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「最近の金融政策運営について」

読売国際経済懇話会における武藤副総裁講演要旨

*英訳を、英語版ホームページに掲載しました(2006年10月16日)。

2006年7月21日
日本銀行

目次

1.はじめに

 日本銀行の武藤でございます。このように多くの皆様方の前でお話する機会を賜わり、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。

 日本銀行は、先週7月13、14日と開催した政策委員会・金融政策決定会合において、金融市場調節方針の変更を決定し、無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導水準を0.25%としました。これは、本年3月に量的緩和政策を解除し、「新たな金融政策運営の枠組み」を公表して以降、最初の政策変更となります。また、これは、名実ともに金利コントロールを通じる金融政策に復帰したということでもあります。そこで、本日は、頂いた時間を使って、この政策変更に至った考え方を説明するとともに、金利コントロールの仕組みや波及経路などについて、いくつかの論点を示しながら、やや詳しくお話したいと思います。

2.日本経済の現状と展望

息の長い景気拡大

 それでは、日本銀行の経済に関する見方から、本日の話をはじめたいと思います。

 日本銀行では、年に2回公表する「経済・物価情勢の展望」、すなわち、展望レポートの中で、先行き1年半から2年程度の経済・物価見通しを公表しています。本年4月の展望レポートでは、2007年度までを展望して、「わが国経済は、物価安定のもとでの持続的な成長を実現していく可能性が高い」との見通しを明らかにしました。その後の経済については、この見通しに概ね沿った動きを示していると考えています。

 まず、前提となる海外経済は、地域的な広がりを伴いながら、拡大を続けています。米国では、住宅建設が減少し始め、家計支出や雇用面で増勢が鈍りつつあるなど、拡大テンポが幾分鈍化していますが、これは、安定成長に向けた調整と捉えることができると考えています。欧州では、輸出や生産が増加しているほか、家計支出も持ち直しており、景気回復のモメンタムが徐々に強まっています。中国をはじめとする新興諸国は、経済のグローバル化のもとで、規模・質の両面で、国際分業体制が一段と進展していることを背景に、力強い拡大を続けています。海外経済の拡大を受けて、わが国の輸出は、堅調なペースで増加しています。

 国内需要に目を転じますと、民間設備投資は、堅調な増加を続けています。短観によると、企業収益は、2002年度以降、4年連続の増益を記録しており、2006年度は、素材業種の一部で原材料高の影響がみられていますが、全体としては、増益が続く見込みとなっています。そうしたもとで、2006年度の設備投資計画は、2005年度並みの高い伸びで推移しています。こうした堅調な民間設備投資の背景としては、内外需要の増加や高水準の企業収益のほか、過剰債務の解消や稼働率の上昇、さらには、既存設備の老朽化・陳腐化なども挙げられると思います。

 企業収益の好調は、家計部門にも波及しています。雇用・所得を巡る環境をみますと、有効求人倍率が1倍を若干超える水準で推移しているほか、完全失業率は4.0%まで低下してきています。労働需給を反映する指標が引き締まり傾向を続ける中、雇用者所得は緩やかな増加傾向を続けています。家計の雇用・所得に対する見通しは緩やかに上振れており、そのことを反映して、消費者コンフィデンスも総じて良好です。

 金融資本市場では、5月中旬頃から、株価が下落するなど、振れの大きい動きとなっています。こうした動きは、わが国だけでなく、他の主要国やエマージング諸国においても幅広く観察されており、グローバルな現象であることが大きな特徴です。その背景としては、各国の中央銀行が経済・物価情勢に応じて金融緩和度合いの修正を進める中で、市場参加者のリスク評価についての見直しが進み、その結果として、株価の調整が生じたという面があるように思います。また、米国をはじめとする世界経済が、引き続きインフレ・リスクを適切に抑制しつつ、着実な成長を持続することができるかどうかといった点について、不確実性が改めて意識されたという点も指摘されています。もっとも、世界経済は、今後とも拡大が続く可能性が高く、金融資本市場の動きは、世界経済のファンダメンタルズの大きな変化を示唆するものではないとみられます。いずれにしても、金融資本市場の今後の動きや実体経済に与える影響については、最近の地政学的リスクの高まりといった要因も含め、引き続き注意してみていきたいと思います。

