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「日本経済の現状・先行きと金融政策」

宮崎県金融経済懇談会での須田美矢子審議委員挨拶要旨

2008年3月27日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.日本経済の現状と見通し
    1. (1)日本経済の現状
    2. (2)これまでの見通しのフォローアップ
    3. (3)日本経済の先行き見通しとリスク要因
    4. (4)当面の金融政策運営に当たって
  3. 3.原油高と金融政策
    1. (1)注視する物価は総合かコアか
    2. (2)国民のインフレ実感とのギャップ
    3. (3)原油高にどう対応するか
    4. (4)予想インフレ率の安定化と信認
  4. 4.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、宮崎県の各界を代表する皆様方に、ご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃、私どもの宮崎事務所ならびに鹿児島支店が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼を申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話しさせていただき、最後に宮崎県のこれからについて僭越ながら私なりの見解を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

 本題に入る前に、恐らく皆様にとって馴染みの薄いと思われる日本銀行の審議委員について、簡単に触れておきたいと思います。審議委員は、総裁や副総裁とともに日本銀行の最高意思決定機関である「政策委員会」を構成し、委員会として、重要事項の議決や、役員の業務執行の監督を行っています(日銀法第15条)。委員会構成メンバー(政策委員)の人数は、総裁と2名の副総裁と6名の審議委員の計9名ですが、全員、国会の両議院の同意を得て、内閣によって任命され、任期は5年となっています。政策委員会の会合には、金融政策を決める「金融政策決定会合」(MPM:Monetary Policy Meeting)と業務の運営方針や考査の実施方針、給与等の支給基準の作成など、その他の重要事項を審議・決定する「通常会合」があります。今年度は、これまでのところ金融政策決定会合が14回、通常会合が65回開かれました。これら会合での議決事項はすべて9名の政策委員による多数決によって決定され、総裁、副総裁も審議委員も同じ1票です。審議委員という名称から、非常勤と思われがちですが、今申し上げましたように、政策委員会では正副総裁と同等の極めて重要な責務を負っており、常勤の役員として勤務しています。内外の経済・金融資本市場が大きく変動している今日、職務のためのさまざまな会合や打ち合わせなどの合間をぬって、経済物価情勢や金融市場の動向等に関する情報収集・情勢判断に勤しむ日々が続いています。

 ご存知のとおり、現在、総裁が空席の状態となり、皆様には大変ご心配をおかけしておりますが、私どもでは、先般、白川副総裁を議長とすることを決定し、公表いたしました1。新総裁の就任が遅れる場合には、金融政策運営の方針を、白川議長のもとで決定していくことになります。私どもでは、我々がこれまで培ってきたそれぞれの知見や、石油ショック、バブル経済、金融システム不安など、日本銀行がこれまで蓄積してきた貴重な経験を最大限活用し、引き続き金融政策運営を適切に行っていく所存です。

  1. 1政策委員会の議長は、日銀法第16条第3項により、「委員の互選によってこれを定める」とされており、必ずしも総裁が議長になるというわけではありません。

2.日本経済の現状と見通し

(1)日本経済の現状

 さて、日本経済の現状をみますと、海外経済の拡大や緩和的な金融環境を背景に、2002年初以降、緩やかながらも息の長い拡大を続けています。図表1に示されているように、公的部門の支出がマイナスを続ける一方で、輸出が堅調を持続するとともに、国内民間需要が緩やかながらも着実に拡大し、決して派手さはありませんが、これまで約5年間、平均2%程度の安定した成長を続けてきました。しかしながら、ここへきて、改正建築基準法の施行や原材料価格の上昇等を背景に、景気は減速しています。

 その足もとの動きをもう少し仔細にみてみますと、まず実質輸出については、多少の振れはありますが、2008年1月が前年10-12月に比べ+5.2%となるなど、増加基調を辿っています(図表2)。弱めの動きを続ける米国向けを、欧州、東アジアや中東といった新興国向けがカバーする形で増加を続けています。一方、内需に目を向けますと、企業収益が伸び悩みつつも高水準で推移する中、設備投資も引き続き増加基調にあります。機械投資の先行指標である機械受注は(図表3)、大きな振れはあるものの、均してみれば高水準で横這いとなっています。個人消費についても、堅調な所得環境のもとで底堅く推移しています。全国百貨店やコンビニ売上高は横這い圏内で推移していますが、家電販売はしっかりとした伸びとなっているほか、外食や旅行も底堅さを維持しています(図表4)。この間、改正建築基準法施行の影響から大幅減となっていた住宅投資は、足もと漸く回復の動きがみられていますが、なお低い水準で推移しています(図表5)。こうした内外需要を背景に、鉱工業生産は昨年後半にかけて高い伸びを維持してきましたが、この1-3月期入り後は、足踏み状態となっています(図表6)。電子部品・デバイスで在庫調整終了後の作り込みがクリスマス商戦に向けてみられていたこと、自動車において、昨年夏に発生した新潟県中越沖地震に伴う減産の挽回が図られていたこと等の反動が、今年に入って出ている可能性が高いとみられます。

 また、物価情勢についてみますと、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は(図表7)、石油製品や食料品の価格上昇等を背景に昨年末頃からプラス幅を拡大させつつあります。これまで多くの企業では、原材料価格の上昇を生産効率の向上や賞与等の人件費を抑制することで吸収してきましたが、ここへきて販売価格へ転嫁する動きが、価格弾力性の相対的に低い生活必需品を中心に拡がっているようです(図表8)2

  1. 2消費者物価指数(総務省)の品目特性別指数である第12表「基礎的選択的支出項目別指数」並びに第13表「品目の年間購入頻度階級別指数」をみると、生活必需品を指す「基礎的支出項目指数」や「9回以上購入される商品」の価格指数の上昇幅が、相対的に大きいことが確認できます。

(2)これまでの見通しのフォローアップ

 日本銀行では、昨年12月の金融経済月報において、足もとの景気に対する判断を、「住宅投資の落ち込みなどから減速しているとみられる」とやや下方修正し、今年3月には「減速している」としました。その間、1月の中間評価3でも、昨年10月の「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)で示した「経済・物価情勢の見通し」を下方修正し、それまでの「2007年度、2008年度とも、潜在成長率を幾分上回る2%程度で推移する可能性が高い」から、「2007年度の成長率は潜在成長率をやや下回る水準になるとみられる」に変更しました。こうした下方修正の背景として、住宅投資の回復ペースが我々の想定よりも遅かったこと、さらには予想以上に原材料価格が上昇し、それを賃金抑制等によって吸収する動きが中小企業を中心に拡がったこと、金融資本市場の混乱による不確実性の高まり、などが指摘できます。

