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【挨拶】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」

函館市金融経済懇談会における挨拶

日本銀行副総裁 山口 廣秀
2009年7月22日

英訳は、Recent Economic and Financial Developments and the Conduct of Monetary Policyをご覧下さい。

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.わが国の経済・物価情勢
    1. (1)わが国経済の現状
    2. (2)わが国経済の先行き
    3. (3)物価の動向
    4. (4)企業金融の動向
  3. 3.金融と実体経済の負の相乗作用
  4. 4.日本銀行による金融政策運営
  5. 5.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の山口でございます。本日は、函館および道南地区の金融・経済界を代表する皆様にお集まり頂き、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。

 また、皆様には、日頃より、函館支店によるヒアリングや各種のアンケート調査にご協力頂いていると思います。こうして得た情報は、わが国の金融経済情勢を把握し、金融政策を運営していくに当たり、大いに活用させて頂いています。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

 函館は、わが国最初の国際貿易港として、日本の近代化、国際化の扉を開いた街であり、その後も、わが国および北海道経済の中で極めて重要な役割を果たしてきています。日本銀行も、明治26年に、現在の支店の中では大阪支店に次いで全国2番目に、当時の函館出張所、現在の函館支店を開設しました。これは、函館商工会議所が創立される2年前の出来事です。その後100年以上に亘り、この地で中央銀行業務を続けることができたのは、地元経済界を始め、地域の皆様のご理解とご支援のおかげと考えております。

 ところで、函館出張所の開設から約10年後、川田龍吉氏が当地造船会社の役員として函館に赴任してきました。彼は、本業の傍ら、現在の七飯町に農場を開き、北海道の気候に適した馬鈴薯の栽培を始め、生涯、この地で、その普及に尽力しました。彼が男爵位を持っていたことから、その馬鈴薯は男爵薯と呼ばれ、今では北海道の名産品となっています。ここまでは、皆様もよくご存知のお話かと思います。ただ、この龍吉氏に爵位を譲った彼の父親が、実は、函館出張所を開設した日本銀行第3代総裁、川田小一郎であったことは余り知られていないように思います。こうしたところにも、当地と日本銀行のご縁があったのかと感じています。

 さて本日は、皆様と意見交換させて頂くのに先立ち、私から、わが国経済の現状と先行きについてお話します。また、昨年秋以降の厳しい経済情勢に対応するため、日本銀行がどのような政策運営を行ってきたのかについてもご説明したいと思います。

2.わが国の経済・物価情勢

(1)わが国経済の現状

 それでは先ず、わが国経済の現状から話を始めたいと思います。

 昨年秋以降、わが国が経験した景気の悪化は、「崖から落ちるような」と表現されるほど急激かつ大幅なものでした。幸いなことに、このところ、そうした状態には歯止めがかかってきています。日本銀行では、毎月、金融政策決定会合と呼ばれる会議を開き、総裁を含めた8名の政策委員が、わが国の金融経済情勢について議論し、当面の金融政策に関する方針を決定しています。今月の会議は先週開催しましたが、そこでは、わが国の景気の現状について、「下げ止まっている」と判断しました。

 こうした判断の背景についてやや詳しくご説明します。

 景気下げ止まりの原動力となっているのは、自動車や電気機械を中心とした輸出と生産の回復です。自動車については、海外現地在庫を始めとする在庫調整の進捗などから回復傾向が明確化しています。最近では、4月から実施されている新車購入促進策を受けて、ハイブリッドカーを中心に増産の動きが拡がりつつあります。また、電子部品については、国内外での在庫調整が進んだことや、中国における内需刺激策などを背景に、春先頃より、海外からの受注が大幅に増加し、生産が持ち直しています。特に、薄型テレビ、携帯電話、パソコン向けの受注が回復しています。電子部品だけでなく、完成品の生産も、薄型テレビなどを中心に足もと増加しており、今後も、「エコポイント制度」による販売押し上げ効果などから、比較的堅調な足取りを期待する声が聞かれます。私どもの函館支店からは、一頃大幅な減産を余儀なくされた当地の電子部品メーカーでも、最近では、操業度が上向いてきているとの話を聞いております。

 このほか、公共投資も、昨年度来の一連の経済対策を受けて増加しています。実際の数字をみてみると、公共工事の発注の動きを示す全国の公共工事請負金額は、1~3月に前年比でみてプラスに転じた後、4~5月については1割を上回る増加となりました。全国と同様、道南地区の請負金額も、このところ持ち直しています。

