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最近の金融経済情勢と金融政策運営

日本記者クラブにおける白川日本銀行総裁講演要旨

*英訳を、英語版ホームページに掲載しました(2008年5月23日)。

2008年5月12日
日本銀行

目次

はじめに

 日本銀行の白川でございます。伝統ある日本記者クラブでお話しする機会を賜り、厚く御礼申し上げます。ただ今「伝統ある」と申し上げましたが、当クラブは、歴史の長さだけでなく、ゲスト・スピーカーに対する質問の厳しさという点でも伝統があると伺っています。かつて、ある先輩から、真偽のほどは分かりませんが、中央銀行総裁がこうした場でお話しするのは、経済の状況がよほど良いか、政策運営によほど自信があるときであるという話を聞いたことがあります。と申しましても、本日私が本席に参りましたのは、決してそのような前提条件が満たされていると判断しているからではありません。私にとって総裁就任後初めての講演を日本記者クラブで行うことにしましたのは、皆様の厳しい質問にもお答えするかたちで、私自身の考え方を吟味するとともに、皆様方に日本銀行の金融政策運営の考え方についてご理解いただく上で本席は貴重な機会だと思ったからであります。

 本日は、前半では、日本経済の現状および先行き見通しと、当面の金融政策運営についてお話し致します。後半では、金融政策を運営する上で私が重要と考える幾つかの基本的な考え方について、申し述べたいと思います。

1.経済・物価の見通しと当面の金融政策運営

経済・物価の現状と見通し

 はじめに日本経済の現状と先行き見通しについてお話します。日本銀行は、毎回の金融政策決定会合で先行きの経済・物価見通しを議論していますが、4月末と10月末には、2年ほど先までの見通しを特に集中的に議論し、その上で金融政策運営の考え方を明らかにすることとしています。これがいわゆる「展望レポート」です。今回4月末に公表した展望レポートでは、「日本経済は減速しており、当面減速が続く」として、半年前よりも見通しを下方に修正しました。

 減速の第1の要因は、エネルギー・原材料価格の上昇です。資源の多くを輸入に頼っているわが国にとって、これは交易条件の悪化、すなわち、実質所得の減少を意味します。企業は収益を圧迫され、家計は購買力が低下することになりますので、投資や消費が減少します。減速の第2の要因は、昨年夏の米国サブプライム・ローン問題に端を発した国際金融資本市場の動揺や海外経済を巡る不透明感です。実際、景気の先行きの不確実性が意識される中で、短観などでみた企業の業況感は慎重化しているほか、消費者コンフィデンスも悪化しています。当面は、こうした要因の影響が残ると考えられますので、日本経済は減速が続くとみられます。

 しかし、その先を展望しますと、海外経済も次第に減速局面を脱し、エネルギー・原材料価格上昇の影響も現在よりは薄れていくと考えられ、したがって、日本経済は緩やかな成長経路に戻る可能性が高いとみています。数字で表現しますと、先行き2009年度までの成長率は、均してみれば概ね潜在成長率並み、つまり1%台半ばから後半で推移するという姿を予想しています。

 このように考える第1の理由は、世界経済は若干減速するとはいえ、新興国を中心に高目の成長が続くとみられることです。日本からの輸出をみますと、米国向けは以前から減少していますが、新興国や資源国など、幅広い地域に向けて、かなりのペースで増加を続けており、全体としては堅調です。今後も、これら諸国の高い成長を背景に、日本の輸出は増加を続ける可能性が高いと考えています。第2の理由は、仮に景気が下振れた場合でも、日本経済は以前に比べて景気の下振れショックに対する頑健性を高めているとみられることです。企業部門は、現在、設備・在庫・雇用などの面で過剰を抱えておらず、収益も既往ピークに近い水準にあります。このことと表裏の関係にありますが、金融システムの健全性も高い状態にあります。第3の理由は、金融環境が緩和的であることが、引き続き、民間需要を後押しするとみられることです。現在コールレートは0.5%、消費者物価の前年比は1%強ですから、実質短期金利は、大まかに言ってゼロ%近傍です。これは潜在成長率と比較すると、極めて低い水準ですし、海外主要国と比べても低い水準にあります。企業が資金調達する際に、上乗せされる信用スプレッドも、欧米のように拡大している訳ではありません。また、金融機関の貸出態度や企業の資金繰りも、中小・零細企業では相対的に厳しい状況にありますが、全体としては引き続き良好な状況にあります。

