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東京経営者協会における水野審議委員講演要旨

2006年12月5日
日本銀行

目次

  1. 1.わが国の経済・物価情勢
  2. 2.世界経済の見通し
  3. 3.人口動態の変化がマクロ経済に与える影響
  4. 4.金融政策運営の展望
  5. 5.まとめに代えて

 本日は、東京経営者協会において講演の機会を与えていただき、大変光栄に思います。本日の講演では、わが国の経済・物価情勢を概観した後、来年にかけて、また、更に先行きの日本経済を見通すうえで、私が重要だと考えているポイントのうち、時間の限りもありますので2点に絞ってご紹介いたします。具体的には、世界経済の見通しおよび人口動態の変化がマクロ経済に与える影響について申し上げます。いずれも非常に難しいテーマですが、私なりの見解を述べさせていただきたいと思います。そして、金融政策運営の展望についても簡単に触れたいと思います。

1.わが国の経済・物価情勢

 わが国経済は緩やかに拡大していると評価しています。今回の景気拡大局面は2002年1月から始まり今年11月で58か月連続となり、高度成長期の「いざなぎ景気」を超えて戦後最長となったとされています。日本銀行は、10月末に「経済・物価情勢の展望(2006年10月)」(以下、展望レポート)を公表しましたが、その中では先行き─展望レポートの対象期間である2007年度まで─についても、息の長い拡大を続けると判断しております。

 一方で、景気拡大の実感に乏しいという声が聞かれており、その背景には、好調な企業部門の回復が、家計部門に今ひとつ波及していないことがあると思われます。先程の展望レポートの中でも、そうしたもどかしさを「これまでのところ、企業部門は幾分強め、家計部門は幾分弱めとなっているが、全体として概ね見通しに沿って推移している」と表現しています。

 皆様の業界や会社では景気判断の目安としている指標等があると思いますが、私が育った金融市場でも敏感に反応しやすい指標があります。現在の金融市場では、(1)米国経済、(2)個人消費、(3)鉱工業生産、(4)コアCPI(に影響を与える賃金)、(5)貸出動向に対して反応しやすい状況にあるようです。このうち、米国経済については後で詳しく述べますので、ここでは、日本国内の項目である個人消費、鉱工業生産、賃金、貸出動向について簡単に触れたいと思います。

個人消費

 個人消費関連統計は、家計調査など需要面から捉えた指標をみると、弱い動きが続いています。7~9月期の実質消費支出(全世帯)は季調済前期比-2.8%、前年同期比-3.9%と、4~6月期のそれぞれ+0.6%、-1.5%から悪化しました。10月はそれぞれ+4.1%、-2.4%でした。また、7~9月期の実質GDPの個人消費は、季調済前期比-0.7%と民間エコノミスト等による事前予想どおりマイナスになりました。

 一方、7~9月期の販売統計をみると、全国百貨店売上高は季調済前期比+0.9%(4~6月期は同-1.8%)とプラスに転じ、全国スーパー売上高も同+0.3%と幾分増加する展開になっています。それ以外では、乗用車新車販売台数は冴えない動きが続いていますが、家電販売の7~9月期は前年同期比+10.9%と2桁増のレベルを維持しているほか、外食売上高、旅行取扱額などサービス関連消費は引き続き好調です。ただ、暖冬という新たな天候要因等によって、先行きの販売統計が下振れるリスクについては留意する必要があると考えています。

 個人消費は、増加基調にあると判断されますが、個人消費関連統計に表れている温度差については、今後慎重に分析を深めていく必要があると思います。

鉱工業生産

 10月の鉱工業生産指数は、季調済前月比+1.6%と9月の同-0.7%から反発しました。9月の指数の発表時点では、10月・11月の予測指数はそれぞれ同-0.2%、同+0.5%と弱めの数字でしたが、10月は予測指数を大幅に上回りました。また、11月・12月の予測指数はそれぞれ同+2.7%、同+0.1%となり、10月の指数と併せてみると、10~12月期は、季調済前期比+3.7%と非常に強い数字になりますが、経営者の方からお話を聞く限り、先行きの生産を予測するうえではそうした強過ぎる数字は多少割り引いてみる必要があるようです。

 一部では、電子部品・デバイスの出荷・在庫バランスが今月更に悪化したことを理由に「わが国景気が踊り場に入る可能性は否定できない」との見方があります。しかし、10月の電子部品・デバイス生産の実現率は+3.9%、11月の予測修正率は+7.3%と大幅に改善しています。東アジア諸国でIT部門の在庫調整が深刻であったのはむしろ4~6月期で、最近では楽観的な見方をするメーカーが多いとも聞きます。こうした点から、電子部品・デバイスの在庫増加は、国内携帯電話とゲーム機器向きの生産調整という一時的な要因によるところが大きいのではないかと判断されます。また、米国のクリスマス商戦の出足は好調なようです。液晶テレビやプラズマテレビが売れ筋商品になっていることも、わが国のIT関連企業の生産動向にポジティブに影響すると見込まれます。

賃金

 賃金の見通しはコアCPIを予測するために重要なものの一つです。これまでのところ賃金上昇率が極めて緩やかなものにとどまっていることは、今後のコアCPIの前年比上昇率のテンポが緩やかなものになる可能性を示唆していると考えられます。

 家計部門で賃金全体が緩やかな伸びにとどまっているのは、企業が人件費抑制という慎重な経営姿勢を堅持していることなどが理由だと思います。

 先行きについては、時間当たり賃金はパートタイマーや派遣社員の時給など限界的な労働市場においては相当高まってきており、人手不足感が強い状況がさらに持続すれば、企業は賃金を引上げないで望ましい人材を確保することができなくなると思われます。現時点で、労働需給がタイト化しても賃金上昇率が低いのは、時間的なラグに過ぎない可能性はあります。

 ただし、賃金上昇率が高まらない理由として、いくつかの仮説を念頭に置いておくことも重要です。例えば、国際競争力の維持や売上高経常利益率の引上げ等のほか、年功序列的な給与体系から能力・成果に応じた給与体系へのシフトから、企業部門の総人件費抑制の姿勢は強く維持されている結果、労働分配率がさらに低下しているという仮説が考えられます。高齢化社会に入る中、企業は定年退職後の人材を現役時代の6~7割の年収で再雇用する動きをみせています。労働市場における企業サイドの立場が労働者よりも構造的・制度的に強くなった可能性もあります。そのような見方が正しいならば、失業率がさらに低下しても、賃金がなかなか上昇してこない可能性があると考えられます。こうした仮説の検証も含めて、今後、賃金の動きについてはよくみていくことが必要だと思っています。

