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「経済・金融のグローバリゼーションと中央銀行の課題」
宮城県金融経済懇談会における水野審議委員挨拶要旨

2007年2月28日
日本銀行

目次

  1. 1.経済・物価情勢のアップデート
  2. 2.グローバリゼーションとマクロ経済政策運営
  3. 3.円キャリー・トレードの現状について
  4. 4.金融システム政策の課題と金融政策運営
  5. 5.まとめ

 本日は、ご多忙の中、宮城県の金融および経済界を代表される皆様のご出席を賜り、懇談の機会を得ましたことを大変ありがたく、また光栄に存じます。日頃は、日本銀行仙台支店が、金融・経済の調査等で大変お世話になっております。厚くお礼申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

 日本銀行では、ボードメンバーが全国各地で金融経済懇談会を開催し、金融経済情勢に関する日本銀行の見方や金融政策運営の考え方をご説明すると同時に、それら考え方等へのご意見を賜っています。まず、ご意見を金融政策運営にどのように反映しているのかをご説明するために、金融政策決定の仕組みを簡単に申し上げたいと思います。

 金融政策は政策委員会によって決定されます。金融政策が決定される会合では、総裁、副総裁2名、審議委員6名の計9名のボードメンバーが、それぞれ独立して意見を述べ、投票による多数決により委員会として意思決定を行う仕組みになっています。また、この会合での議案は、議長や事務局が予め用意するのではなく、会合におけるボードメンバーの大勢意見をまとめる形で作成されます。また、少数意見であっても議案を提出することが可能になっています。したがって、ボードメンバーは、本日、皆様から頂く金融政策運営に関するご意見など様々な情報を十分活用したうえで、自らの責任において、金融経済情勢を判断し、討議、投票することが求められています。

 さて、本日の講演では、これまでにないスピードと規模で発生している「グローバリゼーション」を念頭におきながら、議論を展開したいと思います。

 話の流れとしては、まず、金融経済情勢に関する私の見解を述べたいと思います。次に、わが国も避けて通れない主要国の二大潮流である「経済のグローバル化」と「人口動態の変化」に対して、ポリシー・メーカーとしていかに対応していくべきか、私見を述べたいと思います。

 その後、メディア等で十分に理解されていないと思われる「円キャリー・トレード」について、私の理解しているところをお話したいと思います。

 最後に、金融システムの現状評価、及び、欧米で最近みられるM&Aファイナンス、プライベート・エクィティー、レバレッジ・ローンなど金融ビジネスの変化についてコメントします。金融システム全般のリスク評価を行う上では、非銀行セクターで生じるショックが金融システム全体に及ぼしうる影響についても分析・評価していく必要が出てきました。言い換えると、金融政策同様、金融システム政策の面でも、「フォワード・ルッキングな視点」が益々重要になってきたことを指摘したいと思います。

1.経済・物価情勢のアップデート

 日本経済は、生産・所得・支出の好循環メカニズムを維持しているとみています。その中で、本日は個人消費と海外経済—特に米国経済について、最近の経済指標を確認したいと思います。

個人消費

 家計部門をみると、雇用者所得は、雇用者数の増加から、緩やかな増加基調を維持していますが、一人当たり賃金は、賃金水準の高い団塊世代の退職や地方公務員の給与削減の影響も加わって、弱い動きが続いています。

 労働需給はタイト化していますが、企業は所定内賃金の引上げに慎重な姿勢を崩していません。この背景は、改めて指摘するまでもないことですが、(1)企業は、好調な海外経済と円安進行に下支えされた収益の上振れの持続性に不安があること、(2)「経済のグローバル化」を受けて、企業が生産拠点を選択できる時代になり、相対的に利益率の高い海外での設備投資・雇用・生産の増加のために経営資源を投入する傾向が続いていること、(3)固定費増加につながる正社員ではなく、できるだけパートや契約社員など非正規雇用の増加によって需要増加に対応したいこと、などです。ただ、企業サイドも、「on-the-job trainingのコスト(社内教育費)」の増加など、長期的な視点からビジネスを考えると、優秀な人材を確保するためにある程度の賃上げを受け入れる必要があることは認識しています。人材派遣会社へのヒアリングによれば、ベア引上げに慎重な姿勢とは対象的に、あくまでも変動費である派遣料金の引上げに応じる企業が増えています。

 個人消費については、統計によって区々な動きとなっています。衣料品は暖冬の影響から冴えない動きとなりましたが、旅行・外食などサービス消費関連支出が堅調に推移したほか、家電販売も新商品投入効果もあって今年度下期から、はっきりと増加しています。

 昨年10~12月期の実質GDP統計は前期比+1.2%(年率+4.8%)と高い伸びとなりました。個人消費は前期比+1.1%となり、7~9月期の個人消費の落ち込み(同-1.1%)が一時的なものであったことが確認できました。需要サイド、供給サイドのどちらからみても、個人消費の最悪期は10月であったように思います。家計の消費行動も選択的というか、時代にあったメリハリをつけたものに変化しています。また、配当など勤労所得以外の所得によって国民負担の増加による可処分所得の目減りを多少なりとも補う構図になってきました。

 人口高齢化に伴う旅行・健康・医療・介護等への消費ニーズが高まり、消費構造のサービス化が進むことが予想されます。サービス消費は、(1)財の消費に比べて景気との連動性が小さく、(2)可処分所得や雇用者所得の動きと個人消費の連動性が薄れると見込まれます。また、インターネットを活用したオンライン・ショッピングなどの普及は、消費する場所が変化するなど、消費構造を大きく変化させています。そのため、インターネット社会の到来は、既存の個人消費関連統計では消費動向を正確につかみにくくなってきました。

