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【講演】「新たな金融環境の下での中央銀行の役割」

International Monetary Conference(京都)における講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2009年6月9日

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原文(英語)は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

はじめに

 本日は、International Monetary Conference にお招き頂き、ありがとうございます。本コンファランスにおかれては、その長い歴史を通じて、民間メンバーのみならず、公的当局からの参加者に対しても、金融機関、金融市場、金融システムに関する幅広い話題について率直な議論を行う大変貴重な機会を提供して頂いてきました。

 期待を込めて言うと、現在、最悪期は脱しつつあるようにみえますが、私達は、なお過去に例をみない大きな金融危機の渦中にあります。その意味で、今回、主催者の方から提起されたテーマ - 新たな金融環境の下での中央銀行の役割 - は、極めて時宜に適ったものだと思います。また、このテーマは私達セントラル・バンカーが現在最も意識しているテーマの1つでもあります。中央銀行の基本的な役割は、いつの時代も変わりません。しかし、同時に中央銀行に期待される機能は、時代の移り変わりとともに、少しずつ変化を遂げてきました。日本銀行の例に即して申し上げますと、第一次世界大戦後に起きた金融危機の経験を踏まえ、日本銀行は、1928年、金融機関に対する実地考査を始めました。1998年には日本銀行法が改正され、金融政策の独立性が強化されました。この法改正は、1980年代後半のバブル期における金融政策運営への反省がひとつの契機となっていました。今申し上げた金融機関に対する実地考査は、この日本銀行法の改正によって、明確な法的根拠が与えられることになりました。

 それでは、今回のグローバルな金融危機を契機として、世界の中央銀行に求められる役割はどのように変わっていくのでしょうか。

 この問題を考えるための糸口として、本日ご出席されている銀行経営者の皆さんに対して、初めに、2つの質問をさせて頂きたいと思います。1つめは、今回の金融危機に先立つ数年間、特に2003年から2007年の5年間、皆さんは、経営する金融機関あるいは金融システム全体を取り巻くリスクが高まっているという認識をお持ちだったでしょうか、というものです。2つめは - 「音楽が鳴っているときは、誰もがダンスを踊る」という今や有名になった発言に関連する質問ですが - もし将来、あの当時と同じような良好な経済環境、すなわち高成長、低インフレ、低金利と市場の低ボラティリティーに恵まれたとした場合、皆さんは、今度は違った経営戦略を選択されるでしょうか?また、もし皆さん自身は違った戦略を選択されるとしても、競争相手の金融機関経営者は、どのような戦略を選択すると予想されるでしょうか?

 皆さんは、経営する銀行の収益力と様々なショックに対する頑健性の両方を向上させる責任を有しています。一方、中央銀行は、経営者としての皆さんの取り組みを、金融システム全体の健全化に繋げ、さらにそれが、一国経済の発展に資するようにしていくという役割を有しています。その際、中央銀行が理解しておかなければならないことは、市場参加者の行動は、人間の本性と市場における競争圧力に影響されがちであるということです。

 以下では、新たな金融環境の下で中央銀行が果たす役割について──その包括的な絵を描くことはできませんが──私が重要だと考えている幾つかの点を、ご説明したいと思います。

中央銀行の役割

システム全体のリスク評価

 第1の役割として、中央銀行には、実体経済と金融市場、金融機関行動の相互連関を意識して、システム全体のリスクを評価することが求められます。そうしたリスク評価が、金融システムの安定に向けた政策対応の基礎となります。もっとも、これは「言うは易く行うは難し」の典型的な例と言えます。今回の金融危機が発生する以前から、中央銀行は、金融システムに関する報告書の中で、リスクの高まりについて警告を発してきました。警告を発すること自体は、それほど難しいことではありません。また、銀行経営者や市場参加者自身も、そうしたリスクの高まりに、ある程度は気付いているものです。ただ、その上で、本気になってリスクの削減を進めようと思えば、状況を是正するための行動を起こすことが必要となります。分析から一歩進んで、状況の是正に向けた行動をとっていくためには、的確な分析と評価、強い意志、有効な行動を可能とする強固な法的枠組みのすべてが必要です。いずれにせよ、システム全体のリスク評価がなければ、行動は起こせません。中央銀行がそうしたリスク評価の役割を担うのは、極めて自然なことであると考えています。そう考える理由を申し上げますと、中央銀行は、金融政策の運営主体として、マクロ経済に焦点を当てた情勢分析を行っていますし、金融市場の参加者と日々密接に意見交換や情報交換を行っています。さらには、リサーチを重視する組織文化を有している、ということが挙げられると思います。

