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【講演】「危機を未然に防止するためのミクロ・マクロ両レベルでのインセンティブを巡る考察」

第8回国際決済銀行年次コンファランス(スイス・バーゼル)における講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2009年6月26日

原文(英語)はSome Thoughts on Incentives at Micro- and Macro-level for Crisis Preventionをご覧下さい。

目次

はじめに

 今回の金融・経済危機は、政策当局者にも学界関係者にも多くの問題を投げ掛けています。すでに、金融規制・監督の改革に向けて様々な提案が出されていますが、この分野における伝統的なアプローチは、ミクロプルーデンス的な観点に立脚しています。この観点に立つと、金融システムの安定性は、個々の金融機関が十分な自己資本や流動性を保持し、リスク管理を適切に行うことで達成できることになります。

 このアプローチは、確かに重要な役割を果たしています。しかし、そうした伝統的なアプローチに基づく努力を積み重ねれば、やがては金融システムを危機から守ることができるかと言うと、そう言い切れる自信はありません。実際、これまでも金融危機が発生するたびに、ミクロプルーデンス的な観点から、金融規制・監督の見直しが行われてきました。

 こうした点に関連して、2つ質問を発してみたいと思います。第1の質問は、「法的に有効なネッティングは、金融システム全体のリスク削減に寄与してきたのであろうか」というものです。確かに、ネッティングはカウンターパーティリスクの削減という点で意味があったと考えられます。しかしながら、一旦リスクがある程度削減されると、金融機関はより大きなリスクをとろうとします。その結果、ネッティングがマクロ的なリスクを削減することに寄与したかどうかは、必ずしも明らかではありません。

 第2の質問は、「低インフレ、高成長、低金利という良好な経済環境に将来再び直面した場合、金融機関は、レバレッジの拡大といった戦略とは異なる戦略をとるだろうか」というものです。確かに、今回の金融危機の教訓に学び、慎重な戦略をとる先も存在するでしょう。しかし、多くの先では、厳しい競争のもと、株主のROE(資本収益率)引き上げ要求に抵抗することが難しいのではないでしょうか。

 こうした事例は、マクロレベルとミクロレベルの双方の視点から金融機関のインセンティブを分析する必要があることを示しています。金融機関のインセンティブは、ミクロレベルの金融規制・監督の枠組みだけでなく、——重要な点ですが——マクロレベルの金融・経済環境によっても規定されます。ミクロレベルのインセンティブの問題としては、金融機関が「大き過ぎてつぶせない」(“too big to fail”)という問題にどう対処するかが、最大の論点となりますが、マクロレベルでは、金融政策が重要なポイントとなります。そこで本日は、バブルに対する金融政策対応に主として焦点を当てたいと思います。そのうえで、金融規制・監督についても、若干触れたいと思います。

リスクテイキング・チャネルの重要性

 今回のグローバルな金融危機発生以前において、バブルに対する金融政策の対応について支配的であった見解は、次の2点に要約されます。第1は、金融政策は、バブルが崩壊するまでは、資産価格変動がファンダメンタルズに基づくものであるか否かにかかわらず、将来のインフレや成長率に影響を与える限りにおいてのみ、資産価格変動に対応すべきであるというものです。この場合、金融政策がそうした範囲を超え、追加的な措置(extra operation)をとることは不適当ということになります。ここで追加的な措置とは、テイラールールのような政策ルールから意図的に逸脱する政策決定を意味しています。第2は、バブル崩壊後は、バブル期とは対照的に、中央銀行は能動的に行動する必要があるというものです。金融政策は、バブルが崩壊した後においては、バブル崩壊から生じる負の影響に対し積極的に対応する、事後的措置(mop-up operation)をとるべきということになります。これらの2つの考え方は、一般に、バブルの発生をリアルタイムで認識することが非常に難しいこと、金融政策のみによる予防的措置では、金利の大幅な上昇を必要とし、経済活動への負の影響が極めて大きくなることを論拠にしています。

 バブルに対する金融政策の対応を議論する際には、金融政策の波及経路をどう理解するかが極めて重要です。ニューケインジアン・マクロ経済学に代表される近年の金融政策分析では、インフレ率と産出量を安定化させる最適金融政策に研究の力が注がれてきました。インフレ率や経済成長のボラティリティの低下は、それ自体経済厚生を間違いなく改善させるものですが、経済のダイナミクスは、それだけでは終わりません。一旦、マクロ経済が安定化すると、標準的なニューケインジアン・マクロ経済学では考慮されていない波及経路が重要になってきます。これは、しばしば、金融政策の「リスクテイキング・チャネル」と呼ばれています。

 具体的には、良好な経済・金融情勢のもと、経済主体のリスク認識やリスク許容度は、徐々にではありますが着実に変化し、そのリスクテイク姿勢に影響を及ぼします。これにより、金融機関の貸出やレバレッジの拡大が進み、背後で金融面の不均衡の蓄積につながります。このような不均衡は、ある閾値を超えると、何らかのショックを機に突然顕在化します。この結果、金融システムが不安定化し、経済活動は著しく悪化します。

