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【講演】「技術革新と中央銀行」

名古屋大学経済学研究科における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2008年9月2日

英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

  1. I.はじめに
  2. II.中央銀行の機能と仕事
    1. 1.中央銀行の機能
    2. 2.中央銀行の仕事
      1. (1)現金の供給と決済サービスの提供
      2. (2)金融システムの安定の維持
      3. (3)金融政策の運営
  3. III.技術革新と中央銀行
    1. 1.技術革新の動向と特徴
    2. 2.中央銀行の仕事への影響
      1. (1)現金の供給と決済サービスの提供
      2. (2)金融システムの安定の維持
      3. (3)金融政策運営面での課題
  4. IV.終わりに
  5. 参考文献

図表 [PDF 246KB]

I.はじめに

 名古屋大学経済学研究科で講演の機会を頂き、大変嬉しく存じます。本日は「技術革新と中央銀行」というテーマでお話をさせて頂きます。このテーマを取り上げたのは、名古屋が「ものづくりと技術革新」の土地でもあることに大きく影響されていますが、もう一つの理由は、技術革新がもたらす影響を踏まえて政策面で的確に対応し、さらに技術革新の成果を積極的に活用していくことが中央銀行にとっても大事な課題となっているからです。

II.中央銀行の機能と仕事

1.中央銀行の機能

 技術革新というテーマに入る前に、最初に、中央銀行の機能の全体像をごく簡単に説明するところから始めることとします。

 皆さんの多くは、中央銀行と聞くと、お金の発行を思い浮かべるでしょう。また、マクロ経済学や金融論の教科書を開くと、中央銀行の機能として、金融政策の運営や「最後の貸し手」の機能が記述されています。このように様々な役割を、中央銀行という一つの機関、それも、官庁でなく銀行という組織が担っているのはなぜでしょうか。

 この点を考えるうえでは、お札、すなわち、銀行券の発行が、中央銀行の最も基本的な機能である、ということが出発点になります。イングランド銀行は世界で最も古い中央銀行の一つですが、同行は、1694年に民間銀行として設立されました。当時は複数の民間銀行が銀行券を発行していましたが、その後、銀行間の競争を通じて、銀行券の発行という機能は次第にイングランド銀行に集中していきました。1844年には、法律で、イングランド銀行だけが銀行券を発行できるようになり、今日的な意味での中央銀行としての地位が徐々に確立していきました。日本でも、明治の初年は民間銀行がそれぞれ銀行券を発行していましたが、こうした通貨が乱立する状況を整理するために、1882年、銀行券を一元的に発行する機関として日本銀行が設立されました。

 このような歴史からも明らかなように、中央銀行の最も基本的な機能は、自らの債務として銀行券を発行することです。自ら発行する銀行券を人々が安心してかつ便利に使えるようにするためには、通貨に対する信認を確保することが不可欠です。このことを実現するためには、次の二つの条件が満たされる必要があります。第1に、通貨の流通と、これを支える決済システムや金融システムが安定的かつ効率的に働くことです。冒頭に触れた「最後の貸し手」としての機能は、こうした金融システム安定のための役割の一つです。第2に、通貨の価値が安定していること、つまり物価の安定が図られていることが必要です。この条件を達成するために中央銀行が行う政策が金融政策です。

 このように、中央銀行の様々な仕事は、通貨の発行という機能を出発点として、通貨に対する信認の確保という使命を達成するために行われていますが、ここで強調したいことは、これらの仕事は、以下で説明するように、銀行業務、バンキングを通じて実践されるということです。

2.中央銀行の仕事

(1)現金の供給と決済サービスの提供

 それでは、日本銀行の仕事を具体的にご説明します。まず、現金の供給と決済サービスの提供についてお話します。日本銀行は、本店と支店・事務所のネットワークを通じて、全国津々浦々に現金が円滑に行き渡るように手配しています。現金だけでなく、日本銀行は、民間金融機関に対して日本銀行当座預金を提供しており、金融機関はその当座預金の残高をいつでも銀行券に引き換えることができます。図表1をご覧下さい。丁度、皆さんが銀行に預金口座を持ち、銀行からローンを借りたりするのと同じように、銀行や証券会社は、日本銀行に当座預金口座を持ち、日本銀行から借り入れをしています。皆さんは、公共料金や買い物の代金を払うときに、銀行を通じて送金や振込を行うことも多いと思います。送金依頼を受けた銀行同士がどのように資金決済をするかというと、銀行が日本銀行に預けている当座預金を通じて行っています。図表2をご覧下さい。日本銀行当座預金を通じた決済金額は、趨勢的に増加しており、現在は1営業日に120兆円にも上ります。決済金額は、1日の中でも、大きく変動しています。こうした決済をオンライン処理によって効率的・安全に行うために、日本銀行は、「日銀ネット」というコンピューター・ネットワークの運営を行っています。

