しつつ、これまでフェデラル・ファンド・レート(FFレート)の誘導目標を1%から4%まで引き上げています2。来年入り後にバーナンケ新議長を迎える連邦準備制度理事会は、大幅な経常収支赤字が続く下で、インフレ期待の抑制と持続的な成長を両立させるという困難な課題に直面しています。

 他方で、明るい材料もあります。アメリカの設備投資は堅調であり、ソフトウェア投資を含めて情報化投資も順調です3。さらに、労働生産性の伸びは、ハリケーンの影響により労働投入が伸び悩んだとの事情があるにせよ、第3四半期には、前期比年率で4.1%増加しています。かりに、一時的に成長率が減速することがあるとしても、他の先進国と比べアメリカ経済の基礎体力は強靭であると言えます4。アメリカ経済の先行きについて、私は、本年第4四半期には、石油価格の上昇や住宅投資の減速などにより成長率が鈍化するとしても、その後は、労働生産性の高い伸びに支えられて潜在成長率程度の成長を続けて行くものと期待しています。

  1. 2 アメリカの10月の食料・エネルギーを除くコア消費者物価指数は、前年同月比2.1%の上昇でした。また、コア個人消費デフレータも、9月に前年同月比2%と安定しています。インフレ期待は、10年物のインデックス債や5年先スタートの5年物レートでみるとやや高まりを見せています。また、ミシガン大学のサーベイによると、1年先のインフレ期待の中央値は4.3%に達しています。9月の非製造業ISMによれば、販売価格上昇を見込む企業の数が増えており、サービス部門でも投入価格の上昇が、産出価格の上昇につながる可能性もあります。他方で、専門家に対するサーベイを見ると、長期のインフレ期待は安定しています。
  2. 3 アメリカのコンピュータ・電子機器の受注は、全体として第3四半期に前期比2%増加と堅調に推移していますが、コンピュータの受注は、微減となっています。
  3. 4 アメリカでは、労働生産性の高い伸びが見られたため、2005年第3四半期に単位労働費用は前期比年率マイナス0.5%(前年比では2.7%上昇)になっています。また、雇用コストの伸びも、企業が負担する医療費の低下もあり、約3%に減速しています。

原油価格の動向

 第二のリスクは、石油価格の動向です。これには上振れ、下振れの両方のリスクがあります。とりわけ、上振れリスクを強調する見方として、世界の石油生産量が近いうちにピークに達するという「ピークオイル論」があります5

 かりに「ピークオイル論」が正しいとすると、2010年頃ないし4-5年以内に石油生産がピークに達することになります。今後も世界の石油需要が毎年2−3%のペースで増加するとすれば、生産量に限界のある石油価格はなお上昇を続け、先行き上振れするリスクが大きくなるということになります。しかし、この「ピークオイル論」の妥当性については多くの議論があります。

 エネルギー関連の国際機関であるIEAの2004年の予測によりますと、石油の可採資源量についての固い見通し(1.7兆バレル)を採用すると、生産量は2015年前後にピークが来るとされています。標準ケースでは、可採資源量は2.6兆バレルであり、生産量は2030年前後となります。また、楽観ケースでは可採埋蔵量は3.2兆バレルとされ、生産量は2035年前後がピークであるとされています(図表4)。

 長期の可採埋蔵量についての不確実性に加えて、比較的短期の見通しについても、非在来型石油資源や新規油田・代替エネルギーの開発による供給余力については、多くの不確実な要因があります。例えば、石油沖合開発については、ゴールデン・トライアングル(アメリカのメキシコ湾岸、ブラジルのアマゾン沖合、ギニア湾、西アフリカにかけての地域)が有望であるとされています。この地域の生産は、5-6年以内で300-400万バレル/日になるとの予測があります。また、非在来型石油資源としては、カナダのオイルサンド、ベネズエラのオリノコタール、オイルシェールなどがあげられます。とりわけ、カナダのオイルサンドは、石油価格が1バレル当り30-40ドルで採算が取れることもあり、実際に120−130万バレル/日の生産が期待出来るようになっています。