 現時点で、個人消費は底堅く推移していると判断していますが、個人消費関連統計の特性を念頭に置きつつ、今後慎重に分析を深めていきたいと思います。

海外経済の動向

 昨年10月に発表した「展望レポート」では、先行きの経済情勢についてのメイン・シナリオの上振れ・下振れ要因の第一に、「海外経済の動向」を指摘しました。しかし、最近の経済・金融情勢は、(1)米国経済については、インフレ懸念は完全には払拭できないものの、ソフトランディングの可能性が高まっており、年後半にかけて潜在成長率近辺の実質GDP成長率に回帰する可能性が展望できる状況になってきたこと、(2)中国経済については、固定資産投資と輸出の過熱感は残るものの、今年も10%近い実質GDP成長率を達成する可能性が高いこと、(3)原油価格をはじめとする国際商品市況も落ち着きをみせ、世界経済の懸念要因がひとつ後退したという印象を強めていること、を示唆しています。

 グローバルにみると、2007年前半の焦点は米国の景気動向です。

 米国では、雇用と個人消費に関する見方がさらに楽観的になってきています。1月の雇用統計で、非農業部門雇用者数が前月比+11.1万人と市場予想(同+15.0万人程度)を下回りました。ただ、今回はベンチマーク調整が行われた結果、昨年12月の雇用者数の水準は93.3万人と異例に大きな規模の上方修正が行われ、昨年の月平均の雇用者数の増加テンポは、前月比+15.3万人から同+18.7万人へと、3.4万人押し上げられました。労働投入量の伸び率の鈍化を受けて、米国の潜在成長率は2.5~2.75%程度まで低下したと見込まれます。潜在成長率と整合的な非農業部門雇用者数は2000年初めの前月比+15~20万人程度から現在は同+10~15万人程度まで鈍化していると判断されます。

 1月の小売売上高は前月比横ばいと12月の同+1.2%の反動はほとんどみられません。自動車・ガソリン・建設資材を除くコアの小売売上高をみても、前月比+0.4%となり、非常に高い伸びとなった12月の同+1.0%ほどではありませんが、引き続き堅調な伸びを示しました。住宅投資の減少が個人消費に与える影響が懸念されてきたわけですが、雇用・所得環境が堅調であることに加え、株価が堅調に推移していることもあり、個人消費の下振れリスクは相当後退してきたと判断されます。

 バーナンキFRB議長は2月14日、半期議会報告で「インフレ懸念はまだ完全に払拭できる状況でない」と指摘しています。実際、2007年10~12月期のコアPCEデフレーターのFRBの予想は前年同期比+2.0~+2.25%と前回7月と同じ数字となっており、年末までに居心地の良い水準までインフレ率が低下するかどうか不透明であることを示唆しています。

 米国の実質GDPは、昨年1~3月期に前期比年率+5.6%と高い伸びをみせた後、4~6月が同+2.6%、7~9月期が同+2.0%と伸び率が鈍化しました。ただ、その間の連邦政府の税収は高い伸びをみせています。2006年の連邦政府歳入は前年比+11.5%に達しています。経済統計とは異なり、税収統計は法的強制力がある徴税に基づいており、統計も改訂されません。法人税と所得税の税収動向をみる限り、米国経済は企業部門も家計部門も堅調な所得の増加をみせたことが分かります。

 米国経済が極めてビナインな状況にあることは、グローバルに債券・株式市場に好環境を提供すると見込まれます。

景気見通しのまとめ

 昨年10~12月期の実質GDP統計は前期比+1.2%(年率+4.8%)と高い伸びをみせました。これは過去の統計とはいえ、(1)7~9月期の個人消費の落ち込みが一時的なものであったこと、(2)振れを均してみれば、日本経済が年率+2%程度の成長軌道上にあることを確認できたこと、から、金融政策運営を考える上で追加的な情報を提供しているともいえます。日本銀行が昨年10月に公表した「展望レポート」の大勢見通しでは、2006年度の実質GDP成長率は+2.3%~+2.5%(中央値は+2.4%)でした。ただ、成長率の下振れについては、2005年度計数が確報化により下方修正されたことに伴い、2006年度への発射台が0.3%ポイント縮小したことも影響しています。

 個人消費を中心に幾分弱い経済指標が出ていたため、日本銀行は1月の金融政策決定会合で、10月に公表した「展望レポート」の中間評価で、経済見通しについて、「(昨年10月の)「経済・物価情勢の見通し」に比べて、これまでのところ、天候要因等一時的な下押し要因もあって個人消費を中心に幾分下振れている。先行きについては、生産・所得・支出の好循環のメカニズムが維持されるもとで、「見通し」に概ね沿って推移すると予想される。」とまとめました。

 日本銀行は、「展望レポート」で示した経済のメカニズムに修正を迫るものかどうかという視点で個々の経済指標をみていますが、わが国経済は、1月の金融政策決定会合で決定した「中間評価」に沿った展開をみせていると判断できます。

 先行きの経済情勢のリスク要因は、家計部門への波及が想定よりも遅れることです。企業部門がリードしながら、家計部門の力強さは欠けるという組み合わせが持続する可能性は否定できません。

 日本銀行は、4月および10月の展望レポートで、「景気の成熟化」という表現を使いました。この概念は、「景気拡大が長期化し、成熟段階に入っていくにつれて、民間支出のウエイトは、企業部門(設備投資)から家計部門(個人消費)へとシフトしていき、それに伴い、生産面のウエイトも、製造業から非製造業に移っていく」ことを想定したものです。しかし、「いざなぎ景気」を超える戦後最長の「息の長い景気回復」にもかかわらず、景気回復の実感に乏しいという声が聞かれます。これは、好調な企業部門の回復から家計部門への波及が今ひとつ弱いためです。言い換えると、「景気の成熟化」シナリオが実現していないことを意味すると私は思います。

