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わが国経済の展望と金融政策運営について

島根県金融経済懇談会における武藤副総裁挨拶要旨

2007年6月20日
日本銀行

目次

1.はじめに

 日本銀行の武藤です。島根県の経済界を代表する皆様方とお話する機会を頂き、大変うれしく存じます。また、平素より、私どもの支店が皆様に大変お世話になっておりますことを、この席を借りて厚くお礼申し上げます。

 本日は、はじめに、経済・物価動向の現状と先行きに関する私どもの見方をお話し、次に、最近の日本銀行の金融政策運営について、お話したいと考えております。

2.経済・物価情勢の現状と先行き

(景気の現状と先行き)

 まず、景気の現状についてですが、わが国経済は、緩やかに拡大しています。外部環境をみますと、世界経済は、地域的な拡がりを伴って堅調に拡大しています。国際通貨基金(IMF)では、世界経済は、昨年中5%強の成長を遂げ、本年、来年も5%近い成長を続けると予想しています。こうした海外経済の拡大を背景に、輸出は増加を続けています。米国向けの輸出は現地経済の減速を受けてやや弱い動きとなっていますが、その他の地域向けは幅広い分野で増勢を続けています。

 国内面では、企業部門をみますと、高水準の収益が継続しています。2007年3月期の上場企業(金融と新興市場を除く)の経常利益は、10%程度の増益となり、2008年3月期も引き続き増益が見込まれています。こうしたもとで、設備投資は増加を続けています。機械受注など弱めの指標もみられますが、各種調査による2007年度設備投資計画が比較的しっかりとした内容であることから、設備投資は増加を続けていると考えられます。

 次に、家計部門をみますと、企業活動の拡大に伴い、雇用者数は前年比1%程度のペースで増加を続けています。少子化のもとで15歳から64歳までの生産年齢人口は1%近く減少していることを考えるとかなり高い伸びです。不足分は、高齢者の再雇用や女性の労働市場への参入など、いわゆる労働参加率が高まる形で、まかなわれてきています。それでも、労働需給は次第にタイトになっており、私どもの短観調査など各種の企業アンケートでも、人手不足感が高まっています。本年4月の完全失業率(季節調整値)は、9年1か月振りに3.8%まで低下しました。

 一方で、一人当たりの賃金は伸び悩んでいます。企業の人件費抑制姿勢が引き続き根強いことに加え、団塊の世代の退職に伴って、相対的に給与の低い若年層に振り替わっていることや、再雇用やパートなど労働時間の短い雇用形態が増えていることなどが影響しているように思われます。さらに、地方自治体による公務員給与の削減も、教育や医療分野などでの賃金の弱さにつながっている面があると考えられます。先行きについては、企業の人件費抑制姿勢は続くとみられますが、人手不足感が今後とも高まっていくもとで、次第に、賃金への上昇圧力は高まっていくと考えられます。雇用者数の増加と併せて、雇用者所得は緩やかな増加を続けるとみています。

 こうしたもとで、個人消費は、昨年夏場には弱めの動きもみられましたが、その後持ち直し、底堅く推移しています。雇用者所得の増加に加え、株式配当などの財産所得の増加や団塊世代への退職金支払なども、家計所得を支える要因になると考えられます。先行きの個人消費については、目立って高い伸びは期待できないとしても、緩やかな増加を続けるとみています。

 このように、わが国経済は、企業部門の好調さに比べて、家計部門の回復がやや緩慢でありますが、全体として、緩やかな拡大を続けています。先行きについても、海外経済の拡大と緩和的な金融環境が続くもとで、生産・所得・支出の好循環のメカニズムが維持され、息の長い成長が続くと考えています。成長率の水準は、今年度、来年度ともに、わが国経済の潜在成長率——設備や労働といった資源を長期的にみて平均的な水準まで稼働させた時に達成される経済成長率であり、日本銀行では、現在は1%台半ばから後半と推計しています——を幾分上回る2%程度とみています。

(物価の現状と先行き)

 物価面をみると、国内企業物価は、国際商品市況高などを背景に、3か月前比でみて上昇を続けています。一方、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、このところゼロ%近傍で推移しています。