 別の観点からは、賃金上昇率が緩やかな上昇に止まっていることは、短期的には個人消費の増加テンポを鈍くする一方、中長期的には多少の外的ショックに耐えられる財務体質となる余裕を企業に与えるため、景気の持続的な回復にはポジティブに作用する面もあると言えます。

貸出動向

 10月の銀行貸出残高(特殊要因調整後)は、前年同月比+2.1%と9月の同+2.3%に比べてプラス幅が若干縮小しました。貸出残高は、昨年半ばに前年比プラスに転じ、今年夏ごろまで伸び率を高めていましたが、夏場以降は伸び率の上昇が一段落しています。金融機関へのミクロ・ヒアリングでも、大企業などの資金需要に「中弛み感」があることが窺われます。その背景としては、景気の変調というよりも、企業の潤沢なキャッシュフローや、国際商品価格の下落に伴う運転資金の減少などを指摘する先が多いです。本行が10月23日に公表した主要銀行貸出動向アンケート調査をみても、企業全体でみた資金需要判断DIはプラス幅が縮小していますが、企業規模別に分けてみたDIは中小企業を中心にプラス幅が拡大しています。このことを踏まえても、資金需要は引き続き堅調とみられます。もっとも、資金需要の「中弛み感」は、最近のマクロ経済指標が示す景気拡大のモメンタムの鈍化とも整合性がとれるだけに、銀行貸出残高の動きには注意していきたいと思います。

2.世界経済の見通し

 世界経済は、全体的に堅調な拡大をみせています。9月のIMFの世界経済見通しによれば、世界全体の実質GDP成長率は、2006年+5.1%、2007年+4.9%と、4月時点の予測からそれぞれ+0.3%、+0.2%の上方修正になっています。内訳をみると、米国の成長率が4月時点よりも下振れたにもかかわらず、新興成長国の成長率が上振れたため、世界経済全体としては上方修正されています。この見通しが実現したならば、世界経済は、2004年から来年にかけて、4年連続で+5%前後という極めて稀な高成長が達成されることになります。以下では、地域別にみた注目点を紹介したいと思います。

米国

 米国経済については、金融市場では、実質GDP成長率が一時的に潜在成長率を下回ることがあっても、景気拡大を続けるという「ソフトランディング・シナリオ」が有力です。この「米国経済はソフトランディングするのか」という点について多少仔細に説明したいと思います。

 7~9月期の実質GDPは、季調済前期比年率+2.2%と4~6月期の同+2.6%から減速しました。7~9月期の住宅投資は同-18.0%(実質GDP全体に対する寄与度は同-1.2%)と4~6月期の同-11.1%(同-0.7%)から悪化しましたが、個人消費や設備投資の寄与度はそれぞれ同+2.0%、同+1.0%と前期のそれぞれ同+1.8%、同+0.5%を上回りました。

 住宅投資は恐らく、来年前半にかけて減少が続くことが予想されますが、米国経済の見通しにとって最も重要な点は、住宅市場動向そのものではなく、住宅市場の減速が個人消費にどこまで悪影響を与えるかです。この点に関しては、少なくとも、最近の中古住宅価格の下落によって個人消費が大きく減速したことは統計上確認できません。米国の消費者にとっては、過去数年にわたって上昇してきた住宅価格の上昇率の鈍化や若干の下落は大きなサプライズではないはずです。住宅市場の減速によって消費支出行動を大きく変化させる必要も強く感じていないと見込まれます。米国の家計部門は、最近の株価上昇など金融資産の含み益増加、長期金利低下を受けた各種ローン金利低下、ガソリン等エネルギー価格の下落もあって、全体的にみれば資産効果が個人消費にポジティブに作用すると予想されます。

 また、以下のように、景気が堅調に推移するとの見通しをサポートする経済指標が少なくありません。第一に、雇用情勢が大方の予想以上に底堅いことです。10月の米雇用統計によれば、10月の失業率は4.4%と2001年5月以来の低水準となりました。失業率は7月の4.8%をピークに、8月から3か月連続で改善しています。第二に、家計の所得が良好なことです。7~9月期の実質可処分所得は前期比+0.9%、前年同期比+3.9%となっています。10月の時間当たり賃金は前月比+0.4%(前年同月比+3.9%)と9月の前月比+0.2%から加速しました。第三に、消費者マインドが改善傾向をみせていることです。この背景には、雇用拡大の持続に加え、最近のガソリン価格下落、モーゲージ金利の低下は、家計部門にとって減税と同じような効果をもたらし、個人消費を下支えしていることを示唆しています。第四に、住宅の販売件数に底打ち感がみえ始めたことです。10月の米中古住宅販売件数は年率624万戸(9月は同621万戸)と7か月ぶりに前月比で増加しました。10月の新築販売件数は前月比-3.2%の年率100.4万戸でしたが、7月の同97.9万戸を底に安定してきました。10月の在庫比率は7か月と9月の6.7か月を上回りましたが、直近ピークの7月の7.2か月は下回っています。第五に、住宅価格下落が家計の住宅購入意欲を刺激していることです。10月の一戸建て中古住宅価格(メディアン)は22.1万ドル、前年同月比-3.5%と3か月連続でマイナスとなった一方、週次の購入目的モーゲージ申請指数には底打ち感が出てきました。第六に、一部の悲観的な見方に反して、今年の米国のクリスマス商戦は非常に順調な滑り出しとなったことです。こうした点を踏まえると、個人的には、住宅市場の減速が加速した8~9月時点に比べ、米国経済の先行き不透明感は小さくなったと考えています。

 企業部門に目を転じると、S&P500対象企業の7~9月期のEPS(11月7日現在)は前年比+22.9%と、4~6月期の同+18.7%を上回り、引き続き堅調な伸びとなりました。業種別EPS成長率をみると、素材、金融、通信サービス、エネルギーなど幅広い業種で高い伸びとなり、全業種でプラスとなりました。アナリストの事前予想との比較では、素材以外の全ての業種で予想を上回りました。