 昨年9月の金融経済懇談会時点で述べた私の見通しに比べますと4、住宅投資については概ね予想どおりでしたが、その他の点に関しては、金融資本市場の脆弱性の高まり、米国経済の下振れ、原材料価格の一段の高騰とそれに伴う賃金・企業収益やマインドの悪化など、以前から指摘していたダウンサイドリスクが予想以上に顕在化したとの印象です。以下では、そうした点のフォローアップから始めたいと思います。

  1. 3日本銀行では、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(いわゆる「展望レポート」)を公表し、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを明らかにしています。さらにそこで示した標準的な見通しについて、上振れまたは下振れが生じていないか、3か月後(1、7月)の金融政策決定会合で中間評価を行い、「金融経済月報」の「基本的見解」の中で公表することとしています。また、「展望レポート」では、参考として、政策委員による実質GDP、国内企業物価指数、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の見通しも併せて掲載しています。これは、金融政策の透明性向上という観点から、日本銀行の金融政策運営に対する考え方や、経済・物価情勢についての見方を、よりわかりやすく伝える取組みの一環として行っているものです。
  2. 4三重県金融経済懇談会での挨拶要旨「日本経済の現状・先行きと金融政策」2007年9月(日本銀行ホームページを参照)。

金融資本市場の脆弱性の高まり

 最初に、日本経済の先行きを見通す上で前提となる海外の金融経済情勢、特に米国の金融市場から振り返ってみたいと思います。昨年夏以降の証券化商品市場の動向をごく簡単に整理しておきますと、ヘッジファンドの損失発生や大手格付機関による証券化商品の格下げが相次ぐ中、8月9日に発生したパリバショック(ABS5ファンド3本の凍結)を契機として、サブプライムローン証券化商品のリプライシング問題に金融機関の流動性調達難の問題が加わり、金融資本市場に大きな振れが発生しました。その後、各国中央銀行の積極的な流動性供給や米国の利下げ等もあって、市場は徐々に落ち着きを取り戻し、9月の金融経済懇談会の時点では、住宅金融会社のファンディングやLBO6案件の資金繰りに関するポジティブな情報が聞かれたほか、CP発行残高の減少ペースにも歯止めがかかりつつあったこと等から、引き続き警戒を怠るべきではないものの、サブプライムローンを含む証券化商品のリプライシングにある程度目途がたてば、もともと投資家のリスクアピタイトは旺盛でもあり、いずれクレジット市場の正常化は進むだろうと考えていました。

 しかしながら、この問題が金融機関のバランスシート・資本不足問題にまで深刻化してきたことは、想定外の展開でした。足もとでは広範な資産の圧縮が金融機関やヘッジファンドによって行われており、市場機能がかなり低下している状況となっています。

 すなわち、住宅市場の調整、とりわけ住宅価格の下落スピードが想定よりも速く、高い在庫率のもとで価格に底入れの見通しも立たないまま、住宅ローンの返済遅延や差し押さえが増加し、証券化商品の裏付け資産のパフォーマンスは悪化しつづけました。その結果、サブプライムRMBS7のスプレッドが拡大を続け、証券化商品の市場機能は回復していきませんでした。連邦準備制度理事会(FRB)による積極的な利下げにも拘わらず、ヘッジファンドやSIV8の損失拡大や清算が断続的に発生するとともに、金融機関では、CDO9等の証券化商品による巨額損失の発生に加え、SIVに対する流動性サポートを通じた負債の拡大もあって、バランスシート・資本不足問題へと発展していきました。証券化商品のスプレッド拡大は、住宅ローンのみならず、クレジットカードや自動車ローンといった消費者向けローンの分野にも波及し、金融機関の与信姿勢はこうした幅広い分野でタイト化しました。またそれがローン・パフォーマンスのさらなる悪化見通しにもつながっています。このように、金融機関の与信タイト化や景気減速に伴う裏付け資産の劣化が、さらなる格下げと証券化商品の価格下落に繋がり、それが金融機関の損失をますます拡大させるという悪循環が始まっているように思えます。そうした中で、金融機関の評価損が発表のたびに拡大したこともあって、カウンターパーティリスクがより強く意識されるとともに、市場参加者の疑心暗鬼が金融市場全体に拡がっていったと整理できます。

 この間、様々な債券に保証を付しているモノライン(金融保証会社)の業績も悪化し、それらに対する格下げ懸念が急速に高まりました。モノラインが格下げになれば、その保証を得てトリプルAを獲得していたCDO等でも格下げとなる惧れが出てくるため、この点からも証券化商品全般に亘る需給悪化に繋がっていきました。もともと、折からの住宅投資ブームに乗って住宅ローンを裏付け資産に含むCDO等の再証券化商品が、モノラインの保証で最高位格付けを取得することによって、運用基準の厳しい投資家にまで顧客層を拡げながら、大量かつ重層的に組成されていたため、その格下げの動きが価格下落に拍車をかけたという面もありました。

 こうした状況に対し、FRBや各国中央銀行、米国政府では、追加的な流動性対策や減税を含む大型財政政策の発動を打ち出すなど、積極的な対応を図ってきましたが(図表9)、2月末以降、米国クレジット市場の状況はむしろ悪化に向かいました(図表10(1))。大手ヘッジファンドのマージンコール支払い不能や、米国GSE10ファニーメイ、フレディマック)の決算不芳、大手保険会社の追加損失、地域金融機関の格下げ、地方債の価格下落等が重なり、デ・レバレッジの動きに加えて、ヘッジファンドの解約に備えた現金化も発生しました。このような動きは内外のクレジット市場の機能を低下させるだけでなく、株価、債券価格、為替レート、商品市況など幅広く資産市場の不安定化につながりました。

 例えば、年明け以降の日本の債券市場をみますと、日経平均が急速に値を下げる中、景気の先行きに対する見方が慎重化したことや、期末決算を意識した金融機関等の投資家が、リスク資産から安全資産にアロケーションをシフトさせる動きもあって、国債の需給は総じて良好に推移してきました。そうした中で、2月末以降、理論上説明が困難なイールドカーブの歪みが発生しました(図表10(2))11。3月下旬に入って幾分修正されていますが、今なおイールドカーブは中期ゾーンが歪にへこみ、年限によってギクシャクした形となっています。また、超長期ゾーンのスワップスプレッドも一時大幅なマイナスに転じました(図表10(3))。こうした現象の背景として、ヘッジファンドが円の金利マーケットで蓄積してきたポジションを急速に巻き戻したことが指摘されています。

 このような国際金融資本市場の動揺は、再評価された価格にある程度市場が納得し、不良債権額の拡大ペースに歯止めがかかる、つまりその根本問題である米国の住宅市場調整に底入れ感がでてくるまで、なかなかおさまらないかもしれません。市場動向には今後ともしっかり注視していく必要があります。