 一方、物価面をみますと、生鮮食品を除くベースの消費者物価は、石油製品や食料品の価格上昇を主因に、昨年末頃から前年比の上昇幅が拡大し、3月は+1.2%となりました。これは消費税率引き上げの影響で物価が上昇した1997年度を除くと、93年8月以来の15年ぶりの高い上昇率です。物価上昇率を左右する大きな要因は、経済全体としての需給バランス、言い換えれば、その背後にある労働や設備など資源の稼働状況です。この点では、短観などに表れている企業の持つ雇用や設備の過不足感、あるいは失業率や設備稼働率などからみて、資源の稼働状況は現在はほぼ過去の平均的な水準にあります。成長率は概ね潜在成長率並みで推移するという先程の見通しと重ね合わせますと、需給はほぼバランスした状態が続くと考えられます。その意味で、消費者物価については、国内経済の需給という面からは、物価上昇率を大きく押し上げたり、押し下げる力が働くとは想定していませんが、主として、エネルギー・原材料価格の上昇が次第に末端に転嫁されていくプロセスを想定し、2008年度、2009年度とも、1%程度の伸び率となると予想しています。

 この1%程度という伸び率は、後ほどお話しする、日本銀行の「中長期的な物価安定の理解」、すなわち、政策委員が中長期的にみて物価が安定していると考える物価上昇率の中心値と同じです。したがって、消費者物価の動きとしては、先行きも「物価安定」の範囲内との評価が可能です。この点、海外主要国では足許の物価上昇率が物価安定と見なしうる領域のぎりぎり、ないし、それを超え始めていますが、それとの比較では、日本の状況は恵まれています。ただし、日本でもこのところ食料品など購入頻度の高い商品の値上げが目立っていることもあって、家計が実感として感じる物価上昇率は私どもの「生活意識に関するアンケート調査」など多くの調査に示されるように、もっと高くなっている可能性もあります。人々の物価に対する見方は、予想インフレ率や企業の価格設定スタンスを通じて、現実の物価上昇率に影響を与えうるものであるだけに、日本銀行としては引き続き注意深くみていく必要があると考えています。

経済・物価を巡る不確実性

 以上のように、相対的にみて最も蓋然性の高い見通し、すなわち、標準見通しとしては、わが国経済は当面減速した後、物価安定のもとで緩やかな成長を続ける、という姿を想定しています。ただし、経済は常に不確実性を伴うものであり、特に、現在は、以下で述べるように、不確実性が通常より高い状況にあります。こうした状況では、標準見通しだけでなく、見通しが上下にぶれる可能性、つまりリスク・シナリオについても十分綿密な検討が必要です。

 そのような不確実性をもたらしている要因としては、第1に、海外経済や国際金融資本市場の動向が挙げられます。昨年夏に始まった国際金融資本市場の動揺は、半年以上経過した今も、なお続いています。米国FRBのバーナンキ議長は、4月初に行った講演の中で、「現状は戦後最も厳しい金融危機のひとつ」と述べていますが、私も全く同様の認識です。問題の発端となった証券化商品市場は、引き続き発行が止まった状態にあります。また、より広く企業金融全般をみても、社債などの信用スプレッドは高水準で推移しています。米欧の金融機関の貸出姿勢は、期を追って厳格化しています。

 住宅投資の減少に加え、このような金融環境の引き締まりも手伝って、米国経済の減速傾向は強まっており、当面、停滞あるいは緩やかに後退する可能性が高いとみられます。米国経済がいつ頃どの程度のスピードで回復するかは、住宅市場の調整がいつ頃完了するか、また、金融環境の悪化にいつ頃歯止めがかかるかということに大きく依存します。これらの点で改善の兆しが現れると、FRBの利下げや減税の効果ともあいまって、次第に景気が回復していくというシナリオの実現可能性が高まります。もっとも、今のところ、住宅価格は下げ止まっておらず、金融市場の動揺が収まる兆しはみられません。さらに、金融機関の与信態度が一層厳格化するリスクもあります。金融資本市場、資産価格、実体経済の負の相乗作用が、いつ、どのように収束に向かうのか、その帰趨が見えないところに、最大の不確実性があると思っています。

