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【講演】「非伝統的な金融政策-中央銀行の挑戦と学習-」

中国人民銀行・国際決済銀行共催コンファランス(上海)における講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2009年8月8日(2009年8月12日掲載)

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目次

1.はじめに

 現在、主要国の中央銀行は、グローバルな信用バブル崩壊後の経済・金融危機に対処するため、こぞって「非伝統的な金融政策」を採用しています。この点では、日本銀行は、1990年代後半以降、間違いなく先駆者でした。本日は、1990年代後半から2000年代初にかけての日本銀行の経験も踏まえながら、非伝統的な金融政策に関する幾つかの論点について、若干の考察を巡らしたいと思います。

2.1990年代後半以降の日本銀行の金融政策運営

 最初に、本コンファレンス出席の皆様の記憶を呼び起こすため、日本銀行が前回1990年代後半以降に採用した金融政策のうち、革新的な(innovative)要素を-ただし、当時、外部の人からは必ずしも革新的とは見られていなかったものも含めて-挙げてみます。

 第1に、オーバーナイトのインターバンク金利を文字通りゼロ%、正確に言えば、0.001%まで引き下げました。第2に、当座預金残高を操作目標とした上で、所要準備をはるかに上回る水準にまで増加させる、いわゆる「量的緩和政策」を採用しました。実際、ピーク時の超過準備額は29兆円と名目GDPの5.8%に達しました。この水準は、現在のグローバルな危機のもとでの、FRBの6.2%、ECBの3.5%と匹敵するものです。第3に、資金供給オペレーションの期間を長期化しました。量的緩和政策末期の2005年には、資金供給オペレーションの平均期間は6ヶ月超となり、オペの最長期間は11ヶ月まで延長されました。第4に、ゼロ金利ないしは量的緩和政策の継続期間に関するコミットメントを行いました。第5に、今日の言葉で言う「信用緩和政策(credit easing)」に該当するABCPやABSの買い入れを行いました。第6に、金融政策には属しませんが、日本の金融システムを不安定化させる大きな要因となっていた、金融機関の株式保有に伴う市場リスクを軽減させるため、金融機関保有株式の買入れも実施しました。

 このように、日本銀行は、現在、世界的に導入されている革新的な措置の多くを既に行っていました。

3.日本経済・日本銀行の課題

 言うまでもありませんが、これらの非伝統的な金融政策は、日本経済が直面した当時の厳しい経済的困難に対処するために採用されました。これまで、経済危機はそれぞれ異なる様相で顕れてきました。しかし、全体としてみると、かつての日本と、今回、欧米経済そして欧米の中央銀行が直面している課題には、多くの共通点があります。具体的には、以下の5つが指摘できると思います。

 第1に、様々な経済主体のリスクテイキング能力が大幅に毀損された結果、伝統的な金融政策の有効性は大きく制約されました。

 第2に、そうした状況のもとで、オーバーナイト金利は事実上のゼロ金利にまで低下し、伝統的な金融政策を通じた追加的な緩和余地がなくなりました。日本の場合で言えば、オーバーナイト金利は地価がピークを付けた1990年から約5年後には0.5%にまで低下しました。米国の場合は、政策の実行は日本よりも早かったものの、それでもオーバーナイト金利が日本と同水準まで低下するまでには、住宅価格がピークを付けた2006年から3年の時間がかかりました。

 第3に、経済の立て直しを図る上で最も有効かつ重要な政策課題である、銀行システムの自己資本強化には時間がかかりました。経営が悪化した金融機関への公的資金の注入は、金融システムの安定には必要不可欠でしたが、政治的に不人気だったためです。今回、欧米では当時の日本ほどの遅れは発生しませんでしたが、それでも、そうした対応が採られるまでには、2007年夏の最初のショックから1年以上の年月を要しました。

 第4に、こうした事情を反映し、金融政策の効果波及メカニズムに関する不確実性は、平常時に比べると非常に大きくなります。このため、実験的な金融政策を採用する場合でも採用しない場合でも、金融政策決定の意図を市場や国民にどう伝えていくか、換言すれば、説明責任をどのように果たしていくかが大きな課題となりました。

 第5に、伝統的な金融政策の有効性が制約を受ける中で、中央銀行が「効果のある(productive)」政策措置を行おうとする場合、必然的に財政政策の領域に接近します。このため、民主主義社会において、そうした政策を誰が担うことが適切か、という問題に直面することにもなりました。