 ここで、中央銀行がどのようにお金を供給しているのかをみてみましょう。図表3をご覧下さい。日本銀行は、金融機関に貸出を行ったり、金融機関から国債などの証券を買い取ったときには、金融機関が保有している日本銀行当座預金に資金を払い込みます。これを「資金供給オペレーション」と言います。金融機関は、預金の払い出しなどに応じるために現金が必要となると、現金を当座預金から引き出し、日本銀行から受け取ります。そして、この現金が世の中に流通していきます。

 こうした通貨の供給を中央銀行のバランスシートの変化という観点からみてみましょう。もう一度、図表3をご覧下さい。先ほど述べたように、通貨を供給する場合、金融機関への貸出や国債などが「資産」として増加します。このとき、供給された通貨、つまり日本銀行当座預金や銀行券は、金融機関にとっては「資産」の増加となりますが、日本銀行にとっては「負債」の増加となります。ここで強調したいことは、お金は中央銀行のバンキング業務、すなわち、銀行としての取引という行為を通じて世の中に供給されるということです。

(2)金融システムの安定の維持

 次に、金融システムの安定確保のための仕事についてお話します。先ほどみたとおり、家計や企業に身近な決済手段としては、現金のほかに、民間銀行預金を使った振込があります。民間銀行預金のうち、普通預金などは「預金通貨」とも呼ばれ、「いつでも日本銀行が発行するお金に換えることが出来る」という安心感に裏打ちされて、通貨として機能しています。

 これまで、「現金」、「通貨」などの言葉を、あまり厳密に区別せずに使ってきましたが、ここで、簡単に整理しておきたいと思います。図表4をご覧下さい。「現金」は日本銀行券と、貨幣すなわちコインから成り、約80兆円の残高があります。銀行券に日本銀行当座預金を加えたものが「中央銀行通貨」と呼ばれます。また、家計や企業が保有する流動性預金などの「預金通貨」は約400兆円あり、現金に比べて圧倒的に大きな額となっています。家計や企業が保有する現金、預金通貨に、「準通貨」と呼ばれる定期預金などを加えたものがマネーストックで、その額は約1,000兆円に上ります。

 このように、現代の通貨制度は、中央銀行と並んで、預金通貨を提供する金融機関、そして金融機関が活動する金融市場の複雑なネットワークで支えられています。したがって、お金の使い勝手や価値を守るためには、金融機関の機能や金融市場の働き、つまり金融システムの安定を維持することが不可欠です。一部の金融機関の支払が滞ると、その資金を当てにしていた金融機関にも問題が波及し、連鎖的な支払不能に発展するかもしれません。金融システム全体に支払不能が連鎖する危険を「システミック・リスク」と言います。このリスクが現実化することを避けるため、中央銀行は、資金不足に直面した金融機関に対して、一時的に必要な資金を供給することがあります。これが中央銀行による「最後の貸し手」と呼ばれる機能です。90年代後半から2000年代初頭にかけて、わが国で金融システム問題が深刻化した際、日本銀行が「最後の貸し手」として、いわゆる「日銀特融」を実施したのはこの具体例です。

 もちろん、システミック・リスクの顕現化を防ぐためには、金融機関の業務や決済システムが健全に運営されているかを普段から把握し、必要に応じ助言を行うことも重要です。日本銀行は、日頃から金融機関や金融市場の動向をモニタリングしています。また、実際に金融機関を訪問し、経営状況やリスク管理の状況を調査する「考査」を実施しています。