 経済・物価見通しに対する不確実性の第2は、エネルギー・原材料価格の動向です。先ほど説明した見通しでは、原油などの国際商品市況については、新興国を中心とする需要に支えられて高水準で推移すると想定しています。商品市況の常として上下両方向に不確実性が高い訳ですが、仮に、国際商品市況がさらに大幅に上昇する場合には、各国でインフレ圧力の一層の高まりにつながるリスクがあります。その場合には、インフレ抑制のための金融引き締めなどを通じて、その後の世界経済の下振れ要因となります。また、国際商品市況の上昇は、日本にとっても、物価面での上振れ要因となる一方、海外への所得流出が増加することから、実体経済面で下押し圧力がかかる可能性があります。

 以上のように、現在は、海外経済や国際金融資本市場の動向、エネルギー・原材料価格高など多くの不確実な要因を抱え、景気の下振れリスクに特に注意が必要な局面だと思っています。

 ただし、政策当局者も含め、現状を将来に投影するというのは人間の本性であることも十分自覚する必要があります。冷静に考えると、これまで述べてきたような世界経済や日本経済を覆う霧が薄れてくる場合には、上振れ方向のリスクの重要性が増してくることも意識しておく必要があります。家計や企業は、当面は景気下振れのリスクの方を意識していると思われますが、やや長い目でみた経済の成長期待は維持されているように思われます。そうだとすると、景気下振れリスクが顕現化せず、不確実性が小さくなっていけば、企業や家計の成長期待が上振れる可能性もあると考えています。

 それと同時に、そうしたケースでは、現在の低金利がより強い景気刺激効果を発揮することになります。一般的に、経済全体の需給バランスがほぼ均衡しているもとで、緩和的な金融環境が長期化すると、人々の間にそうした環境を前提にした行動が広がります。その結果、知らず知らずのうちにリスク評価が甘くなり、企業や家計、金融機関の行き過ぎた行動を招き、それが長い目でみた資源配分の歪みや経済の大きな変動をもたらす可能性も否定できません。目下のところは、経済が減速し、先行きの不透明感も強い中で、人々がそうした行き過ぎた行動をとる可能性は以前より低くなっていると思います。しかし、世界経済を覆う不確実性という霧が晴れたり、さらに企業や家計の成長期待が上振れるような場合には、それとの対比でみて金融緩和の度合いが際立ってくると考えられます。

当面の金融政策運営

 次に、以上のような経済・物価見通しを踏まえて、当面の金融政策運営についてお話ししたいと思います。半年前、すなわち、昨年10月の展望レポートでは、金融政策運営の方針について「経済・物価情勢の改善の度合いに応じたペースで、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えられる」と述べました。しかし、今回の展望レポートでは、経済を取り巻く不確実性が極めて高い状況のもとで、金融政策運営について、「予め特定の方向性を持つことは適当ではない」と表現しました。

 やや大きな構図で捉えた場合、現在、実質短期金利がゼロ%近傍と、極めて低い水準にあるということは、中央銀行として、当然、留意しておかなければなりません。したがって、日本経済が物価安定のもとで持続的な成長軌道を辿るという見通しに対する確度が高いのであれば、金利水準は調整していくことになると思います。

 しかし、一方で、現在は、景気の下振れリスクに最も注意が必要な状況にあります。経済の先行きには常に不確実性がありますので、金融政策運営においては、ひとつの見通しだけに依拠するのではなく、見通しに対するリスク要因を十分に考慮する必要があります。そして現在は、リスクのバランスに偏りがあり、特に、海外経済や国際金融資本市場を巡る不確実性、エネルギー・原材料価格高の影響など、景気の下振れリスクに注意しながら政策運営を行うことが必要な局面にあると考えています。日本銀行としては、この先、景気の下振れリスクが薄れ、物価安定のもとでの持続的成長を続ける蓋然性が高まるのか、あるいは、下振れリスクが顕現化する蓋然性が高まるのか、よく見極めていきたいと思っています。