 以上のように、米国住宅市場の調整が厳しさを増す中で、サブプライム住宅ローン問題が金融機関のバランスシート・資本不足問題にまで発展し、与信姿勢の厳格化や金融資本市場の一段の不安定化、不確実性の増大、ガソリン価格上昇などを通じて、企業マインドや消費者コンフィデンスは大幅に悪化しています。最近では雇用や消費にも影響が出始めており、米国の成長率に対する市場の見方は日を追うごとに下方修正されています。

 昨年10月の展望レポートの中で、米国経済に関し、「住宅市場の調整が一段と厳しいものとなった場合や金融資本市場の変動の影響が予想以上に広範なものとなった場合、資産効果や信用収縮、マインド悪化などを通じて、個人消費、設備投資が下振れ、米国景気が一段と減速する可能性も考えられる」と、下振れリスクを指摘していたわけですが12、現在、そうしたリスクの多くが顕在化したとみることができます。

 昨年9月時点での私の米国経済に対する見通しは、当時の市場の平均的な見方に比べて慎重なものだったのですが、昨今の金融市場や経済情勢に鑑みると、足もとの成長率はその9月時点の想定に比べても下振れているとみておいた方が良さそうです。

  1. 5Asset Backed Security
  2. 6Leveraged Buyout
  3. 7Residential Mortgage-Backed Securities
  4. 8Structured Investment Vehicle
  5. 9Collateralized Debt Obligations
  6. 10Government Sponsored Enterprises
  7. 11具体的には、先週17日が特に顕著だったのですが、債券先物が1円を超える大幅高となったにも拘わらず、逆に新発10年債の利回りは上昇(価格は下落)したほか、現物決済に使われるチーペスト銘柄でさえ割安に放置されました。
  8. 12「経済・物価情勢の展望」(2007年10月)をご参照ください。

世界経済における新興市場のプレゼンス

 こうした足もとの米国景気の下振れは、さすがに日本の輸出にも何がしか影響を及ぼしてくる可能性が高いと思われます。しかし、今のところ好調な新興国向けが米国向けの減少をカバーしており、今後もそうした傾向が続くとみられることから、実質輸出は大崩れすることはないと考えています。そうした見方の背景には、世界経済の構造変化に関する次のような見方があります。

 世界経済の成長率は、概念上、世界全体では経常収支がネットアウトされてしまうため、各国の内需を合計したものの成長率ということになります。例えば、中東で今起きている建設ブームをみてみますと、石油モノカルチャーからの脱却を目指した中長期的な国家戦略13を背景としており、単なる原油高に乗じた一過性のものではないようです。中国をはじめとするアジア新興国も同様ですが、こうしたインフラ整備を中心とする内需主導型の高成長が続く限り、米国経済がいくらかスローダウンし、その波及効果が米国への輸出や、金融資本市場の混乱を通じて米国以外の国の内需に及んだとしても、世界全体の緩やかな拡大は維持されていくことになります。つまり、現在、新興市場のプレゼンスが相対的に高まるという世界経済の構造的なリバランスが生じている可能性が高く(図表11(1))、これが日本からの輸出が全体として増加する背景にあると考えています。このような構造変化のもとで資源や食料など一次産品に対する需要が増大し、一次産品価格は上昇しています。これは一次産品輸出国へ輸入国からの所得移転をもたらしますので、一次産品輸出国の内需はより拡大し、構造変化をさらに促すことになります。日本の自動車メーカーのように、そうした構造変化に上手く対応している産業ほど、米国向けの輸出が多少減少しても新興国向けがカバーし、業績に与える影響は軽微ということになります。ただし、世界経済に占める米国のウエイトは低下しているとはいえ依然として高く(図表11(2))、また米国向けのウエイトが高い日本の貿易構造を、そうした構造変化に即座に合わせることは無理であり、そうした意味では、米国経済のスローダウンの日本の輸出全体への影響は避けては通れないと思われますが、それも程度の問題ということになります。

  1. 13例えば、"Dubai Strategic Plan 2015"では、1人当たりGDPを$31,000から$44,000への拡大することや、金融、観光、教育等の強化、労働法規や道路・鉄道事情の改善等が具体的に盛り込まれています。

一次産品価格の上昇と中小企業への影響

 また、一次産品の価格上昇は中小企業の収益や景況感にも影響を及ぼしています。すなわち、中小企業では、原油や食料品をはじめとする原材料価格の上昇を販売価格へ転嫁するのが困難なうえ、改正建築基準法の影響等もあって、景況感が昨年後半以降目立って悪化しました14。こうした中小企業の収益押下げ圧力の高まりと、マインドの急激な悪化は、彼らの賃金抑制姿勢を一段と強めるとともに、設備投資の増勢鈍化に繋がった可能性が高いとみられます。実際、毎月勤労統計の2007年11月から翌1月までの「特別に支払われた給与」は、500人以上の事業所が前年比+1.1%と増加したのに対し、100人から499人の事業所が-7.9%、30人から99人の事業所が-4.3%と、中小企業が大きく減少しました。法人企業統計調査の設備投資額も、資本金の相対的に小さい企業を中心に減少に転じています15。こうした動きが、年後半にかけて、生産・所得・支出の前向きの循環メカニズムのペースを弱めた可能性があります。

 もっとも、前向きの循環メカニズム自体が途切れたとみているわけではありません。一次産品の価格は、長い目でみれば新興国のファンダメンタルズに沿って上昇していくと考えられます。1バーレル100ドルを越える原油価格をはじめ、現在の一次産品の価格は、投機的な資金によって押し上げられている面も否定できず、いつまでも続くとは思えません16。今後、一次産品価格はいくらか調整する局面を迎えるとみていますが、仮にそうなれば、生産・所得・支出の前向きの循環メカニズムを補強する材料になると思っています。

  1. 14「中小企業景況調査」(中小企業庁)や「中小企業月次景況観測」(商工中金)といった景況感調査では、いずれも年末にかけて大幅な悪化を示しています
  2. 15
    【経常利益】-前年比、%
    資本金 2007年第4四半期 2008年第1四半期 2008年第2四半期 2008年第3四半期 2008年第4四半期
    10億円以上 +8.9 +7.0 +14.0 +1.3 -1.7
    1,000万円~10億円 +7.6 +7.8 +9.2 -3.9 -8.4
    【設備投資】-前年比、%
    資本金 2007年第4四半期 2008年第1四半期 2008年第2四半期 2008年第3四半期 2008年第4四半期
    10億円以上 +9.2 +8.3 +2.5 +6.8 -7.5
    1,000万円~10億円 +29.1 +23.0 -14.5 -12.4 -8.1

