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オープンな経済社会の実現に向けて
大分県金融経済懇談会における水野審議委員挨拶要旨
2008年2月28日
日本銀行
目次
1.はじめに
日本銀行の水野です。本日は、大分県の経済・金融界を代表する皆様方にご出席賜りお話する機会を頂き、大変うれしく、かつ、光栄に存じます。また、平素より、私どもの大分支店が皆様に大変お世話になっておりますことを、この席を借りて厚くお礼申し上げます。
2.先行きの経済情勢
(1)わが国経済の現状認識と先行きの見通し
日本銀行は、昨年10月末に公表した「展望レポート」において、「先行き2007年度後半から2008年度を展望すると、海外経済や国際金融資本市場の動向など不確実な要因はあるものの、生産・所得・支出の好循環メカニズムが維持されるもとで、わが国経済は息の長い拡大を続けると予想される。」としました。その後、今年の1月の中間評価において、昨年10月時点の「経済・物価情勢の見通し」に比べて、「わが国の景気は、これまでのところ、住宅投資の減少が長引いていることなどから幾分下振れて推移している。このため、2007年度の成長率は潜在成長率をやや下回る水準になるとみられる。もっとも、生産・所得・支出の好循環メカニズムは基本的に維持されており、住宅投資が次第に回復に向かうことから、2008年度の成長率は、「見通し」に概ね沿って、潜在成長率をやや上回る水準になると予想される。こうした「見通し」については、引き続き、海外経済や国際金融資本市場を巡る不確実性、エネルギー・原材料価格高の影響などに注意する必要がある。」と総括し、2月の金融経済月報の基本的見解でも1月の総括判断を踏襲しました。もっとも、先行きを多少慎重にみているため、景気の先行きに関し中間評価で加えた「海外経済や国際金融資本市場を巡る不確実性、エネルギー・原材料価格高の影響などに引き続き注意する必要がある。」との「なお書き」を入れました。
個人的には、わが国経済は、現在、「内憂外患」に直面しているため「踊り場」的な状況にあり、幾分長引く可能性もあると思っています。「内憂外患」とは、国内についてみると、定率減税廃止による可処分所得の減少、改正建築基準法や貸金業法の施行を始めとする制度改正の影響に加え、原油価格高騰を典型とする原材料価格の上昇によるマイナスの影響であります。また、海外については、「サブプライム住宅ローン問題」に端を発した国際金融資本市場の混乱と米国経済の急速な減速、世界経済の不透明感の高まり、です。
政府は昨年末、2007年度及び2008年度の実質GDP成長率の見通しをそれぞれ前年度比+1.3%、同+2.0%へと下方修正しました。2007年度の「成長率のゲタ」は同+1.4%ですから、実質的に2007年度はゼロ近傍の成長率を想定していることになります。一方、2008年度については、定率減税の廃止、改正建築基準法の影響等による住宅投資の大幅減少の反動など、「内憂」部分は剥げ落ちるため、国内要因に注目すると、2007年度を上回る成長率となることが自然と考えられます。しかし、その一方で、「サブプライム住宅ローン問題」に端を発した国際金融資本市場の混乱、世界経済の減速、エネルギー・原材料価格高によるマイナスの影響など、「外患」による景気下振れリスクはむしろ高まると見込まれます。したがって、下振れリスクに鑑みれば、わが国経済は2007年度、2008年度と2年にわたって潜在成長率を下回る可能性を否定できないと考えます。
昨年10~12月期の実質GDPは、前年同期比1%台後半といわれる潜在成長率を前期比年率ベース、原系列の前年同期比ベースのいずれにおいてもクリアしました。7月以降の定率減税の廃止、改正建築基準法による住宅投資の大幅な減少、あるいは、消費者マインドの悪化をよそに、少なくとも昨年末まで実体経済が底堅く推移したことが一応明らかになりました。もっとも、1~3月期実質成長率は、(イ)外需の景気牽引力が弱まる公算、(ロ)所得の伸びが極めて鈍いなかでの生活必需品インフレを受けての個人消費失速リスク、(ハ)建築基準法改正に伴う住宅投資への悪影響は薄らぐとみられる一方、マンション販売低迷など住宅需要の低迷の負の影響がより明確となる可能性など、景気の下振れリスクは少なくありません。
(2)景気拡大を支える経済のメカニズム
私は、景気の現状を「踊り場」と評価しましたが、それは、今の景気拡大を支える「生産・所得・支出の前向きの循環」「好調な企業部門から家計部門への波及」というメカニズムが、足許、幾分弱まっているとはいえ、崩れてはいないと認識しているからです。これまでに発表されたハードデータをみても、景気を支えるメカニズムが崩れたとまで言い切る統計は十分でないと思います。個人消費も、力強さこそありませんが、緩やかに増加しており、家計は一定の恩恵を受けていると窺われ、前向きな循環メカニズムは働いています。
私が念頭においている「前向きの循環メカニズム」「好調な企業部門から家計部門への波及メカニズム」とは、世界経済の接点である輸出を起点とし、企業部門が成長を続け、その果実が緩やかに家計部門に波及していくというものです。ただし、企業部門は、厳しいグローバル競争に直面し、かつ近年は原材料価格の上昇にも遭遇しており、企業の賃金抑制意欲は強いものになっています。このため、企業部門が好調でもその果実の家計部門への波及はどうしても緩慢なものになると認識しています。
こうした認識の下、(イ)世界経済が減速しつつも緩やかに拡大を続け、(ロ)企業部門が全体として堅調さを持続することにより、わが国の景気は「踊り場」を脱却していくものとみています。この間、家計部門は、一人当たり名目賃金の増加というよりむしろ「雇用の増加・安定(非正規雇用者の正社員化を含む)、財産所得の増加等」により底堅さを増していくと考えています。
繰り返しになりますが、私が景気拡大を支えるメカニズムに関し強く感じているのは、一人当たり名目賃金は今後も上昇しないのではないかということです。中小企業では、賃金も雇用も減少して「雇用者所得」が低下しています。「経済のグローバル化」にもかかわらず、内需や公的需要への依存体質から脱却できていないため、中堅・中小企業の経営者の多くは賃上げに慎重になっています。これが、中小企業や地方経済が「生産・所得・支出の好循環」のうち「所得」から「支出」の流れに乗れない原因だと思います。