 政策金利の運営という意味での金融政策については以上のように考えていますが、金融政策が効果を発揮するためには、金融市場が安定的に機能していることが大前提となります。その意味では、国際金融市場の動揺が続いている中で、日本の金融市場の安定性をしっかりと維持していくことが不可欠です。

 幸い、日本の金融市場は、欧米の金融市場と異なり、これまでのところ比較的落ち着いて推移しています。これは、わが国の金融機関によるサブプライム関連商品への投資が限定的であったことが最大の要因ですが、わが国の場合、過去の金融危機の経験を経て、きめ細かな流動性供給体制が既に整備されていることも相応に寄与していると考えています。ご承知のように、米欧の中央銀行は、昨年夏以降、短期金融市場における資金調達圧力に対処するため、様々な資金供給手段を導入しました。例えば、FRBは、資金供給オペの期間について、それまでの最長2週間から、1か月に延長しましたが、日本銀行は最長1年までのオペ手段を揃えており、そのもとで適切な期間を設定して資金供給を行っています。また、FRBは、本年3月に証券会社向けの貸出制度を新設しましたが、日本銀行は、2001年の補完貸付制度導入当初から、銀行に加え、証券会社も対象に含めています。担保についても、米欧の中央銀行は適格担保の範囲を拡大しましたが、日本銀行は従来より幅広い資産を適格担保として受け入れていました。しかも、日本銀行は共通担保制度と呼ばれる制度を有しており、民間金融機関が日本銀行に差し入れる担保を機動的に差し替えることが可能になっています。これらの措置は行き過ぎますと、金融市場が本来有している自律的な市場機能を阻害するというマイナスの側面ももっているので、バランスをとることは必要です。しかし、日本の1997年以降の経験からも分かるように、短期金融市場では一旦、資金調達に緊張が走ると、資金の円滑な貸し借りが難しくなり、事態は容易には改善しません。日本銀行としては、現在の低金利が有している緩和効果が最大限発揮できる環境を維持するという観点から、今後とも、市場動向を注意深くモニターしながら、金融市場の安定に努めて参りたいと思います。そして、その上で、経済・物価の見通しとその蓋然性、上下両方向のリスク要因を丹念に点検しながら、それらに応じて機動的に金融政策運営を行っていく方針です。

2.金融政策運営の基本的な考え方

 以上で当面の経済・物価情勢と金融政策運営という前半の話題を終えて、後半の話題、すなわち、金融政策の運営に当たり、私が重要と考える幾つかの基本的な考え方についてご説明したいと思います。

中長期的な物価安定の重要性

 第1に申し上げたいことは、金融政策の目的である、「物価の安定」をどのように理解するかということです。日本銀行法は、金融政策運営の理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。私はこの日本銀行法の規定に強く賛同していますが、ここで重要なことは物価安定とは、中長期的に持続しうる物価安定であるということです。物価の安定が重要であることも、また、中長期的に持続しうる物価安定が重要であることも一般論としては認識されているように思いますが、これを政策として実践しようとすると、必ずしも多くの人々に支持されるとは限りません。例えば、日本のバブル期を振返りますと、1987年、88年度の消費者物価上昇率はゼロ%台でしたが、そのことも一因となって、当時の異常な景気過熱にもかかわらず、金利引き上げに対する反対論が強かったことはご記憶の方も多いと思います。私はバブル経済が低金利だけが原因となって発生したとは思っていませんし、また、資産価格をターゲットに金融政策を運営することが適切であるとも思っていません。ただし、金融政策を運営するに当たり、物価安定のもとで持続的な経済成長を実現するという観点に照らし、資産価格を含め幅広く経済の状況をみていくことは大切だと考えています。そうした観点からみますと、物価指数でみて物価は安定していても、政策金利を引き上げることが必要な局面もあり得ます。逆に、足許の物価指数でみて物価は上昇していても、金利を引き下げることが必要となる局面もあり得ます。例えば、消費者物価の上昇の原因が純粋に供給サイドの要因による原油価格の一時的な上昇である場合がこれに当たります。勿論、その場合でも、二次的な物価上昇が生じてないという重要な前提条件が満たされる必要はありますが、交易条件の悪化による景気後退に対応して政策金利を引き下げることが持続的な物価安定のもとでの成長という目的に貢献するケースもあり得ます。

