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最近の金融経済情勢等について

展望レポート(2006年10月)を受けて
日本アクチュアリー会における水野審議委員講演要旨

2006年11月8日
日本銀行

目次

  1. 1.経済・物価情勢のアップデート
  2. 2.米国経済の見通し
  3. 3.国際資金フローの変化─質への投資
  4. 4.今後の金融政策運営について
  5. 5.まとめ

 本日は、日本アクチュアリー会において講演の機会を与えていただき、大変光栄に思います。日本銀行は、10月31日、「経済・物価情勢の展望(2006年10月)」(展望レポート)を公表しました。本日の講演では、経済・物価情勢のアップデートに加え、米国経済の見通し、国際資金フローの変化、これら観点を踏まえた今後の金融政策運営について、私なりの見解を述べさせていただきたいと思います。

1.経済・物価情勢のアップデート

(展望レポートの総括判断)

 日本銀行は、10月31日に新しい展望レポートを公表しました。今回の展望レポートは、総括すれば、足許の経済情勢については、緩やかに拡大しており、先行き─展望レポートの対象期間である2007年度まで─についても、息の長い拡大を続けると判断しております。

 足許の経済情勢については、前回(4月)の展望レポート以降に公表された設備投資関連指標、雇用・所得関連指標、個人消費関連指標を反映して、「これまでのところ、企業部門は幾分強め、家計部門は幾分弱めとなっているが、全体として概ね見通しに沿って推移している」との評価を付け加えています。他方、先行きの経済見通しにおける前提やメカニズムについては、基本的には前回の展望レポートと同じです。

 日本銀行は、4月および10月の展望レポートで、「景気の成熟化」という表現を使いました。この概念について誤解がないように、10月の展望レポートでは、背景説明のパートの脚注で、「景気拡大が長期化し、成熟段階に入っていくにつれて、民間支出のウエイトは、企業部門(設備投資)から家計部門(個人消費)へとシフトしていき、それに伴い、生産面のウエイトも、製造業から非製造業に移っていくと考えられる。一般に労働集約的な面が強く、生産性が相対的に低いと考えられる非製造業の生産のウエイトが上昇していくと、マクロ的にみた生産性の上昇テンポは鈍化していくとみられる」と説明しました。

 これまでのところ、わが国経済は、設備投資関連指標が堅調な一方、個人消費関連指標が幾分弱めであることから、民間支出面では「景気の成熟化」が幾分遅れ気味であるというバイアスを引き続き伴っているといえます。分配面からみても、企業収益が好調さを維持する一方、雇用者所得の増加は緩やかなものにとどまっていることから、「景気の成熟化」が遅れ気味といえます。一方、設備投資や企業収益の好調さは、今年度は製造業から非製造業へと業種の広がりがみえるため、生産面からは「景気の成熟化」が既に進捗しつつあるといえます。

 今後については、景気拡大が長期化する中で、資本ストック循環の観点などを踏まえると、民間支出の面では、企業部門から家計部門へ、ウエイトが徐々にシフトしていくと考えられます。すなわち、「生産・所得・支出の好循環が働くもとで、景気拡大が続いている」という大きな流れでは、4月の展望レポートで示した景気・物価見通しに沿った展開となっているといえます。

 次に、以上の判断の背景となったメカニズムを具体的にみたいと思います。全体的な分析は展望レポートをお読み頂くとして、ここでは、(1)内需─設備投資と個人消費は増加するのか、(2)経済情勢が良好であったとして物価情勢をどう見るのか、という視点に絞って採り上げたいと思います。このほか、米国経済はソフト・ランディングするのか、という大事な視点がありますが、この点については後程申し上げます。

(設備投資と個人消費)

 内需─設備投資と個人消費は増加するのかという点について、まず経済指標を確認したいと思います。

 設備投資については、10月2日に公表された日銀短観(9月調査)の設備投資計画(2006年度)をみると、大企業(全産業)は、6月調査時点からごく小幅な下方修正(-0.1%ポイント)ですが、前年度比+11.5%と2005年度実績の同+7.2%を上回る強めの数字となりました。中小企業(全産業)は、同-3.1%ながら、6月調査比+9.0%ポイントの上方修正と、前年度比+10.7%で着地した2004年度・2005年度とほぼ同じペースで順調に上方修正されています。また、生産・営業用設備判断DIでは、企業の設備不足感が拡がっていることも表れており、概ね想定通りの展開でした。

 設備投資に影響を与える需要面、収益面、経営者のセンチメントをそれぞれ短観でみると、需要面では、米国経済減速の影響について、(1)大企業製造業の海外での製商品需給判断DIは需要超過で推移しており、先行きもほぼ横ばいであること、(2)輸出額は、いずれの企業規模でも上期・下期ともに上方修正されたこと、などから、目立った影響は確認できません。

 また、収益面では、大企業製造業において経常利益の下期が下方修正されていますが、上期に上方修正されていることを考慮すると、企業がこの時期に年度計画を変えたくないために数字を合わせた結果だと思います。むしろ為替の想定が現状より円高(1ドル=111円台)となっていることや、最近の原油下落が完全に織り込まれていないことを考えると、収益面で2つののりしろが存在しているといえます。こうした状況を踏まえると、2006年度の大企業製造業の経常利益は前年度比+1.4%が見込まれていますが、主要企業の中間決算の数字からみると、最終的には同+10%を超える公算が高いと思います。

 経営者のセンチメントでは、先行きの業況判断が慎重である点については、「企業が米国経済の先行き不透明感を警戒したためである」と解釈する向きもありますが、景気回復局面においてみられる「統計の癖」と見込まれます。金融市場では、住宅市場の減速と自動車販売の不振が米国景気の下振れにつながらないか懸念されています。住宅市場の調整は加速していますが、これまでのところ個人消費や米国経済全体への悪影響は限定的にとどまっています。9月短観も「米国経済全体としてはソフト・ランディングの範囲内」という見解をサポートしていると判断されます。