今回の景気拡大局面において、景気回復を実感できない国民が多いと言われています。この背景には、雇用者報酬(名目)は、昨年1~3月期が前年同期比+0.4%、4~6月期が同+0.3%、7~9月期が同+0.0%、10~12月期が同+0.2%と低水準で推移していることが指摘できます。
(3)今後のポイント
今後、点検していくべきポイントとして、(イ)各種制度変更や原材料価格の上昇が企業部門、とりわけ収益、設備投資動向にどのような影響を与えるか、(ロ)今年前半の米国の実質GDP成長率が限りなくゼロ近傍で推移する可能性も指摘されるなかにあって、生産が当面横ばいで推移した場合、輸出を起点とする「前向きの循環メカニズム」に変調が起きないか、を意識しています。
民間エコノミストの間では、景気の先行き見通しを慎重にみる声が増えています。この主因は、米国ほどではないにせよ、ユーロ圏でも景気減速感が目立ってきたためではないか、と思われます。ただ、わが国の通関輸出額に占める地域別内訳をみると、米国は2002年1が28.5%だったのが2007年は20.1%に低下し、EUは14.7%だったのが14.8%とほぼ横ばいで推移しています。一方、東アジアは41.6%だったのが46.0%に、中東・中南米・ロシアなど「その他地域」は15.2%だったのが19.1%にまでそれぞれ上昇しています。「経済のグローバル化」が進むなかで、米国経済の減速は、世界経済の減速要因になる一方、昨年の米国経済をみると、ドル安進行もあって輸出の増加も目立ちました。個人的には、米国経済は世界経済の最も重要な国であるが、「米国も世界経済の一部に過ぎない」という視点も必要ではないかと思います。
- 12001年12月に中国がWTOに加盟。
3.景気減速感が強まる米国経済
(1)世界経済の見通し
2008年の世界経済については、米国経済の減速はあるものの、エマージング諸国や中東諸国の経済が牽引するかたちで、前年比実質+4%程度の成長を持続すると考えています。IMFも1月末に今年の世界全体の成長率見通しを下方修正し、昨年の前年比+4.9%から今年は同+4.1%に鈍化すると発表しています。米国経済の減速は巷の想定よりも長引く可能性があり、世界全体の経済成長率はどちらかといえば、さらに下方修正されるリスクの方が高いと見込まれます。
(2)米国経済
米国ですが、(イ)これまでマインド指標の悪化にとどまっていましたが、最近は雇用統計をはじめハードデータで景気減速をはっきりと確認できるようになったこと、(ロ)直近のベージュブックで今年のクリスマス商戦は失望的な内容であったと報告されたこと、(ハ)一部の欧米大手銀行のサブプライム関連の損失負担が市場予想を上回ったこと、などを受けて、米国経済に関する悲観論が強まっています。金融市場では、FRBが相次ぐ大幅利下げを行ったにもかかわらず米国株式相場の反発力は限定的となっています。
特に気がかりなのは米国金融機関が貸出を慎重化させていることです。イェレン・サンフランシスコ連銀総裁も2月7日に「金融市場の混乱が住宅市場の落ち込みを強めただけでなく、一部の家計や企業の信用環境も引き締めた」と発言しています。昨年10~12月期の実質GDPは前期比年率+0.6%と7~9月期の同+4.9%成長から大幅に伸び率が鈍化しました。主因は、民間内需の減速ですが、設備投資の内訳である民間非居住建設投資は好調を維持し、7~9月期の前期比年率+16.4%に続き、10~12月期も同+15.8%と大幅に増加し、成長率を2四半期連続で0.4%ポイントも押し上げました。
しかし、FRBがこのところ注目している2月4日公表の「Senior loan officer opinion survey on bank lending practices」によれば、米国金融機関の融資スタンスが、前回調査に比べ大幅に厳格化しています。住宅ローンのみならず、オートローン、クレジットカード・ローンなど家計への信用供与に慎重になると同時に、商工業向け貸出の融資基準も厳格化しました。特に商業用不動産向けは大幅で、融資基準DI(「厳格化—緩和」)は過去の景気後退期を上回る既往最高水準となりました。これは、2008年に民間非居住建設投資が急減速する可能性を示唆しています。
米国金融機関は、バランスシート拡大を回避するため、貸出態度の慎重化や貸出基準の厳格化の姿勢を続けるとみられます。米国の家計部門も、昨年前半まで、消費活動に当たりホーム・エクィティー・ローンやクレジットカード・ローン等、株価・住宅価格など資産価格上昇を前提とした借り入れに依存してきた面は否めません。こうしたなかにあって、一部には、金融部門と家計部門がレバレッジ解消(デ・レバレッジ)に動くあるいはバランスシート調整に陥るならば、いわゆる「クレジット・クランチ」に陥るなど、悲観的な見方も出てきました。
しかし、最近の経済指標をみる限り、個人消費は減速に転じた程度で、想定の範囲内に止まっているのではないでしょうか。例えば、1月のコア小売売上高(全体からGDPの個人消費の基礎統計とならない自動車、ガソリン、建設資材の3項目を除いたもの)は前月比+0.2%となりました。昨年11月の同+0.6%から、12月(同-0.1%)、1月と減速傾向が続いています。四半期ベースでみても、昨年の10~12月期は前期比+0.5%と、7~9月期の同+1.2%から減速しましたが、前年同月比でみると、それぞれ+5.0%、+4.3%、そして今年1月は同+4.6%と引き続き高い伸びを維持しています。雇用情勢や個人消費の悪化に弾みがついたとの判断は早計のように思います。
また、足もと、ブッシュ政権は、1,680億ドル(GDP比1%強)の景気刺激策を決定しています。ブッシュ政権は、必要ならば、さらに景気刺激策の規模と内容を修正する用意があると思います。FRBも当面、潜在的なインフレ懸念やドル相場急落リスクよりは景気下振れリスクの軽減に全力をあげると思われます。
ただ、原油価格の高騰、住宅価格の下落、消費者マインドの悪化が続いているなか、これらの財政・金融政策を総動員した効果については不透明感があると思います。米国金融機関がバランスシート調整(貸出基準の厳格化、資産・負債の圧縮)局面にあり、かつ、長期金利が既に相当低い状況にあるなかにあっては、FRBの思い切った利下げによる効果も多くを期待しにくい環境です。また、小切手送付による減税策も、家計がバランスシート調整局面にあり、減税の多くの部分を借金返済や貯蓄に回す可能性がある中、財政刺激策の効果も限定的なものにとどまる可能性があります。したがって、断定的なことは言えませんが、2008年前半の米国の実質GDP成長率が前年同期比ゼロ~+1%程度にとどまり、米国経済が最も厳しい局面となる事が予想されます。潜在成長率(前年比+2.5%程度)に復帰するのは2009年以降というシナリオも想定できます。
