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日本経済の課題:構造改革への取り組みについて

ジャパン・ソサエティ(ロンドン)における講演(9月7日)要旨の邦訳

2007年9月7日
日本銀行

目次

 前回、私が、ジャパン・ソサエティの場でお話させて頂いた2004年当時、日本経済は、バブル崩壊後の長らく続いた不況の底から、本格的な景気回復がようやく軌道に乗り始めた段階でありました。その後も日本経済は成長を続け、景気回復局面は、2002年の景気の底から数え5年を超えて戦後最長となったことを、本日、皆様にお話でき、嬉しく思います。

(日本経済の現状)

 最初に、日本経済の現状について、もう少し詳しくお話しいたします。日本経済は、旺盛な外需と安定した国内民間需要に支えられ、潜在成長率を幾分上回る、2%程度の成長が続いています。

 特に企業部門は好調です。日本銀行が行っているビジネスサーベイ、いわゆる短観調査によると、企業の売上高経常利益率は、既往最高圏内で推移しており、そうした中で、企業の設備投資は本年度で5年連続の増加を続ける計画です。

 企業部門の好調は家計部門に、緩やかながら着実に波及しています。後述のように、賃金上昇は顕現化していませんが、雇用者数や株式配当の増加など様々なルートを通じ、家計所得は増加基調にあり、個人消費は底堅く推移しています。このもとで、労働や設備といった資源の稼働状況は高まっています。失業率は、9年振りに3.6%まで低下しています。

 息の長い景気拡大が実現している背景には、主に次の2つの要因があると考えられます。第一の要因は、世界経済の拡大を背景とした輸出の増加です。とくに、アジアを中心とした国際分業体制の広がり・深化が、新興国経済の高成長とあいまって、成長の牽引力となりました。

 第二の要因は、企業部門の体力や金融システムの安定性の回復です。80年代後半からのバブル経済の生成と崩壊によって、企業は過剰債務・設備・雇用、金融機関は大量の不良債権を抱えました。企業は事業・財務両面の再構築を果たし、銀行の不良債権比率は、最悪期の8%台から2%台まで低下しました。これらの問題は、現在では、ほぼ解決されたと言って良いと思います。

(物価情勢)

 次に物価面をみると、経済が着実な成長を遂げているにもかかわらず、これまでのところ物価上昇圧力は目立って顕在化していません。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、1998年度から2004年度までマイナスで推移し、その後、2005年度、2006年度は若干のプラスとなりましたが、足もとはごく小幅ながら再びマイナスとなっています。

 着実な成長の割に物価が殆ど上昇しないことは、今回の景気回復局面の特徴のひとつであり、ややパズルとも言える状況です。私は、その背景には、物価やその背後にある賃金情勢を巡る3つの変化があると考えています。

 第1に、経済のグローバル化の進展です。企業は、人件費の低い新興国企業との競合や内外の資本市場からの規律強化を背景に、生産性向上に努めるとともに、人件費の抑制姿勢を堅持しています。

 第2に、規制緩和の影響です。グローバル市場へのアクセスが少ない非製造業の分野でも、規制緩和や業界再編が進む中で、競争環境は一段と厳しくなっています。

 こうした企業の経営環境を巡る変化に加え、第3に、労働者サイドの要因も挙げられます。つまり、長期間にわたった厳しい雇用調整の経験から、労働者サイドでも、賃金の引き上げよりも雇用の確保を優先する姿勢が残っています。

 だたし、やや長い目で先行きをみると、物価を巡る環境は徐々に変化していくものと思われます。第1に、経済が着実な成長を続けるもとで、マクロ的な需給ギャップは需要超過方向で推移していくと考えられます。

 第2に、失業率の低下などに示されるように、労働需給はタイト化してきています。これは、いずれは緩やかであれ賃金上昇につながっていくものと見込まれます。

 第3に、民間経済主体のインフレ予想も、先行きにかけて物価が緩やかに上昇していく形となっています。したがって、わが国の消費者物価は、目先はゼロ%近傍で推移する可能性が高いですが、将来は、プラス幅が次第に拡大していくものと予想しています。

(金融政策運営)

 次に、金融政策運営の基本的な考え方をご説明したいと思います。これまで申し述べてきたように、経済の着実な成長が続く中、物価はなかなか上昇しないという情勢のもとで、日本銀行は金利水準の調整をゆっくりとしたペースで行ってきました。昨年3月の量的緩和政策解除以降、2回の利上げを行い、現在、政策金利であるコールレートの誘導水準は0.5%となっています。

 先行きも、これまでの考え方を維持する方針です。すなわち、経済・物価情勢をフォワード・ルッキングに判断し、物価安定のもとでの持続的成長軌道を辿る蓋然性が高いことが確認されるのであれば、経済・物価情勢の改善の度合いに応じたペースで、徐々に金利水準の調整を行うということです。

 8月の金融政策決定会合では、政策金利を維持する決定をしました。日本経済は、先行きも、息の長い拡大を続けると予想されます。ただ、金融市場においては、米国におけるサブプライム住宅ローンの問題をきっかけに、世界的に振れの大きい展開となっています。基本的には、投資家によるリスク再評価の過程とみられますが、市場の動向については、その背後にある世界経済の動きとともに、引き続き注視する必要があると考えています。今後については、公表される指標や情報、内外の金融市場の状況などを丹念に点検し、適切な政策判断を行っていきたいと思います。