(3)金融政策の運営

 日本銀行の仕事のご説明の最後は、通貨価値の安定、言い換えれば物価の安定を確保するための仕事、つまり金融政策の運営です。中央銀行は、供給する通貨の量やその価格である金利をコントロールすることによって、物価の安定を図っています。例えば、日本銀行が潤沢な資金供給を行えば、市場の金利——正確にはオーバーナイト金利——が低下し、金融機関の資金調達コストも低下します。これが、金融機関が個人や企業に貸出を行う際の金利などに波及していきます。こうした金利の変化を通じて、企業や個人の経済活動に必要な資金調達のコストも変化し、経済全体の活動が活発化します。この結果、経済全体の、財やサービスの需要と供給のバランスが変化し、物価に影響を与えることになります。

 ここでも、金融政策は、法律の制定や行政的な手法で行われるのでなく、民間金融機関を相手とする取引、つまりバンキング業務を通じて実施されています。

 以上でみてきたように、中央銀行の様々な役割は、バンキング業務を通じて行われており、これらの役割を官庁でなく銀行という組織が担っている理由はこの点にあります。

III.技術革新と中央銀行

1.技術革新の動向と特徴

 これまでみてきた中央銀行の機能は、国や時代による差はあるにしても、現在では主要国で確立したものとなっています。ただし、この役割を果たしていくために中央銀行が行う仕事の具体的内容は常に変化してきています。特に、近年、経済や金融市場のグローバル化、デリバティブなどを用いた新たな金融技術の発展と普及など、中央銀行を取り巻く環境は、大きく変化しています。この背景には、コンピューター技術や通信技術の発達などの情報技術革新があります。このような環境変化を踏まえ、中央銀行の使命とこれを支える中央銀行業務をしっかりと果たしていけるよう、日本銀行も様々な取り組みを進めています。以下ではその姿を、先に3つに整理した中央銀行の仕事のそれぞれについて、みていきましょう。

2.中央銀行の仕事への影響

(1)現金の供給と決済サービスの提供

現金の供給

 最初に、現金の供給と決済サービスの提供の面についてです。

 「人々が、安心してお金を使えるようにする」ために、先ず大事なことは、現金そのものに対する人々の安心感を確保することです。紙を使ったお金、つまり、お札の発行はそれ自体が、技術革新の賜物ともいえますが、日本で初めてお札が使われたのは、1600年頃、伊勢山田で使われた「山田羽書」であると言われています1、2。お札の歴史は同時に偽造との戦いの歴史とも言えますが、日本銀行では、現金の偽造がないかを常に確認すると同時に、偽造防止技術の研究・開発にも取り組んでいます。最近の偽造券の動向をみると、2000年代に入って偽造券の枚数が急増し、それまでの年間数百枚程度から、2004年には約2万6千枚にまで増加しました。この背景には、カラーコピー機、カラープリンターなどのデジタル画像処理機器の普及という事情があります。また、こうした機器の高性能化に伴って、偽造券の精巧度も高まっています。

 このように、技術革新は、偽造券増加の一つの背景となっていますが、同時に、偽造防止手段の提供という面でも貢献しています。偽造防止のための工夫として、従来から、精緻なデザインや「すかし」、カラーコピーなどを防止できる特殊インクの使用など、各種の技術が用いられてきましたが、2004年に導入された現在のお札には、世界最高レベルの技術が用いられています3、4。図表5をご覧下さい。一万円札、五千円札の左下にキラキラ光る部分がありますが、これは見る角度によって画像が変わる「ホログラム」という技術です。また、現在の銀行券には、従来よりもインクが高く盛り上がる特殊な印刷技術が用いられています。高度な偽造対策を施した新たなお札の発行によって、偽造券は明らかに減少しています。現在、日本の流通銀行券100万枚当たりの偽造券枚数は1枚であり、米国の100枚という数字に比べて圧倒的に少なく、ここには、日本の銀行券の技術の高さが表われています。しかし、偽造を可能とする技術進歩は日進月歩であり、それと対抗する我々にも、たゆまぬ取り組みが求められています。近年では、通貨偽造の国際化を背景に、海外の中央銀行や警察当局、メーカーなどとも協力しながら、偽造防止について共同研究を進めています。