 このように、いつ在来型の石油資源が枯渇するか、また非在来型石油資源による石油供給がどの程度できるかについて、不確実性は高いのですが、将来枯渇が見込まれ、その希少性が高まることが予測される資源の実質価格が、トレンドとして上昇することは、自然であるといえます。かりに石油の名目価格が1970年以降世界の平均名目成長率と等しく上昇するとの仮定を置くと、石油の名目価格は、足元では1バレル当り30ドルに満たないということになります6。石油の専門家の中には、現在の石油価格は、投機的な要因も働いているので高すぎる水準にあり、いずれある水準まで低下すると考える人もいます。かりにこの見方が正しいとすると、石油価格の先行きには下振れリスクがあると言えます7

 石油価格の先行きを予測することは、上振れ、下振れの要因があって困難を極めます。いずれの方向に動いたとしても柔軟に政策対応できるよう体制を整えておくことが重要であると考えています。

  1. 5 「ピークオイル論」は、地球物理学者ハバートが提唱し、「米国の石油生産が1970年初めにピークを迎える」との予測が当たったことから注目されるようになりました。その後、ハバートのピークオイル論は、多くの学者や研究者に継承されました。最近では、地質学者キャンベルが「非在来型石油を合わせても、世界の石油生産は2007年前後にピークを迎える」といった予測をしています。さらに、世界の石油生産のバランサーとしての役割を果たしているサウジアラビアの石油生産はすでにピーク(1000万バーレル)であると論ずる学者もいます。
  2. 6 将来枯渇する資源保有の機会費用が、実質利子率に等しいとすれば、石油の実質価格は、実質利子率と等しい率で上昇してもおかしくないということになります。世界の実質利子率が、世界の実質成長率で近似できるとすれば、トレンドとしての石油の名目価格は世界の名目成長率で上昇することになります。
  3. 7 現在の石油価格を産油国の立場から見ると、石油以外の財・サービスの価格が上昇したり、ドル・レートが下落する場合には、石油収入の実質価値が目減りするので、目減り分は、石油価格が上昇すべきだということになります。アメリカの物価上昇率を除いた石油の実質価格は、第一次石油危機の水準を上回っていますが、第二次石油危機の水準は下回っています(図表4)。

原油価格上昇の影響

 石油価格が上昇しますと、石油を消費する企業や家計にとっては、石油消費に税が課せられたのと類似した「所得目減り効果」が発生します。2003年以降の石油価格上昇による国全体の「所得目減り効果」の大きさは、日本の場合、名目GDPの1%程度です。第一次、第二次石油危機時には2~3%程度であったことと比較すると影響は小さいといえます8(図表5)。

 影響が小さくなっている1つの理由は、GDPに占める石油輸入の割合が、1981年第2四半期に4.7%であったものが、2005年第3四半期においては、2%に止まっているからです。石油価格が大幅に上昇しているにもかかわらず、石油輸入比率が低い水準に止まっているのは、1単位のGDPを生産するために必要なエネルギー原単位が、2004年に日本は0.4と低く、世界でもエネルギー効率の高い国になっているからです9(図表5)。

 石油価格上昇が経済活動に与える影響が小さくなっている第二の理由は、2003年以来の石油価格上昇は、主として需要の増加によって先導された面が強いことがあげられます。世界の石油需要の増加によって石油価格が上昇する場合には、企業は販売数量の増加や単位当り固定費用の低下によって石油価格上昇のマイナス効果を相殺することがより容易になると言えます。企業が、石油価格上昇を販売価格に上乗せできる場合には、当該企業にとっての負担は、他の企業や家計に転嫁されることになります。この価格転嫁がどの程度進むかは、製品の需給や企業による価格支配力の強さによって異なります。この点、投入金額と産出金額の差を考慮した上で、製造業の価格転嫁率を見ますと(図表6)、2003年10月から2005年10月にかけて、製造業全体でみると投入価格の上昇はほぼ全て産出価格に転嫁されています。投入価格の上昇の大半は、非製造業部門の企業や消費者の負担となっていることになります。他方で、産業別に見ると、紙パルプ、金属製品などの分野では、価格転嫁はさほど進んでいません。部門によっては、石油価格上昇が企業収益を減少させていることに留意すべきでしょう。