物価を巡る環境の変化

 このように、経済が息の長い成長を続ける中で、物価を巡る環境も改善しています。

 今回の景気回復は既に4年以上が経過しており、このまま成長を続ければ、本年10月には戦後最長の景気拡張期間であった「いざなぎ景気」と並ぶ長さとなります。このように長期間に亘って回復を続けてきた結果、経済全体の総需要と潜在的な総供給能力との差である「需給ギャップ」を推計しますと、長らく続いた供給超過状態が解消して、現在は需要超過状態に入ってきています。また、短観における企業の判断をみますと、過去十数年で初めて、設備の過剰感が解消しています。雇用については、労働市場の需給改善が進む中で、過剰感が解消しているだけでなく、むしろ不足感が強まってきています。

 このようにマクロ的な需給ギャップが需要超過方向で推移している中で、賃金は緩やかな上昇基調を続けており、先行きも上昇を続けていくと予想されます。これまでは、賃金の弱さを受けて、製品を1単位作り出すための労働コスト、すなわち、ユニット・レーバー・コストは、かなり大幅な下落を続けてきました。そうしたもとで、需給ギャップの供給超過が解消してもなかなか物価が上がらないという状況が続いてきました。先行きについては、生産性上昇に伴う下押し圧力は続くと見込まれますが、賃金が緩やかな上昇を続けていることから、ユニット・レーバー・コストの下落幅は縮小し、いずれ若干の上昇に転じていくと考えられます。

 こうした物価を巡る環境の変化を反映して、各種アンケート調査などでみた企業や家計の物価見通しも、上方修正されてきています。日本銀行情報サービス局が実施している「生活意識に関するアンケート調査」では、先行きの物価について具体的な数値を家計に尋ねており、それによると、これまで1%程度で推移していた今後5年間の予想インフレ率の中央値は、足もとでは2%まで上昇してきています。

 物価指数に即してみていきますと、国内企業物価指数は、原油価格をはじめとする国際商品市況が高値圏で推移していることを背景に、5月、6月と前年比+3.3%の上昇となっています。これは、消費税率の引き上げの影響がみられた1990年初の上昇率を上回り、1981年初以来の水準となります。消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比も、昨年末以降、プラス基調で推移しており、直近5月の計数は+0.6%となっています。これには、石油製品価格の上昇が押し上げに寄与していますが、その寄与度がここにきて高まっている訳ではありません。むしろ年度替わりに伴い、サービス価格の一部で価格改定の動きがみられているなど、石油製品以外にも上昇品目が徐々に広がっていることが、消費者物価指数がプラス基調を続けていることの基本的背景として確認できます。先行きも、マクロ的な需給ギャップが需要超過方向で推移していく中、消費者物価指数の前年比は、プラス基調を続けていくと予想されます。消費者物価指数は、8月に基準改定が予定されており、その際、前年比上昇率は幾分下方改訂される見込みですが、それでもプラス基調という判断は変わらないとみられます。

経済・物価見通しの中間評価

 先週の金融政策決定会合では、このように経済・物価情勢の現状を点検するとともに、4月の展望レポートで示した2007年度までの経済・物価見通しについて「中間評価」を行い、経済・物価情勢が今後も展望レポートで示した見通しに沿って展開していくかどうかを点検しました。そうした点検の結果、経済については、先行きも、展望レポートで示した見通しに概ね沿って推移すると判断したところです。物価面では、国内企業物価指数は、2006年度は、原油価格をはじめとする国際商品市況の上昇から、見通しに比べて上振れて推移しますが、2007年度の上昇率は、見通しに概ね沿ったものとなると見込まれます。消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)については、2007年度にかけて、見通しに概ね沿って推移すると予想されます。

3.今回の政策変更の狙い

2つの「柱」による点検

 以上に述べたような経済・物価見通しをもとに、今回の政策変更の狙いについて、お話したいと思います。

 日本銀行では、冒頭申し上げた通り、本年3月に「新たな金融政策運営の枠組み」を公表しました。その中で、金融政策の運営方針を決定するに際しては、2つの「柱」に基づく経済・物価情勢の点検を行っていく方針を明らかにしています。2つの「柱」のうち、第1の「柱」は、先行き1年から2年の経済・物価情勢について、最も蓋然性が高いと判断される見通しが、物価安定のもとでの持続的な成長の経路を辿っているかという観点から点検するというものです。第2の「柱」では、より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現するとの観点から、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクを点検することになります。

