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【講演】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」

金沢支店開設100周年記念講演会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2009年5月25日

英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

はじめに

 日本銀行の白川でございます。本日は、北陸の金融・経済界を代表する皆様方の前でお話する機会を頂き、有り難うございます。また、平素より、日本銀行金沢支店が大変お世話になっており、厚くお礼申し上げます。

 金沢支店は、明治42年、北陸3県の強いご要望を受け、本州の日本海側としては日本銀行の初めての支店として開設されましたが、それ以降、北陸経済の発展と共に歩んで参り、本年、開設100周年を迎えることができました。日本銀行には、金沢支店を含め、全国で32の支店と12の事務所があり、それぞれ、中央銀行としての様々な業務を行っています。その業務は、銀行券つまりお札や貨幣などの現金の供給、資金決済、国庫金の受払い、地元金融機関の経営状態の把握、地域経済動向の調査など、多岐にわたっています。ひとつひとつは地味な仕事ですが、地域の金融・経済活動を支える重要な基盤の一部を成していると言えます。因みに、昨年度、金沢支店の窓口で支払ったり受け入れたりした銀行券は約2兆円、1万円札にして2億枚にのぼりましたが、日本銀行金沢支店は、この100年間、豪雪や地震などの様々な困難に直面した時も含めて、銀行券の円滑な供給に努めて参りました。日本銀行としては、これからも、こうした業務をはじめとして、地域の金融・経済活動を支える役割をしっかり果たしていきたいという決意を新たにしています。これまでの地元の皆様方から頂きましたご支援に改めて厚くお礼を申し上げるとともに、引き続きご協力をお願いいたします。

 本日は、皆様方と意見交換させて頂くのに先立ち、私から、内外の金融経済情勢と先行き見通し、日本銀行の金融政策運営に関する考え方について、お話したいと思います。以下では、内外の金融経済情勢を全体として捉えたマクロ的な話が中心になりますが、地域・業種・企業規模等の違いによって、状況に多くの差異があることは、私どもも十分認識しています。実際、日本銀行では、各地域における産業・企業などのミクロ情報を各支店から本店に集約し、それらも踏まえて、マクロ的な視点から経済物価情勢の判断を行い、政策運営を行っています。

世界経済の動向

 それでは、最初に、世界経済の動向からご説明します。世界経済は、2008年入り後、次第に減速傾向を強めましたが、特に、9月のリーマンブラザーズの破綻以降、各国で同時かつ急速に景気が悪化しました。こうした世界経済の悪化は、国際機関や各国の政府・中央銀行、民間予測機関などのいずれの見通しをも大きく上回るものでした。例えば、IMF(国際通貨基金)が昨年7月に示していた2009年の世界経済の成長率予想は+3.9%と、今からみるとかなり高い見通しでした。これが、今年の1月に+0.5%と大きく下方修正された後、さらに4月には−1.3%のマイナス成長へと改訂されました。10か月間で5%を上回る大幅な下方修正が行われたことになります。

 このように昨年来世界経済が悪化してきた背景については、様々な事情が挙げられますが、私は、次に述べるような3つの要因が特に重要であると考えています。

 第1の要因は、世界的な過剰の蓄積とその調整です。2000年代半ばの世界経済は、「高成長、低インフレ、低金利」という良好な環境が続く中で、金融・経済活動の行き過ぎが生じ、様々な面で過剰が蓄積されました。例えば、金融面では、投資家や金融機関のリスク評価が甘くなり、サブプライムローン問題に象徴されるような世界的な信用バブルが発生しました。信用バブルにおいて、信用やレバレッジの拡大は、実体経済活動の過熱と表裏の関係にあります。米欧における住宅投資の著しい盛り上がり、新興国・資源国も含め世界規模で巻き起こった自動車などの耐久消費財ブームなどは、その一例です。また、企業サイドでも、需要の盛り上がりに対応するために、あるいは、少なからぬケースで需要の高い伸びが続くことを前提に、設備投資の拡大を通じて生産能力を増強しました。しかし、今から振り返ってみれば、こうした信用バブルに支えられた高い成長は、長続きし得るものではありませんでした。金融機関や企業や家計が、行き過ぎた経済活動を巻き戻す過程に入ると、個人消費や住宅投資、あるいは設備投資などの支出活動は、大幅に圧縮されることになります。今回、世界的な景気後退が大方の予想を上回るものとなった最も基本的な背景としては、このように金融と実体経済活動の双方の面で蓄積された過剰が、かつて例をみなかったほど大きく、かつ国際的な拡がりをもっていた、という事情が挙げられます。

