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日本銀行金融研究所主催2008年国際コンファランスにおける白川総裁開会挨拶(日本語仮訳)

*原文(英語)は、英語版ホームページをご覧下さい。

2008年5月28日
日本銀行

目次

 おはようございます。金融研究所主催の国際コンファランスでご挨拶することは、私にとって大きな喜びです。学界、中央銀行、国際機関から参加頂いた全ての参加者に対し、日本銀行の同僚を代表して、心から、歓迎の気持ちをお伝えしたいと思います。

金融政策とは何か?

 2か月ほど前に日本銀行総裁の職に就任するに際し、シカゴ大学におけるフリードマン教授の最後のクラスの学生であった日々を思い出しながら、フリードマン教授が1968年にアメリカ経済学会で行った有名な会長講演である「金融政策の役割」(“The Role of Monetary Policy”)を、改めて読み返してみました。フリードマンは、講演の中で、金融政策の役割について以下のように述べています。

  金融政策ができることについて、歴史が示唆している第一の、そして最も重要な教訓−これは、最も高尚な教訓であるが−は、金融政策は、通貨自体が経済混乱の主要な要因になることを防ぐことができるということにある。(中略)このため、通貨当局には、金融機関(machine)が機能不全に陥る可能性を軽減するように、金融機関に改善を促し、金融機関が効率的に機能するように権限を行使する、という積極的かつ重要な職務がある。(中略)金融政策が行うことができる第二の点は、安定的な経済基盤を整備することである。(中略)我々の経済システムは、生産者、消費者、経営者、雇用者が、平均的な物価水準が将来にわたり予測可能な範囲で変動する−望むらくは、極めて安定している−ということに確信を持っている場合、最も効率的に機能する1

  1. 1 Friedman(1968)を参照。

 私が興味深く思ったのは、フリードマンが、金融政策という言葉を、我々が現在使っているよりも広い意味で使っていることでした。金融政策という言葉は、今日では、「物価の安定を目的とする金利政策」とほぼ同義で使われています。そのような意味での金融政策については、精力的な研究が行われてきており、理論と実践の両面において洗練されてきました。しかし、この会長講演では、金融政策の第1の役割として金融市場や金融システムの十分な機能を維持することが挙げられ、第2の役割として物価安定を実現することが挙げられています。勿論、定義論争に深入りしても生産的ではありませんが、フリードマンのこうした言葉の使い方は2つの理由で中央銀行家の実感に合っているように思われます。第1に、伝統的な意味での金融政策と金融システムに関する政策は通常は別の政策として位置付けられていますが、クリティカルな局面では、両者は複雑かつ微妙な形で関連しています。第2に、中央銀行が用いる様々な政策手段は、結局の所、流動性の供給やその配分であり、そうした政策手段は、それぞれの政策やその目的、すなわち、物価の安定や金融システムの安定に、厳密に対応付けられている訳ではありません。これらの政策の境界線は時としてそれほど明確ではなくなります。

バブル生成・崩壊の経験

 このような相互関係が顕著に示されたのは、1980年代後半の日本のバブル期以降の経験でした。ご承知のように、1980年代後半に発生した日本のバブルは近代経済史の中でも未曾有のものでした。レバレッジは拡大し、資産価格は急激かつ大幅に上昇しました。そのような状況の下で、資産価格が永続的に上昇するような経済を前提にして初めて正当化できるような有形資産投資が実行されました。バブルが崩壊すると、経済的には価値のない大規模な資本ストックが残されました。言い換えると、資産市場は動学的にみて最適な資源配分に失敗し、それ自体が経済の混乱を生み出す原因となりました。