 日本銀行では、原則として1年ごとに、中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率の範囲を集計して、「中長期的な物価安定の理解」という名前で公表しています。4月末に実施した点検の結果は、従来のものから基本的に大きな変更はなく、「消費者物価指数の前年比で0〜2%程度の範囲内にあり、委員毎の中心値は、大勢として、1%程度」というものでした。日本銀行では、この「理解」を念頭に置いた上で、金融政策運営を行っています。

不確実性を意識した経済・物価情勢の予測

 金融政策運営に当たり第2に申し上げたいことは、経済・物価情勢の予測には多くの不確実性が存在していることを自覚しなければならないということです。

 中央銀行を含め、予測を行う機関はどこも正確な予測をするために最大限の努力をしていますが、それでも予測誤差は決して小さくはありません。例えば、各国の中央銀行や政府、民間予測機関の予測誤差の実績をみますと、1年先の成長率を予測する場合で、平均すると1%を超えています。これが人間の予測能力の現状です。そうした経済に内在する不確実性を踏まえますと、見通しどおりにならない可能性、すなわち、上下両方向のリスクを意識した政策運営が不可欠となります。例えば、米国の住宅バブルや、より広くクレジット市場の行き過ぎについては、最終的に経済に深刻な影響を与える可能性があるという見方は少なからず示されていました。そうした見方は経済に対するビジョンとしては非常に重要ですが、それでは、FRBが2〜3年前に住宅バブルの崩壊や金融市場が大きく混乱するケースを標準シナリオとして想定し、これに基づいて金融政策を運営することが適当であったかと言えば、私はそれにはやや躊躇します。政策当局者としては、住宅バブルの崩壊を標準シナリオとするというより、これを先行きのリスク要因として認識しながら、政策運営に活かすというアプローチの方が説得力が高いと思います。日本銀行が金融政策運営の第1の柱として標準シナリオを取り上げ、第2の柱として様々なリスク要因やリスクが顕在化した場合のコストを評価するというアプローチをとっているのも、同様の思考方法に立っていると理解しています。

 今回の展望レポートでは、リスク要因を従来よりも詳しく記述するとともに、視覚的に表現する工夫として、委員の考えるリスクの分布をグラフの形で示すこととしました。蓋然性の高い見通しの左右に山の裾野のような形で分布するもので、リスクの散らばりや偏りが分かるので、「リスク・バランス・チャート」と名付けました。これは、標準的な見通しとしては表されないリスクについても、分かりやすく説明する必要があるという考えに基づくものです。

金融と経済の間の複雑な相互依存関係

 第3に申し上げたいことは、金融と経済の間に複雑な相互依存関係が存在し、経済・物価情勢の判断に当たって、このことに十分留意する必要があるということです。このことは1980年代後半の日本のバブル以降の経験や90年代後半の米国のITバブル、今般のサブプライム問題といった実例を思い起こすだけでご理解いただけると思いますが、これらは必ずしも標準的な経済理論に基づくモデルには馴染みません。今回、米国で起きたことは、金融市場における市場流動性の低下という問題でした。つまり、価格は名目的には存在しても、その価格で取引に応じる主体がいなくなり、市場取引が極端に細るような事態です。そうなると、市場参加者はリスクをテイクしたりヘッジすることが出来なくなる結果、経済活動にも悪影響が生じます。

 残念ながら、現状では誰もこうした複雑な現象が生じるメカニズムについての完全な回答は持ち合わせていません。それだけに、中央銀行としては情勢判断に当たって、実体経済と金融の情報、マクロとミクロの情報、というように情報をできるだけ幅広く集めて分析し、新しいデータや情報が入手されるたびに、分析を更新するという地道な作業を繰り返すことが求められます。こうした分析に当たっては、中央銀行内に蓄積された様々な知識・経験を総動員し、それでも人間の知識には限界があることを十分認識した上で、謙虚な姿勢で臨むことが大切だと思っています。

金融環境の評価

 第4に申し上げたいことは、金融政策の発揮する効果を評価するためには、名目短期金利の水準だけでなく、各種の金利や金融市場の機能度合いや金融機関の貸出姿勢などを含めた、広い意味での「金融環境」を評価する必要があるということです。