    (出所)財務省

  3. 16UAEやサウジアラビアの中銀幹部からは、インフレ高進によって国民の実質所得が目減りするほか、代替燃料への切り替えを促すことにも繋がるため、現在のような高過ぎるレベルは歓迎していないとの声が聞かれています。

(3)日本経済の先行き見通しとリスク要因

 以上の考え方の下で、日本経済の先行きについて、私なりの見通しを述べたいと思います。1月の中間評価では、2007年度の成長率は一時的に潜在成長率を下回ると下方修正しましたが、その後公表された経済指標等をみますと、2007年度の成長率は潜在成長率以下にまで落ち込まない公算が高まっています(前掲図表1)。しかし、足もとでは、米国経済の成長が予想以上に鈍化しており、さすがにわが国の輸出への影響が否めないことに加え、生産が横這う下で改正建築基準法の影響や個人消費の増勢鈍化等も窺われることから、私としましては、2008年度の成長率は、潜在成長率並みのレベルまで下振れる可能性が高まったとみています。

 項目別にみておきますと、輸出の先行きを考える上で重要な米国経済については、先ほど述べましたように、足もとの減速ペースが想定以上であり、住宅市場の調整や市場機能不全による先行き不透明感の強まりから、昨年9月時点で2%程度とみていた2008年の成長率は、1%台半ばくらいまで下振れてもおかしくないとみています。ただし、新興国の実体経済には今のところ大きな変調は窺われておらず、引き続き世界経済を牽引していくと考えていますので、輸出全体としては、増勢は鈍化するものの、増加基調は維持するとみています。

 一方、個人消費は、団塊世代の引退や地方公務員のマイナス要因の一巡などから所定内給与が漸くプラス基調に転じ、数少ない消費下支え要因となると見込まれますが、燃料油や食料品等の価格上昇や金融資本市場の不安定化がマインドを悪化させており、当面は力強い動きが期待出来そうにありません。ただ、先ほど述べましたように原油や穀物などの商品市況がファンダメンタルズから乖離して上昇し続けるとは考えていませんし、雇用面では改正パートタイム労働法の影響や技術継承やコンプライアンス対応などから正社員化を図る動き等もあり、長い目でみれば、個人消費は所得環境に見合った緩やかな増加を続けるとみています。減少が続いていた住宅投資については、漸く回復の兆しが窺われており、今後減少幅が縮小していく見通しですが、そもそもマンションの販売地合いが堅調とはいえないことや、不動産ファンドからの海外資金の流出の影響などから、明確な回復となるまでにはやや時間を要すると思われます。設備投資に関しても、為替レートや株価の動向が企業収益に大きな影響を与え続けるとは考えていませんが、個人消費と同様、金融資本市場の不安定化がマインドに与える影響は無視できず、中小企業を中心に、勢いの欠いた展開になるとみられます。こうした中、現在足踏み状態となっている生産は、在庫・出荷バランスが全体として良好であることや、内外需が緩やかながらも増加基調を続けるとみられることから、再び増加していくとみています。

 次に、以上の見通しに関するリスク要因を指摘しておきたいと思います。私どもでは、金融政策を行う立場から日本経済の先行きを見通しています。金融政策はその効果が出てくるまで半年なり1年なり、ある程度の期間を要しますので、見通しもそうした先行きの姿を念頭においておく必要があります。我々の見通しが、ときに楽観的と受け取られることがあるとすれば、我々が目先の動きにとらわれるのではなく、トレンドとしての日本経済のパスを想定しているからです。もちろん、足もとのデータを全く無視しているということではありません。その時点時点で利用可能なデータを全て利用し、企業の皆様からのお声も拝聴しながら、上下双方のリスクを慎重に検討した上で、経済の先行きを的確に見通す努力をしています。これから述べるリスクも、そうした作業の一環として検討したものです。

海外経済金融情勢に関するリスク

 先ほど述べましたように、米国の金融資本市場は、引き続き不安定な状態にあります。こうした中、景気の先行きに対する不透明感が高まっており、マーケットやFRBによる米国経済の見通しには、かなりのばらつきが見られています。私自身は今のところ、(1)世界経済の成長持続やドル安が米国の輸出の拡大基調を下支えするとともに、(2)今年後半にかけてFRBによる一連の利下げや、減税を含む大型財政政策の効果が徐々に顕現化していくことから、今年の経済成長率としては市場の平均的な予想に近い見通しをもっています。しかし、足もと様々な指標が市場予想に比べ下振れるケースが多くみられる一方で、金融資本市場の動揺を背景として悲観に振れ過ぎている面も否定できないため、ポジティブサプライズが発生する可能性も小さくないように思います。

 仮に米国経済が思いのほか下振れるような事態になれば、アジア等を経由して間接的に米国に輸出される間接輸出分も含め、わが国の輸出に与える影響は小さくないと思われます。また、金融資本市場の不安定や証券化商品の価格下落は、当然のことながら米国内で収まる問題ではありません。ご承知のように3月17日、日経平均は2年7か月振りに1万2千円割れとなりましたし、円相場も一時、12年7か月振りとなる1ドル95円台まで急速に円高が進みました。実質実効為替相場でみれば(図表12)、2000年以降続いてきた円安の流れが漸く2006年のレベルにまで反転した程度と捉えることも可能ですが、さすがにこのところの急激な変動は、心理面に少なからずネガティブな影響を与えていると思われます。特に、足もと弱めの中小企業の収益や設備投資計画への影響が懸念されることから、間もなく公表される4月短観で、チェックしたいと思っています。

 日本からの輸出については一次産品価格の動きによっても影響を受けます。メインシナリオとして一次産品価格はファンダメンタルズに見合った形で上昇トレンドを辿ると考えていますが、これも上下に振れるリスクがあります。すなわち、米国経済のスローダウンに対して今後も金融緩和政策が強化されますと、それがドル安・資源価格高を連想させ、一次産品価格は、ファンダメンタルズから乖離した形で大きく上昇する可能性があります。この場合、一次産品の輸出国の内需拡大にも限度がありますので、世界全体の内需の減少は大きくなり、世界の経済成長率は低下し、米国への輸出減を新興国への輸出増で相殺することが困難になると思われます。逆に、より一層リスク回避度が高まり、一次産品に流入したリスクマネーが急に流出することによって行き過ぎた部分の修正が生じ、それがそれ以上の価格下落を引き起こす可能性もあります。その結果、一次産品の輸出国の内需が大幅に落ち込んだ場合には、新興国向け輸出が減少することになります。しかし、そもそも新興国の内需が構造的に拡大していると思われることから、長い目でみれば、一次産品価格はファンダメンタルズに見合ったペースで上昇し、新興国向け輸出も増加基調を維持していく可能性が高いとみています。