  1. 8 第一次、第二次石油危機における石油価格上昇による交易条件の悪化が、日本の経済厚生にどの程度の影響を与えたかについては、Hamada, Koichi and Iwata, Kazumasa, "National Income, Terms of Trade and Economic Welfare", Economic Journal, December 1984を参照して下さい。そこでは、2回の石油危機による影響は、名目GDP比率で4−5%の大きさであったと推計しています。
  2. 9 エネルギー原単位は、各国とも低下傾向にありますが、アメリカは0.7、ドイツは0.5、中国は1.6です(図表5)。

鳥インフルエンザ

 第三のリスクは、鳥インフルエンザです。鳥インフルエンザは、アジアからルーマニア、ギリシャなど欧州にも飛び火しています。2003年12月以降、死者も68人に達しています。かりに人から人への感染が発生するような事態が発生する場合には、2003年のSARS以上の人的、経済的な損害を与える可能性があります。鶏肉、鶏卵の消費、旅行サービス支出の減少を引き起こすのみでなく、アジア諸国の成長が減速する可能性があります。アジア開発銀行は、鳥インフルエンザが爆発的に流行した場合には、日本を除くアジア諸国の成長率を2.6−6.8%押し下げるとの調査結果を発表しています。かりにアジア経済の成長が減速する場合には、日本の経済活動にもマイナスの影響が発生するリスクがあります。ワクチンの開発など早期の対応を進めることが求められています。

物価の動向

 さて、日本の物価面に目を転じますと、生鮮食品を除く消費者物価指数の変化率は、10月に前年同月比0%となりました。電気料金、固定電話料金やコメなどがこれまで物価押し下げ要因として働いていました。先行きこれらの押し下げ要因が剥落するにつれて、生鮮食品を除く消費者物価指数の変化率は、次第にプラスの方向に向かうものと予想されます。10月の展望レポートにおきましても、「政策委員の大勢見通し」として、生鮮食品を除く消費者物価指数は、2005年度、2006年度にそれぞれ0.1%、0.5%上昇するとの見通しを示しています(図表3)。

 この物価見通しについてもリスクがあります。一つは、石油価格の動向です。石油価格は、展望レポートを発表した時点と比べるとやや軟調で推移しています。石油価格が大きく下落する場合には、物価押し下げ要因になる可能性があります。さらに、今後、物価動向に影響を与えるものとして、診療報酬の引下げなど公共料金の引下げや2006年8月の消費者物価指数の基準時改訂もあります。他方で、医療費の自己負担割合の引き上げは、物価押し上げ要因になります10

 アメリカを始めとする欧米諸国では、消費者物価指数から食料とエネルギーを除いた値を、物価の基調を見るうえで参考にすることがあります。こうした定義によるコア消費者物価は、10月時点でもマイナス0.3%となっています(図表7)。

 私は、短期的には、石油価格など一時的に変動する財・サービスを含む消費者物価の動きが、物価の先行きについての人々の期待に影響を与えるという意味で重視されるべきであると考えています。さらに、物価変動が経済活動に与える影響を考える場合には、石油価格などの上昇について、構造的な要因による永続的なものと、投機的なごく短期的なものとは、区別して論ずるべきであると考えます。

