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【講演】「流動性と決済システム」

東京大学金融教育研究センターにおける講演

日本銀行総裁 白川 方明
2008年11月26日

英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.流動性の概念
  3. 3.決済システムと流動性を巡る概念的枠組み
  4. 4.資金流動性:需要と供給
  5. 5.資金流動性と市場流動性
  6. 6.決済システムを巡る中央銀行の最近の取り組み
  7. 7.決済の分野での中央銀行の役割
  8. 8.おわりに
  9. 引用文献

1.はじめに

 日本銀行の白川でございます。本日は東京大学金融教育研究センターの特別セミナーでお話しさせていただく機会を得ましたことを、大変光栄に存じます。私は本年3月20日以降、日本銀行で仕事をしていますが、それ以前の約1年半の間、この東京大学金融教育研究センターには客員研究員として在籍し、大変刺激の多い日々を過ごさせていただきました。それだけに、センターの主催するセミナーで講演できることは、私にとってひときわ嬉しいことです。

 本日の講演のテーマは、「流動性と決済システム」です。ご承知のように、世界の金融市場、金融システムは昨年夏のサブプライム・ローン問題以来、大きな混乱、動揺を経験していますが、そうした問題の発生の原因、対応の仕方について深く考えていこうとすると、「流動性」や「決済システム」に関する正確な理解が不可欠です。それも概念的なレベルでの理解にとどまらず、かなり実務的、技術的な知識が不可欠であるというのが私の実感です。「本質は細部に宿る」という言葉がありますが、流動性や決済システムの問題は正にそのことが当てはまる分野だと思います。しかし、そうした重要性にもかかわらず、流動性や決済システムの問題はアカデミックな世界ではそれに見合った取り扱いがなされていないというのが私の印象です。実際、マクロ経済学や金融論の教科書においても、決済システムに関する説明は僅かです。本日の私の講演は流動性や決済システムの問題に関する具体的な事例を極力多く説明することを通じて皆さんにこの問題の面白さと難しさを知っていただくことに主眼がありますが、同時に、こうしたテーマについても学界と日本銀行の間で、対話が強化されていくことを期待しています。

2.流動性の概念

 最初に、「流動性」という言葉がどのような文脈で使われているかをみてみましょう。図表1をご覧ください。

 第1の例は、リーマン・ブラザーズ破綻後の米国の金融市場の例です。MMFやヘッジファンドは投資家による解約の急増に直面し、流動性不足からコマーシャル・ペーパーへの投資を手控えましたが、これによってコマーシャル・ペーパーの発行が急減し、企業金融へのストレスが一段と高まりました。また、10月以降は、ファンドが流動性の不足に対処するため、株式、債券、為替、商品など数多くの市場で資産の売却を急いだ結果、市況の急変動がもたらされました。ここで言う流動性は、個々の市場参加者が支払いに当てるキャッシュ、通貨を十分に持っているかどうかという意味での流動性ですが、「資金流動性」という言葉で呼ばれることもあります。

 第2の例は、本年春以降のわが国の国債市場です。図表2は長期国債先物市場の動向を示していますが、日中の価格変動幅は以前よりも大きくなり、出来高は以前よりも細っています。一言で言いますと、国債市場の「市場流動性」が低下しています。ここで言う「市場流動性」とは、「市場参加者が大幅な価格変動を引き起こすことなく、市場で速やかに取引を執行できる度合い」と定義されます。こうした国債市場の流動性低下の1つの表れでもありますが、日本の市場では現物市場と先物市場との連動性が大幅に低下しています。この結果、市場参加者は、金利リスクに対して適切なヘッジを行うことが難しい状況に直面しています。このことは金融機関の行動、ひいては民間経済主体の支出活動にもやがて影響します。図表3は国債金利の期間構造、すなわちイールドカーブを咋年初、本年9月央のリーマン・ブラザーズ破綻の翌日、そして最近時点について示しています。通常、金利の期間構造については期待理論が現実への第一次近似として想定されていますが、現在はそうした期待理論の成立する世界である滑らかなイールドカーブからの乖離が大きくなっています。このことは金融政策の効果波及メカニズムを評価する際にも重要な論点となります。

 第3の例は、昨年夏以来のサブプライム・ローン問題の背後には、世界的な流動性の過剰があるといった文脈で使われるケースです。これは上述の資金流動性や市場流動性と関連していますが、市場参加者のリスクテイクを支える自信(confidence)とも関連する、もう少し漠然とした概念です。

 いずれにせよ、以上の3つの用例が示すように、流動性は経済や金融市場の動きを理解するうえで極めて重要な概念であることがお分かりいただけたと思います。

3.決済システムと流動性を巡る概念的枠組み

 以下では、流動性と決済システムの問題について具体的事例に即して説明しますが、そのために最低限必要な準備として、概念的な枠組みを最初に説明します。

中央銀行通貨

 日々行われる経済取引の多くは、取引当事者が「財・サービス」と「お金」の交換を約束することと捉えることができます。そして、取引の結果生じた債権・債務関係を、「財・サービス」と「お金」を実際に受け渡すことによって解消することを「決済」と呼びます。日々の経済活動は、決済が安全・確実に履行されることへの信認があってはじめて可能となります。