 こうした一方で、国内民間需要、つまり設備投資や個人消費については、企業収益の低迷が続き、雇用・所得環境が厳しさを増す中で、引き続き、弱まっています。先日発表した私どもの短観をみると、本年度の企業の設備投資は前年比2割近く減少する計画となっています。個人消費については、家電販売額が増加しているほか、乗用車の新車登録台数もこのところ持ち直してきていますが、百貨店・スーパーなどの売上げは、引き続き減少傾向を辿っています。また、旅行取扱額の落ち込みも続いています。このように、昨年秋以降の輸出の急減と大幅な減産の影響が、国内民間需要に遅れて波及してきています。現在は、輸出、生産の持ち直しと、設備投資、個人消費の弱さが、綱引きをしている状態にあると思います。

(2)わが国経済の先行き

 次に、わが国経済の先行きについてご説明します。

 只今申し上げたとおり、日本経済には、現在、プラス、マイナス両方向の動きがあります。先行き、このうちのどちらが勝るかということですが、日本銀行は、中心的な見通しとしては、「本年度後半以降、わが国経済は持ち直していく」という姿を想定しています。今後、国際金融資本市場が落ち着きを取り戻し、海外経済も回復に向かうと見込まれるほか、国内でも、積極的な財政・金融政策などの効果が期待されます。このため、輸出の増加に加え、設備投資や消費も徐々に回復していく道筋が考えられます。

 株価をみても、依然として不安定な動きが続いていますが、一頃の低迷からは脱したように窺われます。日経平均株価は、足もと9,000円台半ばで推移しており、バブル崩壊後の最安値を更新した3月上旬と比べれば、30%以上上昇しています。また、政府が発表した「景気ウォッチャー調査」や「消費動向調査」をみると、春先以降、景気に対する企業や消費者の悲観的な見方が後退しています。先日の短観でも、製造業を中心に、景況感の悪化に歯止めがかかっていることが確認されました。これらは、基本的には、最近の景気下げ止まりの動きや、各種の政策効果に対する期待などを反映していると考えられます。

 もっとも、こうした市場や人々の期待の改善度合いが、わが国経済の今後の回復力、つまり回復の力強さやその持続性と整合的か、という点については、もう少し詳しい点検が必要だと思います。

 先ほど、最近の景気下げ止まりについて、輸出や生産の動きからご説明しましたが、こうした動きの背後に何があるかを確認してみます。改めてまとめると、大きく3つあると思います。1つ目は、国内外における在庫調整がかなり早いペースで進んでいることです。2つ目は、各国において積極的な財政・金融政策、あるいは金融システム安定化のための施策が幅広く実施されていることです。そして3つ目が、経済の先行きに対する極端な不安心理が薄れてきていることです。しかし、こうして整理してみると、これら3つの要因は、それだけでは経済が自律的に回復し続けること、言い換えれば、民間の最終需要が持ち直してくることを保証するものではないということに気づきます。例えば、大規模な財政政策は、経済の落ち込みを一時的に和らげる効果はあるとしても、将来に亘っていつまでも頼り続けるわけにはいきません。わが国経済の回復力は、現在の在庫調整が一巡した後、財政政策などの助けなしに、民間の最終需要、すなわち、輸出や消費、設備投資が自らの力でどれだけしっかりと持ち直していくか、ということに依存しています。

 そして、この点については、次に述べるような要因もあり、現時点では、なお不確実な面が大きいと考えています。

 第1に、今後のわが国の最終需要の動向は、海外の経済情勢に大きく依存します。一昨年夏のサブプライムローン問題発生後、証券化商品の価格下落などによって、米欧の金融機関の財務内容は大きく悪化し、現在もなお、不良資産の処理が続けられています。こうした中、今後、企業業績の低迷が長引いたり、資産価格の下落が続いたりした場合、これが、金融機関の経営体力を更に低下させ、融資姿勢を慎重化させることにより、海外の景気を一段と押し下げる可能性があります。このように、金融と経済が互いにマイナスの影響を及ぼし合って落ち込んでいく現象は「金融と実体経済の負の相乗作用」と呼ばれ、昨年以降、米欧を中心に大きな問題となってきました。「負の相乗作用」については後ほど改めてご説明しますが、今後、海外でこうした現象が再び強まると、輸出の減少を通じて、わが国経済にマイナスの影響を及ぼす可能性があります。