 景気拡大が続いている中でも、消費者物価の上昇圧力が抑制されている背景には、グローバル化や規制緩和などによる、厳しい競争環境があると考えられます。

 今回の景気拡大は、グローバル市場で好業績を上げる企業に牽引されたものですが、そうした企業であっても、人件費の低い新興国企業との競合や資本市場からの規律強化を背景に、生産性上昇に努めるとともに、人件費の抑制姿勢を堅持しています。また、グローバル市場へのアクセスが相対的に少ない企業、例えば、非製造業の分野でも、規制緩和や業界再編が進む中で、公共支出の削減や販売管理費などの経費節約による法人需要の伸び悩みもあって、厳しい競争環境にあります。

 また、企業は、90年代以降、こうした競争環境の変化への対応と同時並行的に、いわゆる3つの過剰など構造的な問題の調整を進めてきました。その過程での厳しい雇用環境の経験から、労働者の側でも、賃金よりも雇用を優先する姿勢が強まりました。現在、企業はむしろ人手不足状況にありますが、労使双方が競争環境の厳しさを強く認識している中で、こうした労働者の姿勢や企業の人件費抑制姿勢は根強く残っています。

 緩やかとはいえ息の長い成長が続き、人手不足感が強まっているのに、賃金が上がらない背景には、こうしたグローバル化や規制緩和などによる厳しい競争環境、そして、これらに対応する過程で根付いた企業と労働者の賃金に対する姿勢があるように思います。

 このことは、需給両面で消費者物価が上がりにくいことにもつながっています。供給面では、企業は、生産性との対比で賃金の上昇を抑制し、製品当たりのコストを下げることで、値上げを回避しようとしています。また、需要の面では、賃金が上がらず、家計への所得波及が緩やかなため、家計が購入する消費財やサービスの需要は緩やかにしか回復していません。

 こうした基本的な構図は容易に変わらないと思います。グローバル化はさらに進展していくと考えられますし、規制緩和や業界再編などを背景とした国内における競争環境の厳しさも続いていくと思われます。このことは物価や賃金が上がりにくい要因として働きつづけるとみられます。もっとも、今後とも景気の拡大が続いていけば、物価や賃金に対しても次第に上昇圧力が生じていくと考えるのが自然です。2008年度までを展望して潜在成長率を上回る成長が続くとすれば、設備や労働といった資源の稼働状況はさらに高まっていきます。人手不足感も強まり、賃金にも上昇圧力が加わると考えられます。その結果、家計部門への所得波及が進んで行けば、消費財・サービスを巡る需給環境も改善すると考えられます。

 こうした点を踏まえると、消費者物価の前年比は、目先はゼロ%近傍で推移する可能性が高いものの、より長い目でみると、プラス幅が次第に拡大していくとみられます。グローバル化などの要因が物価抑制圧力として作用するため急激に上昇することはないと思いますが、緩やかな上昇は展望できると考えています。年度ベースでは、2007年度がごく小幅のプラス、2008年度が0%台半ばを予想しています。

3.経済・物価を巡るリスク要因

(景気面)

 以上のように、この先2年程度を展望した場合、わが国経済は、潜在成長率を幾分上回る2%程度の息の長い成長を続け、消費者物価は、目先はゼロ%近傍でも、より長い目でみると、プラス幅が次第に拡大していくとみています。これが最も蓋然性が高い見通しだと考えていますが、将来のことには当然不確実性がありますので、そうならない可能性も考えておく必要があります。ここでは、幾つかのリスク要因についてお話したいと思います。

 一つ目のリスク要因は、海外経済の動向です。見通しでは、海外経済は地域的な拡がりを伴って拡大を続けると想定しています。現在減速過程にある米国経済はソフトランディングし、また他の地域の拡大が米国の減速を補うということです。もっとも、米国経済については、住宅市場の調整の進捗度合いや設備投資の先行きを不安視する見方もあります。ここ数か月話題になっている低所得者層を対象にした住宅融資の返済の延滞問題、いわゆる「サブプライム住宅ローン」の問題については、景気全体や金融システムに広範な影響を及ぼさないとの見方が強まりつつあるようですが、住宅市場の調整が想定以上に深刻なものとなったり、設備投資が下振れた場合には、景気は一段と減速する可能性があります。また、米国では、資源の稼働状況が高水準であるもとで、インフレ圧力が持続するリスクもあります。コアの消費者物価の伸び率をみると、このところ幾分低下していますが、依然やや高止まっています。仮にインフレ圧力が減衰しない場合には、長期金利や為替相場などの反応を介して、米国のみならず、世界の金融市場や経済に悪影響が及ぶリスクがあります。