 設備投資は、短観をみる限り、加速しているとまでは言えませんが、増加モメンタムの持続と業種の広がりがみえ、減速感はみえません。こうした増勢は当面持続する公算が高いと見込まれます。

 個人消費については、統計によって区々な動きとなっています。

 個人消費を販売面から捉えた指標をみると、天候不順の影響から弱めの動きが目だっていた7月頃までと比べ、足許では改善しています。例えば、9月後半にかけての気温低下の影響もあって、秋冬物の衣料品や身の回り品が好調に推移しており、9月の全国百貨店売上高は季調済前月比+1.0%と3か月連続の増加となり、7~9月期でも前期比+0.9%(4~6月期は同-1.8%)とプラスに転じました。全国スーパー売上高も、7~9月期は前期比+0.3%と2003年10~12月期以来11四半期ぶりの増加となりました。7~9月の家電販売は前年同期比+10.9%と2桁増を続けています。乗用車新車販売台数は冴えない動きが続いていますが、外食売上高、旅行取扱額などサービス関連消費は引き続き好調であり、販売統計をみる限り、個人消費は増加基調にあると判断されます。

 一方、需要面から捉えた指標をみると、弱い動きが続いています。家計調査では、9月の実質消費支出(全世帯)は季調済前月比-2.0%、前年同月比-6.0%と予想外に弱い数字となりました。7~9月期でみても季調済前期比-2.9%、前年同期比-3.8%と、4~6月期のそれぞれ+0.6%、-1.5%から悪化しました。この数字は、7~9月期の実質GDPの個人消費が前期比マイナスになる可能性が高いことを示唆しています。

 個人消費について、現時点では増加基調にあるとの判断を変えなければならない確証は得られていません。しかし、個人消費関連統計に表れている温度差については、今後慎重に分析を深めていきたいと思います。

 わが国では、資産バブル崩壊後の苦い経験の教訓もあり、企業部門は総人件費抑制の姿勢を変えず、家計部門は選択的な支出行動を続けています。今回の景気回復局面においては、過剰雇用・過剰債務・過剰設備という「3つの過剰」が解消されたことから、企業の体質が強化されています。その過程で、それが雇用創出はともかく、賃金上昇に跳ね返っていかないため、家計部門からみると景気回復の実感が今一つ乏しいといえます。一方、企業の損益分岐点はかなり低いところまで低下しているため、多少の外的ショックが発生してもわが国経済は耐えることができるだけの地力がついてきたといえます。製造業を中心に設備投資を積極化する動きがみえますが、全体としてストックが過剰に積み上がっている状況ではありません。

 先行きの経済情勢のリスク要因は、展望レポートで指摘したことに加え、家計部門への波及が想定よりも遅れることだと考えています。今後、10月の展望レポートで示した経済のメカニズムに変化がないことを確認する上で、特に、(1)雇用者数の増加のみならず、所定内給与が増加して雇用者所得の増加傾向がさらに明確になるかどうか、(2)好調な企業部門から家計部門への波及が順調に進んでいくかどうか、注目していきたいと思います。

 経済のグローバル化とサービス化の潮流にうまく乗れたアングロサクソン諸国では長期間にわたる景気拡大が続いています。米国では1990年代に景気拡大が100か月に及び、イギリスでは過去15年にわたり景気拡大が続いています。わが国でも、海外経済が拡大を続けるという留保条件は付きますが、派手さはないものの、そのような長期間にわたる景気拡大につながる可能性も否定できません。

(物価動向の見通し)

 以上のように経済情勢が概ね良好であるとして、次に物価動向をどうみるのか、という点について申し上げたいと思います。

 展望レポートでは、物価動向に大きな影響を与えるユニット・レーバー・コストについて、「先行きは、景気拡大の長期化に伴って生産性の伸びが鈍化し、賃金の上昇も明確になる中で、下げ止まりから若干の上昇に転じていく可能性が高い」としました。

 ユニット・レーバー・コストは、生産性と名目賃金の要因に分解できますが、個人的には、名目賃金の動きに注目しています。足許までゼロ近傍で推移している所定内給与がプラスに転じないと、物価上昇率の先行きについて、下振れ懸念が払拭できないと考えています。

 現状を経済統計で確認すると、毎月勤労統計によれば、6~8月の特別に支払われた給与(夏季賞与)は前年比+1.7%と、昨年夏の同+1.7%、昨年冬(昨年11~今年1月)の同+1.8%並の伸び率で着地しました。今夏のボーナスはまずまずの伸びをみせたと判断されます。一方、所定内給与は、7月が前年同月比-0.3%、8月が同-0.3%、9月が同-0.2%と小幅なマイナスの数字が続いています。名目賃金(現金給与総額)も6月同+1.0%、7月同+0.4%の後、8月同-0.2%、9月同横ばいと非常に緩やかに増加しています。

 これまでのところ賃金上昇率が極めて緩やかなものにとどまっていることは、消費者物価指数(除く生鮮食品)(コアCPI)インフレ率の上昇テンポが緩やかなものになる可能性を示唆しています。

 今回の展望レポートの基本的見解では、「賃金の上昇は、これまでのところ、企業の根強い人件費抑制姿勢などから緩やかであるが、労働市場の需給が着実に引き締まってきていることを踏まえると、いずれは上昇が明確になる可能性が高い」と記述しました。時間当たり賃金はパートタイマーや派遣社員の時給など限界的な労働市場においては相当高まってきています。人手不足感が強い状況がさらに持続すれば、企業は賃金を引上げることなく望ましい人材を確保することができなくなると思われます。このように、現時点で、労働需給がタイト化しても賃金上昇率が低いのは、時間的なラグに過ぎない可能性があります。最近、雇用不足感は、非製造業において強まっています。今後、非正規雇用の比率が高いサービス分野などでは労働需給が更にタイト化することによって、賃金が一段と上昇し、サービス価格への転嫁の必要性が強まってくることは十分考えられます。