 第2の不確実要因は、「企業の中長期的な成長期待」の変化が経済にもたらす影響です。すなわち、わが国の企業において、今後、経済の先行きに対する見方がどのように変化し、これが設備投資や、ひいては個人消費にどう影響するのかという点です。例えば、海外経済の回復が遅れたり、想定外に悪化したりすると、将来の経済に対する企業の見方が一段と慎重になる可能性があります。その場合、各企業では、そうした経済見通しを前提に今後の事業計画や人員計画を立てるでしょうから、結果的に、設備投資が更に減少したり、雇用環境が悪化して個人消費が伸び悩んだりする可能性があります。

 経済の先行きを不透明なものとする要因はほかにもいくつか存在し、想定以上に景気が上向く可能性もあります。ただ、日本銀行としては、只今申し上げた点を中心に、下向きに振れる可能性により注意が必要な状況にあると考えています。こうした点を含め、今後とも、毎月の金融政策決定会合において、経済全般の動きを丁寧に点検していきたいと思います。

(3)物価の動向

 ここまで景気の動きを中心に話を進めてきましたので、物価についてもお話したいと思います。

 昨年夏にかけて、原油や穀物の価格が大きく上昇したことは、皆様もご記憶のことと思います。その当時、生鮮食品を除いた消費者物価指数の前年比上昇率は2%台半ばまで上昇しました。これは、消費税引き上げによる影響を除けば、1992年6月以来、16年ぶりの大幅な上昇率でした。もっとも、その後は、石油製品価格の下落や食料品価格の落ち着きを反映して消費者物価は下落に転じ、最近では前年比マイナスとなっています。当面は、昨年の物価上昇の反動から前年比マイナス幅が拡大するとみていますが、本年度後半から2010年度にかけては、景気の緩やかな持ち直しなどを背景に、マイナス幅は縮小していくと予想しています。

 ところで皆様は、どのような状態のときに、「物価が安定している」と感じるでしょうか。概念的には、「物価の安定」とは、次のような状態を指すものと考えられています。すなわち、「企業や家計といった様々な経済主体が、物価水準の変動を気にすることなく、投資や消費などの経済活動に関する意思決定を行うことができる状況」です。このため、企業や家計が、日頃、どの程度の物価変動を前提として経済活動を行っているかが重要なポイントとなります。この点については、過去の歴史、すなわち、企業や家計が、これまでどのような物価上昇率を実際に経験してきたかにも大きく依存します。わが国の場合、過去数十年間という期間で捉えてみると、海外主要国に比べ物価上昇率は際立って低い状況が続いています。例えば、1985年以降の消費者物価の上昇率をみると、わが国では、平均して前年比プラス0.7%である一方、米国や英国では、プラス3%前後となっています。こうした点などを踏まえ、現在、日本銀行の政策委員が、中長期的にみて物価が安定していると考える物価上昇率は、消費者物価指数の前年比で0~2%程度の範囲内にあり、委員毎の中心値は、大勢として、1%程度となっています。

 そう申し上げると、皆様の中には、消費者物価が、当面、前年比マイナスになることとの関係をどう考えたら良いのか疑問をもたれる方がいるかも知れません。この点については、先ず、「物価の安定とは、あくまで中長期的な概念である」ということをご理解頂きたいと思います。特に、経済にこれだけ大きなショックが加わると、現実の物価上昇率が短期的に大きく変動することは、どうしても避けられません。その上で申し上げたいことは、日本銀行としては、そうした状況においても、「物価の下落が、デフレスパイラルにつながらないようにすることが何よりも大事である」と考えているということです。デフレスパイラルとは、物価下落が景気を悪化させ、そうした景気の悪化が更なる物価下落をもたらす悪循環のことです。先ほど申し上げたとおり、日本銀行では、中心的な見通しとして、物価のマイナス幅は一旦拡大するものの、本年度後半以降は、景気の持ち直しに伴い、物価のマイナス幅も縮小していく姿を想定しています。従って、現時点では、わが国経済がデフレスパイラルに陥り、物価安定の状態からどんどん離れていってしまう可能性は低いと考えています。