金融政策運営の再考

 第2の役割として、中央銀行には、金融政策の適切な運営はどうあるべきかについて、常に検討し見直しを続けていくことが求められます。市場参加者と銀行経営者の行動を全体として捉えてみますと、その行動インセンティブは、マクロ的な経済・金融環境に強く影響されます。最も典型的な例としては、「大いなる安定(Great Moderation)」期において観察された「利回りの追求(search for yield)」を挙げることができるかと思います。資産バブルが生じると、こうしたインセンティブの存在は、中央銀行の金融政策運営に対して難しい課題を投げかけることになります。資産バブルと金融政策の問題に関しては、しばしば、「金融政策は、資産価格の行き過ぎた上昇に対応すべきか否か」といった単純な形で議論が行われます。しかし、私は、このような問いの設定自体が、金融政策運営に関する議論を混乱させているように思っています。どの中央銀行も、金融政策だけでバブルを防止できるとか、防止すべきであるとは考えていません。中央銀行にとってより現実的な問題設定は、「資産価格の上昇、信用量とレバレッジの拡大、経済活動の過熱といった、金融引締めの必要性を示唆するような明らかな現象が見られる一方で、一般物価だけは安定しているという情勢に直面したとき、金融政策をどのように運営すべきか」ということだと思います。そのような強気のマインドが支配的な状況の下では、金利を多少上げたとしても、短期的には、バブル的な経済活動の鎮静化に大きな効果はないかもしれません。そうかと言って中央銀行が極めて緩和的な金融政策運営を継続すると、信用量やレバレッジの膨張を一段と加速することになります。金融政策とバブルの関係を議論する際には、極端な楽観主義にたつことも、過度の悲観主義に陥ることも適当ではありません。金融政策だけでは、金融・経済活動における様々な過剰の積み上がりを抑えることはできませんから、他の様々な政策との組み合わせが必要になります。ただそうではありますが、金融政策運営が不適切であれば、バブルはさらに膨張し、ついには破裂して経済を急激に縮小させることになってしまいます。

プルーデンス規制の再設計

 第3の役割として、中央銀行は、プルーデンス規制の再設計に向けて現在進められている検討に貢献することも必要です。中央銀行は、各国の法制度の違いに応じて、規制監督当局である場合もそうでない場合もあります。そうした法的な位置付けの違いにかかわらず、中央銀行は、金融システムの安定に責任を有する主体として、プルーデンス規制の再設計という面で建設的な役割を果たすことができるし、そうすべきであると思います。金融機関の行動は、マクロ的な経済環境と、プルーデンス規制のあり方の両方に強く影響されます。例えば、プロシクリカリティ(金融と実体経済の間の相互作用)の削減を目的として、所要自己資本に関するプルーデンス規制や引当に関する各種慣行を見直すことが、具体的な課題の1つとして挙げられるでしょう。経済環境が良好なときには、銀行が資本のバッファーを積み増し、経済が悪化したときには、バッファーとして積み増したその資本を金融仲介機能の維持のために使用できるような仕組みを設けることが大事です。

中央銀行サービスの強化

 第4の役割として、中央銀行には、自らが提供する中央銀行サービスの強化が求められます。近年、中央銀行は、決済システムの安定性と効率性の向上に向けて、外国為替取引の決済に関する時差リスクの最小化や、決済システムのオーバーサイトの強化など、様々な取組みを行ってきています。また、今回の金融危機の局面では、金融市場調節の分野において、中央銀行が受け入れる担保やオペレーションの対象先の範囲の拡大を行っているほか、主要国の中央銀行が協調して、米ドル資金を供給するオペレーションを実施しています。これらの措置は、金融市場の安定回復に貢献しています。