 4月には新しい「展望レポート」、すなわち、「経済・物価情勢の展望(2007年4月)」を公表する予定です。日本銀行内でさらに議論を深めた上で、4月の「展望レポート」で2007年度~2008年度にかけての経済のメカニズムを示すことになります。2007年度~2008年度のわが国経済について、個人的には、(1)今回の景気拡大局面の6年目と7年目にあたること、(2)世界経済は実質5%程度と2006年までと同程度の高い成長率となる可能性が高いこと、(3)円相場が安定すれば緩和的な金融環境が維持される公算が高いことから、1%台半ばである潜在成長率を若干超える2%程度の成長率になることを想定しています。

2.グローバリゼーションとマクロ経済政策運営

 「人口動態の変化」と「経済のグローバル化」は、世界のニ大潮流になっています。また、どちらも、これまでにないスピードと規模で発生しています。経済政策にもインパクトを及ぼします。

 わが国も避けて通れない「人口動態の変化」と「経済のグローバル化」に対し、タイムリーに適切な政策を考え、実行していくことが、ポリシー・メーカーに課せられた重要な課題といえます。例えば、経済の先行き見通しを考える際、この点を勘案して政策を行わず、過去の経験則、固定観念にとらわれると政策効果を見誤る可能性があります。

 米国を除く主要国では、今後、人口の減少や人口増加率の鈍化が見込まれています。わが国はその中で最も早く人口減少に転じましたが、イタリア、韓国も人口増加率の鈍化が深刻です。イタリアは退職年齢の引上げ・インフレ連動債の導入に、合計特殊出生率が1.08まで低下している韓国は、年金改革に取り組んでいます。米国でも、労働力人口のトレンド伸び率鈍化による潜在成長率の下方修正、ヒスパニック系中心に急増する移民問題に対する政治的対応など、人口動態の問題への関心が高まっています。イギリスでは、外国人が人口増加要因になっています。すなわち、イギリス籍保有者のネット流出が続く一方で、イギリス籍非保有者が恒常的にネットで流入する動きが、1990年代の終わり頃から顕著になっています。

 人口高齢化については、家計の消費・貯蓄行動、金融資産に対する投資リスク許容度、熟練労働者の確保などに対してどのような影響を与えるか、に焦点を当てた問題提起が数多くなされていますが、既に経済活動や資産価格に影響を与え始めていることも見逃せません。

 わが国の潜在成長率は1%台半ばと見込まれます。過去4年間平均の財政緊縮による実質GDP押し下げ効果が0.5%ポイントもあるなか、2003年度~2006年度までの4年間、実質2%程度のほぼ等速で成長が続いている背景には、実質+5%成長を続ける世界経済の恩恵があります。企業レベルに目を向けると、高い技術力をベースに、経済のグローバル化の潮流にうまく対応できた企業は、海外部門からの収益増によって、史上最高益を更新しています。グローバルに環境・資源の問題への関心が高まる中、本邦企業の優位が当分続く可能性が高いように思えます。

 製造業では、総人口減少で国内販売の将来性に大きく期待できない中、グローバルな製品の供給体制を再編する動きが顕著になっています。また、新製品の販売価格の下落スピードが高まっていることによって投資サイクルが短期化しており、M&Aや業務提携といったスピード重視の戦略をとるほかにも、新規の設備投資を続けざるをえないのが実情です。一方で、バブル崩壊に伴う「3つの過剰問題」を解決した後も、企業は、国際競争激化を受けて、エネルギー価格などコスト上昇に対して賃金上昇率の抑制で対応してきました。企業は「経済のグローバル化」のなかで生き残っていくために、労働分配率の引上げに慎重な態度をみせおり、それが好調な企業部門から家計部門への波及が高まらない一因となっています。労働需給はタイト化していますが、失業率がさらに低下したとしても所定内賃金はなかなか上昇しにくい状況が続く可能性があります。

 政府は、経済成長を重視した姿勢を打ち出しています。すなわち、成長率の目標を掲げて、企業部門については、減税と労働ビッグバンなどの施策が挙げられています。潜在成長率を高めるためには、企業の競争力の上昇が必要になります。超高齢化社会の到来、わが国と諸外国の慣習や法制度の違いという難問を克服しながら、企業は常に競争力を磨かねば、わが国経済の先行き見通しについて明るい展望は持てません。ただ、わが国の大企業の多くが収益の大半を海外部門から稼ぎ出しているなか、法人税減税は企業の国際競争力を高めますが、国内での設備投資増加や雇用創出の効果は従来よりも小さいと思われます。企業の国際競争力を重視した施策の効果が、従来とは異なる可能性がある以上、グローバル化に対応した企業行動とズレのない政策を行っていくことが肝要です。

 わが国は、巨額な政府債務残高という制約もあります。政府は、2011年度までのプライマリー・バランス黒字化を掲げており、それに続く新たな財政目標の議論が浮上し、各種の試算が公表されています。その際、最近の税収増加は、「経済のグローバル化」にうまく対応した企業部門の努力に加え、好調な世界経済と円安進行の恩恵による面が強いことを忘れてはならないと思います。現在、プライマリー・バランスの黒字化に続く新たな財政目標の議論が浮上し、内閣府や財務省から前提条件を変更した様々な試算が公表されています。しかし、プライマリー・バランスの黒字化を維持していくためには潜在成長率をどのように引上げるかが重要なポイントです。名目GDP成長率、実質GDP成長率、長期金利に関する様々なシナリオを提示することと併せて、潜在成長率を具体的にどのように引上げるか、議論することは重要だと思います。

 この点、大田弘子経済財政担当相が「経済運営では、グローバル化や人口減少時代に対応した仕組みが問われている」と指摘していることは心強いですが、グローバリゼーションのスピードは非常に速いことに留意したいと思います。

 「イノベーションによる生産性向上」は、基本的には、民間企業が「主」で、政府部門が「従」の関係にあります。潜在成長率を押し上げるには全要素生産性を引上げる必要があります。「官から民へ」の政治哲学を掲げた小泉前政権は、構造改革への期待感を高め、わが国への資本流入を促しました。海外投資家は現在、(1)公的部門縮小の柱であった政策金融機関改革や郵政民営化の実行に注目しているほか、(2)製造業に比べてサービス産業の生産性が低いにもかかわらず、不採算分野からの撤退やM&Aがなかなか進展しないリスク、に苛立っています。

