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リテール金融の課題と展望

「金融リテール戦略2006」における岩田副総裁講演

2006年12月7日
日本銀行

目次

  1. はじめに
  2. 1.わが国金融システムの現状とリテール金融
  3. 2.リテール金融拡大のインプリケーション
  4. 3.リテール金融の更なる発展に向けての課題
  5. 4.おわりに
  6. 参照文献

(はじめに)

 日本銀行の岩田でございます。今回、「リテール金融」という、大変拡がりと奥行きのあるテーマにつきまして、このように金融サービスに携わる多くの方々の前でお話をする機会を頂き、誠に光栄に存じます。

 この会合でこれからお話をされる方々の幅広い顔ぶれを拝見しても、「リテール金融」が、情報通信技術の応用や、金融の枠を超えた広範な産業との連携など、大きな発展の可能性を持つ分野であることが窺えるように思います。さらに、成熟期を迎えた日本経済が、今後多様なサービスを効率的に提供する金融センターを構築していく上で、リテール金融の発展は重要な意味を持つと考えられます。

 本日は、わが国におけるリテール金融の現状と、リテール金融が今後飛躍を遂げていく上での課題と展望につきまして、私の考えを申し述べさせて頂きたいと思います。

1.わが国金融システムの現状とリテール金融

 最初に、わが国のリテール金融の現状につきまして、金融システムの動向との関連も踏まえながら、私の見方を簡単に申し上げたいと思います。

バブル崩壊後の金融システムとリテール金融面での制約

 バブル崩壊後の金融システムの動向を振り返りますと、深刻な不良債権問題の中、金融機関にとっては、不良債権処理や経営のリストラを最優先せざるを得ない状況が長らく続きました。こうした下で、ホールセール業務や国際業務と同様、リテール業務の面でも、新たな領域の開拓という面では多くの課題が積み残されざるを得なかったように思います。

 すなわち、金融機関は、大きな資本制約に直面する中、まずは信用リスクやリスクアセットの抑制を優先せざるを得ませんでした。このため、信用リスクが相対的に高めとなりやすい先への与信開拓はむしろ制約され、例えば中小企業向けの銀行貸出は大幅な減少をみることになりました。加えて、金融機関の経営リストラは、人的資源の制約という面からも、リテール金融の積極的な展開を制約したように思います。

 また、金融システム不安の下で、家計の安全資産選好が強く、流動性預金は大きく増加しましたが、株価も下落傾向を辿る中にあって、リスク性商品をリテール戦略のコアとして位置付けていくことはなかなか難しく、預金に付随するサービスを積極的に拡充していくことも困難な状況が続きました。

新たな局面を迎えた金融システムとリテール金融

 しかしながら、金融システムが不良債権問題を概ね克服し、全体として安定性を回復する中、リテール金融を取り巻く環境も大きく変化しています。

 すなわち、現在金融機関は、余裕の生じた資本をいかに活用し収益性を高めていくかを、次なる課題として意識するようになっています。加えて、内外でリテール金融の取組みを促す方向でのさまざまな動きが生じています。

(1)世界的なリテール金融重視の潮流

 まず、先進各国の多くの金融機関は現在、リテール金融分野を、先行きの収益基盤を確保していく上で有望な分野と捉え、グローバル・レベルで積極的な取組みを進めています。

 この背景としては、資本市場の発達や企業の情報開示の強化が進むもとで、従来型の大企業向け貸出に高い収益を期待することが一段と困難になっている中、リテール金融では相対的に金融機関の情報・ノウハウ面等での顧客に対する優位性が大きく、それだけに収益機会も大きいと捉えられていることが指摘できましょう。

(2)日本経済の成熟化と新たな金融ニーズの発生

 第二に、日本経済が成熟化の段階に入り、人々のライフスタイルも多様化する中で、リテール金融サービスに対するさまざまな新しいニーズが生じていることが挙げられます。

 家計の資産蓄積が進む中、2003年春以降は株価が回復基調を辿っていることもあって、「貯蓄から投資へ」といった言葉に象徴されるように、投資信託などリスク性商品への需要が新たに生じています。さらに、消費行動の多様化やクレジットカードの普及に伴い、カードローンなどの需要も生まれています。医療・介護・相続関連など、高齢化社会の進展に伴う新たな金融サービスへのニーズも高まっています。さらに、高齢化社会の下では、資産の蓄積のみならず資産の取り崩しプロセスに関連する金融サービスに対する新たなニーズが生れています。例えば、日本の家計の退職時の富にしめる住宅資産の割合は、アメリカよりも5割程度高い状況にあります。