 一般的に、景気拡大局面が進捗するにつれ、企業収益の伸びは名目GDP成長率に収斂するパターンとなります。しかし、米国経済は現在、景気循環の減速局面にもかかわらず、企業収益は依然前年比二桁の伸びを維持しています。米国企業はいわゆる「レガシー・コスト」や福利厚生費の抑制に努めているため、利益率も高い状況が続き、設備投資が景気の牽引役となっています。米国の7~9月期の実質GDPが前期比年率+2.2%と、マクロ経済は減速が明確になっていることを考えると、米国の企業業績の好調さは驚きです。

 この背景として、製造業・非製造業ともにグローバリゼーションの恩恵を最も享受できているのが、米国企業であり、世界の経済成長率見通しの上方修正は、米国企業の業績見通しの上方修正につながりやすいことがあると思っています。

ユーロ圏

 ユーロ圏経済は、堅調に推移しています。ユーロ圏の10月のM3は前年同月比+8.5%(9月は同+8.5%)、民間向け銀行貸出も同+11.2%(9月は同+11.4%)と高い伸びを続けています。

 欧州委員会は、11月6日、定例の秋季経済見通しを発表しました。新しい実質GDP見通しは、2006年+2.6%(前回見通し+2.1%)、2007年+2.1%(同+1.8%)、そして今回初めて公表された2008年予測は+2.2%でした。欧州中央銀行(ECB)による現時点のユーロ圏の実質GDP成長率の予測は、2006年+2.5%、2007年+2.1%ですが、金融市場では、12月に公表されるECBスタッフによる景気・物価見通しが上方修正され、来年1~3月期も金融引き締めが継続するとの見方が強まっているようです。

 ドイツでは、輸出のみならず、設備投資や住宅投資にわたる裾野の広い回復を達成し、景気回復の恩恵は労働市場にも波及してきています。構造改革への取組みが課題でしたが、ドイツの労働生産性は上昇し、ドイツ企業の国際競争力は高まってきました。労働組合も賃金交渉でリーズナブルな要求をみせており、ドイツの単位当たり労働コストは抑制されたものになりそうです。

新興成長国

 世界経済の先行きを議論する際には、益々中国やインドをはじめとした新興成長国を含めずに語れなくなっています。2005年時点の世界のGDPに占めるウエイトをみると、先進国29か国が52.3%(うち米国は20.1%、EUは14.8%、わが国は6.4%)である一方、BRICsを含むその他の新興成長国は47.7%まで拡大しています。IMFによる2006年の実質GDP成長率予測では、先進国が+3.1%、その他の新興成長国が+7.3%です。世界全体の経済成長率+5.1%への寄与度では、新興成長国が+3.5%と先進国の+1.6%を上回っています。

 2007年のBRICsにおける実質GDP成長率予測は、ブラジル+4.0%、ロシア+6.5%、中国+10.0%、インド+7.3%となっています。来年にかけて、BRICs諸国をはじめとする新興成長国が世界経済の牽引役になる構図がさらに鮮明となりそうです。

 本邦企業は、新興成長国の経済拡大の恩恵を受けています。米国は引き続き日本にとって最大の輸出相手国ですが、2005年の通関輸出額に占めるウエイトは4分の1以下まで低下しています。一方、中国を含む東アジア地域の比率は46.7%、中国単独でも13.5%まで上昇しています。東アジア地域が世界の成長センターになると同時に、本邦企業は東アジア諸国との戦略的関係構築に成功を収め、グローバルなサプライチェーン・ネットワークを拡大させてきました。中国は、「世界の工場」から「所得上昇による消費拡大に伴う輸入大国」へと位置付けが変化しつつあります。

 その中国経済は、実質GDPが10%成長を続けていますが、中国当局では、固定資産投資と輸出が主導する景気拡大から、個人消費が主導する景気拡大にシフトする必要があるとの認識を持っています。今後の政策課題としては、(1)都市部において不動産バブルを発生させない、(2)貿易黒字を際限なく拡大させない、(3)金利と預金準備率の引上げに加え、人民元の緩やかな切り上げをうまく組み合わせて景気過熱を抑制する、(4)エネルギーの使用効率向上など環境対策に取り組む、(5)人口高齢化に備えて医療制度など社会保障改革を進めること、が指摘できます。

 かつては、「中国が世界にデフレを輸出している」と言われましたが、中国では、最低賃金の引上げ、公務員の賃上げが相次いでおり、中国製品の流入が主要国の物価安定に寄与する効果は減退しつつあります。中国政府による農村政策の強化もあり、農村部から都市部への労働者の移入速度が低下し、都市部の賃金に上昇圧力がかかりやすくなっています。また、不動産価格についても、広範囲で上昇しています。これらは、中国の輸出品の価格に上昇圧力をかける要因です。このように、賃金の上昇等を受けて、中国のインフレ率がいずれ加速する可能性が指摘されます。ただし、中国国内では景気過熱やインフレ警戒的な声は意外なほどに多くありません。その理由としては、(1)多くの製品は供給過剰状態にあり、大幅な値上がりが予想されるような状況にない、(2)人々は将来に備えて貯蓄する傾向があるため、若干賃金が上昇しても人々は消費を増やさないため、インフレにつながりにくい、ということが指摘されています。

 世界経済全体にとっての先行きのリスクは、(1)保護主義色の台頭、(2)「金融政策の正常化」の遅れに伴う主要国におけるインフレの加速、(3)主要国における不動産価格の急騰、(4)グローバル・インバランスの拡大、(5)金融市場の不安定化といえそうです。

 主要国の中央銀行は、「経済のグローバル化が主要国の経済・物価情勢に与える影響」を再評価し、世界全体のGDPに占めるBRICsをはじめとする新興成長国のウエイトの増加が主要国のインフレ率や資産価格形成にどのような影響を与えるかについて高い関心をもって研究しています。他方、IMFや世銀など国際機関は、世界経済が好調なうちに、財政再建、構造改革、貿易の自由化、グローバル・インバランスの改善、エネルギーの利用効率の改善、環境対策など、世界全体で取り組む必要があると主張しています。