 決済に対する信認の確立のためには、決済手段は安全確実なものでなければなりません。現在、多くの国において最も安全確実な決済手段は中央銀行の発行する通貨です。具体的には、銀行券および銀行券にいつでも引換え可能な中央銀行当座預金であり、この2つを総称して中央銀行通貨という言葉で呼んでいます。銀行券と中央銀行当座預金は、国家の信用を背景に、中央銀行という破綻することのない組織が民間経済主体に対して負う債務です。これらの決済手段をもって行われた決済は、二度とやり直されることがないという意味で、「支払完了性」あるいは「ファイナリティ」が常に確保されていると言えます。一方、民間金融機関も企業や家計に預金という決済手段を提供しており、これによって、様々な決済サービスを提供しています。こうした決済にかかる活動の結果として各民間金融機関には資金過不足が生じますが、これは預金の受入れや貸出・有価証券運用などの結果生じる資金過不足と合算して、最終的にはコール市場などの短期金融市場で調整されます。このとき、万一、短期金融市場取引の決済が履行されないようなことが起きると、その影響は、金融機関間だけでなく、これを利用して決済を行う企業や個人に波及することとなります。このため、短期金融市場取引は、安全性を重視する観点から、「支払完了性」を常に有する中央銀行当座預金を用いて決済するのが原則となっています。

決済システム

 次に、「決済システム」について説明します。日々の商取引や金融取引に伴う決済を、一定の標準化された手順に従って組織的に処理するための仕組みを「決済システム」と呼んでいます1。このうち、資金の受払いを処理するものが「資金決済システム」です2

 図表4はわが国の資金決済システムの鳥瞰図です。わが国の資金決済システムのうち、1件当たりの金額が大口の資金決済を取り扱うものが、日本銀行の運営する日銀ネットです。日銀ネットでは、短期金融市場取引や外国為替取引、さらに国債や社債、株式等の証券取引の代金決済など、主として金融市場取引の決済に利用されています。他方、企業による給与振込みや取引企業への代金支払い、個人による公共料金・税金の支払いといった取引は金融市場取引に比べると少額ですが、取引件数が大量に上ります。こうした取引の決済を扱う資金決済システムが、「全国銀行データ通信システム」——略称、全銀システム——です。全銀システムでは、1営業日あたり5百万件超、ピーク日には2千万件超の取引が処理されており、世界的にみても極めて大量の件数を取り扱う決済システムとなっています。こうした小口の資金決済システムであっても、膨大な決済処理が円滑に進捗しない場合には、大口の資金決済システムと同様に、経済活動に広範な影響を及ぼすこととなります。その意味で、日銀ネットも全銀システムも、わが国の経済活動を支える、重要なインフラと言えます。

 わが国の資金決済システムの日々の決済総額を、日銀ネットを例にみると、1営業日当たり約120兆円(2007年中平均)となっており、これは同じ日数で換算すると、1日の名目GDPの57倍に相当します。図表5に示したように、海外中央銀行の運営する決済システムにおける決済の規模は、日本銀行同様膨大なものであり、こうした巨額の決済を取り扱う決済システムを安全かつ効率的に運営することが、どの中央銀行にとっても極めて重要な業務の1つとなっています。

  1. 詳細は、日本銀行(2008・2007・2006)参照
  2. 資金決済システムには、取引の約定以降の様々なプロセスに応じた主体が関与しており、例えば、約定の照合や確認を担う機関、参加者間の受払いに関するデータを集約して差額計算を行う「クリアリング」機関、最終的な決済業務を行う、狭義の「決済システム」などから構成されている。

4.資金流動性:需要と供給

 以上の概念的な枠組みを念頭においたうえで、次に、資金流動性について、より詳しく説明します。経済分析における最も重要な概念は需要と供給ですが、資金流動性について考える際にも、需要と供給は重要です。

資金流動性の需要と決済システムの決済方式

 最初に需要から説明します。資金流動性に対する需要は決済システムが用意する決済の方式によって大きく異なります。決済システムにおける決済方式には、大別すると、「時点ネット決済方式」と「即時グロス決済方式」の2つがあります。図表6をご覧ください。時点ネット決済方式とは、決済システムが金融機関から受け付けた振替指図を一定の時刻まで溜めおき、その時点での総受取額と総支払額の差額を計算して、その差額分のみを決済する方式です。この方式の最大のメリットは、資金を効率的に使えることです。反面、特定の決済時点に、仮に金融機関1先でも決済不履行が生じると、決済システムに参加している全ての金融機関の決済を差し止め、当該金融機関にかかる振替指図を取り外したうえで、各金融機関の受払差額を再計算する必要が生じます。すなわち、ある金融機関の決済不履行の影響が、他の全ての金融機関の決済に伝播することとなり、不履行の規模によっては連鎖的な支払不能も生じかねません。このように、時点ネット決済方式は、決済システム全体を混乱に陥れるリスク、すなわちシステミック・リスクを内包した決済方式と言えます。

 これに対して、RTGS(Real Time Gross Settlement)あるいは即時グロス決済と呼ばれる決済方式は、決済システムが振替指図を受け付ける都度、1件ごとに即時にグロスベースで、振替決済を行う仕組みです。この方式のもとでは、指図1件ごとに決済が行われるため、1先の債務不履行が与える直接の影響はとりあえず指図の相手方だけに限定されます。したがって、RTGS方式は、システミック・リスクが顕在化する可能性を大きく抑制する性格を有しています。この点を踏まえ、近年、多くの中央銀行がRTGS方式を採用し、日本銀行も2001年、それまでの時点ネット決済方式に代えて、RTGS方式に移行しました。ただ、RTGS方式の場合、指図1件ごとにグロスベースで決済するために、決済に必要な資金流動性の量は大幅に増加します。個々の金融機関のレベルで言えば、より厚めの資金流動性を用意したり、一定の資金流動性を効率的に利用する必要が生じることとなります。この点については後ほど、もう少し詳しく説明します。