 以上のように、わが国のポリシー・メーカーは、(1)経済と金融市場のグローバル化、(2)巨額な政府債務残高に伴う国民負担率の上昇、(3)超高齢化社会の到来という人口動態の変化、という環境変化の下で、マクロ経済政策運営を行う必要があります。以下で、わが国経済が直面する諸問題に対する具体的な処方箋を考えてみたいと思います。

  1.  第一に、金融市場のグローバル化は、ファンダメンタルズに合致しない経済政策が採られたと市場に解釈された場合、自国のみならず海外の資産価格形成にも思わぬ影響を及ぼす可能性があります。こうした中で、海外投資家の対日投資について収益期待を高めることは重要な課題です。その実現のためには、金融分野における公的部門の縮小を進めていくことが一つの処方箋です。

  2.  第二に、地方経済を活性化するために、各地方自治体は、(1)企業や工場の誘致により若者の流出に歯止めをかける、(2)出生県を転出した高齢者が定年退職後に「Uターン」することを促すなど、独自の雇用創出努力に知恵を絞っています。資本収益率の高い都市部においては、資本蓄積が行われ、雇用機会が創出されやすい傾向にあり、都心部と地方の所得格差拡大は先進国に共通する現象とはいえ、頭の痛い問題です。こうした地方自治体の努力は必要不可欠ですが、それを支えていくためにも、イノベーションによって潜在成長率を高めて、経済全体のパイを膨らませることが必要です。また、地方の中小企業の倒産件数の増加など地方経済の疲弊が、地域金融機関の経営に影響を与えていないか目配りが欠かせません。

  3.  第三に、企業の参入・退出、労働市場の効率化や人材の流動化・多様化を促すために、市場メカニズムや金利機能を最大限に活用することです。人、モノ、資本、情報という経営資源が瞬時に国境を越えて移動する「スピードの経済」の下、努力した人や企業が報われる「資本主義的な発想」で経済政策を行わないと、強い企業や優秀な人材が海外へ流出し、国力は低下します。

  4.  第四に、年金運用、格差問題、構造改革を議論する際、市場メカニズムや金利機能の活用を議論することは大事な観点です。1月20日発行の英エコノミスト誌は、「Rich man, Poor man」という表紙で、経済のグローバル化が所得格差を広げるリスクを巻頭の社説として掲載しています。米国でも、議会で民主党が多数派となったことから、所得格差拡大に対する関心が高まっているといわれています。

  5.  第五に、現在の製造業に代わる将来の日本のリーディング産業を育成するために、産官学が真の意味で協力する体制を整えることです。今のところ、わが国ではグローバリゼーションの中で生き残っていける企業は、製造業に多く存在しますが、中国や東欧などがキャッチ・アップするのは時間の問題と思われます。政府は、潜在成長率を引上げるためには、生産性の低いサービス業の改革が重要であると主張しています。一般的には、医療や介護が有望な成長分野であるといわれていますが、個人的には金融サービス業の発展を期待しています。海外の事例をみると、わが国の「失われた15年」の間に高い成長率を達成した米国、イギリス、シンガポール、香港をみると、金融サービス業とIT産業が発展し、サービス業全体の収益力が飛躍的に高まりました。例えば、米国では、自動車会社がその顧客基盤を活かして、金融機関との提携や独自の金融子会社を設立して、クレジット・カード業務など金融サービス業に本格的に進出して成功を収めています。わが国でも、総合商社が、金融サービス業をそのビジネスのコア業務のひとつにしつつあります。

  6.  第六に、国民の将来不安を和らげるために、将来の税制改革や年金制度改革に関する不透明感をできるだけなくすことです。

 イノベーションによる生産性向上は、その効果が顕在化するまで相当の時間とエネルギーを要します。少子・高齢化という人口動態の変化や経済のグローバル化が進行するなかで、潜在成長率を引上げるといったチャレンジングな目標にどのように立ち向かっていくか、今後議論をさらに深めていく必要があります。日本銀行は金融政策の効果が発現するまでのラグがあるため、政策運営において1年半~2年程度の期間にわたる経済見通しを中心に考えています。一方、政府が、潜在成長率を引上げるための施策で念頭に置いている期間は5年以上と、日本銀行よりも相当長いはずです。そのため、金融緩和の度合いを多少小さくするような金融政策運営が、わが国の潜在成長率の引上げにネガティブな影響を与えるという議論は、私には余り説得力がないように思えます。また、生産性の上昇や人口動態の変化に伴って潜在成長率が大きく変化する可能性がある中、中立金利の水準はある程度幅をもってみておく必要があると思います。

 国民が安心して暮らして行けるためには、今後数多くの困難が待ち受けています。財政政策、金融政策、規制緩和策、構造改革等の、諸政策が整合的で、長期的な政策と、短期的な政策に矛盾が生じないように、政策を立案する必要があります。政策運営の透明性を高めるため、情報公開をさらに進めることも重要です。ただ、そのような議論の行き着くところは、潜在成長力をいかにして持続的に引き上げるかということです。短期的な小手先の政策、一時的な補助金的な性格を持つ政策、ファンダメンタルズに合致しないような超低金利政策ではなく、市場メカニズムを活用することが必要になります。

 金融市場のグローバル化は、資本移動を加速させる要因です。経済実態から乖離した低金利政策を継続すると、(1)円独歩安を進行させて貿易相手国で保護主義圧力が高まるリスク、(2)海外への資本流出を加速させてグローバルに資産価格を歪めるリスク、(3)資産効果によって所得格差が拡大するリスク、など副作用が考えられます。「経済のグローバル化」を受けて、中央銀行は、国内のみならず、グローバルな経済・金融情勢の変化も視野に入れた政策判断を求められています。