 経済のグローバル化と新興成長国経済の拡大の結果、第一段階では、国際商品価格の高騰、主要国の最終消費財価格の安定という現象が発生しました。第二段階として、アウト・ソーシングやM&Aの動きが強まり、グローバリゼーションの影響は非製造業にも広がり始めました。第三に、新興成長国は目覚しい経済成長の結果、家計の可処分所得が増加し、その輸入品目が、資本財から消費財へと変化をみせています。

3.人口動態の変化がマクロ経済に与える影響

世界的な潮流

 人口動態の変化は、グローバルに、これまでにないスピードと規模で発生しています。

 まず、歴史的かつ長期的な予測に基づく人口動態の変化を眺めてみたいと思います。研究者による文献によると1、世界の人口、人口増加率(年間)、平均寿命(Life Expectancy at Birth)および高齢者(65歳超)の人口ウエイトは、歴史的に以下の変化を遂げて、また将来遂げると予測されています。

  • 世界の人口は、1900年に16.5億人であったが、2000年には60.7億人に達した。更に2100年には94.6億人まで増加する。
  • 年間の増加率は、1900年に0.56%であったが、2000年に1.22%と伸びたが、2100年には0.04%まで低下する。この間の動きについて、先進国と発展途上国で比較すると、発展途上国は世界全体とほぼ一致して推移しているが、先進国は1950年にピークをつけた後、急速に低下し、2020年にはマイナス(人口減少)となり、2050年頃には-0.5%近辺までマイナス幅を拡大する。
  • 平均寿命は、1900年に30歳だったが、2000年は65歳となり、2100年には81歳となる。
  • 高齢者の人口ウエイトは、1900年に4%(1700年から変化していない)、2000年は7%、2100年には21%となる。

 この研究文献から窺える人口動態の変化に対しては、ご存知のとおり、各国で対策が立てられています。米国を除く主要国では、今後、人口の減少や人口増加率の鈍化が見込まれています。わが国はその中で最も早く人口減少に転じましたが、イタリア、韓国も人口増加率の鈍化が深刻です。イタリアは退職年齢の引上げ・インフレ連動債の導入、合計特殊出生率が1.08まで低下している韓国は、年金改革に取り組んでいます。米国でも、労働力人口のトレンド伸び率鈍化による潜在成長率の下方修正、ヒスパニック系中心に急増する移民問題に対する政治的対応など、人口動態の問題への関心が高まっています。

 G6諸国(米国、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の平均寿命は、群を抜いて高く、この傾向は今後さらに強まると見込まれています。合計特殊出生率をみると、米国のみが2045~2050年時点で2倍を超えています。専門家によれば、合計特殊出生率が2.1倍を超えないと、人口は減少します。また、全人口のメディアンの年齢を比べると、わが国は1970年時点では6か国中最も低かったですが、現在は最も高い国になっています。現時点でメディアンの年齢が低いのは米国、イギリス、フランスであり、この傾向はさらに強まると予想されます。2050年時点では、最も全人口のメディアンの年齢が低い米国に比べ、最も高くなる日本とイタリアの格差は15歳にも達するという専門家の見通しにあります。ただ、2050年時点の労働力人口のメディアンの年齢を比べると、最も高齢のわが国と最も年齢が低い米国の格差は5歳程度に過ぎません。

 人口動態の変化に伴う就業者数減少への対応策として、高齢者・女性の労働参加率の引上げ、出生率を高める環境整備、移民の受け入れなどが考えられます。ただ、移民の受け入れ問題は、諸外国の例をみても、政治的にどのように対応すべきか困難な問題です。国際労働機関のデータで、国民1,000人に対する純移民数をみると、過去50年間にG6のうち、ドイツとフランスの純移民数はピーク・アウトする一方、米国とイギリスは増加傾向を続けて、米国は現在4名程度です。そのなか、わが国の国民1,000人に対する純移民数はゼロ~1名未満と、著しく低い状況が続いています。

 人口高齢化への対応は、主要国だけの問題ではなく、中国、ロシア、メキシコ、ブラジル、インドなど新興成長国にとっても重要な政策課題です。中国は「一人っ子政策」の影響もあり、今後10~15年程度をかけて急速に高齢化と労働力人口の伸び率鈍化が進むと予想されています。地方の低所得者向けの医療保険制度の整備に伴う財政負担増加が予想される中、社会保障制度のあり方について早急に対応を打ち出す必要に迫られています。メキシコは、移民による人口流出に歯止めをかける対策に取り組んでいます。合計特殊出生率、メディアンの労働力人口、高齢者の従属人口比率など人口動態の変化の観点からは、中国とロシアは、今後20年以内に人口が減少し始めると言われています。メキシコ、ブラジル、インドに比べて早い段階から対応が必要だと思われます。ブラジル、ロシア、インド、中国の4か国はBRICsと呼ばれ、新興成長国の代表とみなされています。例えば、インド、中国が世界のGDPに占めるウエイトは、2001年の各5.4%、12.3%から、2030年の各9.6%、18.4%まで上昇するとの予測もあります2。しかし、(1)年金・医療保険など社会保障制度、インフラ整備、金融システム面での対応を怠った場合、(2)高成長期に予想される所得格差拡大への政治的対応を誤った場合、世界のGDPに占めるBRICs諸国のウエイト上昇が大方の予想よりも早く止まってしまう可能性もあります。

 わが国は、主要国の中で、平均余齢が最も高く、合計特殊出生率は1.26(2005年)と最も低いグループ(韓国は1.08)、現役世代の負担感を示す従属人口比率(14歳以下と65歳以上人口が総人口に占める割合)は最も高いグループに属しています。総人口は、政府の当初見通しよりも2年早く、2005年から減少に転じました。もっとも、わが国は、出生率低下や長寿化に直面していますが、世界保健機構によれば、健康保険制度は世界で最も整備されています。また、人口動態の変化が、社会保障制度、労働市場、家計貯蓄率、経済成長にどのような影響を持つかについて、少子・高齢化のスピードが速い諸外国に比べて、真剣に議論されています。年金・社会保障制度の将来のあり方などについて、具体的な対応策が検討されています。

  1. 以下の記述は次の文献から引用しています。Ronald Lee (2003) “The Demographic Transition: Three centuries of Fundamental Change”, Journal of Economic Perspectives, 17
  2. Stanley Fischer “The new global economic geography”, revised version of a speech by Professor Stanley Fischer, Governor of the Bank of Israel, presented at the Federal Reserve Bank of Kansas City Conference on The New Economic Geography, Jackson Hole, Wyoming, 25-26 August 2006を参照。