 もっとも、賃金上昇率が高まらない理由として、いくつかの仮説が考えられ、これら仮説を念頭に置いておくことも重要です。すなわち、(1)最近、非正規雇用から正規雇用への巻き戻しが発生している背景には、優秀な人材を確保したいという企業サイドのニーズもあり、労働者が賃上げよりも安定的な雇用(job security)を志向する面がなお残っているため、賃金上昇率が鈍いという仮説、(2)団塊世代の退職時期が迫る中、企業は新卒労働者の採用を急増させている結果、一人当たりの賃金がなかなか上昇しないという仮説、(3)国際競争力の維持や売上高経常利益率の引上げのほか、年功序列的な給与体系から能力・成果に応じた給与体系へのシフト等から、企業部門の総人件費抑制の姿勢は強く維持されている結果、労働分配率がさらに低下しているという仮説、(4)1990年代に発生した「労働力率の低下」は、構造要因ではなく総需要低下という循環要因であり、そもそもわが国経済には大きなスラックが残っており、潜在成長率を上回る成長が続いても賃金上昇率やインフレ率がなかなか加速しないという仮説、(5)能力増強投資の増加に伴う生産性上昇で、わが国の潜在成長率が上昇傾向にあるため、実質GDP成長率が上昇してもなかなか賃金が上昇しないという仮説、という5つの仮説です。個人的には、上記のうち(3)の仮説が最も説得力があると思っています。高齢化社会に入る中、企業は定年退職後の人材を現役時代の6~7割の年収で再雇用する動きをみせています。すなわち、労働市場における企業サイドの立場が労働者よりも構造的・制度的に強くなった可能性もあります。そのような見方が正しいならば、失業率がさらに低下しても、賃金がなかなか上昇してこない可能性があると考えられます。

 こうした仮説の検証も含めて、今後、賃金の動きについてはよくみていくことが必要だと思っています。

 当面のコアCPIの前年比上昇率について、金融市場では、(1)原油価格下落の影響によって、一時的にマイナスに転じるのではないか、(2)ある携帯電話会社が10月23日に発表した通信電話料金の引下げがライバル会社の料金引き下げを誘発し、今後、携帯電話会社間で価格競争が行われる結果、携帯電話通信料が将来的にもコアCPIの前年比上昇率の押し下げ要因になるのではないか、という2つの懸念があるようです。

 まず、石油関連製品や素原材料価格の下落が消費者物価の上昇テンポを鈍化させることはその通りです。しかし、原油価格の下落が経済の前向きな循環メカニズムや世界経済の安定に寄与するならば、日本銀行はこれをポジティブに判断します。コアCPIの前年比上昇率を予想する上では、今後石油関連製品のみならず、サービス価格や財の中でもその他の財価格が今後どうなっていくかをよく見ていかなければなりません。また、原油価格がWTIでみて70ドルから60ドル前後まで低下したことによって、その限りにおいて、コアCPIは前年比を下押しすることはあり得るかもしれませんが、石油関連製品は、恐らく70ドル台だった原材料価格高騰の影響が顕在化してくるというような状況もあり得ると思われます。すなわち、原油価格が低下したからといって、石油関連製品が直ちに連動するとは考えにくいと思われます。そのようなことも考え合わせて、日本銀行はコアCPIの前年比上昇率が上昇基調にあると判断しています。

 消費者物価指数の基準改定にも一言触れたいと思います。8月25日に公表された消費者物価指数の基準改定幅は、市場予想を上回る大きなマイナスとなりました。しかし、今回の基準改定により、物価を巡る基本的な判断を変更する必要はないと考えています。消費者物価(CPI)の前年比上昇率については、水準だけではなく、トレンドもみていかなくてはなりません。今回の基準改定によって、CPIの前年比上昇率の水準は下方修正されましたが、CPIの前年比上昇率が徐々に高まっていくというトレンドには変化がありません。

 消費者物価指数の精度を向上させる努力は大切であり、総務省による今回の基準改定もそうした方向への努力を反映したものとして評価しています。しかし、基準改定でこれほどイメージが変わってしまうと、消費者物価指数のユーザーが「連続した統計としては使いにくい」という印象を持つ可能性があります。このように基準改定毎に大幅な下方修正が生じることは、消費者物価指数の作成方法について改善余地があるのではないか、という疑念を高めてしまう可能性も否定できません。特に、今回の基準改定において大きな影響を与えた携帯電話の通信料金は、モデル式を使っている代表例ですが、この変更の際に大きなジャンプが生じ得ることについて、もう少しどのような対応ができるのか、考える必要があるように思います。債券市場では、消費者物価指数の基準改定が事前予想を大幅に上回ったことから、物価連動国債が急落するなど、大きな影響が出ました。5年に一度の基準改定でこれほど消費者物価指数のイメージが変わってしまうと、今後物価連動国債の発行増加の足かせになるリスクもあるように思います。

 物価上昇率の先行きについて、日本銀行が10月16日に公表した9月実施の「生活意識に関するアンケート調査」では、1年後の物価上昇率の予想平均値は+5.1%とかなり高い数字でした。9月時点の調査ですので、ガソリン価格上昇などが心理的に引っ張られたのではないかと推測されます。本行による「生活意識に関するアンケート調査」や内閣府の「消費動向調査」における数字は相当幅をもってみる必要はありますが、消費者の期待インフレ率は、9月のコアCPIの前年同月比+0.2%に比べてかなり高い数字になっています。上記の調査結果で、国民の物価に対する意識の変化をみると、一般国民のデフレ予想は既に後退していることは確かだと思われます。

 今後の金融政策運営において、期待インフレ率を含めた広範な物価関連統計を総合的に判断していくつもりですが、物価統計が示すインフレ動向と家計の期待インフレ率の乖離が大きくなり過ぎると、物価動向に関する基調判断はそれだけ複雑化していくことになるという覚悟が必要なようです。

2.米国経済の見通し

(米国経済の概要と住宅投資)

