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金融政策運営の新たな枠組み
----物価安定のもとでの持続的成長の実現に向けて----

日本商工会議所会員総会における福井総裁講演要旨

2006年3月16日
日本銀行

目次

  1. はじめに
  2. 1.持続的な成長軌道に向かう日本経済
  3. 2.物価を巡る環境の改善
  4. 3.量的緩和政策の効果
  5. 4.量的緩和政策の枠組み変更の背景
  6. 5.当面の金融市場調節運営
  7. 6.金融政策運営の新たな枠組みの導入
  8. おわりに

はじめに

 日本銀行の福井です。経済界の第一線でご活躍されている皆様の前でお話する機会を頂き、大変嬉しく存じます。

 日本銀行は、先日の政策委員会・金融政策決定会合において、2001年3月以来5年間にわたって続けてきた量的緩和政策の枠組みを変更し、短期金利を金融市場調節の操作目標とする金融政策に移行しました。あわせて、「物価の安定」についての明確化を含め、金融政策運営の新たな枠組みを導入しました。

 本日は、最近数年間の金融経済情勢を振り返りつつ、量的緩和政策の枠組み変更に至った背景についてお話するとともに、今後の金融政策運営についてご説明したいと思います。

1.持続的な成長軌道に向かう日本経済

 日本経済は、着実に回復を続けています。今回の景気拡大局面は、政府の景気基準日付によると、2002年1月に始まり、丸4年以上にわたって続いています。この間、最近では、内需と外需、企業部門と家計部門のバランスがとれた回復となってきています。景気回復に加速感がみられる訳ではありませんが、経済の基盤はしっかりとしており、様々なショックに対する抵抗力も高まってきています。今回の景気回復は、バブル崩壊以降3回目となりますが、過去2回の局面とは異なり、本格的なものとみています。わが国経済は、十年以上の長きにわたった調整局面をようやく脱却し、物価安定のもとでの持続的成長の軌道を辿り始めたということができます。

 その背景としては、世界経済が順調に拡大を続けているという外的な要因に加えて、わが国における経済・金融両面の構造調整が大きく進展したこと、そのもとで景気回復が家計部門にも着実に波及していること、を指摘できます。以下では、まずこれらの点についてご説明し、現在の景気回復の持続性を確認したいと思います。

構造調整の進展

 持続性のある景気回復の背景として最も重要な要因は、バブル崩壊以降、日本経済が持続的な成長軌道に移行する上で大きな足枷となってきた企業部門や金融システムにおける構造的な調整圧力が払拭されてきたことです。

 企業が十年以上の長きにわたって厳しいリストラに取り組んできた結果、過剰債務・過剰雇用・過剰設備のいわゆる「3つの過剰」はほぼ解消しました。日本銀行の短観によると、生産・営業用設備に関する企業の判断は、1990年代初頭以降初めて「過剰」感が払拭されています。雇用人員の過不足に関する判断では、既に「不足」超に転じており、人手不足感が生じつつあります。有効求人倍率も1倍を超えてきています。また、企業の負債水準は、有利子負債の対売上高比率でみると、1993年頃をピークに低下しており、現在ではバブル期以前の1980年代半ばの水準にあります。

 企業は、このような「3つの過剰」の調整を進めるとともに、グローバルな競争が激化するもとで、「選択と集中」の観点から、戦略分野の強化や企業間の提携など経営面の取り組みを積極的に行い、付加価値の高い製品やサービスを生み出す力を強めてきました。こうした努力の成果として、企業の収益力は大幅に向上しています。企業収益は、2002年度から3年連続の増益となった後、今年度も増益が続く見込みです。また、売上高経常利益率でも、既にバブル期のピークを上回る水準に達しています。このような高水準の収益を背景に、企業は、競争力を高めるための研究開発や生産能力の拡充などに努めており、設備投資は、業種や企業規模を問わず増加を続けています。