人口動態の変化が及ぼす影響

 人口動態の変化は、中長期的のみならず、短期的にも、経済活動や資産価格に影響を与えています。特に、経済のグローバル化が進展する中、人口動態の変化は、資産価格、インフレ圧力、経常収支、家計の消費行動などにも影響を与えています。

 具体的には、まず、資産価格への影響を考えると、人口の高齢化により年金資産が積み増される局面では、「負債対応投資(LDI;ライアビリティ・ドリブン・インベストメント)」、すなわち、年金債務とマッチングされることを基本とする資産ポートフォリオを構築する必要上、運用資産としての超長期国債ニーズが増えます。その時点では、国債イールドカーブのフラットニング圧力が高まるとみられます。もっとも、そうした中でも、社会保障制度改革や財政再建のメドがたたない場合、長期的には円相場の調整、長期金利の上昇といった展開も想定されます。そのような最悪な事態も念頭におけば、(1)長期金利が低い現在から超長期国債の発行を思い切って増額させる、(2)将来のインフレリスクに対応したインフレ連動国債の発行額を増額させるなど、国債発行計画の大胆な見直しも必要かもしれません。EU諸国では、人口高齢化の対応として、インフレ連動国債に加え、長寿リスクに対するlongevity bondの発行も検討されています。

 また、株式投資については、65歳以上の高齢者数が増えると株式市場からの資金流出が増える一方、人口ピラミッドに占める45~54歳の年代層が多い国では、株式市場からの資金流出が減少するという関係があることが知られています。高齢化の進展度合いによって、国民の資産保有状況や流動性制約が異なります。

 インフレ圧力の影響についても考えてみます。人口動態は、単純には、供給面からは、生産年齢人口の減少(増大)はインフレを押し上げる(押し下げる)方向への圧力、需要面からは、人口増加(減少)はインフレを押し上げる(押し下げる)方向への圧力と考えられます。1980年以降は、主要国では出生率が総じて低下傾向となったため、ディスインフレをもたらした要因の一つと考えられます。そして、1990年代以降は、多くの中央銀行がインフレ・ターゲット政策の導入を含め、インフレ抑制姿勢を鮮明にしたため、主要国のインフレ率はさらに安定化しています。賃金が低い発展途上国の台頭も、主要国のインフレ圧力の抑制に寄与しました。ただ、2004年以降、先進国と人口動態が異なる発展途上国が高い経済成長を達成し、かつ、世界全体に占めるGDPのウエイトも増加しているため、主要国のインフレ率の決定要因は複雑になってきました。

 高齢化に伴い、貯蓄率は低下するという「ライフサイクル仮説」は有名ですが、様々な研究によれば、それが有意に当てはまるのはアジア諸国で、先進国では貯蓄率と高齢化の相関関係はかなり弱いという結果があります。実際、米国は先進国中で高齢化が最も遅れていますが、貯蓄率は過去20年間強で10%程度も低下し、現在ゼロ近辺で推移しています。非労働力人口が増加すれば、わが国全体の貯蓄率が低下するため、経常収支が悪化し、将来的には経常赤字国に転落するリスクもあります。

 わが国では、2007年から、1947年~1949年生まれのベビーブーム世代である「団塊世代」が満60歳という定年退職の年齢に到達します。一部は再就職するものの、それが企業収益、個人消費、貯蓄率、社会保障制度に与える影響は深刻な問題です。

 団塊世代の退職が企業部門に与える影響としては、(1)年功序列型の賃金体系が残っているわが国では企業の総人件費の抑制に寄与する、(2)団塊世代の就業者数が3割程度といわれる素材業種では、総人件費抑制効果は特に大きい、(3)退職金給付引当や確定給付型の企業年金を採用している企業のうち、その対応が遅れている企業では、現役世代の負担増加になる、(4)従業員の人員構成の変動を予測できにくいことに気づいた企業から、確定拠出型年金制度に移行する、(5)医療・介護・福祉・保険など高齢化社会に不可欠なサービス産業はビジネス拡大の好機となる、といったことが予想されます。

 人口動態の変化は、各世代間の消費性向や消費構造を変化させ、個人消費の見通しを困難にすると思われます。人口高齢化に伴い、旅行・健康・医療・介護等への消費ニーズが高まり、消費構造のサービス化が進むことが予想されます。サービス消費は、(1)財の消費に比べて景気との連動性が小さく、(2)可処分所得や雇用者所得の動きと個人消費に連動性が薄れると見込まれます。また、インターネットを活用したオンライン・ショッピングなどの普及は、消費する場所が変化するなど、消費構造を大きく変化させています。そのため、人口動態の変化とインターネット社会の到来は、既存の個人消費関連統計では消費動向を正確につかめなくなるリスクがあります。

 このほか、人口の減少と高齢化の進展が、長期的にわが国の潜在成長率に与える影響について分析しておくことは重要です。

潜在成長率との関係

 潜在成長率は短期的に変化するものではありませんが、中長期的には変化します。FRBのバーナンキ議長が11月28日の講演で、「人口動態要因で労働力人口のトレンドの伸び率が鈍化するため、労働生産性が高い伸びを維持したとしても今後数年間、潜在成長率は鈍化する見通しである」とコメントしています。

 潜在成長率が上昇するには、労働投入量、資本蓄積、技術革新による生産性上昇、のいずれかが必要です。少子・高齢化など人口動態的な要因が大きな転換点にあるわが国においては、全要素生産性を引上げない限り、潜在成長率は低下します。また、人口高齢化に伴う家計の消費・貯蓄行動の変化、金融資産に対する投資リスク許容度の変化、労働市場における熟練労働者不足など、人口動態の変化は、経済構造を変化させる要因です。わが国の総人口は2005年から減少に転じました。