 現在の経済・物価見通しをもとに、そうした2つの「柱」に基づく点検を行いますと、第1の「柱」から点検した場合には、わが国経済は、物価安定のもとでの持続的な成長を実現していく可能性が高いと考えられます。ただし、こうした見通しは、後で詳しく述べますように、市場や企業がある程度の政策変更を織り込んだ上で意思決定していることを前提としており、経済・物価が今後とも見通しに沿った動きを続けていくためには、政策金利水準の調整が必要であると考えられます。第2の「柱」から点検しますと、現在は、設備投資などの行き過ぎが生じている訳ではないと判断されますが、経済・物価情勢が着実に改善していることから、金融政策面からの刺激効果は次第に強まってきています。マクロ的な供給超過状態が解消しているだけに、金融政策面からの刺激効果が一段と高まっていく場合には、企業の投資活動の積極化などを通じて、成長率が一時的に大きく上振れる反面、その後は資本ストックの過剰な積み上がりの反動が生じ、調整を余儀なくされる可能性もあります。こうした場合、中長期的にみると、経済活動の振幅が大きくなってしまい、ひいては物価上昇率も大きく変動するリスクが高まっていくことになります。

 このほか、高騰を続ける原油価格やそのもとでの海外経済の動向など、景気に対するリスク要因も存在しており、注意してみていく必要があります。ただ、金融システムが安定性と信認を回復し、企業の設備・雇用・債務の過剰も解消していることから、物価下落と景気悪化の悪循環が発生するリスクは小さくなっていると考えられます。バブル崩壊後の1990年代には、2回の景気回復局面がありましたが、そのいずれも、外的なショックの発生をきっかけに、景気後退局面入りを余儀なくされ、その後の「谷」は極めて深いものとなりました。これは、企業の設備・雇用・債務の過剰、そしてそれと表裏をなす金融システムの脆弱性が、経済に下押し圧力として働いたためであると考えられます。一方、今回の局面では、一時的に回復のモメンタムを失うことはあっても、景気後退局面に陥るということは起きていません。例えば、2004年夏に、IT関連分野での調整が深まったことを背景に、以降約1年に亘って景気の踊り場が続いた際にも、経済は再び回復のモメンタムを取り戻しています。このように、今回の局面におけるわが国経済は、1990年代の2回の景気回復局面とは大きく異なり、ショックに対する耐性が備わっていると考えられます。

今回の金融市場調節方針変更

 先週開催した金融政策決定会合では、次回会合までの金融市場調節方針として、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0.25%前後で推移するよう促す」ことを決定しました。すなわち、今ご説明した2つの「柱」による点検結果を踏まえた上で、経済・物価が今後とも望ましい経路を辿っていくためには、この際金利水準の調整を行うことが適当と判断しました。この措置は、中長期的に、物価の安定を確保し持続的な成長を実現していくことに貢献するものと考えられます。

 今回の政策変更は、4月の展望レポートで示した経済・物価見通しを維持した上で、同じく展望レポートで示している金融政策運営の基本的な考え方に基づいて行ったものです。今後についても、経済・物価情勢を丹念に点検しながら、金融政策を運営していくことになります。すなわち、経済・物価情勢が展望レポートで示した見通しに沿って展開していくと見込まれるのであれば、政策金利水準の調整については、経済・物価情勢の変化に応じて徐々に行うことになります。この場合、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと考えられます。こうした考え方はこれまでも繰り返し説明してきたところですが、要すれば、金利水準の調整は、経済・物価情勢をよく見極めながら、ゆっくりと進めていくということです。

 なお、今回の金融市場調節方針の変更に当たって、補完貸付の適用金利については、0.4%としました。補完貸付の適用金利とコールレートの誘導水準の差は、これまでの0.10%から0.15%にわずかに拡大したことになります。一般に、この差が小さいと、コールレートの誘導目標からの乖離は小さくなりますが、市場における自由な金利形成に影響を与えやすくなります。このところ、レポレートの高止まり等を背景に、多額の補完貸付が恒常的に利用される状態が続き、市場における自由な金利形成の面からは、やや窮屈な状態となっていました。そうした一方で、量的緩和政策の解除以降、短期金融市場の機能は徐々に回復してきてはいますが、なお道半ばであり、引き続きコールレートの安定的なコントロールにも配慮する必要があると考えられます。補完貸付とコールレートの誘導水準のスプレッドを小幅の変更にとどめることとしたのは、このように、市場の自由な金利形成に配慮しつつも、コールレートの安定的なコントロールをなお重視する必要があると判断したためです。