さて、「サブプライム住宅ローン問題」は、証券化商品の原資産である住宅ローンの毀損を起点としているため、その「本質」は不良債権処理です。問題解決に向けた欧米大手金融機関の損失処理、米国の政府と中央銀行の政策対応も、かつて日本が経験した不良債権処理に比べて非常にスピード感はあるものの、そのプロセスに大きな相違はありません。すなわち、(イ)米国の住宅ローン債権の焦げ付きに端を発していること、(ロ)長期間にわたる緩和的な金融環境や、格付け会社による証券化商品の格付の無条件の受け入れ等を背景に、証券化商品の価格がミスプライシングされ、市場参加者のクレジット・バブルが発生していることへの認識が遅れてしまったこと、(ハ)「originate-to-distribute」という経営モデルを採用した欧米大手金融機関においてオフバランス化したクレジット・リスクが自らのバランスシートに戻るという、「メイン寄せ」に近い現象が発生していること、(ニ)その結果、欧米大手金融機関は不良債権の減損処理(引当て)・償却、資本不足対策(資本政策)に取り組んでいること、などがあげられます。
一方、わが国の経験と似て非なる面もあります。今回の「サブプライム住宅ローン問題」では、「証券化」という金融イノベーションが大きな役割を果たした結果、わが国の不良債権処理よりも、問題が複雑である面があります。すなわち、住宅ローン債権をオリジネートした銀行のみならず、証券化商品を購入した最終投資家にまでリスクが移転され、足もと広範囲で損失をもたらしています。また、証券化商品の保証に「モノライン」という金融保証専業会社が関与しており、これにも損失をもたらしています。今年は米国の大統領選挙であることもあって、ブッシュ政権はいわゆる「bail-out plan」の発動に消極的で、一時的な財政出動にとどまっています。
今回は、これまでのところオイル・マネーやソブリン・ウエルス・ファンド(SWF)という「新しい金融市場のプレーヤー」が、欧米大手金融機関の資本増強策に協力しており、資本不足問題は発生していません。ただ、米国の住宅在庫の水準を考えると、住宅市況の底入れ時期のメドはまだたっていません。不良債権問題を処理した後のわが国の経験を踏まえると、「V字型」の景気回復は容易ではなく、「U字型」あるいは「L字型」の景気回復パターンを想定しておいた方が無難だと思います。最終的に金融機関の損失処理額がどこまで膨らむか予断をもてません。今後、資産や事業部門の売却に動く金融機関も出てくるとみられ、最終的には、グローバルな金融再編につながる可能性もあるように思えます。
また、同時に、(イ)証券化商品に関する格付けのあり方(流動性リスクの格付けへの反映等)、(ロ)モノラインを巡る問題、(ハ)バーゼルIIの一部修正の要否に関する検討を含む金融監督行政の見直し、(ニ)「originate-to-distribute」型の投資銀行のビジネスモデルの修正など、金融システムにおけるインフラを再構築する必要もあります。さらに、今年に入ってから、金融市場の焦点が、相次ぐ格下げによるCDO市場の機能停止→MMFの元本割れリスク→欧米大手金融機関の損失処理額→政府系ファンドに依存した資本増強→住宅価格の一段の下落リスク→モノラインの格下げを受けたクレジット・スプレッド拡大→商業用不動産市場の調整とCMBS市場への波及→LBOファイナンスの機能停止とM&Aの停滞→企業金融の機能低下と企業倒産の増加懸念→CDS及びCDXインデックスのスプレッド拡大、というように、変化や広がりを見せていることを十分認識しておく必要があります。グローバルに株式相場は不安定な状態から脱しきっておらず、クレジット市場の流動性も乏しい状況に変化はありません。サブプライム問題は、長期戦の様相を強めてきています。中央銀行としても、金融市場の関心の変化を見極め、持久力を備えた柔軟な対応が求められているといえます。
なお、金融イノベーションは、リスク分散や金融市場の効率性を高める効果をもたらすものであり、その発達の流れを止めることは望ましくありません。今取り組むべきことは規制強化ではなく、市場の自律的な動きとしてリスクに見合った価格発見機能を取り戻させることであると思います。今回の「金融市場の混乱」が、市場参加者と金融当局の間で、適切なプライシングやリスク評価を行うためにどのようなインセンティブが必要かを考えていく良い機会になることを期待したいと思っています。
(3)アジア経済
次にアジアですが、中国は、景気過熱抑制に向けて引き締め政策を強化しています。しかし、その柱は、中国人民銀行による小刻みな利上げと預金準備率の引き上げ等に加え、緩やかなテンポの人民元切り上げなど緩やかな金融引締め措置です。こうした下で、中国経済は、輸出と固定資産投資にリードされた拡大を続けており、富裕層や中間所得層の所得増加を受けて個人消費も好調です。バランスがとれた景気拡大とは言いがたいものの、沿岸部の都市と地方の経済格差を縮小させるため、地方政府は今後も大規模なインフラ整備のための固定資産投資を継続するとみられます。中央政府は、環境や省エネもマクロ経済政策目標に入れていますが、地方政府はエネルギー効率向上よりも経済成長の持続を優先する姿勢です。IMFは1月末に2008年の世界経済見通しを下方修正しましたが、中国の実質GDP成長率は前年比+10.0%と、昨年の同+11.4%からみれば多少減速するものの、高成長を維持できると予測しています。
インド経済も前年比実質+9%程度という潜在成長率並の拡大を続けており、わが国を除くアジア地域全体が世界経済の牽引役となっている構図は今年も変化がないと思います。日米両国のみならず、ユーロ圏も中国経済への貿易依存度が高まっているため、それぞれの内需の減速は、アジア諸国向けの外需によって一部相殺されるシナリオが想定できます。
(4)欧州経済