(4)企業金融の動向

 続いて、最近の企業金融の動向についてご説明します。

 日本銀行では、わが国の金融環境は、「なお厳しい状態にあるものの、改善の動きが続いている」と判断しています。例えば、昨年秋のリーマン・ブラザーズの破綻直後、CP・社債の発行は著しく困難化し、金利も急激に上昇しましたが、その後、これらの発行金利は大きく低下し、社債の発行銘柄も拡大しています。このように、CPや社債の発行環境は着実に回復しています。また、特に大企業では、最近の在庫削減の動きを背景に、運転資金需要が後退しているほか、昨年秋以降にみられた手元資金積み増しの動きも一服しているため、資金繰りは改善傾向にあります。中小企業についても、政府による緊急保証制度が、資金繰りに対する下支え効果を発揮しています。実際、先日の短観を始め、各種の調査結果によると、企業の資金繰りや金融機関の貸出態度については、大企業、中小企業とも幾分改善しています。

 こうした一方で、例えば、下位格付け先の社債発行は依然低い水準に止まっています。また、資金繰りや金融機関の貸出態度については、幾分改善し始めているとはいえ、全体としては、なお厳しいとする先が多いことに変わりありません。

 先行きの企業金融についても、このまま改善の動きが拡がっていくのかどうか、不確実な面があります。わが国の金融機関は、サブプライムローン問題の発生後も相対的に安定した経営を維持しており、米欧のように、金融機関の破綻が現実の問題となっている訳ではありません。しかしながら、2008年度の金融機関の決算は、業務純益の減少や有価証券損益の悪化などから、銀行では5年ぶり、信用金庫では6年ぶりの最終赤字となりました。こうした中、今後の景気動向や企業業績次第ではありますが、先行き、企業の信用力に対する金融機関や市場の見方が厳しさを増す可能性は否定できません。そうなると、金融機関の融資姿勢が慎重化し、企業を巡る金融環境が十分に改善していかない可能性もあります。日本銀行としては、全国の支店ネットワークも活用しながら、引き続き、企業金融の動向について丹念に点検していきたいと考えています。

3.金融と実体経済の負の相乗作用

 ここで少しお時間を頂いて、先ほどお話した「金融と実体経済の負の相乗作用」についてやや詳しくご説明したいと思います。余り馴染みのない言葉かも知れませんが、これは、今回の世界的な景気後退の背景を理解し、経済の先行きを見通すうえで、キーワードのひとつとなります。

 以下では、先ず、「金融」を「金融機関」と、「実体経済」を「景気」と言い換えて、ご説明を始めることとします。

 金融機関は、預金者から預かった預金を原資として、多くの企業や個人に資金を融通するという、金融仲介機能を担っていることから、その経営の健全性が確保されるよう、銀行法を始め、多くの規制に服しています。そのひとつとして、金融機関が抱えるリスクの総量、例えば、融資先の企業が倒産する可能性の大小に応じて、一定水準以上の自己資本を用意しておくことが義務付けられています。逆に言えば、金融機関は、自己資本額から計算した一定量までしかリスクをとることができません。絶対倒産しない企業は存在しませんから、金融機関からみれば、企業に対する貸出は、常になにがしかのリスクを抱えています。金融機関は、こうしたリスクの合計額が、自らに許されたリスクの総量を超えないよう、貸出の額を管理する必要があります。

 例えば、株価の下落や貸出先の倒産などに伴って銀行に大きな損失が生じ、自己資本が減少すると、銀行がとることのできるリスクの総量も、それまでより減少します。この場合、銀行は、リスクを伴う貸出を行うことについて以前よりも慎重になるでしょう。企業からみれば、銀行からの借入れが以前より難しくなります。もし、これによって多くの企業が事業を圧縮すれば、景気も悪化します。中には、経営が悪化し、倒産する先も出てきます。すると、貸出先の倒産に伴う損失を処理するために銀行の自己資本は更に減少します。そうなれば、銀行の貸出姿勢は一段と厳格化し、更なる倒産や景気の悪化をもたらすことになります。このように、自己資本の減少に伴う貸出姿勢の慎重化が、景気の悪化を招き、それが、自己資本の更なる減少と貸出姿勢の一層の厳格化を通じて、景気を一段と悪化させることになります。こうした悪循環に陥っていくのが「金融と実体経済の負の相乗作用」といわれている現象です。