 「資産を保有していても現金収入の少ない」高齢者にとって、この住宅資産を活用出来る市場が発展することは重要です。アメリカでは、貧しい家計が保有する住宅資産の減耗に対する保険を付ける「ホーム・エクイティ・コンバージョン・モーゲージ」を政府が提供したこともあって、リバース・モーゲージが2001−2004年に5倍に拡大しています。また、オーストラリアでもリバース・モーゲージと介護サービスを組み合わせたり、証券化する試みがなされています1

  1. 住宅資産のほかに年金資産の取り崩しに関連した金融商品の提供も考えられます。アメリカのフロリダ州では確定拠出年金に「バイバック・オプション」を付けることによって確定給付年金に転換することが可能になっています。

(3)情報技術革新と金融面への応用

 第三に、情報通信技術−いわゆるIT−の急速な発達が、リテール金融の可能性を飛躍的に拡大させていることが挙げられます。アメリカにおいて、金融サービス業は、ソフトウエアを含むIT投資・付加価値比率がもっとも高い産業のひとつになっています(Berger(2003))。この会合のサブタイトルが正に示すように、リテール金融とITとは、今や切っても切れない関係にあると言えます。

 例えば、中小企業向け貸出や個人ローンなどのリテール向け貸出では、顧客数が膨大なため、顧客情報の審査・管理にコストが嵩むといった問題がありました。しかし、ITの発達により情報の処理・分析を行うインフラが飛躍的に進歩した結果、従来は実現が困難であったようなローン商品やサービスの提供が可能になっています。さらに、情報処理インフラの発達の下では、こうした膨大なデータは、使い方次第で「宝の山」となり、これらのデータを新しい商品開発などに活かしていくことが可能になっています。日本の金融部門のIT資本ストック・総資本ストック比率は、アメリカよりも高い状況にあります。しかし、IT資本を効率的に活用するためにはソフト面での投資や人的資本に対する投資を行うことによって知識資本、組織資本を蓄積することも重要です。情報処理インフラを活用することによって、金融機関の「バック・オフィス」における生産性が向上し、その結果として貸出費用が低下し、リテール向け貸出市場が豊かに発展することになります。加えて「フロント・オフィス」におけるデリバリーチャネルという面でも、ITの発展により、インターネットや携帯電話など、リテール金融への応用の余地が大きい新しい供給チャネルが次々と誕生しています。

(4)規制緩和の進展

 第四に、リテール金融を取り巻く制度面での変化も指摘できます。

 近年、金融産業の中での業態間の垣根を低くしたり、金融業とその他の産業との間でのシナジーの活用をより広く認めていく方向での規制緩和が、先進各国で進められてきています。わが国でも、銀行による投信や保険の販売解禁といった規制緩和の下、金融機関が取り扱うことのできる金融商品の範囲が拡がっています。さらに、「金融コングロマリット」の形成や金融機関と事業法人との業種を越えた提携なども行われています。これらを通じて、金融機関が顧客に対し、より幅広いサービスを提供していくことが可能となっています2

 また、わが国では従来、家計への貯蓄手段や住宅ローンの提供、中小企業向け貸出などの面で、公的金融がかなりのシェアを占めてきましたが、こうした公的金融部門についても、近年、大規模な改革が進められています。これも、民間金融機関にとって、リテール金融分野でのビジネス・チャンスを拡大するものと言えましょう。

  1. 2金融コングロマリットの設立によるシナジー効果として「範囲の経済」と「リスク分散効果」があげられます。また、金融サービスの消費者にとっては、「ワンストップ・ショッピング」が可能になります。前多・永田(2006年)による欧州の金融コングロマリットに関する研究によれば、規模の経済は観察されるものの、範囲の経済は観察されていません。