資金流動性の供給

 次に資金流動性の供給面について述べます。中央銀行が当座預金を供給する際の主たる手段は公開市場操作(略称、オペレーション)です。

 日本銀行に限らず、各国中央銀行は毎日、当座預金残高に対する需要を予測し、さらに銀行券や財政収支など中央銀行当座預金残高の外生的な変動をもたらす供給要因に関する予測を行ったうえで、公開市場操作を行うことにより中央銀行当座預金の総量を調整しています。ここで念頭におかれているのは、主として短期金利のコントロールです。金融論の教科書で通常想定されているのは、1日の終了時点の当座預金残高の需要であり、供給です。しかし、当座預金の需要は日中も刻々変化します。先に述べたとおり、RTGS方式のもとでは、個々の振替指図がグロスベースでそのまま中央銀行当座預金の払出しとなるため、需要は日中においても大きく変動し、金融機関によっては当座預金が不足する可能性がありますし、逆に当座預金が余剰となる金融機関も出てきます。個々の金融機関の最終的な資金過不足はコール市場で調整されますが、日中の一時的な資金過不足を調整する市場はどの国でもあまり発達していません3。日本銀行は、日中の資金決済を円滑にするため、2001年のRTGS導入時に、担保の余裕額の範囲で受動的に日中の資金流動性を供給する「日中当座貸越」(daylight overdraft)制度を開始しました。これにより、金融機関は決済額が大きい場合でも、あらかじめ日本銀行に差し入れた担保の範囲内であれば日中当座貸越を利用して日中の決済を進捗させることができるようになりました。図表7は、この点について計数的なイメージを示したものです。前述のように、日銀ネットにおける決済金額は1営業日当たり約120兆円ですが、これに対し、日本銀行当座預金残高は約9兆円、日中当座貸越残高は約22兆円、両者を合算した「決済用資金」は約31兆円ですから、回転率は4倍となります。

  1. 3ただし、日本では、以前から、主として短資業者の仲介により日中コール取引が行われてきた。とくに2001年のRTGS化後は、日中の一時的な資金過不足の調整のため、同取引が利用されてきている。

決済の「すくみ」

 以上が資金流動性に対する需要と供給の大枠ですが、RTGS方式のもとで日中当座貸越制度を用意すれば、それで全ての決済が円滑に朝方から進捗するわけではありません。まず第1に、当然ながら日銀適格担保を潤沢に有していなければ、日中当座貸越を受けることはできません。支払い金額が多額に上る時には、担保不足に直面します。第2に、日中当座貸越の利用が可能な場合であっても、当座貸越利用には担保保有等のための機会費用がかかるため、金融機関にはこれを極力避けようとするインセンティブが働きます。すなわち、個々の金融機関には相手方からの入金を待って自らの支払いを行うインセンティブが働きます(図表8)。そうすれば日中当座貸越を利用しなくてもすみます。これらはミクロ的には合理的な行動ですが、これが広範化すると、決済システム全体としては決済が進捗せず、いずれの金融機関もなかなか資金を受け取ることができないといった状況を生みかねません。こうした現象は「すくみ」(gridlock)という言葉で呼ばれています。

 「すくみ」を解消するためには、中央銀行が決済システム全体に資金流動性を追加投入するか、金融機関同士がお互いの受払いのタイミングを揃えるなどして、資金流動性を効率的に回転させるような取り組みを行うことが必要となります。図表9をご覧ください。この図は、日米の中央銀行が提供する資金決済システムにおける決済の進捗状況を示したものです。わが国の場合は、決済は朝方の早いタイミングに集中しており、日中当座貸越制度が効果的に機能していることが窺われます。一方、米国では、多くの金融機関が機会費用の発生を嫌って資金の放出を待つ傾向があるため、決済が1日の営業終了間際に集中しています。

 日中の決済パターンにおける日米の違いは以下の2つの要因によるものです。第1は、金融市場取引に関するルールの違いです。日本では、短期金融市場関係者の間で、コール資金の返済は午前9時以降遅くとも10時までに行うこととするという「返金先行ルール」が存在します。また、実際の資金放出は約定成立後1時間以内に行うこととするという「1時間ルール」などの市場慣行も存在します。第2は、日中当座貸越の利用条件の違いです。日本銀行を含め多くの中央銀行は、日中当座貸越の提供を有担保・無料で行っています。この点で思い出されるのは、フリードマンの最適通貨量に関する議論です。フリードマンは「ゼロ金利の状態は人々が貨幣保有に伴う社会的効用を最大限に享受した状態である」という議論を展開しましたが、日中当座貸越に対する金利がゼロであるということは、興味深いことに、このフリードマンの議論とも整合的です4。これに対して、米国連邦準備制度は、日中当座貸越を無担保・有料で提供してきました。こうした米国の制度設計は、先にみた営業終了間際への決済の集中をある程度引き起こす一因となっていると考えられます5。米国でこうした政策がとられたことには歴史的な経緯も反映していますが、いずれにせよ、決済の遅れは、決済システムが大きなストレスを抱え込んだ状態にあることを意味します6

 これまでの説明から、円滑な決済を実現するためには、ネットワーク外部性を意識した金融市場の取引ルールが重要であること、また、オペレーションによる資金供給、日中当座貸越の金利、担保を含め、中央銀行の資金流動性の供給のあり方が重要な役割を果たすことをご理解いただけたと思います。

  1. 4Friedman(1969).
  2. 5詳細は、Armantier, Arnold, and McAndrews(2008)参照。
  3. 6こうした事態に対処するため、米国も、最近になって、日中当座貸越の提供に有担保・無料ベースのものを導入する方針を打ち出し、本年、パブリック・コメントを募集し、市中協議を行った。

5.資金流動性と市場流動性

 以上、資金流動性と決済システムについて説明しましたが、次に、資金流動性と市場流動性の関係について考えてみたいと思います。この問題を考えるために、流動性が不足する事態を例にとって説明することが便利です。