 金融政策とバブルがどのように関係するかという問題は極めて複雑であり、明確な答えは未だ見つかっていません。この点、当時多くの経済主体は、低金利が長期にわたって持続すると予想していました。これがバブル発生と無関係であったと言い切ることはできません。1988年当時、景気過熱にもかかわらず、物価が極めて安定していた下で、金利引上げを主張するエコノミストは、学界、国際機関を含め、少数派でした。消費者物価の前年比は1987年3月までマイナスであり、1988年度全体の平均は僅か+0.7%でした。バブルが崩壊すると、資産価格は下落し、企業や金融機関の自己資本が急速に毀損しました。そして、経済全体に深刻な影響を与えました。とりわけ、銀行が金融仲介の主要な役割を果たす日本の金融システムにおいては、銀行部門の資本不足の影響は極めて深刻でした。バブル崩壊後の初期段階では、高い水準からの需要の減少や資産価格の急落によるマイナスの資産効果が、景気に悪影響を与えました。その後、金融仲介機能が不全に陥った結果、資源の非効率な配分が生じ、生産性が低下するというルートが主要なものとなったことが明らかになりました。

 現在、米国や欧州の主要国では、クレジット市場や資金調達市場が動揺しています。現在の米国での混乱は日本のバブル期とそれ以降の経験と重なり合う部分もありますし、様々な違いもあります。異なる点から指摘しますと、第1に、損失の規模が異なっているようにみえます。日本の場合、預金取扱金融機関の損失は累計で約1兆ドルにも上りました。一方、今回の金融市場の混乱については、様々な仮定に基づいた推計であるため、解釈には注意が必要ですが、IMFは世界全体での推計損失額が9,450億ドル程度であり、そのうち約半分が銀行部門の負担になると報告しています。第2に、米国の場合は、混乱の出発点となった証券化商品は市場で取引されている価格を通じて損失額を認識することが可能です。しかし、日本の場合は、市場性のない銀行の貸出債権に損失が集中しており、会計制度に不備があったこととも相俟って、損失の認識が遅れました。第3に、米国の場合、損失を被った金融機関が資本調達を早期に行っています。

 類似点もあります。間違いないことですが、バブルが発生し、拡大し、そして、崩壊したということです。そして、資産価格の下落が金融面の悪化を通じて経済に悪影響を及ぼしている点は両方のケースで共通しています。日本の経験に照らすと、金融環境の厳格化、資産価格の下落、実体経済の悪化の間で負の相乗作用がどのように展開するかが、経済の先行きの大きな鍵を握っているように思います。

中央銀行の対応

 過去20年間における金融市場の混乱は、フリードマンの言う広義の金融政策の面で、中央銀行は以下のような様々な課題に直面していることを示しています。

 第1の課題は、金融政策の目的である物価の安定をどのように定義し、理解すべきかということです。日本にしても米国にしても、近年発生したバブルの多くは、逆説的ではありますが、物価安定が達成され、あるいは、デフレの危険が意識される中で、低金利が持続した後に生じています。物価上昇率の低下や低金利が、経済主体の積極的なリスクテイクとどのように関係しているのかは、解明されているわけではありませんが、バブルとその崩壊の経験は、経済は時としてノンリニアに変化することを示しています。また、そのノンリニアのプロセスでは、金融と経済の相乗作用など、複雑なダイナミックスが決定的に重要な役割を果たします。言い換えると、フリードマンが示した金融政策の第1と第2の役割は互いに密接に関連しています。政策当局者やエコノミストは、物価安定とは物価が中長期的に安定している状態と理解していますが、インフレーションのダイナミクスにおいては、ラグが長くノンリニアな変化が生じる可能性もあります。こうした状況の下で、足許の物価上昇率に目が行き過ぎると、必要な金融政策の対応が遅れ、結果として経済活動の大きな変動を招く危険があります。この点に関連し、世界中の中央銀行は、物価安定の数値的表現を伝えるための最適な方法を模索する努力をしており、それぞれ異なる手法で公表しています。インフレーション・ターゲティング国は、目標物価上昇率の水準を公表しています。日本銀行や欧州中央銀行(ECB)は、物価安定に関する何らかの数値的定義を公表し、FRBは、足許の経済情勢と適切な政策の下での中期的なインフレの予測値を公表しています。