 第2の要因は、昨年9月のリーマンブラザーズの破綻を契機とする金融危機の発生以降、世界的に金融機能が極度に低下したことです。リーマンブラザーズの破綻によって、金融機関や機関投資家など資金の出し手は、取引先の信用度を極度に警戒するようになりました。このため、金融機関同士が資金をやりとりするインターバンク市場だけでなく、住宅ローンやその証券化商品の市場、あるいは企業が資金調達を行うCPや社債などの市場でも、取引が急激に縮小し、金融市場は全般的な機能不全というべき状態に陥ってしまいました。また、銀行も、自己資本が毀損したことに加え、預金流出の発生や資金繰りの懸念に直面したことから、貸出態度を急激に慎重化させました。金融市場における資金仲介、金融機関行動という両面にわたって金融機能が大きく低下すれば、実体経済に深刻な悪影響が及ぶことは避けられません。さらに、実体経済の悪化は、住宅ローンや企業向け貸出の不良債権化などを通じて、金融機関経営を一段と悪化させ、これがまた、企業活動に及んでいくという、マイナスの連鎖反応が発生しました。昨年秋以降の世界的な経済情勢の悪化を説明する際、しばしば、金融と実体経済の「負の相乗作用」、あるいは「ネガティブ・フィードバック・ループ」といった表現が使われましたが、これは、まさに今申し述べたようなメカニズムを指しています。

 さらに、金融危機の連鎖は、国境を越えて、多くの国や地域にも拡がりをみせました。すなわち、米欧の金融危機が中東欧やラテン・アメリカなどの新興国や資源国にも波及したことが、世界的な景気悪化を一段と厳しいものとする一因となりました。新興国や資源国の金融機関は、今回の金融危機の直接の原因となったサブプライムローンを裏付け資産とする証券化商品をあまり保有しておらず、その意味で損失は限定的でした。このため、金融危機の発生当初は、新興国・資源国への影響を限定的とみる見方もありました。しかし、米欧の金融機関や投資家は、これらの国に対する資金仲介のパイプ役としても重要な役割を果たしていました。このため、米欧の金融機関が新興国・資源国への貸し出しを急速に絞り込んだことに伴い、これらの国でも強い信用収縮が発生し、景気は急激に悪化しました。このように、米欧に始まった金融危機の影響は、新興国を含めた世界中の金融市場に波及するとともに、金融と実体経済の負の相乗作用をグローバルに拡大させることになりました。

 第3の要因は、世界的な規模での大幅な生産・在庫調整です。昨年秋以降、世界的に需要が急減したことから、企業は突然、大幅な在庫の積み上がりに直面しました。そのような状況の下で、在庫を削減する唯一の方法は生産の大幅削減です。そうした動きが特に顕著であったのは、耐久消費財や資本財の分野でした。

 以上、今回の世界的な景気後退の大きな背景として3つの要因を申し述べましたが、このうち、昨年秋以降の急速な景気悪化をもたらした直接の要因は、第2と第3の要因、すなわちリーマン破綻を直接の契機とする世界的な金融収縮の影響と、大幅な生産・在庫調整でした。ごく最近では、この2つの要因の影響が徐々に和らぐことによって、世界経済には、景気悪化テンポの鈍化ないしは下げ止まりの兆しがみられ始めています。

 まず、金融情勢について申し上げますと、短期金融市場は、大量の資金供給を始めとする各種の中央銀行の対策もあって、総じて、落ち着きを取り戻しつつあります。また、金融システムの健全性に対する信認も、米国における金融システム対策の公表などを受けて、改善の方向に向かっているように窺われます。金融システムの安定を取り戻すためには、金融機関の不良債権処理を進めるとともに、自己資本を充実させる必要があります。米国では、大幅な景気後退が発生した場合の損失の拡大を、現在の自己資本で十分カバーすることができるかどうかという観点から、金融機関の自己資本の十分性のチェックが実施されました。いわゆるストレス・テストです。この結果を受けて、現在、米国の金融機関は、自己資本の増強に向けた取り組みを進めています。ストレス・テストの結果が公表された後の株式市場の動きなどをみると、こうした金融システム安定に向けた取り組みは、概ね前向きに評価されているようです。