 金融システム面の改善も顕著です。長年にわたって日本経済の重石となってきた不良債権問題は概ね克服された状態にあり、わが国の金融システムは安定を取り戻しています。不良債権残高の減少に伴う収益や自己資本比率の改善を背景に、金融機関の貸出姿勢は積極化しています。金融機関の貸出残高は、長らく減少を続けてきましたが、貸出債権の流動化や償却などを調整したベースでみると、昨年8月に前年比でプラスに転じ、その後も増加幅が次第に拡大しています。過去2回の景気回復局面では、金融システムの脆弱性が持続的な成長軌道に移行するうえでの足枷となってきましたが、現在、わが国の金融システムは、経済の持続的成長を金融面からしっかりとサポートしていく力を備えつつあると考えてよいと思います。

企業部門から家計部門への波及

 経済の持続的成長のためには、企業部門から家計部門に所得の波及が進み、それがさらに企業部門にフィードバックするという前向きの循環が作用することが必要です。これまでの回復局面では、企業部門・金融システム両面における構造的な調整圧力が働くもとで、残念ながら、このプロセスが十分に作用するには至りませんでした。これに対し、今回の景気回復局面では、昨年初め頃から、雇用や所得面での改善がはっきりとみられるようになっており、家計部門の本格的な回復が期待できる状況になっています。

 過剰雇用の調整が進展する中で、企業は雇用者を増やしています。当初は、人件費抑制の観点から、主としてパートタイム労働者に依存していましたが、人手不足感が強まる中で、次第にフルタイム労働者を増やすようになっています。また、これに伴い、一人当たり賃金も上昇しています。最近では、残業代やボーナスなどの伸びに加え、定例給与も増加するようになっています。こうした雇用・所得環境の改善に加えて、株価の上昇や配当収入の増加も家計部門への所得の波及をもたらしていると言えます。このような所得環境のもとで、個人消費は堅調に推移しています。先行きについても、所得の増加に裏付けられた形で、堅調に推移していくものとみています。こうしたもとで、個人消費の堅調が企業部門にもフィードバックし、前向きの循環がさらに強まっていくことが期待できると思います。

 このように、景気はしっかりとした回復を続けていますが、「中小企業や地方では、景気回復の実感が伴わない」との声もよく耳にします。たしかに、企業規模や地域によって、景気回復の程度に依然としてばらつきがあることは事実だと思います。

 もっとも、内外需がともに増加を続けるもとで、景気回復の裾野は着実に広がってきています。短観などをみても、企業の業況感は、大企業だけでなく、中堅・中小企業でも改善してきています。日本銀行では、支店における調査などを通じて地域経済の把握に努めていますが、支店長会議などにおいても、水準の差はなお残っているものの、方向としては、全ての地域において、景況感に改善の動きがみられることが確認されています。今後とも、地域の経済情勢などには、十分な目配りをしてまいりたいと考えています。

2.物価を巡る環境の改善

 景気回復が続くもとで、物価を巡る環境も好転しています。消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、1998年以降、マイナスで推移してきましたが、昨年10月にゼロ%となった後、11月にプラスに転じ、先日公表された1月分は+0.5%と、かなりはっきりとしたプラスになりました。これには、昨年の電話料金の引き下げといった一時的な要因の剥落や、このところの原油高も影響していますが、より重要なことは、物価動向を左右する基本的な要因が着実に好転し、物価を押し上げる方向に作用し始めていることです。

 第一に、経済全体としての需給バランスは、わが国経済が潜在成長率を幾分上回る成長を続ける中で緩やかに改善してきており、今後も改善が続くとみられます。第二に、生産1単位当たりの人件費であるユニット・レーバー・コストは、生産性上昇による押し下げが続いているものの、賃金が増加に転じるもとで、マイナス幅が縮小してきており、今後もこうした傾向が続くと見込まれます。第三に、各種アンケート調査などでみた企業や家計の物価見通しも、徐々に上方修正されています。