 米国経済はソフト・ランディングするのか、という点について、我々は強い関心を持っています。この点は非常に重要であるので、以下では多少仔細に説明したいと思います。

 7~9月期の実質GDPは前期比年率+1.6%と4~6月期の同+2.6%から減速しました。7~9月期の住宅投資は前期比年率で-17.4%(GDP全体に対する寄与度は-1.12%)と4~6月期の同-11.1%(同-0.72%)から悪化しましたが、個人消費や設備投資の寄与度は前期を上回りました。ヘッドライン数値は弱いのですが、住宅投資を除くと前期比年率+2.7%と内容は悪くありません。FRBも恐らく、同+1.5~+2.0%程度の成長率を予想していたと見込まれ、10~12月期から来年上期にかけてさらに成長率が低下しない限り、米国景気の先行きについて悲観的になる必要はないと思います。

 企業部門は、健全なバランスシートと好調な収益を維持し、資本市場や金融機関からの資金調達が困難になることはありませんでした。住宅市場の減速感はかなり大規模なものになりましたが、非住宅の建設投資は堅調です。

 実際、10月以降、米国市場のセンチメントの変化、特に、ブルーチップ企業の株価上昇は目を見張るものがあります。米国経済の見通しは一時の慎重論からかなり改善してきました。FRBが10月12日に発表したベージュ・ブックでは、米国景気が総じて順調に拡大している事が示されるとともに、大半の地域で「インフレは抑制されている」と報告されています。

 また、10月のミシガン大学消費者センチメント指数(確報)は前月比+8.2ポイントの93.6と大幅に上昇しました。この背景には、雇用拡大の持続に加え、最近のガソリン価格下落、モーゲージ金利の低下が家計部門にとって減税と同じような効果をもたらし、個人消費を下支えしていることを示唆しています。また、株価上昇による資産効果も寄与しているのではないかと思われます。

 懸念されている住宅投資についても、10月に入り、以下のように、米国の住宅市場の減速感が緩やかになったことを示す指標が出てきました。

  1.  (1)全米住宅建設業協会(NAHB)が公表した10月の米住宅建設業者信頼感指数は31(9月は30)と昨年10月以来の上昇となりました。現状指数は32と横ばいでしたが、今後6か月の一世帯住宅の販売見通しを示す指数が9月の37から4ポイント上昇の41となっています。NAHBは「指数は低水準に止まっているが、9月からの1ポイントの改善は、建設業者の新築住宅販売に対する見方が安定化してきたことを示唆しているかもしれない。この背景には、モーゲージ金利の低下とエネルギー価格の劇的な低下によって消費者信頼感が強い回復を示し、労働市場の状況がかなり良いことがあると見込まれる。住宅市場の調整は、販売数量の観点からはボトムに近づいているように思われ、需給バランスは間もなく大幅に改善することが予想される」と指摘しています。

  2.  (2)9月の住宅着工件数は年率177.2万戸と前月の同167.4万戸を上回りました。

  3.  (3)9月の新築住宅販売件数は季節調整済年率で107.5万戸(8月は102.1万戸)と2か月連続で前月比増加となりました。新築住宅の販売価格の中央値は21万7100ドルと2004年9月以来の低水準です。前年同月比では9.7%の減少と、1970年12月の同11.2%減少以来の下落率となりました。7~9月期全体の住宅の販売価格(メディアン)は、新築が前年同期比-2.5%、中古が同-1.2%と、買い手がより低価格の住宅を選んだことが読み取れます。新築・中古ともに在庫は高水準にとどまっていますが、住宅販売戸数の底打ちによって、新築住宅の在庫月数は、7月の7.2か月をピークに、8月6.8か月、9月6.4か月と低下基調となってきました。

 以上みてきたように、住宅建設は大きく落ち込んでいるものの、住宅市場の調整は最悪期を過ぎた可能性が出てきたと思います。住宅市場が底入れするにはなお時間を要するものの、住宅価格の調整がある程度進行したことに加え、家計の可処分所得の増加によって、住宅市場の底打ちが意外に早く到来する可能性もあります。最近の住宅価格の下落は目立ったものにはなっていますが、過去数年にわたって大幅に上昇してきたことを念頭におくと、米国の消費者にとっては、それ程大きな影響はないはずです。住宅市場の減速によって消費支出行動を大きく変化させる必要も強く感じていないと見込まれます。米国の家計部門は、最近の株価上昇など金融資産の含み益増加もあって、全体的にみれば資産効果が個人消費にポジティブに作用すると予想されます。少なくとも、最近の中古住宅価格の下落によって家計の支出行動が大きく減速したことは統計上確認できません。私自身は、住宅市場の減速が加速した8~9月時点に比べ、米国経済の先行き不透明感は後退しているとみています。

(FRBの見方)

 10月4日、FRBのバーナンキ議長とコーン副議長がそれぞれ講演を行っています。両者ともに、住宅市場の調整が大幅なものであることを認めています。バーナンキ議長は、住宅市場の減速によって今年後半に成長率は1%低下すると具体的な数字をあげています。もっとも、両者とも、住宅市場の減速が米国経済のハードランディングに直結するとはみておらず、住宅関連以外の経済指標は底堅く、住宅市場の減速分を補うことができるとの見解を披露しました。

 同時に、インフレリスクは引き続き高いとも発言しています。特に、コーン副議長は、(1)潜在成長率を下回る実質GDP成長率が数四半期にわたって続いても、その程度の減速は望ましく、FRBは様子見の姿勢を維持する可能性が高いこと、(2)過去の住宅価格下落のケースにおいては、FRBによって金融環境は強く引き締められていたが、現在の市場金利は名目も実質も高くなく、今回は際立って状況が異なっていると、(3)ソフトランディング・シナリオは楽観的過ぎて実現しないと思う向きもあるだろうが、米国経済はそれを実現する力がある、など幾つかの注目すべきコメントをしました。

 最近のFRB高官の発言をみると、ボトムラインにある考え方に大きな違いはないと思います。すなわち、(1)住宅市場減速は最悪期を脱した可能性はあるが、景気は下振れ懸念が完全に払拭されたわけでない、(2)9月のコアPCEデフレーターは前年同月比+2.4%とインフレ率は高止まっているという微妙な状況にあり、もう少し「経済データ」をみたい、という点だと思います。