インフレリスク

 米国では、潜在成長率の低下、賃金高止まりという物価上昇圧力がある中で、FRBは、TAF(Term Auction Facility)をはじめとする各種流動性対策に加え、FF金利の誘導目標を6度に亘り引き下げました(前掲図表9)。こうした積極的な政策対応は、金融機関の損失拡大やバランスシート問題がシステミックリスクに発展することを防止するためであり、また金融資本市場の不安定化や与信姿勢のタイト化が実体経済に及ぼす悪影響を緩和するためのものでした。

 ただ、その一方で、こうした一連の緩和策がドルペッグ制を採用している産油国等を巻き込みながら、グローバルな金融緩和に繋がっていると思われます。その結果、先ほど述べましたように、米国内の景気はスローダウンしているにも拘わらず、潤沢な資金がコモディティに流入することにより商品市況が騰勢を強め、さらにドル安がそれに拍車をかけるといったディレンマが発生しています。米国のコアPCEデフレータやコアCPIも、FRBが望んでいる水準に比べやや高い状態が続いています。FRBでは、利下げを行うに当たり、景気がスローダウンすればインフレ率は早晩低下していくとの立場をとっていますが、先般公表されたベージュブックでは17、景気下振れリスクとともにインフレ上振れリスクも同時に高まっていることが明記されています。足もとでは、ヘッジファンドの手仕舞い等から商品相場が全般にピークアウトし、BEIでみたインフレ予想も低下していますが(図表13)、リスクプレミアムの変動の影響があることや、ミシガン大学消費者信頼感指数による足もとのインフレ予想が、かなり上昇していることなどを考えますと18、インフレ予想も上向きの状態にあると思われます。金融環境はグローバルに緩和的な状態が続く上、引き続きインフレが上振れやすい環境であることに間違いはありません。

 わが国でもインフレリスクが全くないわけではありません。これまでのところは、CPIコアコア(除く生鮮・食料品・エネルギー)の前年比は依然としてゼロ近傍で推移していますが、エネルギー価格や食料品価格の上昇が思いのほか長引けば、人々のインフレ予想が徐々に上方修正され、ヘッドラインに引っ張られる形でCPIコアコアも次第にプラス幅を拡大させていく可能性があります。今後とも、インフレリスクに対する警戒は怠るべきではないと考えています。

  1. 17ベージュブック(Beige book)とは、連邦公開市場委員会(FOMC)が開催される2週間前の水曜日に公表される、米地区連銀経済報告書のことです。
  2. 185年のインフレ予想は3%前後で安定的ですが、先行1年の予想(速報値)が3月には前月から0.9%上昇し、4.5%となっています。

(4)当面の金融政策運営に当たって

 3月の金融政策決定会合における政策委員全員の日本経済の先行きについての見方は、「当面減速するものの、その後緩やかな拡大を続けて行くとみられる」というものです。したがって、金融政策についての考え方に変わりはありません。現在の金融環境が、零細企業や格付けの低い企業などのファイナンスには気になる点もあるものの、全体として極めて緩和的な状況にあることを踏まえますと、これまでどおり利上げを意識するのが自然です。ただ、現時点で私は2008年度の経済見通しは下振れる可能性が高いと思っていますし、現在は、金融資本市場が一段と不安定化する中で、先行きを見通すには霧の濃い状態にありますので、上下双方のリスク要因を、予断を持つことなく丁寧に点検する時期だと考えています。引き続き各国中央銀行と連携を取りながら、市場動向や経済に与える影響等について全力をあげて調査・分析を行い、日本経済が「中長期的な物価安定の理解」に照らして物価安定のもとでの持続的な成長軌道を辿る蓋然性が高いかどうか確認した上で、それに応じて適切な政策判断を下していく所存です。不確実性の高い中では、情勢を見極めながら漸進主義で臨むことが適切だと考えていますが、機動的かつ柔軟な対応が必要な状況かどうかについても、常に意識しておきたいと思っています19

  1. 19私の政策スタンスに近いものに、翁邦雄・木村武・原尚子「『デフレへの保険』を考慮した金融政策の枠組み」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No08-J-6、2008年2月)があります。この論文では、「不確実性が極めて大きい状況下では、リアルタイムでは実現不可能なほど思い切った金利引き下げを行い低金利維持にコミットすることや、信認が得られないような高めの目標インフレ率設定ではなく、ある程度デフレリスクが顕在化した段階では、通常の政策ルールを逸脱して思い切った金利の引き下げを行う(ただしデフレリスクが遠のいた時点で遅滞なく通常の政策ルールに復帰する)という中央銀行の行動方針を表明し、そのことについて市場参加者の信頼を得る、ということであると考えられる」と述べています。

3.原油高と金融政策

 経済の先行きを見通す上で、一次産品の価格高騰が景気と物価にどのような影響を与えていくかを見極めることが、極めて重要な局面に入っています。一次産品価格の上昇は、先ほど述べましたように、高くなり過ぎると世界経済にマイナスの影響を与える一方で、物価に対しては、インフレを高める方向に働きます。1月末にFOMCメンバーが示した米国の経済物価の先行き見通しをはじめとして20、2008年にかけての経済物価見通しは、ほとんどの国・地域で成長率は下方に、インフレ率は上方に修正されています。金融政策は物価と経済成長を両にらみで行うのが一般的ですが、それらが政策目標に対して逆方向に動いている場合、極めて難しい政策対応を迫られます。以下では、そのような状況における金融政策のあり方について、考えてみたいと思います。

  1. 201月末の会合で示された2008年の大勢見通しは、昨年10月と今年1月で、成長率は1.8~2.5から1.3~2.0、PCEインフレは1.8~2.1から2.1~2.4、コアPCEインフレは1.7~1.9から2.0~2.2に修正されました。Minutes of the Federal Open Market Committee, Jan.29-30,2008.FOMC議事要旨については、FRBのホームページを参照。以下同様。

(1)注視する物価は総合かコアか

 金融政策の目的は、物価の安定を通じて持続的な経済成長を実現することにありますが、一次産品の価格が大きく変動しているような場合、参照する物価指数の選択も大きな問題になります。総務省は現在、消費者物価指数を、総合指数、生鮮食料品を除く指数(コア)、さらにエネルギーと食料品を除く指数(コアコア)の三つの系列を公表していますが、それらは最近のエネルギーおよび食料品の価格上昇を反映して、かなり異なる動きを示しています。たとえば、1月の総合指数は前年比+0.7%、コア指数は+0.8%の上昇ですが、コアコアは-0.1%と依然としてゼロ近傍で推移しています。