ユーロ圏経済は、米国経済に比べれば底堅いものの、足もとで景気減速感が強まっています。昨年まで住宅ブームで高成長を享受してきたスペインとアイルランドの減速が目立ちます。また、ユーロ圏諸国の重要な貿易相手国である欧州の新興成長国(東欧)の経済も、各国でばらつきはあるものの、減速傾向にあります。欧州委員会ではユーロエリアの2008年の経済成長率を前年比+1.8%とみているほか、IMFも前年比+1.6%と潜在成長率を幾分下回る水準でみています。こうしたなかで、欧州の大手金融機関もサブプライム関連の損失処理と資本増強を迅速に進める必要に迫られており、金融株を中心にユーロ圏主要国の株式相場は軟調に推移しています。
1月のユーロ圏のHICPの前年比上昇率は(単一通貨ユーロ導入以降のピークである)+3.2%に達しています。欧州金融機関が企業向け与信を慎重化させているにもかかわらず、マネーサプライや銀行貸出も高い伸びを続けています。金融市場の一部にはECBの早期利下げ期待もありますが、ECBは、賃金上昇圧力が高止まりするなか、原材料価格上昇が経済全体のインフレ圧力を高めるリスク(いわゆる「二次的影響」)への警戒感を崩していません。
(5)今後のポイント
金融市場では「米国の景気下振れリスクが高まる中、諸外国の景気に悪影響が出ないわけがない」という見方が有力となっています。識者によって「カップリング」「ディカップリング」の定義が不明確なので、その表現は使いませんが、世界最大の米国経済の減速は、相応に各国経済に影響を与えることは自然です。また、「米国が景気後退に陥るかどうか」を議論するよりも、「米国の景気回復がいつになるか」を議論することの方が建設的だと思います。
最後に、2009年にかけての世界の経済金融情勢をみるうえでの注目点ですが、世界の主要国の金融政策運営を挙げたいと思います。
金融市場では、米国の景気失速がグローバルな景気減速につながるというシナリオを想定する市場参加者が多いため、金融緩和の遅れについて神経質になりがちです。しかし、主要国の中央銀行は、景気減速と物価上昇の並存するジレンマに直面しており、困難な金融政策運営を迫られています。
米国の1月の消費者物価は総合が前年同月比+4.3%、コア部分が同+2.5%、ユーロ圏の1月のHICPは同+3.2%、日本の昨年12月のコア消費者物価(全国)は同+0.8%、中国の1月の消費者物価は同+7.1%となっています。当面ヘッドラインのインフレ率はさらに上昇しそうです。景気減速感が強まれば、インフレ圧力は徐々に沈静化するものですが、足もとの国際商品市況の高騰ぶりをみると、現時点ではそのような見方は楽観的に思えます。実際、オーストラリア準備銀行(RBA)、中国人民銀行(PBOC)など金融引締めに踏み切った中央銀行も複数あります。そのため、(イ)足許でインフレ圧力が高まっていることを理解しつつ、経済のダウンサイド・リスクの増大への対応から金融緩和を継続中のFRB、(ロ)賃金インフレ圧力の根強さを懸念するECB、(ハ)食料品・不動産価格上昇に直面し利上げを行っているPBOC等、と各国中央銀行が自国の経済情勢を踏まえながらインフレ圧力をうまく抑制できるのか、または金融緩和が行き過ぎてしまわないかが注目点です。
4.物価動向の見通し
(1)物価情勢の現状認識
今年1月の中間評価においては、昨年10月時点の「経済・物価情勢の見通し」に比べて、「物価面では、国内企業物価は、国際商品市況高などを背景に、2007年度、2008年度ともに、「見通し」に比べて上振れるものと見込まれる。この間、消費者物価は、石油製品や食料品価格が上昇していることから、2007年度は「見通し」に比べて上振れるとみられる。2008年度は、石油製品や食料品価格の上昇の影響が残る一方、景気の一時的な減速の影響が現れることから、「見通し」に概ね沿って推移すると予想される」と総括しました。2月の金融経済月報の基本的見解では、物価の先行きについて、「国内企業物価は、当面、国際商品市況高などを背景に、上昇を続ける可能性が高い。消費者物価の前年比は、当面は、石油製品や食料品の価格上昇などから、また、より長い目でみると、マクロ的な需給ギャップが需要超過方向で推移していく中、プラス基調を続けていくと予想される。」としました。
1月の国内企業物価(2005年基準)は前年同月比+3.0%(前月比+0.2%)と1981年3月(同+3.8%)以来、27年ぶりの高い伸びとなりました。また、消費者物価と比較的相関の高い国内最終消費財価格は前年同月比+1.3%と3ヶ月連続の増加かつ前月の同+0.9%から上昇率が高まりました。国内最終消費財価格が同+1.0%を超えるのは1992年2月(同+1.2%)以来となります。原油など原材料価格上昇の下、企業段階で川上から中間財そして最終消費財へと価格転嫁が進んでいます。
また、2007年全体の国内企業物価(前年比+1.8%)の前年比寄与度をみると、鉄鋼が+0.39pp、石油・石炭製品が+0.36pp、化学製品が+0.31pp、非鉄金属が+0.27pp、スクラップ類が+0.18pp、加工食品が+0.13ppと、石油・石炭製品の寄与度は全体の5分の1と意外に小さなものにとどまっています。今年1月の国内企業物価(前年同月比+3.0%)の寄与度をみても、昨年の同時期に原油価格が一旦下落したことの裏要因で、石油・石炭は再び全体の半分程度の寄与度を示していますが、2005年、2006年の一時期に比べれば小さく、むしろ加工食品や鉄鋼を始め幅広い製品が全体を押し上げています。今後、小麦価格が昨年の値上げに続き、今年4月から前年比+30%の値上げが見込まれています。すなわち、加工食品の値上げが続けば、国内企業物価の前年比上昇率が高止まりする可能性があります。
(2)物価上昇の背景と今後の見通し
足もと消費者物価の前年比がプラスに転化した背景には、(イ)原油価格や農産物価格といった原材料価格が上昇していること、(ロ)わが国において雇用、設備の高稼働が続く下、需給ギャップの需要超がある程度浸透していくなかで、家計部門は徐々に値上げを受け入れる準備ができてきたこと、等が複合的に絡み合っていると考えられます。
原材料価格は、BRICsなど新興成長国を中心とする需要の強さに加え、投機資金の流入──原油の場合は地政学的な要因──もあって、上昇しています。これらの要因は容易に弱まるとはみられません。金融市場でも、原油価格高騰は一服しても、貴金属や穀物価格の上昇または高止まりは続くとの見方が有力です。実際、新聞等でも「小麦価格を4月から30%引き上げ」「鉄鉱石価格65%引き上げ」など、来年度も原材料価格や食料品価格の上昇は続くことを示す報道が増えています。