 10月の米雇用統計によれば、10月の失業率は4.4%と2001年5月以来の低水準となりました。失業率は7月の4.8%をピークに、8月4.7%、9月4.6%、10月4.4%と3か月連続で改善しています。失業者数の理由別内訳をみると、非自発的失業者(自らの意思に反して失職した失業者)の割合が7月の46.7%から10月には45.7%に低下しています。新規失業保険請求件数も、9月30日に終わる週から30.0万人程度で推移しています。失業率と関連性が高い失業保険受給者比率も低水準にとどまっています。失業率が5%以下の水準にとどまる限り、労働市場に引き締まり感があると判断されます。10月の時間当たり賃金は前月比+0.4%(前年同月比+3.9%)と9月の同+0.2%から加速しました。7~9月期の労働生産性も前期比横ばいにとどまりました。米国では、賃金インフレ懸念が払拭できない状況が続いています。

 10月25・26日開催のFOMCでは、3回連続で利上げが見送られ、政策金利を5.25%に据え置くことが決定されました。今回のFOMC声明文では、景気に関して、「住宅市場の冷え込みが一部反映されて、経済成長は今年を通じて減速してきている。先行きについては、経済は緩やかなペースで拡大する公算が高い」とされました。前回9月20日開催のFOMC声明文では、住宅市場の大幅減速による先行き不透明感の強まりから、景気見通しに関する記述はあっさりしていました。金融市場では、10月のFOMC声明文について、(1)FRBは、7~9月期の実質GDP成長率が弱いことを予想しつつも、景気の下振れリスクが幾分軽減したという認識を示した、(2)来年後半までには潜在成長率近傍まで成長率は回復するというソフトランディング・シナリオに対する自信を深めている、と判断しているようです。

 他方、米国経済の需給ギャップがゼロ近傍にあり、「経済のグローバル化」が潜在的なインフレ要因となるリスクとなる中、コア・インフレ率を2%程度に落ち着かせるためには、3%程度とみられる潜在成長率を下回る成長が数四半期は続く必要があると思われます。物価見通しに関する記述について、金融市場では様々な理解がなされていますが、「多少のインフレリスクが残るため、必要となるかもしれない追加的な引き締め策の規模とタイミングは今後のインフレと経済成長の見通しの展開次第である」と同じフレーズが残りました。

 失業率が4.4%と低水準にあるなか、仮にコアCPIの前月比上昇率が+0.2~+0.3%で推移した場合、FRBは、コア・インフレ率はいずれ軟化してくるという見通し、すなわち「opportunistic disinflation(日和見主義的なインフレ抑制策)」を維持することも困難になります。8月時点に比べれば、FRBは経済・物価情勢の先行きのシナリオに自信を深めていると思いますが、まだ「deliberate disinflation(思慮深く計画されたインフレ抑制策)」といえるほど、コア・インフレ率の低下ペースに今ひとつ自信がないではないかと推察されます。

 これらを背景に、金融市場では、FRBは今後数か月、政策金利を据え置き、「様子見の姿勢」を維持する可能性が高いのではないか、という見方が有力になっているのではないかと思います。

3.国際資金フローの変化─質への投資

(国際資金フローの特徴と2回の調整)

 今年の金融市場を振り返ると、(1)東アジア諸国を中心に莫大な規模に膨れあがった「外貨準備(総額5兆ドル程度)」、国際分散投資を進める「年金資金(OECD加盟国で17.9兆ドル)」、原油価格高騰で運用資金が膨らんだ「ペトロ・マネー」、貯蓄から投資への動きを進める「わが国の個人金融資産」が、結果として、世界の金融市場の価格形成に大きな影響を与えたこと、(2)ヘッジファンド(運用総額1.2兆ドル程度)の運用成績が冴えなかったこと、(3)価格の透明性が低く、流動性が乏しく、ボラティリティーが高い金融資産に対する投資リスクが再認識されたこと、(4)グローバルな資金シフトのスピードが非常に高まり、主要国の債券・株式市場の連動性がさらに高まったこと、(5)主要国では企業部門の財務体質が健全化し、「カネ余り」の状況が更に強まったこと、を特徴として指摘できると思います。

 これら特徴の中でも、年金資金が世界の金融市場の価格形成に影響を与えていることは特筆すべき点です。OECDによれば、OECD加盟国の年金資金の規模は、前述のとおり、2005年では17.9兆ドルであり、2001年の13.0兆ドルから年率+8.4%で増加したと報告しています。本邦の年金基金は、世界の債券・株式市場の期待リターンが低下したこともあって、ヘッジファンド(ファンド・オブ・ファンズ形態が主流)、不動産投資(最近では海外REITへの投資も増加)、プライベート・エクィティ、クレジット商品などへ向い、運用資産全体に占めるオルタナティブ投資のウエイトを5~10%に引き上げています。コモディティー商品については、2004年から2005年にかけてアセット・クラスのひとつとして認知され始めました。欧米諸国の年金基金も、リスクの高い投資対象と理解しながらも、期待リターンの高さにひかれて、2006年からコモディティー市場に本格的に参入しました。国際商品市場の市場規模は、年金資金の分散投資の対象として小さすぎるにもかかわらず、巨大な年金資金が流入したため、「需給のミスマッチ」が発生し、春以降はファンダメンタルズでは到底説明できない水準まで市況が上昇しました。

 その後、金融市場では、グローバルな投資マネーの動きに調整が発生した局面を2回経験することになります。1回目の調整は、5月~6月にかけて発生しました。そして、2回目の調整は、9月~10月にかけてです。