4.金利コントロールの仕組みと波及経路

短期金利の操作

 先ほど、現在の金融市場調節方針は、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0.25%前後で推移するよう促す」ことであると述べましたが、本年3月まで続けていた量的緩和政策の枠組みのもとでは、金融機関が日本銀行に預け入れている当座預金という「量」を金融市場調節の主たる操作目標としていました。例えば、2月の金融政策決定会合で決定した金融市場調節方針は、「日本銀行当座預金残高が30〜35兆円程度となるよう金融市場調節を行う」というものでした。

 主要国の中央銀行では、ごく短期の市場金利をコントロールすることを通じて、金融政策を運営しています。その際、「政策金利」として、特定の短期金利の誘導目標、あるいは中央銀行が行う短期オペの基準金利を定めて、それを達成するように金融市場調節を行うということも、先進国の中央銀行に共通している政策運営の方法です。日本銀行では、本年3月の金融政策決定会合で量的緩和政策を解除して以降、金融機関がごく短期の資金を貸借する際の「金利」である無担保コールレート(オーバーナイト物)を金融市場調節の主たる操作目標としていますが、これは、5年振りに、先進国の中央銀行に共通する政策運営の方法に復したということを意味しています。

短期金融市場と金利裁定

 そこで以下では、久し振りに金利政策に立ち返ったこの機会に、やや中長期的な観点から、金利コントロールの仕組みや波及メカニズムについて、お話したいと思います。

 日本銀行は、短期金融市場の参加者として、金融市場調節を行っています。公社債市場や株式市場が長期資金や資本性のある資金の運用・調達を行う場であるのに対して、短期金融市場は、短期の資金を融通し合う場である点が特徴です。短期金融市場は、一般には「期間1年以内の短期の資金取引が行われる市場」のことを指しており、しばしば、取引参加者に着目して、金融機関が参加するインターバンク市場と一般の企業や地方公共団体なども参加するオープン市場の2つに分類されることがあります。コール市場は、インターバンク市場に当たり、金融機関が日々の短期的な資金の過不足を調整するための取引が行われています。コール市場は、さらに担保の有無等により、無担保コール市場と有担保コール市場に分かれます。オープン市場としては、債券現先市場、レポ(現金担保付債券貸借)市場、CD(譲渡性預金)市場、CP(コマーシャル・ペーパー)市場、TB(割引短期国債)・FB(政府短期証券)市場などがあります。

 こうした短期金融市場において、日本銀行は、日々、債券の売買など入札形式で行うオペレーションを実施することで、現金や財政資金の動きに伴って生じる金融市場全体の資金過不足を調整し、金利の誘導を行っています。その際誘導のターゲットとなる政策金利が、無担保コール市場のオーバーナイト金利、すなわち、無担保コールレート(オーバーナイト物)ということになります。日本銀行の金融政策は、無担保コールレート(オーバーナイト物)を起点として、市場間の金利裁定を通じて、その他の短期市場金利や長期市場金利、預金・貸出金利等へと波及し、経済活動全体に影響を及ぼしていくことになります。

中長期金利への波及メカニズム

 無担保コールレート(オーバーナイト物)のようなごく短期の市場金利がより期間の長い金利へと波及していくというメカニズムの基本には、中長期金利は、対応する期間における予想短期金利の平均に、不確実性への対価であるリスクプレミアムが上乗せされて決定される、という考え方があります。こうした考え方に基づくと、ごく短期の金利は、経済・物価情勢に応じて中央銀行が決定していく性格が強い一方、中長期金利は、各市場参加者が、経済・物価情勢の先行きがどのようになるか、そして、その見通しに対して中央銀行がどのように政策対応していくのかを予想した上で、これに不確実性を加味して、決まっていくことになります。

 このようにして実現している中長期金利には、将来の短期金利の経路に関する市場の予想が反映されていると考えられます。金融政策は、金利と期間の関係を表す曲線、すなわち、イールドカーブを直接動かすものではなく、市場参加者により先行きの中央銀行の行動が予想され、それが金利の期間構造に織り込まれることにより、イールドカーブが形成されていきます。そして、こうしたイールドカーブの形状が、全体として、企業や家計の経済活動に影響を与えていくのです。