 いま、銀行貸出を例に挙げて説明しましたが、大企業などでは、銀行からではなく、CPや社債市場を通じて資金を調達することがあります。また、中小・中堅企業に対しては、取引先企業や親会社が資金を融通することもあります。いわゆる企業間信用です。CP・社債市場で資金を提供する投資家も、他の企業に資金を融通する会社も、自らの財務の健全性を確保するためには、必要以上に大きなリスクをとることはできません。つまり、「負の相乗作用」は、先ほど述べた銀行貸出だけでなく、金融市場や企業間信用を含め、およそ金融活動と呼ばれる全てのルートを通じて発生する可能性があります。

 今回の世界的な景気後退には、こうした「金融と実体経済の負の相乗作用」が大きく影響しています。サブプライムローン問題の発生以降、財務内容が大きく悪化していた米欧の金融機関では、リーマン・ブラザーズの破綻に伴う金融市場の混乱をきっかけに、リスク回避の姿勢を極端に強めました。特に米国などでは、経済の悪化に伴う不動産価格の下落や消費者ローンの延滞増加の影響なども加わって、深刻な「負の相乗作用」が拡がりました。更には、ここ数年、米欧の大手金融機関や投資家は、中東欧やラテンアメリカといった新興国に対する資金供給のパイプ役となっていたため、「負の相乗作用」は、国境を超えて全世界的な規模で拡がったのです。

 このように、「負の相乗作用」が経済に与えるインパクトは非常に大きいものがあります。しかも、次に述べるような厄介な問題を抱えており、政策当局に対し、非常に難しい対応を迫るものでもあります。

 第1の問題は、「負の相乗作用」は、はっきりとした前触れがない中で一気に進行するという性質を持っているため、これを事前に予測することが難しく、必要な政策対応が遅れる可能性があるということです。株価の下落や貸出先の倒産等により、金融機関の損失が拡大していったとしても、その損失を吸収し得る十分な自己資本を有していれば、金融機関の金融仲介機能が直ちに損なわれることはありません。金融機関のとることができるリスク量は徐々に減っていきますが、この段階では、自己資本という体力がまだ十分にあるため、風邪の症状に例えれば、体温を測る必要を感じるまでもないような、ごくごく「微熱」の状態に止まっています。しかし、自己資本に対する損失の比率がある臨界点を超えると、金融機関は、自己資本が不足気味であることを強く意識するようになり、リスクをとることについて急速に慎重になる可能性があります。「微熱」が続いたことで、体力が低下し、一気に病状が悪化するようなものです。そして、経済全体の悪化により、同じような症状が多くの金融機関に生じれば、「負の相乗作用」が急速に拡大していくことになります。中央銀行を始め、政策当局としては、金融機関や市場関係者との密接な情報交換に努め、経済の動きが、金融機関の体力や症状、すなわち、自己資本や貸出姿勢にどのような影響を与えるのか、早い段階から目を凝らしてみていく必要があります。

 第2の問題は、一旦「負の相乗作用」が強まり始めると、これを食い止めることが非常に難しいということです。金融と実体経済が悪循環に陥る中にあっては、どちらか片方だけに対応するのでは問題を完全に解決できません。このため、金融機関の資本基盤の強化や不良債権の切り離しといった、金融システムの安定を取り戻すための措置に加え、経済全般を下支えする政策、例えば、金利の引き下げや財政による景気刺激策を実施するなど、総合的な対応を講じることが必要となります。

 わが国では、1990年代初めにバブルが崩壊した後も、暫くの間、「負の相乗作用」は大きな問題として意識されませんでした。しかし、その間も金融機関の体力は少しずつ蝕まれており、90年代後半になって「負の相乗作用」が一気に進行したのです。ここで初めて、金融機関に対する最初の公的資本注入が行われました。しかし、当初の資本注入だけでは「負の相乗作用」を食い止めるには不十分であり、その後、金融仲介機能と景気が本格的に回復するまでに、多くの追加的な対策と数年の期間を要したのです。こうした苦い経験は、我々自身、忘れてはなりませんし、機会を捉えて、海外の政策当局者にも伝えていきたいと思っています。