 この点に関しては、バーゼル銀行監督委員会が今年9月に公表した「健全な流動性リスク管理及びその監督のための諸原則」のなかで、リスク管理の観点から2つの「流動性リスク」概念を定義しています7。第1は、「資金流動性リスク」であり、「金融機関が、日常業務や財務内容に悪影響を及ぼすことなしには、現在又は将来の期待・非期待キャッシュフローを履行したり、所要担保を調達したりすることができなくなるリスク」と定義しています。第2は、「市場流動性リスク」であり、「市場の厚みが不足していたり、市場が正常に機能しなくなったりした結果、金融機関が市場価格でポジションを相殺したり解消したりすることを容易に行えなくなるリスク」と定義しています。

 個々の金融機関からみると、十分な資金流動性を確保していなければ、何らかのショックによって、日常業務の遂行に支障が生じ、最悪の場合には経営破綻に直面します。金融機関の資金流動性の水準は、手持ちの現金や外部からの調達、さらに売却可能な保有資産の量から規定されますが、金融機関にとっては、これらの手段が処分上の制約を受けないものであること、かつ、各種のストレスに耐え得るよう十分な量が確保されていることが重要となります。資金流動性が不足すると、ソルベンシーに問題がなくても、金融機関は破綻してしまいます。

 ここで説明した資金流動性は市場流動性と密接に関係しています。金融機関が手持ちの現金や外部からの調達によっても資金流動性を十分には確保できず、保有資産の売却によって対応しなければならない場合には、保有資産の市場流動性の程度が問題となります。保有資産の市場流動性が低いほど、金融機関は資産を低い価格で売却することを余儀なくされます。また、資金流動性を確保するための資産売却が多くの金融機関によって一斉に行われると、当該資産の価格は一段と下落することになります。その際、当該資産を担保に借入やレポ取引を行っている金融機関は、差し入れた担保価値の下落に見合った追加的な証拠金の差入れを余儀なくされることも生じます。こうしたプロセスが繰り返されることで、資金流動性にかかるストレスはより高まり、そのことがさらなる資産価格の下落やボラティリティーの拡大を誘発して、市場流動性の一段の低下を招くといった悪循環が生じる可能性があります。こうしたことを念頭におくと、資金流動性は市場流動性の高さによって支えられている面があることが分かります。一定の資産を資金流動性のバファーとしてカウントできるかどうかは、当該資産の市場流動性の高さに依存していると言うことができます。

 このように、市場流動性の水準が高ければ、必要とされる資金流動性の水準は低くなります。一方、資金流動性の水準は市場流動性の水準に影響します。例えば、上述の市況下落過程での証拠金差入れニーズはその一例です。証拠金を差し入れることができなければ、資産売却から価格はさらに低下し、市場流動性を圧迫します。決済システムの面でも、日中の資金移動の遅れが不安心理を高め、状況をさらに悪化させます。市場流動性の水準の決定要因については、現在十分に解明されているわけではありませんが、資金流動性以外の要因も重要です。例えば、サブプライム・ローン関連証券化商品のように、金融商品のリスクプロファイルの正確さに疑念が生じると、市場参加者は取引を手控えるようになり、市場流動性は一挙に低下します。

 市場全体でみたマクロ的な資金流動性の総量は計算上確保されていても、個々の金融機関が資金繰りを保守的に行う結果、資金流動性の偏在が生じ、市場自身では是正できない状況に陥るケースもあります。

 以上、色々申し上げましたが、資金流動性であれ、市場流動性であれ、流動性の水準は何によって決まるかについて、残念ながら、十分満足のいく答えは得られていません。ただ、この問題を考える時に必要な要素として、以下の4点を指摘したいと思います。第1は、当然のことながら、中央銀行による資金流動性の供給の量や金利は極めて重要な影響を与えるということです。第2は、資金流動性は単純に資金流動性の総量だけでは決まらず、分布も重要な役割を果たすということです。第3は、流動性の分布という点では、中央銀行の流動性供給や決済に関する制度の設計が重要な影響を与えるということです。そして、第4に、期待という要素を抜きには、市場流動性も資金流動性も分析できないということです。期待は当然、マクロ経済の動向にも左右されますが、それだけではありません。疑心暗鬼やユーフォリアといった集団の作り出すダイナミックスも含みます。

  1. 7バーゼル銀行監督委員会(2008)。

6.決済システムを巡る中央銀行の最近の取り組み

 以上、やや概念的な話が続きましたが、ここで、決済システムの安全性と効率性の向上に向けて、日本銀行や各国中央銀行がこれまで取り組んできた事例を具体的に説明します。

日銀ネットにおける「次世代RTGS」の導入

 第1は、日銀ネットにおける「次世代RTGS」の導入です。日本銀行が2001年に導入したRTGS方式のもとでは、決済リスクは飛躍的に削減されましたが、一方で、金融機関の資金流動性負担は、それまでの時点ネット決済方式に比べ大幅に増加しました。資金流動性負担がネックとなって決済のタイミングが遅れると、RTGSの有する本来のメリットが十分には発揮されないことになります。こうした状況を念頭において、日本銀行は、本年10月、「次世代RTGS」と呼ばれる新たな決済方式を導入しました。図表8をご覧ください。このケースでは支払指図を単独で決済しようとしても残高不足となるため、いずれの決済も行われません。「次世代RTGS」はこの「すくみ」現象を効果的に抑制しつつ、資金流動性の必要量の節約を可能とするための仕組みです。具体的には、図表10をご覧ください。「次世代RTGS」では、日銀ネットに、「キュー機能」と「オフセッティング機能」と呼ばれる新たな機能を導入しました。「キュー機能」とは、金融機関から持ち込まれた振替指図を日銀ネット内にいったん待機させる機能です。また、「オフセッティング機能」とは、待機した多数の振替指図の中から同時に決済可能な組合せを見つけ出し、これらをその都度決済していく機能です。図表8のケースで発生した「すくみ」はこうした機能があれば発生しにくくなります。「次世代RTGS」は、従来方式のメリットであった決済リスクの抑制を維持しつつ、決済に必要な資金流動性の節約を可能にし、安全性と効率性の両立を図ろうとする仕組みです。図表11は新方式導入後の実績をみたものですが、金融機関二者間の振替指図で「オフセッティング機能」により処理されるものが少なくなく、資金流動性の必要量が削減されると同時に、平均決済時刻は早まっています。