 一国経済の生活水準を決定するのは、労働者一人当たりの産出量です。これを持続的に高めるには、資本蓄積と技術進歩が必要となります。経済全体の生産性を高めるためには、構造改革を進め、規制を撤廃し、経済への公的介入をできるだけ小さくして、民間の経済活動を活性化する環境整備を目指すことが適切です。具体的には、(1)競争原理や市場メカニズムを活用して企業の参入と退出を促し、経済資源を成長性・将来性の低い企業やビジネスから解放し、成長の期待できる企業へとシフトさせること、(2)規制改革等で競争を促すことで、製造業に比べて生産性が低いサービス産業の生産性を高めること、(3)生産性上昇率が低い規制業種、成長の期待できない分野に対する保護政策の縮小・廃止を進めること、(4)労働市場の効率化、人材の流動化・多様化によって、生産性の低い分野から高い分野に労働者をシフトさせること、(5)企業経営者も、事業の「選択と集中」を徹底し、必要ならば、不採算分野からの撤退やM&Aを実施すること、が適切と思われます。

 わが国の総人口は、2005年に戦後初めて減少に転じました。他の主要国に比べて、わが国は、総人口の減少、少子・高齢化の進展、巨額な財政赤字という経済成長の制約要因が多いといえます。合計特殊出生率をみると、EUは1.41、イギリスは1.7、米国は2.07と、わが国の1.26がいかに低いかおわかりになると思います。また、わが国は世界一の長寿国であり、大胆な制度改革を行わない限り、医療費・社会保障関連支出の自然増が予想されます。

 そのため、(1)イノベーション、(2)労働市場の効率化、(3)「オープン」な経済の構築、(4)規制改革、を推進しても、経済政策によって生産性を向上するには相当時間がかかるという覚悟が必要だと思います。わが国が高い資本収益率を維持して、海外から資本(貯蓄)を取り込む必要があります。

 「イノベーションによる生産性向上」を目指すマクロ経済政策は、「民間主導による効率的な経済資源の配分」を促します。イノベーションには、技術革新と社会制度改革の2つがありますが、基本的には、民間企業が「主」で、政府部門が「従」の関係にあると思います。

 また、政府は、自らが掲げる経済政策について、「民間の努力に依存する部分が多く、その効果が現れるまでかなり時間を要する可能性がある」、「どのような経路で経済成長率は上昇するのか」、「その具体的なステップはどのようなものか」について、国民に十分説明しておく必要があるように思います。個人的には以下の点がポイントになるのではないかと思います。

  • わが国のような成熟経済では、潜在成長率を引上げるために相当の時間とエネルギーを要すること。また、移民政策の見直しなど労働力人口減少や高齢化に歯止めをかける抜本的な対応が打ち出されない限り、「人口動態の変化」は、長期的には潜在成長率を押し下げる方向に働くこと。
  • 経済的な格差拡大は、わが国だけの現象ではなく、先進国では程度の差こそあれ、拡大する傾向にあるが、サプライサイド強化策は、一般的に、経済的格差を拡大させる方向に働きやすいこと。
  • 努力した人や企業が報われるような抜本的な税制改正を含め、「資本主義的な発想」で経済政策を行わないと、強い企業や優秀な人材が海外へ流出し、国力は低下するリスクがあること。
  • ヒト、モノ、資本、情報という経営資源が瞬時に世界的に移動する「スピードの経済」の下、自由貿易を促進する「オープンな国づくり」を進める過程では、わが国の国際競争力を高めるため、海外からの直接投資を増加させるインフラ整備や社会制度設計を行う必要があること。
  • 国際競争が激化する中、資本集約的な産業は先進国に残るものの、労働集約的な産業は賃金水準の低い国や地域にシフトしやすいこと。

 地域的にわが国の人口動態をみると、人口流入が続く東京など都市圏、人口流入に加えて出生率が高い沖縄を除くその他の地域、すなわち、北海道、東北、北陸、中国、四国、九州などの地域では既に人口は減少し始め、今後も人口の減少傾向が続くと予想されます。今回の景気回復局面において、地域によって拡大テンポにばらつきがある背景には、「人口動態の変化」の影響は軽視できないと思います。

 日本銀行は、支店長会議等を通じて、中小企業や地域経済の実情を十分に把握し、それらも念頭におきながら、金融政策運営を行っています。個人的な見解ですが、地域間・個人間の経済格差が広がる傾向が強まる中、金融政策変更の影響が各経済主体に与える影響がさらに異なってくるため、さらにきめ細かい情報収集が必要になってくると考えています。

 今後も都心部と地方の人口格差は広がるため、経済的格差が拡大しやすいといえます。各地方自治体は、国への財政支援が期待しにくい中、(1)企業や工場の誘致により若者の流出に歯止めをかける、(2)出生県を転出した高齢者に定年退職後に「Uターン」を促すなど、人口減少のスピードを緩和する努力が期待されるところです。

 個人的には、都心部と地方の人口格差の拡大、巨額な政府債務残高に直面するわが国は、政策次第では、地域間格差や所得格差を拡大するリスクがあると考えています。資本収益率の高い都市部において資本蓄積が行われ、雇用機会が創出されることは経済合理的であるため、都心部と地方という地域間格差は更に広がりやすいことが指摘できると思います。いずれにせよ、イノベーションによって潜在成長率が高まって、経済全体のパイが膨むことが地方の経済向上に必要なことであると思います。

 前述したように、潜在成長率を引上げるには相当長い時間が必要です。一方、日本銀行の展望レポートで念頭においている期間は、せいぜい1年半~2年程度です。政府がイノベーションによる生産性向上を目指すといっても、その効果が顕在化するまで2年以上も要するということであれば、それぞれが政策運営で念頭に置いている期間が異なっていることは指摘できると思います。

 生産性向上による潜在成長率の上昇と金融政策運営の関係については、10月の展望レポートでも簡潔にまとめています。すなわち、「景気拡大の長期化にもかかわらず、生産性の上昇が継続し、賃金の上昇が遅れる場合には、物価が上昇しにくい状態が続くことも考えられる」ため、当面は辛抱強く緩和的な金融環境を維持することができます。一方、生産性上昇によって潜在成長率が上昇すれば、「供給面からは、物価の押し下げ要因となる一方、需要面からは、所得見通しの改善や期待収益率の高まりによる支出の増大を通じて物価の押し上げ要因となり得る」ため、(1)潜在成長率が上昇する過程において設備投資に過熱感が出る可能性があること、(2)いわゆる中立的な金利水準が上昇することから、中長期的には、「経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行う」ことが適当であるとの判断になります。

