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新潟県金融経済懇談会における岩田副総裁挨拶要旨

2007年3月7日
日本銀行

目次

はじめに

 本日は、ご多忙のところ、金融経済懇談会に御出席賜りありがとうございます。日頃から日本銀行新潟支店にご協力とご支援を頂き感謝致しております。新潟支店は、大正の米騒動を契機にして、米価安定を金融面から支持するために、大正3年7月1日に日本銀行10番目の支店として開設されました。

 さて、御地新潟県におかれまして、県内総生産は約9.2兆円に達しております。全国と比べますと、産業別には、農業や建設業の比率が全国平均よりもやや高くなっています。また、製造業につきましては、電子部品・デバイス、ついで食料品、一般機械、金属製品といった業種の占める比率が高く、いずれも全国平均を上回っております。

 企業部門の業況判断DIは、災害復興需要もあり全国を上回るテンポで改善してきましたが、災害復旧工事のピークアウトによる建設業の悪化や、これまで好調であった電気機械、金属製品の業況感の一服ないし悪化などから、このところ、全体として幾分悪化しています。

 他方で、新潟市は、4月に、本州日本海側初の政令指定都市になられると伺っております。また、開港都市サミットとして、2008年のサミット開催地の候補に名乗りをあげるなど、活発な活動を展開されておられます。知事・市長をはじめ財界、金融界および地元の皆様のご努力が実を結ばれるようお祈り致します。

 本日は、日本経済の現況と見通しを踏まえる形で、先般行われた2月の金融政策決定会合における利上げ決定とその背後にある金融政策運営の考え方について、日本銀行執行部の一員として、説明させて頂きたいと思います。

世界経済と金融資本市場

 世界経済をみますと、アメリカ経済は、住宅投資の大幅な減少が続いており、ここ3四半期ほど2%台の成長が続いています(図表1)。しかし、住宅部門の調整が他の部門に与える影響は限定的であり、個人消費は極めて堅調に推移しています。物価面では、コア消費者物価やコア個人消費デフレータはなお高目で推移しております。アメリカ経済には、成長率に下方リスク、物価面では上方リスクが共存した状態にあるといえますが、アメリカ経済がもつ強靭さと柔軟性を考えますと、景気の大きな減速を回避し、インフレ率を低下させながら、足元の2%台前半から年後半には潜在成長率の成長径路に戻っていくというソフトランディングが実現する可能性が高いといえます。

 欧州では、しっかりとした景気回復の動きが続いているほか、中国やインドも内外需ともに力強い景気拡大を続けているなど、世界経済全体としては、地域的な広がりの中で高成長が続いています。先般のG7では、先行きも世界経済はさらにバランスの取れた形で成長を続けていくという認識が共有されました。

 世界の金融資本市場に目を転じますと、2月末の中国株式市場における株価急落に端を発して、各国の株式市場で大幅な価格変動がみられたほか資産価格のボラティリティが大きく高まっています(図表2、3)。これまで世界の金融資本市場では、資産価格のボラティリティが極めて低く、クレジット・スプレッドや期間プレミアムが小幅な状態が維持されてきました。資産価格の変動や様々なリスクに対して投資家が「過度に安心している」とも思われるような環境のなかで、内外金利差に着目した円キャリー取引も活発に行われてきましたが、その巻き戻しも生じています。こうした動きは、基本的には、これまで過度にリスクを取りすぎたことに対する技術的なポジション調整とみることが出来ますが、資産価格のボラティリティの高まりが投資家のリスクテイク態度などに何らかの影響を及ぼしていくのか注意深く見守っていく必要があります。

日本経済

 日本経済は、世界経済が高い成長を遂げる中で、息の長い緩やかな拡大を続けています。2003年度から2006年度まで2%程度の成長が持続しており、2007年度についてもほぼ同じペースで拡大を遂げていくものと考えられます(図表4、5)。