 リスクテイキング・チャネルは様々な形態をとります。第1に、満期構成のミスマッチとして現れます。金利が引き下げられると、金融機関は、短期借入れ・長期貸出しによって満期構成のミスマッチを拡大させます。これにより、非金融民間部門の流動性制約は緩和され、経済活動が刺激されます。また、金融機関は、例えば、SIV(structured investment vehicle)を利用した証券化商品への投資などを通じて、オフバランスでも満期構成のミスマッチを生成します。さらに、今回の金融危機に先行するクレジットブーム期において、クロスボーダーの貸出が急増したように、金融機関は、国境を越えても、満期構成のミスマッチを造成します。

 第2に、リスクテイキング・チャネルは、資産価格の上昇として現れます。資金のアベイラビリティは、資産価格に直接的な影響を与えますが、より重要な点として、当該資産の市場流動性への影響を通じて、間接的にも資産価格に影響を与えます。資金調達が容易化し、市場参加者が拡がると、市場取引は売買双方向で容易となり、市場流動性が加速的に増大します。資産価格の上昇と市場流動性の増大は、投資家のリスク許容度を高め、資産価格をさらに押し上げます。結果的に経済活動は刺激されることになります。

 さらに、今申し述べた2つのリスクテイキング・チャネルの形態は、互いに密接に関連しています。満期構成のミスマッチ拡大は、一般にレバレッジの拡大を伴い、資産価格を刺激します。さらに、資産価格が高まると、今度は、満期構成のミスマッチとレバレッジの拡大を容易にします。

 リスクテイキング・チャネルを考慮すると、金融政策運営に当たって、以下の2点を認識することが極めて重要です。第1に、銀行は、金融政策効果の波及の媒体として重要な役割を果たしています。銀行行動は、金融仲介における銀行部門のシェアにかかわらず、経済に大きな影響を与えます。例えば、金利引き下げの過程では、満期構成のミスマッチの拡大と資産価格の上昇は、いずれも銀行のバランスシートに反映されます。良好な経済・金融情勢のもとで上昇局面にある時には、満期構成のミスマッチと資産価格の間の増幅プロセスは徐々にではありますが着実に進行し、いずれにせよ、金融システムにおけるリスクが顕在化することはないようにみえます。しかし、一旦局面が反転すると、事態は急激に悪化します。満期構成のミスマッチは、資金流動性の不足を先鋭なものとします。さらに、資産価格の急激な低下は、資本不足をもたらすとともに、市場流動性の低下と相俟って、証拠金積み増しや担保価値低下を通じて、さらなる資金流動性の不足をもたらします。これらは、最終的に銀行のバランスシートを直撃します。

 第2に、上昇局面と下降局面の間には、非対称性が存在しています。上昇局面はゆっくりとしか進行しませんが、下降局面は、資金流動性の不足に対して銀行が待ったなしの対応を迫られますので、非対称的に速いスピードで進みます。さらに、一旦コンフィデンスが失われると、その修復には長い時間がかかります。金融市場参加者が指摘するように、クレジット・ラインを切るのは一瞬でできますが、これを再構築するのには、はるかに長い時間がかかります。

金融政策を巡る論点

事後的な措置(Mop-up Operations

 以上のようなリスクテイキング・チャネルに関する理解を前提にすると、バブル崩壊の前後における非対称な金融政策は、どのような帰結をもたらすでしょうか。仮に中央銀行がバブルの崩壊まで金融政策対応を行わないとコミットしたと受け取られてしまうと、民間経済主体は間違いなくこの根拠のない期待をもとに行動するでしょう。すると、満期構成のミスマッチと資産価格の上昇が加速し、その結果、バブルは一層拡大し、バブル崩壊後の落ち込みもより深刻化します。

 標準的なニューケインジアン・マクロ経済学の基本的なメッセージの1つは、「民間部門のフォワードルッキングな行動を前提にした場合、コミットメント政策は経済の安定をもたらす上で有効である」というものです。標準的なニューケインジアン・マクロ経済学は、リスクテイキング・チャネルを取り込んでいませんが、その基本的なメッセージは、バブルに対して金融政策が対称的に対応していくことの重要性を示唆しています。

追加的な措置(Extra Operations

 では、バブルに対する追加的な措置(extra operation)については、どう考えればよいでしょうか。資産価格の変動は、それがインフレや成長率に影響を与える限りにおいてのみ考慮すべきという命題自体には、私も異論はありません。しかし、ここで真に問われるべき問題は、「インフレや成長率に影響を与える限りにおいてのみ」という表現を、金融政策の実践上、どう理解するかであると思われます。