 技術革新と現金という観点からは、近年、様々な形の電子マネーの利用が拡がっています。現在普及している電子マネーは、個人の小口決済が中心であることや、閉じたネットワーク内での利用に止まっていることから、現金の特質である汎用性や匿名性という点では、現金を直ちに代替するものではありません。そうしたこともあって、日本銀行が最近実施したアンケート調査によると、現在、電子マネーの残高は約770億円と、現金の0.1%、コインの1.7%に止まっています5。しかし、最近の急速な利用の拡がりを踏まえると、小口決済手段の一つとして一定の位置を占めつつあるように窺われます。日本銀行では、こうした新たな決済手段の登場が、将来的に、通貨の概念や決済システムの姿をどのように変化させ、また、そうした変化が、中央銀行の政策・業務面にどのような影響を与え得るのかに留意しながら、電子マネーについての調査・研究を進めています。さらに、日本銀行は、ISO、すなわち、国際標準化機構の金融サービス専門委員会の国内事務局として、暗号や生体認証などの情報セキュリティ技術や、金融機関同士の情報通信におけるコードなどの国際標準化に参画しており、その成果の還元を通じて、わが国の金融業界が新しい情報技術を活用するためのサポートを行っています。

決済サービスの高度化

 日本銀行が提供するもう一つの決済手段、日本銀行当座預金についても、情報処理技術の進歩や金融機関のニーズの高度化を受けて、安全性と効率性の向上を図ってきています。ここでは、技術革新が金融取引の進化を促している好例として、大口の資金決済手法の変遷についてご説明します。

 かつて、日本を含め、多くの中央銀行は、「時点ネット決済」と呼ばれる方法で金融機関同士の資金決済を行っていました。先ほど述べたとおり、民間金融機関は、中央銀行に預けている当座預金の振替で資金決済を行います。「時点ネット決済」のもとでは、こうした決済は、毎日の決まった時刻——日本の場合、一日4回——に行われていました。その際、金融機関毎の受取額と支払額の差額、つまりネットの受払い金額を計算し、この金額を一斉に日本銀行当座預金に入金したり、払い出していました。予め決まった時点で、ネットの金額だけを受払いすることから、「時点ネット決済」と呼ばれる訳です。この仕組みでは、金融機関は、決済時点までに、支払うべき差額分だけの資金を手元に用意すれば十分なので、必要とする資金の管理や事務処理の面では効率性の高い方法といえます。一方、時点ネット決済のもとでは、決済時点で一つでも金融機関が支払不能になると、全ての決済を停止する必要があります。場合によっては別の金融機関に支払不能が連鎖するリスクがあります。先ほど述べたとおり、日本銀行当座預金の決済額は1日120兆円という巨額なものですので、リスクが顕現化した場合の影響はきわめて深刻です。

 そこで、こうしたリスクを軽減するために、2001年には、金融機関の間の決済を1件ずつ即座に決済する方法に変更しました。この方式を「即時グロス決済」、またはReal Time Gross Settlementの頭文字をとってRTGSと呼んでいます。即時グロス決済のもとでは、一つ一つの振替依頼が独立に直ちに決済されるため、一つの金融機関が支払不能に陥っても、支払相手先以外の金融機関、決済システム全体への影響は限定されます。こうした長所は大きいのですが、その一方で、時点ネット決済に比べて、決済のために必要な資金が格段に大きくなるという欠点もありました。図表6をご覧下さい。現在の仕組みのもとでは、例えば、個々の金融機関が相手からの入金を待って支払うという行動パターンをとる場合、結果として、いずれの金融機関も支払いに必要な資金が不足し、決済が進まない現象が生じる可能性があります。このように、お互いがすくみ合う現象が拡がると、即時グロス決済の狙った速やかな決済という長所が実現できなくなります。

 この問題点を解決するブレークスルーとなったのが、情報処理技術の飛躍的な進歩です。日本銀行では、現在、「次世代RTGS」というプロジェクトを進めており、今年の10月から、日銀ネットに「キュー機能」と「オフセッティング機能」という新たな機能を導入する予定です6。ごく簡単に言うと、「キュー機能」とは、金融機関から持ち込まれた振替依頼を日銀ネット内にいったん待機させる機能です。「オフセッティング機能」とは、待機した多数の振替依頼の中から同時に決済できる組合せを見つけ出し、その都度、現在の即時グロス決済と同様に、個別に決済を実行していく機能です。いわば、即時グロス決済の長所である安全性を維持しつつ、決済に必要な資金を節約する形で、効率的な決済を実現しようとする仕組みです。決済できる組合せは、随時、相対で探し出すほか、1日に4回、全ての振替依頼の中から多角的にも探し出します。図表7をご覧下さい。ここに示されているように、今回のプロジェクト実施に当たり、多くの金融機関が実際に参加して行われたテストの結果をみても、新たな機能の導入によって、迅速な決済と必要資金の圧縮という二つの目的を達成し得ることが確認されたところです。これも情報処理速度の高速化を背景に可能となった方法であり、技術革新が金融取引の安全性や効率性を高める方向で貢献しているケースということができます。