 しかし、金融市場は常に変化しており、新たな課題も生まれています。しばしば、金融市場は、比ゆ的に、「継ぎ目のない(seamless)」市場という方向に次第に向かっていると言われます。しかし、金融取引や決済の状況を見るだけでも、実際には、「継ぎ目のない」状態からは程遠いことがわかります。日中においてでさえ、支払の指図と入金の指図は完全に同時に行なわれている訳ではなく、このため、日中の信用供与が必要となります。こうした問題は、例えば、CLSシステムの導入によって時差リスクは削減されたとはいえ、外国為替取引において最も典型的に生じます。また、金融市場のボラティリティーの上昇に伴い、短期の資金需要が突然増加することもあります。例えば、金融機関が追い証契約に基づき証拠金の積み増しを求められるような場合がその1つです。それらの結果として、金融取引の過程において、流動性の漏出(leakage)や一時的な保蔵(storage)が生じることは避けられないため、「継ぎ目(seam)」が生まれてしまいます。危機時においては、そうした「継ぎ目」によって生じる流動性の不足が、状況をさらに悪化させる可能性もあります。中央銀行としては、こうした「継ぎ目」を埋めていくため、どのように中央銀行サービスを提供していくかについて、不断に検討していく必要があります。

組織文化の向上と人的資本の充実

 最後に、中央銀行と民間部門のどちらにも当てはまることですが、組織文化と人的資本の重要性を強調しておきたいと思います。どのような組織も、その根源的な目的を大切にする文化と、そうした文化を具体的に体現していく人的資本の十分な蓄積なくして、発展していくことはできません。

 先ず、中央銀行であれ、民間金融機関であれ、物事を長期的に捉える視点を重視する組織文化を育てていく必要があります。そうでなければ、中央銀行と民間金融機関のそれぞれの目的、すなわち、中央銀行にとっては、長期的な経済・金融の安定、民間金融機関にとっては、長期的な収益力の向上、を持続的に実現していくことはできません。

 次に、中央銀行について述べれば、不完備契約や不完備市場といったギャップを埋めるサポート役となる必要があります。金融取引を行うに当たっては様々な契約を交わすことになりますが、将来発生する可能性がある全ての事象を想定した契約を用意することは不可能です。経済学で言うところの「完備契約」は、現実には存在しません。こうした中、中央銀行は、公正・中立な仲介者(an honest broker)あるいは触媒のような機能を果たすことにより、新しく次々と発生する問題を市場機能を通じた形で解決していける可能性があります。そのように様々なギャップを埋める役割を果たしていくためには、中央銀行は、金融市場や金融ビジネスにおける変化に対して鋭敏でなければなりません。しかし、中央銀行は、利益を追求する組織ではないため、そのような変化に気付くことが遅れる危険性もあります。一方で、個々の民間金融機関や市場参加者は、金融システム全体に対する自らの行動の影響を「内部化」して認識するインセンティブを、必ずしも有している訳ではありません。その意味で、中央銀行と民間経済主体の協力がない限り、金融システムの安定性を維持していくことはできません。中央銀行においては、民間金融機関の皆さんや市場参加者と建設的な人間関係を築くことができる力を持つと同時に、取引実務の細部を理解しつつ、マクロ的な物の見方を磨いた人材が必要とされます。中央銀行総裁としての重要な役割のひとつは、そのような組織文化を育てることです。そうした文脈で申し上げれば、民間金融機関の経営者の皆さんにも、それぞれの組織の中で、中央銀行と民間金融機関が力を合わせて取り組んでいくことの大切さが理解されるような組織文化を育てて頂ければと思っています。もし、経済情勢や金融市場の動向の中に、金融システム全体の安定を脅かしかねない芽を発見したときは、適切なタイミングで伝えて頂くことで、私どもの仕事を支えて頂きたいと考えています。冒頭でお話したとおり、本コンファランスは、こうした対話を行っていくうえで、大変有益な機会を提供するものだと思っています。

 ご清聴ありがとうございました。

以上