企業部門の好調と家計部門への波及の遅れ

 経済拡大も6年目に入るわけですが、景気拡大が緩やかであることもあって、過去の拡大局面と比較して、家計部門にとっての実感は乏しいといえます。

 他方、企業部門は、収益が好調であり、設備投資も製造業を中心に高い伸びで推移しています。企業収益や設備投資の先行きについても堅調に推移するものと見込まれており、経済拡大のエンジンは健全であるといえます。

 企業部門は好調ですが、家計部門への波及は緩やかであるといえます。グローバルな市場での熾烈な競争や資本市場を通じた企業経営に対する規律の強まりもあって、企業は従来以上に収益性向上を意識して経営を行っています。

 この結果、賃金の伸びは緩やかなものに止まっています。とりわけ、昨年夏以降、団塊世代の退職や地方公務員の人件費削減の影響もあって、一人当り賃金の伸びに下押し圧力が加わっています1(図表6)。また、2004年から2006年秋にかけての原油・原材料価格の急上昇に対して企業経営者が固定費用削減努力を強めたことに加えて、従業員の側も過去の厳しい労働環境の経験から賃金上昇よりも「雇用の安定」を重視する姿勢が強いことも、賃金の伸びを緩やかなものにしているように思います。

 雇用の安定については、雇用者数は引き続き1%を幾分上回る安定した増加を示しており、労働市場は次第に引き締まりつつあります。2007年1月に女性の失業率は3.8%と男性の失業率4.1%を下回っていますが(図表7)、女性の賃金上昇率は、2005年以来、男性と比較して安定的にプラス基調で推移しています。また、パート労働者の時給は2003年頃からプラスの伸びとなり、2006年にかけて緩やかに増加しています(図表8)。先行き労働市場の需給がより引き締まるにつれて、男性を含め賃金が安定的に上昇していくことが期待されます。

 雇用者数が安定的に増加する中で、雇用者所得は緩やかな増加を続け、個人消費は底固い動きを示しています(図表9)。初夏の長雨や暖冬といった天候要因や新製品投入前の買い控えなど一時的な下押し要因が剥落し、賃金が労働需給の改善を反映して再び上昇傾向を示すようになるにつれて、個人消費も回復感が次第に明確になっていくものと考えられます。

  1. 労働需要が増加する一方で賃金の上昇が緩やかであるのは、女性の労働参加率の上昇傾向に見られるように労働供給が弾力的であることが作用している可能性もあります。

生産と在庫調整

 生産面に目を転じてみますと、昨年10−12月に前期比2.6%と大幅な増加を示したことの反動要因やIT部門の在庫調整もあって、1−3月は伸びが鈍化するものと見られます(図表10)。IT部門の在庫調整は、2002−2003年、2004−2005年にもありました。今回は、国内における携帯電話や新型ゲーム機に関連する部分の影響が大きいと言えますが、パソコンについては、新しいOS導入の影響なども見極める必要があります。

消費者物価の動向

 物価面では、1月の生鮮食品を除く消費者物価は前年比横這いであり、短期的には原油価格や為替レートの動向如何で若干のマイナスになる可能性があります。しかし、より長い目で見ると、日本経済が過去4年間にわたって2%程度の潜在成長率を上回る成長を遂げ、先行きも息の長い景気拡大が続くと見込まれる中で、消費者物価も基調として次第に上昇傾向を示すようになると考えられます。景気拡大の持続により、資本や労働の稼働率は着実に高まってきていますし、先行きの稼働率もさらに上昇を続けるものと見られます。短観にみられるように、企業経営者による設備や雇用の不足感は強まっており、経済全体の「需給ギャップ」も需要超過状態に入ってきています(図表11)。

 秋口以降、個人消費や賃金の伸び悩みの影響もあって、消費者物価の上昇は足踏みしていますが、原油価格低下の影響が剥落するにつれて再び緩やかな上昇傾向を示していくものと考えられます。ここで、原油価格低下の効果については、交易条件の悪化を通じて産油国へ移転していた実質所得が、企業収益改善や価格下落を通じて家計部門の実質所得を改善し、個人消費にもプラスの影響が発生することを考慮する必要があります(図表12、13、14)2