 国民にとっての物価としては、消費者物価、しかも消費する財をすべて含んだ総合指数で考えるのが基本です。実際、日本銀行では2006年3月に「中長期的な物価安定の理解」を示した際、消費者物価としては総合で捉えるのが基本であるとしました。インフレターゲットを採用している国の多くも、総合指数を採用しています。ただし、総合指数は、生鮮食料品等が天候要因によりかなり変動しますので、政策判断の際には、振れの激しい生鮮食料品を除いたコア指数でトレンドを把握するのが適切だといえます。かつて量的緩和政策を解除するための条件設定にコア指数を用いましたが、それは短期的に振れる総合指数を参照すると、一時的な変動に過剰に反応することになってしまうからです。ミシュキンFRB理事は、原油価格にショックが発生した際、コア指数と総合指数のどちらに金融政策を対応させる方が失業率を抑えることができるかシミュレーションを行った結果、金融政策はコア指数を安定化することに焦点を当てるべきと結論付けています21

 図表14によれば、コア指数と総合指数との乖離が上下に分散しており、日本ではコア指数がやや長い目でみれば、総合指数をよくトレースしていると言えそうです。他方、コアコアの場合は、コアほどにはトレースできていません。問題は、コア指数と総合指数の乖離に持続性がある場合です。事実、日本ではコアコアと総合、米国ではコアと総合との間に、数年タームではかなり持続的な乖離がみられています(図表15)。現在のように、ガソリンや食料品といった生活必需品の価格が持続的に上昇しているような局面では、コア指数を対象とする政策を採ると、金融政策の判断が誤っているのでは、との批判が高まる可能性があります。FRBがFOMCメンバーの予想インフレ率をコアだけでなく、総合についても公表することとした背景には、こうした批判への対応という意味もあったようです22

 私は、新興国のエネルギーや食料品の消費需要は今後も強いと想定していますので、一次産品の価格もトレンドとして上昇するとみています。したがって、エネルギーや食料品を除いた物価でトレンドを把握しようとすると、インフレの過小評価に繋がりかねません。一方で、短期的には一次産品市場に投機資金が流入している可能性が高いため、価格が大きく調整するリスクも無視できません。結局のところ、実際の金融政策運営においては、エネルギーや食料品を含んだインフレ率と含まないインフレ率を、バランスよく観察しながら、総合的にインフレの基調的な動きを見出していくしかないと考えています。

  1. 21Frederic S. Mishkin, "Does Stabilizing Inflation Contribute to Stabilizing Economic Activity?," Feb.25, 2008(FRBのホームページを参照). Dhawan, Rajeev, and Karsten Jeske, "Taylor Rules with Headline Inflation: A Bad Idea," Federal Reserve Bank of Atlanta Working Paper Series, 2007-14.も、コアに反応する方が経済変動を安定化する傾向があることを示しています。アトランタ連銀のホームページを参照。
  2. 22ミシュキンFRB理事は、FOMCメンバーがコアだけでなく総合インフレ率の見通しも提示することにしたことを公表する直前のスピーチで、このような批判があることに言及しています。Frederic S. Mishkin, "Headline versus Core Inflation in the Conduct of Monetary Policy", Oct. 20, 2007(FRBホームページを参照)。フィッシャー・ダラス連銀総裁は3月7日のパリでのシンポジウムで、持続的な商品相場上昇がコアインフレ率という伝統的尺度に厳しい疑問を投げかけているとし、さらに、インフレのデータからノイズとシグナルとにえり分けることの難しさも増していると述べています(Richard W. Fisher, "Comments on Stylized Facts of Globalization and World Inflation", March 7, 2008<ダラス連銀のホームページ参照>)。

先行きの経済物価見通しのむずかしさ

 いずれにしても、経済の見通しを作成する際には、原油動向についての想定如何で、インフレや成長率見通しが影響を受けることになります。できるだけ蓋然性の高い想定を置くことが望ましいのは言うまでもありませんが、原油市況には、投機的要因、地政学要因、天候要因など、多くの特殊要因を含んでいます。仮に予測が1~2年の短さであっても、市況を的確に当てるのは至難の業です。米国ではバーナンキ議長の半期議会証言をはじめ、何人かのFOMCメンバーがエネルギー価格の先行きに言及しつつ、景気減速とともにインフレも低下していくとの見通しを示していますが、コーン副議長が述べているように、実際には、先物価格を分析した結果、エネルギーとその他商品価格は横ばいで推移するとの想定を置いているようです23。ただし、足もとのインフレ率が彼らの見通しから外れていることもあって24、最近ではインフレの上振れリスクに対する言及も増えています25。また、ダラス連銀のフィッシャー総裁は、執拗な商品価格上昇によって、正確にインフレ率を予測することが難しくなったと述べています26

  1. 23Donald L. Kohn, "The U.S. Economy and Monetary Policy", Feb. 26, 2008.
  2. 24イエレンサンフランシスコ連銀総裁は2月8日のハワイでのスピーチで最近のインフレ指標には「失望している」と述べています。Janet L. Yellen, "Speech to the Chartered Financial Analysts of Hawaii", Feb. 8, 2008(サンフランシスコ連銀のホームページ参照).
  3. 25コーンFRB副議長は、中国やその他の新興国市場からの商品需要の高まりが長期的に物価上昇を後押しし、世界的なインフレは予想よりも加速する恐れがあると述べています(Donald L. Kohn, "Implications of Globalization for the Conduct of Monetary Policy", March 7, 2008<FRBホームページ参照>)。
  4. 26脚注22のスピーチ参照。

(2)国民のインフレ実感とのギャップ

 次に指摘しておきたい問題点は、国民の実感としてのインフレ率と、政策当局が政策の対象としている基調インフレ率とのギャップです。国民のインフレ実感は、消費者物価全体よりも生活必需品の価格によって影響される傾向があります。図表8にありますように、エネルギーや食料品を含む購入頻度の高い商品の価格指数はかなり上昇しています。国民のインフレ実感は高まっており、それは日本銀行や内閣府のアンケート調査からも窺えます27

 生活関連という意味では、住宅コストも国民のインフレ実感に大きな影響を与えています。英国ではインフレ目標の対象となっているCPIに住宅コストが十分反映されていないため、たとえCPIがインフレ目標を達成していても、国民には不満があるようです。2月のインフレーションレポート公表時のキング総裁の記者会見では、人々のインフレ予想が上昇している背景に、CPIをインフレターゲットの基準としている一方、人々は生活水準に関心があるため、生計費の上昇を反映しているRPIXを重視しており、両者間の格差が拡大していることがある、という指摘はわかると述べています28。実際、図表16にみられるように、BOEはインフレ目標をほぼ達成していますが、インフレ・コントロールの仕事振りに対する満足度は、総合インフレ率RPIXの高さに反応して、最近低下しています。中東でも家賃の上昇が高く、国民のインフレ実感は実際の数字よりもかなり高いようです。このように、生活関連財の物価上昇の高さが国民のインフレ実感を一般物価指数以上に高めている場合、消費者マインドの悪化は避けられません。