 このように、物価を巡る環境は、大きな需給ギャップの存在が物価の下押し圧力となっていたひと頃の状況とは様変わりしています。景気が内外需、家計部門・企業部門のバランスがとれた形で着実に回復を続けていくと見込まれる中で、今後、消費者物価指数の前年比は、若干の振れは伴いつつも、プラス基調が定着していくものと考えられます。

 以上ご説明したように、日本経済は、経済・物価の両面で大幅に改善しており、金融政策面でもこれに応じた対応が求められるようになっています。

3.量的緩和政策の効果

 日本銀行は、2001年3月に量的緩和政策を導入し、5年間にわたってこれを粘り強く継続してきました。当時、日本経済は、世界的なITバブルの崩壊をきっかけに景気後退局面に入っていました。また、金融機関は多額の不良債権を抱えており、金融システムに対する人々の不安感が強い状況にありました。こうしたもとで、景気の悪化に伴う需要の減少が物価の下落を招き、それがさらに需要の減少につながるという悪循環──いわゆるデフレ・スパイラル──に陥る可能性も懸念されるような深刻な情勢に立ち至りました。このため、日本銀行は、物価の継続的な下落を防止し、持続的な成長のための基盤を整備する観点から、量的緩和政策という内外に例のない思い切った金融緩和政策の枠組みを導入しました。以下では、この5年間に量的緩和政策が果たして来た役割について、振り返ってみたいと思います。

 量的緩和政策は、2つの柱から成り立っていました。第一に、日本銀行が、金融機関が準備預金制度等により預け入れを求められている金額──これを所要準備額と言います──を上回る日本銀行当座預金を供給すること、第二に、こうした潤沢な資金供給を消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続すると約束することです。

 所要準備額を上回る潤沢な資金供給は、ごく短期の金利をほぼゼロ%まで低下させるとともに、金融機関の流動性に対する不安を払拭するという効果を発揮しました。量的緩和政策導入以降を振り返ると、金融システムが脆弱性を抱えるもとで、米国での同時多発テロやイラク戦争の発生、りそな銀行に対する公的資金の投入など様々なショックが加わる中にあっても、1997~1998年に起こったような大規模なクレジット・クランチは回避され、金融市場の安定が確保されました。

 一方、量的緩和政策継続の「約束」は、消費者物価の下落が続く中では、ある程度の期間にわたってゼロ金利が継続されるとの予想を生み出し──これを「時間軸効果」と呼んでいます──、その結果、中短期の金利が低位で安定的に推移することに寄与してきました。

 こうした流動性懸念の払拭や金利の低位安定は、短期金融市場や債券市場の中だけにとどまらず、企業金融の面でも緩和的な環境を作り出しました。銀行貸出の金利は、信用スプレッドの縮小もあって低下基調を続けてきており、景気回復が続く中にあっても、引き続き既往ボトムの圏内で推移しています。

 企業が、大変な経営努力によって「3つの過剰」の解消など構造的な問題の調整を進めるとともに、次第に前向きの投資を積極化させてきたことは先程申し上げたとおりですが、量的緩和政策のもとでの緩和的な金融環境も、こうした取り組みをしっかりと後押ししてきました。景気の見通しが少しずつ明るくなる一方で借入金利は低下していたわけですから、投資採算が改善するとともに、企業収益にも好影響をもたらしたとみられます。こうした企業部門の好調は、ややラグをもって家計部門にも波及し、今回の息の長い回復や物価を巡る環境の改善につながったと考えられます。

 このように、量的緩和政策は、日本経済の回復や物価情勢の好転に大きな貢献を果たしましたが、流動性不安を払拭するための量の効果や、「約束」を通じた金利への働きかけである「時間軸効果」は、今日の金融経済情勢のもとでは、既にその役割を終えたものと考えています。金融システムが安定を取り戻す中で、金融機関の流動性需要は減少しており、所要準備額を大幅に上回る潤沢な資金供給を行う必要はもはやなくなっています。また、約束の効果は、物価情勢の改善に伴って量的緩和政策の予想継続期間が短期化するにつれて徐々に縮小し、消費者物価指数の前年比が安定的にゼロ%以上という基準が満たされた時点で消滅する性格のものです。このように、量的緩和政策の経済・物価に対する効果は、今回の枠組み変更に先立って、既に実態としては、短期金利をゼロ%とする金利政策になっていたと言うことができると思います。