  1. 22004年から2006年にかけての産油国への実質所得移転効果は、GDPデフレータと国内需要デフレータの伸び率の差で近似することが出来ます。この3年間における実質所得移転額は、平均して名目GDPの0.7%に相当します。産油国に移転された実質所得が、国内で支出されるようになるとすれば、国内需要の伸びを高める効果があります。詳しくは、次の論文を参照して下さい。Hamada, Koichi, and Iwata, Kazumasa, ”National Income, Terms of Trade and Economic Welfare”, Economic Journal, Vol.94, December 1984

2月の金融政策決定会合

 日本銀行は2006年3月に「新たな金融政策運営の枠組み」を発表しました(図表15)。この枠組みの下では、2つの柱に基づいて先行きのリスクを点検します。

 第1の柱は、主として1年半から2年程度の予測期間における経済物価情勢の見通しとリスクを点検するものです。2月の金融政策決定会合では、「日本経済の先行きを展望すると、生産・所得・支出の好循環メカニズムが維持されるもとで、緩やかな拡大を続ける蓋然性が高い」こと、また「消費者物価は、原油価格の動向などによっては目先前年比ゼロ近傍で推移する可能性があるが、景気拡大が続く下で、基調として上昇していくと考えられる」という判断を下しました。

 第2の柱は、予測期間のみならず予測期間を越える期間において、発生する確率が低いとしても、それが発生した場合に経済に与える影響が大きいと考えられるリスクを点検するものです。前回会合では、設備投資の活発化により資本ストックの蓄積が過度に行われるといった動きが生じているわけではありませんが、「仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、行き過ぎた金融・経済活動を通じて資金の流れや資源配分に歪みが生じ、息の長い成長が阻害される可能性がある」と判断しました。

 これら2つの柱の判断に基づき、日本銀行は金融調節方針として無担保コールレート(オーバーナイト物)を0.5%前後で推移するよう促すことを決定しました(図表16)。同時に、補完貸付(担保の範囲で制限なく貸出に応ずる制度)の基準貸付金利も0.75%としました。一方、長期国債の買入れについては、当面これまでと同じ金額、頻度で行うことにしました。

 先行きの金融政策運営については、引き続き極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済物価情勢の変化に応じて徐々に金利水準の調整を行うことにしております。

金融政策運営の考え方

 ところで、金融政策変更の効果が実体経済や物価に波及していくまでにかなりの時間がかかります。金融政策の効果の波及は長く、しかも不確実なラグがあるために、十分に長い期間の先行きについて、経済物価情勢の見通しを立て、先見的(フォワードルッキング)に金融政策運営を行う必要があります。

 日本銀行は、年2回、「経済・物価情勢の展望」において、1年半から2年程度の経済物価見通しを公表し、それに基づいて金融政策を行っています。公表した経済物価見通しに基づき金融政策を行うというスタイルは、各国中央銀行によって共有されていると言えます。

 「先見的な政策枠組み」において重要なポイントは、経済物価の先行きについて、足元までの経済指標や情報を丹念に分析し、最も蓋然性の高い見通しとそれに対する上下のリスクを洗い出し、それに対応する最も望ましい政策選択を行うことにあります。とりわけ、強弱様々なデータが出ているときには、見通しの確かさを十分点検しながら、政策対応を考えることになります。従って、利用可能な経済指標や情報を丹念に点検して結論を出すことは、先見的な金融政策の根幹をなすものであります。足元のデータの点検と先見的な金融政策運営が、あたかも別物であるかのように切り離して議論することは、そもそも「新たな政策枠組み」の基本的な考え方と相容れない見方であるといえます。

 1月の経済物価見通しの中間評価では、足元経済物価がやや下振れて推移しているが、先行きについては、物価安定の下で景気拡大が持続する可能性が高いという判断を下しました。1月の会合では、政策対応を行うには、見通しの確かさについてなお十分確信をもてないと考える委員が多数であったのに対して、2月の会合では、その時点までに利用可能なデータや情報を点検した上で、景気拡大の生産・所得・支出の好循環が健在であることを再確認し、先行きの経済物価の見通しに確信が深まったとの判断に基づき、金利引上げの決定を行ったものです。