 予想された短期金利の変動が重要といっても、日本銀行が、政策金利である短期金利のパスを低く設定し、これを市場に伝えれば、常に中長期金利を低く保つことができるということにはなりません。政策金利のパスは、長い目でみて、経済・物価情勢に応じたものでなくてはならないからです。政策金利が経済・物価情勢に対して過度に高かったり低かったりする状態が続くと、経済や物価に望ましくない動きが生じ、いずれはそれに対応するために、政策金利を大きく引き下げたり、引き上げたりしなければならなくなります。そうした金利の無用な変動を金融市場が予想し、不確実性が高まれば、リスクプレミアムが拡大し、中長期金利はかえって高い水準になってしまいます。

 「長期金利は、将来の経済や物価に対する人々の見方を反映して決まるものであって、金融政策によってコントロールできるものではない」と言われることがあります。長期金利は、金融政策の影響を受けますが、只今申し上げたような理由から、経済や物価の情勢から離れてコントロールすることはできないものです。金融政策が経済・物価情勢に応じて適切に行われ、このことを市場が信用している状態を実現していけば、リスクプレミアムが小さくなって、長期金利の安定に最も望ましいと考えられます。

実体経済活動への影響

 次に、こうしたイールドカーブの変化が実体経済活動に影響を及ぼす経路について説明します。具体的には、複数のルートから成っていると考えられます。まず、投資採算の変化が投資活動に働きかける経路です。政策金利が変化すると、各種市場金利や預金・貸出金利等へと波及するということを述べました。企業や家計の立場からみると、調達金利が変動することになりますので、それに応じて、設備投資や住宅投資といった投資活動が影響を受けることになります。また、為替レートの変化が輸出採算や輸出数量に働きかける経路も考えられます。国内金利の変化は、内外金利の裁定などを通じて、名目為替レートに影響を与えます。名目為替レートが変化すれば、輸出企業の競争力が変化するため、輸出採算や輸出数量は影響を受けることになります。さらに、資産価格の変化が投資活動や消費行動に働きかける経路があります。株価や地価などの変化が企業や家計の支出に及ぼす影響は、金融資産の蓄積が進む中で、近年大きくなってきていると考えられます。このほか、支払利息の変化などを通じて企業収益に働きかける経路も重要です。

 こうした具体的なルートを通じて、イールドカーブ全体が実体経済活動に影響を与えていくことになります。企業や家計といった経済主体が投資活動を行う場合、言うまでもなく、将来起こるであろう事態を予想しながら、対応を進めるということになります。したがって、そのための金融取引の期間もそれに見合った長さとなってこなくてはなりません。そのように、企業や家計が先行きを見通す時間軸が長ければ長いほど、中長期金利の変動の影響は、より重要なものとなってきます。そして、中長期金利は、将来の短期金利の経路に関する市場の予想が反映されていますので、経済・物価情勢の先行きがどのようになるか、その見通しに対して中央銀行がどのように政策対応するかについて、市場がどのように予想していくかということが重要になってくるのです。

5.金利コントロールを巡る論点

公定歩合の位置付け

 以上、金利コントロールの基本的な仕組みと波及経路について述べてきました。次に金利コントロールに関連して、若干の論点を述べておきたいと思います。公定歩合の位置付け、期待形成の重要性、効果波及のラグの3点です。

 まず、公定歩合の位置付けから、述べたいと思います。日本銀行が金融機関に直接資金を貸し出す時の基準金利を「公定歩合」と言います。「公定歩合」という言葉は、日本銀行に関連する用語の中でも、とりわけ認知度の高い言葉だと思います。しかし、実は、この言葉は、法律に規定されているものではありません。日本銀行法に規定されている「基準となるべき割引率(基準割引率)」と「基準となるべき貸付利率(基準貸付利率)」のことを、「公定歩合」と呼んでいます。従来は、「商業手形割引率ならびに国債、特に指定する債券または商業手形に準ずる手形を担保とする貸付利率」と「その他のものを担保とする貸付利率」の2区分があり、各々について率が定められていましたが、これらは、2001年に「基準割引率および基準貸付利率」として一本化されました。