 5月~6月に世界的な資産価格の調整が発生した背景には、市場参加者のインフレ期待の上昇、金利先高観の高まりがあったと思います。金融市場を取り巻く環境が、「グローバル・ディスインフレ」と「緩和的な金融環境」という組み合わせから、「グローバルなインフレ期待の高まり」と「インフレ予防的な主要国の金融政策運営」の組み合わせ、へと変化する可能性を先取りする動きから、金融市場のボラティリティーが上昇したものと判断されます。1990年代半ば以降、金融市場ではグローバルなディスインフレを前提として資産価格の形成がされてきました。主要国の中央銀行は、景気回復局面でもインフレ期待が抑制されていたため、大幅な金融引き締めに踏み切る必要はなく、最近では1回の利上げ幅が25bpという「ファイン・チューニング」的な金利調整が主流となってきました。市場参加者からみれば、日米の金融政策運営の予測可能性が極めて高い異例な局面が続いていました。しかし、グローバルにインフレ懸念が静かに広がったため、リスク・アセット(主要国の社債・新興成長国の株式など)に投資する際、リスク・プレミアムが上昇したと思われますが、これは自然ともいえます。

 これに対して、9~10月の金融市場では、国際的な投資マネーが、「リスク度の高い資産」から、「より安定的と判断される資産」へシフトしたと判断されます。第一に、投機性の増しているアングロサクソンの住宅市場や国際商品市場から、流動性の高い米国債など主要国の国債への資金シフト、が発生しました。第二に、主要国の株式市場への資金シフト、その中でも、「市場規模が大きく、価格の透明性と流動性が高く、広範な投資機会の提供による期待リターンが高い」と判断される米国の株式市場のブルーチップ銘柄に投資マネーが流入しました。第三に、通貨の選別という意味では、地政学的リスクの影響を受けにくいドルへの資金シフト、が発生しました。最近の国際的なマネー・フローの動きは、投資家による「積極的な『質』の選択」が、大規模に行われていると捉えるべきだと思います。

 金融市場では、「質への逃避」という向きもあります。もちろん、(1)投資のリスク度が高いかどうか、(2)割安かどうか、(3)流動性は潤沢かどうか、という観点とも不可分の関係にあるかもしれませんが、市場参加者が「投資する価値の見出せる『金融資産』へ集中的にリスクマネーを配分している」と思われます。すなわち、「Global Risk Reduction」と言われた5月~6月のような消極的な投資ではなく、世界中に潤沢な投資マネーがあふれる中、積極的な「『質』への投資」が発生していると受け止めるべきだと思います。

 10月の米国株式市場では、原油価格下落を起因としたインフレ懸念の後退、長期金利低下に加え、企業業績への期待を背景に、ブルーチップを中心に全般的に買い優勢の展開となりました。ダウ工業株30種平均は連日のように史上最高値を更新し、11月に入っても1万2千ドル程度を維持しています。ナスダック総合指数も10月下旬から、堅調な展開をみせています。わが国の株式市場でも、大型株や国際優良銘柄が買われる一方、新興3市場はまだ下げ止っていません。投資する株式銘柄に対する選好をみると、米国株式市場と似ており、「『質』への投資」の動きは地域的な広がりをみせてきました。11月に入って、米国株式相場は小幅な調整を受けていますが、決算期末を控えた益出し売りが主因と見込まれます。

 10月中旬以降の米国株式相場上昇の背景には、(1)「経済のグローバル化」が進展し、米国経済のみに依存しない世界的な経済構造になったため、米国以外の景気が好調なときに米国経済だけが景気後退に陥る可能性が後退したこと、(2)グローバリゼーションに最も対応したビジネス・モデルを構築した米国企業は、好調な世界経済の恩恵を最も享受できると同時に、米国企業の業績は、米国経済よりも世界経済との連動性が強まってきたこと、(3)米ドルが基軸通貨、準備通貨であり、米国市場の流動性が最も高いため、世界の金融市場で投資をしたい魅力的な金融市場として「米国」が選択されたこと、(4)主要国の金融政策運営に対する信頼感が高まり、世界的に長期金利が安定していること、などを指摘できます。言い換えると、今回の株式相場について、過去の米国景気の減速局面でもあった、「米国経済のソフト・ランディングを先取りした株価上昇」という議論とは若干色彩が異なると思います。

 わが国政府も、日本を代表する企業の収益力や国際競争力を高める上で税制改正を含めたバックアップ体制をとらないと、海外マネーが日本市場を素通りして他の東アジア市場に向かう、「Japan Passing」という笑えない状況が発生するリスクも否定できないと思います。これは、私の持論でもあるのですが、「経済のグローバル化」、「経済のサービス化」、「少子・高齢化」が不可避な中、金融サービス業を強化しないと、わが国の生産性は高まらず、潜在成長率や国際競争力が低下傾向をたどる可能性が高いと思います。

 もっとも、株式市場については、今後を考えると、いくつか注意すべき点があります。第一に、FRBの金融緩和期待で米国の長期金利は低下しましたが、米財務省証券のイールドカーブの修正が一巡すれば、一部の資金は株式市場から債券市場にシフトする可能性があることです。第二に、株式市場は従来、リスク度の高い資産の代表的存在としてみられてきたように、優良企業の収益の予想外な下方修正、新たな地政学的リスクなど外的ショックの発生があれば、利益確定のための売却が出てくる可能性が高いことです。第三に、投資マネーは、優良銘柄の選別的投資を行っているのであって、株式市場全体に強気であるとはいえないことです。例えば、日経平均がまずまずの動きをする中、新興3市場が年初来安値更新を続ける事実が物語っています。第四に、投資マネーは現在、「よりボラタリティーの低い資産」を選好していますが、このまま株式相場が上昇傾向を続ければ、株式市場への資金集中が新たなボラタリティーの誕生の遠因となる可能性があるということです。

 金融市場では、経済ファンダメンタルズや金融政策の見通しに関する情報の共有化が進んでいます。市場参加者は、(1)国際的な資金フローの変化、(2)金融市場の新しいテーマ、に関してアンテナを高くしておかなければ、投資リターンを上げ難くなってきたと思います。

(ヘッジファンドの影響力)