 他方で、基調的な物価動向を判断する場合には、石油価格や公共料金など一時的に変動する部分を除いた消費者物価指数の動向を見る方がよいと考えています。何故なら、一時的な要因はいずれ剥落するものだからです。石油価格についても、かりに石油価格が展望レポートの時点と同じ水準で推移することがあったとしても、2006年夏頃には物価の押し上げ効果が剥落することになります。時間をおいて見れば、一時的に変動する部分を含めても含めなくても、物価の動きに大きな差は生じないと考えられます。このように、生鮮食品に加え、石油価格や公共料金などの特殊要因を除いた消費者物価指数(これを私は「実力ベースのコア消費者物価指数」と呼んでいます)は、着実にマイナス幅を縮小し、足許ではほぼゼロの状況が続いています(図表7)。私は、「実力ベースのコア消費者物価指数」の動きを考えた場合に、先行き経済の基礎条件の改善が続き、回復が持続的であるとすれば、経済全体の需給が引き締まるにつれて消費者物価の変化率は、ゆっくりとしたペースではあるけれどもプラスの幅を広げてゆくものと考えています。

  1. 10 今後、物価動向に影響を与える要因としては、2006年度に入ってからの電気料金引き下げ(ただし、燃料費上昇による物価押し上げ要因もある)、診療報酬引下げ(ただし、医療費の自己負担比率引き上げによる物価押し上げ要因もある)、移動電話通信料の新規事業者参入による引下げ(ただし、実際に引下げられるかどうかは不確実性が高い)などがあります。

デフレ脱却の定義

 かりに先行き生鮮食品を除く消費者物価の変化率が安定的にプラスになったとして、それがただちにデフレ脱却を意味するものであるかどうかについては、多くの議論があります。

 企業部門に関する物価指数としては、企業物価指数と企業向けサービス価格指数があります。前者の変化率はすでに安定的にプラスの領域にあると言ってよいでしょうが、後者は小幅のマイナスを続けています。企業部門がデフレを脱却したかどうかを判断するには、両者の物価指数の動きを総合的に見る必要があります。他方、家計部門に関連の深い物価指数として、消費者物価指数のほかに個人消費デフレータがあります。個人消費デフレータは、四半期ごとにしか公表されません。7−9月期の個人消費デフレータは0.5%の下落となっています。

 一般的に言って、消費者物価指数には物価上昇を過大に見積もるという上方バイアスがあり、個人消費デフレータには物価上昇を過小に見積もるという下方バイアスがあります。これは、物価指数の基準年が過去のある時点にあるのか、それとも当該年にあるかによって発生するものです。指数の作成方法の違いに着目すれば、消費者にとっての「真の生計費指数」は両者の中間にあると言ってよいと考えられます。アメリカでは、この2つの物価指数のバイアスによる差異は、0.5%程度と見られているようです。過去における日本の2つの物価指数の動きを比較して見ますと、両者の差はアメリカと比べてかなり小さいようです(図表7)。従って、個人消費デフレータも、生鮮食品を除く消費者物価指数が「安定的にゼロを上回る」上昇を示すようになる場合には、プラスの上昇率を示すようになると考えられます。

 一方で、経済全体の物価動向を判断する上でGDPデフレータが重要であるという見方があります。GDPデフレータは、GDPの計算上輸入が控除項目であるために、輸入価格が上昇すると下落するという性質をもっています。石油価格が上昇すると輸出と輸入の交換比率である交易条件も大きく変化することになります。私は、この交易条件の変化が経済に与える影響を考える場合には、GDPデフレータの変化率が重要であると考えています。何故なら、GDPデフレータの変化率と内需デフレータの変化率の差が、消費者の購買力が海外に流出(入)する大きさを示すので、交易条件の変化が消費者の経済厚生に与える効果を測定することが出来るからです11。両者の変化率の差は、先に論じた石油価格上昇による「所得目減り効果」に対応しています。他方で、GDPデフレータは、交易条件が大きく変化する場合には、国内の需給要因に基く一般物価水準の動きと乖離する可能性が高いと考えています。