リテール金融面での新たな息吹き

 このような環境変化のもとで、金融機関は現在、リテールビジネスの再構築に積極的に取り組むようになっており、わが国におけるリテール金融発展の芽は着実に育ちつつあります。以下では、足許でみられている具体的な動きを、いくつか取り上げたいと思います。

 まず与信面では、民間金融機関による住宅ローンが大きく増加しています。銀行貸出に占める住宅ローンのウエイトをみても、90年代には1割程度でしたが、現在ではこれが4分の1程度まで高まってきています。

 来年4月に独立法人化が予定されている住宅金融公庫は数年前から住宅ローンの残高を減少させており、これに伴い民間のビジネス・チャンスが拡がっています。こうしたもとで各金融機関は、当初の返済負担を軽減するローンや、住宅金融公庫との連携や証券化スキームを活用した長期固定金利ローンなど品揃えの強化、さらにはインターネットの活用などを通じて、住宅ローン需要の取込みにしのぎを削っています。このように、新しい住宅金融サービスへのニーズと、これを金融機関が積極的にサポートしていく動きとが相まって、民間住宅ローン市場全体の拡大に結び付いています。

 また最近では、金融機関が、中小企業や家計向けの小口与信を積極的にビジネス・モデル化していく動きもみられています。こうした例としては、クレジット・スコアリング・モデルという統計的な審査手法を通じて審査期間を短縮する無担保ビジネスローンの提供や、消費者金融会社等との提携などを通じた消費者ローン市場の開拓が挙げられます。この背景としては、不良債権問題の次の経営課題として与信の大口集中リスクの是正が意識される中、ITの発達の下でリテール向け与信の膨大なデータを管理していくこともより容易となり、その小口分散効果を活かす余地が大きくなっていることが指摘できましょう。

 さらに、金融機関は、投信・保険など広範な金融商品の販売や、個人資産の運用サービスへの取組みを積極化させています。例えば、99年に銀行による投資信託の販売が解禁されて以降、銀行の投信販売は大きく増加し、現在では投信販売全体の半分以上を占めるに至っています。

 この背景としては、金融機関が提供できる金融商品・サービス商品の範囲が拡大するもとで、顧客にとっては多様な商品の「ワンストップ・ショッピング」が、また金融機関にとっては、顧客に対し複数の商品を販売する「クロス・セル」や付加価値の高い商品を提供していく「アップセリング」が可能となっていることが挙げられます。さらに、金融機関側が、こうしたフィービジネスを、アセットを拡大させずに収益性を高め得る方策と捉え、取組みを強化していることも指摘できましょう。

 また、ネット・バンキングやネット・ブローキング、モバイル・バンキングなどの拡大にみられるように、金融機関は、インターネットや携帯電話など新しいチャネルを活用したリテール金融サービスの提供を積極化させています。

 このような、ITのリテール金融分野への急速な浸透は、金融産業自体の構造変化や地殻変動をもたらしています。すなわち、金融サービスの供給チャネルの選択肢が拡がるもとで、多くの店舗を持つことは必ずしもリテール金融ビジネスの前提条件ではなくなっており、顧客ニーズに合わせて様々なチャネルを使い分けていくことも可能となっています。実際、現在、ネット専業銀行・証券など新たな形態の金融機関が次々と登場していますし、金融機関が、小売業や運輸通信業など家計とさまざまな繋がりを持つ産業と提携し、これらとのシナジーを活かしながら、電子マネーなど新しいサービスを提供する事例もみられるようになっています。マルチ化する供給チャネルを管理することは、事業部門とIT部門の統合事業であり、マルチチャネル・ITアーキテクチャーの開発によって効率的なオペレーション・プロセスとコスト管理を実現することは、金融機関にとって新たな挑戦と言えます。

2.リテール金融拡大のインプリケーション

 今後わが国においてリテール金融が更なる発展を遂げていくかどうかは、日本経済が持続的な成長を実現していく上でも大きな意味を持つと考えられます。

 すなわち、リテール金融の発展は、金融仲介を通じた効率的な資源配分への寄与を通じて、経済の生産性の向上に繋がることは言うまでもありません。さらに、リテール金融自体、知識集約産業としての側面や情報通信技術の応用の余地などを踏まえれば、成熟化経済の中でも発展が期待できる一つの有望産業であると考えられます。これらの点について、若干申し述べてみたいと思います。