 今回、わが国でも、株価が大きく下落した春先にかけて、「負の相乗作用」の強まりを懸念する声が数多く聞かれました。しかし、幸いなことに、景気の大幅な悪化にもかかわらず、これまでのところ、そうした状況には陥っていません。その理由のひとつとして、わが国金融機関の財務内容が、相対的に安定していることを指摘できると思います。加えて、政府の緊急保証制度が、民間金融機関に代わり、貸出に伴うリスクの一部を引き受けていることや、昨年12月の法律改正により、公的資本注入の枠組みが整備されたことも、「負の相乗作用」の防止に寄与していると思います。更に、日本銀行でも、金融機関が保有する株式の買取りや、金融機関に対する劣後ローンの供与といった仕組みを用意しました。こうした私どもの措置は、わが国の金融機関が、株価下落や貸出に伴うリスクの増加を懸念する状態になっても、必要な自己資本を確保し得る手段を提供し、それを通じて、円滑な金融仲介機能を維持していくことを狙いとしています。

 他方、昨年秋以降、大規模な「負の相乗作用」に見舞われた米欧でも、様々な政策対応が矢継ぎ早に講じられています。米国では、公的資本注入や不良資産の買取りといった金融システム対策や、総額約75兆円に上る大規模な財政政策が展開されています。米国の中央銀行であるFRBでも、金利の引き下げを始め、様々な金融緩和策を積極的に講じています。住宅や商業用不動産の価格下落が続いているなど、なお予断を許さない状況にありますが、こうした政策対応が効を奏し、「負の相乗作用」が次第に収束に向かっていくことを期待しています。

 金融と実体経済の関係について、最後に1点付け加えたいと思います。ここまで、景気悪化局面において金融と経済が下向きに落ち込んでいくことについてお話してきましたが、景気拡大局面では、これとは反対方向の現象が生じる可能性があります。例えば、景気拡大に伴う利益の蓄積を通じ、自己資本が増加すれば、金融機関のとることができるリスクの総量も増加します。これにより金融機関の貸出姿勢が積極化すれば、景気は一段と押し上げられます。このように、金融機関の自己資本の増減は、その貸出姿勢の変化を通じて、景気の変動を上下両方向に増幅させるひとつの要因となっています。今回の大幅な景気後退と、それに先立つ世界的な景気の過熱を経験し、現在、国際的には、こうした景気変動の増幅を緩和することを目指し、金融機関に対する具体的な規制のあり方を含めた幅広い議論が活発に行われています。

4.日本銀行による金融政策運営

 以上、わが国経済の現状と先行きについて、海外経済の動向も交えながらご説明してきました。続いて、一部は既にお話しましたが、日本銀行による最近の政策運営についてご説明します。昨年秋以降、日本銀行は、わが国経済の大幅な悪化と厳しい金融環境を踏まえ、様々な措置を実施してきました。本日は、その中でも代表的なものに絞ってお話したいと思います。

 先ず、金利の引き下げです。日本銀行では、経済活動を金融面から支援するため、政策金利である無担保コールレート・翌日物の誘導目標を0.5%から0.1%に引き下げました。金利の引き下げは、中央銀行が経済の需要を増加させようとするときに行う最もオーソドックスな対応です。通常、中央銀行が短期の政策金利を変更する場合、その影響が、金融市場におけるより長めの金利や、企業の資金調達金利に波及していくことを想定しています。しかしながら、金融市場が不安定であったり、金融機関や投資家がリスクをとることに過度に慎重になるなど、金融仲介機能が十分に働いていない場合には、金利引き下げの効果は、経済全体に対し、期待していたほど波及していかないことになります。

 リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけとした米欧金融市場の混乱は、昨年秋以降、わが国の金融市場にも様々な悪影響を及ぼしました。例えば、金融機関が資金を融通し合う短期金融市場では、資金調達圧力の高まりから、取引レートが高止まりする状況が続いたほか、CPや社債市場では、資金の出し手がいなくなり、これが、企業金融全体の逼迫に繋がりました。このため、日本銀行では、金利引き下げの効果が十分に発揮されるよう、様々な追加的措置を実施してきました。

 1つ目が、短期金融市場の安定を確保するための積極的な資金供給です。具体的には、金融機関が日本銀行から資金を調達する際に利用できる担保の範囲を拡大したり、日本銀行が金融機関から買入れる国債の額を増やすといった措置を実施しました。金融機関に十分な資金が行き渡り、金融市場が安定化すれば、金利低下の効果がよりスムーズに波及するとともに、企業の資金調達にも安心感を与えることができると考えています。