日銀短観をみると、雇用の不足レベルは規模の大小を問わず強く、また、設備の稼動状況も、中小企業で足もとの経済の減速を受けて一服している面はありますが、総じてみれば高水準の状態が続いています。こうした中で、需給ギャップの改善状況をみると、決して捗々しいものではありませんが、日銀の試算では──試算のため幅を持ってみる必要はありますが──需給ギャップが需要超に転じてから、かれこれ2年程度が経過しており、需要超はそれなりに浸透しているように思います。足もと、わが国経済は踊り場的な様相を呈していますが、これを抜ければ引き続き需給ギャップの需要超は進んでいくと考えられます。
こうしたなかで、自動車など最終消費財関連の企業は、コスト上昇分の転嫁を一部受け入れると見込まれます。川上及び川中段階の企業のリストラ努力で吸収できるコスト上昇幅でないため、消費者物価にもじわじわと上昇圧力がかかるはずです。もっとも、国内企業物価の上昇分を価格転嫁できるかどうかは、企業の価格支配力によって格差が拡大しています。原材料・穀物価格上昇分をなかなか販売価格に転嫁できない中小企業のプロフィット・マージン悪化の影響が目立つことが懸念されます。
また、名目・実質ともに一人当たり賃金が減少し、つれて消費者マインドが悪化するなかにあって、個人消費の回復テンポが加速する可能性は低いと見込まれます。そのため、原材料・穀物価格上昇が最終需要財への転嫁がどの程度行われるかは一段と不透明です。
こうした前提理解の下で、(イ)家計の物価に対する見方がインフレ方向に変化し、川上から川下へと企業の価格転嫁が進むのであれば、原材料高は物価を押し上げる可能性があり、(ロ)そうでなければ、原材料高は、企業収益の圧迫等を通じて経済活動に対する下押し要因となり、それは物価を押し下げる可能性があると考えられます。
このどちらの動きが優勢になるかについては、原材料価格の上昇の持続性や、需給ギャップの度合いと期待インフレ率の変化、企業の価格設定スタンス等にかかってくると思います。こうした点については、日銀の「生活意識に関するアンケート調査」などのサーベイ、企業ヒアリング等も参考にしつつ、もう暫く物価指標をしっかりと分析する必要があると思います。
私は、金融政策決定会合において物価情勢を考えるに当たり、表面上の消費者物価指数の動きをみて判断を行っている訳ではなく、各種物価指標の動きはもとより、その背後にある実体経済の動向を分析し、総合的に判断を行っています。今後も、このような姿勢で物価指標を丹念に点検したいと思います。
5.金融政策運営に関する考え方
冒頭、わが国経済は、現在、「内憂外患」、すなわち、国内についてみると、定率減税廃止による可処分所得の減少、改正建築基準法や貸金業法の施行を始めとする制度改正の影響に加え、原油価格高騰を典型とする原材料価格の上昇によるマイナスの影響、また、海外については、「サブプライム住宅ローン問題」に端を発した国際金融資本市場の混乱と米国経済の急速な減速、世界経済の不透明感の高まり、に直面しているため、「踊り場」的な状況にあると申し上げました。
また、昨年12月の金融政策決定会合では、わが国経済が直面する改正建築基準法の施行を始めとする制度変更や原材料高などによるマイナスの影響が当初の想定を上回っていることを踏まえ、今後も「生産・所得・支出の前向きの循環メカニズム」がしっかりと機能し続けることができるかどうかについて点検する必要があると判断し、持論である金利正常化プロセスも一旦中断しました。
さらに、金融政策を考えるうえで細心の注意を払っていかなければならないことの一つにこのところの株式相場や為替相場があると思います。株式相場と為替相場は2月に入っても不安定な動きを続けています。こうしたボラティリティの高い状況が続くと、企業マインドや消費者マインドの悪化を通じ実体経済等に悪影響を及ぼすことが考えられます。
年初からの世界の金融市場の動向を簡単に振り返ると、「サブプライム住宅ローン問題」の長期化と米国の景気減速感の強まり、原油価格等の高止まりによるマイナスの影響などから、世界経済の下振れ懸念が高まり、世界的に株式相場の調整色が強まりました。こうしたなか、世界経済の下振れ懸念の震源地である米国においてFRBによる大幅利下げが行われたにもかかわらず、エマージング諸国の株価の反発力は乏しい状況が続いています。
もっとも、最近、クレジット市場で、CDSスプレッドが日米欧全てにおいて急拡大を続けている一方、株式相場は振れを伴いつつも一方的な下落とはなっていません。ただ、世界経済の先行きについては、市場間でも異なった見方がなされているように思います。市場参加者の見方は収斂しておらず、現在のグローバル金融市場は「微妙な均衡状態」にあるとも言えます。したがって、その動向に細心の注意を払っていきたいと思います。
また、わが国に目を転じてみると、金融市場の一部に利下げ期待がありますが、イールド・カーブ全体に金利が低下気味であると同時に、金融機関の貸出態度が緩いことを考えると、金融環境は十分緩和的です。過去10年以上にわたり、超低金利政策を続けてきたこともあり、わが国経済は金利感応度が低い経済体質になっており、利下げをしても追加的な景気下支え効果は不確実だと思います。現在のような緩和的な金融環境が続く中にあって仮に利下げを議論するならば、その副作用についても十分検討する必要があります。
なお、達観してみれば、2001年3月に量的緩和政策に踏み切った際には、金融システム不安やデフレ・スパイラルに陥るリスクがあったわけです。それを考えると、現在のマクロ経済環境は当時とは大きく異なります。
私は、現時点で、「生産・所得・支出の前向きの循環メカニズム」「好調な企業部門から家計部門への波及のメカニズム」が基本的に維持されていると考えています。しかし、同時に、先行きの経済金融情勢を楽観視しているわけでもありません。今回の景気回復局面は、輸出を起点とする外需主導の景気回復であるだけに、米国経済の下振れリスクの高まり、長期化の様相をみせる「サブプライム住宅ローン問題」、国内のソフトデータの悪化等を踏まえると、ダウンサイド・リスクは高まっていると認識しています。
いずれにしても4月の展望レポートは、2009年度の経済物価見通しも考えなければいけないので、それまでに明らかになったハードデータ、ソフトデータを総動員して、「経済・物価情勢の見通し」の見通しの前提とメカニズムを考え、その時々の金融政策決定会合で最適と考えられる判断を行っていきたいと思います。