効率的な資源配分を通じた生産性向上への寄与

 まず、リテール金融の発展は、個々の家計や企業にとって最適な資産保有やライフステージ、ビジネス戦略等に見合った支出・借入を可能としたり、支払決済の利便性向上に寄与することになります。これらが経済厚生の向上につながることは言うまでもありません。

 また、これからの人口減少時代の中で、日本経済が持続的な成長を実現していく上では、家計の豊富な金融資産を生産性の高い分野に振り向けていくことを通じて、経済全体としての生産性向上を持続的に実現させていけるかどうかが鍵となります3。とりわけ、成長期待が高い一方でリスクもそれなりに大きいといった成長セクターに対し、リスク・マネーの供給がいかに円滑に行われていくかは重要な課題であり、この面でリテール金融に期待される役割は大きいと考えられます。さらに、グローバルな側面からわが国のリテール金融に期待される役割としては、わが国家計の豊富な貯蓄と、成長性の高いアジアなどの資金需要との間をブリッジすることも挙げられましょう。これを、家計の側からみれば、グローバリゼーションはより効率的な資産運用を可能にすると言えます。

  1. 3人口減少の下で労働生産性を高めるためには、資本深化よりも全要素生産性を高めることの方が重要であることについてはIwata(2004年)を参照して下さい。

ショックに強靭な経済構造への寄与

 さらに、リテール金融の発達は、より効率的なリスク分担の実現を通じて、経済のショックに対する頑健性を高める面もあると考えられます。

 家計の資産運用手段が預金に偏った金融仲介システムの下では、経済に生じるショックは、銀行与信や銀行保有株式の価値変動を通じて銀行部門に集中することになります。また、そうしたショックが銀行資本のバッファーで吸収可能な範囲を超えてしまうと、金融仲介の機能不全を通じて経済の振幅が拡大されてしまうことは、バブル崩壊後の経験が示す通りです。

 この点、——先ほど申し上げた「リスク・マネーの供給」と裏腹ですが——各家計のリスクテイク能力に合わせ、リスク性商品も含めた多様な金融商品が提供されることは、家計が金融商品から得られるリターンを高めるとともに、経済に加わるショックが銀行部門に集中せず、家計部門を含めた幅広い主体によって吸収されることにも繋がります。

金融システム安定および金融機能高度化への寄与

 また、リテール金融の発展は、金融機関経営や金融システムの安定化、さらには、幅広い経済主体の間でのリスクの移転や再配分といった金融機能の高度化にも寄与するものと考えられます。

 経済活動の複雑化や人々のライフスタイルの多様化とともに、リテール金融サービスへの新たなニーズは不断に生まれ続けると考えられます。したがって、そうした顧客ニーズに応える金融サービスへの対価を支払うインセンティブも存在し続けることになります。こうした潜在的なニーズを、金融機関が創意工夫を通じて的確に捉え、自らの収益源に取り込んでいくことができれば、金融機関経営の安定や、ひいては金融システム全体の持続的安定にも寄与すると考えられます。

 さらに、金融機能の高度化という観点からは、例えば住宅ローン債権やクレジット債権は、多数の債権をプールし、ここから様々なリスク・リターンの組み合わせを持つ金融商品を創り出すといった「証券化」に馴染みやすい債権です。米国などの事例をみても、リテール金融の発展がRMBSなど証券化市場の成長を促し、また、そうした証券化市場に支えられてリテール金融が更に拡大していくといった相乗効果が働いています。

3.リテール金融の更なる発展に向けての課題

 このようにわが国においても、リテール金融の発展の芽は着実に育ちつつあるように思いますが、それでは、今後リテール金融が大きな飛躍を遂げていくために何が必要かにつきまして、私の考えを申し述べさせて頂きます。

金融機関の創意工夫を通じた付加価値創造

 まず第一に、各金融機関が様々な顧客ニーズを的確に把握したうえで、自らの創意工夫や強みを活かした商品開発やサービスの提供を行っていく取組みが重要であることは、言うまでもありません。

 リテール金融において顧客が求めるメリットは、低い調達コストや高い運用利回りに限られません。例えば「いつでも、どこでも現金が引き出せる」といった利便性もありますし、さらには、預金を他人に引き出される心配をすることなく安心して預けられるといった堅固なセキュリティも挙げられます。