(2)金融システムの安定の維持

 次に、金融システムの安定確保という面でも、技術革新は大きなチャレンジをもたらしています。情報処理技術の進歩は、金融技術革新を促し、デリバティブ、証券化商品などの新たな金融商品を生み出しました。これらは、より高度で複雑なリスクの分析・管理手法に基づいて、信用リスクや金利リスク等の様々なリスクを組み直した商品ということができます。

 サブプライム問題の出発点である住宅ローンの証券化を例にとってみましょう。住宅ローン債権には、貸し手や投資家からみて、借り手の返済能力の悪化などによって貸し倒れが発生する信用リスクや、貸出期間中に調達金利が上昇して損益が悪化する金利リスクなど、多くのリスクが存在します。もちろん通常の貸出にも同様のリスクはありますが、住宅ローンは貸出期間がきわめて長いために、その間の変化は大きく、リスクの管理がいっそう難しくなります。証券化という手法は、情報処理技術の発展が、こうしたリスクの管理技術の高度化をもたらした一例といえます。

 図表8をご覧下さい。住宅ローンを証券化する場合、多数の住宅ローンを一つのパッケージとし、これを裏付資産とする証券が発行されます。この証券の利払いや償還には、多数の住宅ローンの元利金が充てられるため、個々の住宅ローンに比べてリスクの分散が図られます。例えば、パッケージを構成する住宅ローンの借り手が広い地域に分布していれば、居住地域特有の災害リスクなどのリスク分散を図ることができます。また、いわゆる大数の法則により、リスクの定量的な把握も容易となります。そのうえで、いったんまとめたパッケージをリスクの性格の異なるいくつかの証券に分割し、リスクの許容度や選好の異なる様々な投資家のニーズに合致した商品を組成して、販売することが可能になります。そして、重要なこととして、このような仕組みのもとで住宅金融市場における資金仲介機能がより効率的になれば、ローンの借り手からみても、有利な条件で住宅資金の融資を受ける可能性が拡がることを意味します。

 一方で、こうした新たな金融技術の進展は、技術の意味を正確に理解していないと、結果的にリスク管理に失敗することになります。例えば、先程の分散効果ですが、多数の住宅ローンを裏付けとする証券化商品であっても、住宅バブルが経済全体に拡がっている場合には、裏付資産に含まれる個々の住宅ローンは似たような属性を持っていることになり、結局のところ、大数の法則は成立しません。昨年来、サブプライム問題に端を発する国際金融市場の動揺が続いています。その背景には、証券化商品市場が急速に拡大する中で、今指摘したようなリスクに対する誤った評価に起因したリスクテイクの行き過ぎがありました。ただ、ここで急いで言わなければならないのは、単に「証券化」を批判するだけでは問題は解決しないということです。金融というサービスを提供することの難しさは、仮に皆さんが住宅ローンの貸し手という立場に身を置いた場合を想像してみると理解頂けると思います。経済が発展するためには、信用リスクや金利リスク、流動性リスクを管理しながら、誰かが信用を供与する必要があります。これは、「ものづくり」と同様に、専門的な技術を必要とし、金融機関は自らのサービスを環境の変化に適合させる必要があります。

 同時に、各国の中央銀行や監督当局にとっては、こうした金融環境の変化の中で、いかにして金融システムの安定を維持していくかが、新たなチャレンジとなっています。この面では、様々な課題がありますが、個々の金融取引のリスクを正確に理解することがまず前提となります。この点では、日本銀行では、新たな金融技術や金融商品のリスク評価手法に関する調査・研究を進め、その成果を、市場モニタリングや考査の際の金融機関との対話などに活かしています。それと同時に、金融システムが全体として抱えるリスクを横断的に認識することも重要です。いずれも難しい課題ですが、国際的にも、金融監督当局や中央銀行の間で、今回のサブプライム問題の経験を踏まえ、より望ましい金融規制や監督のあり方について、検討が進められています。