 第2の課題は、金融システムに関する政策の設計です。バブルの崩壊のような経済のノンリニアな変化はリスクとしては認識できても、崩壊する前に金融緩和を始めることは困難です。バブルがいつ崩壊するかを正確には予測できません。そうした変化を認識した場合には、現在のFRBの対応のように、標準的なテイラー・ルールが示唆する以上のペースで金利引き下げを行うことは適切な対応だと思います。同時に、日本の経験が示すように、企業や金融機関のバランスシートの毀損が激しい場合には、金利の引き下げだけでは十分緩和的な金融環境を作り出すことは非常に困難です。現在の米国の金融環境をみると、大幅な政策金利の引き下げにもかかわらず、信用度の低い社債の金利は昨年夏に比べて低下している訳ではありません。この事実は、事後的な政策金利の変更に加え、事前に、バブルの生成を招きにくいような金融システムに関する政策や制度の設計も重要であることを示しています。金融政策において採り得る対応策については既に述べましたが、金融機関の行動が景気の振幅を増幅させることのないように、規制や監督のあり方を考えることも重要な課題です。

 第3の課題は、いわゆる中央銀行のバンキング政策です。金融政策が効果を有するためには、金融システムが安定し、金融市場が十分に機能することが不可欠です。昨年夏以降の経験を振り返ると、市場流動性の枯渇が問題となりました。市場流動性がどのようなメカニズムを経て枯渇するのか十分解明できている訳ではありませんが、中央銀行は自らのバンキング機能を使って、市場流動性の回復に努力してきました。この点では日本銀行はフロンティアであったと自負しています。例えば、日本銀行は、2001年に、幅広い金融機関を対象とする期間の長い資金供給オペレーションを導入しました。これは、Fedが昨年12月に導入したターム・オークション・ファシリティー(TAF)に相当します。また、日本銀行は同じ年に証券会社を含む金融機関を対象とする貸出のスタンディング・ファシリティーを導入しました2。これはFedが本年3月に導入したプライマリー・ディーラー・クレジット・ファシリティー(PDCF)に相当しています。日本銀行はこれ以外にも、資金供給と売出手形の発行による資金吸収を組み合わせた両建てオペレーションを実行し、金融市場で一種のブローカーとしての役割を果たしました。また、資産担保証券や金融機関保有の株式も買い入れました。これらはいずれも金融市場や金融システムの機能を回復するための措置でした。これらの措置は通常は金融政策とは分類されていませんが、いずれにせよ、中央銀行の展開するバンキング政策を抜きに金融政策の効果を考えることはできません。変化する金融環境の下では、中央銀行は、そのオペレーションの不断の見直しが必要です。

  •   2 2001年の政策対応については、金融市場局金融調節課(2001、2002)を参照。

結び

 これらの課題は、中央銀行にとって極めて実践的な課題です。これらは全て、中央銀行にとって容易に解決策を見出すことのできない難しい課題ですが、中央銀行は一つ一つに答を出しながら政策を実行していかなければなりません。その際、中央銀行は利用可能な学問的な成果を最大限活用しています。他方で、既存の理論では説明できない事象にも少なからず遭遇します。それだけに、中央銀行は常に学習を続ける組織でなければならないと思っています。それと同時に、発見したパズルを学界に伝える努力も重要です。そして、学界での理論の発展が今度は中央銀行の金融政策運営に役立つことが期待されます。

 私としては、今回のコンファランスで、金融政策を巡る様々な論点について実りある議論が交され、世界の中央銀行の将来の金融政策運営に活かせることを、また、実践と理論の相互関係が学問的なフロンティアをさらに押し広げていくことを、期待しています。

 ご清聴有難うございました。コンファランスの成功を祈念しております。

参考文献

  • 金融市場局金融調節課、「2000年度の金融調節」、マーケット・レビュー、2001-J-6、日本銀行金融市場局、2001年
  • 金融市場局金融調節課、「2001年度の金融調節」、マーケット・レビュー、2002-J-5、日本銀行金融市場局、2002年
  • Friedman, Milton, "The Role of Monetary Policy," American Economic Review Vol. 58 (1), 1968, pp.1-17.