 さらに、金融資産保有の面でも、単に、家計が幅広い金融商品にアクセスできるといったことに止まらず、各商品の特性を十分に説明して欲しいといったニーズもありましょう。さらには、自らのライフステージなどを踏まえ、どのような資産保有の組み合わせが望ましいのかを、まずアドヴァイスして欲しいといった顧客もいるのではないかと思います。この意味で投資アドバイザーの育成とネットワーク化は重要です。

 一方で、顧客によって金融サービスへのニーズが千差万別であることも、リテール金融の特徴です。すなわち、金融サービスへのアクセス手段としては専ら金融機関の店舗を利用しており、ここで広範な金融サービスを提供して欲しいといった顧客もいるでしょう。一方で、金融機関の店舗に足を運ぶことは少なく、むしろインターネットや携帯電話を通じた金融サービスを強く要望する顧客もいるでしょうし、さらには商業店舗などでの金融サービスの拡充へのニーズなども考えられます。

 したがって金融機関の側でも、必ずしもこれらの要望全てに単独で応えるということではなく、それぞれの長所を活かしたサービスの提供を競い合うとともに、顧客側も自らのニーズに合った金融機関や金融サービスを選択していく、そうした健全な競争とイノベーションを活かしながら、金融システムが全体として国民に対し十分なサービスを提供していくというのが、リテール金融の健全な発展の形ではないかと考えます。

 この点、わが国の金融システムは、今後のリテール金融が更なる飛躍を果たしていく上で、いくつかのアドバンテージを有しているように思います。

 例えば、これからのリテール金融を考える上で、さまざまな面でのITとのシナジーの追求という課題は切り離せません。この点、従来からわが国では、家計による小切手の利用が一般的ではない一方で、普通預金口座を通じた振込・振替や公共料金の自動引落しといった小口決済のインフラやATM網が発達しています。さらに近年では、高付加価値型携帯電話の急速な普及にみられるように、IT技術の国民生活への浸透が広範に進んでいます。これらは、今後のリテール金融の発展にとって、「ベスト・プラクティス」のフロンティアを拡大する基盤となるものと考えられます。

 その一方で、わが国では、バブル崩壊後金融機関がリテール分野に力を割き難い状況が長らく続いたこともあって、リテール金融における未開拓分野も多く残されており、潜在的には大きな発展のポテンシャルが溜まっていると言えるように思います。

 現在、「プライベート・バンキング」の取組みなどにみられるように、わが国の家計部門が保有する多額の金融資産の運用にビジネス・チャンスを見出そうといった動きは、外国金融機関を含め広範にみられています。

 また、わが国では、現時点では家計向けの銀行貸出の殆どが住宅ローンであり、これ以外の与信、例えば消費者ローンやカードローンの規模は、米国などと比べかなり限定的です。もちろんこの背景としては、わが国家計の消費行動の特性などが挙げられますが、わが国の金融機関がこの分野の市場開拓に従来必ずしも積極的ではなかったことも、幾許か寄与しているのではないかと思います4

 顧客数が膨大でニーズの多様性も大きいリテール金融においては、様々な強みを持つ金融機関などが、金融機能の「アンバンドリング」を通じた役割分担を行いながら、サービスを提供していく選択肢も拡がっています。例えば、与信先が多数に上るリテール向け与信において、信用リスクは投資家が分担しながら、サービシング業務は金融機関に残すなど、さまざまなスタイルが考えられましょう。また、証券化やクレジット・デリバティブなどを活用して、貸出商品の組成、ポートフォリオの管理・売買という「クレジット・パイプライン」を通じて新たな価値創出を行うことが可能になっています5

 さらにリテール金融は、単に金融産業の中での金融機能のアンバンドリングやリストラクチャリングに止まらず、金融産業がIT産業や小売業などさまざまな産業との新たなシナジーの追及を通じて、新しい付加価値を生み出していく原動力にもなると考えられます。

 このように、リテール金融の発展の可能性が大きく拡がっている中、各金融機関においては、自らのインフラや顧客との間で培ってきたリレーションシップなど、それぞれの強みを活かすとともに、新しいIT技術なども積極的に取り入れながら、家計などの金融サービスへのニーズに積極的に対応していって頂きたいと思います。