 もっとも、金融政策が実体経済に影響を与えるまで時間的なラグがあるため、金融政策の最大の利点である迅速性を活かすために、経済指標だけでなく、あらゆる情報を注視しながら、いつでも動ける構えで準備しておくのも日本銀行の役割だと思います。日本銀行の金融政策の目的は、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することです。この目的を達成するために、日本銀行は適切な金融政策運営に努めています。金融政策は、基本的には、景気循環の局面に応じて変化することが適切です。

4.金融政策運営の展望

 11月18日に、オーストラリアのメルボルンで、今年で7回目となる「20か国財務相・中央銀行総裁会議(G20)」が開催されました。G20には日米欧など7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)メンバーに加え、中国、韓国、インドネシア、オーストラリア、ロシア、インド、サウジアラビア、トルコ、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、欧州連合(EU)議長国の20か国の財務相と中央銀行総裁が出席しました。G20に参加した20か国で世界のGDPの8割を占めます。

 G20のコミュニケの冒頭部分は、「G20諸国は引き続き力強い成長を続け、4年連続で過去の平均成長率を上回っている。世界経済の先行き見通しは明るいが、過去数年の高い成長率に比べると若干の減速が見込まれる。力強い成長とインフレ抑制を実現するためには、為替レートの柔軟性と構造改革を確保しつつ、金融・財政政策の不断の調整が重要」など、目新しさはありませんでした。しかし、金融市場の一部は、「潜在的なインフレ圧力に対抗するため、多くのG20諸国で現在進行中の金融政策の正常化を継続する必要がある」という部分に注目しました。

 11月18日から20日にかけて開催されたG20やBIS中央銀行総裁会議に参加した中央銀行は、経済面では、世界経済は極めて安定した景気拡大をみせており、来年も世界経済は好調を続ける公算が高いという印象をシェアできたようです。国際決済銀行(BIS)の中央銀行総裁会議の終了後、ECBのトリシェ総裁は、世界経済の見通しについて「来年の成長は今年よりもやや減速する」と示した上で、「インフレリスクが今も強く続いており、それらが経済成長を阻害させないことで一致した」とコメントしています。仮に来年も世界経済が高い成長率を達成するならば、潜在的なリスクとしては、(1)一時的に落ち着いている原油価格などエネルギー価格が再び高騰するリスク、(2)インフレ圧力の上昇、(3)金融市場の予想外の変動、などを注意しておく必要があると思われます。

 金融市場の一部には、国際機関や中央銀行の来年の世界経済見通しは楽観的過ぎるのではないかとの見方もあります。また、(1)米国経済のソフトランディング・シナリオが崩れた場合、世界の株式市場が大幅な調整を受けるリスク、(2)主要国の中央銀行が金融政策の正常化を続けるなか、世界的な低金利とsearch for yieldという金融環境が大きく変化するリスク、(3)世界的に自動車・携帯電話・鉄鋼などの在庫調整が生じるリスク、を指摘する向きもあります。これらリスクが顕現化し、金融市場に想定外の調整が生じる可能性は現時点では高くないと考えていますが、注意を要するリスクであるため、ウォッチしていきたいと思います。

 世界の金融市場をみると、潤沢な流動性、あるいは、「カネ余り」の状況が更に強まってきました。東アジア諸国を中心に莫大な規模に膨れあがった外貨準備は総額5兆ドル程度です。中国の外貨準備は急増しており、1兆ドルを超えています。国際分散投資を進める年金資金はOECD加盟国だけで17.9兆ドル(2005年)まで膨らんでいます。原油価格高騰で運用資金が膨らんだ「ペトロ・マネー」は、ロンドン市場を通じた米国の金融資産購入のみならず、最近ではマレーシアやシンガポールを拠点として東アジアの不動産・株式投資も投資対象にし始めたといわれています。ヘッジファンドの運用資金は総額1.3兆ドル程度にまで達した模様です。わが国の個人マネーも、「貯蓄から投資へ」の流れのなか、外貨建て金融資産の購入を増やしています。

 最近の金融市場では、年金資金と外貨準備の資金フローの変化が話題になることが増えています。どちらの資金も本来は保守的な性格ですが、(1)その運用資産の規模が巨額になったこと、(2)グローバルな資金シフトのスピードが非常に高まり、主要国の債券・株式市場の連動性がさらに高まったこと、などから、結果として、世界の金融市場の価格形成に少なからず影響を与えています。過去数か月の為替相場については、「主要国およびエマージング諸国を含めてこれだけ為替レートが世界的に安定していた状況は、過去にはなかったのではないか?」と思われるほど、落ち着いた動きをみせています。しかし、来年については、(1)金融市場では、ECBは来年に入ってからも追加利上げに踏み切るとの見方が有力ですが、ドイツでのVAT(付加価値税)の税率引き上げが景気に悪影響を与える影響を過小評価していないか、(2)中国は、金融システムの安定が確保できれば、貿易黒字が急拡大するなか、人民元の切り上げペースを若干加速させるより柔軟な為替政策にシフトする可能性があるが、対外不均衡を是正するには不十分であるため、東アジア通貨全体に対して政治的に切り上げを求める圧力が強まることはないか、(3)来年に入って、米国の景気回復力が予想を上回る一方、ユーロ圏の景気回復力が事前予想よりも弱かった場合、外為市場でユーロ相場が乱高下するリスクはないか、など、外為市場参加者にとって予断を許さないテーマが少なくありません。

 主要国の長期金利については、各国が現実に「金融政策の正常化」を行うと、むしろ低下するといった現象がみられています。これは、各国経済に対する見方の変化ということもあるでしょうが、(1)各国が経済情勢に対応した適切な金融引き締め措置をとったことにより、インフレ期待が抑制されているため、金利のターム・プレミアムが縮小していること、(2)米国では、労働生産性の伸び率低下等を受けて潜在成長率が若干低下したとの見方が出てきたこと、(3)世界的な貯蓄余剰となっていること、(4)欧州を中心に、人口動態の変化や会計制度の変更を踏まえて長期・超長期債のニーズが高まっていること、という面もあろうかと思います。