中央銀行は景気・物価指標だけに焦点を当てず、資産価格も含めた経済全体を睨んだ総合判断によって金融政策運営を行っています。ただ、この何年かの間に「経済のグローバル化」が進んだことによって、中央銀行の金融政策運営はより難しくなりました。
過去数年を振り返ってみると、第一に、新興成長国からの安価な製品輸入の増加は、一般物価の安定に寄与しました。こうした状況下、主要国の経済が順調に拡大していたこともあって、金融政策は緩和的になりがちで、住宅価格や株価など資産価格に対する「感応度」は小さくなっていたかもしれません。第二に、国際分散投資が主流になっていく中で、新興成長国や産油国による投資マネーが増加し、世界的な過剰貯蓄などが構造的要因になって、世界的に資産価格が上昇しました。第三に、新興成長国の高成長を背景に、国際商品市況が高騰し、主要国のインフレ圧力を高めました。第四に、非銀行の金融システムの拡大を受けて、過剰流動性や市場ボラティリティ低下が行き過ぎた信用リスクテイク(「クレジット・バブル」)を醸成しました。第五に、ROEを重視する欧米大手金融機関による「Originate-to-Distribute型」のビジネスモデル、「ファンド資本主義」(ヘッジファンドやプライベード・エクィティ・ファンドの台頭)が隆盛を極めた後、足もとでは大手銀行のバランスシート拡大という現象が生じています。そして、第六に、証券化など金融テクノロジーの発達、格付機関やモノラインなど金融インフラが、米国の住宅バブル崩壊をきっかけに機能しなくなり、欧米主要国で信用収縮が発生しました。
以上の過去数年のレビューは、金融政策運営を「フォワード・ルッキング」に行うことの重要性がさらに強まってきたことを示唆しています。
6.「オープンな経済社会」の実現に向けて
わが国金融経済を取り巻く環境は、世界レベルでみると「経済のグローバル化」に伴う国際競争の激化、地球温暖化等が、国内レベルでみると少子高齢化等が、着実に進展しており、「変化」の圧力やスピード感は強まる方向にあります。こうしたなかで、わが国は、構造改革の継続、世界に対してオープンな経済社会を実現させると同時に、(1)金融セクターを強化すること、(2)成長著しい海外需要の取り込みが一段と重要になっていると思います。
(1)「金融立国」実現の重要性2
わが国が「金融立国」になっていくためには、大別して、(イ)国民レベルでの“危機意識”の共有と金融の役割発揮、(ロ)リスク・マネーのさらなる獲得、(ハ)国際的な金融市場に相応しいインフラの整備、といった課題が存在していると思います。
- 2全国銀行協会機関誌「金融」平成20年1月号(1月4日刊行)の「「金融立国」実現には国民的コンセンサスが不可欠」を参照して下さい。
現在、世界経済は、新興成長国がその影響力を一段と強める等、グローバル化がますます進展しており、各国の金融市場もボーダーレス化が進んでいます。この間、わが国をみると、猛スピードで高齢化社会が進むとともに、間もなく人口減少社会に突入していこうとしています。こうした中にあって、わが国は「オープンな経済社会」を目指さない限り、今後の発展はありえません。その割には国民全体に“危機意識”が不足しているように思います。その一端がわが国の金融業に対する評価や見方に表われています。一般にわが国の強みは何かと問われれば、「ものづくり」「国際競争力の高い製造業」と答える方が少なくないと思います。その一方で、金融業はと言えば、欧米の大手金融機関より収益力が劣るにもかかわらず、一部では「邦銀はもうけ過ぎ」「金融は虚業」といった手厳しい論調が聞かれるほどです。
しかし、金融サービス業には、わが国全体の資源配分の効率化を促すことが期待されています。また、人口減少社会の到来に当たり、その機能を十二分に発揮できるために「金融立国」を目指す意義があると思います。現在、わが国金融サービス業は、金融商品取引法の施行や貸金業法等の改正を受け、様々な対応に追われているほか、企業間・地域間の格差が拡がっているとも言われる中、与信リスクの評価は一段と困難になってきています。こうしたなかで、金融サービス業には、与信先企業等の将来性、収益性などをしっかりと評価し、問題が生じる前に必要なアドバイスをすることが期待されているはずです。
では、わが国はどのような位置付けを目指すべきか。東京が直ちにニューヨークやロンドンに匹敵する世界の金融センターになることは容易ではないことを踏まえれば、まずは、アジアの金融センターとしての地位の確立を目指すことが理にかなっていると思います。
世界の成長センターであるアジアの金融センターとなることは大きな意義を持つわけですが、まず、国策としてアジアの金融センターを目指し、金融インフラ、規制・税制面の優遇措置等によって、海外ファンド等の誘致を積極的に推進している香港やシンガポールにも劣後しているという「危機意識」を共有することが重要だと思います。中国経済のポテンシャルを考えると、英語圏でないというハンディキャップはあるものの、将来的には上海もアジアの金融センターの一翼を担う可能性があります。
このように、東京がこの競争に伍していくためには、相当の努力が必要ですが、本邦金融機関で働く若手の金融マンの能力が劣っているわけではありません。人口が少なく金融立国を目指すことが国民的なコンセンサスになっている香港やシンガポールのビジネスモデルをわが国が真似ることがベストな選択肢だとも思いません。ポイントは、金融サービス業の裾野は広いことを理解し、ヒト(運用会社、国際弁護士、コンサルタントを含む)・モノ・カネ・情報が、世界中から自然に東京に集まってくるような仕組みを考えることだと思います。
実際に金融立国を実現して行くに当たって、リスク・マネー(長期的な視点からリスクをとって高いリターンを目指す資金)の存在が不可欠です。具体的には、(イ)期待収益率の高い投資案件の発掘、(ロ)国内でのリスク・マネーの育成と海外からの取り込み、(ハ)リスク・マネーの運用主体の育成、が欠かせません。
わが国では、依然、日本人と外国人を区別した議論が少なくありません。もっとも、金融技術の発展、商品の拡大が著しいほか、金融市場としてシンガポールや香港に遅れをとっているわが国としては、リスク・マネーの提供者、運用手段の多様化に資する金融のプロを一段と海外から受け入れるべきです。今のわが国にとって、金融商品の拡大、世界の主要金融センターと整合性のある法制・税制、取引慣行の整備が急務です。その意味で、「日本の構造改革路線は後退した」と受け止められるようなこともぜひ避けたいところです。