 このようなギャップにどう対応したらよいのでしょうか。日本においては、2006年に入ってから予想インフレ率が上振れていますが、日銀スタッフの分析によると29、家計が日銀の活動に関心があるほど、また日本銀行に対する信頼が厚いほど、予想インフレ率の上昇が抑制されるという関係がみられるとのことです。つまり、家計の予想インフレ率を低位安定化させるためには、金融政策について国民の関心と信頼を高めておくことが必要ということです。そのためには国民との対話が重要であり、日本銀行が日々どのような考え方で金融政策を行っているのか、わかりやすく丁寧に説明していくことが我々に求められています。

  1. 27日本銀行「生活意識に関するアンケート調査」や、内閣府「消費動向調査」をご参照ください。
  2. 28BOEのホームページをご参照ください。
  3. 29鎌田康一郎「家計の物価見通しの下方硬直性:『生活意識に関するアンケート調査』を用いた分析」『日本銀行ワーキングペーパーシリーズ』No.08-J-8,2008年3月。

(3)原油高にどう対応するか

 さて、ここで原油価格が上昇したときの金融政策について考えてみたいと思います。原油高はインフレ上昇、成長低下というトレードオフを生じさせる可能性が高いといえます。そのどちらを重視するかで政策の方向が異なる可能性がありますので、政策当局者は厳しい選択を迫られます30。望ましいインフレ率を定義している国、たとえば、BOEやECBではインフレ率により重心をかけた政策運営がなされる可能性が高いでしょう。実際、ロマックス英中銀副総裁は、高いインフレ予想が続くようであれば、インフレを目標値に抑えるために、さらなる景気減速を容認せざるをえない、と述べています31

 このトレードオフの大きさは、原油高が世界の需要増によって駆動されているのかそれとも供給ショックによるものなのか、原油高による所得移転がどれだけ還流するか、原油高がどの程度持続するのかなどに大きく依存します。したがって、政策対応を決める前に、原油高が発生した背景等を慎重に見極めなければなりません32

 しかしそれは簡単ではありません。ひとつの鍵は予想インフレといえるかもしれません。たとえば、原材料価格上昇にもかかわらず期待インフレが高まらず、その結果価格転嫁もできず、また物価も上昇しにくいという場合には、交易条件悪化によるマイナス効果が経済成長により強くでることになります。こうしたケースでは、金融政策を緩和的に運営することが望ましい、ということになるでしょう。実際、日本では、原油や食料品をはじめとする一時産品の価格高騰が、企業収益や個人消費に悪影響を与えるとの見方が多く、利上げ論が出てこないのは、インフレ予想が上振れないことが前提となっているからかも知れません。しかし、資源価格の持続的な高騰や生活用品の値上げをうけて、家計の予想インフレが高まっています。このもとで価格転嫁が進み、名目賃金の引き上げを伴いながら物価が上昇するということも考えられます。この場合には、引き締め気味の政策運営が望ましいといえます。原材料価格の上昇が継続すると想定される場合も同様です。

 なお、足もとインフレターゲットの上限を超えている国も少なからず見受けられますが33、現在のように経済が弱含み、ダウンサイドリスクが高まっている状況の下で、ターゲットからの上方乖離を放置すれば、中央銀行の信認にかかわる問題になりかねません。経済成長面での明示的な縛りがないとしても、弱含む経済の中で引き締め政策を採るのはなかなか難しく、数値が明示されているが故の悩みがありそうです。

  1. 303月8日の講演でイエレン・サンフランシスコ連銀総裁は「FOMCは、今後金融政策の適切なパスを判断するなか、インフレと雇用の両方に対するこの不愉快なリスクの組み合わせのバランスをとらなければならない」と指摘しています。
  2. 31Rachel Lomax, "The State of the Economy", Feb. 26, 2008(BOEホームページ参照).
  3. 32たとえば供給ショックとしての原油高に対しては、インフレ率に軸足を置いたルールの方が経済の振幅がより小さくなるとの分析結果があります。Leduc, Sylvain and Keith Sill, "A Quantitative Analysis of Oil-Price Shocks, Systematic Monetary Policy, and Economic Downturns", Journal of Monetary Economics, 51, 2004を参照。
  4. 33たとえばカナダ、スウェーデン、ノルウェー、ニュージーランド、韓国、インドネシアなどがあげられます。

(4)予想インフレ率の安定化と信認

 最近、FOMCメンバーから、インフレ予想の安定化が政策運営上重要である、との発言が相次いでいます34。3月18日のFOMCの声明文では、インフレが上昇するとともに、インフレ予想を示すいくつかの指標が悪化しており、インフレに関する不確実性が増大したと指摘されています。インフレ予想が高まることによって高い賃金上昇が実現し、それがさらなるインフレ予想の上昇に繋がるという悪循環が発生すれば、それを沈静化するためにかなり強めの引き締め策が必要になります。バーナンキFRB議長が、1月10日のワシントンにおける講演で「インフレ予想が高まったり、FEDのインフレファイターとしての信認が損なわれたりするいかなる気配も、物価安定を維持させることを困難にする」といっているのはそのためです35。かつての日本では第一次オイルショックよりも第二次オイルショックの方が、インフレ率が低くかつ経済成長率の落ち込みが軽微なものとなりましたが、その理由についての一つの仮説は、日本銀行が第一次オイルショック時の失敗は二度と繰りかえさないという確固たる政策運営を実施したことが、インフレファイターとしての信認を獲得し、人々のインフレ予想の安定化に繋がった、というものです36

 インフレ予想が高まれば、政策金利を引き下げても長期の資金調達コストは低下せず、景気刺激の重要な経路のひとつが奪われてしまうことにもなります。積極的な緩和策が有効となるには、インフレ予想が安定していることが前提になります37。そのような政策が必要以上に人々のインフレ予想を上振れさせれば、その後継続的なインフレと、より深いリセッションを引き起こす可能性もあります。こうしたことのないよう、中央銀行はインフレリスクに対する警戒を常に怠るべきではなく、人々のインフレ予想に不断に働きかけておくことが、信認獲得・維持のためには重要です38。わが国の場合、海外に比べればまだインフレ率は高くはありませんが、長い目でみれば日本についても同じだと思っています。