3.円キャリー・トレードの現状について

「円キャリー・トレード」の定義と範囲

 いわゆる円キャリー・トレードの定義と範囲について、世間(メディア)と取引実態の間でかなり乖離があるように思います。そもそも、「円資金を借りて、高金利通貨で運用する」という一般的な定義は果たして妥当でしょうか。円キャリー取引は、金利の絶対水準のみならず、為替相場のボラティリティにも依存します。ただ、後で述べますように、円キャリー・トレードを広義で捉えても、投資家(投機家)が多額の円キャッシュを借入れて、その資金を運用しているとは考え難いです。

 メディア等では、邦銀からの借入れ、もしくはコール市場等の金融市場から調達したキャッシュを高金利通貨で運用するとの観測記事が多いですが、実際には通貨先物等を用いたトレードが中心であり、こうした見方は、実態に合っていない可能性が高いと思われます。

 それでは、どの取引まで「円キャリー・トレード」として考えるべきでしょうか。通貨先物による(狭義の)円キャリー・トレード自体は、新しい取引手法ではありません。今次局面における主要な特徴としては、(1)従来プロ向けだった通貨先物スキームが、リテール向けにまで裾野を広げていること、(2)個人投資家の外債・投信投資も(広義の)円キャリー・トレードの一形態として捉えられていること、を指摘できます。

 円キャリーが広義で捉えられている背景には、日本経済のファンダメンタルズが良好にもかかわらず、円安が進行している点に対する、いわば「犯人探し」的な要素もあると思われます。以下で、具体的な円キャリー・トレードの実態について、私の理解をお話したいと思います。

(1)伝統的な通貨先物取引による円キャリー・トレード

 ヘッジファンドや外為トレーダーによる通貨先物取引は、以前から存在します。ただ、観察できる数字はIMMポジションのみ(実際には、OTC取引が数倍ある模様)と限られています。

 典型的なトレード手法の一つは、主要10通貨のバスケットの中で、最も金利の高い3~5通貨をロングすると同時に、最も金利の低い3つの通貨をショートするトレードです。通貨構成は局面によって変わりますが、現在では、ロング通貨は、NZドル、豪ドル、米ドル、ショート通貨は、日本円、スイスフラン、ノルウェークローネと言われています。リテール向け商品として、米国では、同様の商品性を持つETFも上場されているほか、海外富裕層向けにも商品が多く出回っている模様です。

 過去には、通貨先物による円キャリー・トレードが相場を大きく動かしたこともあります。例えば、97~98年には、グローバル・マクロ系ヘッジファンドが、アジア通貨危機、本邦金融危機などをメイン・シナリオとして、円キャリー・トレードを主導しました。しかし、98年のロシア通貨危機、LTCM破綻などを受けて一斉にポジションを巻き戻した結果、円相場は140円台から110円台まで急速に上昇しました。最近円キャリーを主導している主体は、相場に受動的に反応するCTA系ヘッジファンドですが、大きなレバレッジをかけている様子はありません。

 IMMポジションは2007年入り後も既往ピークを更新しました。しかし、OTC取引を含めても、後述の国内個人投資家のポジション対比ではかなり小さいと言えます。ただし、ターンオーバーは非常に高いため、短期的な為替の動きとは密接な関係を有する可能性はあります。また、こうした通貨先物ポジションは、低ボラティリティ下で積み上がる傾向があります。

 外為証拠金取引は、上記通貨先物取引の国内個人投資家版です。他のリテール向け商品とともに、今次局面で台頭しています。

(2)国内個人投資家を中心とする外債・投信投資

 円金利が低位に止まるなか、個人投資家は銀行預金から外貨建ての債券・株式投信に資金の一部をシフトされています。銀行窓販の存在もこの動きに大きく寄与しています。ポジションは(1)に比べ大きく、円安トレンドの形成に最も大きく寄与していると考えられます。ヘッジファンドなど投機筋も、円を売り買いする際に国内個人投資家の動向は無視できなくなってきたとみています。ただし、ターンオーバーは低く、日々の為替の振れとはさほど関係はないとみられます。「貯蓄から投資へ」の掛け声の効果が出てきたというポジティブな評価もできますが、自らの投資行動が為替相場の将来の振幅を高めているという意識はないと思われます。今後、円安がさらに進行した場合、国内個人投資家は、外貨建て資産への投資から、日本株や日本株投信に資金をシフトさせる可能性があるため、今後ともフォローしていく必要があります。

「円キャリー・トレード」が金融市場に与える影響

 上述したすべての取引が円安方向へ作用します。ただ、長期的な円安トレンドを形成する取引形態と、短期的な動きに影響を与える取引形態は異なる可能性が高いことには留意が必要です。前者は、国内個人投資家を中心とする外債・投信投資、後者は、伝統的な通貨先物取引が中心です。2001年以降でみると、対NZドル・豪ドルなどでも円の減価率が最も高いです。国内個人投資家の資金は、投信・売出し債などを通じて、これらの通貨に向かっていますが、個人投資家が、円キャリー・トレードのリスクを十分認識しているか気がかりです。

 一般的に、キャリー・トレードのボリュームは、(1)為替市場のボラティリティ、(2)対象通貨国の金融政策運営の見通し、(3)売られる通貨の割安感、及び、買われる通貨の割高感、によって決定されます。

 例えば、円のキャリー・トレードを例にすれば、わが国の短期金利の先高感が後退するほど、円キャリー・トレードは膨らむ傾向があります。一方、円相場のインプライド・ボラティリティーが上昇した場合、あるいは、円売りの対象として買われるユーロやポンドの割高感が高まる場合、円キャリー・トレードのボリュームは縮小する傾向があります。

 メディア等で報道されているような円キャッシュの「借入」を伴う取引は、円キャリー・トレードの各取引実体に鑑みると、間接的かつ限界的と考えられます。従って、外国銀行もしくは海外投資家による邦銀からの借入れ、金融市場での資金調達と円キャリー・トレードを直接的にリンクさせて考えることは難しいといえます。