 中国では、固定資産投資や輸出を中心に景気の上振れリスクを抱えています。中国人民銀行では、先月、人民元の対ドル直物レートの変動幅を拡大するとともに、預金・貸出の基準金利、預金準備率の引き上げを行いました。中国経済が景気上振れリスクを上手く抑制しつつ、安定成長を持続できるかどうかが注目されます。

 二つ目のリスク要因は、IT関連財について在庫調整が継続していることです。これは主として、携帯電話やパソコン関連などで国内向け製品に関する在庫・出荷バランスの改善が遅れていることによるものと考えられます。世界全体のIT関連需要は、BRICs等の新興国市場の急成長もあって、拡大傾向を辿っているため、基本的には、在庫調整は本年半ば以降には一巡していくと考えています。もっとも、この分野は供給能力の拡大ペースが速く、また、そうしたもとで稼働率の維持を優先する動きもみられることから、例えば、海外経済における景気減速リスクが顕現化し、需要が下振れる場合には、在庫調整圧力が一段と高まる可能性もあります。

 三つ目のリスク要因は、金融環境などに関する楽観的な想定に基づいた金融・経済活動の振幅の拡大です。企業や金融機関の財務体質が改善している中、実質金利は極めて低い水準にあることから、金融・経済活動が積極化しやすい局面にあります。仮に期待成長率や資金調達コスト、為替相場や資産価格の見通しなど、先行きの採算に関する楽観的な想定に基づいて金融・経済活動が積極化する場合には、金融資本市場において行き過ぎたポジションが構築されたり、結果的に非効率な経済活動に資金や資源が使用され、長い目でみた資源配分に歪みが生じる可能性があります。このような行動は、短期的には景気や資産価格を押し上げることがあっても、その後の反動を余儀なくされ、息の長い成長を阻害する可能性があります。

(物価面)

 こうした景気を巡るリスクが顕現化した場合には、物価にも影響が及ぶとみられますが、物価自体に固有の上振れ・下振れ要因も考えられます。一つには、景気が拡大しても、物価が想定のとおりには上昇しないリスクです。先ほどお話したように、企業が厳しい競争環境に直面している中で、賃金の上昇テンポが生産性との対比で高まっていくかどうかは不確実です。また、家計部門への所得波及が想定以上に遅れる場合には、消費財・サービスを巡る需給環境があまり改善しないことにもつながります。

 一方、潜在成長率を上回る成長が2008年度まで持続すれば、設備や労働といった資源の稼働状況は一段と高まりますので、これまで低位で安定してきたインフレ予想が上昇する可能性があります。また、企業の人手不足感が高まっている中で、良い人材を確保しようとすれば、人件費抑制姿勢を変化させる可能性もあります。そのような状況では、労働者側の賃金に対する姿勢も徐々に変わっていくかもしれません。これらは、物価に上振れ圧力が加わることを意味します。

 また、原油をはじめとする国際商品市況については、地政学リスクなどの要因によって、上下双方向に大きく振れる可能性があります。そうした場合、国内企業物価や消費者物価にも大きな影響を与えることになりますので、その動向をよくみていく必要があります。

4.日本銀行の金融政策運営

 次に、日本銀行が金融政策をどのように運営していくか、お話したいと思います。

 日本銀行の金融政策の目的は、物価の安定を通じて、国民経済の健全な発展に資することです。物価の安定とは、「家計や企業等の様々な経済主体が物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況」と考えています。米国FRBのグリーンスパン前議長も、議長当時同じような考え方を述べており、各国で広く受け入れられている考え方です。こうした物価の安定を実現するためには、先を見据えたフォワード・ルッキングな金融政策運営が重要です。一般に、金融政策の効果が経済や物価に波及するには長い時間がかかり、また、短期的な物価の変動を全て吸収しようとすると経済の変動がかえって大きくなってしまいます。このため、金融政策においては、十分長い先行きの経済・物価の動向を予測しながら、中長期的にみて物価の安定を図るように、現在の政策を決定していく必要があります。この点も、各国の中央銀行で共有されている考え方です。

 こうした基本的な考え方に立った上で、日本銀行では、私を含めて9人の政策委員が、中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率を「中長期的な物価安定の理解」という形で公表しています。4月末に公表した内容は、「消費者物価指数の前年比で0〜2%程度の範囲内にあり、委員毎の中心値は、大勢として、概ね1%の前後で分散している」というものです。