 主要国の金融当局は、ここ数年のヘッジファンドとクレジット・デリバティブ市場の急拡大が、グローバルな金融市場に与える影響をウォッチしています。ヘッジファンドは、(1)年金資金の委託運用を取り込み、低レバレッジ・低ボラティリティーで、インデックス並のリターンを目指すタイプ、(2)高レバレッジ・高リスクのポジション・メイクによって高い超過リターン(α)を追求するタイプ、に二極化する傾向が見え始めました。主要国の金融当局が注視しているのは後者のタイプです。特に、最近、多くのヘッジファンドが誕生する一方、退出・破綻するヘッジファンドの比率が高まっています。金融当局が、長期間にわたって超過リターンが実現できるかについて、懐疑的になるのも仕方がない面があります。

 もっとも、NY連銀のガイトナー総裁は最近の講演で、ヘッジファンドは金融市場に流動性を供給することで金融システムの安定に寄与していると判断しており、金融システムの安定性を重視するがゆえに金融の効率性が損なわれることは望ましくない旨コメントしています。具体的には、「金融監督政策の根本的な課題は、金融の効率性と安定性のバランスを最適に保つことである。重大な金融危機が生じる確率をゼロに抑えこむことは、効率性を過度に阻害するおそれがあり、適切な目標でない。ダイナミックかつ効率的な金融システム下では、脆弱性はある程度まで必要であり、不可避でもある」としています。

 また、「近年、ヘッジファンド等、規制対象外の金融機関のプレゼンスが拡大している。リスクの移転やヘッジ等、幅広い取引機会を提供する彼らの存在は、金融システムの安定性や実体経済の成長力を高める方向に寄与していると思われる。もっとも、彼らの高いレバレッジ体質は、ショックの影響を増幅する性質を併せもっている点に注意が必要である。金融監督当局は、大規模な金融機関の引当て政策、カウンターパーティー・リスクの管理に対して、従来以上に注意を払う必要がある」と発言しています。

 ブッシュ政権は、2002年に制定されたSarbanes-Oxley法による規制強化に対する批判もあって、ヘッジファンド規制を強化することに慎重な姿勢をみせています。米国の金融当局はクレジット・デリバティブ市場や民間金融機関に対するモニタリングを強化することで、ヘッジファンド業界をウォッチしていくことになると思われます。

4.今後の金融政策運営について

 日本銀行は、本年3月に公表した「新たな金融政策運営の枠組み」に沿って、「中長期的な物価安定の理解」を念頭に置いた上で、経済・物価情勢について2つの「柱」による点検を行い、先行きの金融政策運営の考え方を整理することにしています。

 4月の展望レポートでは、「先行きの金融政策の運営方針については、上述の2つの「柱」に基づく点検の結果、現時点では、無担保コールレートを概ねゼロ%とする期間の後も、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと判断している。そうしたプロセスを経ながら、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことになると考える」と総括しました。そして、この考え方に沿って、7月14日にゼロ金利を解除しました。

 10月の展望レポートでは、「先行きの金融政策の運営方針については、上述の2つの『柱』に基づく点検の結果、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えられる」と総括しました。

 先行きの金融政策の運営方針について、(1)コアCPIインフレ率に偏重せず、あらゆる経済・物価指標を注視する「Data Dependence」で行うこと、(2)先を見て早めに政策を微調整するというフォワード・ルッキングな金融政策運営を行うこと、(3)経済・物価情勢が展望レポートの見通しに沿って展開していくと見込まれるのであれば、政策金利水準の調整については、経済・物価情勢の変化に応じて徐々に行うことになること、という基本的な考え方に変化がないことを読み取っていただきたいと思います。

 今後の金融政策においては、「金利水準の調整をどのように行っていくか」は悩ましい問題です。個人的には、4月の展望レポートの中間評価を行った7月時点との比較でみると、企業収益改善や設備投資計画の上方修正を受けて、景気拡大の持続性については自信を深めています。その一方で、(1)今ひとつ冴えない個人消費関連指標、(2)前年比上昇率がゼロ近辺で推移する所定内賃金、はインフレ圧力の高まりを示唆していないと判断しています。また、ゼロ金利解除後、地方銀行は貸出金利引上げに向けて企業に説得することに難航しているように、わが国全体でみると、資金需要は高まっていないこと、都市と地方の経済格差が拡大していること、も理解しています。

 一方、経済のグローバル化が主要国の経済・物価に与える影響については、もはや主要国のディスインフレを保証しないとの見解がFRB・コーン副議長やBOE・キング総裁等によって紹介されています。今年前半までの原油価格や国際商品市況の高騰、中国における賃金などコスト上昇分を輸出価格に転嫁する動き等をみると、中国やインドが世界経済に組み込まれることが、主要国の物価安定を保証すると考えるべきでないと思います。

 追加利上げについては、「年内かどうか」などタイミングを事前に決めて、それにこだわるものではありません。今回の展望レポートで、4月に示した「経済・物価情勢の見通し」に全体として概ね沿って推移しており、先行きの経済のメカニズムについても総じて変化がないことを示しました。すなわち、年末にかけて個々の指標が弱い数字になったとしても、それが一時的な振れによるものであり、日本銀行の「経済・物価情勢の見通し」が実現する蓋然性は引き続き高いと判断されるのであれば、徐々に金利水準の調整を行うことが適切です。経済・物価情勢にかかわらず、金利水準の調整に必要以上に慎重なスタンスを続けることは「フォワード・ルッキングな金融政策」と矛盾することになりかねません。

 最近、「日本銀行はフォワード・ルッキングな金融政策運営を行うことを宣言したのであるから、経済・物価情勢が全体として概ね見通しに沿って推移しているならば、金利の正常化を粛々と行うべきである」との意見を頂戴することが少なくありません。