  1. 34
    • 「参加者は、安定したインフレ予想がインフレの下方トレンドを達成、維持するのに欠かせないものであるが、インフレ予想が十分抑制されているのが当たり前であると考えるべきではなく、政策当局は、インフレ予想を引き続き注意深く観察する必要があることに合意した」(2007年12月11日FOMC議事要旨)。
    • 「現在のインフレ率の高止まりが予想より長引く場合や、最近の大幅な金融緩和が、インフレ率の低位安定へ向けたFOMCメンバーの決意の弱まりを反映したものと誤解された場合に、インフレ予想の安定度合いが低下するリスクを参加者は認識している」(1月29-30日FOMC議事要旨)。
    • 「最近数週間のエネルギーと他の商品価格の更なる上昇は、消費者物価の最新データと相俟って、総合とコアインフレ双方の見通しに対するアップサイド・リスクが先月よりも若干大きくなっていることを示している。総合インフレの高い上昇が続く場合には、インフレ予想がよく抑えられなくなる可能性がある」(Ben S. Bernanke、2月議会証言、Testimony of Chairman Ben S. Bernanke.2008年2月27日<FRBのホームページを参照>)。
  2. 35Ben S. Bernanke,"Financial Markets, the Economic Outlook and Monetary Policy", Jan. 10, 2008(FRBホームページ参照).
  3. 36日本銀行金融研究所第5回国際コンファランス「1990年代における物価安定:国内・国際両面の政策課題」『金融研究』第1巻第2号、1992年、I.コンファランスの模様におけるBeebeサンフランシスコ連銀上級副総裁やテイラースタンフォード大学教授の発言を参照。そのほか、初期条件(第一次では景気が過熱気味であったが、第二次では景気回復の初期段階であった)が異なっているとの指摘もあります。
  4. 37Frederic S. Mishkin, "Does Stabilizing Inflation Contribute to Stabilizing Economic Activity?", Feb. 25, 2008を参照。
  5. 38Allan H. Meltzer, "That'70s Show", Wall Street Journal, Feb. 28, 2008を参照。

4.おわりに

 最後に、当地で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。

 まず、これまで回復傾向を辿ってきた当地の景気動向ですが(図表17)、昨年後半にかけては、住宅投資が改正建築基準法の影響から大幅減となる中、雇用環境や個人消費にやや弱めの動きがみられるなど、その回復ペースに鈍さが窺われました。しかし、来年度にかけて、観光関連の盛り上がりに加え、改正建築基準法の影響が徐々に薄らぐとみられることなどから、緩やかな回復は期待できると思われます。

 ここで、もう少し長い目で宮崎県経済を考えてみたいと思います。宮崎といえばやはり農業と観光です。全国の農業生産額に占めるシェアが第6位(平成17年)の宮崎県の農業は、耕地面積当たり農業粗生産額が全国1位(平成16年)と、全国で最も高い生産性を有し、ピーマン、鶏肉、葉たばこの生産量では全国シェア1位を誇っています。最近、国民の安全性への意識が強まる中、国内産への回帰がみられており、今後ますます需要の拡大が見込まれます。さらに、完熟きんかんをはじめ、海外への輸出も積極的に取り組まれているようですが、新興国をはじめ世界が豊かになるにつれ、安心安全で品質の高い日本の農産物に対する世界的なニーズも拡大していくと予想されます。こうした潜在的なニーズを掘り起こしていけば、実は、日本の農業は、非常に将来性の高い産業なのではないかと思っており、宮崎県においては全国有数の生産性を誇る農業をさらに活性化させ、またそこから広く「食」にかかわる製造業や流通業等が発展していくことを期待したいところです。一方、観光についても「観光宮崎」の復権に向けて再び盛り上がりをみせているようです。昭和30年代には新婚旅行のメッカであった宮崎ですが、沖縄の本土復帰や海外旅行へのシフト等もあり、当地の観光産業は長らく低迷を余儀なくされてきました。しかし、平成17年3月に策定された「宮崎県総合長期計画~元気みやざき創造計画」の下、プロスポーツキャンプの誘致、ゴルフツアーの開催、アジアからの観光客誘致など、官民挙げた積極的な取り組みが功を奏し、平成18年の入り込み客数は5年振りに前年を上回りました。その後も、東国原知事のリーダーシップの下、積極的なPR活動が「観光宮崎」「宮崎ブランド」の知名度を高めており、いまや地域活性化のモデルケースとして、全国がその動向に注目しています。先ほどご説明しましたように、全国では国際金融資本市場の不安定化等を背景に沈滞ムードが拡がっており、まさに「どげんかせんといかん」状況です。活発な個人消費には明るいマインドが不可欠です。今後とも、是非この宮崎の地から、「元気」と「明るさ」を全国に発信し続けていただければと思っています。

 最後に、宮崎と日本銀行との歴史的な係わりについて、ほんの一部ですが、ご紹介したいと思います。日本銀行宮崎事務所の前身である日本銀行宮崎駐在員事務所が宮崎市に開設されたのは、昭和21(1946)年2月のことです。それにより、宮崎県にも寄託券制度が適用されることとなり、宮崎銀行本店内にある日本銀行寄託金庫で、直接現金の受払いを行なうことが出来るようになりました。それ以前は、金融機関がわざわざ日本銀行鹿児島支店から現金を輸送する必要があったため、この寄託券制度の適用によって、安全で円滑な現金供給のための利便性が飛躍的に高まったことは言うまでもありません39。実は、当時流通していた五十銭紙幣の裏面には、坂本竜馬とおりょうが日本で最初に新婚旅行をしたとされる「高千穂の峰」が、図柄として採用されていました(図表18)。観光宮崎が名を馳せるとともに、銀行券の流通が多量化しつつあったことを偲ばせるエピソードです。

 また、「『開かれた日銀』の立役者40」である森永貞一郎第23代日本銀行総裁は、小林市の生まれです。第2次オイルショックが発生した当時総裁だった森永貞一郎は、「総裁室のドアはいつでも開かれている」という言葉で有名ですが、他にも、現在の金融政策運営にとって大変参考になる言葉を幾つも残しています。例えば、イラン革命の翌年、昭和54(1979)年4月の総裁記者会見での発言です。

  • 今がインフレだというのではないが、インフレマインドに火をつけてしまっては大変なので、そうならないように今から皆で考えていかなければならない。
  • 「景気か物価か」という二者択一的な議論をする向きもあるが、物価を安定させるということが長い目で見れば息の長い景気を維持することに繋がるという点からいえば、私は究極においては両者は一致すると考えている。

 現在でも、この精神は引き継がれています。物価安定のもとでの持続的な成長を促していくことこそ、われわれに与えられた使命であり、それを実現させることで初めて中央銀行としての信任が確保できると考えています。

 私からはこのくらいにさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、まことにありがとうございました。

  1. 39「宮崎銀行五十年史」によれば、「初代会長橋口重則は、50年の銀行生活のうち、一番の思い出が、第2次世界大戦中日本銀行が宮崎にないため、空襲下の鹿児島から現金をリュックにつめ、汽車で命がけで運んだことであると、毎日新聞のインタビューに答えている」と記されています。
  2. 40「カラムコラム 素顔の日銀総裁たち」藤原作弥著、日本経済新聞社、1991年

以上