 また、世界的かつ大規模な生産・在庫調整という面でも、このところかなり調整が進んできたことが、統計や企業からのヒアリング情報等で確認されます。例えば、自動車や電子部品などにおける在庫調整の進捗は、米欧のほか、中国や韓国などの新興国でも確認されています。今後は、これが生産面に好影響を与えていくことが期待できるとみられますし、実際、わが国や中国ではそうした動きがみられています。

 それでは、今後、世界経済は、下げ止まりから回復に転じていくのでしょうか。また、回復するとして、どの程度しっかりとした回復に繋がっていくのでしょうか。さきほど述べた世界経済悪化の背景に則して申し上げると、先行きについては、これまで積み上がった過剰の調整がどのように進んでいくのか、また、金融と実体経済の負の相乗作用がどこで止まるか、ということに大きく依存してくると思います。この点、米欧の住宅市場では調整が徐々に進んできているほか、米国において家計の貯蓄率が上昇し始めるなど、過剰消費や過剰債務の圧縮に向けた動きもみられています。勿論、「過剰」の程度を事前に正確に捉えることはできませんが、今回の危機に先立って高い成長が何年にもわたって続いたことを考えると、「過剰」の調整にかなりの時間を要する可能性は否定できません。また、こうした実体経済面での過剰の削減は、金融機関の不良債権処理と表裏の関係にあります。さきほど触れたとおり、この面でも進展がみられ始めていますが、金融と実体経済の負の相乗作用のリスクが十分遠のいたといえるほどに金融システムの建て直しが進むには、さらなる時間と努力が必要なように思われます。もちろん、過剰の調整が進行する間にも、景気の回復や後退といった景気循環は生じます。実際、1990年代における日本においても、何度か景気の回復は生じました。しかしながら、過剰の調整が完了するまでの間は、緩やかな景気回復しか実現しませんでした。本格的かつ自律的な成長が始まるためには、過剰の調整を終え、金融システムの建て直しに目処がつくことが前提条件となります。

 これらの点を踏まえると、各国におけるマクロ経済政策や金融システム対策の効果と、民間部門における調整の進捗に伴って、世界経済は回復に向かう姿が想定されますが、その回復テンポは緩やかなものとなる可能性が高いとみられます。また、こうした回復シナリオそのものについても、なお不確実性が高いことには十分留意しておく必要があると考えています。

日本経済の現状と先行き

 以上お話した世界経済の現状と先行きを踏まえた上で、日本経済についてご説明したいと思います。

 日本経済は、昨年春頃から減速傾向を強めてきました。そして、リーマンブラザーズが破綻した昨年秋以降、自動車や電気機械、さらに建設機械や工作機械などの一般機械を中心に輸出が急速に減少し、その結果、生産はかつて経験したことのないような大幅な落ち込みとなりました。日本の落ち込みが先進国の中でも特に大きかったのは、製造業、それも先程述べたような先端的な製造業のウェイトが高く、そうした産業は世界経済の影響を最も強く受けやすいという事情によるものです。もっとも、最近では、国内景気の悪化は続いているものの、世界経済の持ち直しの動きを反映して、輸出や生産に明るい兆しがみられています。具体的に申し上げると、中国の需要が持ち直していることや、自動車・電子部品等の海外在庫の調整が進んでいることを背景に、輸出は、減少幅が縮小し、足もとでは横ばいの動きとなっています。また、生産も、鉱工業生産指数の動きをみると、1月、2月は前月比1割程度の減少となりましたが、3月は、自動車やIT関連財の内外在庫調整の進捗などもあってプラスに転じました。先行きも、企業からのヒアリング情報等を踏まえると、増加を続けるとみられます。この結果、輸出や生産は下げ止まりつつあると判断しています。一方、消費や設備投資といった国内民間需要については、雇用者所得や企業収益の動向が鍵を握りますが、これまでの大幅な生産落ち込みが遅れて影響を及ぼし、当面、厳しい所得・収益環境が続くことから、引き続き弱まっていくとみられます。