 円は調達コストの低さから、短期的なキャリートレードのための「借り入れ通貨(ファンディング・カレンシー)として活用されて世界中の資産価格を押し上げる要因になっているという指摘があります。わが国と諸外国との金利差拡大を背景とした対主要通貨での円安進行に対して欧州諸国の一部から批判が出ていることも認識しています。日本銀行による超低金利政策が、国際的な資金フローに決定的な影響を与えているとは思っていませんが、欧米主要国が「金融政策の正常化」が最終局面にあるなか、日本銀行の政策金利引上げがサプライズと判断された場合、わが国のみならず、世界の金融市場のボラティリティーを高めるリスクがあるため、「市場との対話」は益々重要になってくると思います。主要国の中央銀行はそれぞれ、「Communication Policy」はどうあるべきか、という重要な課題に取り組んでいますが、日本銀行としても、引き続き、こうした課題に取り組んでいきたいと思います。

 他方、市場参加者からは、インフレ圧力が高まる兆しがみえない中、「金融政策の正常化」を急ぐ必要はないとの声も多く聞かれます。10月の展望レポートでも「景気拡大の長期化にもかかわらず、生産性の上昇が継続し、賃金の上昇が遅れる場合には、物価が上昇しにくい状態が続くことも考えられる」と記述しています。しかし、生産性上昇によって潜在成長率が上昇すれば、「供給面からは、物価の押し下げ要因となる一方、需要面からは、所得見通しの改善や期待収益率の高まりによる支出の増大を通じて物価の押し上げ要因となり得る」ため、(1)潜在成長率が上昇する過程において設備投資に過熱感が出る可能性があること、(2)いわゆる中立的な金利水準が上昇することから、中長期的には、「経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行う」ことが適当であるとの判断になります。

 日本銀行は、持続的な景気拡大を目指して金融政策運営に努めています。10月の展望レポートでも、「例えば、仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く続く継続するという期待が定着するような場合には、金融行動・投資活動などを通じて、中長期的にみて、経済活動の振幅が大きくなり、ひいては物価上昇率も大きく変動するリスクは意識する必要がある」というフレーズが盛り込まれています。

 今後のマクロ経済政策運営において、財政出動の余地は事実上ない状況が続きます。そのため、景気サイクルの振幅を小さくするためには、ファイン・チューニング的な金融政策運営が不可欠になります。すなわち、金融政策の機動性は、経済と金融システムが正常化する中、今後さらに重要性が高まっていきます。

 経済・物価情勢の見通しにある程度自信がもてるような状況では、政策金利の修正を行っておいた方が良いと思います。ただ、わが国では金融政策の発動余地を残すために、金利の調整の必要性について議論すると、よく「のりしろ論」といった批判を頂くことがありますが、私が申し上げたいのは、単に「先行き政策金利を下げる余地を作るためだけに、今政策金利を上げる」ということではありません。申し上げたいことは、「フォワード・ルッキングな視点から経済・物価情勢に見合った政策金利水準の調整を適時適切に行っていくことが、結局は先行きのマクロ政策の対応余地を広げることにもつながる」ということです。

 極端な金融政策を続けることで先行きの経済の変動を大きくし、経済が大きく下に振れた段階で金融・財政政策の双方で対応余地がなくなるといった状況を生じさせてしまうと─バブル崩壊時には、まさにこうした状況を経験してしまった訳ですが─、中長期的な日本経済の発展にとっても、結局はマイナスとなるように思います。

 言い換えると、「わが国の景気回復の持続性を高めるためには、いつまでもゆっくりとした金利調整でよいのか?」ということです。個人的には、インフレ期待、あるいは、資産価格バブル発生のリスクが実際に高まってきた場合、金利調整のペースの修正は相当大幅なものになる可能性があると思っています。

 今後については、市場参加者とできる限り、「金利観」を共有し、サプライズを与えない金融政策運営を行うべきだと思います。その際には、以下の2つを念頭に置く必要があります。第一は、ゼロ金利解除後、地方銀行を中心に、貸出金利引上げに向けて企業に説得することに難航していることは、わが国全体でみると、資金需要が強まっていないことです。第二は、欧米主要国が「金融政策の正常化」が最終局面にあるなか、日本銀行の政策金利引上げがサプライズと判断された場合、わが国のみならず、世界の金融市場のボラティリティーを高めるリスクがあることです。当面はゆっくりとしたペースで金利調整を行った方が良いと考えています。

5.まとめ

 FRBは今回の金利引き上げ局面において17回、累計で4.25%の利上げを実施しています。一方、ECBについては、金融市場では、少なくとももう2回(年内にもう1回、来年1~3月に少なくとも1回)の追加利上げを実施し、政策金利は3.75%か、それ以上まで上昇するとの見方が有力です。一方、日本銀行は今年7月にゼロ金利解除に踏み切ったに過ぎません。

 このように、FRBは「金融政策の正常化」の最終局面、ECBはその後半の局面、わが国はその初期段階に過ぎません。しかし、3つの中央銀行の金融政策の局面が異なるにもかかわらず、(1)国際資本移動の活発化、(2)主要国の中央銀行の物価安定に対する信認の高まり、(3)各国の金融市場間の裁定取引の活発化などから、日米欧の金融市場の連動性が強まりやすくなっています。

 主要国の長期金利については、各国が現実に「金融政策の正常化」を行うと、むしろ低下するといった現象がみられています。これは、各国経済に対する見方の変化ということもあるでしょうが、各国が経済情勢に対応した適切な利上げ措置をとったことにより、インフレ期待が抑制されているという面もあろうかと思います。このことを踏まえても、「長期金利の上昇抑制」といった期待から中央銀行の政策運営を制約することは、長い目でみて決してプラスにはならないと思います。

 米国景気減速を受けたわが国の景気悲観論から長期金利が低下する展開が続くようであるならば、将来的に長期金利の振幅を大きくするリスクを抱えこむことになるかもしれません。債券相場の連動性が薄れるタイミング、そのきっかけについてウォッチしていきたいと思っています。もっとも、米国の住宅市場の減速が、景気後退につながるほど深刻なものになる確率はゼロではありません。日米のファンダメンタルズに予想外に大きな変化がみえるかどうか、について、今後の経済指標を点検していく必要があることは言うまでもありません。

 ご清聴、ありがとうございました。

以上