4.金融システム政策の課題と金融政策運営

金融政策と金融システム政策の接点

 実体経済が約5年に亘り回復を続け、物価もプラスに転じる一方で、世界的にみても極めて緩和的な金融環境が続く中にあって、金融行動の行き過ぎなどによって生じるリスクを早期に把握することは、金融政策上の観点に加え、金融システムの安定を確保するという観点からも重要となります。

 先進各国の経験を振り返りますと、70年代までは、経済の健全な発展を脅かすリスクは直ちに物価面に表れることが多かったように思います。しかし、80年代から90年代にかけては、そうしたリスクが物価面に直ちには表れず、資産価格面や金融システム面に蓄積され、その後暫く経ってから経済の不安定化に繋がるケースが各国でみられました。もちろん、わが国もその例外ではありません。

 このように、世界的にみても、経済に生じるさまざまな「歪み」の影響が直ちには物価に表れにくい状況となってきている中、中央銀行の金融政策と金融システム政策の接点も、ますます大きくなっているとみています。

予防的かつフォワード・ルッキングな視点の重要性

 すなわち、こうした環境変化の中で中央銀行として持つべき視点や採るべき対応は、金融政策・金融システム政策の両面で、共通するものが多いように思います。

  1.  一つ目は、—これは低金利政策の「効果」と裏腹ですが—極端な金融緩和が必ずしも整合的ではなくなった経済実勢の下で、なおそうした金融緩和が長期に亘り続けられることがあれば、やはり何らかの副作用をもたらす可能性が高いということが、これまでの各国の歴史から得られた教訓ではないかと思います。したがって中央銀行としては、様々なリスクについて、それが物価面に直ちに表れないケースも十分に想定しながらチェックしていく必要があります。

  2.  もう一つは、金融政策同様、金融システム政策の面でも、金融不安やその原因となり得るリスクの蓄積を未然に防ぐという、「フォワード・ルッキングな視点」が重要だということです。

 これら二つの点を、不動産投資を巡るリスクに当てはめて考えてみましょう。

 バブルの生成・崩壊の経験を踏まえ、わが国の不動産融資や不動産投資を巡るリスク管理手法が進歩していることは確かです。例えば、不動産の評価を巡っては、当該不動産の生み出すキャッシュフローに基づく評価に沿ってリスクを管理していく実務が拡がっています。もっとも、こうしたリスク管理手法が真に機能するためには、不動産の生む将来キャッシュフローや、その割引率—すなわち長期金利—の見通しが楽観的なものとなっていないことが前提となります。

 長期金利は基本的に、長い目でみた先行きの経済・物価の見通しによって決まるものです。仮に経済主体が、「先行き、オフィスの賃料は上がるけれども、長期金利は上がらない」といった、あまり整合的ではない予想—いわばwishful-thinking—に基づいて投資を行うことになれば、これに伴うリスクが経済の中に蓄積される可能性も高まります。

 同様に、貸出スプレッドの設定を取り上げてみましょう。

 現在、景気回復が長期にわたり継続する中で、企業収益も増加を続けています。一方で、低金利の下で企業の利払い負担は減少しています。すなわち、マクロ経済環境からみれば、現在は企業のデフォルトが起こりにくい状況にあるといえます。ただし、仮に金融機関が、金融機関がスプレッドの設定に際し、デフォルト確率が変わらないという予想を無理に正当化するようなことがあれば、リスクはさらに高まってしまいます。

 こうしたもとで、中央銀行の金融システム政策の面では、金融システムが内包するリスクについての評価を対外的に発信し、銀行をはじめ金融システムに関わる幅広い主体による認識を促すとともに、これらのリスク管理をサポートしていくといった活動が重要となります。こうした金融システム政策のあり方は、世界的な潮流でもあります。

 日本銀行としても、「金融システムレポート」の公表などを通じて我々の金融システムに関する評価を対外的に示すとともに、考査やモニタリング、「金融高度化センター」の活動などを通じて、金融機関のリスク管理努力を積極的にサポートしています。こうした業務は正に、中央銀行がその機能を通じて、国民経済への貢献を果たせる大きな分野ではないかと思います。

わが国金融システムの現状評価

 その上で、金融システムの現状に関する私個人の見方を、若干申し述べます。

 金融システムが全体として不良債権問題を概ね克服し、安定性を回復していることは、今更申し上げるまでもありません。信用リスクや金利リスクなど、個々のリスクをみても、これらが直ちに金融システムに大きな影響を及ぼすリスクは低いように思います。

 もっとも、わが国の金融機関は、不良債権問題への対応の過程で、後ほど申し上げるような、投資銀行業務など新しい金融ビジネスへの対応が若干遅れたことも手伝って、リスクテイク能力の回復が、従来型の業務分野—例えば企業向け貸出や住宅ローンなど—での競争激化に結び付き易い構造が色濃く残っているようにも感じられます。

 現在、こうした競争の激化が直ちに大きなリスクに繋がっているわけではないように思います。しかしながら、低金利環境が続く中で、これまで、こうした金融行動が大きなリスクに結び付いてこなかったのは、企業をはじめ幅広い経済主体が、バブル崩壊の経験も踏まえ、レバレッジの増加や支出の拡大に対して総じて慎重なスタンスを維持してきたことによる面も大きいと考えられます。こうした経済主体の慎重なスタンスは、一面では今回の景気回復局面が長期化している一因ともなっています。

 この点、先ほど取り上げた不動産投資や低金利での貸出競争の激化といった面で、こうした慎重なスタンスにも、限界的には若干の変化がみられているように思えます。今後ともこのような変化には十分目を配っていく必要がありましょう。