  1. 4日本における消費者金融市場発展の歴史については、堂下(2005年)を参照して下さい。
  2. 5「クレジット・パイプライン」というコンセプトについては、マッキンゼー・リテール・バンキング・プラクティス(2004年)を参照して下さい。

リスク管理の高度化

 また、金融機関には、リテール金融の展開に伴い生じる様々なリスクを適切に管理していくことも求められます。

 例えば、近年急速に拡大し、銀行の貸出ポートフォリオの大きな部分を占めるに至っている住宅ローンは、借入当初はデフォルト率が低く、その後デフォルト率が徐々に増加し、さらに年数が経過するとデフォルト率が再び低下するといった特性を持っています。したがって金融機関は、こうした長期に亘る信用リスクの管理と、これを踏まえた金利設定を行っていく必要があります。

 また、固定金利型のローンでは、金融機関側に金利リスクが発生しますし、変動金利型のローンの場合には、金利の上昇は借り手の返済負担の増加を通じて信用リスクに影響を与えることになります。さらに、市場金利の変動に伴う借換えや期限前返済により、金融機関側が当初想定していたキャッシュフローのパターンが変化する可能性もあります。このように住宅ローンは、信用リスクと金利リスクが絡み合った、リスク構造がかなり複雑な商品であり、金融機関には、こうしたリスクをしっかりと管理していくことが求められます。

 さらに、中小企業向けビジネスローンや消費者ローンは、与信先が多数に亘る上、大企業向け貸出などと比べ、信頼性の高い財務データの取得が困難です。これらのリスク管理について統計的なモデルなどを活用していく場合には、顧客属性の変化を捉えた債務者区分の見直しとともに、モデルのパラメータの見直しなどを適時適切に行っていく必要があります。併せて、信用リスクに見合った貸出金利の設定を行っていくことが重要であることは言うまでもありません6

  1. 61990年代後半以降の中小企業の金融機関からの借入れについては、金利と倒産確率について若干のリードやラグを伴いながらも関連して動いていることから中小企業借入れに関する限りゾンビ企業に対して大量に「追い貸し」が行われたとは言えないとの計測結果が得られています(岩村、渡辺、齋藤(2006年))。

コンプライアンスやセキュリティ面への取組み

 また、先ほど述べたように、リテール金融においては、ホールセール金融と比べ、顧客と金融機関との情報・ノウハウ面での格差が大きいと考えられます。このことは金融機関にとって、収益機会や付加価値創出の余地が大きいことを意味する一方で、顧客への説明など、要請されるコンプライアンスの水準も高まることになります。さらに、金融機関による積極的な情報の提供は、利用者が自らのニーズにあった金融商品や金融機関を選択しやすいようにする観点からも重要だと思います。2000年に制定された「金融商品販売法」や、本年成立した「金融商品取引法」にみられるように、制度や法制の面でも、こうした面での金融機関の取組みが一段と重視される方向にあります。

 さらに、リテール金融の供給チャネルとしてATMやインターネットなどが重要な役割を占める中、これらのシステムの安定的な運営を確保していくことも求められます。さらに、情報技術革新に伴って新しい形態の金融犯罪も増加する中、こうした行為に対する金融取引の安全を確保していくといった、セキュリティ面への対応も重要となっています。

 仮に、金融機関の側がこれらに前向きに対応していないと利用者に受け止められれば、利用者側が先進的なリテール金融サービスの利用に警戒的になったり、さらには、本来民間の自主的な取組みによることが望ましい分野についても、規制的なアプローチを求める声に繋がっていく可能性もあります。また、セキュリティの確保に際しては、暗証番号の管理といった顧客側の注意ももちろん重要ですが、最新のテクノロジーや暗号技術をセキュリティの高度化に活かしていくといった対応の面では、金融機関側の果たすべき役割が圧倒的に大きいと言えます。