(日本経済の課題)

 以上、日本経済のこれまでの軌跡と金融政策運営の考え方をご説明しました。願わくは、今後も安定的な成長経路を継続し、英国の15年に及ぶ景気拡大の記録に近づきたいものです。ただ、皆様の間には、日本経済が少子高齢化や財政再建など多くの課題を抱えていることを理由に、将来展望に懸念を持たれている方も多いかと存じます。残る時間を使って、日本経済が抱える課題を3点取り上げ、その取り組みがどのように進められているかをお話したいと思います。

 課題の第一は、少子高齢化です。この問題は、多くの先進国で共通の悩みであるとはいえ、日本の場合には、問題の深刻さが際立っています。15歳以上64歳以下の生産年齢人口が、年率1%弱の減少に転じている中で、成長率を維持していくことは容易ではありません。

 こうした環境変化に対応していくためには、働く意欲のある高齢者や女性を貴重な労働力として一層活用していくことが、重要な社会的課題となります。そのような課題解決に向けた動きとして、企業は、雇用形態の多様化を図りつつあります。こうしたもとで、女性や高齢者の労働力率は上昇しており、実際、生産年齢人口の伸び率がマイナスとなる中にあって、雇用者数は年率約1%のペースの増加を達成しています。

 もっとも、より長い目で労働市場の先行きを見据えると、人口減少への対抗策についての検討を深めることが必要な状況になっています。この点に関連して、英国においては、最近3年間で約60万人もの移民を受け入れ、成長力の向上に寄与していると聞いています。日本においても、外国人労働力の受け入れについて、社会全般への影響も含めた総合的な検討が必要だと思います。

 課題の第二は、財政再建です。財政再建についての基本的な考え方を申し上げれば、その道筋や手段について長期的な方向性を透明な形で示したうえで、実際のスピードについては、持続的な成長経路を経済が進んでいることを確かめながら、一歩一歩着実に進めていくことが大切だと思います。これまで、そのような方向での改善が図られてきました。

 日本政府は、歳出削減の目標額を具体的に掲げたうえで、2010年代初頭の基礎的財政収支黒字化を標榜しています。2003年度にはGDP比約−6%まで悪化した基礎的財政収支は、本年度は−0.9%に縮小する見込みです。とりわけ、本年度の公共投資は、ピークであった95年度との対比で約半分まで減少しています。この減少幅は、GDP比で4%程度に相当する巨額なものです。

 このように、財政再建に向けた取り組みは着実に進められているのですが、政府債務残高のGDP比は140%を超え、先進国中で最悪の状況にあります。政府は、2010年代半ばにかけて、この比率を安定的に引き下げていくことを、次の段階の目標としています。人口高齢化を背景に、社会保障関連の支出が増加傾向にある中で、このことは大変厳しいチャレンジとなる訳ですが、歳出削減策や、消費税を含む歳入のあり方については、今後とも国民的議論を尽くしながら検討していく必要のある分野です。

 課題の第三は、新興国との競争激化です。特に、日本がバブル崩壊後の厳しい調整を迎えていた時期には、新興国のプレセンスの拡大について、日本の競争力を脅かす側面が強調されがちでした。

 幸い、この点についても、ここ数年で企業の適応が進み、アジアを中心に国際的な分業体制が新たに構築されてきていると評価できます。例えば、わが国のアジア諸国からの輸入は、かつての労働集約的な財である衣料品や軽工業製品に代わって、加工度の比較的高い情報関連等の機械類のウエイトが次第に増加してきています。その背景には、日本からは高い技術を要する部品類を輸出し、アジアの豊富な労働力を活用し、組み立てを行い、最終製品として輸入するという、域内貿易が拡大していることが指摘できます。

 このように、わが国の企業が生産過程の最適化を求める中で、日本からのアジアへの直接投資は増加しています。海外事業の収益性は着実に増加しており、投資収益や特許使用料など様々な形で国内に還流しています。

 こうした動きは、国際収支上は、所得収支およびサービス収支の改善として表れています。特に、所得収支の黒字幅は、債券利子が増加していることもあって、貿易黒字を凌駕し、経常黒字(GDP比約5%)の半分以上を占めるに至っています。

 このように、日本と海外、特にアジア諸国とは、製品輸出の単なる競争相手という関係から脱却し、サプライ・チェーン・マネージメントや直接投資のネットワークを通じた相互建設的な関係に入ってきている、という観点を強調しておきたいと思います。

 以上、日本経済の抱える課題について3点述べました。いずれも、容易には解決されない課題です。しかし、お話したように、既に問題解決に向けて着実な取り組みが進められており、その成果が徐々に上がり始めているのも事実です。このような取り組みの方向性をさらに確かなものとしていくことで、日本経済が、新たな発展を実現していくことは十分可能だと思います。日本銀行としても、適切な政策運営を通して、経済・物価の安定を確保することで、貢献していきたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。