(3)金融政策運営面での課題

 最後に、金融政策運営面での課題について話を進めます。問題は多岐にわたりますが、以下では、技術革新の成果を金融政策手段の開発にどう活かしているかということと、経済・物価情勢の判断にあたって技術革新がどのようなチャレンジをもたらしているか、という二つのテーマに絞ってお話します。

金融政策手段の進化

 まず、日本銀行が、貸出やオペレーションによって、金融機関に対して資金を供給する方法についてみてみましょう。現在、日本銀行から金融機関への資金供給の通知、これに対する金融機関の日本銀行への申し込み、日本銀行から金融機関への資金の振込、金融機関から日本銀行への資金の返済に至るプロセスは、一貫してペーパーレスで速やかに処理できるようになっています。様々なニュースに反応して金融市場の価格が刻々と変化している状況下、迅速な取引・決済は不可欠であり、このような一貫処理のシステムは、オペレーションを機動的に実施し、金融市場の安定を確保するうえで、不可欠のインフラとなっています。

 また、金融機関は、日本銀行から資金供給を受ける際に、日本銀行に担保を差し入れていますが、この様々な担保の受払いは、2001年から、新たなシステムのもと、オンラインで一元的に管理されています。これを共通担保システムといいます。この結果、金融機関の担保の利用効率が高まったほか、事務処理面でも大幅な改善が図られました。さらに、国債や社債などの伝統的な金融資産に加えて、証券化商品や電子CPなど、金融技術革新が生んだ新たな金融商品も、金融機関から担保として受け入れています。これらは、いずれも情報処理技術や金融技術の進歩によって可能となった、金融政策手段の技術革新です。

経済・物価の情勢判断と技術革新

 最後に、適切な金融政策運営の基礎となる経済・物価の情勢判断を行ううえで、技術革新がもたらす課題について、お話したいと思います。

 金融政策の目的は物価の安定を通じて持続的な成長に貢献することですが、技術革新の進展は、消費者物価指数や企業物価指数など物価指数を通じて物価を正確に測定すること自体を難しくするという即物的な課題も提起しています。第1に、技術革新に伴い不断に登場してくる新しい商品やサービスを、物価指数の対象品目に迅速に取り込んで行く必要があります。第2に、品質向上を物価指数にいかに反映させるのか、という問題があります。技術革新に伴って、同一の製品でも品質が向上するのが常ですが、その場合でも価格が据え置かれていれば、実質的には値段が下がったとみなすことが可能です。物価指数もこのような考え方に立って作成されていますが、品質向上をどのように評価し、どの程度物価の変化として捉えるかは難しい問題です。例えば、同じパソコンでも、メモリーの容量が増加すれば、物価指数統計上は、その分価格が低下したと捉えます。しかし、消費者の立場からみた場合に、本当にそれだけ安くなったのか、ということは、個々人の好みやパソコンを使いこなす能力にも依存し、判断の難しい問題です。第3に、技術革新につれて、「代表性のある価格」を特定することが難しくなるという問題があります。例えば、最近は、ポイント・カードやマイレージ・プランなど、一定の条件を満たした場合に特典が付与されるサービス——「ノンリニア・プライシング」と呼ばれる価格体系ですが——こうしたサービスが増加しています。これらの個別性の強い価格設定によって、一つの物について様々な価格が存在するようになり、同じ財・サービスでも、どの価格を採用すべきか、判断が難しくなっています。

 以上のような物価の測定という問題だけでなく、実体経済活動の判断に当たっても、技術革新の影響は重要なテーマです。実質GDPにしても生産性にしても、名目金額を物価と数量に正確に分解できることが前提となっていますが、物価指数で物価を把握することが難しくなると、当然のことながら、数量の把握も難しくなります。そうした計測上の問題に加え、概念的にも難しい問題があります。例えば、技術革新が、経済全体の生産性、言い換えれば潜在成長率にどのような影響を与えているとみるかは、需給逼迫の度合い、いわゆる需給ギャップを測るうえできわめて重要な問題です。例えば、米国では、90年代以降、長期にわたり景気が拡大を続け、失業率が大きく低下する一方で、物価は安定していました。この背景として、IT革命による生産性向上、いわゆる「ニュー・エコノミー」の到来を指摘する声が多く聞かれました。このような場合、本当に生産性が向上しているのであれば、中央銀行は、不必要に金利を引き上げることによって成長の機会を奪ってしまう、という過ちを避ける必要があります。一方、生産性向上の効果を過大に見積もれば、本来必要な金利引上げが遅れ、結果的にインフレやバブルの生成を招く危険があります。このように、金融政策を運営するうえでは、生産性の動向を的確に把握することは不可欠です。