 公定歩合は、規制金利時代には、金融政策の基本的なスタンスを示す代表的な政策金利でした。これは、かつては、各種の金利が公定歩合に連動しており、公定歩合の変更が直接、貸出金利や預金金利を動かしていたからです。公定歩合の変更は、金融政策の基本的な姿勢の変更を示すものとして、いわゆる「アナウンスメント効果」を有すると考えられてきました。しかし、1994年に金利自由化が完了し、公定歩合と預金金利との制度的な連動性はなくなりました。現在は、こうした連動関係に代わって、先ほど述べたように、あらゆる金利が金融市場における裁定行動によって決まっており、公定歩合は、2001年に導入された補完貸付制度──予め明確に定めた条件に基づき、日本銀行が貸付先からの借入れ申込みを受けて受動的に実行する貸付制度──のもとで、補完貸付の適用金利として、オーバーナイトのコールレートの上限を画する役割を担うようになっています。現在の政策金利は、あくまで無担保コールレート(オーバーナイト物)であり、公定歩合には政策金利としての意味合いはありません。そうした意味で、今後は、かつては政策金利としての意味合いの強かった「公定歩合」という用語を使わず、「基準貸付利率」ないし「補完貸付の適用金利」という用語を使っていくことが適当であると考えています。

期待形成の重要性

 次に、期待形成の重要性についてお話したいと思います。

 先ほど、将来の政策金利の経路に関する経済主体の予想が、実体経済活動に影響を及ぼし、それがさらに物価に影響を与えていくということを述べました。金融政策は、一つ一つの利上げや利下げのアクションだけでなく、その後の政策運営についての市場の予想に働きかけることで、大きな効果を持っていくということです。短期金利が変化しても、それが一時的なものとみなされれば、中長期金利は変化しませんので、その分、実体経済に及ぼす影響は乏しいものとなります。これに対し、短期金利の変化が長期に亘って続くという予想が形成されれば、中長期金利が変化し、実体経済にしっかりと影響を及ぼしていくことになります。

 先行きの短期金利の変動が予想され、それが中長期金利に十分に織り込まれている場合の金利の変動については、重要なポイントがあります。第1に、政策変更は、それが事前に予想された時点で、中長期金利の変動を通じて、金融政策の効果を発揮していくということです。イールドカーブが将来の政策変更を織り込んでいるのであれば、企業や家計はそのことを前提として、投資や消費の意思決定を行うからです。第2に、実際に政策金利の変更を行った時には、中長期金利は大きく変動しないということです。政策変更がサプライズとなって中長期金利が大きく変動しないと、政策効果はないと考えるのは適当ではありません。予想通りの政策変更である場合、中央銀行の政策変更は市場の動きに追随しているようにみえますが、これは、金融政策運営が透明かつクレディブルであり、かつ、企業や家計といった経済主体がそれに基づき行動してきたことの表れと考えられます。第3に、政策変更が事前に織り込まれて、政策効果を発揮しているからといって、政策変更は不要にはならないということです。予想が裏切られれば、その後の政策についての見方が変化し、イールドカーブの形状も変わっていくからです。

 以上に述べたような期待形成とイールドカーブの関係を踏まえますと、イールドカーブが政策運営の考え方と整合的に形成されるよう、中央銀行は、金融経済情勢に関する判断や金融政策運営に関する基本的な考え方を丁寧に説明し、透明性の向上に努めていく必要があります。そうした認識のもとで、日本銀行では、展望レポート以外にも、金融政策決定会合の議事要旨や金融経済月報、記者会見、講演、ホームページの充実などを通じて、世界の中央銀行の中でも多くの情報発信を行っています。このようにして、金融政策運営の透明性をしっかりと確保していくことは、アカウンタビリティの面だけでなく、政策の有効性を高める上でも、大事です。言うまでもないことですが、市場が政策変更を誤って織り込んでいる場合に、中央銀行が、それに追随するような金融政策運営を行っていくことはありません。そうした場合には、情勢判断や政策運営の考え方を市場に伝えていくことを通じて、市場の予想の修正を図っていくことになります。

 こうしたことも踏まえながら、先行き予想される政策金利の変化とその影響を中央銀行が公表している経済・物価見通しに取り込んでいくことは、市場とのコミュニケーションを行っていく上で有用であると考えられます。日本銀行では、従来、見通しを作成するに当たって、先行きの金融政策運営は不変としていましたが、この4月の展望レポートから、政策金利について先行きを一定とはせずに、市場金利に織り込まれたとみられる市場参加者の政策金利に関する予想を参考にしつつ、経済・物価見通しを作成することにしました。バンク・オブ・イングランド(英蘭銀行)や欧州中央銀行など、経済・物価見通しを公表している海外中央銀行の多くが、見通しを作成するに当たって、市場参加者の政策金利に関する予想を先行きの政策金利の前提として用いるようになってきています。