4.中央銀行の課題

 このような問題にどう対応すべきでしょうか。答えは、様々な要因に依存しています。中でも、そうした要因としては、それぞれの中央銀行が置かれた経済・金融環境、中央銀行の責任や利用可能な政策手段を定めた法律が挙げられます。国を越え、時代を越えて普遍的に妥当する答は存在しません。前回の日本の危機や今回のグローバルな危機の経験を踏まえつつ、非伝統的な金融政策について私が感じていることを述べてみたいと思います。

 第1に、金融危機への対応で最も重要なことは、金融市場や金融システムの安定の維持です。そのために、中央銀行は最大限の努力を行う必要がありますが、結局のところ、危機の際には、金融市場や金融システムの安定を維持することこそがセントラル・バンキングというものです。この点、日本銀行は、量的緩和政策、信用緩和政策、株式の買入れを行いました。量的緩和政策について、エコノミストの中には、マネタリスト的なチャネルを通じた経済活動の刺激効果は自明なものと考えている人もいましたが、金融システムへの影響という視点は十分には認識されていませんでした。しかし振り返ってみますと、量的緩和政策の最大の意義は、潤沢な流動性の供給を通じて金融市場と金融システムの安定に貢献したことでした1。今回、主要国の中央銀行は、自らのバランスシートを拡大させていますが、イングランド銀行以外の中央銀行は、こうした金融緩和政策を量的緩和政策とは位置付けていません。この点は、量的緩和政策の実体経済に対する有効性が、これまでのところ確認されていないという日本の経験からみても、肯けるものだと思います。

 第2に、金融システムの安定には、流動性供給と並んで公的資本の注入が不可欠なことは先ほど述べた通りです。しかし、こうした政策対応は、金融仲介機能を改善させるものですが、危機を引き起こした根本的な問題を解決するには不十分です。

 この点は、第3の論点を提起しています。問題解決のためには、民間非銀行部門で積み上がった様々な過剰の解消が必要であることは論を待ちません。しかも、銀行部門への公的資本の注入や量的緩和などを通じた潤沢な流動性供給は、非銀行部門の過剰解消の必要性自体を帳消しにするものではないことも忘れてはいけません。こうした過剰の解消が完了し、経済が持続的成長軌道に復帰するには、ある程度の時間を要することを認識しなければなりません。どの程度の時間が必要かについては、バブル期に積み上がった過剰の大きさや、バブル崩壊後に発生する危機時において、信頼の喪失によって増幅される負の相乗作用の厳しさに依存しますが、いずれにせよ、その時間は短くないということを肝に銘じる必要があります2

 第4に、金融政策と財政政策の境界線についてです。企業債務などの個別リスクを負担する政策措置は、ミクロの資源配分に関わる財政政策の領域に近づくものであり、中央銀行として異例の措置です。放置しておくとクレジット市場の機能が低下し、金融環境の悪化から経済活動が落ち込む危険が高まる局面では、こうした措置の採用が正当化されると思います。また、こうした政策措置は、各国の中央銀行法で定められた法的な枠組みと整合的でなければなりません。実際の政策対応に当たっては、市場参加者が異例な措置に依存し、市場機能が阻害されないよう、市場機能の回復と共に、利用のインセンティブを低下させるような適切な出口(exit)の仕組みを設けることが大事です。また、本質的に、財政政策に近い措置である以上、財政との間で、個別リスクの負担をどのように行うのかを明確にすることが不可欠です。これは、中央銀行の財務基盤に対する国民の信認を確保する観点からも重要です。もし、中央銀行の財務基盤が脆弱だと思われれば、金融政策の目標を有効に遂行する能力に対し、じわじわと様々なルートを通じて疑念が生じることにもつながりかねません。

 第5は、市場とのコミュニケーションについてです。金融政策を有効に実施するには、中央銀行という組織に対する信認が必須の条件です。信認の確保のためには、言葉と行動は一致しなければなりません。非伝統的金融政策はその効果に不確実性が高いほか、異例の措置は金融政策の境界線を拡げるものであるため、現在の局面では、市場や国民とのしっかりとしたコミュニケーションがより一層大事な課題となります。その際には、採用した政策の効果と副作用を常に検証しながら、丁寧に説明していくことが重要です。危機時だからといって、時間的整合性のとれない政策を採用すると、かえって、中央銀行の信認に悪影響を及ぼし、結果として、金融政策の有効性を低めることになります。結局のところ、中央銀行が信認を確保していくためには、経済が直面している問題の性格に応じた情報発信と整合的な政策の実行が必要です。特に、金融危機時には、金融市場・金融システム安定へのコミットメントを明確にするとともに、そのための政策を果断に実行していくことが何よりも大事であることを改めて述べたいと思います。