それから、国内で金融サービス業を担う人材を育てるためには、国全体の金融リテラシー(知識と能力)を高める必要があります。その一歩が金融教育と英語教育を抜本的に見直すことです。「人生を豊かに過ごすために、お金といかにうまく付き合うか」、すなわち、「お金を稼ぐ・貯める・使う・増やす(運用する)」ことを学校・家庭の枠を超えたコミュニティー・レベルで定着させる視点で取り組むべきです。これは“Work life balance”仕事と生活の調和)の観点でも重要です。
国際的な金融市場を目指すに当たっては、都市インフラの整備も欠かせません。耐震性に優れ、広いスペースを有した都心部のオフィスに対する潜在的需要は大きいと思います。
東京都心へのアクセスが良いハブ空港も不可欠です。成田空港はハブ空港の条件を十分満たしていません。羽田空港が早期に再拡張され、24時間運用の国際ハブ空港になることが理想です。
金融立国に向けた課題は山積していますが、処方せんがないわけでありません。ただ、歴史的・文化的・地理的な条件が異なる中で、国際金融センターとして成功している海外の成功例をそのまま持ち込むことは非現実的です。
まず期待収益率の高い案件の発掘ですが、わが国には世界的にみて競争力の高い製造業が数多く存在しています。また、21世紀は“環境の時代”とも言われるように環境保全や省エネルギーが大きなテーマとなっています。わが国は、環境、省エネ、安全といった面で世界的にみて大きな比較優位を有しているとみられ、これらを活用しない手はありません。こうした技術・ノウハウを有する企業と金融機関が提携し巨大ファンドを組成し、リスクはあるものの期待収益率が高い案件を組成することは一案です。
次に海外のリスク・マネーの取り込みですが、世界の金融市場を見渡すと、1000億ドルを超える資金を運用する巨大な投資ファンドや運用会社が目立ってきています。原油価格が高騰し、外貨準備が増加する中で、最近、ペトロマネーや政府系ファンド(SWF)等、「新しいプレーヤー」の存在感が高まっています。世界の金融市場のパワーバランスは主要国から新興成長国にシフトしつつあるといった方が正確です。現在3兆ドル弱と言われるSWFはいずれ10兆ドル規模に膨らみ、先進国の年金マネーに匹敵する存在になると言われています。リスク・マネーを取り込む観点から、本邦金融機関には、SWFをビジネス・パートナーと考える、したたかさを期待したいところです。
欧米大手銀行のCEOは、ニューヨーク、ロンドン、香港など世界の主要金融センターを訪問するため、1週間の3分の1以上の時間をプライベート・ジェットの中で過ごすといわれています。これは、金融ビジネス強化に限ったことではありませんが、わが国は、欧米主要国に比べ、官民とも、発展途上国を訪問して具体的なビジネスにつながる議論をする、いわゆる「トップ外交」の頻度が不足がちだと思います。
リスク・マネーを取り込むうえで、投信や年金の改革、そして、証券取引所の国際競争力を高めることも重要です。例えば、年金運用・信託・投資顧問業に関して、主要な銀行・証券・生損保から独立性を高めてやれば、資産運用サービス業はもっと活性化すると思います。資産運用ビジネスは成長が期待される分野です。
世界の取引所の動向をみると、取引所間の国際的な競争は、現在、海外企業の上場誘致に止まらず、取引所グループとして株式、金利、為替、金融デリバティブからコモディティ・デリバティブまで幅広い商品で行われています。そして、その鍵となっているのはITです。
欧米の証券取引所の間では、巨額なシステム投資の資金を捻出するため、クロス・ボーダーの再編・合従連衡が進んでいます。わが国でも「総合取引所」に関する法整備に向けた動きが昨年大きく前進しました。証券取引所、金融先物取引所、商品取引所の経営統合、海外も含め他の取引所との資本提携の道が開けることになります。証券、商品の垣根を越えた取引所再編がわが国の取引所の競争力強化につながることを期待したいと思います。
わが国の取引所においても世界のリスク・マネーを惹きつける経営戦略が重要となります。例えば、(イ)取引ニーズを先取りした最速かつ十分な処理能力をもった売買システムの構築、(ロ)堅牢なバックアップサイトの構築を始めとするBCP体制の充実、(ハ)クリアリング機構の強化、(ニ)アジアの主要企業あるいはベンチャー企業で構成される株式インデックスの開発、(ホ)コモディティを原資産としたETF等、株価指数以外を連動対象とするETF(上場投資信託)の上場、(ヘ)海外の取引所との戦略的な提携を通じたフルラインの品揃え、(ト)シンプルなルール・規制の構築、(チ)英語による上場申請、国際会計基準に沿った決算書など財務諸表の提出認可等、を提言したいと思います。
最後に、制度・規制・税制面ですが、ここでも相当前向きな改革姿勢を打ち出すことが欠かせません。例えば、非永住者を対象に英国が1986年~2006年まで採用した国外で発生した所得に対する非課税措置は検討に値します。香港は2005年に、海外からの資産・投資を呼び込む政策の一環として遺産税を廃止していますが、シンガポールも今年2月15日に廃止しました。こうした措置が導入されれば、ヘッジファンドや運用会社が東京に拠点をつくるインセンティブになります。それは日本人の金融関係の雇用機会拡大と税収増加につながります。
金融立国を目指すに当たって金融行政の役割も大きいと思います。金融当局には金融システムの将来像を強く意識したフォワード・ルッキングな視点の重要性がこれまで以上に増します。金融当局は、法令遵守、リスク管理の高度化、投資家保護等に注力しました。ただ、欧米大手金融機関が「サブプライム住宅ローン問題」に伴い巨額の損失処理を行える主因は、頑強な自己資本、高い収益力、収益源の分散が効いた厚みのあるビジネスモデルにあります。「サブプライム住宅ローン問題」の教訓は、証券化商品への投資抑制だけでなく、想定外のイベントに備えた金融機関の基礎的な収益力向上の促進も重要ということです。
グローバルな金融取引が活発になったことで、「金融のプロ」と言える人材は世界中で育っています。複数の外資系金融機関で働いた私の経験からすると、本邦金融機関で働いている人材が外資系金融機関の人材に比べて劣っていることはありません。むしろ、給与・ボーナスなどインセンティブ体系やマネジメント手法の面で改善すべき点があると思います。