 また、「新たな政策枠組み」では、「中長期的な物価安定の理解」を念頭におきながら政策運営を行うことが明記されています。この「物価安定の理解」は、現存する消費者物価指数のもつ歪みや日本の過去の歴史的な物価の推移を踏まえ、消費者物価指数が前年比で0~2%程度であれば、各委員の「中長期的な物価安定の理解」の範囲と大きくは異ならないとの見方を示しています3。0%を含んでいますが、そのことは、日本銀行が0%の達成を目指して政策運営を行うことを意味しているわけではありません。むしろ、委員の理解の中心値は、「大勢として、概ね1%の前後で分散している」ことに留意すべきであると思います。

 先ほど述べましたように、消費者物価の上昇率は、目先原油価格の動きによっては一時的にはゼロないし若干のマイナスになる可能性もあります。加えて、グローバリゼーションが進展する下で、国内資源の稼働率の高まりに対する物価の感応度が低くなっている可能性もあります。他方で、原油価格下落は、交易条件の改善から実質賃金や個人消費にプラスの効果を与え、景気拡大を持続させる要因にもなります。

 先見的な金融政策運営の観点から重要であるのは、基調的な物価の動きであると言えます。世界経済の拡大見通しと国内経済の拡大メカニズムがしっかりと維持されているという前提の下では、原油価格低下の影響が剥落するにつれて、長い目でみれば消費者物価のプラス基調が定着していくものと考えられます。いずれにしても、短期的な物価変動よりも十分に長い先行きの経済・物価動向を予測しながら、中長期的に「物価の安定」を実現するよう努めていくことが重要であると思います。

 最後に、日本銀行と市場との対話について、必ずしも円滑に行われていないのではないかとの批判があります。中央銀行は、「金融政策運営に関する基本的な考え方」と「金融経済情勢に関する判断」を市場や国民に対して丁寧に説明する必要があります。この2つの点について丁寧に説明することによって、金融政策運営の透明性が確保されるばかりでなく、政策の有効性も高まることになります4

 市場参加者は、中央銀行が提供する情報をもとに自らの経済物価観をすりあわせながら金利形成を行っています。中央銀行は、市場金利やイールドカーブの動きから市場参加者の経済物価観を読み取ることが出来ます。市場との対話とは、このように双方向のものです。ここで重要なポイントは、中央銀行は、政策運営についての大きな流れを示すけれども実際の政策のタイミングまでは特定しないということです。

 金融政策決定会合においては、各委員はそれまでに入手可能な最新のデータや情報をもとにして、経済・物価の現状と先行きを討議します。従って、あらかじめ政策のタイミングを市場に知らせることはありえないし、仮にそうした場合には、市場から情報を読み取ることが出来なくなってしまいます。市場と中央銀行との対話は、可能な限り雑音や歪みのない形で行うことが望ましいといえます。

  1. 3「中長期の物価安定の理解」は、政策委員のみならず市場参加者にとっての「共有知(コモン・ナレッジ)」であることが、コミュニケーション・ポリシーの面で、それが「フォーカル・ポイント」(人々の注目を集め、合意形成に役立つこと)になるということが重要な点であるといえます。詳しくは、岩田一政「序章 経済制度の国際的調整」(岩田一政・深尾光洋編「経済制度の国際的調整」日本経済新聞社1995年)を参照して下さい。
  2. 4イングランド銀行の市場とのコミュニケーション・ポリシーについて、キング総裁は、中央銀行は、「金融政策の目標」と「経済の現状と先行きについての分析」という2つの鍵となる情報を市場に提供することによって、市場の政策金利に関する期待形成に資するようすべきであるが、誰一人事前に結論を知ることが出来ない、利上げするかどうかといった金融政策の決定についての情報は、市場に提供すべきでないと論じています。詳しくは次のスピーチを参照して下さい。 “Speech by Mervyn King Governor of the Bank of England at the Lord Mayor's Banquet for Bankers and Merchants of the City of London at the Mansion House”, 21 June 2006

 御清聴ありがとうございました。

以上