 2つ目が、企業金融の円滑化を支援するための措置です。例えば、CP・社債市場の取引が急減し、金利が大幅に上昇したことを踏まえ、企業が発行したCPや社債を金融機関から買入れる措置を実施しています。また、CPや社債、民間企業向け証書貸付債権などを担保として、その範囲内であれば金額に制限なく、金融機関に対して低金利で貸付を行う仕組みを導入しました。こうした措置の効果もあって、CP・社債市場における取引は再び活発化し、金利も低下するなど、企業の資金調達環境は改善してきました。なお、これらの措置によってメリットを受けるのは、CPや社債を発行する大企業に限られる訳ではありません。大企業の資金調達環境が改善すれば、これを起点とした企業間信用の条件が、金利水準や返済期日の面で緩和されるなど、政策のプラス効果が中堅・中小企業にも広く波及していくと考えています。

 こうした企業金融支援措置は、わが国の金融経済情勢を踏まえ、どれも必要なものとして導入したものですが、中央銀行の政策手段としてはかなり異例の措置といえます。CP・社債の買入れは、日本銀行自身が、個別企業の経営リスクを負担するものです。このため、場合によっては、お金に対する信用の裏付けとなっている日本銀行の財務内容に悪影響を及ぼしかねません。また、CP・社債といった特定の市場に介入し過ぎると、日本銀行の買入れ対象銘柄に取引が集中するなど、本来であれば、自らの手で効率的に資金を配分するという市場の機能を却って歪める惧れがあります。更に、こうした支援措置を必要以上に長期間に亘って続けると、経済活動を過熱させ、景気や物価の変動を大きくする可能性もあります。

 従って、こうした異例の措置を、いつ、どのような形で終了するかということも、重要な政策課題です。その場合、企業金融や金融市場の動向、各措置の効果をしっかりと点検していく必要がありますし、市場に無用の混乱を生じさせないためには、市場参加者が先行きの対応を予測できるような形とすることも重要です。

 このため、これらの措置には、もともと期限を設定しています。当初、CPの買入れなどを開始した際には、本年3月末を期限としていました。しかし、年度末にかけて、金融市場や企業金融は非常に厳しい状況にあり、また、そうした状況が当面続くと見込まれたことから、2月には、当初の期限を変更し、本年9月末まで延長することとしました。そして、先週の金融政策決定会合では、更に期限を3か月延長し、企業金融支援措置を12月末まで継続することを決定しました。これは、足もとの金融環境は、改善の動きが続いているとはいえ、全体としてなお厳しい状態にある中、企業金融の円滑化を引き続き図っていくことが必要と判断したためです。

 日本銀行としては、新たな期限である12月末までには、措置の終了や見直しを行うのか、あるいは再延長するのかを決定することになります。この点に関しては、予断を持つことなく、今後の企業金融や金融市場の展開を注意深く点検したうえで、現在の措置によるサポートが引き続き必要かどうか、適切なタイミングで判断していきたいと考えています

5.おわりに

 以上、わが国の経済情勢と、日本銀行による政策対応についてご説明してきました。最後になりますが、当地経済について、本日の懇談会を前に多少勉強したことを通じて、私なりに感じたことをお話したいと思います。

 わが国の地方経済は、今回の景気悪化の影響に加え、人口の減少や高齢化といった多くの構造的な問題を抱えており、厳しい状況にあります。そうした中、将来に向けた新たなビジネス・モデルを構築しようとしても、「言うは易く、行うは難し」であることは十分承知しています。しかしながら、当地は、世界的に名高い夜景のほか、五稜郭、湯の川温泉、大沼国定公園など、数多くの優良な観光資源に恵まれています。また、主力の水産加工のほか、造船、電子部品、乳製品など多様な産業基盤が存在しています。そして、こうした観光資源や製品・技術を、日本各地や世界と結びつけることができる函館港が目の前に広がっており、交通の要衝、物流の拠点として、当地は高い潜在力を有しています。このような優位性を活かした新たなビジネス展開は、大変チャレンジングではありますが、同時に大きな可能性を秘めていると思います。皆様のより一層のご活躍と、当地経済の発展を強く期待しています。

 日本銀行としても、各地の経済活動を金融面からしっかりサポートし、わが国経済が、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰できるよう、中央銀行として最大限の貢献を行っていきたいと考えています。

 本日は、ご清聴有り難うございました。

以上