 以上を踏まえ、この先の景気情勢について述べますと、輸出・生産は下げ止まりから持ち直しに転じていき、また、財政面からの刺激策の効果も顕現化してくることから、景気全体の姿としては、悪化のテンポは徐々に和らぎ、次第に下げ止まっていく可能性が高いと判断しています。さらに、その先の中心的なシナリオとしては、さきほど申し述べたような世界経済の緩やかな回復を前提にすれば、わが国経済も、金融システム面での対策や財政・金融政策の効果もあって、今年度後半以降、緩やかに持ち直していく姿が展望できます。

 この間、物価面では、消費者物価の前年比が、原油価格の上昇などから、昨年夏には+2.4%まで上昇しましたが、その後は、石油製品価格の下落や食料品価格の落ち着きを反映し、ゼロ%近傍まで低下しています。昨年の今頃はちょうど石油製品価格や食料品価格が急激に上昇していた時期に当たるという事情に加え、経済全体の需給バランスの悪化などを反映して、今年度半ばにかけて前年比下落幅が拡大していく可能性が高いとみています。ただし、その後は、石油製品価格などの影響が薄れていくため、中長期的なインフレ予想が安定的に推移するとの想定のもとで、下落幅は縮小すると考えられます。

 以上が先行きの経済・物価に関する日本銀行の見通しですが、こうした見通しに関する不確実性は引き続き高く、とくに下振れリスクには留意する必要があると判断しています。日本銀行としては、そうした下振れリスクを意識しながら、情勢を丹念に点検していく方針です。

金融環境

 こうした下振れリスクとしては、世界経済や金融資本市場の動向が挙げられますが、この点については、さきほど詳しく申し上げましたので、ここで、わが国の金融環境についてお話したいと思います。

 昨年秋以降の米欧の金融危機の影響は、わが国の金融市場にも波及しました。すなわち、短期金融市場では、銀行間取引金利と短期国債金利とのスプレッドが拡大するなど、緊張が高まりました。また、CP・社債の発行環境が急速に悪化しました。

 今回の金融環境の逼迫は、出発点が国際的な信用収縮であったことから、この間の変化という点では、中小企業以上に大企業の資金繰りが急速に悪化したことに大きな特徴がありました。海外の金融資本市場の動揺は、海外での銀行からの借入れや国内のCP・社債市場での発行が困難化するというルートを通じて、国内の大企業の資金繰りを直撃しました。そして、資金繰りの悪化した大企業は、銀行からの借入れを増やすとともに、先行き不安から手元資金の積み上げを図りました。そうした大企業の資金繰り悪化は様々なルートを通じて、中小企業の資金繰りにも影響を及ぼしました。

 こうした情勢判断を踏まえて、日本銀行では、金融市場に対し潤沢な資金供給を行うと共に、企業金融の円滑化を支援するために様々な措置を講じました。CP・社債の買入れもそのひとつです。CP・社債自体は主として大企業の資金調達手段ですが、これらの市場の機能が回復すれば、銀行の貸出余力の回復や大企業による企業間信用の条件の変化を通じて、そのプラス効果は中堅・中小企業の資金繰りにも染み出していくことが期待できます。実際、国内金融市場の状況をみますと、潤沢な資金供給によって、短期金融市場は徐々に落ち着きを取り戻し、企業が実際に資金を調達する際に適用されるやや長めの金利も低下しています。また、日本銀行のCP買取り等の効果もあって、CPの発行環境は改善しています。すなわち、昨年秋のリーマンブラザーズの破綻を契機に、企業に対する市場の見方は厳しさを増し、企業は、短期国債金利にかなりのスプレッドを上乗せした発行金利でなければ、CPを発行できない状況となっていました。しかし、日本銀行をはじめとする政策対応が進められた昨年末頃より、徐々に改善に向かい、足もとでは、上位格付先の発行金利のスプレッドは、リーマンブラザーズの破綻前の水準まで低下しています。また、格付がやや低い銘柄の発行金利のスプレッドも、着実に低下しています。社債についても、ごく最近では、発行金利のスプレッドは幾分低下しています。また、社債の発行実績をみても、昨年秋から年度末頃までは、最上位格付の一部銘柄しか発行できていませんでしたが、最近では、発行金額が増加し、やや低めの格付の社債も発行されるなど、発行環境はかなり改善しています。