IV.終わりに

 さて、これまでお話してきたように、技術革新は不断に進行しており、民間の企業、金融機関と同様、中央銀行を取り巻く環境は絶えず変化を続けています。最後に、このような変化の中に置かれた中央銀行にとって、私が大切と考えている点を述べたいと思います。

 第1に、中央銀行には、環境変化をしっかり捉え、自らの仕事を見直していく努力が欠かせません。中央銀行は銀行業務を行う、すぐれて実践的な組織です。冒頭申し上げたとおり、「人々がお金を安心してかつ便利に使えるようにする」には、技術革新の成果を活かして、より質の高い中央銀行サービスを提供するよう、不断の努力を重ねていくことが不可欠です。中央銀行の金融政策は経済全体の生産性向上に直接寄与する訳ではありませんが、決済をはじめ、銀行としての中央銀行のサービスは直接、生産性の向上にも寄与します。

 第2に、技術革新は、経済活動や物価情勢を分析したり、それに基づいて政策判断を行ううえで、様々な不確実性をもたらす要因となります。そうした中で、中央銀行として的確に政策決定を行うためには、常に、情報収集の手段や分析手法を磨く必要があります。過去の内外の金融政策の失敗と呼ばれるケースを振り返っても、大きな環境変化やその意味を的確に認識できなかった場合に、失敗は生じています。

 中央銀行はこのいずれの面でも、常に世の中の動きを迅速に捉え、自らの対応のあり方を問い続ける姿勢が必要であり、その意味で、中央銀行は「学習を続ける組織」でなければならないと思っています。私は、その際、学界における理論的研究と、私どもの実践的な活動との相互交流が大事な役割を果たすと考えています。もちろん、研究者と政策担当者とでは立場が異なります。研究者は、常に新たな視座を提示するとともに、様々な場面で、自らの理論の説明力を問うていく姿勢が重要だと思います。その際には、大胆な仮説、解釈を示すことが必要な場合もあります。優れた理論とはそうした先人の無数の努力の結果、生き残った理論であると思います。一方、政策担当者は、直面する課題を解決できる確かな理論が確立されるのを待つ訳にはいきませんし、だからといって、乾坤一擲、冒険主義的な政策に賭けるという訳にもいきません。その時々に利用可能な様々な理論を踏まえて判断し、時には、既存の理論では説明できない事態にも対応しなくてはなりません。そのためには、自ら学習を重ねていくとともに、研究者の方と様々な機会を捉えて意見交換を図っていくことが重要です。また、その一方で、中央銀行の経験や直面する課題が、学界における新たな研究の視点を提起することも多いはずです。研究者と政策担当者はそれぞれの役割の違いを認識したうえで、お互いを尊重することが重要です。そして、中央銀行の仕事の進化は、こうした理論と実践の相互作用の中から生まれてくるものだと考えています。

 本日の私のお話も、こうした交流の一助となれば幸いです。ご清聴ありがとうございました。

以上

参考文献

  1. 大貫摩里、「山田羽書(やまだはがき)—最初の紙幣—」、日本銀行金融研究所『金融研究』第17巻第5号巻頭エッセイ、1998年
  2. 妹尾守雄、「わが国紙幣制度の源流について—とくに伊勢国山田羽書三百年の歩み—」、日本銀行調査局『調査月報』昭和55年2月号
  3. 日本銀行、「新しい日本銀行券の偽造防止技術」、2004年
  4. 日本銀行名古屋支店、「モリゾー・キッコロのお札ワールド~新しいお札の話だがね~」、2004年
  5. 日本銀行決済機構局、「最近の電子マネーの動向について」、2008年
  6. 日本銀行決済機構局、「日本銀行当座預金決済の新展開— 次世代RTGS構想の実現に向けて —」、『日本銀行調査季報』2006年秋号