4.量的緩和政策の枠組み変更の背景

 このような状況のもと、日本銀行では、先般の政策委員会・金融政策決定会合において、量的緩和政策の解除を決定しました。もう少し正確に言えば、金融市場調節の操作目標を日本銀行当座預金残高から無担保コール市場におけるオーバーナイト物金利に変更するとともに、次回決定会合までの調節方針としては、コールレートが「概ねゼロ%で推移するよう促す」こととしました。

 消費者物価指数の前年比は、昨年10月以降、4か月連続でゼロ%以上となっており、先行きもプラス基調が定着していくものと考えられます。また、こうした物価指数の背景にある景気動向をみても、内外需がバランスのとれた形で息の長い回復を続けることが予想されます。このような経済・物価情勢を踏まえれば、消費者物価指数の前年比が「安定的にゼロ%以上となるまで継続する」という「約束」の条件は満たされ、量的緩和政策という異例の枠組みを変更することが適当であるとの判断に至りました。

 ここで強調しておきたいことは、量的緩和政策の解除は金融の引き締めではないということです。先程述べたとおり、量的緩和政策の効果は既に短期金利をゼロ%とする金利政策の効果と同じになっています。解除後の金融市場調節方針はコールレートを「概ねゼロ%」で推移するよう促すというものですから、経済や物価に対する刺激効果という点では、非連続的な変化を伴うものではありません。短期金利がゼロ%であることの効果は、経済や物価の状況が好転する中で、これまでも次第に強まってきましたが、現在の金融市場調節方針が維持される間は、この先さらに強まっていくと考えられます。後ほど述べますように、今後の金利水準は経済・物価の展開や金融情勢次第ではありますが、現在私どもが考えているように、経済がバランスのとれた持続的な成長過程を辿る中にあって、物価の上昇圧力が抑制された状況が続いていくと判断されるのであれば、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持できる可能性が高いと考えています。日本銀行としては、金融緩和を継続することによって、引き続き日本経済をしっかりとサポートしていきたいと思います。

 なお、「量的緩和の効果が短期金利をゼロ%とする金利政策の効果と同じなのであれば、量的緩和を続けても良いのではないか」というご疑問もあるかもしれません。しかしながら、日本銀行は、量的緩和政策導入当初から、この政策を消費者物価指数の前年比が安定的にゼロ%となるまで継続するという明確な「約束」を行っており、市場参加者もこれを前提に行動してきました。先程申し上げたような「時間軸効果」が発揮されたのは、「約束」が市場参加者の間で信頼された結果にほかなりません。こうしたことを踏まえると、「約束」で示した条件が満たされたと判断された時点で量的緩和政策の枠組みを変更することが、金融政策に対する透明性を確保し、ひいては長い目でみた金融政策の有効性を高めることにもつながると考えています。既に実質的に意味を失ったものを、政策運営上の操作目標とし続けていくことは、金融市場に不確定要因を持ち越すだけでなく、金融政策の透明性を損なうことにもなりかねないと思います。