 このように、CP・社債の発行環境が着実に改善していることに加え、昨年秋以降みられた手元資金積み増しの動きも後退しているため、大企業の資金繰りには一服感が出ています。中小企業の資金繰りについても、政府による緊急保証制度などの政策対応が下支えの役割を果たしています。

 以上のように、企業金融を巡る環境をみると、ひところに比べて緊張感は後退しています。ただし、企業業績の悪化などを背景に、資金繰りや金融機関の貸出姿勢が厳しいとする先は依然として多く、全体としては厳しい状態が続いていると判断しています。また、先行きについても、景気の動向如何ではありますが、企業の収益環境が引き続き厳しい中で、企業の信用リスクに対する金融機関や市場の見方が厳しさを増す可能性は否定できません。また、株価が大幅に下落した場合には、銀行の資本制約が強く意識され、貸出姿勢の厳格化に繋がるリスクにも留意していく必要があると思っています。その意味で、企業金融の動向については、引き続き注意深くみていく必要があると考えています。

金融政策運営

 以上、内外の金融経済情勢についてご説明してきました。こうした金融経済情勢の大きな変化を受け、昨年秋以降、各国は積極的に政策対応を行ってきました。各国中央銀行も様々な政策措置を講じています。そうした措置の内容は、世界経済が同時かつ急速に落ち込んだという、今回の経済危機の性格を反映して、日本銀行を含め、かなり類似してきています。大きく括ってみますと、以下の3つの柱から整理することができると思います。

 まず、第1は政策金利の引き下げです。ご承知のように、日本銀行は、政策金利を0.1%まで引き下げていますが、他の主要国も大幅に引き下げています。この結果、金融機関間のオーバーナイト金利をみると、日本は0.1%、米国が0.2%、カナダが0.25%、ユーロエリア、英国が0.5%程度で推移しています。このように、海外主要国でもゼロ近傍の水準にまで金利を引き下げていますが、同時に、超低金利が金融市場の機能や金融機関経営に与える副作用も意識しています。このため、かつて日本銀行が実施したような、政策金利を文字通りゼロ%まで引き下げるという意味でのゼロ金利政策は実施されていません。

 第2は、潤沢な流動性供給を通じた金融市場の安定確保です。各国中央銀行とも、資金供給期間の長期化等の措置も併せ講じながら、自国通貨の流動性を潤沢に供給しています。さらに、今回の金融危機においては、主要国中央銀行は米国の中央銀行であるFRBと協調してドルの流動性を供給していますが、本措置は金融市場の安定回復に大きく貢献していると思います。

 そして第3が、低下した信用仲介機能の回復を図るための措置です。これについては、各国とも大きな目的は共通していますが、それぞれの国における金融仲介構造の違いを反映して、力点の置き方は異なっています。金融仲介構造の違いの1つの目安として、2007年末における銀行貸出のGDPに対する比率をみてみますと、米国が63%であるのに対し、ユーロ圏は145%、日本は136%となっています。一方、民間部門の債券発行残高のGDPに対する比率をみますと、米国は168%となっていますが、ユーロ圏は81%、日本は94%となっています。こうした計数に表れているように、米国の金融仲介は、資本市場が中心ですが、ユーロ圏では銀行貸出が中心となっています。日本は、米国とユーロ圏の中間ですが、銀行貸出のウェイトが高めと言えます。このような違いを反映して、FRBは、資本市場の機能回復を狙いとして、CPや住宅ローン担保債券などを市場から直接かつ大規模に買入れる措置を採っています。FRBは、これを信用緩和政策、クレジット・イージングと呼んでいます。一方、ユーロ圏の中央銀行であるECBは、銀行による信用仲介機能の回復を狙いとした措置を実施しています。具体例を挙げますと、ECBから銀行への資金供給を行う際の適格担保の範囲を拡大するとともに、長めの資金を固定金利かつ金額無制限で銀行に供給しています。これらに対して、日本銀行は、市場の機能回復と銀行等の信用仲介機能の強化という両面にわたって、政策を実施してきています。まず、資本市場の機能回復という面では、市場機能が大きく壊れた米国との比較では規模は小さいものの、銀行等を通じたCPや社債の買入れを実施しています。加えて、銀行等の信用仲介機能の強化という面では、ECBと同様に、適格担保範囲の拡大などのほか、民間企業債務を担保に低利で長期の資金供給を実施しています。これらを通じて、銀行による円滑な貸出実施に向けた環境整備を行っています。