 言い換えると、主要国における長期金利の低位安定は構造的な側面もあると言えるかもしれません。金融市場では、国債イールドカーブのフラット化や長短金利の逆転現象をもって、景気後退のシグナルであると判断する見方は少なくなってきたように思います。長期金利低下は金融緩和と同じ効果があるため、主要国の中央銀行は、仮に足許の経済指標が弱めでも様子見を続ける余裕をもった対応ができるというメリットがある一方、債券市場が発するシグナルを読み取るための努力は以前よりも容易でなくなってきたともいえます。

 最近の金融市場は、グローバルに潤沢な流動性によって安定がもたらされている面があるため、その流動性の動き次第で大幅に変動する可能性には留意する必要があります。また、(1)巨大化するクレジット・デリバティブ市場の最終的なリスクは誰がとっているのか、(2)商業用不動産への資金流入が一段と拡大していないか、(3)一件当たりの規模が巨大化しているプライベート・エクイティ・ファンド市場で予想外な混乱が生じることがないか、等を注意してみていきたいと思います。

 わが国は量的緩和政策を解除して、「金融政策の正常化」の初期段階にあるにすぎません。米国と日本の比較の面では、米国において債券市場や株式市場が総じてみると安定的に推移してきた背景には、景気のダウンサイドリスクが高まった場合でも金融政策の機動性が確保されていることへの安心感があるとの指摘もあります。政策金利がいわゆる中立金利の近傍か、それよりも高いところにある米国と、将来的に低金利の副作用を警戒する必要がある0.25%という極めて低い水準にある現状では、追加利上げに踏み切るかどうかのハードルは異なることが自然です。

 仮に遠くない将来、日本銀行が政策金利の引き上げに踏み切るには、先行きを見通した場合に展望レポートの見通しに沿って推移していくことにある程度自信を持てることが必要です。最近の経済指標は、冴えないものが少なくありませんが、全ての経済指標が力強いものとならなければ、政策金利を引き上げることができない訳ではありません。緩やかな景気拡大の下では、経済・物価指標が強弱まだらになることは致し方ない面があります。

 もちろん、景気のベクトルが右肩下がりになる、すなわち、景気が踊り場に入った後に景気後退局面に入る蓋然性が高いと判断されるような状況判断ならば、金融政策は現状維持が適切だと思います。ただ、現時点では、そのような状況にはありません。また、(1)デフレに逆戻りするようなことはない、(2)個人消費は、緩やかな回復に止まっているが、増加していくという見通しを変えるほどの弱さではない、(3)労働需給が逼迫するなか、所定内給与を含め名目賃金はいずれ上昇圧力がかかってくると見込まれる、(4)日銀当座預金残高は所要準備とほぼ同じ水準で推移するなど短期金融市場の機能は相当回復してきたこと、などについては、日本銀行と市場参加者との間でシェアできる見解ではないでしょうか。

 いずれにせよ、今後発表される新しい経済指標を精査し、10月の「展望レポート」で示した先行きの「経済・物価情勢の見通し」における前提や経済のメカニズム通りに展開しているかどうか、しっかりと点検していきたいと思います。

5.まとめに代えて

 日本銀行、FRB、欧州中央銀行は、(1)(その時点の状況を前提とした条件付きながら)政策見通しをオープンにすること、(2)フォワード・ルッキング・ラングレッジを声明文に盛り込むこと、が有効であるという認識を共有しています。しかし、最適な情報開示の水準は、状況に応じて変化します。すなわち、中央銀行自身が今後の金融政策運営について「経済データ次第(Data Dependence)」、あるいは、「オープンである」と判断している際は、政策金利の見通しについて明確な情報発信を行うことは不適切になります。

 日本銀行にとっても、金融政策の透明性を高めるために、「市場の誤解を防ぎつつ、いかに政策運営スタンスを適切に情報発信していくか?」は、重要なテーマです。

 中央銀行による情報発信が誤解なく消化される保証はありません。そのため、政策見通しの開示をよりオープンに行うことは、(1)市場の情報消化力に対する懸念、(2)政策環境による開示の有効性の変化、などリスクを伴う部分もあります。

 「市場との対話」は、主要国の中央銀行に共通する課題ですが、日本では、金利をターゲットとした金融政策に回帰してから日が浅いこともあり、対話のあり方を模索している段階にあると思います。したがって、現時点においては、中央銀行と市場の双方で粘り強く対話努力を続けることが重要であるということを中間評価としたいと思います。

 わが国は、事前に関係者間で意見調整をし、できるだけ全員一致で物事を決定する「コンセンサス重視」の社会・政治風土です。そのため、将来の経済・金融情勢を展望して、フォワード・ルッキングに政策を決定するメカニズムは馴染みくい面があると言われることがあります。

 「先を見て早めに政策を微調整」するという「フォワード・ルッキングな金融政策運営」の実現に成功するための秘訣はありませんが、(1)適切な経済・物価見通しという高いトラック・レコードを残すことで金融政策運営に対する信認を高める、(2)グローバルな経済・金融情勢に関する情報収集能力を高めて、説明責任を十二分に果たす、ことが必要であると覚悟しています。

 経済情勢の変化に応じて臨機応変に政策対応を行わないと、資産価格バブルや経済・金融市場の振幅が大きくなることを丁寧かつ繰り返し情報発信していくしかありません。また、金融市場は、経済実体から離れて常にオーバーシュートしやすいものです。中央銀行としては、この乖離度合がどの程度か的確に測ることができるかどうかというセンスも要求されます。

 「変化の時代」、「スピードの経済」と言われる中、景気・物価の先行き見通しをはじめ、諸々の不透明な経済・金融事象を織り込む市場との対話は重要です。将来が不確実なゆえに、金融市場ではオーバーシュートやその揺り戻しが生じると思われます。そうした中では、「市場との対話」は金融政策運営における有用なツールとなります。中央銀行の考え方に対する理解を深めてもらうため、情報発信の頻度を増やし、丁寧に考え方を説明していくことも必要であると思います。

 主要国の中央銀行は最近、(1)金融政策の透明性を高めること、(2)市場にサプライズを与えないように政策変更は徐々に行う「漸進主義的なアプローチ」を採用することなど、共通点は少なくありません。日本銀行は現在、「金融政策の正常化」を進めるプロセスにあります。日本銀行として、また個人的にも、「金融政策に関する対外コミュニケーションのあり方」について、今後とも研究を続けることをお約束して、本日の講演を終わらせていただきたいと思います。

 ご清聴、ありがとうございました。

以上