「CLS」システムの創設

 第2は、各国中央銀行による外国為替決済リスクの削減に向けた取り組みです。円・ドルの外国為替取引を例に取ると、円は日本時間の日中、米ドルは米国時間の日中の決済を基本とするため、時差に伴う「元本とりはぐれのリスク」が存在します。売却通貨は支払ったのに購入通貨を受け取れないまま、取引相手が破綻するというリスクです。

 各国中央銀行は、時差に伴う決済リスクの解消に向けて、長年にわたる検討と関係者への働きかけを続け、その結果、2002年に、世界の民間銀行の出資により、クロスボーダーの多通貨決済メカニズムである「CLS」システム(Continuous Linked Settlement)が創設されました。図表12をご覧ください。「CLS」システムが運営する決済方式は「PVP」(Payment Versus Payment)と呼ばれ、2つの通貨を同時交換により受け渡すかたちで行われます。具体的には、受け取る予定の通貨が実際に受け取れる場合に限り、自らが支払う予定の通貨を相手に振り替えるものであり、万一相手から受け取り予定の通貨が振り込まれない場合には、自らの支払い通貨も相手に引き渡すことなく「CLS」システム内部でブロックされるかたちとなります。この結果、「支払ったのに受け取れない」状態が阻止されます。

 日本銀行も、ニューヨーク所在のCLS銀行に対し当座預金口座を直接開設することを例外的に認めるとともに、日銀ネットの稼働時間を夜7時まで延長しました。現在、「CLS」システムのもとで取り扱われる外国為替取引は17種類の通貨に達しており、日本時間の夕刻、すなわち、欧州時間の日中、あるいは米国時間の早朝の同一時間帯に、世界各国中央銀行の当座預金上で一斉に決済が実行されています。

 CLSシステムの意義を理解するためには、サブプライム・ローン問題発生後の外国為替スワップを説明するのが適当だと思います。金融機関は自国だけでなく海外でも活動していますが、母国以外の市場では必ずしも安定した現地通貨建ての預金調達基盤を持っているわけではありません。このため、例えば、欧州や日本をはじめ米国以外の金融機関はドル資金を市場で調達しますが、サブプライム・ローン問題発生後は無担保のドル資金市場での資金調達は困難化しました。そのような状況のもとで、ドル資金を調達するため外国為替スワップ取引が増加しました。図表13をご覧ください。円・ドルの外国為替スワップ取引を例に取ると、円を直物で売却し一定期間後に先物で買い入れることによって、為替リスクをヘッジし、円資金を担保にドル資金を調達する取引です。外国為替スワップ取引は近年大幅に増加しており、図表14に示されているように、外国為替市場の過半を占めるに至っています。今回の金融危機においては無担保の資金市場である米国フェデラルファンド市場やユーロドル市場の流動性が低下したため、外国金融機関は、外国為替スワップ市場への依存度を高めました。しかし、取引の背後には必ず外国為替の決済が生じることとなります。仮に、「CLS」システムが存在せず、外国為替スワップ取引の決済が時差リスクに晒されていたとすると、外国金融機関のドル資金調達はもっと深刻化していたと想像されます。

外貨建て資金供給の実施

 第3は、主要中央銀行による外貨建て資金供給の実施です。今回の金融不安のもとでは、とくに欧州系金融機関における米ドル資金の調達難が顕著となりました。前述のように、無担保のドル資金市場の機能が急低下したため、外国為替スワップ市場の取引が増加しましたが、リーマン・ブラザーズ破綻以降は、カウンターパーティ・リスクに対する警戒感から、外国為替スワップ市場でも米ドル資金の放出が細り、市場流動性が低下しました。図表15は外国為替スワップを使ったドル資金調達コストを示していますが、リーマン・ブラザーズ破綻以降は調達コストが急上昇しています。こうした状況に対処するため、米国連邦準備制度と各国中央銀行はスワップ取極を締結し、世界の主要市場で米ドルを供給するスキームを導入しました(図表16)。日本銀行もこの協調スキームに参加し、わが国市場において、日本銀行の適格担保を見合いに米ドルの供給オペレーションを実施しています。

「CDS」取引に関する清算機関設立に向けた取り組み

 第4は、「CDS」取引の清算機関設立に向けた取り組みです。CDSとは、Credit Default Swapの略称であり、企業の信用リスクを対象とするデリバティブ取引です。売り手は買い手からプレミアムを得る一方、参照企業が破綻した場合に生じる損失を買い手に支払う仕組みであり、信用リスクをヘッジする保険の役目を果たすものです。CDSの取引は近年欧米市場で急速に拡大してきましたが、取引があまりにも多様かつ複雑であるため、万一主要プレーヤーが破綻する場合、その決済に混乱が生じるのではないかと懸念されてきました。実際、ベアスターンズの破綻回避に当たって、バーナンキ米国連邦準備制度議長は、CDS決済に対する大きな懸念が1つの理由であったと述べています。

 こうした状況を踏まえ、米国では、ニューヨーク連邦準備銀行が関係者に対しCDS取引の決済プロセスの整備を促し、そのなかで清算機関設立の構想も生まれてきました。これまでのCDS取引と決済は二者間の相対型によるものですが、これに対し清算機関は、参加者間の取引を肩代わりし、カウンターパーティ・リスクを全て清算機関に対するものに置き換えることで、取引を差し引き計算しつつ、参加者のカウンターパーティ・リスクにかかる負担を軽減しようとするものです。また、今回の清算機関構想では、多様化が進みすぎたCDS取引について、標準化が進むことも期待されているようです。実際、こうした議論を踏まえ、米国のほか、欧州でも、このところ清算機関設立構想が具体化されつつあります。