5.当面の金融市場調節運営

 当面の金融市場調節運営については、日本銀行当座預金残高を、新たな金融市場調節方針と整合的な範囲で、所要準備額の水準に向けて削減していくことになります。もっとも、金融機関は、量的緩和政策のもとで長期間にわたって多額の当座預金残高や日本銀行の資金供給オペレーションを前提とした資金繰りを行ってきており、短期金融市場の機能も低下しています。このため、しばらくの間は、資金の運用・調達が円滑に行われないことも考えられます。日本銀行としては、こうした状況を踏まえ、短期金融市場の状況を十分に点検しながら当座預金残高の削減を進めていく方針です。どの程度の期間がかかるかは、短期金融市場の動向如何ではありますが、今の段階では数か月程度の期間が一応の目途となると考えられます。また、日本銀行では、金融機関が、あらかじめ差し入れた担保の範囲内で、その希望に応じて短期の借入れを行うことができる「補完貸付制度」を採用していますが、今回の枠組み変更に当たっては、その適用金利を0.1%に据え置きました。コールレートは、日本銀行の金融調節のもとで概ねゼロ%で推移しますが、一時的に上昇する場合であっても、基本的には0.1%がその上限となります。また、当座預金残高の削減のための金融調節手段としては、短期の資金オペレーションによって対応する予定です。長期国債買入れについては、先行きの日本銀行の資産・負債の状況などを踏まえながら、当面は、これまでと同様の金額および頻度で実施していく方針です。

6.金融政策運営の新たな枠組みの導入

 今般、量的緩和政策の枠組みを変更し、金利政策に移行するに当たって、金融政策運営の透明性をしっかりと確保する観点から、政策運営の新たな枠組みを公表しました。

 量的緩和政策のもとでは、消費者物価指数に基づく「約束」に沿って金融政策運営を行ってきました。この「約束」は、金融政策運営を消費者物価指数という特定の経済指標の実績値と直接結び付けるという点で極めて異例のものです。日本銀行としては、短期金利をこれ以上引き下げられないという状況に直面する中で、金融政策運営の柔軟性を敢えて犠牲にすることによって金利の形成メカニズムに働き掛け、金融緩和効果を引き出すことを狙って、このような異例の措置を導入したのです。こうした手法は、海外にも例がなく、日本銀行による金融政策上のイノベーションともいうべきものです。その後、「約束」が中短期金利の低位安定や緩和的な企業金融環境の維持を通じて大きな効果を発揮したことは先程申し述べたとおりですが、その一方で、金融市場の機能を低下させた側面があることも否めません。

 金融政策は、本来、長い目でみた物価安定のもとでの持続的成長を実現する観点から、先行きの経済・物価動向を十分に見越しながら──フォワード・ルッキングに──柔軟かつ機動的に運営すべき性格のものです。わが国経済が長年にわたる構造調整を終了し、持続的な成長軌道を辿りつつある現在の状況においては、こうした観点を踏まえ、透明性の高い形で適切に金融政策運営を行っていくための新たな枠組みが必要になります。また、市場参加者においては、日本銀行の考え方を踏まえたうえで、それぞれの景況感や物価見通しを踏まえて金融政策の先行きを予測し、自らの金利観に基づいて自律的に取引を行うことが求められます。このようなプロセスを通じて、金融市場における本来の価格発見機能が作用し、ひいては効率的な資金配分を通じて経済のダイナミズムが発揮されることになるのです。

 新たな政策運営の枠組みは、以下の3つから構成されています。

  1.  第一に、金融政策の目的である「物価の安定」についての明確化を図りました。具体的には、物価の安定についての日本銀行としての基本的な考え方を公表するとともに、金融政策運営に当たり、現時点において政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率を示すこととしました。

  2.  第二に、金融政策運営に当たって、経済・物価情勢を点検するための視点──私どもでは「2つの『柱』」と呼んでいます──を明らかにしました。

  3.  第三に、このような点検を踏まえたうえで、当面の金融政策運営の考え方を整理し、基本的には展望レポートにおいて定期的に公表していくこととしました。

 以下では、それぞれについてご説明いたします。

「物価の安定」についての明確化

 日本銀行法では、金融政策の目的を「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」と定めています。日本銀行がその使命を果たしていくうえで、「物価の安定」についての考え方を示すことは非常に重要です。