 今申し述べたリスクテイキング・チャネルを通じた波及メカニズムの時間的パターンは、住宅投資や設備投資といった通常の金利チャネルを通じた波及メカニズムの時間的パターンと大きく異なります。リスクテイキング・チャネルにおいては、前半のプラス効果と後半のマイナス効果の発現の仕方は非対称的です。そして、何よりも、マイナス効果の発現タイミングに、著しく大きな不確実性を伴います。こうしたリスクテイキング・チャネルの特性から、中央銀行が道具として用いる通常のマクロ経済モデルには、満期構成のミスマッチや資産価格から生じる効果が、短期についても長期についても、十分取り込まれていません。

中央銀行の政策課題

 今回の金融危機の経験を踏まえて、中央銀行がとるべき対応を巡る論点をいくつか提起したいと思います。

バブルに対する金融政策の対応

 第1は、バブルに対する金融政策の対応です。この問題は、金融政策がバブルの流れ、すなわち過剰な資産価格上昇に対し逆らうべきかという形で、しばしば単純化された議論が行われてきました。しかし、この論点をこのように考えることは、議論をいたずらに混乱させるだけのように思います。いかなるセントラルバンカーも、金融政策のみでバブルを防ぐことができるとも、防ぐべきであるとも考えていないと思います。

 より適切な論点の立て方は、「インフレ率以外のすべての指標が政策の引き締めを必要とする兆候を示している状況、すなわち、資産価格が上昇し、貸出やレバレッジ、満期構成のミスマッチが拡大すると同時に、経済が過熱する一方で、インフレ率のみが低位安定している状況において、金融政策をどのように運営すべきか」ということだと思います。私の答えは、金融政策面での対応は、いずれにせよ必要であり、それを追加的な措置と呼ぶかどうかは、言葉の解釈の問題にしか過ぎないと思います。もちろん、過剰の蓄積は金融政策のみで抑止することはできず、他の政策手段との組み合わせによって対処していく必要があることは急いで付け加えておかなければいけません。この点は、金融政策以外の政策手段の役割という第2の論点につながります。

2つの目標と2つの政策手段か

 物価安定と金融システムの安定という2つの目的を達成するには、2つの政策手段が必要であるとの主張がしばしば聞かれます。最低自己資本比率のプロシクリカリティを緩和させる形での(countercyclical)運用を始め、プルーデンス政策手段を構築していく必要性が活発に議論されています。そうしたプルーデンス政策手段構築の必要性に異論はありません。そう申し上げたうえで、金融システムの安定を巡る問題を議論する際に、ティンバーゲンの原理を援用することが妥当性を有するのでしょうか。

 2つの目標は、独立したものではなく、密接に関連しています。この点、今日の物価安定と今日の金融システムの安定の間に同時点におけるトレードオフが存在するようにみえます。しかしながら、真のトレードオフは、むしろ、今日の経済の安定と明日の経済の安定の間の異時点間におけるトレードオフとして存在しています。そうだとすると、物価安定と金融システムの安定は、独立した目標というより、単に時間的視野の違いということになります。その場合、中央銀行は、2つの目標のために2つの政策手段を必要としていると考えるのではなく、1つの大きな目標を達成するために1つの大きな道具箱を必要としていると言うべきなのではないかと思います。

規制の対応力

 第3は、金融規制・監督を巡るミクロレベルの論点です。論点は多岐にわたりますが、ここでは、金融機関の多様性への金融規制の対応力に焦点を当てたいと思います。金融機関の多様性は、外的ショックに対する金融システムの頑健性を高めていくうえで、極めて重要なものです。その一方で、自己資本比率規制や流動性規制などの金融規制について、こうした多様な金融機関を一律的に取り扱うような制度設計がなされると、金融システムの頑健性が損なわれるリスクをもたらしかねません。

 もし、規制資本(regulatory capital)が経済資本(economic capital)よりも高い水準に設定されると、株主から金融機関に対してかかる収益獲得への圧力はより深刻なものになるでしょう。金融史が語るように、過剰な資本も過小な資本も問題を引き起こしてきました。この点、過剰資本は、金融の不均衡を累積させることにつながりえます。リスク計測の枠組みが不適切であり、そうしたリスク計測の枠組みに基づいた最低所要自己資本が必要以上に高いとすると、個々の金融機関に対し、誤ったインセンティブをもたらし、マクロ経済を不安定化させる源泉となりかねません。

 金融機関の自己資本や流動性の状況は、そのビジネスモデルに大きく左右されます。金融機関のビジネスモデルは、国により、時代により、また金融機関により異なります。問題は、規制当局がビジネスモデルを評価できるかどうかです。ビジネスモデルの違いを踏まえ、自己資本比率規制を見直していくことは、金融政策の運営のあり方と同様、重要な政策課題だと言えます。

結び

 結びにあたり、経済全体としてのリスクテイクの規模を決める要因は結局のところ何であるかを自問してみましたが、単純な回答はないように思います。しかしながら、将来の危機を防ぐうえで、ミクロ・マクロ両面からのアプローチが必要とされていることは間違いありません。

以上