 もっとも、清算機関は、全てのカウンターパーティ・リスクを一手に引き受けるものであるため、安全性を確保するための厳格な仕組みを構築する必要があります。さもなければ、清算機関自身が重大なシステミック・リスクの発生源となりかねません。後ほど述べるように、これまで主要国中央銀行および証券監督当局は、「清算機関のための勧告」——守られるべき基本的な原則——を策定し、各国でオーバーサイトを行ってきました。CDS清算機関構想についても、同勧告に沿って厳格なリスク管理の枠組みが構築されるかどうかが、実現のポイントとなるように思われます。わが国におけるCDS取引は、米欧と比較すると小規模にとどまっていますが、今後、わが国でも類似の具体的な検討が進められるような場合には、私共も中央銀行として、有効なリスク管理策の構築等に向けて議論に積極的に参加していきたいと考えています。

7.決済の分野での中央銀行の役割

 以上、中央銀行が決済システムの安全性と効率性を実現するために様々な活動をしていることを具体的事例に即して説明しましたが、次に、これまでの議論を整理するかたちで中央銀行の担う役割を一般的に説明したいと思います。中央銀行の役割は大別すると、2つに分けられます。第1の役割は「バンキング業務」——すなわち、中央銀行の「銀行」としての業務——を通じた活動です。第2の役割は、民間決済システムに対する「オーバーサイト」——すなわち、決済システムが安全で効率的に機能するようモニタリングや必要な改善の働きかけを行う活動——です。

「バンキング業務」の提供

 第1の「バンキング業務」の提供は、中央銀行自らが運営者となって決済システムを提供すること、そして、決済システムが機能していくための資金流動性の量を調整することです。このような中央銀行による決済システムへの関与の特徴は、法律の制定や行政的な手法に基づいて行われるものでなく、中央銀行が民間金融機関を相手に銀行業務を通じて行うことにあります。中央銀行は、利潤を追求する主体ではありませんが、民間の金融機関と同様に、誰とどのような取引を行うか、信用供与に当たってどのような条件を付すか、といった審査の基準を設けて、決済サービスの提供と資金の供給を行っています。中央銀行が「銀行の銀行」と呼ばれる所以は、1つはファイナリティを常に有する決済手段を民間金融機関に提供していることにありますが、もう1つはそのことを銀行業務を通じて実現していることにあります。

 バンキング業務の内容は多岐にわたります。

 まず、中央銀行は自ら決済システムを運営し、そのもとで当座預金取引先に対し決済サービスを提供しています。当座預金をどのような主体に提供するかは、各国で若干異なります。日本銀行の場合には、資金決済や証券決済の主要な担い手であることを1つの条件とし、銀行や信用金庫のほか、証券会社についても従来から当座預金を開設してきました8。決済サービスは信用供与と密接に関連しています。中央銀行は貸出や日中当座貸越などの信用供与を行っています。与信取引に当たっては、その裏付けとして、信用力などを基準にあらかじめ適格と定めた金融資産を担保として徴求し、これに掛け目を適用して管理を行っています。公開市場操作の対象となる資産もこれと同様です。どのような金融資産を担保とするかは重要です。相対的に市場流動性が低い金融資産を適格担保とすると、民間金融機関は中央銀行への差入担保を入れ替え、相対的に市場流動性の高い資産を市場調達に振り向けることが可能となります。この結果、金融機関からみますと、市場流動性の低い資産の流動性が高まることによって資金流動性のバファーを高めることになります。このように、中央銀行は、民間金融機関が預金や融資において企業や家計に相対する場合と同様に、金融機関のカウンターパーティ・リスクや、担保・売買対象資産にかかる信用リスク・価格変動リスクを厳格に管理し、バンキング業務を展開しています。

 中央銀行のバンキング業務の意味を具体的に理解していただくために、中央銀行の両建てオペレーションに触れてみたいと思います。平時であれば、マクロ的な資金流動性の総量を調整していけば、あとはコール市場の中で流動性の配分が行われますが、現在のように市場における警戒感が強い局面では、カウンターパーティ・リスクが強く意識され、そうした資金流動性の配分が難しくなります。こうした場合、中央銀行は、大量の資金供給を行うとともに、これと並行して資金吸収もあわせ行うことで、結果的に疑心暗鬼に陥った金融機関間の取引をみずから肩代わりするケースがあります。すなわち、資金余剰先には資金運用の機会を与えて資金を吸収しつつ、資金不足先に資金を供給することで、資金仲介を行うものです。これは、中央銀行がカウンターパーティ・リスクのない主体であるからこそ、可能となる取引です。具体的に言うと、今回の金融不安のもとで、日本銀行を含む主要国中央銀行は、次々と新たな資金吸収手段を導入してきました。すなわち、日本銀行は従来の売出手形制度に加えて当座預金への付利制度を、米国連邦準備制度は当座預金への付利制度を、一部欧州諸国では従来の当座預金への付利制度に加えて新たに売出手形制度を採用しています。このうち日本銀行が先月導入した補完当座預金制度についてみると、この制度は、準備預金制度上の所要準備額を超えて当座預金に保有される金額に対し一定の金利を付すものです。金融市場調節の観点からは、この制度の導入により、対象金融機関は超過準備に付される金利よりも低いレートで資金運用を行うインセンティブがなくなるため、市場金利の下限を画する機能を果たすこととなります。