 「物価の安定」とは、「家計や企業等の様々な経済主体が物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況」であると考えています。金融政策運営に当たって「物価の安定」を考える場合にも、それぞれの国における経済構造やそのもとで培われた人々の物価観を十分に踏まえたものでなければなりません。この点、わが国の場合、もともと、海外主要国に比べて過去の平均的な物価上昇率が低いことが特徴です。例えば、1985年以降2005年までの消費者物価指数の上昇率の平均を比べると、米国が+3.2%、英国が+2.9%、ドイツが+1.8%に対し、わが国は+0.6%です。特に、1990年代以降は、長期間にわたって低い物価上昇率を経験してきたことから、家計や企業が、物価が安定していると考える物価上昇率が低くなっており、家計や企業の経済活動に係る意思決定も、そうした低い物価上昇率を前提として行われている可能性があります。金融政策運営に当たっては、そうした点にも留意する必要があります。

 先日の金融政策決定会合では、このような認識を踏まえたうえで、金融政策運営に当たり、現時点において、中長期的にみて物価が安定していると政策委員が理解する物価上昇率──これを「中長期的な物価安定の理解」と呼びたいと思います──について議論を行いました。その結果、委員間の意見には幅がありました。これは、わが国の経済構造の特質に関する評価の違いや、インフレやデフレのコストに対する考え方の差異などを反映したものと思われます。ただ、現時点では、海外主要国よりも低めであるという理解では共通していました。これを消費者物価指数の前年比で表現すると、0~2%程度であれば、各政策委員の「中長期的な物価安定の理解」の範囲と大きくは異ならないとの見方で一致しました。また、その委員の中心値は、大勢として、概ね1%前後で分散していました。こうした「中長期的な物価安定の理解」は、グローバル化の進展や情報通信技術の発達など経済構造の変化に応じて徐々に変化する性格のものです。このため、日本銀行では、今後原則としてほぼ1年ごとに点検を行うことにしました。

2つの「柱」に基づく経済・物価情勢の点検

 以上のように「物価の安定」について明確化したうえで、次のステップは、これを念頭に置きつつ、経済・物価情勢をどう点検するか、そしてそれをどのように金融政策運営に反映させていくか、ということです。「物価の安定」に関する考え方を明確化することは非常に重要ですが、それだけでは、当面の金融政策運営についての具体的な方針は明らかになりません。インフレーション・ターゲティングを採用している中央銀行もそうでない中央銀行も、最も苦労しているのは、「どのようにすれば、金融政策の先行きを予測しやすくする情報を提供し、金融政策の有効性を高めることができるか」という点です。機械的な政策運営を行えば、その限りで透明性は高まりますが、経済に加わる様々なショックに柔軟に対応できず、金融政策の有効性を高めるという透明性の本来の目的には適いません。日本銀行は、これまでも、金融経済月報や展望レポートなどを通じて、経済・物価情勢の現状と見通しについての判断を示していますが、今後は、金融政策運営の観点から、以下に述べる2つの「柱」により経済・物価情勢を点検し、その結果を明らかにするという方法をとることとしました。

 第1の「柱」では、先行き1年から2年の経済・物価情勢について、最も蓋然性が高いと判断される見通しが、物価安定のもとでの持続的な成長の経路を辿っているかどうかという観点から点検していきます。

 もっとも、物価安定のもとでの持続的な成長の実現に向けて適切な金融政策運営を行っていくためには、展望レポートにおける最も蓋然性の高い見通しに着目した第1の「柱」による評価のみでは十分ではありません。言うまでもなく、見通しには常に不確実性が伴います。こうした点を踏まえ、展望レポートでは、最も蓋然性の高い見通しに対する上振れ要因や下振れ要因についても、詳しく記述しています。これらの要因の中には、発生の可能性は小さくても、ひとたび発生すれば経済・物価に大きな影響を与えるようなリスク、例えばデフレ・スパイラル発生のリスクや、逆にインフレが昂進するリスク、あるいは資産バブルが発生するリスクなどが含まれています。金融政策運営に当たっては、このようなリスクを出来るだけ回避するという視点が必要になります。