 以上の3つの柱に沿った措置に加えて、日本銀行では、金融機関保有株式の買入れや金融機関への劣後ローンの供与といった枠組みを用意しています。これらの措置は、銀行が、先行きの株価下落懸念等から資本制約を強く意識せざるを得ないような状態になっても、自己資本調達の問題を緩和し、金融仲介機能が円滑に働くようにすることを狙いとしています。つまり、いざという時の安全弁あるいはセーフティ・ネットとしての機能です。さきほどお話した日本銀行によるCPや社債の買入れも、やはり企業金融が逼迫した時の安全弁という性格を持っています。既にお話したように、企業金融の先行きには様々なリスクがあり、CP・社債市場の機能が再び低下する可能性も否定できません。その際には、CPや社債を保有する金融機関は、これを日本銀行に持ち込んで資金化することができます。CP・社債市場が不安定化した場合に、市場機能回復を支えるセーフティ・ネットとなっているということです。

 以上が日本銀行のこれまで実施してきた政策対応とその考え方です。日本銀行としては、当面、景気・物価の下振れリスクを意識しつつ、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長経路に復帰していくため、これらの措置を活用しながら、中央銀行として最大限の貢献を行っていく方針です。

おわりに

 以上、内外の金融経済情勢とその先行き、日本銀行の金融政策運営に関する考え方についてお話してきました。本日の話を総括しますと、昨年秋以降続いていた内外の金融経済情勢の急速な悪化は徐々に下げ止まる方向にあり、さらにその先には、緩やかな回復が展望されます。もっとも、今回の景気悪化は、過去数年にわたって世界的に蓄積された様々な過剰を調整する過程にあるだけに、当分の間、厳しい状況が続く可能性は高いですし、その先の景気回復は緩やかで不確実性の高いものとならざるを得ません。こうした中にあって、日本銀行も含め、各国の政策当局は、様々な対応を採ってきました。これらの政策は、経済・金融面でのショックを一時的に緩和し、景気の底割れを防ぐという点で大きな役割を果たしています。しかし、ショックから立ち直った後の経済は、日本経済の実力—潜在成長率—がそのまま映し出される訳ですが、この潜在成長率を左右する最も大きな要因は生産性の伸びです。イノベーションを通じて生産性の向上を実現していくことなしには、日本経済の発展は望めません。財政・金融政策は重要ではありますが、そうした民間部門での調整や前向きな取り組みを円滑に進めるためのサポート役に過ぎません。

 改めて言うまでもなく、イノベーションを実現していく上で、市場メカニズムを活用することは不可欠です。もっとも、今回、世界的な金融危機が発生したこと、また、その大きな原因のひとつとして金融の行き過ぎがあったことも手伝って、市場メカニズムに対する不信感が高まっているように窺われます。別の機会に詳しく論じたので本日は繰り返しませんが1、金融の場合、適切に金融機能が発揮されるためには、適切な規制や監督が不可欠です。現在、規制や監督の再設計を巡って国際的に活発な議論が行われており、日本銀行もそうした議論に積極的に参加しています。私としては、今回の金融危機の経験を通じて、市場メカニズムを適切にワークさせるための制度設計の重要性と市場メカニズムに基づく経済運営の重要性の両方を改めて認識している次第です。

 現在の混乱が終息した後世界経済がどのように変化していくのか誰も正確には予測できませんが、日本企業は、これまでもそうであったように、今後も世界経済の変化に合わせ、これまでの優位性を活かしつつ、新たなフロンティアを開拓していく努力を積極的に行っていく必要があることは言うまでもありません。

 こうした取り組みがあって初めて、日本経済の本格的な景気回復が可能となります。日本銀行は、これを金融面からしっかりサポートし、日本経済の自律的な回復に向けた動きを支えていきたいと考えています。

 本日は、ご清聴有り難うございました。

  1. 白川方明、「金融危機の予防に向けて:金融市場、金融機関、中央銀行の連関」、2009年5月13日、を参照。

以上