効果波及のラグ

 最後に、金融政策の効果波及の時間的なズレ、すなわちラグについてお話したいと思います。

 金融政策の効果が実体経済や物価に波及していくには、ある程度の時間を要します。先ほど述べた様々な波及経路に即していえば、金利の変化は、投資の期待収益率を変えるという意味では、比較的短期間に影響を与え得るものかも知れません。また、為替レートや資産価格を通じた効果も、比較的速やかに顕現化するとみられます。しかし、金利の変化が、企業収益を経て家計の所得に及んでいくには、時間がかかります。企業収益や家計所得の変化が、企業や家計のマインドに徐々に影響を及ぼし、投資や消費についての新たな意思決定に結び付いていくまでには、さらに相当の時間が必要とみられます。こうしたことから、いくら企業や家計が先行きを見通しながら行動しているといっても、実体経済への効果波及のラグはそれなりに長いものとならざるを得ません。加えて、経済から物価への効果波及のラグも存在しています。

 金融政策はフォワード・ルッキング(先見的)に行っていく必要があるのは、こうした効果波及のラグが存在しているためです。機動的な対応を行うためには、十分に長い期間の先行きについて、経済・物価情勢を見通しながら、行動していくことが必要です。ちなみに、先にお話したバンク・オブ・イングランドでは、インフレーション・レポートという四半期報の中で、金融政策委員会メンバーの先行き3年間の経済・物価の見通しを作成・公表しています。欧州中央銀行では、スタッフの見通しとして、先行き2年間の経済・物価の見通しを示しています。こうした見通しの背後にある考え方は、金融政策の効果が経済や物価に波及していくには長いラグを伴うということです。

 一方、ラグの長さは、経済構造だけでなく、景気局面などによっても、大きく異なり得ます。この点、効果波及のラグも踏まえた上で、経済・物価の先行きについて的確な見通しを作成していくことは、非常に難しい作業です。特に、ここ数年は、企業部門における生産性の向上や人件費の抑制を背景に、物価が景気回復に反応しにくい状況が続いています。このような状況は、景気の拡大と物価の安定が両立しやすくなるという点で、これまで、経済の望ましい展開を可能とする要因として働いてきた面があるように思います。しかし、中長期的にみると、物価の安定を実現していく上で、当面の物価上昇率を政策運営のガイドポストとするだけでは不十分になっており、かつ、経済と物価に関する過去の経験則が当てはまらなくなっていることも意味しています。したがって、より長い目でみて経済活動や物価の見通しやリスクをできるだけ敏感に察知して、適切に対応することが一層重要となっていると考えられます。

6.おわりに

 以上、今回の政策変更に至った考え方を説明するとともに、金利コントロールの仕組みや波及経路などについて、いくつかの論点を示しながら、やや詳しくお話してきました。

 最後に一つ大切なポイントを付け加えておきたいと思います。それは、本日ご説明した金融政策の波及経路や効果が発揮されるためには、そのルート上にある金融市場や金融機関行動が重要な役割を担っているという点です。各種金融市場や金融機関の機能向上を図っていくことにより、金融政策のトランスミッション・メカニズムを強化していくことは、より長期的にダイナミックな日本経済の構築を支えていく上でも、大変重要なことです。日本銀行は、金融市場の機能向上の面で、関連する市場取引の育成、拡大を支援しています。オペレーションにかかる取引実務の改善、次世代RTGSの導入、災害時のBCP(業務継続体制)の充実などが、それに当たります。今後も、金融市場の機能向上のため、市場関係者とともに努力を重ねていく方針です。また、金融機関の機能向上の面では、金融機関が新しいビジネスモデルを築き上げるとともに、より高度なリスク管理体制・経営管理体制や内部統制等の枠組みを整備し、そのもとで効率的な金融機能の発揮が可能となるよう、考査・モニタリングにおける議論などを通じて、環境整備に貢献していきたいと考えております。

 日本銀行としては、このような取り組みをしっかりと行っていくことを通じて、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長を実現していけるよう、引き続き貢献して参りたいと考えています。

 本日は、ご清聴有難うございました。