 こうした理解を念頭に置いた上で、先ほどご説明したわが国経済の先行きを評価しますと、次のようになります。まず、実体経済面では、潜在成長率を幾分上回る息の長い成長を続けるとみています。また、物価面では、消費者物価は、目先はゼロ%近傍で推移する可能性が高いものの、より長い目でみると、プラス幅が次第に拡大していくとみられます。こうした動きは、「中長期的な物価安定の理解」に沿ったものであり、わが国経済は物価安定のもとで持続的成長を続ける可能性が高いと評価できると考えています。

 こうした見通しは市場や企業が先行きの政策変更を織り込んだ上で意思決定していることを前提としたものです。したがって、経済・物価が今後とも見通しに沿った動きを続けていくためには、政策金利水準の調整を行っていくことが必要となってくると考えられます。ただ、必要な調整のペースは、今後の経済や物価情勢の改善度合いに応じて、決まってくるものであり、予めそのスケジュールが決まっているものではありません。

 また、以上のような蓋然性の高い見通しが実現しないリスクについても、アップサイド・ダウンサイドとも十分点検しながら、政策運営を行って参りたいと思います。具体的には、アップサイドとしては、先行き、経済・物価情勢の改善が展望できる状況において、金融政策面からの刺激効果が一段と強まることのリスクに注意する必要があります。例えば、仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、そうした期待を前提として、企業や金融機関などの行き過ぎた活動が生じる可能性があります。その結果、中長期的にみて、経済活動や物価上昇率の振幅が大きくなったり、資金や資源の配分に歪みが生じるリスクがあります。また、ダウンサイドとしては、先ほど述べたような下振れリスクが顕現化するような場合には、経済情勢の改善が足踏みするような局面も考えられます。また、経済情勢の改善にもかかわらず、物価が上昇しない状況が続く可能性もあります。ただし、わが国の企業部門の体力や金融システムの頑健性は高まっており、物価下落と景気悪化の悪循環いわゆるデフレ・スパイラルが生じるリスクはさらに小さくなっていると考えています。

 このように、先行きの金融政策は、「中長期的な物価安定の理解」に照らして、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長軌道を辿る蓋然性が高いことを確認し、リスク要因を点検しながら、進めて参ります。こうした確認・点検を踏まえた上で、経済・物価情勢の改善の度合いに応じたペースで、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えています。

5.おわりに

 以上、わが国経済の現状と先行き、および当面の日本銀行の金融政策運営についてお話して参りましたが、最後に、島根県経済についてお話したいと思います。

 島根県には、多様な魚介類、西条柿やぼたん、仁多米や隠岐牛など、農水産分野に数多くの特産品があります。工業品の分野でも、電子部品をはじめとする電気機械や、古代の「たたら製鉄」をルーツとするとされる鉄鋼等、世界的に知られた産業が立地しています。隣県にまたがる「中海・宍道湖圏域」については、日本海側でも有数の産業の集積地として知られています。観光面では、数多くの温泉と、宍道湖・中海、日本海に浮かぶ隠岐の島をはじめとする豊かな自然を擁しているほか、出雲大社をはじめとする神社仏閣、築城開始から400年を迎える松江城、世界遺産登録が検討されている石見銀山遺跡など、歴史的資産や文化的資産が数多く存在しています。こうした当地の素晴らしさについては、当地に滞在した小泉八雲、志賀直哉、芥川龍之介といった文豪によって、広く伝えられているところでもあります。

 今年は、4月に松江開府400年行事がスタートしたことに加え、現在、石見銀山遺跡の世界遺産登録についても検討が進められている等、当地に強いスポットライトが当たっている年だと感じています。古の神話の時代から現在に至るまでの歴史と文化、豊かな自然といった当地の強味は、当地経済を一層活性化していく上でも、重要な役割を果すと思われます。

 最近の景気動向をみると、島根県は、回復が遅れ気味になっていましたが、本年入り後は、製造業の好調を背景に雇用情勢が緩やかながら改善をみる中、暖冬が観光面にプラスの影響を及ぼしたことや、災害復旧工事や原発工事等の特需がみられたこともあって、景気は漸く上向く兆しが窺われています。また、島根県では産官学を挙げて、財政改革や産業振興に向けた取り組みを積極的に展開しているほか、新産業創出・産業誘致や、観光資源の活用など地域振興に向けた各種施策にも積極的に取り組んでおられると伺っています。こうした施策が地域経済の活性化に着実に貢献することを期待しております。

 日本銀行では、引き続き、支店網などを通じて地域経済の動向もよく調査しながら、経済・物価情勢を丹念に点検し、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長を達成していけるよう、適切な金融政策の運営に努めて参る所存です。

 本日は、ご清聴頂き、有難うございました。

以上