 リテール金融の発展のためには、国民と金融システムの間の信頼関係が確保されることが、重要な前提条件となります。金融機関が自ら、こうしたコンプライアンスやセキュリティの強化に積極的に取組んでいくことは、このような国民との信頼関係を維持していく上で、大きな意味を持つと考えられます。現在金融機関は、顧客への説明などコンプライアンス面での取組みを強化しているほか、銀行カードのICカード化や生体認証の導入等、セキュリティ面でもさまざまな対応が行われています。今後とも、金融機関のイニシアチブによる積極的な取組みが進められるよう、期待したいと思います。

リテール金融発展を育む金融システムのあり方

 さらに、リテール金融が今後持続的な発展を遂げていくためには、金融システムが全体として安定を維持し、その中で、民間の創意工夫やイノベーションが最大限に促される環境が確保されていくことが重要です。

 金融システムの安定を維持していくためには、まず、リテール金融サービスの担い手である個々の金融機関が、経営の健全性をしっかりと確保していくことが求められます。とりわけ地域金融機関は、各地域におけるリテール金融サービスの中核的存在と言えます。こうした観点からも、現時点で不良債権処理や経営体力の回復が遅れている金融機関については、こうした課題への取組みを一段と強化していくことが求められましょう。さらに、リテール金融サービスを積極的に展開していくためにも、必要に応じ、経営資源の「選択と集中」を進めることや、他機関との連携なども、経営戦略上のオプションとなるのではないかと思います。

 また、リテール金融面でのイノベーションを持続的に促していく上では、金融機関が商品開発やサービスの創出に向けた自由で健全な競争が行われる環境を実現していくことが不可欠の条件となります。来年秋には郵政事業の民営化が予定されていますが、これにより誕生する郵便貯金銀行や郵便保険会社はリテール金融分野でのビッグプレイヤーとなることが想定されます。したがって、これらの新会社と他の主体とが、それぞれ民間金融機関として相応しいサービスの提供に努めながら、イノベーションを競い合うことができる公正な競争条件を確保していくことが重要となりましょう。

4.おわりに

 経済活動が複雑化しライフスタイルが多様化すれば、これに伴う不確実性やリスクの管理へのニーズも、新たに生まれる筈です。したがって、リテール金融の「付加価値創造の種」は至る所にあるでしょうし、これからも不断に発生し続けると考えられます。

 この中で、各金融機関が顧客ニーズに応えるための知恵を絞り、創意工夫を行っていくことを通じて、そうしたリスクの複雑化・多様化を自らの収益源として取り込んでいく努力こそが、リテール金融全体の発展や顧客利便の向上に結びついていくことになります。また、このような民間のイニシアチブによるリテール金融の発展は、効率的なリスクの配分と資源配分の改善を通じた生産性の向上に加え、それ自体の付加価値創出という面からも、わが国経済の持続的成長に寄与することになると考えられます。

 日本銀行としても、金融機構局や、この中に設置した金融高度化センターの活動などを通じて、リテール金融面での金融機関によるリスク管理の取組みなどを支援していくほか、金融研究所の情報技術研究センターの活動を通じて、金融機関の情報セキュリティの面でも貢献していきたいと考えています。同時に、金融教育の分野にも引き続き積極的に関与していく考えです。

 日本銀行は今後とも、金融機関によるリテール金融面での取組みと、国民の金融リテラシーの向上とが相まって、わが国のリテール金融が更なる発展を遂げ、日本経済の健全な発展に結びついていくよう、中央銀行の立場から最大限のサポートを行ってまいりたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

以上

参照文献

  • (1)Berger, Allen, “The Economic Effects of Technological Progress: Evidence from the Banking Industry,” Journal of Money, Credit and Banking, Vol 35, 2003
  • (2) Iwata, Kazumasa, “Japan's Economy under Demographic Changes,” Speech at the Australia-Japan Economic Outlook Conference in Sydney on December 7, 2004
  • (3) 岩村充・渡辺努・齋藤有希子 「金利プライシングの統計的分析」、 Economic Review、2006年7月
  • (4) 堂下浩「消費者金融市場の研究−競争市場下での参入と撤退に関する考察」、文真堂、2005年
  • (5) 前多康男・永田貴洋 「金融コングロマリットと範囲の経済−理論と実証」、三田学会雑誌98巻第4号、2006年1月
  • (6)マッキンゼー・リテール・バンキング・プラクティス 「マッキンゼー リテール・バンキング戦略」、ダイヤモンド社、2004年