 また、展望レポートは、先行き1年半から2年程度の期間を対象としたものですが、こうした期間を超えるような中長期的な経済・物価動向に影響を及ぼすリスク要因も考えられます。内外の経験をみても、資産価格の大幅な変動や、金融機関の信用仲介機能の状況を含めた金融環境の変化は、かなりのタイムラグを伴って景気や物価に影響を及ぼす可能性があります。このほか、やや長い目でみた人々のインフレ予想が変化する場合には、経済と物価の関係に大きな変化をもたらすことが考えられます。

 このように、より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な成長を実現するという観点から、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクを点検することが、第2の「柱」となります。短期的な物価の安定にとらわれて金融政策を運営すると、経済活動の大きな振れをもたらし、結果的に、長い目でみた物価の安定や、経済の健全な発展を損なうという考え方は、海外の中央銀行でも広く共有されているように思います。

当面の政策運営に対する考え方

 最後に3つ目のステップは、以上のような2つの「柱」に基づく点検を踏まえたうえで、「当面の金融政策運営の考え方」を整理し、公表することです。基本的には、毎回の展望レポートを通じて定期的に公表する予定ですが、今回の政策変更に当たっては、4月の展望レポートに先立って、この点を明らかにすることとしました。

 まず、先行きの経済・物価情勢については、本日お話したとおり、物価安定のもとでの持続的成長を実現していく可能性が高いと評価できます。ただ、先程も申し上げたとおり、企業の収益率が改善し、物価情勢もひと頃に比べ好転している状況を踏まえると、実質金利の低下などを通じて、景気・物価に対する金融政策面からの刺激効果が一段と強まる可能性があります。万一、刺激効果が強くなり過ぎると、足許の物価は安定していても、過大な投資活動などが生じることによって、結果として景気の振幅が大きくなってしまうリスクがあります。その場合には、長い目でみた物価安定のもとでの持続的成長の実現に悪影響を及ぼすことも考えられます。今後の金融政策運営においては、こうした点を含め、長い目でみたリスク要因を点検していく必要があると考えています。

 いま申し上げたような評価を踏まえて、当面の金融政策運営については、次のように考えています。すなわち、無担保コールレートを概ねゼロ%とする期間を経た後、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことになります。この場合、いまほど申し上げたようなリスクが抑制され、経済がバランスのとれた持続的な成長過程を辿る中にあって、物価の上昇圧力が抑制された状況が続いていくと判断されるのであれば、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと考えています。

 以上が、今回導入した新たな金融政策運営の枠組みです。日本銀行を含め、各国の中央銀行は、金融政策の運営に当たっての考え方を分かりやすく市場や国民に説明するために、様々な努力を行っていますが、その具体的な方法は、それぞれの中央銀行が置かれた経済環境や制度的枠組みの違い等を反映して異なっています。今回の枠組みを検討するに当たっては、海外の事例も研究し、良いところは取り入れましたが、わが国経済の状況を踏まえた上で、日本銀行の金融政策運営を分かりやすく説明していくために最も適切な枠組みとなるよう工夫を行いました。例えば、インフレーション・ターゲティングのように、物価安定の数値的な目標を定め、ある期間内にこれを達成することを目指す枠組みではありませんが、現時点における物価安定の理解を示すことで、金融政策の目的についての透明性を高めています。その上で、2つの「柱」にしたがって経済・物価情勢を点検し、当面の金融政策運営の考え方について公表していくこととしました。こうした新たな枠組みは、長きにわたった経済の低迷から脱し、新たな局面に入りつつあるわが国経済の現状において、透明性を確保しつつ、適切な金融政策運営を行ううえで最も相応しいものと考えています。また、量的緩和政策の枠組み変更という先例のない状況において、金融市場の円滑な価格形成にも貢献するものと思います。

おわりに

 以上、新たな局面に向かいつつある日本経済の現状と、そうしたもとでの金融政策運営の新たな枠組みについてご説明してきました。日本銀行としては、新たな枠組みのもとで、経済・物価情勢の変化に応じて金融政策を適切に運営し、物価安定のもとでの持続的成長の実現に引き続き貢献していきたいと考えています。

以上