先進国のみならず新興成長国でも、国益の観点から、金融市場振興や金融サービス産業強化に向けた動きがみえます。昨年、アジア市場に海外のリスク・マネーが流入する一方、わが国の株式市場では“Japan Passing”とも言える現象が発生しました。この背景には、金融セクターの収益力の弱さへの失望感もあります。個人的には、日本がその中で取り残されているのではないか、との焦燥感があります。
昨年夏以降、「サブプライム住宅ローン問題」が世界の金融市場を震撼させています。多くの欧米大手銀行は巨額な損失処理額を迫られ、最終的には、資産・部門の売却やグローバルな金融再編に発展する可能性が出てきました。「サブプライム住宅ローン問題」の影響が相対的に小さいわが国の金融機関にとっては、それぞれが比較優位のあるビジネスに「経済資本(Economic Capital)」を重点配分したり、クロス・ボーダーのM&Aにおける積極的な買い手になるなど、欧米大手銀行にキャッチアップする時間的余裕を得たとも言えます。
昨年、金融審議会等を舞台に議論が重ねられ、「金融・資本市場競争力強化プラン」がとりまとめられました。しかし、上記したような金融立国に向けた処方箋を実行に移す段階では関係者の利害が必ずしも一致するとは限りません。だからこそ、「金融立国」実現について国民的コンセンサスが不可欠です。リスク・マネーを育て金融立国を目指す構想について、行政のみならず、国民レベルでも議論がさらに深まることを期待しています。
(2)中国と並ぶ世界経済の成長センター・インドの重要性
わが国が「オープンな経済社会」の実現を目指していくと同時に、わが国はいよいよ人口減少社会に突入していくので、海外需要をしっかりと取り込むことが重要なことは言うまでもありません。その意味で中国と並び、忘れてはならない国がインドだと思います。私は、最近ごく短期間ではありましたが、インドを訪問しその熱気に直接触れる機会に恵まれました。その時の印象を交えつつ、インド経済についてお話します。
現在、世界経済のなかで急成長を遂げているのは、申し上げるまでもなく中国とインドです。インド経済は、原材料価格の高騰や米国経済の減速というネガティブな要素に遭いつつも、ここ数年、前年比+8~9%台という、潜在成長率を上回る高成長を続けています。しかも、その発展には目を見張るものがあり、有名なITばかりでなく、鉄鋼、化学、繊維等、幅広い業種で成長が続いています。
また、GDPでみると、インド経済は、民間総固定資本形成と個人消費という内需が牽引しています。民間総固定資本形成は、製造業で外資規制が撤廃され、外資導入が進んでいることを映じ、素材関連や自動車関連を中心に着実に増加しています。また、個人消費については、高所得者層ばかりでなく、中間所得者層の賃金上昇を背景に増加傾向が続いています。既に億人単位の消費社会が出来上がりつつあり、これがインド経済を牽引しています。この点は中国経済(外需と民間総固定資本形成が牽引)との相違点です。
こうしたなか、インドは人口動態という点で中国を凌ぐ魅力を持っています。約11億人と言われるその人口規模そのものも魅力的ですが、現在のインド国民の平均年齢は約26歳と大変若く、総人口に占める労働年齢人口比率が今世紀の中頃まで増加基調を続けると予想されています。
インド経済の牽引役の一つが個人消費という中にあって、労働年齢人口比率が着実に上昇していくと言うことは大きなポテンシャルを有していることであり、潜在成長率の上昇に繋がるという指摘もありました。事実、私がインドを訪問した際にも、先進国の首脳や主要企業のCEO等がこぞってインドを訪問しているとの話を数多く聞きました。
この間、わが国企業のインド進出についてみると、まだ400社強に過ぎず、これは中国進出のおよそ100分の1程度に止まっています。インド経済に飛び込んでいくに当たっては課題が多いことも確かです。例えば、電力、港湾・道路・鉄道などのインフラが不足しているほか、各種法制も未整備の部分が少なくないと聞いています。インド社会で暮らすことも容易なことではないようです。しかし、欧米諸国等も、インド経済の高成長や今後のポテンシャルに鑑み、インドの需要取り込みを狙っています。こうしたなかで、インド経済もその時々に適切なパートナーを見出しながら成長を続けているとの印象をもちました。インド人がわが国に好意的な感情を有しているほか、政府、経済レベルでも良好な関係にある今だからこそ、インドのポテンシャルを逃す手はないと思いました。
わが国は、少子高齢化という人口動態的に厳しい状況が続きます。わが国は、コストやリスクを比較考量しながらも、ポテンシャルがあって成長著しい国や地域の経済の需要を積極的に取り込んでいかないと持続的な成長は望めないと思います。「次世代に豊かな社会を相続する」という意味では、わが国は「経済大国」という過去の成功にとらわれない必要があると思います。米国のみならず、中国、インド、ブラジルなど人口の多い国が、経済大国となるのは時間の問題です。これら将来の大国とGDPの規模で張り合うことには限界があります。個人的には、このような大国と友好関係を維持しながら、技術、環境対策(エネルギーの使用効率の高さ)、ブランド力、人材等を強みとして、長期的な視点にたって中規模で豊かな生活ができる国家を目指すことが一つの考え方だと思います。
7.おわりに代えて
以上、わが国経済金融の現状と先行きについてお話して参りましたが、最後に、大分県経済についてお話したいと思います。
当地は、官民の自助努力等を背景に、鉄鋼や石油などの素材産業だけでなく、自動車、精密機械、半導体など、加工産業の集積が進んでおり、産業構造の厚みが増しバランスがとれてきています。
こうした下で、当地の経済は、原材料価格の上昇や改正建築基準法施行等の影響から、このところ中小企業を中心に業況判断が慎重化しているようですが、全体としてみれば製造業が牽引するかたちで緩やかに持ち直しています。
なお、一昨年は、九重“夢”大吊橋(ここのえゆめおおつりはし)が開業し、1年間で予想を7倍以上も上回る230万人もの人が訪れ、このところ外国人観光客も増加していると聞いています。また、本年は、大分で国体が開催されると伺っています。当地は、個性的な温泉を始め、変化に富んだ自然や豊かな「食」など、観光資源に非常に恵まれていると思います。国体では、多くの人が訪れることでしょうから、これを機に、大分の魅力が全国に発信され、観光客の増加等で当地経済の更なる発展に繋がることを祈念しております。
以上