 以上のような中央銀行のバンキング業務の側面から決済システムへの関与を説明してきましたが、これも、金融のグローバル化の進展につれて次第に国際的な協力、協調が重要になってきています。先ほど述べたように、主要国中央銀行は、現在協調して、自国通貨建て担保を見合いに米ドルの資金供給オペレーションを実施しています。また、言わばその裏側に当たるものですが、外国通貨建て担保を見合いに自国通貨を供給するオペレーションの導入についても、中長期的な課題の1つと位置付けられます。これはクロスボーダー担保と称されるもので、とくに、緊急時などにあっては、グローバルに分散する担保の有効な活用に資すると考えられます。クロスボーダー担保は、各国異なる法制のもとで法的安定性を確認する必要があるなど、実現に様々な困難がありますが、日本銀行としても検討を続けていきたいと考えています。

  1. 8このほか信用力や事務処理水準などが一定の基準を満たすことも条件の1つであり、それらの基準は公表している。一方、資金流動性の量の調整のための公開市場操作の対象先については、こうした金融機関の中から、金融取引の実績などに照らし、公開市場操作の効果が期待できる先を、公募のうえ選定している。

民間決済システムに対する「オーバーサイト」

 次に、中央銀行が決済システムに対して担う第2の役割である、民間決済システムに対するオーバーサイトについて述べます。オーバーサイトとは、システミックな影響の大きい決済システムを主たる対象として、その設計や運営の問題が原因となってリスクが顕在化し、金融システムの安定が脅かされることのないようモニタリングを行い、必要があればその改善に向けて働きかけることを言います。

 先にも述べたとおり、資金決済システムのうち、時点ネット決済方式を採用する民間システムや本日は説明を省きましたが証券取引に関する清算機関は、システミック・リスクを内包しています。例えば、全銀システムは時点ネット決済方式を採用しています。また、国債や株式の清算機関も、債権・債務を差し引き計算して清算を行っています。これらのシステムでは、万一参加金融機関に決済不履行が生じる場合、全参加金融機関に影響が及ぶ可能性があります。したがって、これを制度的に阻止するよう、厳格なリスク管理策をあらかじめ組み込んでおく必要があります。具体的には、参加者の選定に一定の資格要件が課せられているほか、各参加金融機関に対する日中の決済エクスポージャーを一定範囲に制限するよう限度額が設けられています。また、参加金融機関が決済不履行を起こした場合でも、他の金融機関等から資金調達を行うことで当日の決済を完了できるよう「流動性供給スキーム」を設けています。さらに、参加金融機関の破綻によって生じる損失をカバーできるよう、各参加金融機関からあらかじめ現金や有価証券を担保として徴求したり、参加金融機関間の損失分担ルールをあらかじめ定めています。

 中央銀行は、こうしたリスク削減策の整備を1つの狙いとしてオーバーサイトを行っていますが、その際、国際的に指針として確立した基準を参照しています9。具体的には、BIS(国際決済銀行)支払・決済システム委員会による「システミックな影響の大きい資金決済システムに関するコア・プリンシプル」10や、BIS支払・決済システム委員会とIOSCO(証券監督者国際機構)専門委員会が共同して策定した「証券決済システムのための勧告」11、「清算機関のための勧告」12がこれにあたります。これらは、条約や法律と異なり法的な拘束力を持つものではありませんが、中央銀行や証券監督当局が蓄積してきた経験と知識をベースに指針として取りまとめたものであり、日本銀行も、指針の策定に積極的に関与しています。

 一方、こうした中央銀行によるオーバーサイトの内容は、決済システムや清算機関による取扱金額の拡大とともに変化しつつあります。例えば、各決済システムは、参加者の破綻が生じても当日の決済が完了するよう、「流動性供給スキーム」のもとで、あらかじめ金融機関からコミットメントラインの設定を受けています。しかし、複数の決済システムに跨って参加する金融機関が多くなると、仮に規模の大きい金融機関に決済不履行が生じる場合、各決済システムが流動性供給スキームを発動して、コミットメントラインが一斉に引き出される可能性があります。その場合、複数のシステムに対してコミットメントラインを供与している金融機関に、一斉発動の場合における資金流動性の負担能力が備わっているかどうかが重要なポイントとなります。日本銀行は、当座預金取引を行う個別の金融機関について資金流動性の状況を日々モニタリングするとともに、考査——各取引先金融機関に対する立入り調査——を行い、資金流動性リスクの管理を含めた経営の健全性の点検を行っています。このように、日本銀行は、決済システムへのオーバーサイトと個別取引先へのモニタリング・考査の両面からのアプローチにより、円滑な決済の維持に日々取り組んでいます。

 また、決済システム全体を鳥瞰すると、コンピュータ・システムの発展に伴い、約定システムから、照合・確認システム、清算機関、決済システムに至るまで、システム連動させる動きが拡がっています。さらに海外では、国境を越えた決済システムの相互接続の動きもみられており、中央銀行のオーバーサイトは、こうした決済システム間の相互依存関係の強まりにも配慮する必要があります。こうしたシステムの連動性の強まりは、事務の合理化や資金流動性の効率化といったプラスの効果をもたらす面がある一方、例えば災害等何らかの理由である参加者の決済が遅延すると、その影響がより広範なシステムに、しかも瞬時に広がるおそれがあります。検討すべき点は多岐にわたりますが、中央銀行と内外関係者とが連携を強化し、例えば災害時を想定した業務継続訓練に当たっては、相互依存関係を考慮した広範囲な参加者による訓練の実施などが重要になってきていると考えています。

 決済システムのオーバーサイトは、——法律上の位置付けは国により様々ながら、——各国とも中央銀行の重要な役割として広く認識されています。これは、民間決済システムに対するオーバーサイトが中央銀行の資金流動性供給機能と深く結びついたものであるからにほかなりません。日本銀行も中央銀行の責務として、決済システム運営者や金融機関の方々とともに、安全で効率的なわが国決済システムの構築に貢献していきたいと考えています13