 中央銀行が政策目標としてコントロールしている金利は短期金利であり、通常はオーバーナイト金利です。日本銀行の場合で言いますと、翌日物のコールレートであり、現在の誘導目標は0.5%です。しかし、企業や家計の行動に影響を与える金利は、短期金利に限られる訳ではなく、より長い期間の金利も含めた、様々な期間にわたる金利、いわゆるイールドカーブ全体です。また、金利水準を評価する上では、将来の予想インフレ分を調整してみること、つまり実質金利を点検することが重要です。さらに、企業が借り入れを行ったり社債を発行する場合には、国債金利のようなリスクフリーの金利ではなく、それに債務者の信用度などに応じてスプレッドを上乗せした金利を支払うことになります。また、場合によっては、高めの金利を払ってもそもそも金融機関が貸してくれない、ということも起こりえます。こうしたことを踏まえますと、金融政策の効果を評価し、先行きの政策を決定するには、政策金利の水準のみならず、イールドカーブ全体の形状、潜在成長率や予想インフレ率との比較、上乗せされる各種の信用スプレッドや金融機関の貸出態度など、金融環境全般の動きを丹念に点検することが不可欠です。

おわりに

 以上、金融政策運営に当たって重要と考える基本的な考え方を説明しましたが、最後に、金融政策を運営する中央銀行の組織や行動という観点から、若干のお話を申し上げます。

 第1は、中央銀行の独立性、すなわち、中央銀行が金融政策の運営に責任を有するという仕組みを支える最終的な拠り所は何かということです。先程、金融政策の目的は中長期的に持続しうる物価安定の実現であるということを申し上げましたが、このことは、言い換えますと、中央銀行は時として、短期的には不人気な政策を行う必要があるということも同時に意味しています。そうした政策を実行する上で中央銀行としての最大の拠り所は、しっかりとした調査・分析に裏付けられた的確な分析力であり判断力であると思います。経済は常に変化し、現在もグローバル化が進行し、情報通信技術が発展するもとで、絶えざる変化に晒されています。それだけに、私としては、常に謙虚な気持ちを忘れずに、学習を続けるという中央銀行の組織文化を大事にしていきたいと考えています。それと同時に、中央銀行としては金融政策運営に当たっての判断の根拠を分かりやすく説明すること、すなわち、透明性を確保することが不可欠です。金融政策の独立性を支える拠り所は、結局のところ、的確な分析とそれに裏付けられた金融政策の積み重ねであり、そうした金融政策の判断に係る透明性であると思います。

 第2は、中央銀行のバンキング業務の重要性です。本席では主として金融政策を中心に話をしてきましたが、経済の発展に対する中央銀行の貢献という観点から言うと、中央銀行の行う様々なバンキング業務も重要です。昨年夏以来の国際金融市場の動揺をとっても、各国は様々な流動性供給ないし流動性供給の仲介とでも言うべき措置をとってきましたが、金融政策の効果が円滑に波及することを確保する上で、これらの中央銀行のバンキング機能を活用した措置は非常に重要でした。昨年夏以降の金融市場の展開をみていますと、市場機能が不安定化するもとでも、決済システムの面では混乱は生じていません。金融市場が混乱する局面では、外国為替取引の決済は時差が存在することから決済リスクに晒され、このことが原因となって金融市場がさらに不安定化することも考えられますが、実際にはそのようなことは生じませんでした。この点では、中央銀行の長年の決済システム面での努力も少なからぬ貢献をしていると思います。2002年には主要国中央銀行と民間銀行の協力によって、円とドル、ユーロとドルというように、ペアとなる通貨を同時に決済する仕組みが導入されましたが、仮に、このようなシステムの開発がもう数年遅れていたら、金融市場はさらに混乱していたことも十分予想されます。時間の関係で詳細は省きますが、地震やテロ、コンピュータ・ダウンをはじめ、様々な危機や混乱に対する備えも中央銀行の重要な仕事です。近年、金融政策に対する関心が高まっており、そのこと自体は中央銀行としては喜ぶべきことですが、それとのバランスでみると、「銀行の銀行」としての中央銀行の側面への関心がもっと高まっていくことを願っています。私としては、金利政策とバンキング政策というふたつの手段を使って、「物価の安定」と「金融システムの安定」という日本銀行の目的達成に努力していきたいと考えています。

 ご清聴をありがとうございました。

以上