 最後に、資産価格の変動をもってインフレ、デフレを定義する見方もあります。私は、インフレやデフレは、「一般物価水準の持続的な変動」を中心に据えて議論すべきであると考えます。資産価格の変動は、短期的に所得や産出量に大きな影響を与えるものであるとの観点から、金融政策運営上も十分配慮すべきですが、直接政策の目標とする必要はないと考えています。

 以上をまとめますと、デフレ脱却の定義について多くの異なる見方があります。それは、人々の経済活動にとって重要な一般物価指数としてどの指数を重視するかということに関連しています。企業部門であれば、企業の間での取引については企業物価指数や企業向けサービス価格指数、企業と消費者の間の取引ついては消費者物価指数や個人消費デフレータが重要となります。家計部門にとっては、消費者物価指数と個人消費デフレータが重要であると考えられます。そして、中央銀行が重視すべきであるのは、国民経済全体の厚生を測るという観点から、家計部門にとって重要な物価指数である消費者物価と個人消費デフレータであると考えています。

  1. 11 GDPデフレータと内需デフレータの変化の差がもつ意味については、前掲Hamada=Iwata論文を参照してください。

金融政策運営

 以上物価動向についての私の所見をやや詳しく述べましたのは、物価動向についての判断が今後の金融政策運営に大きな意味合いをもっているためです。

 日本銀行は、量的緩和政策の終了について、2003年10月に3つの条件に整理しました。この3条件は、生鮮食品を除く消費者物価指数の変化率が安定的にゼロを上回っており、かつ、再びマイナスに戻ると予測されないことなどがその内容となっています。

 私は、量的緩和政策終了の3条件が満たされるかどうかのポイントは、当初の約束通り、生鮮食品を除く消費者物価の変化率が「安定的にゼロを上回る」と言えるかどうかにあると考えています。それを判断していくには、物価に一時的な影響を与える個々の要因だけでなく、背後にある経済全体の需給バランスをしっかり見ていく必要があります。そのためには、賃金と労働生産性の比率で定義される単位労働費用の動きや、日本国内の需給バランスで決定される消費者物価指数、換言すると生鮮食品のみならず石油関連財、公共料金などの特殊要因を除いた「実力ベースのコア消費者物価指数」などをしっかりと見ていく必要があります。

 他方で、単位労働費用の変化率がまだマイナスの領域にあることは、物価上昇へのモメンタムが、極めて緩やかであることを意味しています。この意味でかりに量的緩和政策を終了する場合も、その後の政策対応は、当座預金残高の引き下げを含め、充分に余裕をもって進めることができると考えられます。

 ちなみに、消費者物価の上昇率が1%まで低下したことによってデフレのリスクに直面したアメリカの連邦準備制度理事会は、2002年から2004年にかけて実質FF金利をマイナスにする政策を続けました。そして、デフレのリスク回避を確認した後に、初めて金利引き上げのプロセスに入ったことは示唆的であると考えています。

 日本の場合は、量的緩和政策の終了時には、極めて低い金利から出発するので、物価上昇率がプラスになるにつれて、実質金利はプラスからマイナスになって行きます。金利面からは、むしろ緩和効果が強化されることになるわけですが、政策運営に当たっては、経済物価情勢がどのような展開を示すのかをしっかり見極めることが重要であると考えています12。私は、「安定的にゼロを上回る」という通過点を越した後に、「物価安定のアンカー」をどのように設定するかという課題を議論することが重要であると考えていますが、その際にも、先ほど述べたように、物価に一時的な影響を与える個々の要因だけでなく、背後にある経済全体の需給バランスをしっかりと踏まえることができるような仕組みを考えていく必要があると思います。

  1. 12 量的緩和政策の終了により、当座預金残高が引き下げられることになれば、量の面ではマネタリー・ベースの伸びは減速することになります。従って、マネタリー・ベースと国債残高の和を物価水準で割った値で定義される「実質残高」も伸びが鈍化することになります。しかし、国債発行額の伸びを勘案すれば、プラスの「実質残高効果」は当面維持されることになると考えられます。

以上