 以上の説明からもお分かりいただけるように、中央銀行は、その業務の基本となるバンキング業務を通じて決済システムに関与し、そうした業務を介して、日々、そして日中も、市場全体および個々の金融機関の決済需要の変動を肌で感じています。こうした手触り感覚こそが、金融市場や金融・決済システムにおける中央銀行の機動的な対応を可能にしていることをここでは強調しておきたいと思います。

  1. 9詳細は、BIS支払・決済システム委員会(2005)参照。
  2. 10BIS支払・決済システム委員会(2001)。
  3. 11BIS支払・決済システム委員会・証券監督者国際機構(2001)。
  4. 12BIS支払・決済システム委員会・証券監督者国際機構(2004)。
  5. 13詳細は、BIS支払・決済システム委員会(2008)参照。

8.おわりに

 本日は、「流動性と決済システム」というテーマでお話ししてきました。冒頭でも申し上げたように、本日の私の講演は流動性や決済システムの問題に関する具体的な事例を説明することを通じて、皆さんにこの問題の面白さと難しさを知っていただくことに主眼があり、結論というようなものは特に用意していません。ただ、本席が金融教育研究センターというアカデミックな場所であることを意識して、以下の2点を申し上げたいと思います。

 第1は、経済活動の変動を理解するうえで、流動性という概念は極めて重要であり、我々は流動性についてもっと研究を深める必要があるということです。近年、マネタリー・エコノミックスの世界では、ニュー・ケインジアン経済学に基づく論文が非常に増加しています。これらの研究は金融政策の運営に関し我々に様々な洞察を与えてくれましたが、資金流動性や市場流動性など、流動性を明確に意識した分析は、行われてきませんでした。しかし、流動性が突然過剰になったり、逆に突然枯渇するといった現象について十分理解することなしには、マクロ経済を分析することはできなくなってきています。幸い、最近では、流動性に関する研究は限界効用の高い分野であることが強く意識されるようになってきており、流動性に関する研究成果も多くみられるようになりました。図表17は「liquidity」を扱った学術研究の件数を検索したものですが、足許の国際金融資本市場の動揺を受けて、流動性に関する研究成果も増えつつあります。例えば、現在起きている国際金融資本市場の混乱は直接的には世界的な信用バブルの崩壊として捉えるべき現象ですが、世界的な信用バブルは何故、起きたのでしょうか。原因は複雑ですが、1つの大きな原因として、潤沢な流動性(abundant liquidity)ということが指摘されています。ここで言う流動性とは、マネーストックに代表されるような、マクロ経済全体に存在する流動性資産の総量を指すものでは必ずしもありません。現在の混乱に至る過程で、国際金融資本市場では、各種のリスク・スプレッドが極端に縮小し、レバレッジが拡大していました。そのような状況のもとで、市場参加者はいつでも流動性を調達できるという感覚で行動しました。そうした感覚の背後にある流動性とは、冒頭で説明した流動性の第3の用例です。金融政策との関係、自己資本比率規制やリスク管理手法との関係、市場構造との関係をはじめ、流動性が増加するメカニズムは解明されているわけではありません。いずれにせよ、世界的な信用バブル発生の経験は、金融政策の運営や金融機関の規制・監督制度のあり方についても再考を迫っているように思いますが、当局にとって学界からの理論面でのサポートは不可欠です。

 第2は、中央銀行のバンキングの側面、あるいは、より広く金融市場を支える制度に対し、もっと大きな関心が払われる必要があるということです。中央銀行の行動については学界でもマスコミでも金融政策に対する関心が非常に高いように思います。そのこと自体は中央銀行に身を置く者としては喜ぶべきことですが、逆に言いますと、このことが金融市場や決済システムにかかる政策や制度、バンキングの実務に対する無関心の裏返しであるとすれば、不幸なことです。中央銀行が経済の安定や成長に果たしている貢献度という観点からみた場合、私自身は中央銀行のバンキング政策は非常に大きいという自負を持っています。

 東京大学の金融教育研究センターは様々な研究課題にチャレンジされていますが、是非、流動性と決済システムの問題についても多くの研究成果を挙げられることを強く期待しています。私共も中央銀行の立場から必要なご協力をさせていただきます。

 ご清聴ありがとうございました。

以上

引用文献(公表順)

【BIS支払・決済システム委員会関連】BISホームページ参照

  • BIS支払・決済システム委員会(2008)「決済システムの相互依存関係(The Interdependencies of Payment and Settlement Systems)」
  • BIS支払・決済システム委員会(2005)「中央銀行による決済システムのオーバーサイト(Central Bank Oversight of Payment and Settlement Systems)」
  • BIS支払・決済システム委員会・証券監督者国際機構(2004)「清算機関のための勧告(Recommendations for Central Counterparties)」
  • BIS支払・決済システム委員会・証券監督者国際機構(2001)「証券決済システムのための勧告(Recommendations for Securities Settlement Systems)」
  • BIS支払・決済システム委員会(2001)「システミックな影響の大きい資金決済システムに関するコア・プリンシプル(資金コア・プリンシプル)(Core Principles for Systematically Important Payment Systems)」

【バーゼル銀行監督委員会関連】BISホームページ参照

バーゼル銀行監督委員会(2008)「健全な流動性リスク管理及びその監督のための諸原則(Principles for Sound Liquidity Risk Management and Supervision)」

【ニューヨーク連邦準備銀行関連】FRBNYホームページ参照

Olivier Armantier, Jeffrey Arnold, and James McAndrew (2008), "Changes in the Timing Distribution of Fedwire Funds Transfers" FRBNY Economic Policy Review, vol.14 no.2 pp.83-112

【日本銀行関連】日本銀行ホームページ参照

日本銀行(2008・2007・2006)「決済システムレポート」

【その他】

Milton Friedman(1969), “The Optimum Quantity of Money,” in The Optimum Quantity of Money and Other Essays, Chicago: Aldine.