グローバリゼーションと金融システム

 この間、金融システムのグローバル化は急速に進行し、これに伴い、金融システムの構造変化が進んでいます。このことは、中央銀行にも新たな政策課題を投げかけるものです。

 すなわち、グローバルに活動する巨大金融機関のビジネスは、従来のように信用リスクや金利リスクを金融機関内で抱え続ける—buy & hold型の—ビジネスから、資金を必要とする主体(企業)と資金運用を求める主体(ファンド等、機関投資家)とを世界的なネットワークを通じて結び付け、これらの間でリスクとリターンの効率的な分配を実現していくという、—originate & distribute型の—ビジネスに変わってきています。こうしたビジネスの典型としては、例えばM&Aファイナンスやレバレッジド・ローンなどが挙げられます。

 このような金融システムのグローバル化の中で観察されている現象としては、次のようなことが挙げられます。

  1.  まず一つ目は、プレイヤーの拡大です。すなわち、銀行という形態を採らず、預金以外の形で資金を集める、プライベート・エクイティ・ファンドやヘッジファンドといったさまざまなファンドが生まれ、金融仲介活動に関与するようになっています。ファンドが金融仲介機能の担い手としてプレゼンスを高めてきたことをもって、最近では「ファンド資本主義」という表現が使われ始めています。わが国でも、邦銀が不良債権問題で体力を消耗したことと同時に、企業と金融機関の株式持合構造が崩れたため、もはや銀行だけで企業の事業リスクの金融仲介機能を果たすことができなくなってきました。わが国でも、企業再生ビジネスやM&Aが活発化する中、海外から「ファンド」という形で、リスクマネーが流入することは、かつては「銀行」が抱えていたリスクを多数の参加者でシェアしながら経済を活性化できるため、望ましい動きといえます。

  2.  二つ目は、—只今申し述べたことと裏腹の関係にありますが—私募市場の拡大です。すなわち、開示規制などが厳しい公募市場の代わりに、私募市場がこれらファンドの資金調達の場となり、また、企業など資金を必要とする主体とファンドとの接点となるケースが増えています。このような金融システムの構造変化の中で、グローバルな巨大金融機関は、いわば、「公募市場での資金調達・運用の代わりに、自らのネットワークで効率的に運用主体と調達主体を結び付け、フィーを獲得する」といったビジネス・モデルを確立しています。

     伝統的な銀行規制、すなわち、金融仲介のプレイヤーの中で特に「銀行」に焦点を当て、その「資本」の充実度合いをみていくことは、結局、銀行の負債である「預金」が返ってくるかどうか、銀行がデフォルトせずきちんと資金仲介機能を果たしていけるかどうかに注目する考え方です。しかしながら、家計や企業が保有する金融資産が多様化し、企業などの資金調達手段も拡がる中、広く「金融システム」に由来するリスク−すなわち、経済主体の保有する金融資産の毀損や資金仲介機能の低下を通じて経済が不安定化するリスク—を把握していく上では、銀行以外のプレイヤーの活動や私募市場の動向をいかに調査・分析していくかが課題となります。

  3.  三つ目は、豊富な流動性を背景とする投資家の「search for yield」的な活動の中で、クレジット・スプレッドの世界的な縮小、発展途上国への投資機会を求める動き、円キャリー・トレードの活発化がみられます。

     一方で、私は、このようなファンドや私募市場の拡大自体を否定的に捉える必要はないとも考えています。

     ファンドの多様化は、基本的には、ファンダメンタルズに沿った市場価格の形成を促す筋合いのものです。もちろん、特定のファンドが独占的な規模を持ち、かつ特異な投資行動を採るといったことがあれば市場の撹乱要因となるでしょう。しかし、金融市場がグローバルに拡大する中では、一つのファンドが大きなシェアを占めることはますます難しくなっていますし、そうした中でファンダメンタルズを無視した投資を行えば、長期的には損をしてしまうでしょう。実際、現在市場では多様なファンドが存在していますし、基本的な投資スタンスは、—リスク選好度などの違いはあるにせよ−やはり、「リスクに比してリターンが高い投資先、リスク分散に役立つ投資先を見つけて投資していく」というものです。

     同様に、私募市場の拡大についても、不特定多数の主体から資金を集めることができる公募市場のメリットは厳然と存在しますし、私募市場におけるさまざまな価格形成は、効率的な公募市場における価格形成とかけ離れたものとはなり得ない筈です。

     結局、非銀行セクターや私募市場の拡大は、金融市場のグローバル化の中では必然的に起こり得る現象と捉えるべきであると思います。したがって、これらを殊更に問題視するのではなく、むしろ、公募市場は十分に効率的か、規制の不均衡や特定分野への過剰規制といった問題はないか、といったことも常に念頭に置きながら、金融仲介機能のバランスの取れた発展を実現していくことを考えていくべきでしょう。

金融の高度化およびマクロ政策との整合性

 二つの点について、私の見解を申し上げておきたいと思います。

  1.  まず、わが国金融システムの特性を踏まえれば、金融サービスの高度化・高付加価値化は、わが国経済の健全な発展に加え、長い目でみた金融システムの安定化にも寄与するであろうということです。

     金融サービスのビジネス・モデルが変革されないまま、金融機関の資本の回復が進めば、結局、既存の貸出分野において、スプレッド引き下げという形での競争が激化し、景気が後退する局面では信用コストの増加によって損失が発生するということが、再び繰り返されてしまう可能性が高いように思います。足許の貸出利鞘の縮小と国債イールドカーブのフラット化は、地域金融機関にとって厳しい経営環境をもたらしています。

     従来、わが国の銀行システムは、例えば政策投資株の保有などを通じて、経済に生じるさまざまなショックを吸収する役割を担ってきた面は否めません。しかし、経済のグローバル化などに伴い、経済活動に伴うリスクはますます多様化・複雑化しています。こうしたもとで金融機関には、これらのリスクの中で自らが取れるもの、取れないものを適切に見極め、様々な主体との適切なリスク・シェアリングを実現することを通じて、効率的な資源配分や経済の健全な発展への貢献を果たしていく、という活動が求められています。