  • 1 量的緩和の効果については、Shirakawa [2004]、日本銀行 [2005]、白川 [2005]、鵜飼 [2006]を参照。
  • 2 Ahearne et al. [2002]は、1990年代の日本の金融政策運営について分析を行い、バブル崩壊後、早期に大胆な利下げを行っていれば、日本はデフレに陥ることはなかったとのシミュレーション結果を示している。こうした分析結果もあって、バブル崩壊後の経済の落ち込みに対しては、積極的な金融緩和によって対応できるとの楽観的な見方が示されることも多かった。例えば、Mishkin [2007]も、中央銀行がバブル崩壊に対してタイムリーに対応する限り、バブル崩壊の悪影響は管理可能な水準に止めることができる、と指摘している。

5.結び

 先ほど申し上げた5つの論点は、かつて日本銀行が非伝統的金融政策を実施した際に、苦心しながら対応してきた問題です。現在と当時との違いは、当時は、これらの問題に対応することの実務上の難しさが、多くのエコノミストに十分には認識されていなかった点です。1990年代後半以降、日本の政策当局に対し、国内外のエコノミストや国際機関から様々な政策提言がなされたことは記憶に新しいと思います。非常に大胆なものも含め、様々な提言が日本銀行に対しなされました。典型的な政策提言としては、「日本銀行が行うべきことは、高めの目標インフレ率を設定し、その目標を達成するため、実物資産を含めてあらゆる資産を購入することだけである」、「日本銀行は財政赤字のマネタイゼーションを行うべし」などがありました。中でも、最も有名な提言の1つは、「無責任な政策にクレディブルにコミットすべし」というものです3。興味深いことに、今回の危機では、急速な景気の落ち込みにもかかわらず、エコノミスト達からは、同様の大胆な政策提案は行われていませんし、そうした急進的な措置も実施されていません。初めて課題に直面すると、政策措置に関する議論は極端に振れがちです。そうした議論は、実際に危機への対応という課題に直面して初めて、真に地に足のついたものになるのだと思います。私は、かつてと現在のエコノミストの主張の変化をみるにつけ、人々が過去の経験から学びながら前進していく過程、つまり学習過程が確実に働いていることを感じます。我々にとって重要なことは、中央銀行としての基本的な責任を果たしていくことです。そのためには、今後とも、経済や金融の変化に対して常に謙虚さを保ちながら学習を重ね、経済のメカニズムやセントラル・バンキングに関する知恵を磨いていくことが、我々に課されている重要な課題であると考えています。

 ご清聴有り難うございました。

  • 3 Krugman [1999]を参照。

以上

参考文献

  • Ahearne, Alan, Gagnon, Joseph, Haltmaier, Carter, Kole, Linda, Roush, Jennifer, and John Rogers, "Preventing Deflation: Lessons from Japan's Experience in the 1990s," International Finance Discussion Papers Number 729, Board of Governors of the Federal Reserve System, 2002.
  • Krugman, Paul, "It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap", Brookings Paper on Economic Activity 2, pp.137-205, 1998.
  • Mishkin, Frederic, S., "Housing and the Monetary Transmission Mechanism," Finance and Economics Discussion Series 2007-40, Board of Governors of the Federal Reserve System, 2007.
  • Shirakawa, Masaaki, "Comment to "Securing the Peace after a Truce in the War on Inflation," by Vincent R. Reinhart" in the 11th International Conference sponsored, Monetary and Economic Studies, Vol.22, No.S-1, Institute for Monetary and Economic Studies, Bank of Japan, pp.208-215, 2004.
  • 鵜飼博史、「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」、『金融研究』、第25巻第3号、日本銀行金融研究所、2006年、1-45頁。
  • 白川方明、「(第12回国際コンファランスにおける)統括パネル・ディスカッションでのスピーチ」、『金融研究』、第24号第3号、日本銀行金融研究所、2005年、243-248頁。
  • 日本銀行、「経済・物価情勢の展望(2005年10月)」、2005年。