     日本銀行としても、適切な金融政策の運営に加え、「フォワード・ルッキングな視点」に立った金融システムに関する情報発信、さらには金融機関のリスク管理や金融サービスの高度化へのサポートなどを通じて、中央銀行として最大限の貢献を果たしていく必要があると考えています。

  2.  二つ目は、金融行動の行き過ぎや金融システムにおけるリスクの過剰な蓄積を回避する上でも、政策当局は、その時々の経済のファンダメンタルズと整合的な政策運営を行っていくことが重要であるということです。

     先ほどの例で言えば、多数のファンドが皆揃って、おかしなファンダメンタルズ予想に基づいて投資をするといったことは考えにくいように思います。一見そうした行動をとっているように見える場合でも、その背景には、ファンダメンタルズから乖離した政策や規制の歪みなどが存在するケースが多いことは、各種の通貨危機などの経験が示す通りです。

     私は、このことを金融政策の観点から捉えれば、低金利環境の長期継続期待—すなわち、経済が拡大する一方で超低金利は続くといった予想—に基づく、行き過ぎた金融行動や資産価格形成を防止するためにも、中央銀行として、経済情勢と整合的な政策を適時適切に採っていく必要があると考えています。現在の金利水準をどのようにみるかは、経済・物価見通しにも依存する訳ですが、一般には潜在成長率について1%台半ば程度とみる向きが多いように思います。さらに、インフレ予想もプラスとなっているとの見方に基づく場合、現在の市場金利の水準、とりわけ短期金利の水準は、やはり、かなり緩和的と言えるでしょう。もちろん日本銀行は、デフレ脱却のために思い切った金融緩和政策を採り、さらに、時間軸効果を通じてターム物金利にも働きかけてきました。しかし、フォワード・ルッキングな情勢判断に基づき、物価がプラス圏内で推移するとの見通しが持てるようになった段階に至れば、イールドカーブの形成は極力、潜在成長率や中長期的な物価見通しと整合的な水準に自然に収斂していくことが望ましいように思います。このことは、金融市場や金融システムに由来するリスクを、長い目でみて減らすことにもつながると、私は考えています。

 例えば、市場参加者の行動に照らして考えてみたいと思います。

 言うまでもなく、翌日物金利は中央銀行の金融調節で決まり、少し先の金利については、先行きの中央銀行の金融調節に対する「市場の予想」で決まります。さらに長い先の金利は結局ファンダメンタルズに沿って決まります。したがって、これらを繋いだイールドカーブがスムーズに形成されるかどうかは結局、中央銀行がファンダメンタルズに沿った自然な金利調整を行っていくかどうかに左右されることになります。

 仮に中央銀行が、ファンダメンタルズが改善している中でも敢えて極端な金融緩和を続けるという予想が広まれば、そうした予想は、短期部分のイールドカーブの過度のフラット化という形で表れるはずです。そうなると、短期金利間の裁定行動が阻害され、市場参加者が金融政策変更の影響を受け易いゾーンでの運用を控え、または、超短期調達や長期運用に傾斜しがちになることが考えられます。しかし、超低金利を永遠に続けることはできない以上、こうした行動がビルトインされてしまうと、経済に必要な金利調整に伴うショックを徒に大きくしてしまうことにつながりかねません。

 こうした例が示すように、政策金利は経済のファンダメンタルズと整合的な水準に自然に収斂していくことが望ましく、また、長い目でみれば経済の不安定化リスクを最小化することにもつながるように思います。ちなみに米国は2004年6月以降、政策金利を1%から5.25%へと連続的に引き上げています。この結果、日米の金利差をみると、長期金利では3%程度ですが、政策金利の差は4.75%もあります。一方で、このような金利の引き上げが行われる中、米国経済はソフトランディングの蓋然性を強めており、債券市場や株式市場も堅調に推移しています。こうしたことからみても、ファンダメンタルズと整合的な政策金利の調整は、決して経済を不安定化させるものではなく、むしろ長い目でみればリスクを低下させるものです。

5.まとめ

 中央銀行のコミュニケーション・ポリシーのあり方を考える場合、私は、金融市場は金融政策に関する完全な情報をもっていないという原点を忘れるべきではないと思います。いわゆるBOJウォッチャーは、「情報の非対称性」の中で、政策変更の時期を予想することを求められています。

 個人的には、「ノイズを含めて金融市場である」という心構えが重要であると思っています。民間エコノミストが、個々の経済データに一喜一憂するのではなく、「現在は景気サイクルのどの局面にあるのか」など大局観について議論を深めることができる環境ができるような情報発信を心がけていきたいと思います。

 「市場との対話」は、主要国の中央銀行に共通する課題ですが、わが国では、金利をターゲットとした金融政策に回帰してから日が浅いこともあり、私は現時点では「市場との対話」のあり方を模索している段階にあると考えています。

 金融政策の予測可能性が低下することは弊害があります。「市場との対話」では、個人的には、「シンプルかつ一貫性のあるメッセージ」を出していきたいと思います。また、量的緩和政策を解除したロジックという原点に返って、(1)新たな入手するデータを丹念に点検することはもちろん重要ですが、金融政策運営は「フォワード・ルッキング」に行うこと、(2)金融システムが正常化し、デフレ・スパイラルに陥るリスクがない中、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことを目指していること、を再確認することが重要だと思います。ゆっくりでも、こうした意味での「金利の正常化」を目指すことは重要だと考えています。

 私としては、「フォワード・ルッキングな金融政策運営」と「金利の正常化」の2つをキーワードに政策運営を行う姿勢が重要だと考えています。金融政策に関する対外コミュニケーションのあり方について、今後とも研究を続けることをお約束して、本日の講演を終わらせていただきたいと思います。

 ご清聴、ありがとうございました。

以上